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ロスト・スペラー 20


創る名無しに見る名無し [] 2018/12/07(金) 18:09:05.48:81QT8mxd
未だ終わらない


過去スレ

ttps://mao.5ch.net/test/read.cgi/mitemite/1530793274/
ttps://mao.5ch.net/test/read.cgi/mitemite/1518082935/
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ttp://engawa.2ch.net/test/read.cgi/mitemite/1361442140/
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ttp://engawa.2ch.net/test/read.cgi/mitemite/1318585674/
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ttp://yuzuru.2ch.net/test/read.cgi/mitemite/1290782611/
創る名無しに見る名無し [sage] 2018/12/07(金) 18:10:14.11:81QT8mxd
今から500年前まで、魔法とは一部の魔法使いだけの物であった。
その事を憂いた『偉大なる魔導師<グランド・マージ>』は、誰でも簡単に魔法が扱えるよう、
『共通魔法<コモン・スペル>』を創り出した。
それは魔法を科学する事。
魔法を種類・威力・用途毎に体系付けて細分化し、『呪文<スペル>』を唱える、
或いは描く事で使用可能にする、画期的な発明。
グランド・マージは一生を懸けて、世界中の魔法に呪文を与えるという膨大な作業を成し遂げた。
その偉業に感銘を受けた多くの魔導師が、共通魔法を世界中に広め、現在の魔法文明社会がある。

『失われた呪文<ロスト・スペル>』とは、魔法科学が発展して行く過程で失われてしまった呪文を言う。
世界を滅ぼす程の威力を持つ魔法、自然界の法則を乱す虞のある魔法……。
それ等は『禁呪<フォビドゥン・スペル>』として、過去の『魔法大戦<スクランブル・オーバー>』以降、封印された。
大戦の跡地には、禁呪クラスの『失われた呪文』が、数多の魔法使いと共に眠っている。
忌まわしき戦いの記憶を封じた西の果てを、人々は『禁断の地』と名付けた。


ロスト・スペラー(lost speller):@失われた呪文を知る者。A失われた呪文の研究者。
B(俗)現在では使われなくなった呪文を愛用する、懐古趣味の者。偏屈者。
創る名無しに見る名無し [sage] 2018/12/07(金) 18:10:43.47:81QT8mxd
魔法大戦とは新たな魔法秩序を巡って勃発した、旧暦の魔法使い達による大戦争である。
3年に亘る魔法大戦で、1つの小さな島を残して、全ての大陸が海に沈んでしまった。
魔法大戦の勝者、共通魔法使いの指導者である、偉大なる魔導師と8人の高弟は、
唯一残った小さな島の東岸に、沈んだ大陸に代わる、1つの大陸を浮上させた。
それが現在の『唯一大陸』――『私達の世界<ファイセアルス>』。
共通魔法使い達は、8人の高弟を中心に魔導師会を結成し、100年を掛けて、
唯一大陸に6つの『魔法都市<ゴイテオポリス>』を建設して世界を復興させた。
そして、共通魔法以外の魔法を『外道魔法<トート・マジック>』と呼称して抑制した。

今も唯一大陸には、6つの魔法都市と、それを中心とした6つの地方がある。
大陸北西部に在る第一魔法都市グラマーを中心とした、砂漠のグラマー地方。
大陸南西部に在る第二魔法都市ブリンガーを中心とした、豊饒のブリンガー地方。
大陸北部に在る第三魔法都市エグゼラを中心とした、極寒のエグゼラ地方。
大陸中央に在る第四魔法都市ティナーを中心とした、商都のティナー地方。
大陸北東部に在る第五魔法都市ボルガを中心とした、山岳のボルガ地方。
大陸南東部に在る第六魔法都市カターナを中心とした、常夏のカターナ地方。
共通魔法と魔導師会を中心とした、新たな魔法秩序の下で、人々は長らく平穏に暮らしている。
創る名無しに見る名無し [sage] 2018/12/07(金) 18:11:44.01:81QT8mxd
……と、こんな感じで容量一杯まで、設定を作りながら話を作ったりする、設定スレの延長です。
創る名無しに見る名無し [] 2018/12/07(金) 20:59:54.06:6dxeT9v3
ハッケヨイは白鵬ガンダムに乗り込むと近所のパトロールを始めた。
「本日も異常なしでごわすな」
創る名無しに見る名無し [] 2018/12/07(金) 21:07:07.86:7LPl5vwu
現地時間11月30日午前3時30分ごろ、ダップンシティ上空をモビルスーツが240マイルの速度で飛行していた。
それをスカイパトロールが追いかけ、コックピットを見るとそこには衝撃的な光景があった。
パイロットは酔っ払った上で爆睡していたという。
モビルスーツは自動操縦モードで運行されていた模様。
創る名無しに見る名無し [sage] 2018/12/08(土) 19:03:33.31:DqSua37K
乙です!
創る名無しに見る名無し [sage] 2018/12/08(土) 19:29:20.54:ulkCZDtL
重要なワード


悪魔


ファイセアルスのある宇宙(第二宇宙)とは別の宇宙デーモテール(魔界)の存在。
神聖魔法と元始精霊魔法を除く全ての魔法は悪魔によって地上に齎された物であり、
元々地上には存在していなかった。
悪魔と第二宇宙との関わりは第二宇宙の前に存在していた宇宙(第一宇宙)の頃からあり、
第一宇宙は神の子の争いと悪魔の乱入によって荒廃した為に廃棄された。
悪魔とは即ち魔法使いであり、人に魔法を教えた存在である。
寿命の無い存在であり、肉体を失っても精霊体で生き続けられるが故に、多くは退屈している。
不死身の様だが、肉体を失った精霊は地上では弱く、太陽に曝される等すれば少しずつ弱って行く。
神が地上に関わる事を止めた魔法暦以後を、地上を支配する絶好の機会と思っている。
デーモテールは無慈悲にして修羅の世界であり、より強い者が世界を支配する事は、
至極当然と考えられている。
しかしながら、地上で長い時間を生きた悪魔の中には、人間に感化され、人間の習慣に馴染んでいる、
人間臭い悪魔も居る。





宇宙を創造した全知全能の神。
第一宇宙を自らの過干渉で荒廃させてしまった後は、第二宇宙を作り直して時々人間に代理を認め、
その力を貸してやる事しかしなくなった。
人と神と悪魔の代理戦争とも言える魔法大戦の後は、人に神の力を貸す事も殆どしなくなった。
それでも人間を愛してはいるが、その愛の形は人の物とは大きく異なる。
人は魔法暦になって、漸く神の御許を離れて立ち上がり始めた。
神は人の行く末を只静かに見守っている。
創る名無しに見る名無し [sage] 2018/12/08(土) 19:31:01.62:ulkCZDtL
魔法


悪魔によって地上に齎された奇跡の技。
魔法を使う為の魔力とは即ち混沌の力で、本来は悪魔だけが魔力を扱えた。
悪魔の数だけ魔法があり、それぞれ原理が異なる。
悪魔は戯れに人間に力を与えて魔法を使えるようにしたが、それは一部の者に限られた。
これ等を系統立てて科学的に解明し、誰でも使えるようにしたのが共通魔法である。
そもそも混沌の力を引き出す事は地上では難しく、悪魔が時空を歪めて魔界に通じる穴を開け、
魔力を供給してやらなければ、魔法を使う事は出来なかった。
多くの悪魔が勝手に宇宙の壁を越えて地上に現れ、魔法を使った事で地上は徐々に魔力で溢れ、
汚染されて行った。
その結果、力の弱い悪魔までも地上に蔓延る様になり、益々魔法は増えて行った。


魔法使い


魔法使いには4つの系統に分けられる。
1つは血統によって魔法を使うリニージ。
1つは学習によって魔法を使うリタレット。
1つは他者や道具の力を借りて魔法を使うエイデッド。
1つは呪われた事で魔法使いになるエンカースト。
リニージの魔法使いは悪魔その物か、悪魔の子孫である。
リタレットの魔法使いは弟子を取って魔法を受け継がせる。
エイデッドの魔法使いは直接悪魔の力を借りているか、悪魔の力を宿した道具を使う。
エンカーストの魔法使いはエイデッドに似るが、その力は基本的に本人の望まない形で現れる。
リニージは魔法暦では外道魔法使いと言われる。
リタレットは共通魔法使いを含め、魔法を他者に「教える」又は「教わる」全ての魔法使いを含める。
エイデッドは魔法暦では姿を消したが、魔法道具を使う者が、これに該当するかも知れない。
エンカーストは魔法暦でも生き残っているが、その性質上、人から離れて暮らしている事が多い。
系統は明確に分けられる訳では無く、リニージのリタレットや、リニージのエイデッド、
リニージのエンカースト、リタレットのエイデッド等と言った、複数の系統に跨る物が普通に居る。
しかし、共通魔法使いは純粋なリタレットであり、原則的に、そして哲学的に他の要素を含まない。
創る名無しに見る名無し [sage] 2018/12/08(土) 19:34:45.59:ulkCZDtL
人間


ファイセアルスに生きる多くの者は魔法資質を持つが、本来の人間は魔法資質を持たない。
何故ならば、元々魔法の無い世界に生まれた神の子だからである。
何故ファイセアルスの人々が魔法資質を持つのかと言えば、それは純粋な人間では無い為だ。
悪魔の魂に人の精神を宿して、それに肉体を与えた物が、ファイセアルス人「サイカント」である。
「サイカント」は「サイカントロプス(シーヒャントロポス)」の略であり、サイカンス、
シーヒャント等とも呼ばれる。
これは旧暦の人類「アルカント」とは亜種の関係にあるが、肉体的には非常に近しい種でありながら、
根本的には全くの別種と言う複雑な関係になっている。
普通の動物と霊獣や妖獣の関係も、これと同じと言って良い。
魔法大戦によってアルカントは絶滅の危機に瀕し、種の維持と存続の為にサイカントが生み出された。
サイカントは魔法暦以後の社会に適した人類ではあるが、適応進化によって誕生したのではない。
その誕生は偶然では無く、人為的な物である。
サイカントが悪魔の力を借りて人工的に造られた種だと知る者の中には、魔法を使うサイカントを、
悪魔の子、『悪魔擬き<デモノイド>』と呼んで蔑む者も居る。


魔導師会


共通魔法使いのエキスパートである魔導師の集団。
魔法大戦後の魔法秩序を維持する為に創設された。
旧暦は数多の魔法使いが、それぞれの魔法を使って人を囲い込み、割拠していたが、それを打ち破り、
人々に魔法を開放したのが、共通魔法使い達の祖である。
人は魔法を得て神と決別した為に、その後の秩序は自分達で維持して行かなければならなかった。
表向きには旧暦と魔法暦で人類種が入れ替わった事は秘密にされているが、魔導師会の中でも、
八導師と呼ばれる最高指導者は、旧暦や魔法大戦の隠された事実を知っている。
創る名無しに見る名無し [sage] 2018/12/09(日) 18:02:29.84:fqS9Qyqo
竜に焦がれて


所在地不明 反逆同盟の拠点にて


反逆同盟の一員ニージェルクローム・カペロドラークォは、毎晩所では無く、眠りに落ちる度に、
竜の夢を見る様になっていた。
夢の中で彼は巨大な竜になり、都市を襲って逃げ惑う人々を蹂躙する。
口から吐くブレスは全ての物を崩壊させ、大地をも溶かして泥の海に変える。
昂る力の儘に天に吠えれば、雷鳴が轟き嵐を呼ぶ。
後に残るのは毒の沼。

 (見よ、愚かなる人の有り様を!
  斯様に脆弱で卑小な存在でありながら、同属で憎み合い、敵対して優劣を競い争い合う。
  畜生と変わらぬ物なのだ!)

夢の中でニージェルクロームの心は竜と同調している。
竜の心が己の意思の様に感じられる。
自分が卑小な人間だと言う意識は無い。

 (天よ、父よ、母よ、答えられよ!
  それでも尚、人を愛されるか!
  その愛を以って、我等を阻まれるか!
  遥か天上より篤と御覧あれ、地上は我等竜の物!)

そんな夢を何度も何度も見させられていれば、彼で無くとも気が変になる。
創る名無しに見る名無し [sage] 2018/12/09(日) 18:05:39.60:fqS9Qyqo
ニージェルクロームは目覚める度に、己の体を確認した。
手足に鱗が浮き出ている様な錯覚が偶にあるのだ。
夢が実は正夢で、自分が眠っている間に、どこかの都市を襲撃したのではと時々思う。
心做しか日毎にアマントサングインの様に肌が赤黒く、瞳が赤くなっている様な気がして来る。
輝く太陽を仰げば、自然に気が昂り、咆哮を放ちたくなる。
ここに至って漸くニージェルクローム――否、ハイロン・レン・ワイルンは何故竜に憧れたのか、
自問する様になった。
ボルガ地方生まれの彼にとって、竜とは支配の象徴だった。
古代の伝説では超自然の存在である竜が人を認めて選ぶ事で、人は王となる。
その神聖な竜の力を得て、人は王に変わるのだ。

 (俺は王になりたかったのか……?
  違うな、竜と言う人智を超えた存在、その力に憧れたんだ)

彼は王よりも、王を選ぶと言う竜に興味があった。

 (そして竜の力を得て何をしようと考えていた……?
  多分、何も考えてなかった。
  俺は凡人にはなりたくなかった。
  だから、特別な存在の竜に自分を重ねた)

下らない自尊心と自己顕示欲が、彼を誤らせてしまったのだ。
しかし、目覚めるのが遅過ぎた。
彼は竜と一体化しつつある。
それも取り返しの付かない程。
こうやって冷静に自己を省みる事が出来る時点で……。
彼の心は人間的な執着心から解放されていた。
創る名無しに見る名無し [sage] 2018/12/09(日) 18:12:28.33:fqS9Qyqo
ニージェルクロームは同盟に加わったばかりの頃、同盟の長であるマトラを不気味に思っていたが、
次第に慣れて何とも思わなくなった。
だが、アマントサングインが覚醒して以降は、見るだけでも嫌悪感を催す様になっていた。
今は彼女に話し掛けられても無視して構わない、寧ろ、相手にするべきでは無いと思う。
マトラに限らず、この同盟に存在する者は、誰も相手にする価値が無い。
フェレトリもサタナルキクリティアもディスクリムも人間では無い。
ゲヴェールトとリタは人間を辞めている。
ビュードリュオンも何れ人間を辞める。
奇妙な話だが、アマントサングインと同化しつつあるニージェルクロームは悪魔を脅威とは捉えず、
「人間では無い事」、「人間から離れつつある事」を理由に無価値な存在だと取り上げなかった。
逆に言えば、もし「人間」であれば、興味を持って取り上げたと言う事だ。
アマントサングインは竜の本能として、善良な人間を探していた。
それこそが竜の守るべき存在。
自身は竜であるからして、人との共存等、望むべくも無い。
竜は人の敵なのだ。
その竜が「善人を守る」とは、どう言う事なのか?
今も尚、竜の使命に殉じるアマントサングインは夢を見ている。
嘗ての聖君の様に、何時か善の心を以って、己に立ち向かう勇者が現れる事を……。
勇猛果敢な人間は幾らでも居るが、勇気の正体が怒りや憎しみであってはならない。
怒りに身を任せ、憎悪に身を窶した人間には、戦禍竜であるアマントサングインは倒せない。
その血と涙、恨みと憎しみが力を持った存在こそが、アマントサングインなのだから。
魔導師会も善の存在とは認め難い。
あれは組織の理論で行動しているに過ぎない。
善性は個々の人間が持つ物であり、命令の実行に善性が伴うとは限らない。
自発的に行われる善こそが、竜の認める真の善なのだ。
命令者の善も真の善とは言い難い。
他人に良い事をしろ、善人になれと言うのは簡単だが、自ら為す事は難しい。
そして権威の下に善を命じ、命じられる儘に善が為される事は、悪を命じて悪が為される事と、
何等変わりが無い。
創る名無しに見る名無し [sage] 2018/12/10(月) 18:24:42.35:D4gPI+t9
高い理想の元にアマントサングインの目指す世界は、小群落で人が慎ましく暮らす世界だ。
人の国は大国になればなる程、大きく発展するが、一度暴走すれば手が付けられなくなる。
どんなに優秀で賢い者も、集団化して組織化されると、忽ち凡俗になり、時に愚劣になる。
そうした意識は凡人である事を嫌うハイロンの意識に、抵抗無く受け容れられて同化した。
初めはアマントサングインとの同調を否定していた彼だったが、少なからず共鳴する部分あった事で、
徐々に竜と自分の意識の境界を失って行った。
ハイロンは今や、生き残るべき人間を選別する立場にあるのだ。
ある夜、彼は夢遊病の様に独り反逆同盟の拠点から出て行く。
彼の意識は明瞭で無く、竜が体を操って誘導していた。
竜を監視する目的で、ハイロンの影にディスクリムが取り憑く。
ディスクリムは何時竜が離反しても良い様に、昼も夜も無く彼を警戒していた。
創る名無しに見る名無し [sage] 2018/12/10(月) 18:25:57.22:D4gPI+t9
カターナ地方ガラス市にて


道無き道を歩き、大通りに出てからも更に歩き、ハイロンが辿り着いたのはガラス市。
大都市と言う程では無いが、決して小さいとは言えない、人口50万人規模の中都市だ。
既に夜は明けて、太陽が天に高く明るく輝いている。
ハイロンは都市の繁華街で人込みに揉まれながら天を仰ぐと、その場で竜の幻影を纏った。
初めは見世物の類だと思って、余り動揺しなかった市民だが、竜が建物を破壊し始めると、
流石に異常だと気付いて逃げ出し始める。
恐慌は伝染して人々は竜から距離を取ろうと逃げ惑う。
ある程度、人が逃げた所で、アマントサングインは腐蝕ガスを吐いて、防御を固めた。

 (手加減しているのか……?)

影に宿っているディスクリムは、その行動に違和感を覚える。
とても人を殺そうとしているとは思えない。
人込みの中で凶悪な腐蝕ガスを撒き散らせば、一度に大量の人間を殺せるだろうに。
それは竜にとって殺人が目的では無い事を意味している。
やがて地元の執行者が駆け付けるが、腐蝕ガスに守られたアマントサングインに手が出せない。
この腐蝕ガスは魔力を遮り、魔法を無効化するのだ。
数針も経てばガラス市の繁華街からは人の姿が消え、本部から執行者の大軍が派遣される。
新たに到着した部長級の執行者の指揮官は、それまで現場を指揮していた課長級の執行者に尋ねた。

 「逃げ遅れた市民は居ないか?」

 「殆どは退避させましたが、全員かは分かりません。
  このガスが魔力を遮っとりまして、探知魔法が使えんのです」

 「……統合刑事部が到着するまで、未だ時間がある。
  偵察の序でに何人か捜索に向かわせよう」

指揮官は腕利きの執行者を集めて、竜の様子を観察すると同時に、取り残された市民が居ないか、
捜索する様に命じた。
創る名無しに見る名無し [sage] 2018/12/10(月) 18:27:33.21:D4gPI+t9
アマントサングインは千里眼でガスの中を前進して来る執行者を認識して、ハイロンに呼び掛ける。

 (来たぞ。
  あれが魔導師会の執行者だな)

 (ああ、何をしに来たんだろう?
  偵察かな?)

 (それと残留者の確認だな。
  よく訓練されている……が、果たして)

 (何をする気なんだ?)

 (ここには10人余りの残留者が居る。
  気配を感じるか?)

アマントサングインの問い掛けに、ハイロンは頷いた。
今、彼と竜の感覚は同調しており、普段魔力を読み取る様に、生命の気配を感じられる。
ハイロンは驚いた。

 (この腐蝕ガスの中で生きてるのか……)

 (『腐敗の吐息<ロトン・ブレス>』は我が血と混じる事で、我が意の儘になる。
  詰まり、残留者を生かすも殺すも私の意思一つだ)

 (……殺さないのか?)

 (私が何故残留者を殺さないのか、『同調者<シンパサイザー>』ならば解る筈だ)

古の邪悪な竜が財宝を守るが如く、アマントサングインは取り残された人間を守っている。
この宝を命懸けで奪いに来る者を待っているのだ。
創る名無しに見る名無し [sage] 2018/12/11(火) 18:09:16.82:pqht6J66
数人の執行者が魔力の壁で自らを覆い、腐蝕ガスの漂う空間に進入する。
絶対に無理はしない様に、不測の事態が起きたら撤退する様にと、強く念を押された執行者達は、
分散してガスの中を捜索した。
普通、こう言う時は魔力通信で連絡を取り合うのだが、濃度の高いガスの中では魔力が阻害され、
真面に通信が出来ない。
建物は溶解しており、どれが何の建物だったのか区別する事も困難で、下手をすると迷子になる。
濃霧の中の様に、本の数身先も見えないのだ。
執行者達は恐る恐る慎重に進まざるを得なかった。
それをアマントサングインは嘲笑する。

 (ハイロン、見よ。
  人の心が手に取る様に解るだろう)

そうハイロンに呼び掛けると、竜は一人を狙って遠距離から腐蝕ガスを吹き掛けた。

 「うわっ……!!」

竜に攻撃されたと理解した執行者は、慌ててガスの外に後退する。
ハイロンは落胆した。

 (……情け無い。
  あんなのが、この世界を守っているのか)

市民に畏怖され、或いは尊敬され、信頼されていた魔導師も、竜を前にしては個人では、
何も出来ずに狼狽えるだけの存在なのだ。
竜を退治する所か、逃げ遅れた市民を発見する事も出来ない。
創る名無しに見る名無し [sage] 2018/12/11(火) 18:15:58.74:pqht6J66
アマントサングインも退屈して、その場に座り込む。

 (中々取り残された生存者に気付かないな……。
  私が見たいのは、こんな物では無いぞ)

 (勇敢な人間を探しているのか?)

ハイロンの問にアマントサングインは内心で肯く。

 (強大な物に対して恐れを抱くのは、生物として当然だ。
  しかし、他人の為に自らの命を危険に晒す事が出来る者は少ない。
  兵士は命令だから、それが出来る。
  その様に訓練されている。
  魔導師も似た様な物だろう。
  だが、それでは不十分だ。
  真の勇気、勇敢さとは何かを考えた事はあるか?)

 (いや……)

急に聞かれても、ハイロンには答えられなかった。
勇気にも種類があり、色々と言わるが、その区別は明確では無い。
多くは事の成否、結果を以って、勇気だの無謀だのと言うに過ぎない。
それでもアマントサングインは確信を持って言う。

 (それは抗う事だ。
  易きに流れる心と戦う事だ。
  如何に勇猛と称えられようと、恐怖や迷いと戦わぬ者は臆病と変わらぬ。
  臆病者が振り絞る僅かな勇気こそが真の勇気。
  それは改心した悪人こそが真の善人と言うに似る。
  人は私情と私欲に駆られ、容易く悪の道を往く。
  一度悪人と見做されると、善の道には戻り難い。
  一方で過ちを恐れて何も為さねば、善も悪も無い。
  多くの者は、そうして逸脱しない事を善と誤解している。
  それに勇気は要らない。
  真の善の道は険しい)
創る名無しに見る名無し [sage] 2018/12/11(火) 18:23:28.61:pqht6J66
アマントサングインは執行者が残留者を発見するのを静かに待った。
何人かは竜の観察に寄って来たが、巨体で目立つ竜とは違い、瓦礫の中の残留者には気付かない。
執行者達は賢明にも指示を忠実に守って、竜には手を出そうとしない。

 (真の勇気、真の善とは、他者には評価出来ない独り善がりな物だ。
  故に、尊く、侵し難い。
  竜と言う脅威の前に、数人の人命は些細な事なのか……。
  どれ、試してやろう)

待ち草臥れたアマントサングインはガスを操り、瓦礫の下に取り残されている市民の声を、
近くの執行者に届かせた。

 「助けて……、誰か……」

微かな声を聞いた執行者は動揺して、辺りを見る。

 「誰か居るのか……?」

 「うぅ……、早く見付けて……」

救助を求める声は弱々しく、執行者に呼び掛けていると言うよりは、小声で呻いている様子。
執行者は判断に迷った。
今、自分は竜を観察している。
上司に許可を取ろうにも、ここは魔力の通じないガスの中だ。
独自の判断で行動するしか無い。
竜は静かに、この執行者の決断を見守った。

 (さて、どうする?
  お前の善性が試されているぞ)

正体の判らない一人を助けるのか、それとも観察を続けるのか……。
創る名無しに見る名無し [sage] 2018/12/12(水) 18:18:05.99:kTScZSu0
執行者は迷いに迷った末、自らの心に従った。
ここで市民を見殺しにしたとあれば、執行者の恥だと思った。
竜は動かないと信じ、彼は声のする方向へ向かう。

 (これで良いのか?)

彼を善人と認めるのかとのハイロンの問に、アマントサングインは厳しい調子で答える。

 (否、これは入口に過ぎない。
  善性の関門は厳しいぞ)

アマントサングインは巨体を動かし、この執行者を追い始めた。
執行者は救助を諦めざるを得ない。
竜に襲われては、自分も要救助者も一溜まりも無い。

 (あっ、逃げた……)

 (賢明な判断だ。
  恐らく仲間を連れて戻って来るだろう。
  だが、どこまで本気で救助出来るかな?)

魔力を通さない腐蝕ガスの中では、執行者であろうとも無能の人間と変わらない。
加えて、腐蝕ガスの中で長時間行動出来る者も稀なので、人海戦術が取れない。

 (非力なる者の嘆きを聞くが良い)

アマントサングインはガスの中に取り残された者達の苦しみの声を、拡大して木霊させた。

 「助けてくれ!
  体が焼ける、死にそうだ!」

 「ここに居るぞー!」

 「誰か早く来てくれ!」

それは執行者に全ての生存者の存在を知らせる。
焦りは判断力を鈍らせ、勇気と無謀の区別さえ付かなくさせる。
創る名無しに見る名無し [sage] 2018/12/12(水) 18:21:18.88:kTScZSu0
執行者達は自分の近くに居る残留者を一斉に救助しに動いた。
それを竜は巨体とブレスで妨害する。
だが、単独では全員の妨害は出来ず、何人かは救助された。

 (もう助けさせて良いのか?)

 (後で分かる)

10人余り居た残留者は、執行者によって救助され、残り3人となる。
全ての残留者が判明し、その何人かを救助したと言う事実は、全員を助けられるかも知れないと言う、
大きな希望に繋がるが、ここからが難しい。
創る名無しに見る名無し [sage] 2018/12/12(水) 18:23:02.28:kTScZSu0
一旦引き揚げた執行者達から残留者の話を聞いた指揮官は、決断を迫られる。

 「取り残された者が、後3人……。
  しかし、近くに竜が居て救助が難しいと」

 「はい、どうにか出来ないでしょうか……?」

 「囮作戦を試してみよう。
  注意を引いて誘い出し、その内に救助するんだ」

魔導師会本部に竜の存在を報告した時、本部からは統合本部隊の到着まで、可能な限り被害を抑えて、
時間を稼ぐ様に命じられ、同時に竜の力を見誤って本格的な攻撃を仕掛けない様にとも釘を刺された。
囮作戦は魔導師会本部の指示に明確に反するとまでは言えないが、少なくとも指示通りでは無い。
執行者達は5つの小部隊に分かれ、内3つは残留者の救助に向かい、2つは竜の注意を引く囮となる。
腐蝕ガスは魔力を遮るだけでなく、複数のガスの混合で、中には可燃性のガスも含まれている。
よって攻撃手段は限られている。
最も有効と思われる攻撃は、腐蝕ガスを掻き分けて、接近してからの攻撃。
遠距離攻撃は腐食ガスに阻まれ、威力が落ちる。
囮部隊が役目を果たす為には、危険な接近戦を挑まなければならない。
創る名無しに見る名無し [sage] 2018/12/12(水) 18:24:35.77:kTScZSu0
アマントサングインは周辺の状況を俯瞰していた。
当然、執行者達の目論見も看破している。

 (フム、そう来るだろうと思っていたぞ)

 (どうするんだ?)

 (先ずは乗ってやろうでは無いか!)

自らに向かって来る囮部隊をアマントサングインは、その場で迎撃した。
執行者達は魔力の障壁で腐蝕ガスを受けない様にし、至近距離からニードルガンを打ち込む。
しかし、幻影のアマントサングインに物質的な攻撃は通用しない。
無情にも射出された金属の針は竜の体を貫通して、ガスの向こうに消えて行く。
逆にアマントサングインの方からはハイロンを介して攻撃が出来る。
ハイロンが腕を振るえば、その軌跡に沿って幻影の竜の腕が動き、溶け行く大地に爪痕を残す。
執行者達は作戦が思う様に行かないので狼狽した。

 「ど、どうすれば良い?
  全く攻撃が当たらない!」

 「これでは竜を退かす所の話じゃないぞ」

 「時間が無い、一時撤退しなければ!」

魔力が遮られている中で、魔力の障壁を維持しながら戦うには、魔力石が不可欠だ。
そして魔力石に込められた魔力が尽きた途端に、腐蝕ガスを防ぐ手立てが無くなる。
それはエア・パックを背負って水中で活動するのと同じだ。
活動時間には限りがある。
創る名無しに見る名無し [sage] 2018/12/13(木) 18:38:19.81:PB/MrQEs
執行者達が撤退を考え始めた時の事である。
ここでアマントサングインは残留者の一人が居る瓦礫の上に右の前足を乗せ、大きく吠えた。
咆哮は大地を揺るがし、崩れ落ちた瓦礫が残留者達を圧迫する。

 「うわーーーーっ!!」

 「痛い、苦しい!!」

 「つ、潰されるっ!!」

残留者の悲鳴に、執行者達は一時撤退を躊躇う。
アマントサングインは執行者達に思念を送り、善性を問う。

 (いざ、いざ、如何に!
  退けば皆死ぬぞ!!)
創る名無しに見る名無し [sage] 2018/12/13(木) 18:38:40.29:PB/MrQEs
それは「殺す」との宣言だ。

 (本当に殺すのか?)

無抵抗の者を殺める事にはハイロンも動揺したが、アマントサングインは撥ね除けた。

 (これまで私は数万、数十万の命を屠って来た。
  今更数人殺した所で何だと言うのか……。
  それに人質が何時までも生きていると思う等、どうかしている。
  助けるには『今しか無い』、そう言う状況は概して不意に訪れる物だ。
  さて、執行者とやらは、どう出るかな?)

無理をしてでも助けるのか、それとも自らの安全を優先して撤退するのか……。
竜は静かに執行者達を睨め下ろしていた。
創る名無しに見る名無し [sage] 2018/12/13(木) 18:41:51.71:PB/MrQEs
執行者達は先ず、竜がテレパシーを送って来た事に驚いていた。
巨大な怪獣だと思っていた物が、意思を持って人に問い掛けて来るのだ。
執行者達は自分では判断が出来ず、部隊を率いる隊長の判断を仰ぐ。

 「た、隊長……」

その決定は重大だ。
隊長とて判断に迷う。
ここで撤退を指示すれば、確実に3人の残留者は死ぬ。
しかし、残って作戦を続けた所で、光明は見えない。
魔法が使えない状況では、執行者と言えど無力だ。
迷っている間にも時は過ぎて行く。
何も決められない儘、愚図愚図しているのが最も悪い。
アマントサングインは慈悲深くも決断を待った。

 (ハイロン、よく覚えておくが良い。
  こう言う時は打算が働くのだ。
  10人余りの内3人が取り残されている状況は、逆に言えば、7割は救出したと言う事だ。
  手を尽くしたが、及ばなかったと言っても、言い訳は立つ。
  それに唯3人の為に、その5倍の執行者を失えるか?)

既に結論は出ているも同然だ。
冷静に考えれば、それしか選べない。
隊長は結局、無難な選択をする。
それが正しい、そうするべきだし、そうするしか無い。

 「撤退しろ、責は私が追う。
  早く戻れ!」

苦渋の決断と言葉で言うのは簡単だが、その証明は難しい。
世の評価は行動と結果が全てなのだ。
創る名無しに見る名無し [sage] 2018/12/13(木) 18:45:10.51:PB/MrQEs
執行者は全員撤退して、アマントサングインは少し落胆した。
それがハイロンには有り有りと感じられた。

 (どうして落ち込むんだ?)

 (勇気と無謀に違いは無い。
  人は事の成否を以って、それを語るに過ぎない。
  時には賢く立ち回るより、愚かしくも直向きに進む方が、道を拓く事がある。
  執行者には、それが出来なかった……。
  組織は何時でも責任と戦っている。
  大きく長く続いた組織程、保守的になり、責任の回避に専心する。
  魔導師会とて同じ事なのだ)

アマントサングインは残留者を殺すと決意した。
その決意はハイロンに伝わり、彼に行動を起こさせる。
ハイロンが片腕を高く掲げると、竜の腕も同調して高く掲げられる。
彼が腕を振り下ろすと、竜の爪が残留者の居る瓦礫の上に突き立った。

 (……断末魔の叫びが聞こえない。
  他の苦しみの声も聞こえなくなっている……?
  生命の反応が感じられない)

アマントサングインは訝る。
残留者は苦しみに耐え切れず死亡したのか……。

 (何か奇怪しい……)

どうしても違和感があったアマントサングインは、死体を確認すべく、爪の先で瓦礫を掘り返した。
しかし、酸に溶かされた訳でも無いのに、死体が見当たらない。
地中には奇妙な穴が開いている……。
創る名無しに見る名無し [sage] 2018/12/14(金) 19:16:31.22:+7edo/va
その頃、ガスに覆われた空間の外では、ポイキロサームズが3人の残留者を運び出していた。
人が通れる程の穴を昆虫人ヘリオクロスが掘り、蜥蜴人間アジリア、蛇人間ヤクトス、
蛙人間ヴェロヴェロの3人が負傷した残留者を運び、亀人間のコラルが殿を務める。
こうして5人の連携で、残留者は無事に救出された。
幸いと言うべきか、残留者達は極限状態で意識が朦朧としており、異様な姿をした者達を恐れ、
抵抗する様な事は無かった。
魔楽器演奏家のレノック・ダッバーディーが5人を称える。

 「よくやってくれた。
  君達で無ければ、出来ない事だった」

ポイキロサームズの面々は余り表情の変化こそ無いが、心の中では嬉しかった。
レノックと共に行動している男女一組の八導師親衛隊員も、救出された残留者達の手当てをしつつ、
感謝の言葉を述べる。

 「有り難う御座いました。
  何物にも代え難い市民の命を救って下さった事に、魔導師会の魔導師として、又、
  共通魔法社会に生きる市民として、お礼申し上げます」

それが気に入らず、アジリアは外方(そっぽ)を向いて言った。

 「何だい、その言い方は?
  私達は当然の事をしたまでさ。
  大袈裟過ぎるよ」

正か反発されるとは思わず、親衛隊の2人は言葉を失う。
創る名無しに見る名無し [sage] 2018/12/14(金) 19:17:47.70:+7edo/va
レノックは2人に小声で言った。

 「彼女の言う通りだよ。
  今の言い方は良くなかった。
  ポイキロサームズと名乗ってはいるけど、皆自分の事を本当は人間だと思っているんだ。
  君達の台詞は、丸で『外側の者』に対する言い方だった」

ポイキロサームズは外道魔法使いとは違う。
見た目こそ人間から離れているが、元は人間であり、その意識は人間の儘だ。
容貌からして人とは違うと言う自覚こそある物の、最初から人外の存在として生まれた訳では無い。
親衛隊の2人はポイキロサームズに謝罪する。

 「済みません、大変失礼しました」

 「いや、良いんですよ。
  こんな姿ですから……誤解されるのも仕方が無いって言うか……」

蛇人間のヤクトスが間を取り成そうとするも、蛙人間のヴェロヴェロは2人に告げる。

 「それより、救助した3人を早く病院に運んだ方が良いですぜ。
  こんな所で目を覚まして俺等の姿を見たら、卒倒するか、最悪心臓が止まるかも」

自虐的な彼の言葉に、親衛隊の2人は居た堪れなくなり、救出した3人を運ぶ為に、
魔力通信で救援を呼んだ。
亀人間のコラルが言う。

 「それじゃ、今の内に退散しましょうか……」

ポイキロサームズは静かに頷いて、その場を離れた。
外道魔法使い達と同様に、執行者がポイキロサームズを受け容れるには時間が掛かるが、
理解を待っている余裕は無い。
故に、ポイキロサームズの活動は魔導師会でも本の一部の者達と、影で協力するだけに留まる。
ここで執行者と顔を合わせても、面倒事が増えるだけなのだ。
創る名無しに見る名無し [sage] 2018/12/14(金) 19:19:45.89:+7edo/va
レノックは冗談交じりにポイキロサームズの5人を慰める。

 「事が終わったら、魔導師会に頼んで人間の姿にして貰おう。
  仮に元の姿が判らなくても良いさ。
  美男美女にして貰って、皆で『芸能人<エンターテイナー>』にでもなろう。
  僕がプロデュースしても良いよ」

ヤクトスは苦笑いした。

 「中々そうは思い切れませんよ。
  それに日陰者が行き成り芸能人って言うのも……」

余り乗り気では無い彼とは対照的に、ヴェロヴェロは上機嫌に喉を鳴らす。

 「俺は良いと思うぜ。
  どうせ人間に戻っても、真面な生活は出来やしないんだ。
  それなら派手に生きるのも悪かない」

 「お気楽な物だね、私は未だ先の事は考えられないよ。
  そもそも私達は同じ境遇ってだけで、友人でも何でも無いんだから。
  それが芸能人になるって言っても……」

アジリアは冷淡で、コラルは弱気だ。

 「こう言うのって、死亡フラグって言うんじゃないですか……?」

生まれた時から「人では無い姿」で、「人としての意識」があるポイキロサームズ。
その未来が良い物である事をレノックは心の底から願った。
創る名無しに見る名無し [sage] 2018/12/15(土) 19:02:33.89:R6QxYpnA
一方アマントサングインは巧々(まんま)と出し抜かれたと悟り、心の中で悔しがる。

 (グヌヌッ、してやられたと言うのか!)

竜は瓦礫の山を叩き潰し、苛立ちを打付けるが、ハイロンは彼の心に喜びを見ていた。

 (嬉しいのか……?)

彼の問にアマントサングインは小さく笑う。

 (フフフ、人間も中々やるでは無いか!
  確かに地下深くまでは我が『吐息<ブレス>』も及ばぬ。
  だが、執行者にも真実を伝えず決行するとは……。
  敵を欺くには先ず味方からと言うが、小賢しい事を!)

 (愚直な勇気とは違うけど、良いのか?)

 (フン、物事は所詮結果だ。
  奴等は知恵を尽くして、我が手に捕らわれていた者を奪い返した。
  結構な事では無いか)

もう用は済んだとばかりに、アマントサングインの幻影は3枚の翼を羽搏かせ、飛翔した。
腐蝕ガスの靄を突き抜け、天高く飛び上がる竜を執行者達は警戒するも、上空からの攻撃は無く、
竜は彼方へと飛び去って行く。

 (次は、どこへ行くんだ?)

ハイロンが尋ねると、アマントサングインは小さく呟いた。

 (暫くは姿を隠して様子見だ。
  この後、悪魔共が如何な行動に出るかも気になる)
創る名無しに見る名無し [sage] 2018/12/15(土) 19:04:53.81:R6QxYpnA
アルアンガレリアの子は聖君によって生み出された物であるが故に、悪魔を敵視している。
共通魔法使いを試す事に変わりは無いが、だからと言って悪魔を利する気は無かった。
アマントサングインは段々と高度を上げて行き、成層圏から地上を見下ろす。

 (見よ、ハイロン。
  海に浮かぶ唯一の大陸の何と寂し気な事か……。
  嘗ての陸地は全て海に沈み、これが代わりに浮上した)

 (共通魔法使いの所為で?)

 (否、全ては人の業だ。
  共通魔法使いの出現は、時流の宿命に過ぎぬ。
  人は自ら神の御許を離れ、苦難の道を選んだ)
創る名無しに見る名無し [sage] 2018/12/15(土) 19:05:13.85:R6QxYpnA
この時のアマントサングインの心境を、ハイロンは測り兼ねていた。

 (恨んでいるのか?)

 (何を恨む事がある?
  それは誰にも逆らい得ぬ、『大理法<アーク・ロー>』の如き大きな定め。
  過去の歴史は全て天意なのだ)

 (そんな馬鹿な)

神を信じない時代に生まれた彼には、竜の言葉に今一つ共感出来ない。
その使命や役割を理解出来ても、こればかりは……。

 (信じられぬか?
  やはり見えも聞こえも触れもしない物を信じる事は難しかろうな)
創る名無しに見る名無し [sage] 2018/12/15(土) 19:09:36.62:R6QxYpnA
竜は少し高度を下げて、唯一大陸を縁取る様に上空の対流圏を大きく緩りと旋回した。

 (この地上が全て理法に基づいて生み出された物だと言う事は、至極当然の事ではあるが、
  同時に驚くべき事だ。
  ここに天地万物の創造主、神を感じずには居られない……。
  しかし、嘗て地上は悲しみに満ちていた。
  人は互いに争い合い、人の世は殺戮、飢餓、暴虐、不信、略奪、痛苦、あらゆる困難に支配され、
  そこら中に死臭を漂わせながら、尚も争いが収まる気配は無かった。
  私は戦禍が生み落とした物。
  我が体は戦死者の血と骨と皮と肉と臓腑、その新鮮な物と腐敗した物が混ざり合って出来ていた。
  私は人の絶望その物だった)

 (悲しいのか?)

アマントサングインは自らの生まれを嘆いていた。
それは決して幸福の為に生み出された物では無いのだ。

 (私は崇高な使命の下に生まれた。
  悲しみ等と言う感情は持ち合わせていない。
  『人の世も捨てた物では無い』、それだけが判れば良い。
  私は竜の使命とは、人に代わって地上を支配する事だと思っていた。
  母アルアンガレリアが人間に与する理由も解らなかった。
  ……今は違う。
  大父ディケンドロスが本当に望んでいた物は何だったのか、何の為に我等が母を生み出したのか、
  今なら解る……。
  兄も解っていたのか、私だけが何も解らぬ儘、戦いを続けていたのか……)

 (何の為なんだ?)

 (絶望の中で輝く物を見付ける為だ。
  それが人の希望となり、人を導く。
  魔導師会が、それに値するかは未だ判らないが……)

アマントサングインは唯一大陸を眺め下ろしながら、風に吹かれる儘に旋回を続けた。
創る名無しに見る名無し [sage] 2018/12/16(日) 18:13:54.45:bFtnKnBy
そしてハイロンに問い掛ける。

 (卑小なる者ハイロンよ、人と悪魔――否、『悪魔擬き<デモノイド>』と悪魔との戦いを見届けた後、
  私は再び深い眠りに就く。
  お前は、どうする?)

 (どうって言われても……。
  俺、実は何も考えてなかったんだ。
  凡人にはなりたくなくて、凄い力を手に入れれば、何か変わると思ってた。
  ……実際、色々変わったけどさ。
  反逆同盟に加わって、それなりに楽しかったけど、何か違ったんだよな)

 (仕様も無い奴だ)

アマントサングインは丸で考え無しの彼に呆れた。
ハイロンは困り顔で竜に相談する。

 (現実的になるべきなのか?
  俺には凡人として生きる事しか出来ないのか……)

 (嫌なのか?)

 (『嫌』とは少し違う。
  俺は偉人にはなれないって言う宿命みたいな物を感じるんだ。
  どう足掻いても、凡人は凡人って言うか……。
  それは幸せな事かも知れないと、今では思う。
  『力の解放』の知識を活かして、民間療法の修行でも始めようかなぁ)

 (お前の人生だ、好きにするが良い)

アマントサングインはボルガ地方の火山に降下した。
創る名無しに見る名無し [sage] 2018/12/16(日) 18:15:09.28:bFtnKnBy
統合刑事部のガラス市到着は惜しくも間に合わず、竜を仕留めるには至らなかった。
しかし、破壊するばかりが執行者では無い。
竜が去った後のガラス市では、執行者を含めた魔導師会が総出で復旧作業に当たった。
家や会社が破壊されても、魔導師会が責任を持って回復する事で、市民は心置き無く、
自衛に努められる。
怪我の治療に関しても、一切の負担は免除される。
こうした太っ腹な「政策」は、魔法道具協会による厳格なMGの管理の下に成り立つ。
魔導師会は益々市民の支持を得て、盤石な組織となる。
しかし、産業が受ける打撃は小さくない。
土地や箱物を建て直し、生産体制を元通りにしても、失われた製品までは戻せない。
そこまでの面倒は魔導師会でも見切れない。
今の所は被害が「市」単位で収まっているが、これが「地方」単位になってしまうと、
物資の不足からインフレーションが進行する可能性が高まる。
そうなれば市民は逆に魔導師会に反発する様になるだろう。
何時までも竜を野放しには出来ない。
同じく不安要因である反逆同盟も早急に片付ける必要がある。
これは魔導師会の総意だった。
創る名無しに見る名無し [sage] 2018/12/16(日) 18:16:19.93:bFtnKnBy
反逆同盟は遠隔地に瞬時に移動する、所謂『瞬間移動<テレポーテーション>』の技術を持っており、
この為に魔導師会は常に対応が後手に回っていた。
だが、魔導師会も無能では無い。
瞬間移動を利用した後には、それなりの魔力の痕跡が残る。
移動距離が長ければ長い程、移動させる物が大きければ大きい程、使う魔力は大きくなる。
D級禁断共通魔法の研究者リャド・クライグ博士の協力で、その性質から拠点の絞り込みを行い、
それはカターナ地方の深い森林の中だろうと言う事までは判った。
半端に手を出して、反逆同盟を刺激したり、取り逃したりしては行けないと、拠点の捜索は、
臆病過ぎる程の慎重さを以って実行された。
その甲斐あって、魔導師会は遂に拠点を突き止める事に成功したのである……。


――熱帯森林戦に続く
創る名無しに見る名無し [sage] 2018/12/26(水) 20:39:21.07:bjLzmhTz
digression
創る名無しに見る名無し [sage] 2018/12/26(水) 20:42:08.56:bjLzmhTz
エア・パック


酸素ボンベに相当する英語。
エア・タンク、オキシゲン・パック等とも言います。
酸素ボンベのボンベは語源不明らしいです。
ドイツ語の「爆弾」が由来とも言われていますが、ボンベには爆弾の意味しか無いのです。
タンクの形状が爆弾に似ているからとか、そんな理由なのでしょうか?
それとも引火して爆発すると危ないからとか?
謎が多い名称です。
創る名無しに見る名無し [sage] 2018/12/26(水) 20:46:05.58:bjLzmhTz
穴が開く


「穴が開く」は「穴が空く」が正しいと言われますが、それは本当でしょうか?
「空く」は「空にする」、「時間的・空間的な余裕を作る」と言う場合に使われます。
「ビンを開ける」と「ビンを空ける」では、前者は蓋を開ける、後者は中身を空にするとなり、
「部屋を開ける」と「部屋を空ける」では、前者は開放する、後者は留守にするとなります。
「開(あ)く」の方は「開(ひら)く」と、「空(あ)く」の方は「空(す)く」と、
置き換えられますが、それで全てが表せる訳ではありません。。
「穴」の場合は「開孔」や「開通」の様に、「開く」が使われる場合もあります。
又、「開(ひら)きがある」の意味で、「差が開(あ)く」も普通に使われます。
「閉める」には「開く」、「埋める」には「空く」と言いますが、これが全てに適用出来るかも、
疑問が残ります。
「穴」は「塞ぐ」とも言い、この「塞ぐ」には他に「口を塞ぐ」、「目を塞ぐ」等がありますが、
「口を空ける」、「目を空ける」とは書きません。
逆に、「手一杯」と言う意味の「手が塞がる」は「手が開く」とは言わず、「手透きになる」、
「手が空く」となります。
「開ける」と「空ける」の使い分けは、前者が具体的な物や動きに対して、後者は空間や時間等の、
非物質的な事を指す場合が多いです。
では、「穴」は何なのかと言われると、どちらとも言えるのが困った所です。
個人的には「穴を空ける」と言う表記には違和感があります。
どうしても「空く」には「空きを作る」、「中身を取り出す」と言うイメージが強いので……。
「穴を掘る」や「穴が出来る」と言う表現もあるので、「開く」や「空く」が気になるのであれば、
そちらを使うのもありだと思います。
創る名無しに見る名無し [sage] 2018/12/26(水) 20:49:09.96:bjLzmhTz
済みません、年末多忙で暫くスレを放置していました。
来年の2週間目からは何時も通りの投稿ペースに戻せると思います。
一足早いですが、良いお年を。
創る名無しに見る名無し [sage] 2018/12/27(木) 01:50:35.03:cS7gcAjC
乙です
また来年も期待!
創る名無しに見る名無し [sage] 2019/01/07(月) 18:14:24.06:fqIHkhBC
明けまして、お目出度う御座います。
心を新たに頑張って行きたいと思います。
創る名無しに見る名無し [sage] 2019/01/07(月) 18:14:46.70:fqIHkhBC
next story is...
創る名無しに見る名無し [sage] 2019/01/07(月) 18:18:32.61:fqIHkhBC
童話「運命の子」シリーズA 奇跡の者


『悪魔退治<デモンバスター>』編


ある冬の日、アーク国王はクローテルを城に呼んで、こう依頼しました。

 「聖騎士クローテルよ、南西の国の公爵領で奇みょうなうわさが立っておる。
  何でも夜な夜な領民をいけにえにささげておるのだとか……。
  使者を送ったが、未だ何の情報も無い。
  とらわれたか、始末されてしまったか……。
  公爵が邪教を崇拝しているとなれば、由々しき事だ。
  クローテル、そなたに公爵の様子を探って欲しい。
  もし邪教に関わっているようであれば、ただちに報告せよ」

南西の国は大陸の隅にあり、大きな国ではありませんが、国主のオッカ公爵はアーク国王と、
主従の関係を結んでいます。
オッカ公爵領で起きた出来事は、アーク国王が責任を持って片付けなければなりません。
その他の国が手を出せば、戦争になってしまいます。
クローテルは国王の頼みを受ける前に許しを求めました。

 「いざと言う時に、我が身を守る事をお許しいただけますか?」

アーク国王は許します。

 「そこまで余も無体ではない。
  やむを得ぬ場合は認めよう」

クローテルは続けて許しを求めます。

 「民を守るために力を振るう事は、お許しいただけますか?」

アーク国王は少しなやみましたが、もうクローテルを止める事はできないと思っていました。

 「許さん……と言っても、そなたは聞くまい。
  認めよう。
  聖書にもある。
  勇ましさの下に表れる正しさは幻であり、真しな愛の下に正しい心は表れると。
  行くが良い」

こうしてクローテルは一人、南西の国へと向かう事になりました。
創る名無しに見る名無し [sage] 2019/01/07(月) 18:20:28.00:fqIHkhBC
クローテルは西の国を通って、南西の国に入ります。
西の国を出て南西の国に入るまでの国境で、彼は身なりの良い若い男に呼び止められました。

 「クローテル殿、久しぶりだな!」

それはルクル国のマルコ王子でした。
王子は多くの家来を従えて、国境の道ばたに並ばせていました。

 「マルコ王子、この様な所で何を?」

驚くクローテルにマルコ王子は言います。

 「オッカ公爵領の怪しいうわさは我がルクル国にも届いている。
  余りにアーク国王の対応が遅いので、少しせつかせてもらった。
  そうしたら案の定、クローテル殿が派けんされて来たという訳だ」

 「私が通りかかるのをお待ちになっておられたのですか?」

 「……そうなるな。
  何、気にする事は無い」

 「何の為にですか?」

クローテルが疑問に思った事を正直に聞くと、マルコ王子は不敵に笑いました。

 「あなたの怪物退治のうで前をこの目で見るためだ」

 「怪物?」

 「ああ、オッカ公爵は夜な夜な怪物に変身して、領民を食らっているとのうわさだ」

 「うわさはうわさでしょう」

 「果たして、どうかな?
  一緒に確かめようではないか!」

マルコ王子はクローテルと行動を共にする気です。
創る名無しに見る名無し [sage] 2019/01/07(月) 18:22:25.75:fqIHkhBC
クローテルは王子の後ろの家来たちを見て、遠回しに断ろうとしました。

 「しかし、マルコ王子、みんな一緒には無理です。
  それにあなたは外国の王子です。
  事前に断りも無く入国を許されるか……」

 「試してみれば良いではないか」

マルコ王子は構わず、ぞろぞろと家来を引き連れて、オッカ公爵領の門に向かいます。

 「もっと慎重に行動された方が……」

王子と言う身分にもかかわらず、軽はずみなマルコ王子に、クローテルは忠告しようとしましたが、
聞いてもらえません。

 「平気さ、私には神器がある」

そう答える王子の手には、白い布に包まれた神旗マスタリー・フラグがありました。

 「神器を国外に持ち出してよろしいのですか?」

 「逆だ、逆。
  私が国外に出るのだから、神器が必要なのだ。
  何があろうと神器が私を守る」

マルコ王子の側には十騎士のレタート、ドクトル、フィデリートもいます。
さらに兵士も大勢連れており、まるで戦争をしかけるかの様でした。
クローテルが心配した通り、マルコ王子は国境の番兵に入国を断られます。

 「高貴な方をお迎えするには準備が必要です。
  お話も通されず、いきなり入国させろとは、国際的な礼儀に反します」

 「では、王子を追い返して野宿させるのは、礼儀にかなった行動なのか?」

マルコ王子は難くせをつけて、番兵をなじりました。
創る名無しに見る名無し [sage] 2019/01/08(火) 18:32:48.72:G51LxUKi
番兵は困ってしまい、隊長を呼んで指示を仰ぎました。
隊長は王子たちを見て深々(ふかぶか)と頭を下げます。

 「大変失礼いたしました。
  高貴な方をいつまでも、この様な場所にとどめおくわけには参りません。
  お話は後ほどおうかがいするとして、とりあえずは、お城にお越しください。
  すでに、お部屋を手配してあります。
  お供の方がたも、どうぞ遠りょなさらず」

急に対応が変わったので、みんな怪しみましたが、マルコ王子は気にしませんでした。

 「ウム、それではありがたく、お言葉に甘えるとしよう。
  どうした、みなの者?」

軍師のドクトルが、みなの気持ちを代表して忠告します。

 「王子、どう考えても怪しいですよ」

 「分かっている、何か裏があるのだろう。
  それをこれから暴こうというのだ。
  怖いなら帰って良いぞ」

 「王子を置いて帰るなど、できようはずもございません」

 「そうであろうな。
  家臣とは難ぎなものよ……。
  では、命じよう。
  さすがに大所帯が過ぎるので、供は十人までとする。
  先方にも迷わくであろうからな」
創る名無しに見る名無し [sage] 2019/01/08(火) 18:34:37.76:G51LxUKi
マルコ王子の命令で、十騎士の3人と兵士4人と召し使い3人が残り、それ以外は帰国しました。
隊長は残念がります。

 「私どもは全員お迎えしても構いませんでしたが……」

 「そなたは良くとも、下々(しもじも)の者が大変であろう」

 「未来の国王となられる方の思りょ深さには感服するばかりです」

 「世辞は良い、早く案内してくれないか?」

 「失礼いたしました。
  かように高貴な方と、お話をする機会はなかなかありませんので、つい興ふんしてしまい……」

隊長に案内されて、王子の一行は領内に入りました。
クローテルは、おまけの様なあつかいで、王子について入城します。
お城に着いた一行ですが、オッカ公爵には会えず、その代わりに公爵の家令があいさつをしました。

 「まことに申しわけございません。
  公爵は気分が優れず床にふしており、みな様の前で万に一つも粗相があってはならないとの事で、
  筆頭家令の私が代理としてみな様をおもてなしいたします。
  どうか、お許しください」

マルコ王子は不服そうに言います。

 「いや、ならぬ。
  私たちは旅行に来たわけではない。
  奇みょうなうわさの真偽を確かめに来たのだ」

 「うわさとは何でございましょう?」

とぼける筆頭家令に王子は正直に答えました。

 「毎夜、領民が怪物におそわれているという」
創る名無しに見る名無し [sage] 2019/01/08(火) 18:37:13.80:G51LxUKi
筆頭家令は困った顔をして言います。

 「一体だれが、その様なうわさを……。
  事実無根でございます。
  さような事がございましたら、今ごろ領内は荒れ果て、領民は逃げ出しておりましょう」

マルコ王子は彼の言葉を信じず、とにかくオッカ公爵との面会を求めました。

 「お前では話にならん。
  オッカ公爵は、どこだ?
  具合が悪いと言うなら、この私が見まってやろう。
  さすれば病の気も飛ぶであろうよ」

あわてて筆頭家令が王子を止めます。

 「いけません、いけません!
  ただのかぜか、重い病か、医者に見せても分からないのです。
  もしも病気が移るような事があっては……」

病気が移ると聞いては、王子も引き下がらざるを得ませんでした。
筆頭家令は自信を持って王子に言います。

 「本当に夜に怪物が現れるか、一晩おとまりになれば、お分かりいただけるはずです。
  はるばるルクル国から旅をなされて、おつかれでしょう。
  今日のところは、お休みください。
  明日になれば、公爵の具合も快方に向かっているかも知れません。
  お話は、その時にでも……」

そう説得された一行は、一晩お城で休む事になりました。
創る名無しに見る名無し [sage] 2019/01/09(水) 19:29:16.85:CuVqQ6Mf
マルコ王子の一行には、それぞれ別の部屋があてがわれました。
夕さんの時間にも公爵は姿を見せませんでしたが、ごう華な食事が用意されました。
旅でつかれていた王子たちは、食事に毒がない事を確認すると、遠りょなく食べはじめます。
全ての料理がおいしく、王子たちは満足して部屋に戻り、眠りにつきました。
しかし、クローテルだけは夜遅くなっても眠らず、城のまどから外の様子をながめていました。

 (あれは何だろうか?)

クローテルは城の庭に気になるものを見つけました。
黒い服を着たなぞの者たちが、水のかれた庭のふん水に集まっています。
黒い服の者たちは一人二人とふん水の真ん中に立つ建つ像の中に消えて行きます。
気になったクローテルは剣を手に持つと、まどから飛び降りて、後を追ってみました。
像の中には地下へと続く秘密の階段があります。
クローテルは明かりも持たずに、暗い中を進んで行きました。
彼の目は暗闇でも利きます。
階段は緩やかな下り坂になっており、真っすぐ城の方に伸びていました。
坂を下りきったクローテルは、そこで恐ろしい物を目にします。
創る名無しに見る名無し [sage] 2019/01/09(水) 19:30:35.70:CuVqQ6Mf
彼が着いたのは、お城の広間ほどもある空間でした。
その真ん中には祭だんがあって、多くの黒い服を着た者たちが、恐ろしい呪文を唱えています。

 「かん大な魔神様、かん大な魔神様、どうか我らに奇跡をお与えください。
  偉大な魔神様、偉大な魔神様、どうか我らの敵に死をお与えください。
  信じる者には恵みを、信じない者には罰を……」

空間には吐き気をもよおすような甘い臭いが満ちていますが、黒い服の者たちは気にしていません。
みんな同じように地面にふせて、頭を大きく上げたり下げたりしながら、何度も何度も拝んでいます。

 (邪教すう拝か!)

クローテルは儀式の様子をじっと見ていました。
やがて祭だんの上に、2人の幼い子を連れた大人が上がります。

 「おお、すばらしき悪魔公爵様、いけにえをお受け取りください!
  あわれな子らをあなた様の愛で満たし、祝福をお与えください」

幼子はうつろな目をしていて、何の抵抗もしません。
大人は黒いナイフのような、えい利な刃物を取り出して、高くかかげました。
幼子だけでなく、みんな正気ではないのです。

 (止めさせなくては!)

クローテルは居ても立ってもいられなくなり、かがやく剣を抜いて飛び出しました。

 「お前たち、おろかなまねは止めろ!
  いけにえをささげて何になる!」
創る名無しに見る名無し [sage] 2019/01/09(水) 19:31:59.63:CuVqQ6Mf
それまで地面にふせていた黒い服の者たちは、あわてて立ち上がって振り向きました。

 「神聖な儀式の邪魔をさせてはならんぞ!!」

祭だんの上の者がさけぶと、黒い服の者たちは一斉にクローテルに向かって行きます。

 「どけぇっ!!」

クローテルは向かって来る者は容しゃせずに、投げ飛ばしました。
剣を振るうまでもなく、一人を片手で持ち上げて、集団に向かって放り投げるだけで、
おもしろいように倒れて行きます。
クローテルは倒れた人びとを飛び越えて、一気に祭だんの上に立ちました。

 「幼子をいけにえにささげるとは、何という外道!
  今まで何人をぎせいにして来たのか!」

 「うるさい!
  それが何だと言うのだ!」

怒る彼にひるまず、祭だんの上の黒い服の者は刃物を投げつけます。
それをクローテルは受け止めて、強い力で刃をにぎりつぶしてしまいました。
刃物は粉々になって祭だんに落ちます。
クローテルは人を邪悪にさそう何かが、この空間にはあると感じました。

 「そこかっ!!」

彼はかがやく剣を振るい、祭だんの上の怪しい臭いを振りまいている香ろを次つぎと壊しました。
さらに彼は上に向かって剣で十字を切って、空間の天井をつらぬきます。

 「邪悪な気よ、去れ!!」

クローテルがさけぶと、地下なのに強い風が吹いて、おかしな臭いを消し去ります。
創る名無しに見る名無し [sage] 2019/01/10(木) 18:24:50.63:N8CaD/2k
黒い服を着た者たちは、みな正気に返りました。

 「ここは、どこだ?」

 「今まで何を?」

うろたえる人びとの中で、一人だけクローテルをにらんでいる者がいました。
それは祭だんの上で幼子をいけにえにささげようとしていた者です。
彼は黒い衣をはぎ捨てると、いまいましさをあらわに言いました。

 「おのれ、貴様は何者だ!
  ルクル国の間者か!?
  ここはわしの国だ、勝手な事はさせんぞ!」

彼の正体はオッカ公爵でした。
クローテルは堂々と名乗ります。

 「あなたがオッカ公爵!?
  私は聖騎士クローテル、国王陛下の命により、ご領の視察に参りました。
  オッカ公爵、人はみな神の愛し子。
  いかに領主でも好きにして良い道理はありません」

 「聖騎士?
  何だ、そのふざけた号(よびな)は!
  この国で領主たる公爵のわしに指図できる者はおらん!
  たとえ王でもな!」

そん大なオッカ公爵にクローテルは呆れます。
これほどごう岸な人物を彼は見た事がありませんでした。
アーク国王でも、こうまでろ骨に乱暴な言い方はしません。
創る名無しに見る名無し [sage] 2019/01/10(木) 18:26:45.95:N8CaD/2k
オッカ公爵はだんだん怒りを抑えられないようになって、地たんだをふみます。

 「ああ、思い出したぞ、クローテル!
  最近何かとうわさの若ぞうか!
  調子に乗りおって、子爵の分際でえらそうな事を言うな!
  この下級貴族が!
  お前ごときに、お前、お前、お前えええ!!」

正気に返った人びとも公爵の様子が変だと気づきはじめました。
公爵はますます怒りをつのらせます。

 「何だ、この下民ども!!
  わしをだれだと思うておる!
  わしは神のごとき力を手にしたのだぞ!
  見よ、魔神様よりたまわりし偉大な力を!」

公爵の体は見る見るふくらんで、巨大なみにくいカエルのような姿になりました。

 「ゲッゲッゲッ、わしは公爵であるぞ!
  いや、もはやそのような枠には収まらぬ!
  わしは魔神様の加護により、わい小なる人間とは違うものに進化したのだ!
  だれよりも偉大で強大な、このわしこそが世界を支配するのにふさわしい……」

クローテルはかがやく剣を公爵に向けて問います。

 「あなたは神を恐れないのですか?」

 「神が何だ、王が何だ、教会が何だ、騎士団が何だ!!
  しょせん世界は力がすべて!!
  その力をくれるなら、神だろうが悪魔だろうが何でも良いわ!!
  王の犬め、ザコどもとともに生き埋めになるが良い!!」
創る名無しに見る名無し [sage] 2019/01/10(木) 18:28:59.81:N8CaD/2k
巨大なオッカ公爵が両手で祭だんを叩くと、天井がくずれ落ちます。
クローテルは剣を収め、両手に幼子を抱えると、人びとを出口に導きました。
ふん水のある中庭に出ると、公爵の城はおどろおどろしいとりでに変ぼうしていました。
さらに恐ろしい事に、とりでの上からコウモリのようなつばさを持った魔物が飛んで来ます。
人びとは散り散りに城の敷地から出て、家に逃げ帰りました。
クローテルは人びとを守るために、地上からかがやく剣をふるい、つばさを持った魔物を攻撃して、
次つぎと打ち落とします。
地面に落ちた魔物は、黒いきりとなって消えました。

 (まともな生き物ではないな)

魔物はとりでから次つぎと現れて、きりがありません。
公爵の領内は、あっと言う間に魔物に占領されてしまいます。

 (大元を叩くしかない!)

クローテルは公爵の城だったとりでを見上げて、決意しました。
彼は固く閉ざされた門を打ち破り、正面からとりでに乗りこみます。

 (マルコ王子たちも助けなければ……)

とりでの中に入ったクローテルは、気を集中して聖なる気配を探しました。
邪悪な気配が支配するとりでの中で、ただ一点だけ3階の一室に優しい明かりに照らし出された様に、
清らかな場所が感じられます。
そこに向かって、クローテルは階段をかけ上がりました。
創る名無しに見る名無し [sage] 2019/01/11(金) 18:06:48.99:g4RFwsmP
2階では悪魔と化した筆頭家令が、クローテルを待ち構えていました。
背中には大きなカラスのようなつばさが生え、顔面はそう白で生気がありません。

 「まぬけな王子より貴様を警かいすべきだったか、聖騎士クローテル!」

 「どけ!
  さもなければ、ここで果てるか!」

クローテルは筆頭家令をおどしましたが、まったく通じませんでした。

 「勇ましい事ですな。
  それが口先だけでなければ良いのですが……。
  私は公爵かっ下のしもべとして不死身の体をいただきました。
  あなたに関する数々のばかげたうわさが、仮にすべて本当だとしても……、
  不死身の者を殺す事はできないでしょう」

筆頭家令は悪魔の本性を表して、けだものの姿になりました。
口は犬のようにさけて突き出し、頭にはねじくれた3本の角が生え、はだは黒い毛におおわれて、
うでや足がのび、つめはとがり、まったく化け物です。

 「どうですか、この力強い肉体を目にした感想は!
  すばらしいでしょう、美しいでしょう!
  じゅ命や病とは無えん!
  私はぜい弱な人間を超えつしたのです!
  神が存在するのであれば、何とおろかなのでしょう!
  老いさらばえ、病に苦しむ運命を人に背負わせるから、私のような背教者が生まれるのです!」

クローテルは得意になってほえる筆頭家令の言葉を無視して、静かにかがやく剣を抜きました。
創る名無しに見る名無し [sage] 2019/01/11(金) 18:08:13.79:g4RFwsmP
かがやく剣を見た筆頭家令はおどろきます。

 「な、何ですか、その武器は!?
  私たちの知らない神器があったとでも……」

 「本当に不死身なのか、身をもってしょう明してみせるが良い」

クローテルが剣を振るうと、悪魔の角が折れて飛びました。
筆頭家令はふるえて縮み上がります。

 「て、鉄より硬い私の角が……」

 「そこをどけ。
  命まで落とす事は無いだろう。
  三度は言わない」

 「お、お許しください、私がおろかでございました!
  公爵かっ下にさそわれるまま、邪悪にさそわれてしまい、今は後かいしております」

クローテルに忠告された公爵の筆頭家令は平あやまりして許しをこいました。
クローテルはしかたないという風にため息をつき、かがやく剣を収めます。
それを見た筆頭家令はすかさず攻撃をしかけました。

 「ばかですねぇ!!
  その剣さえ無ければ何もできないでしょう!」

悪魔のつめがのびて、クローテルの体に突きささります。
しかし、クローテルは少しもひるみませんでした。
彼はつめを叩き折ると、体から引き抜いて、筆頭家令に向けて投げつけます。
創る名無しに見る名無し [sage] 2019/01/11(金) 18:09:16.82:g4RFwsmP
クローテルの怪力で投げつけられたつめは、ものすごい速さで飛んで行き、筆頭家令の目玉に、
真っすぐ突きささりました。

 「ギャーーーーッ!!」

彼は両目を押さえてうずくまり、つめを引き抜きます。

 「こざかしいまねを……!
  この程度のきず、すぐに治りますよ!
  魔神様にいただいた体は不死身なのです!」

その言葉通りに筆頭家令は治った目で前を見ますが、そこにクローテルの姿はありませんでした。

 「どこへ行ったのですか!?」

彼が辺りを見回すと、もうクローテルは3階への階段を上っています。
筆頭家令はあせって追いかけようとしました。

 「行かせません!
  魔神様、私にさらなる力を!」

その時、彼の頭が床に落ちます。

 「ば、ばかなっ!
  首が……」

続いて手も足もどう体も、すべてがばらばらになってくずれて行きました。
クローテルは一しゅんの内に、筆頭家令の体をみじん切りにしたのです。

 「お、恐るべし……」

筆頭家令は復活もならず、そのまま力つきました。
創る名無しに見る名無し [sage] 2019/01/12(土) 20:34:43.48:2Yllsqvt
3階には多くの魔物たちがひしめいていました。
その中で一室だけ魔物たちが近づけない部屋があります。
そこに聖なる旗を持ったマルコ王子たちが居るとクローテルは確信しました。
彼は片っぱしから魔物を切りふせて行き、部屋に突入します。

 「マルコ王子、ご無事ですか!?」

中ではマルコ王子が旗を床に突き立てて、10人の供を守っていました。

 「クローテル殿!
  なかなか来ないので、やられてしまったのかと思ったぞ。
  それにしても、とんでもない事になってしまったな」

悪魔をすう拝しているどころか、公爵が悪魔になってしまうとは思いもよらず、王子は困っています。
クローテルは王子にたずねました。

 「これから、どうなさいますか?」

 「どうも、こうも……。
  何か出来る事があると言うのか?
  この状きょうで……」

逆に王子に聞き返されたクローテルは、力強く答えます。

 「オッカ公爵を倒します」

 「確かに、公爵を止められれば……。
  だが、外は魔物でいっぱいだ」

本物の悪魔が現れるという、想定外の事態にマルコ王子は、いつに無く弱気でした。
創る名無しに見る名無し [sage] 2019/01/12(土) 20:36:01.66:2Yllsqvt
何を恐れる事があるのかと、クローテルは王子をはげまします。

 「しょせん相手は悪魔です。
  ベル・オーメンの力で追い払えませんか?」

そう言われたマルコ王子は、ベルリンガーのレタートに目をやりました。
しかし、レタートはベルを抱えて座りこみ、ふるえているだけです。
王子はクローテルに言いました。

 「年少のレタートには、しげきが強かった様だ」

よく見れば、兵士の中で3人は手足に包帯を巻いています。
マルコ王子はクローテルに向かって、小さく首を横に振りました。

 「けが人を置いては行けない。
  マスタリー・フラグを持つ私が去れば、ここに魔物たちがなだれこんで来るだろう」

クローテルは無言で、けがをした兵士たちに近づきます。
そして一人の兵士の傷ついたうでに手をそえました。
何をするのかと王子は疑問に思って、たずねます。

 「クローテル殿、何を?」

 「私にはふしぎな力がある様なのです。
  こうすれば……」

それまで苦しそうな顔でうつむいていた兵士は、ゆっくり立ち上がりました。
彼は自分の足を触って言います。

 「痛みが消えた!
  傷も治っている!」
創る名無しに見る名無し [sage] 2019/01/12(土) 20:39:16.85:2Yllsqvt
>そして一人の兵士の傷ついたうでに手をそえました。
「うで」じゃなくて「足」ですね。
腕を触って足が治っても、まあ良いとは思いますけど……。
直感的なイメージを優先するなら、やっぱり足です。
創る名無しに見る名無し [sage] 2019/01/12(土) 20:39:52.22:2Yllsqvt
クローテルは残る2人の兵士の傷も治しました。
兵士たちは本来は彼に礼を言うべきところでしたが、それよりも恐れが先に立ちました。

 「あ、あなたは一体……」

マルコ王子も彼を怪しみます。

 「クローテル殿、あなたは本当に人間なのか……?
  こうもきせきを見せつけられると、あなたを聖君や神王と呼ぶ事さえおそれ多い様に思う」

 「大げさですよ……。
  とにかく今は出来る事をしましょう。
  この城は危険です、王子はみなさんを連れて脱出を。
  私が道を開きます」

 「分かった。
  だが、公爵は放っておくのか?」

 「みなさんを安全なところまで送り届けるのが先です」

とにかく今は頼れるのがクローテルだけなので、王子は反対しませんでした。

 「みなの者、クローテル殿に続け!
  ……レタート、何をしている!
  それでも十騎士の後継者か!」

マルコ王子の一行は脱出を決めましたが、レタートだけは正気に返りません。
クローテルは怒るマルコ王子を抑えて、レタートに歩みよりました。

 「レタート殿、ベルをお借りします」

レタートが抱えているベルにクローテルが触れると、ひとりでにベルがゆれて鳴り出します。
創る名無しに見る名無し [sage] 2019/01/13(日) 18:29:17.89:ObFziDdL
それを聞いたレタートは正気に返りました。

 「クローテル殿……?」

 「レタート、正気に返ったか!
  だが、ベルをあつかえる者はベルリンガーだけのはず……。
  やはりクローテル殿は……」

マルコ王子はクローテルが何者なのか、少しずつ確信を持って行きます。
神器ベル・オーメンは資格の無い者には鳴らせません。
どんなにゆらそうとも、音がひびかないのです。
クローテルはレタートに頼みました。

 「レータト殿、ベルを鳴らして邪悪を振り払ってください」

 「それは……」

レタートには自信がありませんでした。
いくらベルの力でも、悪魔を追い払う事が出来るのか怪しんでいたのです。
もし悪魔を追い払えなければ、みなが危険にさらされてしまいます。
クローテルは力強く言いました。

 「あなた自身とベルの力を信じるのです。
  私が道を開きましょう」

かがやく剣を抜いて高くかかげる彼に、レタートは神聖な物を見ていました。

 「分かりました。
  クローテル殿、あなたにしたがいます」

レタートは彼を信じる事にしました。
その気持ちは、まるで主に仕えるようでした。
創る名無しに見る名無し [sage] 2019/01/13(日) 18:30:10.25:ObFziDdL
クローテルたちは部屋から飛び出す決意をします。

 「みなさん、良いですか?
  行きますよ!」

クローテルは合図をして、自らが先頭に立ち、部屋の前で待ち構えている魔物たちに突撃しました。
彼がかがやく剣を振れば、魔物たちは切りさかれて、道を開けます。
レタートの鳴らすベルは、魔物たちの動きを止めます。
マルコ王子が旗をかかげれば、魔物たちは近づけません。
一行は安全に城から出て行けました。
しかし、城の外も魔物だらけです。
クローテルはマルコ王子に言いました。

 「みなさんは教会へひ難してください。
  ベルと旗があれば、魔物は手出し出来ないでしょう。
  私は公爵をうちに行きます」

王子はおどろいて彼にたずねます。

 「たった一人でか?」

 「はい。
  王子は人びとを守ってください」

だれもクローテルを止める事は出来ませんでした。
クローテルは一人で魔物だらけの中を走ります。
どんな魔物であっても、かがやく剣を振るう彼を止める事は出来ません。
創る名無しに見る名無し [sage] 2019/01/13(日) 18:31:04.85:ObFziDdL
悪魔のとりでと化した公爵の城に戻って来たクローテルは、再び正面から乗りこみます。
1階の大広間では2体の悪魔の騎士が待ち構えていました。

 「お前が筆頭家令殿を倒したのか!
  そのまま、逃げおおせておれば良かった物を!
  わざわざ死にに戻って来るとは!」

 「調子に乗るなよ!
  筆頭家令殿は戦いに不なれだった。
  しょせんは使用人頭、戦士ではない!
  だが、我われは違うぞ!」

しっ黒のよろいに身を固めた悪魔の騎士は、剣を抜いて盾を構えます。
そして先にクローテルにしかけました。
その動きはふつうの人間とは比べ物にならない位に速く、また連けいも取れています。
それでもクローテルの敵ではありませんでした。
クローテルは一人の騎士に向けて、全力でかがやく剣を振り下ろします。
騎士はしっ黒の盾で受け止めようとしましたが、盾とよろいごと真っ二つになってしまいます。

 「おお、相ぼう!
  何という事だ!」

あっさり片われが倒された事に、もう一人の悪魔の騎士はおどろきました。
一しゅんのすきにクローテルは、もう一人の悪魔の騎士も切りふせます。
後には中身の無い黒いよろいだけが残りました。
先を急ごうとするクローテルでしたが、中身の無いよろいが勝手に動いて立ち上がります。

 「戦士のたましいは不めつだ!
  敵をみな殺しにするまで、この命のともし火は消えはしない!」
創る名無しに見る名無し [sage] 2019/01/14(月) 20:16:22.57:MYmLErhr
クローテルはおどろきもせず、かがやく剣を振ってよろいのこてが握っている剣を折りました。
そうすると黒いよろいは再びくずれ落ちて、完全に動かなくなります。

 「戦士のたましいは剣か……」

正体に気づかれた、もう一体の悪魔の騎士は、剣を構えながら下がりました。
クローテルはおじ気づいたような騎士をかっ破します。

 「勇ましいのは口だけか!」

騎士がひるむと剣は勝手に折れて、よろいは動かなくなりました。
おく病さが戦士のたましいを殺したのです。
クローテルは再び階段をかけ上がり、群がる魔物を切りふせて、悪魔のとりでの屋上に出ました。
真夜中の屋上は地上にも増して真っ暗です。
しかし、クローテルはやみの中でも、しっかりと公爵の姿を見ていました。
みにくく太った見上げるほどの巨体は、もう人間の物ではありません。

 「フッフッフ、よく来たな。
  お前の戦いは見ていたぞ。
  まずはかがやく剣を捨ててもらおう」

オッカ公爵の目が赤く光ると、クローテルの持っていた剣が熱くなります。
それでもクローテルは剣から手を放しませんでした。

 「皮ふが焼けつくぞ」

 「どうと言う事はありません」

平然としている彼を見て、公爵は小さくうなります。

 「フムフム、やはり貴様はただ者ではない様だ」
創る名無しに見る名無し [sage] 2019/01/14(月) 20:17:27.21:MYmLErhr
クローテルの手からは黒いけむりが上がりますが、その内に剣の熱は収まって行きます。
彼はオッカ公爵にたずねました。

 「どうして、あなたは悪魔すう拝を始めたのですか?」

 「人の無力を思い知ったのだ。
  我が国は、いつも大国におびやかされていた。
  アーク国もルクル国も、我が国を対等に見ようとはしない。
  わしは死ぬまで王の下の公爵という身分なのかと思うと、たえられなかった。
  かつては我が国も独立した一国であり、わしも王だったと言うのに……。
  大国の国いと教会には敵わなかったのだ」

公爵は天をあおいで、大きくほえます。

 「王や教会と戦うのに、神を信じて、どうなると言うのだ!
  やつらに権いを与えているのが、その他ならぬ神であるのに!」

 「しかし、あなたは公爵でしょう。
  自らの領地を治めるのに、かなりの裁量が認められているはず……。
  なぜ、あえて王や教会と敵対するのですか?」

 「かなりの裁量だと!?
  いちいち王や教会の裁下をあおがねばならぬ事が、どれほどのくつじょくか!
  わしの国では、わしが全てを決める!
  だれにも口出しはさせぬぞ!
  生まれついて王や教会に飼いなさられ、何の疑問も抱かぬ無知な小僧には分かるまいが!」

公爵が怒ると天がひらめき、雷が鳴りひびきました。
創る名無しに見る名無し [sage] 2019/01/14(月) 20:18:03.84:MYmLErhr
公爵は高笑いして言います。

 「これが魔神様の力だ!
  我が怒りを受けて、天もふるえておるわ!」

クローテルはまじめに問いかけました。

 「その力で、あなたは何を成すのですか?」

 「この手に世界を収める!
  だれもわしに逆らえない様に!
  わしこそが、この世で最も偉大な者、この世界の王なのだ!」

オッカ公爵の返答にクローテルは悲し気な顔をします。
公爵は再び怒りをあらわにして、彼をにらみつけました。

 「何だ、その目は!」

 「確かに、あなたは強くなったでしょう。
  その力ならば、騎士団も相手にはなりません。
  しかし、力で世界を平らげて王になった、その後は何をするのですか?」

 「知るか!
  わしはわしの思うままに生きるのだ!
  わしをさえぎる物があってはならぬ!
  小僧、貴様もだーー!!」

怪物となった公爵はとりでの屋上に雷を降り注がせました。
はげしい落雷でとりではくずれ、クローテルと公爵は地上に投げ出されます。
創る名無しに見る名無し [sage] 2019/01/15(火) 19:01:36.95:+KBZoJKg
悪魔のとりでの残がいから、人型の巨像が現れました。
オッカ公爵は、それを見上げて言います。

 「見よ、あれが魔神様だ!」

巨像の足元からは黒いもやが吹き出し、その中から無数の魔物たちが飛び立って行きます。
あれが悪魔を生み出しているのだと知ったクローテルは、かがやく剣を振るって魔物を切りふせ、
魔神像に向かって突撃しました。
その前に公爵が立ちはだかります。

 「貴様ごときに魔神様をきずつけさせるわけには行かぬ!
  下がれ、下郎め!」

オッカ公爵はやみをまとって黒い剣とよろいを身に着けました。
そして大きな体にふさわしい大きな剣で、地面をなぎ払います。
クローテルは剣をとんでよけ、あっと言う間に公爵に近づいて、かがやく剣を叩きつけました。
しかし、剣は黒いよろいに弾かれてしまいます。

 「フハハハハ、バカめ!!
  どんなに力を持っていようが、やみの力に敵う物か!!
  死ね、死ね、死ねぇい!!」

公爵は剣を振り回して、クローテルを切り刻もうとします。
クローテルは公爵の攻撃をよけながら、弱点を探していました。
創る名無しに見る名無し [sage] 2019/01/15(火) 19:02:41.79:+KBZoJKg
なかなか攻撃が当たらないことに、公爵は怒りをつのらせて雷を落としますが、これも当たりません。
クローテルと公爵は、お互いにつかれを知らないままに戦い続けました。
このままではらちが明かないと思ったクローテルは、魔神像をこわそうとします。
あれこそが公爵の力を支えている源だと感じたのです。
ところが、公爵はクローテルの意図を分かっていました。

 「魔神様をねらっているな?
  そうはさせぬぞ!!」

公爵はクローテルを突き飛ばすと、わずかにひるんだすきに無数の魔物におそわせます。
クローテルが魔物を振り払うのに苦労していると、そこへ黒い雷を落としました。

 「どうだ、やみの雷は!
  そのままくたばれぇ!!」

公爵は雷を落とし続けて、魔物もろともにクローテルを攻撃します。
魔物どもは黒こげになって死んでしまい、クローテルも剣を地面に落としてしまいました。

 「やっと死んだか!
  しつこいやつだったが、このわしの敵ではなかったな!」

公爵は高笑いします。
雷に打たれ続けてクローテルも真っ黒にこげていましたが、まだ死んではいませんでした。
暗やみの中でクローテルの白い目が光ります。
それにオッカ公爵は恐れを感じて、身ぶるいしました。

 「な、何だ、お前……。
  お前の様な者が……。
  ええい、死ね、死なぬかぁ!」
創る名無しに見る名無し [sage] 2019/01/15(火) 19:05:45.69:+KBZoJKg
公爵は黒い大剣をクローテルの頭に振り下ろしました。
それをクローテルは片手で受け止めます。

 「化け物め!
  魔神様、さらなる力を私に!」

公爵がさけぶと、魔神像に雷が降り注ぎ、同時に黒いもやがあふれます。
もやは公爵をおおって、その姿を一層まがまがしい物に変えました。
体はさらに巨大化して、手足が4本ずつ増え、もう何の生き物にも例え難い物になります。
力を得た公爵ですが、クローテルを押し切ることは出来ませんでした。
それ所か、逆に押し返されます。

 「こ、こんな事が……。
  魔神様!!」

クローテルは素手のまま、目にも留まらぬ速さで、公爵を殴りつけました。
分厚いよろいでも全く関係無く、公爵は吹っ飛ばされて地面に転がります。
それから魔神像に向けてゆうゆうと歩き出すクローテルを見て、公爵はあわてて立ち上がり、
やみを集めた4本の剣を持って、クローテルにおそいかかりました。

 「止めろっ、魔神様に手を出すな!」

公爵は巨体に似合わない速さでクローテルにせまり、4本の剣で同時に切りつけます。
クローテルは3本の剣をよけて、残る1本を抱え止め、体をひねって魔神像に投げつけました。

 「こんなバカなぁーっ!」

公爵は魔神像に叩きつけられ、またも地面に転がります。
創る名無しに見る名無し [sage] 2019/01/16(水) 18:18:12.30:Ihd2Q5tp
公爵がぶつかった勢いで魔神像がかたむきはじめました。
公爵はすかさず立ち上がると、大きな体で魔神像を支えます。

 「ま、魔神様に何と言う事を!
  貴様、万死に値するぞ!」

構わず前進を続けるクローテルにあせった公爵は魔物を呼び集めました。

 「ええい、魔物どもめ!
  暴れるだけが能ではあるまい、しっかり魔神様をお守りせぬか!」

領地をおおっていた魔物は魔神像に集まって、巨大な悪魔になります。
それを見上げて公爵は感動しました。

 「おお、これが魔神様の真の姿……!
  どうだ、小僧!
  お前の様な者でも、この偉大さが分かろう!」

魔神像は動き出して、天地をゆるがしました。
魔神像が両手を高くかかげると、領地に雷が降り注ぎ、辺りを火の海に変えます。

 「す、すばらしい……!
  燃えろ、燃えろ、すべて燃えてしまえ!
  魔神様、その炎で世界を焼きつくしてくだされ!」

もう公爵は正気を失ってさく乱していました。
クローテルは低い声でつぶやきます。

 「こんな物の何がすばらしいのか……」
創る名無しに見る名無し [sage] 2019/01/16(水) 18:19:59.03:Ihd2Q5tp
公爵は彼の言葉を聞きのがさず、怒りくるいます。

 「何だと!?
  貴様、魔神様に対して何と無礼な!
  恐れを知らぬと見える!
  魔神様、魔神様、この小僧に魔神様の偉大さを思い知らせてくだされ!」

それに応じて魔神像が両手を高く上げ、地鳴りの様な怪しい呪文を唱えると、天から光の柱が、
クローテルを目がけて落ちてきます。
光の柱が落ちる様は雷のごとく物すごい速さでしたが、クローテルが腕を振り払うと、
光の柱は弾かれて魔神像の胸に直撃しました。
魔神像はゆれて大きくかたむきます。

 「何と……!」

公爵は魔神像を支えようとしましたが、魔神像は自力でふみ止まりました。

 「おお、さすがは魔神様!」

公爵が安心したのも束の間、クローテルが大地を叩くと魔神像の足元がくずれて落ちこみ、
魔神像にひざをつかせます。
クローテルは全力で走り、再びかがやく剣を手に取ると、高く飛びはねました。
魔神像を頭から叩き割ろうとしているのだと、公爵はさとりました。

 「止めろーー!!」

公爵はクローテルを目がけて、やみの雷を落とします。
魔神像の指からも光線が放たれました。
クローテルは公爵の雷を剣で受け止め、さらに魔神像に向かって剣を投げました。
創る名無しに見る名無し [sage] 2019/01/16(水) 18:21:24.98:Ihd2Q5tp
やみの雷をまとったかがやく剣は、光線を突き破って魔神像の心臓にささります。
魔神像はあふれる力を受け切れず、内側からばく発して粉々になりました。

 「魔神様ーーーー!!
  小僧、貴様、何と言う事を!!
  魔神様、魔神様、この私めがかたきをうちますぞーー!!」

公爵はひるむ所か、一層の憎悪を燃やして、クローテルをにらみます。
公爵の体はますます大きくなって、残った魔物をも吸収し、さらなる力を得ます。
それはよろいを着て剣を持った、大むかでの様でした。
クローテルはかがやく剣でよろいを突きますが、つらぬいただけで手応えがありません。

 「バカめっ!!
  お前の攻撃はすべて見たぞ!
  お前はしょせん力まかせに切るか打つだけしか芸が無いのだ!
  もう、お前の攻撃は効かぬ!
  わしの体をいくら切ろうが、いくら打とうがムダだっ!!」

公爵の口からはあらゆる物を溶かす緑色の液体がふん射されます。
液体を浴びたクローテルのはだは真っ赤にただれました。

 「こうなれば貴様もただがんじょうなだけのデクよ!
  じわじわとなぶり殺してくれる!
  魔神様とわしに歯向かった事を後かいするが良い!」

クローテルはかがやく剣で公爵を切り刻みますが、むかでの体はばらばらにされても、
元通りにつながって復活します。

 「ワハハハハハ!!
  痛くもかゆくもないわ!!
  炎と雷の攻めを受けろ!!」

落雷が何度もクローテルをおそう上に、公爵の口からは火炎がはき出されます。
創る名無しに見る名無し [sage] 2019/01/17(木) 18:33:40.11:G9iDd39s
クローテルは雷をよけながら、剣を振り回して風を起こし、炎を返しました。

 「うわ熱つつつ!!」

公爵は火にあぶられて、のたうち回ります。

 「炎は止めだ、雷を受けろ!」

炎の攻撃を止めて、雷を落とそうとする公爵に対して、クローテルは高く剣をかかげました。
雷は彼の剣を目がけて落ちて来ます。
直撃のしゅん間に、クローテルは剣を公爵に向けました。
雷はまるで弾かれたように公爵目がけて飛んで行きます。
雷の矢を受けた公爵は体がしびれて動きが止まります。

 「グワアアアア!!
  小しゃくなっ!
  ならば、これでも食らえ!」

それでもひるまず、今度は口から毒のきりをはきました。
毒のきりは地面にただよい、草木をくさらせて行きます。
クローテルがとんでよけようとすると、公爵は足をふみ鳴らして地しんを起こしました。

 「にがすか!!
  毒を浴びてくさってしまえ!!」

クローテルは足元がゆれてとべず、毒のきりに飲まれてしまいます。
創る名無しに見る名無し [sage] 2019/01/17(木) 18:36:01.23:G9iDd39s
毒の中では息もできず、クローテルは少しずつ弱って行きました。

 「ハハハハ、ようやくおとなしくなったか!
  手こずらせおって!
  そのまま己の無力をかみしめながら死ね!!」

公爵は地面をゆらしながら、毒のきりをはき続けます。
さしものクローテルも打つ手が無く、毒のきりの中にしずんでしまいました。
しかし、運命はクローテルを見放しはしませんでした。
遠くからかねの音がカランカランと鳴りひびきます。

 「クローテル殿ーーーー!!」

旗を高くかかげて、マルコ王子一行がかけつけました。
マスタリー・フラグの聖なる力が、毒のきりをしりぞかせ、ベル・オーメンのかねの音が、
黒雲(くろくも)をさいて、空を明るませます。
戦いが長引いて、もう夜明けが近いのです。
朝日のまぶしさに、オッカ公爵は目をつぶりました。

 「オオ、もう朝か!!
  まぶしい、目が見えぬ!
  ええい、ガンガンうるさいぞ!!
  雲が戻らぬ、頭が割れそうだ!
  これがベル・オーメンの力……!」

 「邪悪な力よ、去れ!!」  

レタートの鳴らすかねの音が、黒い夢にしずんだオッカ公爵を目覚めさせます。
創る名無しに見る名無し [sage] 2019/01/17(木) 18:37:55.59:G9iDd39s
マスタリー・フラグをかかげたマルコ王子は、毒のきりの中でうずくまっているクローテルに、
かけよりました。

 「クローテル殿、生きているか!」

 「助かりました、マルコ王子」

お礼を言うクローテルに、王子は首を横に振ります。

 「いやいや、魔物どもが居なくなったので、こうして出て来られたのだ。
  それもクローテル殿の働きであろう?」

公爵は怒りくるって暴れ出しました。

 「どいつも、こいつも、わしの邪魔をする!!
  ほろびよ、わしの敵はみなほろびよ!!」

公爵は地面をふみあらしますが、マスタリー・フラグの結界を破る事は出来ません。
クローテルは毒から立ち直り、マルコ王子に言いました。

 「王子、旗を貸してください」

 「あれを倒す手があるのだな?
  良かろう、クローテル殿。
  邪悪な公爵を打ち倒してくれ!」

王子はためらいもなく聖なる旗をクローテルに渡します。
クローテルは旗を持つと一度大きく振り回して高くかかげ、天高くとびました。
創る名無しに見る名無し [sage] 2019/01/18(金) 18:52:15.31:TG56Mp+g
彼は朝日を背に負って、魔物と化したオッカ公爵の頭に、マスタリー・フラグを突き立てます。

 「う、うわっ、わしが死ぬのか……!
  このわしが……」

またたく間に公爵の体はくずれ、朝日にさらされて灰となりました。
立派な公爵の城のあとには、がれきしか残っていません。
クローテルはマスタリー・フラグをマルコ王子に返しました。

 「ありがとうございました、マルコ王子」

ひざをついて旗を差し出す彼に、マルコ王子は言います。

 「礼を言わねばならないのは、私の方だ。
  クローテル殿が居なければ、今ごろ私たちは、どうなっていた事か……。
  あなたが、あなたこそが新しい聖君なのだ。
  ベルを鳴らし、旗をかかげる、そんな事が出来る人物は他に居ない」

王子は旗を受け取ると、クローテルの前でひざをつきました。

 「お立ちください、クローテル殿。
  いつかあなたは運命のみちびきによって、アーク国の君主、真の聖君、神王となられるでしょう。
  その時に私はルクル国の王子として、神器マスタリー・フラグを持つ者として、改めて、
  あなたに忠せいをちかいます」

 「止してください、マルコ王子。
  私は神王ではありません」

 「ええ、今は未だ。
  しかし、私は真の王となる方を見ました。
  あなたの存在は私にフラグレイザーとしてのほこりを思い出させました。
  神を信じる敬けんさも」

マルコ王子は立ち上がり、旗をたたむと、白布に包みます。
創る名無しに見る名無し [sage] 2019/01/18(金) 18:53:33.49:TG56Mp+g
マルコ王子はドクトル、レタート、フィデリートと4人の兵士、3人の召し使いを連れて、
オッカ公爵領を後にしました。
一人残されたクローテルは深いため息をつきます。

 「これをどうすれば良いのでしょうか……」

オッカ公爵は倒れ、その家臣たちも消え去り、領地を守る者も統治する者もだれも居ません。

 「とりあえず、王に使いを送りましょう」

クローテルはアーク国王とりん国のディボー公に助けを求めるため、領民の中でも地位のある、
町長を一人選んで使者にしました。
そして魔物が荒らした領地を元に戻すために、クローテル自身も復興を手伝いました。
3日後に西の国とアーク国からえん助が来るまで、クローテルはオッカ公爵領に留まり、
領民といっしょに働きました。
アーク国に戻ったクローテルはアーク国王に事の次第を説明します。

 「うわさは本当でした。
  オッカ公爵は悪魔に取りつかれ、人びとをいけにえにささげていました。
  私はルクル国のマルコ王子の協力で、何とかオッカ公爵を打ち倒しました。
  オッカ公爵領には新しい公爵が必要です」

 「ルクル国だと?
  そなたは外国の者を頼ったと言うのか?」

アーク国王のきつ問にクローテルは素直に答えます。

 「はい。
  成り行きではありますが、そうしなければ公爵のたくらみをくじけませんでした」
創る名無しに見る名無し [sage] 2019/01/18(金) 18:54:14.15:TG56Mp+g
アーク国王は、ろ骨に不満と警かいを顔に表していました。

 「マルコ王子は何か言わなかったか?
  オッカ公爵領の明け渡しや割じょうを求めたりだとか……」

 「いいえ」

 「では、しゃ礼やほうしょう金を求めたか?」

 「いいえ」

 「それでは、ばいしょう金や支えん金を求めたか?」

 「その様な事は全くありませんでした」

 「ウーム、ますます怪しいぞ」

マルコ王子は何も求めなかったと言うクローテルに、疑い深いアーク国王は計略があるのではと、
心配しました。
そんな王にクローテルは言います。

 「マルコ王子にたくらみは無いと思います」

アーク国王は彼の目を真っすぐ見つめると、小さくため息をつきました。

 「……そなたが言うのであれば、信じよう」

その場では納得した王でしたが、心の中では、いつかクローテルが王位をねらうのではないかと、
そんな予感がしてならないのでした。
創る名無しに見る名無し [sage] 2019/01/19(土) 19:42:03.24:+90X+Q7Q
解説


『悪魔退治<デモンバスター>』編は、運命の子シリーズ第2部の8つの小編の7つ目である。
この後はクローテルがアーク国の王となる最終編の『王位禅譲<スローン・インヘリタンス>』編に続く。
原典に於ける、この編の重要な部分はルクルバッカ王国のマルコデロス王子にクロトクウォースが、
神王として認められる所にある。
邪悪な公爵が何の彼のと言うのは、実の所どうでも良い……と言っては語弊があるが、
少なくとも大きな問題では無い。
本編に於いても、大きな改変は無く、クローテルはマルコ王子に認められて、主要な人物の中では、
彼を真の聖君、神王であると認めない者は居なくなった。
オッカ公爵領は原典ではオカシオン、又はオッカションとなっている。
地理的には西の国(ディボーパリョーン公爵領)の南西、ルクルバッカ王国の北西に位置する。
大陸の端に位置しているが、この国を経由しなければ行けない国は無く、辺境の小国と言う扱い。
オッカ公爵は原典ではセルヴァン・コン・オカシオンであり、先祖代々オカシオンを治めていた。
オカシオンは嘗ては小国ながら独立していた様だが、当時はアークレスタルト法国に服属して、
「王」では無く「公爵」を名乗らされていた。
どうもオッカ公爵は、この辺りに大きな不満を抱えていた様で、それが悪魔の力を頼った、
主要な原因の様である。
しかしながら、特に事前に何等かの大きな事件があった風でも無く、少々唐突に感じられる。
小さな不満が少しずつ鬱積し、それを晴らそうとしたと見るのが自然だが、もしかしたら、
史実のアークレスタルト法国側に直接の原因となる瑕疵があった物の、当時の政治的な事情で、
伏せられたのかも知れない。
創る名無しに見る名無し [sage] 2019/01/19(土) 19:44:13.24:+90X+Q7Q
物語中、クローテルはアーク国王に命じられてオッカ公爵領に派遣されているが、この頃になると、
アーク国王は開き直って、クローテルを便利に使おうと考えている。
最後には王位を追われるのではと恐れるが、その心境は王位禅譲編では少し変化している。
これに関しては王位禅譲編で言及する。
史実のオッカ公爵が実際に何を企んでいたのかは不明だ。
邪教崇拝、悪魔崇拝を始めたとされているが、どの様な悪魔なのかも明らかになっていない。
作中でも原作でも、悪魔に関連する物は『使役される悪魔<レッサー・デーモン>』と魔神像のみである。
公爵を傀儡として操る様な悪魔の黒幕と言った物は登場しない。
独立心を持っていた為に、因縁を付けられて滅ぼされたのかも知れない。
武装蜂起しようとしていたのではないかと疑う説もあるが、他国を攻めたと言う明確な史料は無い。
武装蜂起説では、領民の減少は徴兵に因る物と考えられている。
即ち、領民(農民その他の余剰人口)を徴兵しながらも、それを宗主国に報告しなかったばかりに、
見掛け上は領民が減ったと言う物である。
勿論、この説も裏付けとなる史料は無い。
創る名無しに見る名無し [sage] 2019/01/19(土) 19:47:09.45:+90X+Q7Q
オッカ公爵領をマルコ王子が訪れたが、これは当時としては危うい行動である。
如何に公爵で一定の独立した権限があるとは言え、宗主国の断り無しに他国の貴族を受け入れる事は、
宗主国への裏切りや敵対行為と見做され兼ねない。
オッカ公爵領は飽くまでアーク国の権勢の及ぶ範囲内であり、国内の問題は国内で解決せねばならず、
マルコ王子の介入は余計な世話でしか無い。
それをマルコ王子も承知しており、態々アーク国王にオッカ公爵領での異変を伝えている。
これは「貴国が動かなければ我が国が解決する」と言う暗黙の脅しであり、その儘反応が無ければ、
ルクル国がオッカ公爵領を制圧して、自国領に加えていた。
実際、ルクル国の方が首都がオッカ公爵領に近く、よりオッカ公爵領を制圧し易い。
オッカ公爵としては、近いルクル国に服属するよりも、遠いアーク国に服属する事で、
少しでも独立した政治を行える様にしたかったのだろう。
しかし、マルコ王子に侵略の意図があった訳では無く、彼はクローテルが派遣される事を見越して、
国境に陣取っていた様である。
国境は誰の土地でも無いが、それ故に勝手に軍を展開する事は許されない。
マルコ王子一行は軍勢と言うには心許無いが、無視出来る規模でも無い。
もしクローテルが現れなかった場合、マルコ王子は少しずつ兵隊を集めて、何時でもオッカ公爵領を、
制圧出来る様に準備していた事だろう。
創る名無しに見る名無し [sage] 2019/01/20(日) 18:21:45.14:QHFpsl/M
マルコ王子がクローテルを待ち構えて駐留していたのは、東の国境の砦前である。
マルコ王子がオッカ公爵領に入るには、南の国境の砦を通った方が早いし、妨害も受けないが、
それではクローテルに会えないので意味が無いのだろう。
当時の都市は復興期の様に殆どが城塞都市で、周囲を城壁に囲まれており、その周辺に小村落がある。
そして、それぞれの領地の境にも砦と塁壁が築かれており、国境を守る砦の塁壁より外は、
どこの土地でも無い。
勿論、国境を全て塁壁で囲う事は現実的では無い。
整備された道や、その周辺の平らで移動し易い所に塁壁を築き、それ以外は進入が困難な山林や、
河川、沼地になる様にしておくのが普通だった。
人工的に丘陵を築いたり、態と荒れた山林を残しておいたりもするのも、国境を守る為である。
オッカ公爵領の東の国境は、西の国(ディボー公領)に通じており、慣例的に言うのであれば、
ここも一応はアーク国の領地である。
勝手に軍隊が駐留すれば、戦争準備と見做され兼ねない。
先述した様にマルコ王子一行は「軍勢」とは言えないが、疑われても仕方の無い状況ではある。
西の国やアーク国から軍隊を派遣される可能性もあった。
だが、仮に軍を派遣する場合でも先ず話し合うのが常識であり、国境沿いに軍隊、又は、
それに準ずる武装集団を発見しても、行き成り攻撃を仕掛けるのは、当時では非常識だった。
戦争の前段階として、「意思の確認」と「(最後通告を含む)警告」があり、同時に迎撃態勢を整え、
最後に「宣戦布告」があって、正式な戦争となった。
これを経ない戦争行為は、国際社会の非難の対象となる。
原典を見ても、マルコ王子の行動を非難する様な部分は無く、アーク国側が軍を動かした事も無い。
よって、マルコ王子一行は脅威とは見做されなかったのであろう。
創る名無しに見る名無し [sage] 2019/01/20(日) 18:24:08.88:QHFpsl/M
マルコ王子はクローテルと共に領内への進入許可を貰ったが、これが実際に有り得るかと言うと、
時と場合に依る。
一国の王子を、その国の服属国でも無い国が独断で招き入れる事は、本来は好ましくない。
正式に自国の王の許可を取るべきであろう。
しかしながら、王族の扱いと言う物は難しく、多少の非礼なら呑むのが一般的な対応である。
これをどこまで呑めるかは、当人の度量次第だが、王族相手であれば、一般人なら怒る所でも、
堪えようとするだろう。
もしかしたら、自国の王には報告しないと言う、事勿れ主義的な回答も有り得るかも知れない。
受け入れるも非礼、追い返すも非礼となれば、どちらの顔を立てるべきかと言う話になる。
オッカ公爵領はルクル国に近いので、脅威度で言えば実はルクル国の方が高い。
領民もルクル国民と交易をしており、関係は浅くない。
オッカ公爵領を巡って、アーク国とルクル国は戦争こそしていないが、過去に何度も、
武力を伴わない小競り合いを繰り返して来た。
クローテルはマルコ王子の付き人の様な扱いだったが、これも相手が王族と言う事を考慮すれば、
仕方の無い事と言える。
旧暦の王族の中でも、マルコ王子はヴィルト王子と並び、神器を受け継ぐ正統な代理聖君の血統だ。
神器を持つ王族や貴族は、神器を持たない王族や貴族よりも上の扱いなのである。
同じ王国でもグリースとルクルでは重みが違う。
逆に、盾を継承するオリン国の国主は公爵だが、同じく神器を持つ王と殆ど同等の扱いになる。
創る名無しに見る名無し [sage] 2019/01/20(日) 18:26:17.63:QHFpsl/M
オッカ公爵領に対して領土的野心を持っておらずとも、マルコ王子が派兵の準備を進めていた裏には、
邪教崇拝への警戒感がある。
西方に於いて、邪教崇拝は禁忌である。
表向きには、「現世利益を唱える宗教は人を堕落させる邪教である」として、こうした者達が、
「世界を良くない方向へ導く」とされている。
これ自体には一理ある。
そもそも現世利益を唱える宗教を信じた所で、実際に利益がある訳では無い。
確実な利益が約束されるならば、それは最早宗教では無くなる。
神頼みをする位なら、現実を確り見ろと言う意味の、「天を仰いで石に躓く」と言う諺もある。
即ち、現世利益ばかりを謳う宗教は、私利を求める人の心を利用した悪辣な詐欺であり、
故に邪教と言っても良い。
邪教は現世利益の有無を信心の有無や信仰の軽重に置き換え、より多くの奉仕を求めて、
搾取しようとする。
邪教の信徒は奴隷であり、搾取される事に喜びを見出してしまう。
では、当時の教会は詐欺では無いのかと言う問題になってしまうが、一応の理屈で言えば、
現世での利益ばかりを求める事に熱心な者は、利益の追求こそが幸福と錯誤する愚者であり、
人が求める利益には際限が無く、故に永遠に充足を得られず苦しむ事になるらしい。
現世利益の嘘は暴けるが、死後の事までは観測しようが無いので、どうとでも言えると言う、
小狡い面もある。
創る名無しに見る名無し [sage] 2019/01/21(月) 18:51:48.43:4MCjAslY
説教臭い話は横に置くとして、どうして為政者にとって邪教が良くないかと言うと、王の権威が、
教会に支えられている為である。
王とは人々を従えて国を統治する役目を神から認められた者なので、そこに他の神が居ては困るし、
人々が自分の利益の為に邪教を崇拝する様になっては、王の権威が揺らぐのだ。
旧暦の教会にとって、神とは良き王を定める他に、人の魂を救済する存在であり、更には、
人類が苦境に陥った際の救世主でもある。
「神を信じていれば良い事がある」のでは無く、「神が居るからこそ今がある」と言う考えで、
良い事も悪い事も神の定めた法の上の事であり、教会は神を信じる者の集まりとして、
教えを広めると共に、神に倣い寛大な慈愛の心を持って、多くの人を救う事を目的としている。
……飽くまで、表向きにではあるが……。
貧民を救済するのも教会の役目であり、教会関係者は贅沢を戒め、弱者に施しをする事になっている。
これによって、教会は「神に見放された者」を減らし、信徒が絶えない様にしている。
ともかく、こうした国を支える『体系<システム>』を破壊するのが邪教なのである。
創る名無しに見る名無し [sage] 2019/01/21(月) 18:53:26.51:4MCjAslY
以後は、オッカ公爵が邪教を崇拝していた物として語る。
オッカ公爵が邪教を崇拝していた理由も、作中で語られた通りとする。
邪教崇拝、悪魔崇拝は、当時としては禁忌だが、実際は時々あった様である。
王族も貴族も平民も奴隷も、誰でも邪教を崇拝した。
その多くは悪魔崇拝であり、人は神では無く悪魔の力を借りたがった。
何故なら、神は選ばれた者にしか力を与えないが、悪魔は誰にでも力を貸した為だ。
正確に言うと「誰にでも」では無いのだが、神よりは余程選定の基準は緩かった。
神が人に力を与えるのは、善人に限り、しかも相当の窮地にある事が前提だ。
生きるか死ぬか、或いは大多数の人間、例えば人類自体の存亡が懸かっている様な状況。
それに比べれば、気に入った者に力を貸す、或いは召喚に応じると言う悪魔の何と気安い事か……。
そう言う訳で、邪な願望を持つ者は誰でも邪教、或いは、それを司る悪魔を崇拝した。
日常の小さな願いや、清く正しい願いであれば、悪魔に祈る事はしない。
精々その辺の精霊信仰や聖人信仰に留まる。
悪魔を頼ると言う事は、その禁忌、背徳感から、相応の大きな願い、どうしても叶えたい、
必死の願い、野望、欲望になる。
創る名無しに見る名無し [sage] 2019/01/21(月) 18:54:38.29:4MCjAslY
オッカ公爵は自国の独立を保ちたかった。
そして何者にも侵されない権威を欲した。
旧暦では国家の独立を保つ事は困難だ。
どんな立場にあっても、隣国や大国の干渉は免れない。
小国であれば尚の事。
他国からの干渉を確実に排除しようと思えば、それは修羅の道になる。
即ち、覇権主義に陥らざるを得ない。
オッカ公爵は悪魔の力を借りて、覇権国家の国主になろうとした……と見る事も出来るが、
それが実現したかは疑わしい。
飽くまで、公爵領内の事だから人々を従わせられただけで、対外戦争を始めたら、国力は落ちて、
如何に悪魔の力があろうと、国民は逃亡し、周辺国から袋叩きにあって、早晩滅亡しただろう。
悪魔の力の維持には生け贄が必要で、領民の生け贄が尽きたら、他国から攫って来るのだろうか?
そうして出来上がるのは、果たして人間の国だろうか……。
公爵に深い考えは無く、肥大化した自意識を利用されて悪魔に操られていたと見る事も出来る。
悪魔が登場した時点で何でもありなのだから。
創る名無しに見る名無し [sage] 2019/01/22(火) 18:49:44.83:rUNz64Hc
マルコ王子一行とクローテルは公爵の城に案内されたが、これは結構な距離を移動している。
大体にして、公爵ともなれば領主の城は領地の境から離れた所に置かれる物だ。
物語中、余り重要な事では無いので省かれたのだろう。
原典でも領内の様子に変わった所は無いとされている。
領内で領民が生け贄にされていると言う重大事件にも関わらず、領内の様子は変わっていない事から、
領民も悪魔に洗脳されていた可能性がある。
城の地下での儀式に参加していた者に、洗脳されていた様な描写があるので、その他の場面でも、
完全な支配が行き渡っていた可能性は高い。
原典ではオッカ公爵領内に関する不穏な噂は、異変を察知して領地から逃げ出した領民や、
領地を訪れた旅人や商人から伝わったとされている。
その過程で尾鰭が付き、大袈裟で不確定な噂となって行ったのだろう。
創る名無しに見る名無し [sage] 2019/01/22(火) 18:51:15.80:rUNz64Hc
オッカ公爵の城は正式名称を「ヴェッテン城」と言うが、ヴェッテンはオカシオンの別称である。
原典では一貫してヴェッテン城であり、悪魔の砦となった後も、その呼称が使われている。
因みに、戦いが終わって崩落し、再建した後もヴェッテン城である。
旧暦当時の家は、身分の高い者に限らず、平民であっても裕福な者は、家に客間を設けて、
更に余裕があれば、来客が寝泊まり出来る部屋を作った。
この「客を迎える」と言うのが、それなりに名誉な事だった様で、何時何時(いつなんどき)、
来客があっても良い様にしておくのが、一種の礼儀と言うか、常識だった。
多数の使用人を抱える貴族の家であれば、使用人の寝泊まりする場所も合わせて、ホテルの如く、
何十も部屋があり、更に別宅や別荘がある所も珍しくは無かったと言う。
作中では公爵の城の広さに関して、詳しい描写は無く、原典でも省略されているのだが、
当時の高位貴族の城は、現在で言う都市の大きな学校並みで、公爵の城も相応だったと思われる。
この城と言うのが、当時の貴族達の権威を示す物だったらしく、見栄を張る為に身の丈に合わない、
立派過ぎる城を建て、財政難に陥って領民に反乱されると言う、仕様も無い事件もあった。
一応オッカ公爵は、領地の収入に見合わない生活をしていたと言う、当時の評価がある。
創る名無しに見る名無し [sage] 2019/01/22(火) 18:52:28.17:rUNz64Hc
領地内の者の内、誰が公爵の真意を知っていたのかは曖昧だが、取り敢えず、城の中で公爵に、
直接仕えていた者達は、全て共犯関係にあったと見られている。
中には無理遣り悪魔の力で協力させられた者も居るだろうが……。
城の地下では悪魔崇拝の儀式が行われていたが、これは当時の有り勝ちなイメージである。
人目に付かない様に夜中に地下で行われる物と相場が決まっているのだ。
トランス状態になる為に、酒を飲む、麻薬を焚く等して、正常な判断力を失わせると言う事も、
よく行われていた為に、国や教会の取り締まりは一層厳しくなったと言う。
城の中の人物は殆どが悪魔化していたが、下級の召し使い達だけは原典でも描写が無い。
作中では省かれているが、原典では城の兵士は全員悪魔化して、クローテルに退治されている。
原典では公爵が退治された後、城の中は蛻の空になっており、そこで全滅したかの様に思われるが、
実は後の描写があり、そこでは公爵の城で働いていた者が戻って来ている。
どうやら地下の儀式に参加していた一部の召し使いは、領民達と共に城の外に抜け出していた様だ。
創る名無しに見る名無し [sage] 2019/01/23(水) 19:28:53.84:2d7Aqbw3
悪魔が領内に溢れた後、教会が避難所となった。
原典では、この時に教会には多数の領民が避難していたとある。
戦争でも教会は重要な避難場所であり、ここを攻撃する事は教会への敵対行為と見做された。
「何かあれば教会へ」と言うのが、当時の常識だったのだ。
しかしながら、如何に教会でも全ての領民を収容する事は困難である。
実際、教会に避難していたのは領民の一部で、その他は家の中に篭もっていた。
原典の描写によると悪魔が家を壊したり燃やしたりしているので、家の中でも無事とは言えず、
領民の半分は犠牲になったと書かれている。
旧暦の戦争に於いては、街に火を放つ事も有効な戦術としてあった事を付記しておく。
火攻めは攻城戦でも用いられたが、教会が機能する様になってからは余り使われなくなった。
これは火の勢いで教会まで焼いていしまう事例があった為で、無差別な攻撃を行えば、
戦争に勝利しても教会から背教者認定された。
創る名無しに見る名無し [sage] 2019/01/23(水) 19:29:53.66:2d7Aqbw3
作中でクローテルは神器であるベルを鳴らし、旗を突き立てているが、これは原典でも同じである。
神器を扱える者は、基本的には神器を受け継ぐ者だけであり、それも1つの血統が1つの神器と、
厳格に定められてた。
詰まり、ベルリンガーが旗を持つ事は出来ないし、フラグレイザーが鐘を鳴らす事は出来ないのだ。
クローテルが神器を扱えたと言う事は、彼こそが真の聖君と言う証である。
一方で、聖君以外でも神器を扱えたと言う話もあるにはある。
例えば、神槍コー・シアーを聖君でも何でも無い一般人が振るった記録があり、それによると、
村落が魔物の群れに襲われ窮地に陥った、その時、魔物に立ち向かう一瞬だけ槍が軽くなって、
魔物の群れを薙ぎ払ったと言う。
その後、槍は重くなって振り回せなくなっており、窮地に神が力を貸したとされている。
この様に非常事態であれば、一般人でも神器を使えたので、クローテルが真の聖君と言えるかは、
実は怪しい。
神器は神聖な物であり、持ち出せるのは非常時と決まっているので、文句を付けようと思えば、
どこからでも付けられるのだ。
クローテルを認めない者達は、その後の話で登場する。
創る名無しに見る名無し [sage] 2019/01/23(水) 19:31:02.86:2d7Aqbw3
公爵が崇拝していた悪魔の正体は謎である。
原典でも「悪魔公爵」となっているが、どこの何と言う種類の悪魔かは明記されていない。
オッカ公爵を「悪魔公爵」と言っているのかも知れないし、本当に悪魔の公爵なのかも知れない。
オッカ公爵自身は「魔神様」と言っているのも、混乱の元である。
悪魔が引き起こした数々の不可思議な現象に関しては、何も言えない。
本当に、話の中にある様な事を起こせるのだとしたら、強大な悪魔だったのだろう。
魔法使いにしては魔法の規模が大き過ぎる上に、出来る事も多過ぎる。
悪魔の仕業だとしても、ここまで出たら目な物は記録に無いので、大袈裟に表現した可能性もある。
雷と炎の攻撃は当時の神威の表れか?
旧暦の史料自体が少ないので、もしかしたら他にも例がある様な事だったかも知れないが……。
原典と合わせて考えると、どうやら魔神像こそが悪魔の本体であり、それが破壊された後は、
悪魔が公爵に乗り移った様である。
訳の分からない神器の中でも「訳の分からない物」と言われるマスタリー・フラグだが、
この話ではフラグを、怪物となった公爵に突き立てた事で、悪魔を完全に消し去り、勝利した。
この事からマスタリー・フラグには、魔除けの効果があると推測される。
「敵地に立てれば勝利が確定する」と言う意味不明な解説は、それを拡大解釈した物と思われる。
創る名無しに見る名無し [sage] 2019/01/24(木) 18:38:12.56:JtQADnPr
さて、この話にはクローテルが苦戦する場面もある。
これの意味する所は、クローテルも無敵の神の子では無く、所詮は人間で、神器の力を借りなければ、
強大な悪に対抗する事は出来ないと言う事を示したのだろう。
神器の継承者達の面目を保つ意味もあるのかも知れない。
振り返ってみれば、クローテルは割と窮地に陥っている。
大火竜バルカンレギナにはコー・シアーが無ければ立ち向かえなかっただろうし、北海の魔竜も、
素手で追い詰めてはいたが、輝く剣が無ければ止めは刺せなかった。
巨人相手には力負けもしている。
人間相手には無敗で、化け物とも互角に戦えるが、巨大で強大な物には何か武器が無ければ、
及ばないと言うのが、共通した設定の様だ。
クローテルに関する話は「神王ジャッジャス」を忠実に描写した(とされる)伝説の通りであり、
大筋は原典から改変されていない。
魔法大戦に於いては、神聖魔法使いは傀儡魔法使いのエニトリューグに敗北した。
エニトリューグは神器を持つ十騎士を各個撃破する事で、神の力を封じたとされている。
共通魔法使いは神聖魔法使いを含む他の全勢力を下して、魔法大戦の勝者となったのだが、
仮にジャッジャスが原典の通りの実力を持っていたとしても、神器の不可思議な力が無ければ、
そう苦戦はしなかったと思われる。
創る名無しに見る名無し [sage] 2019/01/24(木) 18:39:26.34:JtQADnPr
統治者が居なくなった後のオッカ公爵領の復興は結構な難事だった様だ。
オッカ公爵には子供が居らず、妻1人と公妾4人が居た他に、その他の妾が10人程度居た。
しかし、妻も公妾も他の妾も行方不明になっており、原典では生け贄に捧げられたと見られている。
他に3親等以内の血縁は無く、アーク国側も後継者探しに苦労していた様だ。
オッカ公爵領は半ば独立国の様な扱いだったので、領民は公爵を尊崇するとまでは言わないが、
それなりの敬意を持っており、他国から統治者が派遣される事を望まなかった。
緊急手段でディボー公がオッカ公も兼務する事になっていたが、実際に統治はしていない。
オッカ公爵から最も近い血縁者である、又従弟の子を呼び寄せて公爵の地位を与えようともしたが、
これは領民の反発で頓挫した。
新しい領主は血統よりもオッカ公爵領に所縁のある者でなければ、領民は納得しなかった。
しかし、これと言う者は居らず……。
アーク国側が領主候補を提案しては、領民が難色を示す事を繰り返した。
不幸な事に、領民側も特に誰を領主として迎えたいと言う、具体的な人物を指名出来なかった。
オッカ公爵は1つの家系で代々長らく統治して来たので、他に候補が居ないのだ。
最終手段として、ヴィルト王子の直轄地にする案もあったが、領民の反応は肯定的では無かった。
創る名無しに見る名無し [sage] 2019/01/24(木) 18:40:52.51:JtQADnPr
この事態を解決したのは、ディボー公だった。
現実主義的な武闘派の彼は領主不在の期間が長引くと良くないと言う事で、市長や町長を集めて、
その中から公爵領を統治する者を選ばせる事にした。
だが、誰も平民にしては立派な暮らしをしている物の、貴族の生活を知らなかった。
悪い事に、公爵家の使用人の中で、領地を経営する手腕を持った、上級の使用人は全滅していた。
ディボー公はアーク国王に1つの進言をした。
それはオッカ公爵領には貴族を置かずに、アーク国の監督地と言う事にしておいて、
各領地から使用人を送り、政治は市長や町長の合議によって進めると言う物である。
これを受けてアーク国王は監督者にヴィルト王子を任命し、王子自身は直接の統治をしない物の、
市長や町長の合議よりは上の立場から、政治に助言が出来る事にした。
以後、オッカ公爵領は「公爵領」では無くなり、疑似的な共和制を採る事になったのである。
公爵を廃した後のオッカ公爵領の正式名称は、「オカシオン合議統治領」。
実際の統治の様子は史料が少ないので、よく分かっていないが、大きな問題無く機能した様である。
但し、後に先述したオッカ公爵の又従弟の子が、領地の継承権が自分にある事を主張して、
地位確認を求めた訴えを起こし、小規模な戦争に発展する。
この事は第3シリーズにて語られる。
創る名無しに見る名無し [sage] 2019/01/24(木) 18:41:23.38:JtQADnPr
ともかく、オッカ公爵領の騒動で、クローテルはマルコ王子にも認められた。
もう彼の栄光への道を阻む物は無くなり、最終編の王位禅譲編に突入する。
一地方領主に過ぎないクローテルが、如何にして王となるのかは、多分に政治的な要素を含む為に、
飽くまで「童話」と言う体で、原典とは少し異なる解釈の話運びになる事は断っておく。
創る名無しに見る名無し [sage] 2019/01/25(金) 18:38:02.66:IS6/rdu+
next story is...
創る名無しに見る名無し [sage] 2019/01/25(金) 18:39:46.90:IS6/rdu+
熱帯森林戦


魔導師会は地道な調査の結果、反逆同盟の拠点と思しき建造物をカターナ地方の森林で発見した。
魔導師会は組織の威信に懸けて、ここで決着を付ける積もりで、慎重に決戦への準備を進めた。
先ず、建造物の周囲に何重にも結界を張り、魔力の流れを完全に支配する必要がある。
結界を張る為の魔法陣は、完成間近で作業を中断する。
複数の結界を一気に発動させる事で、相手の不意を突くのだ。
大魔法陣を描く作業と同時に、魔導師を動員出来る上限まで集めて、特別部隊の編成も行う。
『相談役<アドヴァイザー>』として、現地での作業風景を見ていた魔楽器演奏家レノック・
ダッバーディーは、不安気な面持ちで同行者の親衛隊員に言った。

 「……ここまでしてもルヴィエラを仕留める事は出来ない。
  少しでも同盟の戦力を削ぐ事が目的だと、ここの指揮官は解っているのかな?」

 「そんなにルヴィエラは恐ろしい物なのですか?」

 「君達は今まで何を見ていたのか……って、何も見ていないか……。
  話だけ聞かされても中々信じられないのは分かるけどさ」

レノックが如何にルヴィエラの強大さを訴えても、魔導師は聞く耳を持たない。
否、魔導師だからこそ自分の目で見た物以外は信じられないのだ。
創る名無しに見る名無し [sage] 2019/01/25(金) 18:40:53.01:IS6/rdu+
魔導師達も八導師から悪魔公爵の恐ろしさを聞いている筈なのだ。
だが、余りにも強大過ぎて、今一つ理解し難いのだろう。
魔導師の中には魔城事件を経験した者も居るのだが、それでも未だルヴィエラの「全力」を、
見た訳では無い。
レノックは溜め息を吐いて言う。

 「僕としては拙速でも速攻した方が良いと思うんだけどな。
  準備に時間を掛けると言う事は、相手にも時間を与えると言う事だよ。
  何時連中に感付かれるかも知れないのに、悠長だ」

 「そうまで言うなら直談判しては?
  私が仲介しますよ」

親衛隊員の提案に、彼は首を横に振った。

 「速攻にもリスクは伴う。
  指揮官は安全策を取りたがるだろう。
  それに僕は外道魔法使いだからね。
  どうも魔導師のエリート達からの覚えは良くない様だ。
  僕の提案と知って頷いてくれるかな?」

長年外道魔法使いと対立して来た魔導師会は、敵に分類される者と手を組む事に拒否感がある。
自負の強いエリートならば一層の事。
魔導師会の誇りに懸けて、出来るだけ自分達だけの手で物事を解決しようと言う意識が働くのだ。
創る名無しに見る名無し [sage] 2019/01/25(金) 18:42:11.46:IS6/rdu+
親衛隊員は尚も進言する。

 「今後の連携も考えると、偏見を正すのも早い方が良いと思いますが……」

 「しかし、ここまで準備を進めておいて、今から作戦変更して突撃しろと言うのも、
  中々難しい話じゃないか?」

 「それは……、そうでしょうが……」

入念に計画した物を切り捨てて、新しい作戦を選択するのは困難だ。
これまでに掛けた時間と労力が、判断力を鈍らせる。
埋没費用効果と言う物だ。

 「先も言ったけど、僕は戦いが、ここで終わるとは思っていないよ。
  何事も経験さ。
  一度ルヴィエラの『本気』を見ておくのも悪くないだろう」

 「『経験』出来れば良いのですが……」

親衛隊員は全滅の可能性を考えて、小声で零した。
レノックは笑って答える。

 「そう心配する事は無いよ。
  ルヴィエラにとっては人間なんか取るに足らない存在だ。
  卑小な存在を相手に本気で怒る事は、見っ度も無いと言う意識がある。
  それが悪魔貴族なんだ」

そうだと良いのだがと、親衛隊員は心配そうな顔で事の成り行きを見守った。
創る名無しに見る名無し [sage] 2019/01/26(土) 19:52:07.47:K4eRQXWE
一方、砦の中の者は事前に魔導師会の襲撃を知っていた。
何故なら予知魔法使いのスルト・ロアムが居る為だ。
予知魔法使いが居る以上、密かな企みは無意味だ。
特に、直接攻撃を仕掛ける場合は確実に見抜かれる。
魔導師会に拠点を突き止められる事をスルト・ロアムが察知したのは、その3日前だった。
拠点を突き止められる事は既に避けられず、問題は如何にして被害無く拠点を変更するか、
或いは、魔導師を迎撃するかと言う点に絞られた。
しかしながら、肝心の同盟の長であるマトラ事ルヴィエラには、その気が全く無かった。

 「マトラ様、そろそろ何等かの手を打たれた方が宜しいかと存じます」

彼女は警告をしたスルトに対して、気怠そうな態度で言う。

 「私の手を煩わせる積もりか?
  あの程度の相手、お前達でも何とでもなろう」

 「それでは確実に犠牲が出ます」

犠牲が出ると聞いたルヴィエラは、興味深そうに尋ねる。

 「それは誰だ?」

 「誰と言う話では無く、進んで対処しなければ、全滅も免れないでしょう。
  勿論、貴女を除いての事ですが……」

スルトの説明にも関わらず、彼女の笑みは益々大きくなった。

 「それは面白い!」
創る名無しに見る名無し [sage] 2019/01/26(土) 19:53:08.20:K4eRQXWE
スルトは予知魔法使いだが、全てを思い通りに出来る訳では無い。
どう足掻いても避け得ぬ運命、動かせぬ障害の様な物はあるのだ。
ルヴィエラの存在が正に、それだった。
マスター・ノートが全知の書になる為の最大の障害は、神の如く絶対の力を持つルヴィエラなのだ。
どれだけ巧みに物事を進めようとも、彼女の存在で全てが無に帰す可能性が残り続ける。

 「スルト、否、マスター・ノートよ、お前に権限を与えよう。
  この困難を乗り越えて見せろ」

 「……分かりました」

スルトは抗議も反論もせずに唯肯く。
こうなる運命からは逃れられなかった。
スルト・ロアムは今、全知の書としての実力を試されているのだ。
彼は残りのメンバーで戦力になりそうな物と、今後役に立ちそうな物を仕分けて、犠牲者を決める。
ニージェルクロームと彼に付いていたディスクリムは離脱中。
サタナルキクリティアとゲヴェールトは実力的に失う訳には行かない。
バレネス・リタには闇の子を育てる役目がある。
スフィカとエグゼラの狐は失っても痛くないが、利用価値はある。
シュバトは何をしても死なないので、構わなくても良い。
そうなると犠牲にして良い一人は、ビュードリュオンだ。
彼を犠牲にしても良いのであれば、何とか魔導師会に勝利出来るだろうと、スルトは考えていた。
創る名無しに見る名無し [sage] 2019/01/26(土) 19:53:41.08:K4eRQXWE
意外にもスルトが指揮を執る事に反発する者は無かった。
彼の背後には同盟の長であるマトラが居る。
彼女の性格も大体の者は知っているので、反抗しても無意味だと悟っているのだ。
この段階では誰が犠牲になると言う事をスルトは誰にも明かさなかった。
そもそも犠牲が出ると言う事自体を伏せていた。
自分が指揮を執れば全て上手く行くと、「嘘」を吐いた。
予知魔法使いにとって、「嘘」を吐く事は大きな『禁忌<タブー>』である。
自分の予知が正しいと言う証明をする為には、嘘を吐いてはならない為だ。
予知とは正しい事を言うから価値があるのであり、間違った事を言う予知は予知では無い。
予知で嘘を吐けば、忽ち信用を失い、予知魔法使いとしての価値が無くなる。
何故なら、彼はマスター・ノートだから。
そして予知魔法使いは自分の事を占っては行けない。
マスター・ノートは何れ全知の書となるが、それでも所詮は道具に過ぎない。
道具として、より完全な形を目指すのは、道具の義務である。
だが、それと同時に道具は道具としての機能を失ってはならない。
よって彼は誰か1人には真実を告げなくてはならない。
当然ビュードリュオンは除外するとして、秘密を守れる者でなくてはならない。
残念ながらルヴィエラは信用できない。
そこでスルトが選んだ信頼出来る者は……サタナルキクリティアだった。
悪魔の彼女は人間を何とも思わない上に、悪魔らしく「契約」の概念を持っている。
一度交わした約束を違えない。
創る名無しに見る名無し [sage] 2019/01/27(日) 18:09:19.29:ySJPY9IH
スルトの計画を聞かされたサタナルキクリティアは詰まらなそうな顔で言う。

 「話は終わりか?」

自分の予知は外れないのだと彼は自分に言い聞かせて、心の平静を保った。

 「ああ」

 「何故、私に話した?」

 「それが予知魔法使いの義務なのだ。
  私が予知魔法使いであり続ける為には、予知の正しさを知る者が居なくてはならない。
  事が終わった後で、全て計画通りだと言われも困ろう?」

 「それは確かに。
  しかし、私は思うのだ。
  その話こそ私を欺く為の嘘では無いか?
  真実だと言う保証が、どこにある?」

サタナルキクリティアの疑問に対するスルトの答えは、実に堂々とした物だった。

 「どこにも無いが、信じて貰わねばならぬ。
  私はマトラ様に指揮権を委ねられている」

だが、サタナルキクリティアは人差し指を立て、嫌らしい笑みを浮かべる。

 「投資詐欺の話を知っているか?
  詐欺師が『大豆<ファナハバ>』の先物相場を利用して、金持ちに投資詐欺の話を持ち掛けた。
  私は市場の裏情報を知っている。
  1000万MG預けてくれれば、1週間後に倍にして返すと。
  騙された人物は警察に、詐欺師の予想が5日連続で的中したので信じてしまったと語った。
  警察が調べた所、同じ様な被害者が他に10人は居た。
  詐欺師は一体どうやって予言を的中させたのだろうか?」


※:大豆に相当する作物。
  ダード、ダド豆、ファナ豆とも言う。
  豆には他に、ハバ豆、バガ豆、野豆、黒豆、鞘豆等がある。
  豆を表す一般名詞は「ハバ」。
創る名無しに見る名無し [sage] 2019/01/27(日) 18:10:43.04:ySJPY9IH
スルトは眉を顰めて答える。

 「先物相場は上がるか下がるかだ。
  どちらか判らなくても、2人に声を掛けて、1人には上がる、もう1人には下がると言えば、
  どちらかは当たる。
  確実に2日連続で当てたいなら、同じ調子で4人に声を掛ければ、1人が残る。
  10人相手に5日連続で当て続けるには、320人が必要だ」

 「逆に言えば、320人に声を掛ければ、10人は確実に騙せるな」

 「私も同じ事をしようとしていると言いたいのか?」

それは余りにも予知魔法使いを馬鹿にしていると、彼は憤った。
サタナルキクリティアは声を抑えて笑う。

 「くっくっく、悪かったよ。
  冗談だ、冗談。
  お前の指示に逆らおうと言う気は初めから無い。
  少し揶揄ってみただけだ。
  予知魔法使いなのだから、その位は解っていた筈だな?」

 「予知は言う程、万能でも完璧でも無い。
  ……今の所は」

 「頼り無いな。
  そんな事では困るぞ。
  お前の指揮に従うと言う事は、お前に命を預けているのだからな」

 「ああ、解っている。
  私に任せておけば、何も間違いは無い」

スルトは自信を持って言ったが、サタナルキクリティアが彼を見る目は酷く冷めていた。
創る名無しに見る名無し [sage] 2019/01/27(日) 18:11:58.70:ySJPY9IH
魔導師会は順調に準備を進めて、明朝を決戦の時と決めていた。
既に準備は整っており、反逆同盟からの不意の襲撃にも対応出来る様にしている。
魔導師達は夜も寝ずの番を立て、心構えは戦闘状態だった。
事が起こったのは、真夜中の北の時。
その頃、レノックも親衛隊と共に寝ずの番をしていた。
親衛隊員は予てより気になる事があって尋ねる。

 「レノック殿、お休みになっては如何ですか?」

 「いや、平気だよ」

 「……何時、お休みになっています?」

 「何時も休んでいるけど?
  今だって休んでいる様な物じゃないか」

今一つ噛み合わない回答をするレノックに、親衛隊員は一拍置いて強い口調で言った。

 「私が聞いているのは、『眠らなくて大丈夫ですか?』と言う事です。
  ここ数日、私はレノック殿が眠っている所を見ていません」

 「ははは、何を今更。
  僕は一度だって、君達に眠っている姿を見せた事は無いぞ」

 「えっ」

レノックの言う通り、これまでも親衛隊員は彼が眠っている所を見た事が無かった。
しかし、宿に泊まったりしていれば、その間は休んでいる物と思うのが普通だ。
創る名無しに見る名無し [sage] 2019/01/28(月) 19:47:33.48:m9VxlTOH
そんな下らない話をしている間に、事は静かに進んでいた。
反逆同盟の拠点を取り囲んでいる「北」の部隊が、悪魔サタナルキクリティアと対面する。
北の部隊の指揮官は合図した。

 「そうら、お出でなすったぞ!
  魔法陣を発動させろ!
  子供の見た目だからと言って油断するな!」

この時の為に、魔導師会は入念な準備をした筈だった。
こちらから仕掛ける前に、向こうから仕掛けて来た事も、何等驚く様な事では無い。
魔法陣の内側に閉じ込めれば、大抵の敵は封じ込められる筈だった。
だが、魔法は発動しなかった。
指揮官は狼狽して部下を問い詰める。

 「……どうなっている!?
  魔法陣に魔力が流れていないぞ!」

 「そ、それが……!
  蟻です、無数の蟻が魔法陣の形を歪めています!」

 「蟻!?
  昆虫にしてやられたと言うのか!
  しかし、魔力は感じなかったぞ!
  魔法では無いと言うのか……」

共通魔法の魔法陣を打ち破ったのは、昆虫人スフィカがフェロモンと羽音で指揮する蟻の大群だった。
熱帯の狂暴な蟻の大群が、魔法陣の一部を食い破って、魔法の発動を阻んだのだ。
創る名無しに見る名無し [sage] 2019/01/28(月) 19:49:19.17:m9VxlTOH
隊長は舌打ちして言う。

 「構うか、相手は一人だ!
  九人で三角陣を取れ!」

共通魔法使いは数が力になる。
複数人で連携すれば、何倍もの力の相手とも互角に戦える。
魔導師一人一人は人間としては優秀だが、それだけの存在だ。
一人が何百人分もの力は持たない。
だから相手の脅威を見誤る。
どんなに強くとも精々自分の数倍程度だろうと。
サタナルキクリティアは含み笑いする。

 「フフフ、可愛い物だな。
  悪魔の恐ろしさを知らないと見える」

彼女は愛らしい子供の体を捨てて、悪魔の力を解放した。
体は見る見る大きくなり、成人男性並みに力強く筋肉質になる。
額の小さな角は見る見る伸びて、凶悪に捻じ曲がる。
口からは牙が、手足の先からは爪が伸び、人の姿から外れて行く。
小さな弦の様な尻尾は固く太く変質して、大蛇の様に畝る。
その背には漆黒の翼が生えている。

 「一人ずつ生爪を剥がす様に甚振り殺してやる」

サタナルキクリティアの魔法資質は平均的な魔導師の十倍や二十倍では利かない。
詰まりは、それだけの人数が束になっても敵わないのだ。
創る名無しに見る名無し [sage] 2019/01/28(月) 19:52:19.42:m9VxlTOH
拠点の西には石の魔法使いバレネス・リタとエグゼラの狐が、東には昆虫人スフィカに加えて、
血の魔法使いヴァールハイトが向かった。
そしてレノック等が居る拠点の南には、暗黒魔法使いのビュードリュオンが……。

 「どうやら良くない事が起きた様だ」

レノックは冷静に、付き添いの親衛隊員達に告げる。

 「その様ですね……。
  折角準備した魔法陣が無効化されています。
  速攻を仕掛けるべきとのレノック殿の判断は正しかった」

親衛隊員も余り焦りを表さずに答える。
素直に認められてレノックは小さく苦笑い。

 「ハハ、言うだけなら只さ。
  実際に行動に移せなければ何の意味も無い。
  この儘では各個撃破されるぞ」

 「何か妙案はありませんか?」

親衛隊員の問にレノックは淡々と答える。

 「こちらも各個撃破して行くしかない。
  先ずは、こちらからだな」

彼の視線の先にはビュードリュオンの姿があった。
夜闇に紛れて、その姿は明瞭には見えず、魔法資質にも反応は無かったが、確かに居る。

 「気付かれるとは思わなかった。
  見られてしまった物は仕方が無い。
  私は暗黒魔法使いビュードリュオン・ブレクスグ・ウィギーブランゴ。
  悪いが全員ここで死んで貰う」

彼は堂々と名乗って宣戦布告する。
創る名無しに見る名無し [sage] 2019/01/29(火) 19:23:26.19:eyFgZHKO
身構える親衛隊員の2人に対して、レノックは臨戦態勢を取らない。
物悲し気な瞳で、ビュードリュオンを見詰めて言う。

 「不協和音が聞こえる。
  君は苦しい状態にある様だな」

 「レノック殿、今は話している場合では……」

親衛隊員の忠告を受けて、レノックは小声で謝る。

 「済まない。
  僕も所詮は悪魔なんだ。
  可哀想な彼の声を聞いてやりたくてね」

そうしている間にビュードリュオンは小声で呪文を唱えていた。

 「死の床に臥せる物達よ、我が声に応え目覚めよ……。
  朽ちた体に死せる魂を宿らせ、不滅の使徒となれ」

これを聞いたレノックは小声で親衛隊員に告げる。

 「『死霊術<ネクロマンシー>』だ!」

ビュードリュオンの肉体が変質して、幾つもの生物が合体した怪物になる。
内臓が腐敗して行く奇病に冒された彼は、生き延びる為に他の人間や動物の肉体を継ぎ接ぎして、
どうにか生存に必要な生理機能を保っていた。
彼自身が合成生物の様な物なのだ。
彼の肉体を構成している、それぞれの生物の「部品」を魔法で再生させる事で、怪物の姿になる。
創る名無しに見る名無し [sage] 2019/01/29(火) 19:25:11.46:eyFgZHKO
ビュードリュオンの奇怪な正体に、親衛隊員達は恐怖を覚えた。
牛や馬、鹿、山羊、或いは犬、猫、猿、そして人間の様な物まで、複数種の動物が体の一部を、
ビュードリュオンに繋がれた状態で蠢いている。
彼の魔法資質も合成した動物の数だけ強化されている。

 「オオオオオオオオオオーーーー!!」

動物の首が、それぞれの鳴き声で吠えると、魔力が揺らいで音の魔法を放つ。
獣魔法の一形態『鳴動<ランブリング>』だ。
複数の動物の鳴き声が共鳴して、より効果の大きい魔法となる。
これは振動分解魔法だ。
振動の共鳴によって大量のエネルギーを発生させ、分子間の結合を断つ。
物理現象との組み合わせの為に、単純に魔法だけで防ぐ事は難しい。
空気の振動を抑える魔法ならば対処可能だが、先制されると詠唱での魔法発動が阻害される。
親衛隊員の2人は何とか空気の壁で自分達の周囲を覆ったが、ここからの反撃は難しく、
一時撤退を考えていた。

 「レノック殿、一旦下がりましょう」

親衛隊員の呼び掛けに、レノックは余裕の表情で言い返す。

 「その必要は無いよ。
  解っているだろう?
  僕が『音』の魔法使いだと言う事を」

彼は大きく息を吸って、指笛を吹いた。
ピーと言う甲高い音と共に、空気の振動が収まる。

 「小僧、貴様徒者では無いな!」

ビュードリュオンはレノックを警戒した。
創る名無しに見る名無し [sage] 2019/01/29(火) 19:28:21.45:eyFgZHKO
レノックは肩を竦めて答える。

 「一つ忠告しておこう。
  僕は音を自在に操る魔法使いだ。
  君では僕に勝てない。
  その体では尚の事」

 「成る程、貴様は見た目とは違い、相当な実力の魔法使いなのだな。
  態々自らの能力を明かすとは……。
  だが、私とて修行を重ねて来た魔法使い。
  そう簡単に倒されてはやれん」

ビュードリュオンは彼の忠告にも退かず、腕の筋肉から蛇を分離させて投げ付けた。

 「行け!」

蛇は大口を広げて毒牙を剥き、真っ直ぐレノックを目掛けて飛んで行く。
これを難無く避けたレノックは、太鼓の枹(ばち)を取り出し、何も無い空を叩いた。
落雷の様な轟音が響くが、それは丸で意思を持っているかの様に、遠方には拡散して行かず、
ビュードリュオンに向かって行く。

 「ウォオオ、何だ、これは!?
  か、体が撒(ば)ら撒らになる!」

 「君の体は性質の異なる物を魔法で無理遣り繋げているな?
  それが不協和音の正体だ。
  調律の不具合は、全体に悪影響を及ぼす」

 「利いた風な口を叩くな!
  貴様に私の何が分かる!
  生まれ付いて不具を抱え、生きねばならぬ苦しみ、貴様に分かるか!」

ビュードリュオンは崩壊しそうな体を、どうにか繋ぎ止めながら恨みの言葉を吐いた。
創る名無しに見る名無し [sage] 2019/01/30(水) 18:32:05.76:60FHk6lC
レノックは返事の代わりに2度目を打つ。
毒蛇の群れで繋がれたビュードリュオンの猩々の右手は、朽ちた縄の様に解けて、腐り落ちた。

 「その業、共通魔法使いでは無いな!
  何故、魔導師会に加担している!」

ビュードリュオンの問い掛けに、レノックは肩を竦めて問い返す。

 「それは、こっちの台詞だよ。
  どうして悪魔に加担して、人間の敵になりたがる?」

 「好きでやっている訳では無い!
  私が生き続ける為には、こうするしか無かった!」

腐って行く体を取り替える事で、ビュードリュオンは今日まで生きて来た。
それも全ては内臓が腐敗する奇病の為。

 「僕には魂の年齢が見える。
  君は人間にしては十分に生きたんじゃないのか?
  それ以上は贅沢と言う物だよ」

 「人並みの健康体を手に入れたいと言う願いが、そんなに贅沢か!
  病に苦しめられる事の無い、平穏無事な生活を求める事が、強欲の罪か!」

レノックの言い種(ぐさ)にビュードリュオンは吠えた。
彼は最初から病に苦しむ事の無い平穏な生活、唯それだけを求めていた。
創る名無しに見る名無し [sage] 2019/01/30(水) 18:33:41.75:60FHk6lC
しかし、レノックは冷淡に切り捨てる。

 「ああ、贅沢だね。
  それだけの為に、どれだけの人を君は犠牲にして来たんだ?
  心も体も満足な人間が、世の中に一体どれだけ居ると思う?
  目耳鼻口、五臓六腑、四肢と五指、頚胸腰の椎、血液と髄液、骨と関節、筋肉と腱、知能と精神、
  皆どこかしらに異常を抱えている。
  寒ければ風邪を引くし、暑ければ熱に中てられる、人間は脾弱な生き物だ。
  完全に健康な時間は一時的な物さ」

 「その一時的な満足さえ、私には与えられなかったのだ!」

 「だからと言って、人を殺して良い事にはならないだろう。
  君の人生は辛い事ばかりだったと言うのか?
  本の一欠片の幸福も味わった事が無いと?」

 「黙れっ、元より解って貰おうとは思っていない!
  ああ、そうだとも!
  所詮は私の我が儘だ!」

ビュードリュオンは開き直って、腐り落ちる左腕をレノックに向けて投げ付けた。
そして魔力を暴走させて自爆させる。
レノックは爆発に合わせる様に枹を振るった。
空気の壁が出現して爆発を防ぎ、同時に音の波動がビュードリュオンを襲う。
今度は馬の右脚が腐り落ちた。

 「未だ死なん!
  こんな所で死ねる物かっ!」

強い生への執着。
それだけでビュードリュオンは今まで生きて来た様な物だ。
創る名無しに見る名無し [sage] 2019/01/30(水) 18:36:09.52:60FHk6lC
だが、彼は反攻に転じる事も出来ない。
レノックが空を叩く度に、彼の体は制御を失って崩壊して行く。
それでもビュードリュオンは耐えていれば援軍が来てくれると信じた。
予知魔法使いのスルトが立てた作戦に、間違いは無いと信じている為だ。
その信頼は最初から裏切られている。
スルトは最も強力で厄介な敵であるレノックを足止めする目的で、ビュードリュオンを独り、
南側に派遣させた。
四肢と下半身を失い、残るは胸と首から上だけになったビュードリュオンは、這いながら訴える。

 「こ、これが私の真の姿だ……。
  腐り落ちる臓腑を除けば、これしか残らない。
  哀れむが良い、然も無くば、嘲笑うか……」

レノックは無視して空を打った。
ビュードリュオンの心臓が震えて、破裂しそうになる。

 「ぐっ、よ、容赦無しか……!」

 「その心臓も君の物では無い様だな。
  全ての筋肉や臓器が病に冒されていたとは考え難い。
  古くなった物を自分から捨てたと言うのが、本当の所だろう?
  君は長く生き過ぎたんだ」

 「人の一生を勝手に決めるな。
  どこが十分かは私が決める。
  ……暗黒魔法の神髄を見るが良い」

ビュードリュオンは地面に散った肉体に魔力を流して、魔法陣を完成させた。
それは悪魔召喚の魔法陣だ。

 「我が血肉を贄に捧げる。
  出でよ、地に封じられし飽く無き貪よ」
創る名無しに見る名無し [sage] 2019/01/31(木) 19:05:59.11:dg8f0Fhq
大地が震えて、地の底から何かが湧き出て来る。
それは黒い靄となってビュードリュオンを包み、彼を更なる怪物へと変えて行く。
レノックは親衛隊員の2人に警告した。

 「これは行けない!
  2人とも下がってくれ、ここは僕が何とかする」

 「しかし、レノック殿!」

ビュードリュオンの周囲に集まる不吉な魔力の流れを、親衛隊員の2人も読み取っていたので、
レノックを置いて下がる事には抵抗があった。
2人を退散させる為に、レノックは敢えて強い言葉を使う。

 「君達は足手纏いだと言うんだ!
  僕の心配をする暇があったら、他の人達を助けに行け!」

普段の様子からは想像も出来ない態度に、親衛隊員の2人は衝撃を受けた。
それだけ危機的な状況なのだと理解して、2人は場を離れる決意をする。

 「分かりました。
  レノック殿、お気を付けて」

 「ああ、直ぐに片付ける」

ビュードリュオンの胴体は、地面から生えた巨大な口を持つ鮫の頭の様な物と合体していた。
レノックは彼を睨んで言う。

 「暗黒魔法の知識をどこで仕入れたかと思ったら、そう言う事か……。
  君の強欲が貪を呼び寄せたのか、それとも貪に取り憑かれて道を誤ったのか?
  どちらにせよ、僕は君を倒さなくてはならない。
  光栄だよ、原初の大罪に会えるとは!
  『欲深き物<グーラ-アヴァリティア>』!!」
創る名無しに見る名無し [sage] 2019/01/31(木) 19:07:01.53:dg8f0Fhq
「貪」とは抑えの利かない欲望である。
全ての生き物が備える物で、生きて行くのには必要不可欠な感情だが、その尽きる事の無い様は、
全てを貪り尽くすが如く。
古代の人々は、これを「貪」と名付けた。
全ての者は、これが持つが為に欲望を抑えられなくなり、罪を犯す。
それとは逆に、「貪」は生まれ付いて具わっている物ではなく、外より齎される物であり、
これこそが生物を「強欲」に誘うのだとも言う。
「貪」が象徴する物は、貪食と貪欲、そして全てを引き付ける重力だ。
「欲しい」と言う衝動に覚えの無い者は居ない。
「貪」は欲しい物を手に入れれば落ち着くが、後に更なる欲望と共に復活する。
この「貪」を拠り所にした悪魔が「グーラヴァリティ」。
全ての生きとし生ける物が持つ、「欲求」を糧にする存在。
生まれ持って避け得ぬ罪業、「原初の大罪」を司る悪魔の一。
求め続け、幾ら得ようと満たされぬ物!
飽く無き強欲と放恣の化身!

 「私は生き続けたい!
  その為ならば、全ての命を食らい尽くす事さえも厭わない!
  おお、万物よ我が糧となれ!
  全テハ我ガ為ニ有リ、軈テ我ハ全テヲ食ラヒテ、完全ナル存在ト化ソウ!」

ビュードリュオンは悪魔と同化して、自らの思考を失っている。
グーラヴァリティは唯、全ての物を呑み込む存在だ。
大地を吸い込み、蟻地獄の様に擂り鉢状の穴を掘ると、天を仰いで全ての物を食らい尽くそうとする。

 「大言壮語も好い加減にするんだな!
  これでも食らえ!」

レノックは『大喇叭<コンクリッシュ>』(※)を抱えて、大音量でグーラヴァリティを攻撃した。


※:Conchlish……大型の金管楽器で、「conchlisica」(conchlis=巻き貝)を語源とする。
  テューバやホルンの類。
創る名無しに見る名無し [sage] 2019/01/31(木) 19:08:52.07:dg8f0Fhq
しかし、グーラヴァリティは全く怯む様子が無い。
この悪魔は音をも食らっている。

 「足リナイ!!
  モット、モット聞カセロ!」

最早ビュードリュオンはグーラヴァリティに付着しているだけだ。
我が儘勝手に吠える声は、彼の胴と同化した巨大な口から発せられている。

 「流石に古の大悪魔は違うな。
  あらゆる攻撃を吸収してしまうのか……」

レノックは冷や汗を掻いた。
グーラヴァリティの強さが伝承通りであれば、この悪魔には全ての攻撃が通じない。
どんな攻撃でも吸収されて、更なる力を与えてしまう。
とにかく地道に有効打を探して行くしか無い。

 (貪を収める方法を何とか考え付かなくては。
  為す術無く見ているだけでは小賢人の名が廃る)

これは知恵比べだ。
レノックはグーラヴァリティでも食らい尽くせない物を何とか見付け出さなくてはならない。
彼が思考している間も、グーラヴァリティは徐々に蟻地獄の半径を拡げて行く。
熱帯の巨木が倒れて蟻地獄に吸い込まれ、折り曲げられてグーラヴァリティの腹に収まる。
それでも一向に満足する様子は無い。

 「モット、モット食ワセロ!!
  全テヲ我ガ内ニ……」

音が効かないと言う事は、衝撃も通じないと言う事。
恐らく熱や冷気での攻撃も無意味であろう。
創る名無しに見る名無し [sage] 2019/02/01(金) 19:32:14.74:sYYLhWlh
レノックは空中に浮き上がり、悪魔の本性を現した。
彼は鼓動と共に音を発する人間大の奇怪な球体となり、高周波でグーラヴァリティに攻撃を続ける。
耳を劈く様な甲高い音がグーラヴァリティを襲うが、やはり怯む様子は無い。

 「アア、アア、未ダ足リナイ!
  モット聞カセロ!」

グーラヴァリティは振動を吸収して、高熱を蓄え、赤く発光した。

 (効いていない……訳じゃないんだな。
  吸収し切れないエネルギーが熱と光になって漏れている。
  後は奴の固有振動数が判れば……)

レノックは音の高低を変えながら、グーラヴァリティと最も反応する周波数を探る。

 「オオ、オオ……!
  未ダ、モット、モットクレ!!」

グーラヴァリティは愚かにも、自らに最も響く音に反応して、感動の声を上げる。

 (お望み通り、くれてやる!!)

レノックは敢えてグーラヴァリティに飛び込み、その体内に吸収された。
グーラヴァリティの中は暗黒の空間で、それまで取り込まれた物が無造作に漂っている。
丸で重力の無い宇宙空間の様。

 (何と無く覚えがあるな……。
  ああ、ルヴィエラが造った暗黒空間と似ているのか……。
  しかし、あちら程は虚無の空間じゃない)
創る名無しに見る名無し [sage] 2019/02/01(金) 19:34:12.59:sYYLhWlh
レノックはグーラヴァリティの中で重低音を発する。
心臓の鼓動の様なリズムが、グーラヴァリティの中で反響する。
内側から響く音にグーラヴァリティは困惑した。

 「オッ、オッ、何ダ、コレハ……。
  我ガ内デ膨ラミ続ケル……」

 (媒体は所詮人間。
  容量の拡大には時間が掛かる。
  グーラヴァリティは何度出現しても、同じ運命を辿った。
  宇宙を呑み込める程の無限の可能性を秘めながら、その貪欲さ故に成長し切る前に自滅する。
  恣に貪り食らい、己を律する事が出来ないから、そうならざるを得ない)

 「オフ、オフ……」

グーラヴァリティは内側で反響する音を漏らすまいと、吸収を止めて口を閉ざした。
それでも堪える事が出来ず、口の端から空気が漏れる。

 (音は空気を振動させ、熱を発して体積を増す。
  その苦しみは、饅頭が胃の中で水を吸って膨らむが如し)

 「ゲ、ゲ、ゲゲェ!」

グーラヴァリティは堪らず大口を開けて、吸い込んだ物を吐き出した。
土砂と木片が蟻地獄を埋めて、グーラヴァリティの体は小さく萎む。
そして最後にレノックを吐き出して、グーラヴァリティは消失し、ビュードリュオンの体だけが、
その場に残った。
創る名無しに見る名無し [sage] 2019/02/01(金) 19:36:08.49:sYYLhWlh
悪魔の力を失ったビュードリュオンは、胸から上だけしか残っておらず、既に虫の息だった。

 「う、うぅ、死にたくない……。
  助けてくれ……」

レノックは球体から出て、人の姿を取る。

 「生き続けるだけならば、人の形に拘る必要は無かった筈だ。
  ……君は人間として生きたかったんだな。
  気持ちは分かるが、しかし、それは叶わぬ望みだ。
  人間は永遠には生きられない……」

 「わ、私は……死ぬのか?
  こんな所で、本当に……」

 「ああ、その通りだ。
  安らかに眠れ」

レノックに見下ろされ、ビュードリュオンは地面を噛む。

 「うぅ、父も母も病に冒された私を見捨てた。
  私は病の身で、独り生き続けなければならなかった……。
  私には愛する者も、守るべき物も無く、唯己が生きる為だけに生きた。
  虚しい一生だった……」

彼の泣き言をレノックは黙って聞いていた。
それが死に行く哀れな者に対する慰めだった。

 「……最後まで、誰も私を救ってはくれないのか……」

ビュードリュオンは虚しさの涙を流しながら事切れた。
創る名無しに見る名無し [sage] 2019/02/02(土) 03:44:10.79:ceuPbJJq
虚しさの涙?
創る名無しに見る名無し [sage] 2019/02/02(土) 19:07:26.67:e++k3oY1
「虚しさから涙を」とか「虚脱感から涙を」とした方が良かったでしょうか?
「悔し涙」はあっても、「虚し涙」は聞いた事がありませんし……。
推敲が足りなかったでしょうか……。
創る名無しに見る名無し [sage] 2019/02/02(土) 19:08:54.81:e++k3oY1
彼が倒れた後で、レノックの元に隠密魔法使いのフィーゴ・ササンカが現れる。
彼女は主人に対する様に跪いて報告した。

 「レノック殿、魔導師会は撤退を始めました」

 「急襲する積もりが、逆に急襲を受けて、連携に乱れが生じたか……。
  僕等も引き下がるとしよう。
  同盟にはルヴィエラ以外にも、厄介な連中が居る様だ。
  これ程の者を捨て駒に使うとは……」

ササンカはレノックを抱え上げて、その場から去ろうとする。
レノックは驚いて彼女を見上げた。

 「うわっ、何をするんだ!?」

 「撤退するのでしょう?」

 「幾ら子供の姿だからって、抱っ子は止めてくれよ。
  自分で歩ける」

 「しかし、子供の足は知れていましょう」

 「良いんだよ、殿を務める積もりだったんだから」

 「そうですか……」

ササンカは残念そうに彼を下ろす。
役に立ちたいと言う彼女の気持ちは有り難いのだが、子供扱いは何とかならない物かと、
レノックは咳払いをして眉を顰めた。
創る名無しに見る名無し [sage] 2019/02/02(土) 19:10:10.61:e++k3oY1
反逆同盟の者達は魔導師会を追撃しなかった。
レノックとササンカは何事も無く、後方に退がった魔導師達と合流する。
多くの魔導師は手負いで、治療を受けていた。
レノックは大隊長を探して状況を尋ねる。

 「君が指揮官か?
  戦況を聞きたい」

 「何だ、お前は?」

大隊長は子供が戦場に居る事を不審に思って、眉を顰める。
そこへ親衛隊員が駆け付けて、間に入った。

 「彼は例の『相談役<アドヴァイザー>』です。
  失礼の無い様に、お願いします」

大隊長は露骨に不満気な顔をする。
それは差別意識の表れだ。

 「今頃出て来て何の用だ?」

 「戦況を聞かせてくれ」

 「……各部隊を後退させた。
  今は戦闘行為は中断している」

 「戦果と被害状況は?」

大隊長は質問を続けるレノックを無視して、補佐を呼ぶ。

 「アドワード、こっちに来い!
  お客さんの話を聞いてやれ!」
創る名無しに見る名無し [sage] 2019/02/02(土) 19:11:53.65:e++k3oY1
大隊長は直ぐに、その場から立ち去った。
素人の相手をしている暇は無いとでも言いた気な態度に、親衛隊員が代わってレノックに謝る。

 「済みません、無駄に自尊心だけは強い様で……」

部外者に口を出されたくないと言うのは、ある種の「職人意識」だ。
自分は責任ある専門家であり事情に通じているので、無責任な一般人の意見は必要無いと決め付ける。
それに部下を率いなければならない立場で、弱味を見せる訳には行かないとも感じている。
レノックは苦笑いで応じる。

 「君が謝る事は無いよ。
  それに彼の気持ちも解る。
  僕だって魔法の知識に関しては煩くなるからね。
  とにかく情報が聞けるなら、誰からでも良いさ」

大隊長に呼ばれた補佐は困惑した様子で、親衛隊員に話し掛けた。

 「えぇと、何の御用でしょう?」

 「いや、私達では無くて、彼の質問に答えて欲しい」

 「はぁ、誰なんです?」

補佐も子供が居る事を不審に思っている。
親衛隊員は溜め息を吐いた。

 「反逆同盟との戦いに於ける、我々魔導師会の相談役に選ばれた方だ。
  八導師直々の御指名である」
創る名無しに見る名無し [sage] 2019/02/03(日) 18:14:11.43:P/MH9ZmQ
八導師の指名と聞いて、補佐は吃驚して目を剥いた。

 「えっ、こんな子供が……?」

 「見た目に惑わされては行けない。
  彼は旧暦より生きる大魔法使いの一人なのだぞ」

親衛隊員の答に、補佐は信じられないと言う顔で、レノックを真面真面(まじまじ)と見る。
レノックは咳払いをし、改めて尋ねた。

 「拠点を攻めると言う作戦は、どうなったかな?」

 「はぁ、一時中断です」

 「――と言う事は、近い内に再開する?」

 「……分かりません。
  皆、この機会を逸したくないと言う思いは強いのですが、無謀な突撃を繰り返しても、
  被害が増えるだけでしょうから……」

 「今の所、どの位の被害が出ている?」

 「死亡者が2名、負傷者は……軽く50名は超えています。
  中でも厄介なのが、石化した者が十数名程度居る事です」

 「石化?」

 「はい、如何な原理かは不明ですが……。
  魔法での診断の結果、全身が貝素化しているとの事です。
  生死の判断も付かないので、一応は『行動不能』扱いにしています」

対象を石に変える魔法は数多くあるが、これはバレネス・リタの仕業だ。
彼女は瞳に捉えた物を石に変える、石化の魔眼を持つ。
創る名無しに見る名無し [sage] 2019/02/03(日) 18:15:42.15:P/MH9ZmQ
レノックは続けて質問した。

 「戦果は、どれだけあったかな?」

補佐は苦々しい顔をする。

 「……分かりません。
  交戦して幾らか手傷を負わせたと言う報告はありましたが……。
  少なくとも、敵に止めを刺したと言う報告はありませんでした」

 「敵の戦力は殆ど減っていないと見るべきかな?」

 「率直に言えば、作戦は失敗したと見るべきでしょう。
  直ちに態勢を立て直して挽回する事は難しい状況です」

結論を求めるレノックに対して、補佐は渋々事実を認めた。
レノックは慰めを言う。

 「しかし、全く無駄だったと言う訳じゃない。
  相手方の戦力の全部では無くとも、大部分は判明したと言って良いだろう。
  それに一人は僕が仕留めた」

 「仕留めた……?」

 「ああ。
  取り敢えず、どんな奴等と戦ったのか情報交換しよう。
  相手の姿と戦い方が判れば、後の対策も立て易い」

レノックの提案に補佐は頷き、魔導師達が戦った相手の情報を、正確に彼に伝えた。
創る名無しに見る名無し [sage] 2019/02/03(日) 18:17:21.08:P/MH9ZmQ
――補佐の話を聞き終えたレノックは言う。

 「小さな女の子が悪魔に変身したと言うのは、恐らくサタナルキクリティア。
  蜂の様な女は昆虫人のスフィカ。
  虫を操る力を持っているらしいから、蟻を使って魔法陣を壊したのも彼女だろう。
  犬を従えていた男は多分だが、ゲヴェールト。
  石化の能力を持つ女はリタ。
  そして僕等が戦ったのは……ビュードリュオン。
  残る1人の女は一寸分からない。
  ヴェラかジャヴァニか、それとも新しいメンバーか、ルヴィエラとは違うと思うが……」

補佐は両腕を組んで低く唸った。

 「ニージェルクロームとディスクリムが居ませんね……」

 「ニージェルクロームは竜の力を解放してカターナで大暴れした後、何処かへと飛び去った。
  もしかしたら、未だ帰還していないとか、何等かの事情で戦えないのかも知れない。
  ディスクリムは……ルヴィエラの創造物だから表に出て来なくても不思議じゃない……。
  確認の為に、もう1度仕掛けたい所だけど……。
  ルヴィエラが出て来たら、どう仕様も無いからなぁ」

悩むレノックに対して、補佐は小声で告げる。

 「大人しく応援を待った方が良いでしょう」

それが賢明な判断だとレノックも頷こうとした時、地響きが起こった。
同時に膨大な魔力の流れを全員が感じる。
魔力観測員が補佐に魔力通信で異変を知らせる。

 「同盟の本拠地から大量の魔力の溢出を確認!」
創る名無しに見る名無し [sage] 2019/02/04(月) 19:34:13.87:ERwvSJYI
レノックは魔力の溢れ出す源を見詰めて言う。

 「ルヴィエラが動き出したか!」

常識では考えられない、余りに膨大な魔力を目の当たりにして、誰も身動きが取れない。
そもそも地上で魔力が「湧き出る」事が有り得ないのだ。
地上に存在する魔力は限られており、大量の魔力を感知する事は、即ち、周囲の魔力を集める事に、
他ならない。
だが、この現象は違う。
反逆同盟の本拠地から魔力が湧き出している。
親衛隊員も補佐も大隊長さえも言葉を失っていた。
それは畏れと言う感覚だ。
偉大な存在を前にして、冒し難いと感じる心。
強大な存在を前にして、敵わないと感じる心。
人間に限らず、全ての魔法資質を持つ者が感じる、怯懦と平伏、敗北者の精神。
「魔法生命体」としての格の違いを思い知らされ、戦わずして相手を屈服させる程の「力」。
辛うじて、レノックだけが抗える。
彼は呆然としている親衛隊員に声を掛ける。

 「後退して距離を取るんだ!」

 「あ、はい!」

親衛隊員は大隊長を説得して後退する様に指示を出させた。
そこに多くの言葉は要らなかった。
とにかく「恐ろしい」事は誰にでも解るのだ。
創る名無しに見る名無し [sage] 2019/02/04(月) 19:39:33.23:ERwvSJYI
やがて地響きは大きくなり、大地が割れ裂けるかと思う程に激しく揺れた。
後退した魔導師達は真面に立つ事も出来ず、大地に這って何事も無い事を祈るしか無かった。

 「レ、レノック殿……」

ササンカは震えてレノックに獅噛み付く。
レノックは彼女を安心させるべく、優しく抱き返して囁いた。

 「大丈夫だ。
  何があっても僕が皆を守る」

混乱の極みの中、空が明るさ増して行く怪現象に、誰も彼も奇妙な神聖さを感じていた。
永遠にも思える3点が過ぎ、漸く大地の揺れは収まる。
同時に、深夜の暗闇が戻り、魔導師達の畏怖の感情も嘘の様に消え失せていた。

 「一体何だったんだ……?
  取り敢えず、無事な者の中から4、5人を選んで、調査に向かわせろ」

大隊長は疑問を解消する為、反逆同盟の本拠地に斥候を派遣する。

 「僕も付いて行こう」

レノックが同行を志願すると、大隊長は嫌な顔をしたが、それだけで何も言わずに黙認した。

 「レノック殿、我々も……」

ササンカと親衛隊員もレノックに同行を求めたが、断られる。

 「余り大勢で出掛けては、隠密行動に支障が出る。
  何、心配は要らない。
  僕の予想が正しければ、何も起こらない筈さ」

そう説得されて、一同はレノックを見送った。
創る名無しに見る名無し [sage] 2019/02/04(月) 19:40:42.91:ERwvSJYI
早朝の森の中は常夏のカターナ地方とは思えない程、静かな冷気に包まれている。
レノックを含めた斥候部隊は、慎重に反逆同盟の本拠地へと向かった。
そこで一行が目にした物は……、

 「き、消えている……?」

何も無い空き地だった。
砦が丸々消失している。

 「逃げられたか……。
  それとも逃げてくれたと言うべきかな」

レノックの独り言に、斥候部隊の者達は複雑な表情をした。
全員「取り逃した」と言う悔しさより、明らかに「見逃してくれた」と言う安堵が勝っていた。
敵は強大で恐ろしい。
魔導師が何百人と集まった所で、勝てる気が全くしなかった。
皆の反応を窺って、レノックは独り思う。

 (少し刺激が強過ぎたか?
  完全に萎縮してしまっている。
  戦える敵と戦うべきでは無い敵を見極めさせる積もりが、これでは戦い自体を忌避し兼ねない。
  どこで出て来るか判らないルヴィエラを恐れて、戦えなくなってしまっては意味が無い)

完全に心を殺している処刑人は、こうした余計な事を考えないだろうが、普通の執行者を含む、
大多数の魔導師は、自分で思考して判断する事を許されている。
故に、強敵を前にして恐怖に足が竦む事もある。
難しい物だとレノックは小さく息を吐いた。
創る名無しに見る名無し [sage] 2019/02/04(月) 19:41:02.15:ERwvSJYI
ともかく決戦は先送りされた。
反逆同盟の一員であるビュードリュオンは死に、多くの魔導師達が真に恐ろしい物を知った。
否、魔導師達は真に恐ろしい物の片鱗を垣間見たに過ぎない。
未だ本当の恐怖を味わっていないのだ。
これを機に魔導師達が己の分を弁えてくれる事を、レノックは願った。
魔導師が何百人、何千人集まろうと、ルヴィエラを倒す事は不可能なのだ……。
創る名無しに見る名無し [sage] 2019/02/05(火) 18:49:40.34:EBo0Vnzm
next story is...
創る名無しに見る名無し [sage] 2019/02/05(火) 18:51:34.99:EBo0Vnzm
凶事は突然に


所在地不明 反逆同盟の新たな拠点にて


反逆同盟の長マトラは魔導師会に突き止められた拠点を放棄して、極寒の地に魔城を召喚した。
新たな拠点を極寒の地に定めた事に、同盟のメンバー達は不満を口にした。
ゲヴェールトが全員を代表してマトラに抗議する。

 「マトラ様、ここは寒過ぎます。
  拠点とするには不向きかと……」

 「私は何とも無いが?」

魔城の謁見の間にて、玉座に腰掛けたマトラは、気怠い声で答える。
大悪魔には寒さも暑さも関係無いのだ。

 「……不都合があるのは私だけではありません。
  昆虫人のスフィカさんも冷気には弱いでしょう。
  エグゼラの狐も、この寒さには参っています」

 「私に何をしろと言うのか……」

呆れて溜め息を吐く彼女に、ゲヴェールトは改めて訴えた。

 「どこか他の場所に拠点を移す訳には行かないでしょうか?」

 「それは難しいな。
  他の場所では魔導師会に直ぐ嗅ぎ付けられる。
  一々連中の相手をするのは煩わしいよ。
  新たな拠点が欲しければ、自分で造るのだな。
  そろそろ『同盟』の一員として『活躍』しても良い頃だろう?」

マトラは鼻で笑い、ゲヴェールト等の腑甲斐無さを指摘した。
共通魔法社会に反逆する集団の一員でありながら、何の活動もしない事は有り得ないのだ。
創る名無しに見る名無し [sage] 2019/02/05(火) 18:52:48.87:EBo0Vnzm
ゲヴェールトは反論出来ずに、悄々(すごすご)と立ち去った。
マトラは大きな溜め息を吐き、悉(すっか)り少なくなってしまった同盟のメンバーを思う。

 (ここも寂しくなってしまった物だ。
  弱気の虫が付くのも、解らんでも無い……。
  社会に動揺を与えているのは事実だけど、それだけでは何の利益も無いんだから。
  虚しくもなろうと言う物。
  だけど、尻を叩いて動かしてやらないと行けないってのは、何とも手の掛かる事だねェ。
  ……やっぱり同盟からの離脱者には制裁が必要だったか)

彼女は独り思い立って、玉座から腰を上げると、闇の中に姿を消した。
創る名無しに見る名無し [sage] 2019/02/05(火) 18:53:20.50:EBo0Vnzm
ブリウォール街道にて


世間を覆う不穏な空気とは裏腹に、晴れた穏やかな日の事。
精霊魔法使いコバルトゥスと、リベラとラントロックの姉弟、未知の魔法使いヘルザ、
そして獣人のテリアと鳥人のフテラの3人と2体は、ブリウォール街道を移動中だった。
獣人テリアと鳥人フテラは人の姿を取って、正体が暴(ば)れない様にしている。
大人しく正体を隠して、執行者との無用な衝突を避ける位の知恵は、2体にもあるのだ。
一行は一応は反逆同盟を止める事を目的としている物の、各地を旅して怪しい噂を聞き付けては、
反逆同盟との関連を調べる程度で、同盟と本格的な敵対はしない積もりだった。
しかし……。
今は未知の魔法使いヘルザが具合を悪くして、無人休憩所でリベラの看病を受けている所。
ヘルザの体調不良の原因は瞭(はっき)りせず、魔法で回復させる事も出来なかった。
どこが悪い訳でも無いのに、何故か魔法資質まで弱っている。
そんな訳で一行は彼女の容体が回復するまで足止めを食っていた。
――ブリウォール街道の中でも、ボルガ地方寄りの所に、森の中を通る道がある。
如何に大街道とは言え、沿道に絶えず商店が並び続けている訳では無い。
寧ろ、商店があるのは長い大街道の中の、本の数通の区間に過ぎず、それ以外は道を切り拓いた、
自然の儘なのが普通だ。
そして、どれだけ人通りが多くても、その様な区間は誰も彼も唯々通り過ぎるだけで、
少し道を外れると、全く人目に付かない。
だから、時々用を足しに道を外れる人が出る。
そんな余談は措いて、そうした「人通りは多いが特に何も無い区間」で一行が小休憩していると、
俄かに空が暗んで、冷たい風が吹き始めた。
天を仰いで眉を顰めるコバルトゥスに、リベラはヘルザから一時離れて問う。

 「一雨来そうですか?」

 「雨なら良いんだけどな……」

彼女は冷たい風と広がる雲に降雨の兆しを見ていたが、優れた魔法資質を持ち、精霊の声を聞ける、
コバルトゥスは恐ろしい物の気配を感じていた。
創る名無しに見る名無し [sage] 2019/02/06(水) 19:32:50.88:jRrceIgL
彼はリベラに問う。

 「ヘルザちゃんの具合は、どう?」

 「中々良くならない――いえ、寧ろ、酷くなって行ってるみたいで……」

 「彼女は勘が優れているのかも知れない」

暗雲の広がりは世界を覆う様で、昼間だと言うのに、丸で真夜中の如くになった。
吹き付ける冷たい風は、丸で真冬の如く。
流石に、これは奇怪(おか)しいと誰でも気付く。
リベラは不安気にコバルトゥスに身を寄せた。

 「ど、どうなってるんですか、これは……?
  コバルトゥスさん……」

コバルトゥスは彼女の肩を抱いて、冷気の中心を睨む。
そんな2人の様子を見て、ラントロックは不満気な顔をした。
義姉のリベラが他の男を頼るのが面白くないのだ。
その代わりに、フテラとテリアが彼に縋り付く。

 「こ、怖い……。
  マトラ様が来るよ……」

テリアの呟きを聞いて、ラントロックは目を見張る。

 「そんな馬鹿な……。
  あの人が、こんな所に現れるって言うのか?」

敵の親玉が軽々しく出掛けて姿を現すのかと彼は疑った。
しかし、彼女が現れるのであれば、これだけの異変が起きるのも納得出来る。
フテラはラントロックの袖を引っ張って言う。

 「は、早く逃げよう……!
  ここに居たら見付かる!」
創る名無しに見る名無し [sage] 2019/02/06(水) 19:34:31.93:jRrceIgL
彼女の忠告を受けて、ラントロックはコバルトゥスに呼び掛けた。

 「小父さん、マトラが現れるって!」

 「マトラって、あの女だろう?」

コバルトゥスは一度マトラと対面した事があった。
その時、彼女は精霊魔法に怯んで撤退した。
そこまで脅威になるのかと彼は疑問に思い続けていた。
もしかしたら返り討ちに出来るのでは無いかとも思うのだ。
だが、今の彼はリベラやラントロックを預かっている身。
危険が及ぶのが我が身だけなら未だしも、もしもの事を考えれば、ここで無理は出来ない。
彼はリベラに言う。

 「リベラちゃん、ラントロック達を連れて離れているんだ。
  『あれ』の目的が何かは判らないけれど、徒事じゃない事だけは確かだ」

コバルトゥスの指差す先、暗雲の中心には、真っ黒な雲の塊がある。
そこにマトラ事ルヴィエラが居るのだ。

 「コバルトゥスさんは……?」

 「一寸『あれ』の相手をしてみようと思う」

 「や、止めた方が良いですよ。
  一緒に逃げましょう。
  ヘルザちゃんも連れて――」

 「ヘルザちゃんには構わない方が良い。
  巻き込んでしまうだけだ。
  俺が奴の注意を引き付けておく。
  何れ戦う事になる相手なんだから、少し位は実力を見ておかないとな。
  大丈夫、逃げ足には自信がある」

その余裕の態度が、リベラを逆に益々不安にさせる。
創る名無しに見る名無し [sage] 2019/02/06(水) 19:40:22.85:jRrceIgL
この儘だとリベラも残り兼ねないので、ラントロックは彼女を急かした。

 「義姉さん、早く!」

リベラは一度ラントロックを見て、再びコバルトゥスに振り返る。

 「無理はしないで下さい」

 「ああ、分かってるよ」

コバルトゥスはウィンクして彼女に背を向け、迫り来る黒雲を見上げた。
彼以外は道を外れて、近くの森の中に駆け込む。
通行人も異変を察知して、足早に先に進んだり、来た道を引き返したりしている。
人気が無くなった大街道の真ん中で、独りコバルトゥスは精霊石を高く掲げた。

 「火の精霊よ、我が願いを聞き届け給え!
  その輝きを以って、闇を払い給わん!」

彼は精霊石を発光させた後、更に呪文を詠唱する。

 「光は集いて一振りの剣となる!」

精霊石は一層輝きを増しながら収束して、一条の光の束となる。
コバルトゥスは精霊石から無限に伸びる光の剣を、黒雲に向けた。
しかし、光は黒雲に吸い込まれるだけで、何の反応も無い。

 「……効いていないのか?」
創る名無しに見る名無し [sage] 2019/02/07(木) 18:38:26.28:NpJnvyEp
コバルトゥスは光の剣を照射した儘、黒雲からの反撃を待った。
嫌がらせの様な攻撃が効いていたのか、黒雲は彼の頭上に来ると、粘着いた黒い雨を降らせる。

 「うわっ、何だ、こりゃ!?」

コバルトゥスは光の剣を収め、器用に風を操って、黒い雨を浴びない様にした。
大地に溜まった黒い水は、複数の場所に寄り集まって黒い怪物の姿になる。
全部で6体。
それぞれの怪物は異なる姿を取っている。
ある物は犬の様であり、ある物は魚の様であり、又、熊の様であり、蟹の様であり、雄牛の様であり、
百足の様である。
怪物は緩りとした動きで、コバルトゥスを取り囲んだ。
黒雲は彼の頭上を通り過ぎて、大街道を外れ、森の中に向かう。

 (攻撃して来る者を無視してまで、誰を狙っている!?
  ラントロックか、それとも……)

コバルトゥスは再び光の剣を振るい、黒い液体の怪物達を薙ぎ払う。

 「退(ど)けっ!!」

光の剣を浴びた黒い液体の怪物達は、一瞬で蒸発した。
コバルトゥスは急いでリベラ等と合流しようとするが、精霊石が反応しない。
精霊石に込めた力を、今の戦いで使い切ってしまったのだ。
普通なら自然界に存在する魔力を回収する事で、精霊魔法を使うのに支障は出ない筈なのだが、
暗雲の影響で周囲の魔力が悪影響を受けて、利用し難くなっている。
創る名無しに見る名無し [sage] 2019/02/07(木) 18:39:31.10:NpJnvyEp
コバルトゥスは自分の足で走り、黒雲を追った。
何時もより体が重く、思う様に動けていないと感じるのは、魔法に慣れ過ぎた為か……。

 (俺が駆け付けるまで、無事で居てくれよ、皆!)

彼は祈る様な気持ちで、森の中に駆け込む。
一方、森の中を走っていたリベラ等は、黒雲が自分達を追って来ると理解し始めていた。
テリアは泣き言を漏らす。

 「や、やっぱり、マトラ様に逆らうんじゃなかった……!
  屹度、私達を粛清しに来たんだ!」

それを聞いたラントロックは彼女とフテラに言った。

 「フテラさん、テリアさん、俺達を置いて逃げてくれ。
  この儘、皆揃って全滅する位なら、そっちの方が良い」

フテラとテリアは人間であるリベラとラントロックに足を合わせている。
本気で逃走すれば、もっと遠くに逃げられる筈なのだ。
だが、フテラは頷かない。

 「そんな事は出来ない。
  私達は一緒だ」

お言葉に甘えて逃げ出そうと考えていたテリアは、慌てて言い繕う。

 「そ、そうだよ、そんな卑怯な真似が出来る物か!」

 「でも、この儘だと……」

そんな事を言っている内に、黒雲は一行の頭上まで来て、黒い雨を降らせた。
創る名無しに見る名無し [sage] 2019/02/07(木) 18:40:49.53:NpJnvyEp
黒い雨は森の木々を濡らしながら、地面に集まって、人の姿を取る。
それは丸で兵士の様だ。
鎧兜を身に着けて、手には槍を持っている。
黒い液体の兵士は数を増やして行き、十数人にもなって、一行を取り囲んだ。
闇は徐々に深まって行き、黒い兵士達をも呑み込んで、夜より暗い闇が辺りを支配する。
2人と2体は体を寄せ合い、お互いの存在を確かめた。
そうでもしなければ、暗闇の中で孤立してしまいそうだった。
闇の中では空も大地も失われ、全てが黒に包まれている。
マトラ事ルヴィエラは、暗闇の底から姿を現した。
リベラとラントロックは身構えるが、フテラとテリアは恐怖に縮み上がっている。
ラントロックは強気にマトラに尋ねた。

 「今更、俺達に何の用だ!」

マトラは不気味に笑って言う。

 「実は、戻って来て貰えないかと思ってな。
  同盟のメンバーも数が減って寂しくなってしまった」

 「そんな事を言っても、もう遅い!
  何も彼も、あんたが同盟の事を真剣に考えて来なかった所為だ!
  だから、皆死んで行ったんじゃないか!」

ラントロックの抗議にも彼女は平然として、申し訳無さを感じさせない。

 「どうも私は去る者を追うのが苦手でな。
  説得して止めてやる事が出来なかった。
  共通魔法使いと積極的に戦おうと言う者は貴重だったと、今更ながら気付いたのだ」

 「俺達を連れ戻して、どうしようって言うんだ?
  共通魔法使いと戦わせようって?
  冗談じゃない!」

言葉だけは反省している風のマトラに、ラントロックは威勢良く啖呵を切る。
創る名無しに見る名無し [sage] 2019/02/08(金) 19:09:49.58:/eshIdKB
マトラは両腕を胸の前で組んで、困った様に笑った。

 「中々頑固だな。
  そこまで嫌と言う者を無理遣り従わせるのも骨だ。
  『私の』敵になると言う認識で良いのだな?」

脅しを含めた問にも、ラントロックは屈しない。
若さと勢いだけで押し切る。
それはマトラの真の恐ろしさを知らないが故の無謀な勇気だ。

 「ああ!」

マトラは意地悪く笑って、今度はフテラとテリアに目を遣る。

 「お前達も同じか?」

震えて何も言えない2体に対し、彼女は嘲る様に更に問う。

 「私を裏切るのか?」

テリアは恐怖に耐え切れず、言い訳した。

 「い、いえ、そんな積もりは……」

 「では、どう言う積もりだ?
  所詮、お前達は人外の存在。
  人を食らう宿命の怪物だと言うのに、我が膝下を離れて、どうする積もりだったのか」

弱者を詰るマトラは本当に楽しそうだ。
数多の魔法使いの中でも、最も性格が悪いと言われるだけはある。
創る名無しに見る名無し [sage] 2019/02/08(金) 19:10:51.88:/eshIdKB
リベラはマトラの態度に怒りを覚えて、フテラとテリアの2体を庇い立った。

 「卑怯な!!
  脅して言う事を聞かせるなんて!」

意外な指摘にマトラは向きになって感情を露に反論する。

 「卑怯……?
  小娘がっ、粋がるなよ!!
  悪魔公爵の私に対して卑怯等と……!
  どこが卑怯だって言うんだい、ええ!?
  力弱いからと言って、脅しに屈する奴が悪いんじゃないか!
  悪魔は強者こそが絶対なんだ!
  弱者は踏み躙られて当然なんだよ!」

強大な悪魔貴族を卑怯と面罵する事は、絶対にしては行けない事だ。
誇り高い悪魔貴族は正面からの堂々とした力尽くを好む。
それは悪でも恥でも無く、正しい事なのだ。
フテラとテリアは逆上するマトラに益々怯えてしまった。
テリアは恐怖心を抑えられなくなり、堪らず逃走を図る。
それをマトラが見逃す筈は無く、彼女に向けて黒い雷を落とす。

 「こらっ、逃げるんじゃないよ!
  お前に人間の姿は未だ早かった様だねェ!!」

 「ギャーーッ!!」

落雷を受けたテリアは小さく縮み、一瞬で猫に変えられてしまった。
魔獣ですら無い、極々普通の猫だ。
創る名無しに見る名無し [sage] 2019/02/08(金) 19:15:03.35:/eshIdKB
知能まで獣以下に後退したテリアは、自分の姿に疑問を持つ事も無く、只管に逃走して、
闇の向こうに姿を消す。
マトラは次にフテラを睨んだ。

 「私に逆らうと言う事は、『あの様に』なると言う事だ……。
  何百何千年生きた魔物だろうと、私の前では小動物も同然。
  魔性を奪われ、命短い畜生に成り下がりたいか?」

それは長い年月を掛けて「成り上がった」フテラには、死刑宣告に近い脅しだった。
テリアを猫に変化させた魔法は、時が経てば解ける様な一時的な物ではない。
不可逆の絶対的で永続的な「退化」だ。
彼女は平伏してマトラに許しを乞う。

 「お、お許し下さい、マトラ様……!」

その姿にリベラとラントロックは衝撃を受ける。
フテラは恐怖の余り、マトラに屈したのだ。
マトラは心底愉快そうに邪悪な笑みを浮かべた。

 「良い良い。
  では、私と来てくれるな?」

フテラは弱々しい瞳で、許しを乞う様にリベラとラントロックの2人を見る。
ラントロックは強気にフテラを見詰めて、首を横に振った。
彼はマトラを睨んで言う。

 「フテラさんは連れて行かせない!」

マトラは高笑いした。

 「ファハハ、可愛いなぁ!
  丸で身分を弁えぬ、無知な子犬の如きよ!」

フテラは蒼い顔でラントロックを止める。

 「止せ、トロウィヤウィッチ!
  私が降れば、それで済むのだ」
創る名無しに見る名無し [sage] 2019/02/09(土) 18:47:24.88:B5/RrZMs
それは彼女なりに考えた上での行動だった。
自己犠牲の精神にマトラは大いに満足する。

 「そうそう、物分かりが良いな。
  賢い子は好きだよ。
  お出で」

彼女は手招きしてフテラを誘う。
フテラはラントロックに申し訳無さそうな一瞥を呉れて、マトラの元へ歩いて行った。
マトラは彼女の肩を叩いて、リベラとラントロックに振り向かせる。

 「では、私からの命令だ。
  そこの2人を殺せ。
  勿論、聞いてくれるよな?
  我が忠実な下僕よ」

リベラとラントロックは同時に言う。

 「卑劣なっ!!」

 「私が直接手を下しても良いのだが、それでは忠誠心を測れぬからな。
  どうした、何を躊躇う事がある?
  やれ!!」

罵倒も意に介さず、マトラはフテラに改めて命じた。
正か、こうなるとは思わず、フテラはマトラに許しを乞う。

 「マトラ様、どうか、お許しを……」

 「ならぬ!
  同盟を裏切ったのはトロウィヤウィッチも同じ事」
創る名無しに見る名無し [sage] 2019/02/09(土) 18:49:03.39:B5/RrZMs
必死の哀願もマトラに切り捨てられて、フテラは愈々困り果てた。
リベラとラントロックはマトラを睨んで身構えている。
フテラは己の勇気の無さを呪った。
本人の居ない所では、どれだけ平気で裏切りを働けても、結局強い者には逆らえないのだ。
マトラは何も出来ないフテラに、疑問の言葉を投げ掛ける。

 「何を躊躇う事がある?
  この私以上に恐ろしい物が存在するのか?
  お前が生き続ける為には、私に従う他に無いのだ。
  自分の心に素直になれ」

口では優しく言いながらも、マトラの目は少しも笑っていなかった。
彼女はフテラの本心、戦いから逃げたがる怯懦の心を見抜いているのだ。

 「……お前も人間の姿は未だ早かったか……。
  形(なり)ばかり人でも、心が伴わぬ物を、人とは呼ばぬよ」

天から落ちる黒い雷がフテラを打ち、彼女の姿を1羽の烏に変える。
フテラも又、猫に変えられたテリアの様に、遠くへ飛び去る。
ラントロックはマトラに怒りの言葉を打付けた。

 「何て事をするんだ!!」

 「私は何も悪い事はしていないよ。
  奴等に人間の姿は未だ早かった。
  それだけの事だ。
  恐怖に耐えて戦うでも無く、割り切って私に従う事も出来ず、その心は逃避を望んでいた。
  私は望みを叶えてやっただけ」

彼女の反論は詭弁染みていたが、嘘は無かった。
創る名無しに見る名無し [sage] 2019/02/09(土) 18:50:20.21:B5/RrZMs
マトラはラントロックを真っ直ぐ見詰めて言う。

 「さて、トロウィヤウィッチ、お前の番だ。
  改めて問おう、お前は私の下に降るか?
  否と答えれば――」

 「断る!!」

言い切らない内に拒否されたので、マトラは少し機嫌を損ねた。

 「命が惜しくない様だな」

 「そんな事は無い!」

 「……えー、詰まり?
  命は惜しいが、私に従うのは嫌だと。
  巫山戯けているのか?」

 「巫山戯けてなんかいない」

 「正か、私に勝てると思っているのか?」

その問にラントロックは答えられなかった。
勝てると言う自信は無い。
だが、ここで弱気に取り憑かれて、屈服する事だけは嫌だった。

 「勝てないと判っていながら、戦うか……。
  それも人間らしいのかもな。
  では、儚く散るが良い」

マトラは片手を上げて、強い圧力を発生させる。
創る名無しに見る名無し [sage] 2019/02/10(日) 18:45:17.38:VteYXGje
 「何時でも心変わりして良いぞ。
  真綿で首を絞められる様に、熟りと苦しんで行け」

彼女は緩やかに苦しみを増して行かせる事で、2人の変心を望んでいる。
――否、変心が起こるのは副次的な物だ。
実際は、そんな事等、考えてはいない。
彼女は人の苦しむ顔を見たいだけ。
保身と本心との間で葛藤し、保身を優先して屈する姿を見たい。
或いは、本心を貫いて、恨みを持ちながら苦痛に歪む顔を見たいのだ。
リベラはマトラの攻撃を防御する術を持たない。
魔法資質の差が大き過ぎて、防御に魔法を使う事が出来ない。
ラントロックは「裏技」で魔法を使えるが、正面からマトラと当たって打ち克つ事は難しい。
どこかで不意を突く事が出来なければ……。
その時、リベラが隠し持って(存在を忘れて)いた懐剣が輝いた。
ゲントレンから渡された守り刀だ。
攻撃的な魔力の流れを感知して、鞘と刀身に描かれた魔法陣から守護の魔法が自動で発動する。
マトラは驚きつつも、それが脅威で無い事を直ぐに見抜き、小さく笑う。

 「無駄な抵抗を……」

確かに、守り刀の魔法も1点と保たないだろう。
その間に何とか出来ないかとリベラはラントロックに問う。

 「ラント、貴方、何か持ってない?」

 「何かって、俺は道具なんか、そんな……」

何も無いと答えようとした彼は、1つだけある事に気付いた。
創る名無しに見る名無し [sage] 2019/02/10(日) 18:47:30.25:VteYXGje
彼は懐を漁って小瓶を取り出すと、逆様にして中の水を地面に覆(こぼ)し、水溜まりを作る。
これは魚人のネーラを召喚する為の水だ。
水の正体を知らないマトラは、小首を傾げる。

 「何をしている?」

ラントロックは守り刀の輝きを反射する水溜まりの水面を見詰めた。
そこには見覚えのある風景が映っている。
ソーシェの森の中に建てられたウィローの住家だ。
水溜まりの中では、ネーラがウィローの住家の裏庭にある井戸の傍で、水仕事をしていた。
――水を通じて空間が繋がった瞬間、ネーラはマトラの強力な魔力を感じて震えた。
そして、ラントロックの危機を理解した。
彼女は水が張られた洗濯桶に飛び込むと、瞬時にラントロック等の元に転移する。

 「トロウィヤウィッチ!」

彼女は上半身を水溜まりから出して、ラントロックの足を掴んだ。
そして強い力で水溜まりの中に引き摺り込む。
ラントロックはリベラに手を伸ばして、呼び掛ける。

 「義姉さん、俺に掴まって!
  逃げるよ!」

リベラは彼の手を掴み、諸共にネーラに水の中に引き込まれる。
同時に守り刀が折れて、その効力を失った。

 「ムッ、未だ奴が居たか!!」

マトラはネーラの姿を見て、眉を顰める。
既にリベラとラントロックは水溜まりの中に姿を消した後。
創る名無しに見る名無し [sage] 2019/02/10(日) 18:49:08.04:VteYXGje
ネーラによってリベラとラントロックは、ウィローの住家に転移させられた。
洗濯桶の中から飛び出した2人は、芝の上に転がって、肩で息をする。
ネーラは直ぐに洗濯桶を引っ繰り返し、水鏡を封じて、マトラが追跡出来ない様にした。

 「あ、有り難う、ネーラさん。
  助かったよ……」

ラントロックは安堵の息を吐きながら、ネーラに礼を言う。
ネーラは彼を睨んで厳しい言葉を打付けた。

 「私が居なければ主は殺されていた」

 「あ、ああ」

それは否定出来ない事実だ。
ラントロックは肯かざるを得ない。

 「もう危険な事は止めてくれ……。
  私は主を失いたくはないよ」

真剣なネーラの訴えに、彼は怯んだ。
反逆同盟と戦っていれば、何れルヴィエラとの衝突は避けられなくなる。
それでもラントロックは首を横に振り、彼女を抱き締めながら言う。

 「有り難う、ネーラさん。
  俺の事を心配してくれて。
  でも、俺は逃げ出す訳には行かない。
  解ってくれないか?」

ネーラは何も言えなくなり、抱かれる儘だ。
その様子にリベラは女誑しだなと思いながら、義弟に冷めた視線を送っていた。
創る名無しに見る名無し [sage] 2019/02/11(月) 18:32:53.65:uzqulgfT
2人を取り逃したマトラは小さく息を吐く。

 「まあ良い、2体は始末した。
  次第に野生に帰り、永遠に元に戻る事はあるまい」

彼女は全く興味が失せた様に引き揚げる。
黒雲は瞬く間に収まり、晴天が戻った。
凍える様に冷たい風も穏やかで温かい物に変わる。
マトラが存在していた痕跡は影も無い。
彼女が創り出した空間では、時間の流れが歪む。
長らく話し合っていた様に思えても、現実の時間では1点も経過していない。
悪魔公爵の能力を以ってすれば、その位の事は容易に可能なのだ。
コバルトゥスがリベラ等の居た場所に駆け付けた時には、既に誰も居なかった。

 「遅かったか……!」

彼は焦燥を露にして、力の戻った精霊石を高く掲げた。

 「応えてくれ、リベラちゃん!」

彼はリベラにも精霊石を持たせている。
精霊石同士は感応して、通信機の様な役割も果たす。
もし無事ならば応答がある筈だ。
精霊石の中を覗き込むと、彼女が持つ精霊石の風景が映り込む……。
創る名無しに見る名無し [sage] 2019/02/11(月) 18:34:14.68:uzqulgfT
ウィローの住家で休んでいたリベラは、バックパックからの魔力反応に気付いて、中を漁り、
輝く精霊石を取り出した。
精霊石を見詰めると、その中にコバルトゥスの顔が映る。

 「あ、コバルトゥスさん!
  大丈夫ですか?」

 「大丈夫かって、こっちの台詞だよ!
  全員無事なのかい?」

コバルトゥスの問にリベラは表情を曇らせた。

 「……全員ではありません。
  フテラさんとテリアさんが……」

 「彼女達が?」

 「動物に変えられてしまって……。
  どこかに逃げ出した儘なんです。
  その辺に猫と烏が居ませんか?」

コバルトゥスは辺りを見回したが、それらしい物は見当たらない。
魔力の反応を探ってみても、特に引っ掛かる物は無かった。

 「いや、全然……分からない。
  とにかくリベラちゃん達だけでも無事で良かった。
  今、どこに居る?」

 「ウィローさんの家です」

 「そりゃ豪い遠くに……。
  直ぐ、そっちに向かうよ」

 「ヘルザちゃんの事、忘れないで下さい」

 「分かってる、分かってる」
創る名無しに見る名無し [sage] 2019/02/11(月) 18:35:21.41:uzqulgfT
そう返事をした彼は精霊石による通信を終えて、ヘルザの元に引き返した。
ヘルザは起き上がって、不安気な顔で待っていた。
彼女はコバルトゥスを認めると、急いで駆け寄る。

 「コバルトゥスさん、皆は無事ですか!?」

 「ああ、どうにか遠くに逃げた様だ。
  ……でも、フテラとテリアが……」

殺されてしまったのかと早合点して、ヘルザはショックを受けた顔で口元を押さえた。
コバルトゥスは慌てて言葉を継ぎ足す。

 「いや、死んでしまった訳じゃなくて、動物に姿を変えさせられてしまったらしい。
  どこに逃げたのか……。
  とにかくラント達と合流しよう。
  所で、もう具合は良いのかい?」

彼の問にヘルザは俯いて答える。

 「はい……。
  雲が晴れると同時に、気分も良くなって……」

 「それは良かった」

安堵するコバルトゥスだったが、ヘルザは強く否定した。

 「良くありません!
  私は恥ずかしいです。
  私も戦わないと行けない時に、自分だけ気分悪くなって倒れているなんて……」

彼女は自分の体調が悪化した原因に心当たりがある様子だった。
創る名無しに見る名無し [sage] 2019/02/12(火) 18:34:06.72:SSt0q3lj
コバルトゥスも確信までは持っていないが、何と無く彼女の体調不良の原因は察している。
恐らくは、マトラ事ルヴィエラの強大な魔法資質に中てられて、本能的に身を守る対応をしたのだ。
言い方は悪いが、所謂「仮病」、狸寝入りの様な物だ。
魔法資質を抑えて、相手に見付からない様に弱体化した様に振る舞う。
意図して行っている訳では無く、本能的に身に付いた物だから、自分で制御も出来ない。
コバルトゥスはヘルザを慰めた。

 「でも、それで助かったとも言える。
  もしかしたら君は、俺達より早く予兆を掴んでいるのかも知れない。
  魔法資質が優れているのか、それとも他の感覚とのリンクが鋭敏で繊細なのか……。
  どちらにしても、上手く利用出来れば、例えば不意打ちを防いだり、活用方法はあると思う」

 「私でも、お役に立てるんですか?
  どんな事でもします!」

 「ああ、そう言う事は余り言わない様にしようね。
  何でもとか、どんな事でもとか、そう言うのは」

コバルトゥスは苦笑いして、彼女の肩に手を置く。

 「これからラント達と合流しに行く。
  今はソーシェの森に居るらしい」

 「ソーシェの森?」

 「……魔女の婆さんの家だよ」

 「ええっ、そんな遠くに……って、あっ、ネーラさんか!」

遠隔地に瞬間移動する魔法をヘルザは知っていた。
創る名無しに見る名無し [sage] 2019/02/12(火) 18:35:04.67:SSt0q3lj
コバルトゥスとヘルザはレノックの助力で、空を旅してソーシェの森に飛んだ。
フテラとテリアを失い、一行は再びウィローの住家に戻される。
そこで全員で改めて、反逆同盟と戦う旅の危険に就いて、話し合う事となった。
ラントロックは正直に、マトラが自分達を襲った理由を語る。

 「マトラは俺達を裏切り者として始末しようとしていた。
  今回は逃げられたけど、次は分からない。
  ヘルザ、それでも未だ俺と来るかい?」

ヘルザは即断で肯いた。

 「私も裏切り者なんだし……。
  私にも出来る事があるなら。
  どんなに危険でも良いよ」

次にラントロックはコバルトゥスとリベラを見る。

 「小父さんと義姉さんも、良いの?
  俺達と一緒に居ると、又マトラに狙われるかも知れない」

リベラは強気に答えた。

 「だからって、家族を見捨てる人が居るの?
  余計に放って置けないでしょう」

コバルトゥスも続いて頷く。

 「敵の親玉が向こうから出向いてくれるなら、好都合じゃないか」

ラントロックは何だか嬉しくなって、含羞みながら答えた。

 「有り難う、皆」
創る名無しに見る名無し [sage] 2019/02/12(火) 18:35:36.81:SSt0q3lj
それを見ていたネーラは、ラントロックに改めて水を詰めた小瓶を渡す。

 「主の力になりたいと思っているのは、私も同じだよ。
  フテラとテリアの事は残念だったけど、私の力が必要になったら、何時でも呼んでくれ」

ラントロックは小瓶を受け取りつつ、この場に残る彼女が心配で言った。

 「ネーラさんこそ大丈夫なのかい?
  もし、ここにマトラが現れたら……」

 「私には水鏡の魔法があるから大丈夫。
  海でも川でも、どこにでも逃げられる」

遣り取りを傍で聞いていたウィローは眉を顰める。

 「私が大丈夫じゃないんだけどね……」

リベラは申し訳無さそうに、彼女に言う。

 「ウィローさんも私達と一緒に行きませんか?」

 「ヘッ、冗談だよ。
  若い子には付いて行けないさ。
  私も旧い魔法使いの一人、自分の事は自分で何とかするさね」

ウィローは苦笑いして断った。
こうして一行は再び反逆同盟と戦う決意を新たにする。
人の姿を失って逃走してしまったフテラとテリアも探しながら……。
創る名無しに見る名無し [sage] 2019/02/13(水) 18:29:07.70:9LNLgkWn
next story is...
創る名無しに見る名無し [sage] 2019/02/13(水) 18:30:32.21:9LNLgkWn
悪魔の支配する街


所在地不明 極北の地 反逆同盟の拠点にて


反逆同盟の拠点に帰還したルヴィエラを待っていたのは、血の魔法使いゲヴェールトの体を借りた、
彼の祖先ヴァールハイトだった。

 「マトラ公、どこに行っていた?」

 「裏切り者を処分しにな」

 「誰の事だ?」

 「B3Fのフテラとテリアだ。
  魔性を奪い、動物に戻してやった」

マトラは失敗したラントロックの事は口にせず、恰も目的は完全に達成したかの様に答える。
ヴァールハイトの顔が少し緊張した。
マトラは彼の顔を見て意地悪く笑う。

 「お前達も私に処分されたくなければ、少しは役に立って見せろ。
  どうすれば私に『貢献』出来るのか考えるのだな」

それは何も行動を起こさなければ、何れ処分すると言う宣言とヴァールハイトは受け取った。

 「……分かった。
  私も無為に過ごしていた訳では無い。
  温めていた計画を実行に移すとしよう」

 「期待しているぞ」

漸く動き出した彼に、マトラは満足して頷いた。
そして相手を思い通りに動かすには、やはり恐怖が必要なのだと確信したのだった。
創る名無しに見る名無し [sage] 2019/02/13(水) 18:31:07.33:9LNLgkWn
ブリンガー地方北東部の都市マールティンにて


マールティン市はブリンガー地方の中でも古い景観を残した都市である。
現在でも妖獣から街を守る為の外壁が残っており、その様は旧暦の城塞都市を思わせる。
外壁は補修を繰り返して、復興期の外観を保っているが、これは観光の為であり、今時妖獣の襲撃に、
怯える様な人は居ない。
しかしながら、ブリンガー地方の中でも開発が遅く、長らく妖獣が脅威だった事実があり、
それ故に他の都市が外壁を撤去した後も、ここには外壁が残った。
マールティン市は北にシェルフ山脈、南にベル川に繋がるワルル川、東西にドゥーテの森があり、
宛ら陸の孤島であった。
ドゥーテの森は『猜疑』を意味する名の通り、人を惑わす森とされており、行方不明者が多発する、
不気味な森とされている。
迷信深い田舎者達は、この森の開発には乗り気で無かった。
地理的にシェルフ山脈を越える事は論外。
その為に他都市との交流には南のワルル川を越える必要があり、これがマールティン市周辺の、
開発が進まなかった理由である。
今ではワルル川に橋が架けられ、交通の便も幾らか良くなったが、マールティン市は辺境都市と言う、
扱いに変わりは無い。
創る名無しに見る名無し [sage] 2019/02/13(水) 18:32:36.30:9LNLgkWn
ヴァールハイトが狙ったのは、このマールティン市だった。
余り人の交流が活発で無く、都市を囲む外壁もある為に人の出入りの管理がし易い。
領地にするなら、ここを候補の一つにと彼は決めていた。
自分の血を飲ませた者を操ると言う、彼の特殊な魔法の性質は、近代化された都市の掌握に、
とても都合が好い。
田舎の小村では精々井戸水に血を混ぜる位しか方法は無かったが、上水道の整備された所では、
主要な配水管に血液を混ぜるだけで良い。
彼の血は1杯の水に1滴垂らすだけで効果がある。
これを飲んだ者はヴァールハイトの命令で、自由意思を失って動く人形の様になる。
血液の摂取を繰り返し、より支配が強まれば、記憶や意識の改竄も行える。
それも命令が下るまでは、全く自覚が無く、問題無く日常生活が送れるので、もしかしたら、
一生操られていると気付かないかも知れない。
その地域で暮らしていれば、水道の水を飲まない者は殆ど居ない。
ヴァールハイトは水道水に血液を混ぜてから、定期的にマールティン市を訪れて、自分の血の支配が、
どの程度まで浸透しているか確かめた。
そして、市内の殆ど全員が血の支配下に置かれた事を認識して、密かに行動に移った。
彼は市役所にて戸籍を改竄し、昔から馴染みのあった人物の様に振る舞い、やがては市長よりも、
遥かに権力を持つ影の存在となった。
創る名無しに見る名無し [sage] 2019/02/14(木) 19:50:57.63:anPmDBgf
それは引退した政治家の様な存在だ。
実質的な権力を持たない筈のに発言力と影響力があり、影で有力者達を動かす……。
もし正気の人間が居たなら、聞いた事も無い様な人物が何時の間にか、マールティン市の大物として、
君臨している事を奇妙に思うだろう。
しかし、この市内に暮らしている人間は、彼の存在を疑問に思う事が出来ない……。
否、1人だけ居た。
それは市内の魔法道具店の店員マトリ・タカラだった。
タカラはボルガ地方出身の魔導師で、マールティン市の水が体に合わなかった。
故に、水道水を口にする事は無く、態々飲料水を雑貨屋で買っていた。
念には念を入れて、調理に使う水まで売り物の飲料水を使う位の徹底振り。
この為にタカラはヴァールハイトの血の魔法に影響されずに済んでいたのである。
彼女が異変に気付いたのは、店長との何気無い会話中だった。

 「タカラ君、今日は例の集会に出掛けるから、留守を宜しく」

 「例のって何ですか?」

 「あれだよ、マイストルさんの」

 「マイストル?」

 「あれ?
  タカラ君は知らないの?
  マイストル・レッドールさんだよ。
  超有名人じゃないか」

タカラは彼が何を言っているか解らず、気味悪く感じた。
創る名無しに見る名無し [sage] 2019/02/14(木) 19:51:56.21:anPmDBgf
店長は半笑いで丁寧に説明する。

 「知らないって事は無いだろう?
  タカラ君、ここに来て何年?」

 「えー、4年ですが……」

 「4年も居たら、どこかで話位は聞いてると思うけどなぁ?
  マールティン市では、とにかくマイストルさんに話を通さないと事が進まないんだよ」

 「初耳です」

 「最初に説明したと思うけどなー?」

 「どんな人なんですか?」

 「全く知らないの!?
  ウーム……。
  でも、余り人前に姿を現す人ではないから、有り得ない事では無いのかな……」

タカラは自分の記憶を疑い、何度も自分自身に問い直してみたが、知らない物は知らない。
店長は更に意味不明な説明を始める。

 「いや、しかし、数月に一度は集会があるからな……。
  知らない筈は無いんだよ」

 「集会も初耳なんですけど……。
  そんな習慣ありませんでしたよね?」

 「いや、あったよ?
  タカラ君、大丈夫?」

自分が奇怪しいのかと、タカラは段々自信が無くなって来た。
創る名無しに見る名無し [sage] 2019/02/14(木) 19:53:36.98:anPmDBgf
彼女が腑に落ちない心持ちで店番をしていると、顔馴染みの客が話し掛けて来る。

 「今日は、タカラさん。
  店長は?」

 「集会です」

 「あぁ、マイストルさんの所か!
  そうだった、そうだった。
  集会の日だったね」

この客もマイストルと言う人物を知っている。
タカラは愈々自分に自信が無くなって来た。
彼女は馴染み客に問う。

 「集会って何をするんですか?」

 「えっ、知らないのかい?
  タカラさんは一寸前に来たばかりだから仕方無いのかな?
  市内の有力者、詰まり、市長とか地区長とか社長とか、大きな店だと支社長の事もあるけど、
  そう言う人達がマイストルさんの呼び掛けで集まって、色々話し合うんだよ。
  街の将来とか、何か事業を興そうとか、そう言う事で後々問題が起こらない様にとかね。
  マイストルさんは調整役って所かな」

やはり聞いた事が無いと、タカラは首を捻った。
4年も暮らしていて、一度たりとも、そんな話は耳にしなかった。
最近始まった習慣なら未だ解るが、そうでも無い。
暫く途絶えていて、最近になって再び始まったと言う訳でも無い。
創る名無しに見る名無し [sage] 2019/02/15(金) 19:02:06.01:BZ4Ab673
夕方に帰って来た店長に、タカラは尋ねる。

 「お帰りなさい。
  集会の様子は、どうでしたか?」

 「はは、どうって事は無いよ。
  近況を報告して、食事なんかして、それで解散さ。
  飲み会みたいな物だねぇ」

店長の顔は仄り赤く、少し飲んだ後の様だ。
こんな事は今まで一度も無かった。
この店長は真面目な人柄で、勤務中に酒を飲む事は有り得なかった。
集会に出掛けるのは、休養扱いなのだろうか?
それとも仕事だと考えているのか?
タカラは疑いの眼差しを向けて言う。

 「勤務中に飲酒は良くないですよ」

 「あー、いやいや、今日は休暇って事にしとくから。
  固い事言わないで。
  勤務中じゃないから、良いの良いの。
  何時もの事だよ」

飲酒の所為で好い加減になっているのかと彼女は怪しんだ。
「休暇と言う事にしておく」と言う台詞も有り得ない。
店長は公私を確り区切る人だった。
休むなら休むで、最初から決めておく人だ。
飲酒したから休暇と言う事にしようと考える、自堕落な人では無い。
そもそも酒を飲む集会に参加するのが初めてだと言うのに。
創る名無しに見る名無し [sage] 2019/02/15(金) 19:03:18.81:BZ4Ab673
マイストルと言う人物が何者なのか、タカラは店長に尋ねた。

 「店長、マイストルさんは何をしていた人なんですか?」

 「知らないよ。
  だけど、私が来た時から、今みたいな感じだったから……。
  元市長とか議員とか、そんな所じゃないか?
  魔導師って事は無いからなぁ」

 「店長、何時からマールティン市に勤務してました?」

 「10年位前から」

 「マイストルさんは、どんな感じの人なんです?
  性格とか容姿とか……」

 「年齢にしては若々しい人だよ。
  50歳位だったかな?
  60歳だったかも……。
  とにかく、その位の人だ。
  性格は気削(きさく)だけど、妙な威圧感って言うか、近寄り難い雰囲気がある。
  見た目は白髪交じりで細身だけど、背筋の伸びた人で、若い頃は持てたんだろうなぁって……。
  そうそう、ジョイエルと言う、お孫さんが居るんだ。
  彼の若い頃に、よく似ているらしいけど、余り姿を見せないらしいから、詳しい事は分からない」

そこまで語れると言う事は、少なくともマイストルは実在しているのだろうと感じる。
架空の人物では無い。
では、どうしてタカラは彼の事を知らなかったのか?
偶々知る機会を逸し続けただけなのか?
彼女は混乱の中で徐々にマイストルの存在を認めつつあった。
創る名無しに見る名無し [sage] 2019/02/15(金) 19:05:34.30:BZ4Ab673
それが覆るのは、翌日の事。
魔法道具店に魔導機の定期発注をしようとしていた時だった。
タカラは店長に尋ねる。

 「発注は先月と同じで良いでしょうか?」

 「あ、待ってくれ!
  在庫それ程減ってないから、今月は要らないよ」

 「えーと、どれの発注を止めるんですか?」

 「どれじゃなくて、要らない」

 「……0って事ですか?
  えっ、全部?
  新製品とか安くなってるのとかありますけど……」

彼女は耳を疑った。
この魔法道具店はマールティン市で魔導機を扱う唯一の店舗だ。
使い捨ての魔力石の様な消耗品まで取り寄せないと言う事は先ず無い。
所が、店長は浅りと切り捨てる。

 「要らない、要らない」

 「無くなったら困りません?
  在庫があると言われても、不測の事態に備えて、常に1月分は余裕を確保しておくって……。
  そう言う話でしたよね?」

欠品があっては市民生活に混乱が生じるのではと、彼女は懸念していた。
事故や災害で納品が遅れる事は有り得るし、運送だけで無く、生産に問題が生じる場合もある。
それは極々常識的な判断だ。

 「これからは方針を変えようと思ってね。
  不良在庫が積み上がるのは良くない。
  欠品が出たら、その時は、その時だ」

店長は楽観的だが、本部から叱責を受けるのではないかと、タカラは心配する。
どうも店長の様子は奇怪しい。
それと言うのも、謎の集会に出掛けてから……。
創る名無しに見る名無し [sage] 2019/02/16(土) 19:30:49.84:KXMBvXfO
更に翌日、仕事休みのタカラが市内を歩いていると、工事現場に出会した。
そこは最近、魔法陣強化の工事を行ったばかりの所で、何か不手際でもあったのかと彼女は心配する。
一応魔導師であるタカラは、工事現場の交通警備員に話し掛けた。

 「済みません、責任者の方は、どこですか?」

 「えっ、何の用です?」

 「この工事は何なのかと思って。
  最近、工事したばかりですよね?
  何かミスでもあったんですか?」

 「いえ、私には分かりません」

 「……ですから、話の分かる方は、どこですかと」

警備員は迷惑そうな顔をしたが、タカラは引き下がる積もりは無かった。
とても嫌な予感がするのだ。

 「少し待っていて下さい」

警備員は渋々責任者を呼びに行った。
通信機を使わないのかと、タカラは不思議がる。
数点して、警備員は同じく迷惑そうな顔をした現場責任者を連れて、戻って来た。

 「一体、何なんですか?」

責任者は溜め息交じりに問う。
創る名無しに見る名無し [sage] 2019/02/16(土) 19:31:51.87:KXMBvXfO
タカラは穏やかな口調を心掛けて、彼に尋ねた。

 「この工事は何をしてるんですか?
  魔法陣の強化工事は先月終わった筈ですよね?」

責任者は面倒臭そうに答える。

 「あー、魔法陣の結界が完全じゃなかったんで、張り直しをしようって事になりまして」

 「魔導師会から?」

 「えー、そうなんじゃないでしょうか?」

タカラは彼の回答に嘘がある事を見抜いた。
視線を逸らして、嫌そうな顔をしているのは、追及を避けたがっている証拠。
彼女は鎌を掛ける。

 「魔導師会から、その様な指示があったとは聞いていません」

魔導師会が魔法陣の更新を決定しても、魔法道具店に連絡する事は無い。
同じ魔導師会に属する組織でも、全く無関係の部署と業務なのだから。
責任者は困った顔になって言い訳する。

 「知りませんよ。
  やれと言われたから、やってるんです」

 「誰に?」

 「市長じゃないんですか?
  それか市議会?
  他に道路工事の予算を下ろせる人は居ないでしょう」

ここでも彼は惚けている。
創る名無しに見る名無し [sage] 2019/02/16(土) 19:33:55.69:KXMBvXfO
中々本当の事を言おうとしない責任者に、タカラは溜め息を吐いた。

 「では、市議会の議事録を見れば経緯が判りますね?」

 「知りませんよ。
  そうじゃないんですか?」

タカラは舌打ちして、彼に詰め寄った。
彼女は魔法資質を高めて凄み、精神的な圧迫感を与える。

 「嘘を吐かないで下さい。
  魔導師に隠し事は無駄です。
  この工事が誰の指示で行われたのか、貴方は知っています」

そして質問をするのでは無く、強気に断定した。

 「わ、私は言われた通りの事をするだけです……。
  社長の指示ですよ……」

 「そう言う事じゃないんですよ。
  その社長が誰の指示を受けていたのか、貴方は知っていますよね?」

 「そ、そこまで判ってるなら、貴女も知ってるでしょう……?
  態々私の口から言わせる必要があるんですか?」

ここまで言ったら、もう自白したも同然だ。
この街で「最も影響力のある人物」は、1人しか居ない。

 (マイストルか……)

念の為に彼女は市役所に赴いて、市議会に議事録の確認をしに行く。
創る名無しに見る名無し [sage] 2019/02/17(日) 19:51:34.62:T2apEXXM
真面に市議会を通ったのか、それとも議会を無視して横車を押したのか、どちらにしても、
後で更に魔導師会にも確認を求める必要がある。
市役所に着いたタカラは議事録の提出を求めた。
しかし、市議会の議事録には魔法陣を張り直すだとか、魔法陣に問題があると言う様な事は、
一切書かれていなかった。
未だ議事録に書かれない内に、即日工事が行われると言う事があるのかと言えば、先ず無い。
だが、絶対に無いとは言い切れない。
反共通魔法社会組織が暗躍している今、魔法陣の欠陥は重大な危機に繋がる。
魔導師会への連絡を後回しにする事も有り得るかも知れない。
こう言う時に問題が起こらない様に、議事録には正式な文書化する前の、当日の議会の速記をその儘、
議事録に載せる事がある。
それも出来ない場合は、何日に何の議題で市議会が開かれたかと言う事だけでも、書き記しておく。
そうした痕跡も無いと言う事は、市議会で魔法陣の何や彼やが議題になった事は無いと言う事だ。
市役所を後にしたタカラは、次に魔導師会に確認を求める事にした。
これには通報の意味合いもある。
もし邪悪な企みがあるなら、魔導師会が暴いて打ち砕いてくれるだろうと、彼女は期待した。
創る名無しに見る名無し [sage] 2019/02/17(日) 19:54:10.93:T2apEXXM
魔導師会への連絡は魔力通信によって行うのだが、携帯魔力通信機は比較的高価である。
殆どの魔力通信機は備え付けの物だ。
今は一家に一台は固定の魔力通信機がある時代だが、少し古い家や田舎、貧しい家になると、
魔力通信機が無くとも珍しくは無い。
設置の為の初期費用が高価であり、通信費に上乗せして分割支払いで返済する事になるのだが、
これが中々緊(キツ)いのである。
既に建築された家に後から据え付けるより、新築に設置する方が安価で済むと言う事情もあり、
固定魔力通信機の普及率は都市部でも6割前後と言う所。
優れた魔法資質を持つ魔導師であれば、通信機も必要無いのだが、そんな者は中々居ない。
だが、魔法資質が余り高くない者でも、通信機無しで魔力通信を無料で使える裏技がある。
それは……魔力通信の中継基地の近くで、直接魔力ラジオウェーブに乗る方法だ。
上手くやらないと混信したり、通信内容が漏れる虞があるので、そうそう試そうとする者は居ないが、
タカラは魔導師なので、その技量に関しては問題は無かった。
は独り暮らしで固定の魔力通信機を持っていなかった彼女は、市内にある中継基地を探した。
市内の中継基地は市の中心部にある。
他の中継基地は山の中なので、これが最も利用し易い。
そう彼女は思っていたのだが、この中継基地でも工事が行われていた。
タカラは驚きと共に、恐怖に近い感情を抱き、交通警備員に食って掛かる。

 「何故、工事をしているんですか!?」

 「えぇ、私に聞かれても……。
  危ないですから中に入らないで下さい」

 「責任者を呼んで下さい!
  一体これは、どう言う事ですか!」

タカラは何者か(恐らくはマイストル)が、マールティン市を孤立させようとしていると感じた。
創る名無しに見る名無し [sage] 2019/02/17(日) 19:55:17.74:T2apEXXM
彼女の剣幕に圧されて、警備員は工事の責任者を呼んで来る。

 「これは誰の指示ですか!?
  魔導師会は何も許可していませんよ!!」

 「そう言われても……。
  私達も仕事だから、やっているだけでして」

 「どこの誰が、やれと言った!?
  こんな事!!」

タカラは責任者に詰め寄り、怒号を放って威圧した。
責任者は後退りしながら、口篭もる。

 「い、いえ、それは……」

 「誰だっ!!」

 「マ、マイストルさんです……。
  魔法陣に欠陥があるから、全ての関連施設を見直すと……。
  工事費用も何とか工面するからと言う話で……」

一体どこに、そんな金があるのかとタカラは疑った。
マイストルは一体どれだけの大人物なのか?
金も権力も持った大物が、全く正体を知られる事も無く、隠居していたと言うのか?
何とか魔導師会に、この異様さを伝えなくてはならないと、彼女は思い切って街を出る事にした。
折角の貴重な休日を潰して、何をしているのかと言う思いはあったが、街に危機が迫っているのだ。
創る名無しに見る名無し [sage] 2019/02/18(月) 20:03:31.88:Fzmbq7D6
タカラは誰も言わずにマールティン市を脱出する積もりだった。
この街の住人は皆、奇怪しくなっている。
街の出身者だけに限らず、店長までも。
タカラが街を取り囲む外壁を通り抜けようとした所、普段は居ない都市警察の門番が居た。
それも1人や2人では無く、5人程度の集団で。
彼女は困惑する。

 (どうして都市警察が?
  私を外に出さない様に……?
  いやいや、それは流石に考え難い。
  もしかして誰も街から出さない気?)

魔法で門を飛び越えても良いのだが、それより先に事情を知っておこうと、彼女は敢えて自ら、
都市警察に話し掛けた。

 「今日は。
  どうしたんですか?
  何か事件でも?」

都市警察の男性警官は、一礼をして応じる。

 「いえ、最近各地で外道魔法使いの反共通魔法社会組織が暗躍していると言う事で。
  都市警察も魔導師会と協力して、不審人物が居ないかを見張る事になったんです。
  幸い、マールティン市には外壁が残っていますから、ここで人の出入りを監視しようと。
  取り敢えず、ここを通る人には身分証を提示して貰う様にしています」

 「そう言う風に魔導師会から要請が?」

タカラは疑心暗鬼になっていた。
創る名無しに見る名無し [sage] 2019/02/19(火) 19:11:24.78:aO0bzLDr
警官は自信に満ちた笑顔で答える。

 「具体的な要請があった訳では無いんですけど、都市警察でも出来る事があるんじゃないかと。
  我々都市警察には魔導師会の執行者程の信頼はありませんから……。
  こう言う事で少しでも市民を守る事が出来れば」

 「誰の発案なんですか?」

 「えっと、誰とかじゃなくて、都市警察は都市警察で、出来る事をやって行こうって言う、
  都市警察の自発的な……」

 「本当に自発的なんですか?」

ここでもマイストルの意向が働いているのではと、彼女は疑っていた。
警官は正直に答えようとして、難しい顔になった。

 「……上からの命令って言われたら、それまでなんですけど……。
  えー、詰まり、都市警察全体の動きと言いますか……。
  魔導師会に任せるんじゃなくて、我々も何かしないと存在価値が疑われるって話で……」

 「マイストルさんとは無関係?」

 「それは……どうなんでしょう?
  一寸、分かりません」

マイストルとは無関係なのかと、タカラは安堵する。
そう、幾らマイストルでも、街の全てを掌握する事は、恐らく不可能なのだ。
何も彼もがマイストルの仕業と決め付けてしまうと、今度は味方を失う。
タカラは改めて通行許可を求めた。

 「所で、ブリンガー市まで行きたいんですけど、通して貰えますか?」

 「ブリンガー市に何をしに?」
創る名無しに見る名無し [sage] 2019/02/19(火) 19:16:52.67:aO0bzLDr
都市警察の問に、彼女は眉を顰める。

 「そこまで言う必要があるんですか?」

 「差し支えなければ、教えて頂けると有り難いです」

丸で戒厳令だと彼女は呆れるが、強ち間違いでも無い。
共通魔法社会は危険な状況にあるのだ。
タカラの態度は、自分の地域が被害に遭っていないからと言う、無関心から来る物に過ぎない。

 「何と言われても困るんですけど……。
  ここを通る全員に一々確認してるんですか?」

 「ええ、はい」

 「えー、じゃあ、買い物って事で。
  身分証の提示が必要なら、はい」

タカラは警官の求めに応じて、適当に理由を付けて、身分証も提示した。
警官は用紙に書き留めて、通行を許可する。

 「どうぞ、お通り下さい」

 「大変ですね」

 「ええ、はい」

2人は互いに愛想笑いする。
こうしてタカラは漸くマールティン市から脱出した。
創る名無しに見る名無し [sage] 2019/02/20(水) 19:04:39.14:lOeaRz3H
ブリンガー市に着いた彼女は、直ちにブリンガー地方魔導師会本部に駆け込んだ。
そしてマイストル・レッドールなる人物の存在とマールティン市の状況を報告した。
数日の調査の結果、その様な人物は実在する物の、戸籍は最近になって作られた事が判明。
魔導師会は既に音信不通となっているマールティン市に向けて、偵察の為に執行者1部隊を派遣した。
タカラは事態が解決するまでブリンガー市に留まる事に。
所が、送り込んだ執行者が帰って来ない。
連絡はマールティン市到着で途絶えた儘。
これは愈々深刻だと考えた魔導師会は、執行者5部隊、処刑人2部隊の中隊の派遣を決定した。
魔導師会は反逆同盟の一員ゲヴェールトを把握していたが、彼の血の魔法に関する情報は、
全くと言って良い程、持っていなかった。
ゲヴェールトの人格にヴァールハイトが宿っている事も。
マールティン市解放部隊と名付けられた中隊は、これから戦う敵に関して何の情報も無い儘に、
マールティン市に向かった。
そして……、やはり帰って来なかった。
何より奇妙な事は、部隊が突入する前のマールティン市には、普段と変わった様子が、
全く見られない事だった。
魔導師会が送り込んだ執行者の部隊は、連絡を絶つ直前まで映像記録を残していたが、
見慣れない者達が街を支配している訳では無いし、市民が困窮している訳でも無い。
市に出入りする門を見張っているのは都市警察で、これは素直に執行者の指示に従った。
全く戦闘が行われていない所か、敵らしき者の姿も見えない。
そして宿に一泊した翌日に、執行者自らの手によって映像が遮断され、音信不通になる。
創る名無しに見る名無し [sage] 2019/02/20(水) 19:05:28.91:lOeaRz3H
一体何が原因なのか、ブリンガー魔導師会には全く理解出来なかった。
お手上げ状態だった魔導師会は、遂に相談役レノック・ダッバーディーを招聘して、
助言を求める事になった。
しかしながら、レノックも又、残された映像だけでは何とも判断出来なかった。

 「特に何をされた訳でも無いのに、不思議だねぇ……。
  こう言うのは条件付きで発動する魔法かも知れない。
  何等かの条件が満たされた段階で、魔法の効果が表れるんだ。
  それまでは魔力の流れを感じさせない」

 「それが何なのかを知りたい訳ですが……」

役に立たないなと少し苛立った調子で、執行者の部長はレノックに言う。
レノックは何度も映像が保存された記録石を再生して、やがて答える。

 「ウム、解らない!
  全く解らないから、僕が直接マールティン市に行こう!
  それでマイストルとやらに会ってみようじゃないか!」

 「大丈夫ですか?
  逆に刈られないで下さいよ(※)」

 「多分、大丈夫さ。
  何かあるとしたら、恐らく宿だ」

彼は解らないなりに、予想を付けていた。


※:英語の諺「羊毛を取りに行って、刈られて帰って来る」より。
  ミイラ取りがミイラになる。
創る名無しに見る名無し [sage] 2019/02/20(水) 19:07:39.78:lOeaRz3H
レノックは何時もの親衛隊の2人は連れずに、隠密魔法使いのフィーゴ・ササンカと、更に、
1人の男性執行者パルティーンと共にマールティン市へと向かった。
そして門に近付く前に、ササンカだけが別行動を取る。
レノックと執行者は普通に都市警察に話を聞きに行った。
先ず都市警察が2人を呼び止める。
彼等はササンカには気付かない。
彼女の隠密魔法は完全に気配を絶つのだ。
門に近付こうとするレノックと執行者に、都市警察は質問する。

 「止まって下さい、身分証を拝見させて下さい」

都市警察に異変は感じられない。
何者かに操られている訳では無い。
執行者は手帳を見せながら問う。

 「執行者だ。
  これは何の為にやっている?」

 「何って、治安維持の為です。
  最近何かと物騒ですから、貴方々ばかりに任せっ切りでは居られないと……」

 「地方警察からの指示か?」

 「明確な指示があった訳ではありませんが、我々も何もしない訳には行かないので」

警官は緊張した面持ちで答える。
その態度には何かを隠そうと言う意図は無いが、対抗心の様な物が感じられた。
創る名無しに見る名無し [sage] 2019/02/21(木) 21:47:28.92:L1gV5mH9
執行者は足を止めて、警官と熟り話し合った。

 「先に執行者の部隊が来ていた筈だ。
  それも結構な人数の。
  今は何をしている?」

 「街に駐留しています」

 「何だと?」

 「『何だと』と言われても困りますけど……。
  お仕事じゃないんですか?」

執行者の部隊が揃いも揃って、無断で都市に駐留する事が有り得るかと言えば、無い。
あってはならない事だ。

 「そんな指示は出していない。
  今、どこに居る?」

 「どこって……市内のホテルでは?」

執行者は小さく舌打ちして苛立ちを露にした。
警官は苦笑いする。

 「執行者が命令無視ですか……」

 「何か事情があるなら、それを聞かなくてはならない。
  通って良いな?」

執行者の問に警官はレノックを一瞥した。
創る名無しに見る名無し [sage] 2019/02/21(木) 21:48:06.50:L1gV5mH9
警官は執行者に視線を戻して問う。

 「そこの子供は?
  お子さん……では無いですよね?」

 「当たり前だ。
  この子は幼く見えても我々の協力者だ」

執行者の答を聞いた警官は疑わしい目付きになる。

 「協力者?」

 「私達は、この街で何が起こっているかを調べに来た。
  この子は魔法に関しては人並み外れた才能がある。
  身分は私が保証する」

 「あの、先に来た執行者を連れ戻しに訳じゃないんですか?」

警官は執行者の目的を怪しんだ。
それに対して執行者は堂々と答える。

 「あのな、執行者が命令を無視して街に駐留していると言う事が、異常事態なんだ。
  何かあったと思わない方が、奇怪しいだろう」

 「はぁ、いや、何も無いですけど……」

警官の反応は淡白で呑気な物だ。
危機感が全く無い。
普通なら、執行者が大勢街に押し掛けて、帰らない事を不安に思う物だろうに。
創る名無しに見る名無し [sage] 2019/02/21(木) 21:48:57.74:L1gV5mH9
外壁の門を潜って街に入ったレノックと執行者パルティーンは、先ず大きなホテルを探した。
多数の執行者が宿泊出来る様なホテルは、マールティン市では限られている。
そして片っ端から聞き込みをして回った。
結果、オテル・マルタンと言う豪華なホテルに、大勢の執行者が滞在していると聞く。
2人は早速、オテル・マルタンに乗り込んだ。
執行者パルティーンは受付に中隊長のフォーコン課長を呼ぶ様に指示する。
そして、フォーコン課長が現れると、周囲の目も憚らずに怒号を放った。

 「手前、フォーコン!!
  どう言う積もりだ、この野郎!!」

 「あ、いや、これには深い訳がありまして」

フォーコン課長は執行者パルティーンの剣幕に圧されて言い訳する。
レノックと共にマールティン市に来た、この執行者パルティーンは「部長補佐」だ。

 「おう、言ってみろ!
  下らない理由だったら、打ん殴ってやる!」

フォーコン課長は委縮して答えた。

 「この街を調査しましたが、異常はありませんでした」

 「『ありませんでした』じゃねえぞ!!
  マイストルには会えたんだろうな!?」

 「はい、会えました。
  そこで彼に依頼された訳です。
  この街に滞在してくれないかと」

 「はぁ?
  馬鹿か、手前は!?
  手前の上司は誰だ、言ってみろ!!
  上司の了解を得るより前に、どこの誰とも分からん様な奴の言う事を聞くのか!!」

フォーコンの様子は明らかに変だった。
そもそも執行者は命令外の事は出来ない様になっている。
下っ端なら未だしも、課長と言う責任ある立場で、それも処刑人まで引き連れて集団行動する者が、
無断で行動して許される訳が無いのだ。
創る名無しに見る名無し [sage] 2019/02/22(金) 19:16:54.37:XyhbX+sQ
フォーコンは敬礼しながら言う。

 「私の上司はオーネスト・ブルク部長です!」

 「部長は何と言った!?」

 「何も命じられてはおりません!」

 「弁解出来る物ならしてみろ!」

 「はい、この街では魔力通信が使えず、連絡が出来ませんでした!」

 「『出来ませんでした』じゃないだろうが!!
  だったら街から出て連絡せんか!!」

 「しかしながら、街の外は危険です!」

余りに稚拙な言い訳を真剣にされて、パルティーンは失笑してしまった。

 「危険って……、お前、何が居ると言うんだ?」

 「今、共通魔法社会には大きな危機が迫っています」

 「その位は知っているよ。
  具体的な危機があるなら言ってみろ」

 「具体的……?」

フォーコンは困惑して、暫く考え込んだ。
創る名無しに見る名無し [sage] 2019/02/22(金) 19:18:14.62:XyhbX+sQ
フォーコン課長は真面目な男だった。
彼は何時でも真剣なのだ。
嘘を言ったり、誤魔化したりするのは得意では無い。
それはパルティーンも知っている。
パルティーンは大きな溜め息を吐いて、フォーコンに命じる。

 「部下を連れて、本部に引き揚げろ。
  そこで検査を受けるんだ。
  良いな?」

 「……はい、分かりました。
  どうかしていたみたいです……」

フォーコンは漸く、自分が理屈の通らない変な事を言っているのだと自覚した。

 「良いんだ、この街は普通じゃない。
  一見平穏な様で、恐ろしい何かが潜んでいる。
  それが何なのか……俺が暴く」

フォーコンは悄々と踵を返し、部下に指示を出しに行った。
後ろで様子を見ていたレノックが、執行者パルティーンに声を掛ける。

 「洗脳かな?
  意識の掏り替えか」

 「しかし、魔力の流れは感じられなかった。
  そちらの見立てでは、どうだ?」

 「僕も魔力は感じなかった。
  詰まり、遠隔操作と言う訳じゃない。
  問題は、どの段階で感覚を狂わされたかと言う事だ」

レノックと執行者パルティーンは頷き合う。
創る名無しに見る名無し [sage] 2019/02/22(金) 19:19:21.80:XyhbX+sQ
それからフォーコン課長が率いる部隊は、揃ってホテルのロビーに集まり……。
レノックとパルティーンを包囲した。
パルティーンは驚いて、フォーコンに問う。

 「これは何の真似だ?」

 「パルティーンさん、貴方は本当に本部からの指令を受けたのですか?」

 「何を一体……」

 「そこの子供は誰です?」

 「彼を疑っているのか?
  お前の関知する事では無い……と言っても、聞いてくれそうには無いな。
  いや、何を言っても今は信じられないだろう」

パルティーンは全ての事情を察した。
フォーコンは自分達が正義だと信じている。
否、フォーコンだけでなく、彼の部隊全員が、そうなのだ。

 「正直に話して頂ければ、信じるかも知れません」

 「……彼は反共通魔法社会組織に対抗する為に、魔導師会が招聘した相談役だ。
  丁度、今みたいな事態を解決する為にな」

 「それを証明する方法はありますか?」

そう問われたパルティーンの代わりに、レノックは執行者から預かった徽章を掲げて、
堂々と進み出た。

 「これだ」

この徽章は執行者が部外者の手を借りる事になった際、信頼出来る協力者の証として渡す物だ。
創る名無しに見る名無し [sage] 2019/02/23(土) 19:11:49.66:OGp/wHIj
しかしと言うか、案の定と言うか、フォーコン課長は彼を信用しなかった。

 「信用出来ません。
  もしかしたら、本部も侵食されているかも知れない」

 「この野郎!」

パルティーンは頑迷な彼に怒るが、ここでは多勢に無勢だ。
部長補佐と言う地位も、反意の前には実体の無い権力なのである。

 「僕が何とかしようか?」

レノックが意地悪く執行者パルティーンに尋ねた。
パルティーンは渋々ながら頷く。

 「……頼む」

 「よし来た」

その場でレノックは1組の『銅鉢<ジャン>』(※)を取り出すと、打ち合わせて大きく鳴らした。
不意打ちの様に大音撃を食らわされ、その場の全員が同時に一瞬で気絶する。
パルティーンもホテルの受付も。
レノックは倒れたパルティーンを揺すって起こした。

 「おーい、起きてくれよ」

パルティーンは吃驚した顔で跳ね起きる。


※:シンバルの事。
  漢字では銅盤、鐃鉢、銅鉢とも表記する。
  盤は皿、鉢(ハチ)は「金」偏に「バツ」(「跋」、「祓」の旁)の代字か?
  打ち合わせたり、枹で打ったりして音を鳴らす。
  ファイセアルスでの名称「ジャン」は音由来。
  ピャトジャン、ピャジャンとも言う。
創る名無しに見る名無し [sage] 2019/02/23(土) 19:13:30.00:OGp/wHIj
彼は周囲を見回してレノックに状況を尋ねた。

 「何が起こった?」

 「何って、僕の魔法で皆に気絶して貰っただけだよ」

 「ウーム、恐ろしい魔法だ……」

 「恐ろしいって、君が頼むと言ったんじゃないか?
  とにかくマイストルに会おう。
  奴が諸悪の根源だ」

レノックに促されて、執行者パルティーンはホテルを後にする。
彼は落ち込んだ表情で、浮ら浮ら歩いていた。
レノックは心配して声を掛ける。

 「どうしたんだい?
  何か異変でも感じるのか」

彼の問に執行者パルティーンは俯き加減で答えた。

 「少しショックを受けている。
  フォーコンは、あんな奴じゃなかったんだ。
  職務に忠実で真面目な男だったんだよ」

 「ハハハ、部下に刃を向けられて、ショックかい?」

 「ああ、そうだよ……。
  私達の信頼関係は、その程度だったのかと思うと悲しくなってな。
  表面上は忠実な部下でも、内心では不満を溜め込んでいたのかも知れん……」

 「深く考えない方が良い。
  彼等も正気に返れば、大慌てで許しを乞うよ」

 「そうだな、あいつ等の泣きっ面を拝んでやるとするか」

レノックに励まされて、パルティーンは少し元気を取り戻した。
創る名無しに見る名無し [sage] 2019/02/23(土) 19:14:47.41:OGp/wHIj
マールティン市から脱出したマトリ・タカラの話では、何時の間にか街中の全員がマイストルを、
認知して尊敬する様になっていたと言う。
しかし、街中では何の異変も感じられない。
共通魔法の結界は破壊されているが、それだけだ。
強力な魔法が街全体を覆っている風では無い。
その事を奇妙に思いながら、執行者パルティーンは市民に聞き込みをして、マイストルの居場所を、
尋ねて回った。
所が、誰に聞いても明確には答えない。

 「そこの君、マイストル・レッドールと言う人を知っているか?」

 「はい、知ってますけど、何か?」

 「その人の家は、どこだろう?」

 「どうして、そんな事を知りたがるんですか?
  貴方は街の人じゃありませんね?」

 「それが何だと言うんだ?」

 「一寸、教えられません」

 「私は執行者だ、怪しい者じゃない」

 「……済みません、失礼します」

こんな調子で、パルティーンが身分を明かしても、市民は誰も話してくれなかった。
マイストルを知らないと言う事は、即ち市民では無いと言う事、それだけで何故か警戒される。
これも記憶や意識の改変の所為なのかと、パルティーンは恐ろしくなった。
創る名無しに見る名無し [sage] 2019/02/24(日) 19:13:05.36:Z5PNfwj8
結局、マイストルの居場所は掴めない儘……。
執行者パルティーンは途方に暮れた。

 「俺独りで、どうしろってんだ……」

 「君は独りじゃないぞ」

彼の隣でレノックが、にやりと笑う。
子供らしくない笑みに、パルティーンは安心感より悪寒が走った。
それを見てレノックは残念そうな顔になる。

 「どうも君は、心の中では外道魔法使いの手を借りたくないと思っている様だね……。
  執行者としての矜持って奴なのかい?」

 「共通魔法社会を守るのは、共通魔法使いだ。
  外道魔法使いの手を借りる事は、自分達だけでは共通魔法社会を守り切れない事を意味する」

 「気持ちは解るよ?
  僕達だって、身内の問題には執行者に首を突っ込まれたくない。
  だけど、状況をよく考えなよ」

 「解っている……。
  一緒にマイストルを探す方法を考えてくれ」

パルティーンの依頼にレノックは大きく頷いた。

 「それで良い。
  しかし、マイストルは普段は能力(ちから)を抑えて潜伏しているみたいだ。
  探し出すのは容易じゃないだろう」

 「お手上げか?」

 「いや、策はある」

レノックは嫌らしい笑みを浮かべた。
創る名無しに見る名無し [sage] 2019/02/24(日) 19:14:12.72:Z5PNfwj8
パルティーンは嫌な予感がした物の、取り敢えず聞くだけ聞いてみる。

 「何だ?」

 「相手が人を操るなら、僕達も人を操れば良いじゃないか?
  共通魔法にもあるんだろう?
  自白させる魔法とか、洗脳する魔法とか」

レノックの案にパルティーンは困り顔になった。

 「いや、しかし……」

人を操る魔法はA級禁断共通魔法である。
禁呪の使用には慎重にならなければならない。

 「緊急事態には許可されるんだろう?
  あれ、独自判断や裁量が認められていない?」

 「一応は私にも権限はあるが……」

大体、課長以上の執行者には、禁断共通魔法の使用を許可出来る権限がある。
そして上位の役職程、多くの魔法の使用を許可出来る。
但し、報告書の作成が面倒臭い。
部下にやらせる分には構わないが、自分が使うとなると……。
躊躇うパルティーンをレノックは責付く。

 「迷ってる場合かな?
  これは明らかに異常だよ」

 「……一旦、引き返すのは?
  大隊を編成して一気に攻め込めば……」

パルティーンは弱気に提案した。
創る名無しに見る名無し [sage] 2019/02/24(日) 19:17:06.83:Z5PNfwj8
レノックは首を横に振る。

 「お勧めしない。
  相手にも時間を与えてしまう。
  ここには処刑人も居るんだぞ」

集団でマールティン市に攻め込もうとすれば、フォーコン率いる処刑人を含めた中隊が、
敵に回る可能性が非常に高い。
そうなれば大混乱は必至だ。
市民にも被害が出るかも知れない。
故に彼は反対した。

 「逃げるのは何時でも出来る。
  とにかく最低でもマイストルを見付けて、どんな奴か、何を企んでいるのか突き止めなければ」

レノックに説得された執行者パルティーンは自信無さそうに小さく頷いた。

 「解った。
  こうなったら、なる様になれだ」

彼は半ば自棄に決断する。
そして片っ端から市民を捕まえて、信頼の魔法でマイストルの居場所を尋ねた。
所が、誰もマイストルの自宅を知らなかった。
徹底して自分に関する情報を隠しているのだ。
そもそもマイストルが実在しているのかも、疑わしくなって来た。
創る名無しに見る名無し [sage] 2019/02/25(月) 19:51:39.49:6Z0PP0Tk
散々空振りに終わり、疲弊した顔の執行者パルティーンに対して、レノックは嫌らしく言う。

 「僕が何とかしようか?」

パルティーンは執行者として、安易に外道魔法を頼りたくなかった。
しかしながら、彼に打つ手は無い。
これなら自分が禁呪を使う必要は無かったのではと、彼はレノックを疑う。

 「……自分で何とか出来るなら、最初から――」

 「ハハハ、そんな事、君が許さないだろう。
  何事も自分で試す事は大事だ。
  それが解らない君では無い」

レノックの言う事は正しい。
最初からレノックが何とかしようとしても、パルティーンは反対した。
外道魔法を頼るのは、共通魔法の敗北に等しい為だ。
黙り込んだパルティーンを見て、レノックは意地悪く言う。

 「とにかく許可されたと受け取ろう。
  この街で一番人が集まる所に行くよ」

彼はパルティーンと共に、市内の中央広場に向かった。
道中、彼は竪琴を奏で始める。
その音色は心地好く、街の人々は何事かと彼とパルティーンの後を付いて歩く。
人数は少しずつ増えて行き、最初は十数人だったのが、数十人、百人、千人になる。
創る名無しに見る名無し [sage] 2019/02/25(月) 19:52:44.63:6Z0PP0Tk
中央広場に建てられた、今は機能していない魔法陣の塔に登り、レノックは唄を吟じ始めた。

 「おお、美しきマールティン!
  偉大なるマイストルの街!
  彼の名を知る者よ、来たれ、来たれ!」

市民は彼の音楽に合わせて合唱する。

 「マイストル、マイストル!」

マイストルを称える様な歌に、執行者パルティーンは恐怖を感じた。

 「何をしている、レノック!!」

レノックはテレパシーで答える。

 (君も一緒に歌うと良い。
  これは僕の舞台だ。
  強要はしないよ。
  その気が無いなら、舞台の袖で、静かに見守っていてくれ)

彼は歌と演奏を続ける。
パルティーンは塔の真下に隠れて、人々の様子を観察した。
何か起きたら、彼が自分で止めないと行けない。
今の彼にはレノックに悪意が無い事を願う事しか出来ない。

 「マイストルは何者か?
  彼を知る者よ、来たれ、来たれ!
  我こそはと思わむ者は進み出よ!」
創る名無しに見る名無し [sage] 2019/02/25(月) 20:17:33.27:6Z0PP0Tk
レノックが市民に呼び掛けると、何人かの者が人を掻き分けて、塔の前に現れた。
レノックは一人一人に問い掛ける。

 「偉大なるマイストル、マイストルの勲功(いさお)とは?
  何を以って、彼は偉大か?」

 「故は知らねど、偉大なり!
  何事か成して、ここに在らむ!」

 「其はマイストルを知らぬなり。
  無知の無知を恥ずべし、無知を知るべし。
  誰ぞ、誰ぞ、彼の勲功を知らぬか!」

 「マイストルは偉大なり!
  偉大なるは、唯それを以って偉大なり!
  大河の悠然なる如く、大樹の聳える如くなり!
  美しき野の花の、故無くして美しき如くなり!」

それは丸で演劇だ。
レノックが問い、市民が答える。
だが、誰もマイストルが何故尊敬されているのかを答えられない。
とにかく偉大だ、偉大だと称えるだけだ。

 「笑止、人は人なり、大河に非ず、大樹に非ず!
  我が目、未だ彼を見ず。
  マイストル、彼は何処か?
  彼を知る者よ、来たれ、来たれ!
  誰ぞ、我に彼の偉大なるを知らしめむ!」

そんなにマイストルが偉大だと言うのなら、彼の姿を見せろとレノックは挑発する。
創る名無しに見る名無し [sage] 2019/02/26(火) 18:57:13.04:JGx0fItn
市民が入れ替わり進み出る。
これも又、演劇の様だ。

 「偉大なるマイストル、彼の所在は明かせず!
  偉大なるは敵多く、我等誓いて彼を守らむ!」

 「敵、敵とは何か?
  善き人の『善き』所以は、敵の少なきに因る!
  マイストルの敵多きは何故か!」

 「偉大なるマイストルはマールティンの要なり!
  彼無くしてマールティンは無し!
  故に我等は彼を守らむ!」

 「否、マールティンはマイストルに非ず、マイストルはマールティンに非ず!
  マイストル無くしてマールティン在り、先ずマールティン在りき。
  マイストルは後より来るも、誰一人として、その時を知らず。
  彼を知る者よ、来たれ、来たれ!
  何時よりマイストルはマールティンに在りか?」

 「何時かは知らねど、何れかなり!
  100年に満たず、10年より古く!」

 「然れど、誰も彼を語れず。
  真に奇妙、奇怪なり。
  彼を知る者よ、来たれ、来たれ!
  誰ぞ我に彼の由来を語らぬか!」

レノックの問に対する返事は無かった。
市民達は誰一人答えられない事に困惑している。
レノックは改めて呼び掛ける。

 「マイストルは何処か?
  彼を知る者よ、来たれ、来たれ!」
創る名無しに見る名無し [sage] 2019/02/26(火) 18:58:21.96:JGx0fItn
市民の洗脳は徐々に薄れつつあった。

 「偉大なるマイストル、彼の所在は誰も知らず。
  神出にして鬼没なり。
  用あらば我等を会所に喚(よ)び集める」

誰も知らないのかと、レノックは内心で落胆する。
それでも演奏は止めない。

 「皆、この時は忘れよう。
  偉大なるマイストル、誰も彼を知らず。
  真に奇妙、奇怪なり。
  美しきマールティン、怪奇の街なり。
  皆、散ろう、散ろう。
  元に返らむ」

レノックの唄に合わせて、人々は散り散りに帰って行く。
成果は無しかと、塔の下に潜んでいたパルティーンは小さな溜め息を吐いて、表に出て来た。
彼は塔から飛び下りたレノックに声を掛ける。

 「無駄骨だった様だな。
  敵は用心深いぞ」

 「ここまで徹底しているとは、一寸予想外だった」

レノックは肩を竦めて、自嘲気味に笑う。
パルティーンは彼に尋ねた。

 「どうする、今度こそ打つ手無しか?
  引き返すか?」
創る名無しに見る名無し [sage] 2019/02/26(火) 18:59:51.12:JGx0fItn
しかし、レノックは強気に笑う。

 「未だ早い。
  マイストルは旧い魔法使いだろうが、所詮は肉の体を持つ者だ。
  この街に共通魔法の流れとは異質な『魔力』は感じない……。
  それは詰まり、相手は肉体を持っていると言う事なんだよ。
  自分の魔力を覆い隠す肉の檻を持っている」

 「それが何なんだ?」

 「肉の維持の為には、飲み食いをしないと、やってられない。
  普段は人の体で物を食ってる訳さ」

 「だから、それが何なんだ?」

察しが悪いパルティーンに対して、レノックは呆れた。

 「『何だ』じゃないよ、君は本当に執行者か?
  どっかで買い物してるか、外食してるか、出前を取ってるかって事だよ。
  その辺で野草を食ったり、鳥や獣を狩ったりしてる訳じゃないならね」

 「又、聞き込みか?」

 「その通り!
  食品を取り扱ってる所を片っ端から見て回ろう。
  それか水道局に乗り込んで、最近水道の使用量が増えた所を探すか」

 「こんなの下っ端にやらせるのになぁ」

パルティーンは暈やきながら、レノックと共に聞き込みを再開する。
創る名無しに見る名無し [sage] 2019/02/27(水) 19:07:33.09:h+pmJ5VV
2人は食品を扱う所を回った。
彼等はマイストルに関する情報を意外に早く入手する事が出来た。
それは精肉店での事だった。
パルティーンが店員にマイストルが来店した事は無いかと(自白の魔法を使って)問うと、
彼は苦笑しながら答える。

 「マイストルさんは買い物なんかしないよ」

 「でも、飲まず食わずでは生きられないだろう。
  どこかで何かを食わないと」

 「そりゃ確かに。
  買い物をするのは、お孫さんさ」

 「孫……?
  確か、えー、ジョイエルとか言う?」

 「ああ、そうだよ。
  彼がマイストルさんの身の回りの世話をしてるんだってさ。
  それも独りで。
  若くて良い男なんだけど、未だ好い人は居ないみたいだね」

 「有り難う」

 「やや、どう致しまして」

同じ様な話は、『青果店<ベジタブル・ストア>』や『パン屋<ベイカリー>』でも聞けた。
創る名無しに見る名無し [sage] 2019/02/27(水) 19:08:43.92:h+pmJ5VV
レノックと執行者パルティーンは路上で相談する。

 「ジョイエルとやらを捕まえて、マイストルの居場所を吐かせよう」

パルティーンの提案にレノックは肯くも、一言添える。

 「しかし、僕達の存在は既にマイストルも知っているだろう。
  素直に今まで通りの行動をするかな?」

 「……何か考えがあるのか?」

 「そう急ぐ事は無いさ。
  取り敢えず、水道局に行こう。
  自宅で調理してるなら、水道水の使用量は誤魔化せない」

2人は次に市内の水道局に向かった。
所が、道中で執行者が街を歩いているのを見掛けて、物陰に身を潜める。
フォーコン課長が率いる中隊の一員だ。
その執行者は市民に枚(ビラ)を見せて、注意を呼び掛けていた。

 「こう言う人物を見掛けたら、執行者に御一報を」

レノックとパルティーンは指名手配を受けているのだ。
執行者パルティーンは舌打ちをする。

 「チッ、あいつ等め……。
  後で覚えてろよ」

パルティーンも魔法の実力には自信があるが、複数の執行者に囲まれては多勢に無勢だ。
創る名無しに見る名無し [sage] 2019/02/27(水) 19:12:24.78:h+pmJ5VV
レノックは苦笑して彼を宥める。

 「彼等は操られているだけなんだ。
  一刻も早くマイストルを捕まえて、正気に返らせよう」

 「ああ、解っている。
  だが、これでは街中を歩く事も出来ないぞ」

執行者は都市警察にも協力を呼び掛けているだろう。
これからは市民に姿を見られるだけで、戦いになる事を覚悟しなければならない。
市民は執行者が操られているとは思わないので、どちらが悪人に見えるかは明白だ。
レノックは平然と言う。

 「気配を消す魔法を使えば良いじゃないか」

 「それでは聞き込みが出来ない。
  洗脳して無理遣り喋らせるのか?」

 「そうだよ」

 「……又、禁呪を使うのか……」

 「もう使ってしまったんだから、何を恐れる事がある?
  毒を食らわば皿までとは、こう言う時の為にある諺だよ。
  毒を食らわば当に皿まで舐るべし、人を殺さば当に血を見るべし、書を読みて自ら得る事無きは、
  元より術無きに如かずってね。
  禁を冒しておきながら、何も得られないと言うのは最悪の恥と心得給え」

 「丸で禁呪の研究者みたいな言い分だ」

 「何なら、僕に唆された事にしても良いんだぜ?」

 「馬鹿にするな。
  私も一人前の大人だ、手前の尻は手前で持つ。
  外道魔法使いに唆されたなんて、それこそ執行者の恥だ」

パルティーンは強がって覚悟を決めた。
創る名無しに見る名無し [sage] 2019/02/28(木) 19:51:36.43:HjxTed5S
レノックとパルティーンは気配を遮断する魔法を使った上で、更に人気の無い場所を通り、
水道局に忍び込んだ。
熟練の魔導師や執行者であっても、気配を遮断する魔法は、それを使っている物と予想して、
最初から警戒していなければ、見過ごしてしまう程の物である。
執行者が犯人や容疑者を尾行する時に使われるが、それ以外の目的での使用は認められていない。
例外的な使用には、特別な許可が必要になる。
これを一般人が警戒する事は難しい。
水道局に忍び込んだ2人は、会計課の職員に水道使用料金の徴収金額を記した資料の在処を自白させ、
それを窃(こっそ)りと盗み出した。
水道局の外に出たレノックは、パルティーンに言う。

 「この街にマイストルが来たのは、ここ一月以内の事だと思う。
  マトリ・タカラは定期的な『集会』が行われるまで、彼の存在に気付かなかった。
  しかし、侵食は緩やかに続いていた」

 「マトリ・タカラは何故マイストルの存在に疑問を抱けたんだろうか?
  彼女には特別な能力があった訳でも無いのに……。
  何故、彼女は洗脳されなかった?」

 「彼女と他の市民と、何か違いがあったんだろう。
  例えば……、マイストルと一度も会わなかったとか、何かを受け取らなかったとか……。
  彼女だけが特別に何かをしていたなら未だしも、逆に何もしなかった事で洗脳を免れたと言う、
  可能性もある。
  その場合は自覚が無いから、余計に理由を探すのは難しい。
  この街では常に気を付けていないと、君も僕も何時の間にか、洗脳されているかも知れない」

 「恐ろしいな」

パルティーンは建物の陰に移動して、資料を見比べながら、先月と先々月で大きな差がある所を探す。
創る名無しに見る名無し [sage] 2019/02/28(木) 19:52:36.39:HjxTed5S
約1角後にパルティーンは水道使用料金に差がある所の住所を、メモに書き留め終えた。

 「良し、こいつを当たろう。
  資料は……一応、持って行くとしよう」

レノックとパルティーンは共に、怪しい場所を虱潰しに訪ねて行く。
住所の多くは宿泊施設や料理店だった。
客の入り方によって、水の使用量が異なるのだ。
その中に1つだけ民家があった。
庭を含めた面積は10身平方、2階建ての少し大き目の家。
該当する民家を前にして、パルティーンはレノックに尋ねた。

 「ここか……?」

 「水道管が壊れていたとか、仕様も無い理由でも無ければ、ここだろうね」

2人は誰にも気付かれない様に、民家に忍び込む。
庭には3匹の犬が居た。
幸い、気配を遮断する魔法で、犬は2人の存在に気付かない。
民家に上がり込んだ2人は、忍び足で住人を探した。
家の中は造りこそ一般的なブリンガー地方の物だが、嫌に薄暗く、どこと無く不気味だ。
レノックは音の反響で人の居場所を探る。

 「パルティーン、こっちだ」

 「何故判る?」

 「音だよ、エコーロケーションと言う奴さ」

そう言えば彼は音の魔法使いだったなとパルティーンは感心した。
創る名無しに見る名無し [sage] 2019/02/28(木) 19:55:44.96:HjxTed5S
2人が音源に向かって歩いていると、魔力が不気味に揺らぐ。
レノックは声を潜めて、パルティーンに警告した。

 「上だ!」

パルティーンが視線を上に向けると、天井から逆さに振ら下がっている、奇怪な人物が目に入る。

 「初めまして、お客人。
  私は蝙蝠のバルマムス」

黒衣に身を包んで、目には包帯を巻いており、薄い茶色の髪は重力の儘に逆立っている。

 「お前がマイストルか!?」

パルティーンの問に答えたのは、レノックの方だった。

 「違う、こいつは人と悪魔と魔物、どれでも無い、どっち付かずの存在だ。
  完全に人には成り切れないから、人に紛れ込む事は出来ない」

 「然様、私は鳥であり、獣であり、獣に非ず、鳥に非ず。
  否、人であり、悪魔であり、悪魔に非ず、人に非ず。
  我が存在は虚ろにして移ろい、定まる所を持たず。
  私を知る者よ、名を伺おう」

 「僕の声を聞き忘れるとは、年老いて御自慢の耳も遠くなったか?
  随分と変わった物だな、アストリブラ・バサバタパタ!」

 「何だ、この餓鬼!?
  昔の名前を言うのは反則だろ!!
  手前は誰だっつってんだよ!」

 「僕は今も昔もレノック・ダッバーディーさ!
  久し振りだな、蝙蝠野郎!」

 「ワアアアアア!?」

レノックの名乗りを聞いた途端、バルマムスは引っ繰り返って床に落ちる。
創る名無しに見る名無し [sage] 2019/03/01(金) 19:31:39.36:SzMjHMK0
バルマムスは這いながら後退った。

 「こんなのが来るなんて、聞いてないぞ……!
  畜生、何時も何時も、こうだ!」

 「ハハハハハ、君は僕とは最悪の相性だからな。
  得意の超音波も僕には効かない。
  早々(さっさ)と去(い)ねぃ!」

腰砕けのバルマムスをレノックは喝破したが、バルマムスは逃げなかった。

 「わ、我等には公爵級が付いているのだぞ!
  去ぬるのは貴様だ、レノック!」

 「だから、どうした?
  この場で殺して欲しいのか?」

凄むレノックを見て、子供の姿で物騒な事を言うのだなと、執行者パルティーンは驚く。
バルマムスは歯噛みした。

 「グヌヌ……!」

 「あっ、そうだ。
  逃げないなら教えて欲しい事がある。
  マイストルって知ってるかい?」

 「ああ、知っているとも。
  ヴァールハイトの事だろう?」

バルマムスが浅りと答えた事に、レノックとパルティーンは拍子抜けしたが、2人共、
ヴァールハイトなる人物は知らなかった。
創る名無しに見る名無し [sage] 2019/03/01(金) 19:33:34.91:SzMjHMK0
2人は顔を見合わせて、お互いにヴァールハイトと言う名に聞き覚えが無い事を確かめる。
その後にレノックはバルマムスに迫った。

 「そいつは今どこに居る?」

 「この家の地下さ」

 「良し、君は暫く眠ってなさい」

マイストルの居場所を聞き出した彼は、もう用済みだとばかりにバルマムスの目の前で指を弾いた。
耳の良いバルマムスは指を弾く音を聞いた途端に、気を失って倒れ込む。
執行者パルティーンは怪訝な顔でレノックに問うた。

 「素直に情報を吐くなんて怪しいと思わないのか?」

 「罠だとしても、嘘は言っていない。
  ……念の為に、君は外で待機するか?
  半角過ぎても僕が出て来なかったら、急いでブリンガーに引き返すって事で」

レノックの提案にパルティーンは長考した。
フォーコン課長率いる中隊が敵に回っている状況では、自分独りマールティン市から脱出するのにも、
それなりの危険がある。
そもそもレノックを彼は完全に信用していなかった。
だが、2人して罠に嵌まるのは何としても避けたい。
自分だけでも無事なら、仲間を引き連れて戻って来れば良い。
そう考えて結論を出す。

 「分かった、私は外で待っていよう」

 「大丈夫だとは思うけどね。
  これを渡しておこう」

レノックはパルティーンに小さな石を渡す。
創る名無しに見る名無し [sage] 2019/03/01(金) 19:35:43.80:SzMjHMK0
それを受け取ったパルティーンは彼に尋ねた。

 「これは?」

 「『音石<サウンド・ストーン>』、僕の分身だ。
  何かあった時には、こいつが教えてくれる」

レノックはパルティーンに音石を託して別れる。
独りになったレノックは音の反響を利用して、地下への入り口を探し当てた。

 (罠の可能性か……。
  何が考えられるかな?
  僕に探知出来ない様な罠は殆ど無いんだけど)

地下への入り口は2階に上がる階段の裏に隠す様にあり、レノックは明かり一つ持たずに、
暗闇の中へと下りる。
音を見る事が出来る彼には、明かりは必要無いのだ。
階段を下り切ると、そこには両開きの扉があった。
その向こうからは幽かな明かりが差し込んでいる。

 (ウーム、罠臭い……。
  パルティーンと別行動して正解だったな)

レノックは思い切って、両開きの扉を押し開け……ようとしたが、開かなかったので、引き開ける。
そこに居たのは青いローブを纏った痩せ身の男性だった。
彼は埃臭い物置き小屋の様な地下室で椅子に座り、堂々とレノックと対面している。

 「君がマイストル……?
  その顔は覚えがあるぞ。
  そうだ、反逆同盟の一員、ゲヴェールト・シュトルツ・ブルーティクライトだったか?
  否、少し老けて見えるな……。
  君がヴァールハイトなのか」

ゲヴェールトとヴァールハイトの関係をレノックは知らないが、何等かの関連がある事は、
直ぐに理解出来た。
創る名無しに見る名無し [sage] 2019/03/02(土) 19:24:50.67:I2qhRTKM
レノックは室内に踏み込まず、その場でヴァールハイトを観察する。

 「君には魂が2つ感じられる。
  成る程、『二人の魔法使い<デュアル・マジシャン>』か?
  1人がゲヴェールト、もう1人が君と言う訳だな、ヴァールハイト」

 「お前の事は知っている。
  音の魔法使いレノック・ダッバーディーだな」

ヴァールハイトは、その場から動かないばかりか、指一つ動かす素振りも見せない。
魔法を使わないのだろうかと、レノックは怪しんだ。
彼の疑念を読んだ様に、ヴァールハイトは告げる。

 「私は自分より強い者と好んで戦う程、馬鹿では無い」

 「だったら、どうするんだ?
  僕は容赦する積もりは無いぜ。
  君さえ倒してしまえば、街の皆の洗脳は解けるんだろう?」

レノックが横笛を構えると、行き成り辺りが真っ暗になった。
彼は空間を認識する事が出来なくなる。

 (部屋の外からでも罠が作動するのか……!
  これは異空間?
  ルヴィエラの仕業か?)

レノックは力業で脱出しようと、幾つもの楽器を召喚して宙に浮かべた。
彼が演奏を始める前に、何者かの声がする。

 「さてさて、そこまでだよ」
創る名無しに見る名無し [sage] 2019/03/02(土) 19:25:39.77:I2qhRTKM
それに反応してレノックは周囲を見回した。

 「その声……!
  やはりルヴィエラか!
  悪魔公爵の君が、直々に出て来るとは!」

 「お前の横暴振りが目に余ってね。
  高位の悪魔貴族が、余り小事に首を突っ込む物じゃないよ」

ルヴィエラはレノックが悪魔貴族としての礼を欠いていると指摘する。
彼女の言う通り、高位の悪魔貴族は一々下位の存在の諍いには口を挟まない物だ。
圧倒的な力を以って、そこに介入する事は、子供の喧嘩に大人が出て来る様な物。

 「君が暗躍してなければ、僕も黙って見過ごせたんだけどね」

 「それなら、お前も暗躍すれば良かったのに。
  お前が表に出て来るなら、私も出て来ざるを得ないよ。
  紳士協定違反と言う奴だ。
  罰として、お前には暫く、ここで眠っていて貰うとしよう」

 「暫くって何時までかな?」

 「私が世界を征服し終えるまでさ」

やれやれとレノックは両肩を竦めて、何も無い空間に座り込んだ。

 「まあ良いさ。
  この空間に僕が居れば、如何に君とて迂闊な行動は取れないだろう。
  僕は人間を信じる事にするよ」
創る名無しに見る名無し [sage] 2019/03/02(土) 19:26:39.30:I2qhRTKM
嫌に物分かりの良い彼を、ルヴィエラは怪しんだ。

 「随分と余裕があるな。
  何か企んでおるのか?」

 「否々(いやいや)、途んでも無い!
  ここに囚われるのだって予定外だったさ。
  でも、僕を封印し続ける積もりなら、君も半分とは行かないまでも、3分の1位の力は、
  抑えられてしまうだろう?」

 「フン、そこまで行かないさ。
  精々5分の1、否、10分の1だよ」

 「そうかい?
  とにかく、君が少しでも油断したら、僕は何時でも抜け出すよ。
  この空間自体は、僕にとっては何て事無い物だ」

強がるレノックにルヴィエラは言う。

 「ホホホ、次に目覚めた時は、悪魔の世界だよ」

 「それでも僕は別に構わないんだけどね。
  僕自身が困る訳じゃない」

 「口の減らない小僧め!」

 「小僧は止してくれよ、年は僕の方が上なんだぜ?
  お嬢さん」

口の巧さではレノックに敵う者は居ない。
ルヴィエラは反論を諦めて、力尽くで眠らせる事にした。

 「さっさと眠れ!」
創る名無しに見る名無し [sage] 2019/03/03(日) 19:43:53.49:lJoXBM+W
一方その頃、民家の外で隠れて待機していた執行者パルティーンは、音石に呼び掛けられる。

 「パルティーン!
  レノックが捕まった!」

 「わっ、吃驚した……。
  喋るのか、こいつ?
  通信機――とも違うのか」

行き成り手に握っていた石が喋ったので、彼は目を剥いて驚いた。
音石は呆れて言う。

 「石が喋って何が悪い!
  そんな事より、大変だ!
  レノックが!」

 「……ああ、解ってる。
  捕まったんだろう?
  脱出は出来そうなのか?」

 「分からない」

 「助けに行くべきか?」

 「……君じゃ無理だと思うなぁ」

音石に自らの無力を指摘されて、パルティーンは少し立腹した物の、そこは大人しく認めて、
次に取るべき行動に移る。
創る名無しに見る名無し [sage] 2019/03/03(日) 19:44:48.09:lJoXBM+W
 「それなら脱出して、助けを求めるか」

それに音石も同意した。

 「そうした方が良い。
  包囲されない内に、早く!」

執行者パルティーンは気配を消した儘、街の門に向かう。
しかし、門では都市警察の代わりに、執行者が番をしていた。

 「……素直に門から出るのは無理そうだな」

パルティーンは街を囲う外壁を見上げる。

 「まあ、この程度なら飛び越えて逃げれば良いが……。
  そう言えば、隠密魔法使いは?」

彼は脱出する前に、別行動をしているフィーゴ・ササンカを気に掛けた。
直ぐに音石が答える。

 「彼女とも連絡は取れている。
  一旦、一緒に脱出しよう。
  街の外で落ち合う様に言っておくよ」

 「どうやって?」

 「彼女にも『僕』を持たせてあるから。
  僕等、音石は皆レノックの分身で、意思も共有しているんだ」

外道魔法使いとは恐ろしい事が出来るなと、パルティーンは感心した。
創る名無しに見る名無し [sage] 2019/03/03(日) 19:45:59.10:lJoXBM+W
パルティーンは近くに執行者が居ない場所まで移動して、外壁を越える準備をする。
外壁を越えるには魔法を使わなくてはならないが、先ず確実に執行者に発見される。
フォーコン中隊には処刑人も居るので、即死魔法を使われる可能性もある。
十分に気を付けなければならない。
慎重に外壁を越え易そうな場所を探して、パルティーンは素早く外壁を飛び越えた。
同時に、背後から声がする。

 「居たぞ、殺せ!!」

 (容赦無いなっ!?
  洗脳されてるとは言え、何て奴等だ!)

高所から即死魔法で狙われては一溜まりも無いので、パルティーンは直ぐに気配を消して、
一直線に近くの森の中に逃げ込んだ。
そして全力で逃げ続ける。
街から数区離れても、彼は追撃を警戒して、森の中で息を潜める。
処刑人は執拗なのだ。
一度抹殺すると決めたら、地獄の果てまで追い詰める。
魔法を使えば、数区程度の追走も然程苦では無い。

 (執行者も処刑人も、敵に回すと恐ろしいな)

パルティーンが内心で思うと、音石が心を読んだ様に話し掛ける。

 「どうだい?
  僕等外道魔法使いが、普段どんな気持ちで過ごしているか、少しは解ったかな?」

 「ああ、十分過ぎる程な」

追跡者が居ない事を確認して、パルティーンは漸く安堵の溜め息を吐く。
創る名無しに見る名無し [sage] 2019/03/04(月) 19:03:24.61:600IQIUz
処刑人の追跡が無いのは何故なのかと、彼は考えた。

 (街から出ると、洗脳が解けるのか?
  しかし、結界の様な物は無かった。
  マイストルから離れると効果が切れる……?
  掛け直すのが手間なのかも知れない)

処刑人は諦めが悪い……と言うより、諦めてはならない。
処刑人は指示の儘に、逃亡者は疲れ果てるまで追い回し、絶対に止めを刺す。
目的を達成するまでは止まらない。
それをしないと言う事は、やはり理由があるに違い無いと、パルティーンは確信を持った。

 (皆、街から連れ出せば、洗脳が解けるかも知れない。
  逆に言うと、街の中に居る限りは駄目だと言う事になってしまうが……)

難しい顔をして考え込む執行者パルティーンに、音石が呼び掛ける。

 「あっ、マイストルの正体は判ったよ。
  反逆同盟のゲヴェールト・ブルーティクライトだ」

 「やはり反逆同盟だったか……。
  それで、どんな手段を使ったんだ?」

 「それが判らない。
  僕もゲヴェールトが、どんな魔法使いなのか知らない」

 「予想も付かないのか?」

 「何か特殊な事をしているのは、確かなんだけど……。
  詰まり、何等かの媒介を使っているって事。
  『姿を見る』とか『声を聞く』とか簡単な事じゃなさそうだ」

パルティーンと音石は共に考え込んだ。
創る名無しに見る名無し [sage] 2019/03/04(月) 19:05:10.53:600IQIUz
その時、隠密魔法使いのササンカが木の上から下りて来る。
全く気配を感じさせずに現れた彼女に、パルティーンは吃驚して思わず声を上げた。

 「フワッ!?」

 「お静かに。
  追跡されていないとは思いますが、念の為」

 「……何だ、隠密魔法使いの――、えー、名前は?」

 「ササンカです」

 「そう、ササンカ。
  そちらは何か判ったか?」

 「はい」

どうせ空振りだろうと思っていたパルティーンは、ササンカが頷いたので目を剥く。

 「本当か!?」

 「はい、媒介の正体は水です。
  水に僅かですが、異物が混ぜ込まれていました。
  恐らくは、血液だろうと思います」

彼女は水筒に採取した水道水をパルティーンに渡した。
パルティーンはササンカに尋ねる。

 「どうやって調べた?
  参考の為に聞かせて欲しい」
創る名無しに見る名無し [sage] 2019/03/04(月) 19:06:35.69:600IQIUz
ササンカは頷いて、冷静に話す。

 「市内の人間全員を洗脳するのに、結界らしい物は無いと言う所から、何等かの媒介や、
  儀式の様な物があろうと、レノック殿は推測していました。
  そうすると多くの者が毎日必ず行う事でなければなりません。
  第一に考え付いたのが、睡眠と食事です。
  人の習慣は様々ですが、その2つをしない人間は居ません」

 「それで水を調べたのか!」

 「はい。
  食事も食材によっては食べない人が居ます。
  しかし、水を飲まない人は少ないでしょう。
  尤も、旅行者等は別ですが……」

成る程と感心するパルティーンだが、1つ気になる事があった。

 「しかし、どうして血液と?」

 「臭いを嗅いで、少し舐めてみました。
  本の微かにではありますが、血の味と臭いがしました」

 「……大丈夫なのか?
  洗脳される可能性があったのでは?」

 「何かあっても、口に含むだけなら吐き戻せば大丈夫です。
  私は特殊な訓練を受けています」

ササンカの逞しさにパルティーンは圧倒されるも、やはり共通魔法を知らない事は不便だと哀れむ。
外道魔法使いは共通魔法を使いたがらないので、中々儘らない物だ。

 「共通魔法なら水質検査も簡単なのに……」
創る名無しに見る名無し [sage] 2019/03/05(火) 19:26:39.56:D1b7IIDA
ササンカは彼の呟きを無視して、彼女自身が持っている音石に話し掛けた。

 「それでレノック殿、どうしましょう?」

 「一旦引き返して、この情報を伝えるべきだろう」

音石の答にパルティーンも頷く。

 「ああ、種さえ判れば、何も恐れる事は無い!」

 「いやいや、待ってくれ。
  執行者や処刑人を引き連れて、突撃する積もりなのかい?」

パルティーンは音石に待ったを掛けられて、眉を顰めた。

 「……解っている。
  詰まり、市民を人質に取られる事を懸念しているんだな?」

 「その通りだ。
  反逆同盟は数では敵わないが故に手段を選ばない。
  特に、執行者の集団が市内に駐在しているのが厄介だ」

執行者は共通魔法に対抗する手段を心得ている。
魔法で動きを封じようとも、1人でも封じ損ねれば、そこから突き崩される。
場合によっては、執行者を真っ先に全滅させる事も考えなければならない。
パルティーンは暫し無言で考え込んだ後、今ここで悩んでいても仕方が無いと割り切った。

 「とにかくブリンガー市まで引き返そう。
  入念に作戦を練らなくては」

皆は頷き合い、取り敢えずブリンガー魔導師会に報告しに戻る事になった。
創る名無しに見る名無し [sage] 2019/03/05(火) 19:29:46.45:D1b7IIDA
そしてブリンガー魔導師会では改めてマールティン市の解放作戦を計画する事になったのだが……、
これが中々難航した。
一気に攻勢を掛ければ、反逆同盟が破れ気狂れになって、市民を全滅させる事も有り得る。
とにかく反逆同盟としては、魔導師会の信用を落とせば良いのだから。
そこで作戦は2つに絞られた。
1つは禁呪を使う方法。
街全体を包囲して、時を止める大魔法を使う。
しかし、これは覚られずに準備を進めるのが難しい上に、長い時間が掛かる。
もう1つは暗殺部隊を送り込む方法。
精鋭を市内に潜伏させて、マイストル事ヴァールハイト事ゲヴェールトを暗殺するのだ。
これはマイストルを発見出来るか、運次第の所がある。
一度居場所が明らかになってしまった以上、ゲヴェールトは同じ所に留まりはしないだろう。
実行部隊が潜入中に発見されてしまうリスクも考慮しなくてはならない。
そこで2つの作戦を同時並行で進める事になった。
マールティン市に送り込む精鋭には、時間停止魔法の事は伝えない。
もし操られる事になっても、情報を吐かせない為だ。
余り時間が掛かる様であれば、諸共に時間停止魔法に巻き込む。
精鋭は処刑人の中でも腕利きの者から選ばれた。
街中での飲食は慎み、とにかくゲヴェールトを見掛けたら殺すと言う指示を受け、処刑人達は、
マールティン市に忍び込む……。
創る名無しに見る名無し [sage] 2019/03/05(火) 19:33:30.65:D1b7IIDA
そう言う予定だったのだが、市の警備は厳重になっており、容易に潜入は出来なくなっていた。
外壁の守備は都市警察に代わって、フォーコン中隊の執行者が仕切っている。
都市警察の目を欺く事は出来ても、執行者の目を欺く事は容易では無い。
フォーコン中隊には処刑人が居るのだ。
見付かったら殺されてしまう可能性がある以上、どうしても実行には慎重になる。
ゲヴェールトの暗殺作戦は一旦中止となり、先に時間停止魔法の準備だけが進められる事になった。
――その時、マールティン市に入ろうとする1人の男が居た。
マールティン市への市民の移動は魔導師会と都市警察が禁じていた。
生活物資や食料が届かなくなれば、マールティン市民は困窮する。
物資を仕入れに街の外に出よう物なら、それは洗脳を解除する好機だ。
それなのに街に入ろうとする男は何者なのか?
魔導師会の執行者達は彼を呼び止めて、話を聞いた。

 「おい、そこの!
  この道路は封鎖中だ!」

 「えっ、そうなんですか?」

 「知らなかったのか?」

 「いえ、聞いてはいましたけど、バリケードとか無かったですし……。
  検問とかも無かったので、もう通れるのかと……」

執行者達は封鎖と言いながらも、立ち入りを禁じさせる障害は置かず、表向きは自由に通れる道路に、
見せ掛けていた。
それはマールティン市から外へ出る者を警戒させない為だ。

 「とにかく誰も通す訳には行かない。
  何の目的でマールティン市に入ろうとしていた?」
創る名無しに見る名無し [sage] 2019/03/06(水) 18:57:51.33:9vaEnqs9
執行者達の詰問に、男は困った顔をして言う。

 「マールティン市に用は無いんですけど……。
  その近くのサブレ村に行こうと思っていまして」

執行者達は愚者の魔法で嘘を封じていたが、特に抵抗された様子は無いので、一応は信じる事にした。

 「残念だが、回り道をして貰いたい」

 「道路工事って訳でも無さそうですが、何かあったんですか?」

 「何でも無い。
  早く立ち去れ」

 「何か私に協力出来る事はありませんか?」

男の申し出に、執行者達は目を見張った。

 「何を馬鹿な……。
  何も無い、引き返せ」

 「もしかして反逆同盟絡みの事件ではありませんか?」

執行者達は狼狽を隠して、鋭い目付きで彼を睨む。

 「お前は――!」

 「私はワーロック・アイスロン。
  反逆同盟と戦う者です」

男の告白に執行者達は驚愕した。
これが噂に聞く協力者なのかと。
創る名無しに見る名無し [sage] 2019/03/06(水) 18:59:24.94:9vaEnqs9
協力者は外道魔法使いだと執行者達は聞いていたのだが、目の前のワーロックと名乗った男は、
全く脅威も魔法資質も感じさせなかった。
認識を狂わされたのかと、執行者達は震える。

 「行き成り、そんな事を言われても」

 「それは尤もです。
  私には信用して貰う方法も――あっ」

ワーロックは小さく声を上げて、その場で魔力通信機を取り出した。
そして、どこかの誰かに連絡を入れる。

 「もしもし、ワーロックですけど。
  ――ええ、話を通して貰えないかと。
  あっ、切れた……」

何をしているのかと訝る執行者達の視線に気付いた彼は、不審な愛想笑いをした。
その直後に赤豆色の魔導師のローブを着た女性が、物凄い速さで遥か遠方から駆け付ける。

 「八導師親衛隊が一、疾風のバレーナ、只今参上!」

彼女は名乗り終えると、肩で息をしながら、青いローブの執行者達を見詰める。
執行者達は困惑していた。

 「親衛隊……?」

 「そうです!
  彼の身分は私が保証します」

バレーナは親衛隊の証である徽章を堂々と執行者達に見せ付ける。
創る名無しに見る名無し [sage] 2019/03/06(水) 19:02:42.71:9vaEnqs9
しかし、執行者達は一々親衛隊の徽章を記憶していない。

 「あの赤いローブって何だっけ?
  青が執行者、緑が教師、黒が研究者、黄色が道具協会、白が医療、灰色が一般……」

 「赤は……?」

 「資料館も緑だったよな?
  教師が明るい緑で、資料館は暗い緑。
  処刑人は薄い青、八導師は金縁、赤は競技会じゃなかったか?」

 「競技会は紫で、技術士会が暗い橙。
  赤は競技者だったと思う」

 「それだ!
  競技者が真っ赤なんだよな。
  代議員が銀縁で……。
  あの暗い赤みたいな紫みたいなのは何だ?」

 「親衛隊って青じゃなかったか?
  ガーディアン・ブルーとか言う」

バレーナは内輪で話し合ってばかりの執行者達に近付いて、文句を言う。

 「魔導師の手帳に書いてありますよ!
  親衛隊は深い青紫と深い赤紫!
  ガーディアン・ブルーとインスペクター・レッドです!」

彼女は手帳の該当頁を開いて、確りと全員に見せ付けた。
それで漸く執行者達も納得する。
創る名無しに見る名無し [sage] 2019/03/07(木) 18:53:33.11:3B/knHlc
バレーナはワーロックと執行者達に話した。

 「大凡の事情は、私も把握しています。
  マールティン市は反逆同盟のゲヴェールト・ブルーティクライトに占領されました。
  彼は血液を媒介にして人を操っています。
  彼の血が混ざった水や食物を摂取しただけで、彼の支配下に入ってしまうのです」

 「そんな事になってるんですか……。
  私に何か出来ますか?」

そう問われて、バレーナと執行者達は顔を見合わせる。
執行者達は困り顔で答えた。

 「いや、無い……」

何も知らない者から見れば、ワーロックは魔法資質が低い一般人だ。
協力して貰う事は何も無いと、執行者達は気不味そうに断る。
バレーナはワーロックに逆に問い掛けた。

 「何か出来る事があるから、ワーロック殿は、ここに来られたのでは?」

 「あぁ、いや、そうでも無いんですけど……。
  何かして欲しい事はありますか?」

改めてのワーロックの問い掛けに、執行者達は戸惑う。

 「何かって……」
創る名無しに見る名無し [sage] 2019/03/07(木) 18:54:29.87:3B/knHlc
ワーロックも自分なりに考えて、至極真面目な顔で尋ねた。

 「そのゲヴェールトって言う人を何とかすれば良いんですよね?」

 「そんな簡単に行くなら苦労は無い。
  街中の全員が敵なんだぞ」

執行者達も真面目に答える。
ワーロックは両腕を組んで低く唸った。

 「……あの儘、私が貴方々に止められずに街の中に入っていたら、どうなっていました?」

 「そりゃ何も知らずに何か食うなり飲むなりして、洗脳されてたに決まってる」

 「街の中には入れる訳ですか?」

 「ああ、執行者じゃなければ警戒はされないだろう。
  あんたは魔法資質も低いみたいだからな……」

 「それなら怪しまれずに潜入してゲヴェールトを倒す事も出来るのでは?」

ワーロックの提案に執行者は少し間を置いて答えた。

 「あー、理屈で言えば、そうなんだが……。
  危険過ぎる。
  素人には任せられない」
創る名無しに見る名無し [sage] 2019/03/07(木) 18:55:15.11:3B/knHlc
そこにバレーナが割って入った。

 「いえいえ、彼は素人ではありませんよ。
  ワーロック殿が解決した事件は多いのです。
  エグゼラの巨人事件に、ボルガの魔城事件、全てワーロック殿の協力あって、解決に至りました」

 「それは一寸、大袈裟ですけど……。
  それなりの役割は果たしたと自負しています」

執行者達は疑わし気な眼差しでワーロックを見詰め、その後にバレーナに問い掛けた。

 「本当に大丈夫なんですか?」

 「他に潜入に適した人は居ないでしょう。
  魔導師でない事、魔法資質が低い事、私達の事情を理解してくれる事。
  これだけの要素を持った人が他に居ますか?」

 「……お話は分かります。
  しかし、我々だけでは判断が付きません」

ここに来て執行者達は、お役人振りを発揮する。
作戦命令に無い勝手な行動は取れないと言う訳だ。
それ自体は間違ってはいない。
バレーナは呆れながらも自らの判断で命じる。

 「上には私が話を通しておきます。
  それに彼なら敵に回っても大丈夫でしょう」

 「ああ、確かに」

執行者達が浅り納得して頷いたので、ワーロックは少し傷付いた。
創る名無しに見る名無し [sage] 2019/03/08(金) 19:43:28.80:V3EEz8Em
それからワーロックは外壁の門に向かった。
門の前にはフォーコン中隊の執行者達が居て、物々しい様子。
ワーロックが近付くと、執行者達は彼を警戒する。

 「待て、マールティン市に何の用だ?」

 「何の用って……。
  何かあったんですか?」

ワーロックが素っ呆けて尋ねると、執行者達は苦々しい顔をして問う。

 「……本当に知らないのか?」

 「あー、知ってはいます。
  マールティン市方面は通行禁止でしたよね?
  でも、道は何とも無かったですし……。
  本当の事は実際に見てみるまで分からないじゃないですか?」

 「あんた、記者か何か?」

 「いえ、旅の商人です」

執行者の問にワーロックは許可証を提出して答えた。
それが本物だと判ると、執行者達は数極間、お互いの顔を見合う。

 「えー、荷物の検査をしても?」

 「はぁ、どうぞ」

ワーロックはバックパックを渡して、怪しい物が無い事を確認させる。
創る名無しに見る名無し [sage] 2019/03/08(金) 19:44:34.30:V3EEz8Em
危険が無い事を理解した執行者達は、ワーロックを通す事にした。

 「……通って良いぞ。
  但し……、いや、この街には何も異常は無い。
  どうも本部は市内の状況に就いて、誤解しているみたいなんだ。
  それは解ってくれ」

何を言っているんだと訝るワーロックだが、執行者達の顔は真剣だ。
これも洗脳されている所為だろうかと、ワーロックは不思議がりながら市内に入った。
市内は静まり返っていて活気が無い。
交通を封鎖されているのだから、当然と言えば当然だ。
ワーロックは取り敢えず、彼方此方の商店を見て回る事にした。
だが、どこの商店も棚は空か空かで品切れがある。
ある食品店でワーロックは店主に問い掛けた。

 「あのー、品切れってなってるんですけど……」

 「ああ、入荷を頼んでも来てくれなくなって。
  配達も駄目だって言うんだ。
  どうしてもって言うなら、取りに来てくれってさ」

 「取りに行かないんですか?」

ワーロックが素直な疑問を口にすると、店主は眉を顰める。

 「行きたいのは山々なんだがね……」

 「何か問題でも?」

 「いや、他所の人には解らない事ですよ……」

再びの問いにも、店主は意味深に暈かして答える。
創る名無しに見る名無し [sage] 2019/03/08(金) 19:49:05.54:V3EEz8Em
ワーロックは両腕を組んで考えた。
この儘では、街は困窮してしまう。
それは作戦通りなのだが、日常生活に支障が出て困るのは市民だ。
もしマールティン市民が徹底的に耐えると言う選択をしたら、どうなるか……。
洗脳されているのだから、そちらの可能性の方が高い。
ワーロックは旅商として申し出た。

 「私が仕入れて来ましょうか?
  私は行商の許可を持っています。
  一度に大量には無理ですけど、馬に乗せて運べる分位は……」

 「えっ、貴方が!?」

 「そんなに驚く様な事ですか?
  私は個人事業なので、特に誰にも許可とか必要無いですし……。
  あ、流石に倍の値段で売ろうとかは考えていないので、安心して下さい。
  仕入れの1割増で、どうでしょう?」

 「割増って市販価格じゃないでしょうね?」

 「いや、これでも業者とは付き合いがあります。
  商売の性質上、余り安い所ではありませんが……。
  急な個人の注文に応じてくれるだけ有り難いと思わないと」

店主は暫し彼を怪しんでいたが、やがて決断する。

 「ムム、背に腹は代えられんか……。
  他の店とも相談するから、一寸待っててくれ」

 「運ぶ量には限度があるので、重要度の高い至急品を優先して下さい」

 「分かってる、分かってる」

店主は外に駆け出して、隣の店に入って行った。
創る名無しに見る名無し [sage] 2019/03/09(土) 18:52:32.01:V/zhJaqi
それからマールティン市の殆どの商店の店主等が集まり、ワーロックに要求した。

 「とにかく食べ物が優先だ」

 「出来れば、薄紙や洗剤も頼む。
  日用品も足りないんだよ」

 「魔力路が止められているのも何とかして貰いたい。
  真面に使えるのは水道しか無い」

全員に一遍に迫られて、ワーロックは後退しながら言う。

 「取り敢えず、皆さんで話し合って、優先順位の高い物を上から順に紙に書いて下さい。
  それを仕入れて来るので。
  出来れば、具体的な商品名で書いて貰えると嬉しいです」

それを聞いた各店の店主等は、顔を突き合わせて話し合った。

 「何は無くとも食料だ。
  日持ちするのが良い」

 「次は日用品で」

 「それは良いけど、品目も絞らないと」

その間にワーロックは、店内の空きだらけ陳列棚の様子を魔法で紙に転写する。
ああだ、こうだと話し合いは続いて、2角後に漸く結論が出る。
最初にワーロックと話した食品店の店主が、皆を代表して注文書を提出した。

 「取り敢えずは、これで頼む。
  戻って来るまで、どの位掛かりそうなんだ?」

 「往復で半日って所です。
  今からなら夕方か夜になります。
  それまでに次に頼む物を決めておいて下さい」

 「ああ、分かった」

こうしてワーロックは注文書を手にマールティン市を出る。
創る名無しに見る名無し [sage] 2019/03/09(土) 18:54:54.04:V/zhJaqi
外壁の見張りをしていた執行者達は、浅りとワーロックを外に出してくれた。
深刻な物資の不足は全員が心配している事だった。

 (こんな時でもゲヴェールトは出て来ないのか……)

やはりゲヴェールトは人を操っているだけなのだと、ワーロックは確信する。
自らは表に出ず、人々を思い通りに操る様な存在を許しては行けないと、彼は固く心に決めた。
ワーロックは急ぎ足で道を引き返す。
そして道を監視していた執行者に呼び止められた。

 「あっ、おい、待て!
  中の様子は、どうだった?
  反逆同盟の連中は?」

 「反逆同盟の者には会えませんでした。
  それより、これから商品を仕入れに行きたいのですが」

 「いや、それは駄目だ。
  何の為に態々交通を規制していると思ってるんだ?」

 「分かっていますけど、あの儘では市民は飢え死にしてしまいますよ。
  どうやら洗脳を解く積もりは無いみたいですから。
  どれだけ市民を困窮させて追い詰めても、逃げ出す事はありません。
  今の儘では徒に市民を苦しめるだけです」

 「……あんた、洗脳されてはいないよな?」

執行者達はワーロックがゲヴェールトに洗脳されているか疑い出す。
それは仕方の無い事だとワーロックは認めて、堂々と反論する。

 「市内では水も食料も一切取っていません。
  疑うんだったら、検査して貰っても良いですよ。
  でも、市内に物資を運び込む事だけは許可して下さい。
  これを見て下さい」
創る名無しに見る名無し [sage] 2019/03/09(土) 18:56:54.97:V/zhJaqi
ワーロックは紙に転写した食品店内の様子を見せた。

 「買い占めもあったんでしょうが、こう言う状況なんですよ。
  洗脳される者を増やしたくないなら、市内に入らなければ良いだけでしょう。
  上と交渉して貰えませんか?」

 「……分かった、貴重な情報だ。
  あんたの要求は伝えておく」

 「頼みましたよ。
  私は品物を仕入れて、もう一度ここに戻って来ます。
  それまで返事を貰っておいて下さい」

執行者と別れた彼は高速移動魔法を使って、最寄りのタハデラ市に移動する。
そこで荷運び用の騾馬を2頭借り、仲卸業者を回って、注文された品を購入する。
騾馬に荷物を積み込んだら、マールティン市に向けて再出発。
タハデラ市内での諸々の準備に2角を費やしたが、時間的には余裕がある。
問題は執行者が許可を取っているか否かだ。
騾馬を連れて戻って来たワーロックを、やはり執行者達が呼び止める。

 「早かったな」

 「そりゃ急ぎましたからね。
  積み荷の検査をするんですか?」

 「ああ、いや、それ以前に未だ本部から返答が無いんだ」

執行者の返答にワーロックは露骨に不満を顔に表した。
お役所仕事で返答が遅いのは理解出来るが、余りにも危機感が足りない。
創る名無しに見る名無し [sage] 2019/03/10(日) 18:20:18.02:U4gamvS8
ワーロックは険しい顔付きになって、執行者に詰め寄った。

 「幾ら何でも悠長でしょう!
  街の状況は伝えたんですか?」

 「いや、伝えた事は伝えたが、返答が遅いのは仕方無いんだ。
  下から上に要求する時は、どうしても許可が多く要って手間が掛かる」

 「催促はしたんですか?」

 「いや……」

執行者達は上からの命令で動く分、基本的に受け身なのだ。
そう言う作戦だからとは言え、市内の困窮した状況を積極的に解決しようともしていない。
ワーロックは深い溜め息を吐いて、込み上げる怒りを静めた。

 「もう良いです。
  親衛隊の人を呼びます」

彼は魔力通信機で親衛隊員に連絡を入れる。

 「もしもし、ワーロック・アイスロンです。
  至急、来て欲しいんですけど……。
  はい、お願いします」

執行者達は気不味い表情で、その場に待機していた。
親衛隊員が到着するまでの間、ワーロックは怒りを抑え切れず、彼等と話をする。

 「貴方々は市内の人々を何だと思っているんですか?」

 「何って……」

 「敵の支配下にあるとは言え、守るべき市民でしょう。
  それなのに見殺しにする様な真似を……!」
創る名無しに見る名無し [sage] 2019/03/10(日) 18:21:40.53:U4gamvS8
説教の途中で親衛隊員が到着したので、ワーロックは口を閉ざした。
執行者達は文句を言われても困ると言う顔で、余り反省はしていない。
下っ端には上を動かす様な力は無いのだ。
現れた親衛隊員はバレーナとは違う女性だった。

 「初めまして、ワーロック・アイスロンさん。
  私は親衛隊班長の――?」

背の高い彼女はワーロックを見詰めて問う。

 「えー、お会いした事がありますね?」

 「えっ、どちら様……」

 「元執行者のジラ・アルベラ・レバルトです」

 「……済みません。
  一寸、思い出せません」

本当に思い出せずに困惑するワーロックに対して、ジラは苦笑いした。

 「十年以上昔の事ですから、仕方の無い事かも知れません。
  それでも何度か顔を合わせていた筈なのですが……。
  その話は今は措くとして、どうしました?」

とにかく今の事を優先しようと、ワーロックは途中で思い出すのを止めて、事情を話す。

 「マールティン市に食料や日用品を届けたいんですけど、中々許可を貰えなくて……」

 「それは作戦として止めているのですから」

ジラの答に、同じ様な説明を又しなければ行けないのかと、ワーロックは肩を落とす。
創る名無しに見る名無し [sage] 2019/03/10(日) 18:23:06.44:U4gamvS8
彼は気を入れ直して、マールティン市の内情を語った。

 「――と言う訳なんです」

 「成る程、解りました。
  私が上と掛け合いましょう。
  少々お待ち下さい」

ジラは魔力通信機を取り出すと、どこかに掛けて話を始める。

 「もしもし、親衛隊G班班長ジラ・アルベラ・レバルトです。
  作戦本部に繋いで下さい」

どうやら執行者のマールティン市攻略作戦を指揮する、作戦本部に連絡を入れている様である。
通信が繋ぎ変わると、彼女は改めて名乗った。

 「あ、作戦部長ですか?
  親衛隊G班班長ジラ・アルベラ・レバルトです。
  マールティン市内の様子に就いて、御存知でしょうか?
  報告は……受けていない……、はい、受けてらっしゃらないと」

それからジラはマールティン市民の窮状を懇々と解き、作戦部長の返事を待つ。

 「――御理解頂けましたら、どうか許可を……。
  あっ、はい、宜しいのですね?
  はい、はい、いえ、失礼しました、有り難う御座います」

通信を終えた彼女はワーロックと執行者達に言う。

 「許可は取りました。
  搬入物の検査をして、問題が無いと判断すれば、通して良いとの事です」

 「有り難う御座います」

ワーロックはジラに深く頭を下げた。
これにて漸く彼はマールティン市に戻れる事に。
創る名無しに見る名無し [sage] 2019/03/11(月) 19:20:23.57:RTDHJD8F
荷を乗せた騾馬を連れて戻って来たワーロックを、外壁を見張るフォーコン中隊の執行者も止める。

 「待て、積み荷の検査をする」

 「はい、良いですよ」

ワーロックは面倒臭いと思ったが、予想は出来ていた事だったので、それを顔には表さず過ごす。
執行者達は何か仕掛けられていないか、怪しい物が持ち込まれていないか、共通魔法で調べた。
そして一通り確認してから、ワーロックを通す。

 「良し、通って良いぞ」

ワーロックは一礼して外壁の門を潜った。
彼が市内に入ると、各店の店主等が駆け寄って来る。
最初に話を持ち掛けた食品店の店主が、先ずワーロックに声を掛けた。

 「有り難う。
  全部で幾らだ?」

商売の話が付く前に、急っ勝ちの他の店主が品物を取って行こうとする。

 「おい、持って行って良いか?」

食品店の店主が、それを窘めた。

 「待て待て、こっちの話が済んでからにしろ!
  手前の所の分を確保するだけにしとけ!」

ワーロックは領収書を見ながら確認する。
創る名無しに見る名無し [sage] 2019/03/11(月) 19:22:16.82:RTDHJD8F
凭々(もたもた)している彼を、食品店の店主は辛抱強く待った。

 「えーと、全部で大体74万です」

 「1MG単位まで正確に言ってくれないか?
  いや、領収書を寄越してくれ。
  そいつの1割増しを払えば良いんだろう?」

 「あの、馬の賃料分も……」

 「ああ、分かった。
  騾馬が2頭で幾らだった?」

 「こっちも領収書があるんで……。
  はい、2頭で1万9000でした」

 「端(はした)は出なかったのか?」

 「ええ」

 「良し、確り払わせて貰うから、次も頼む」

 「明日の朝になりますけど、良いですか?」

 「ああ、何時だ?」

 「そうですね……多少余裕を見て、南東の時で」

 「分かった」

話が付くと、食品店の店主も自分が注文した分を取って行く。
創る名無しに見る名無し [sage] 2019/03/11(月) 19:24:11.30:RTDHJD8F
それからワーロックが暫く、その場で待っていると、食品店の店主が戻って来た。

 「全部で83万5714MGだ。
  それと馬の1万9000」

札束と小銭を渡され、それをワーロックは手持ちの金庫に収める。
その後に店主は新しい注文書を差し出しながら言う。

 「もう数頭、馬を借りて来れないか?
  それか馬車を使うか……」

 「私個人では多くの馬を扱う事は出来ません。
  馬が疲れない様に魔法で走らせていますから……。
  それに馬車は免許が無いので……。
  あるのは乗馬の免許だけです」

店主は悔しそうな顔をした。
普通ならワーロックを頼る必要は無い。
仕入れに問題があるなら、馬車の運転免許を持つ者を同伴させれば良い。
だが、それさえも出来ない状況なのだ。
何故出来ないのかと言えば、「マイストル」に禁じられているから。
彼の洗脳で街の外は危険だと刷り込まれているから。

 「済みません、私個人の限界です」

ワーロックが謝ると、店主は首を横に振る。

 「いや、仕方が無いんだ。
  仕方が無い」

彼は自分に言い聞かせる様に、そう言った。
ワーロックは2頭の騾馬を連れて、再びマールティン市を出て行く。
創る名無しに見る名無し [sage] 2019/03/12(火) 18:31:21.05:DQGjtbjp
タハデラ市に戻る道中、ワーロックは執行者に呼び止められて、又話をする。

 「市内の様子は、どうだった?」

 「変わりありません。
  あの程度では物資の不足を解消出来ない様で、もっと運べないかと言われましたが……。
  誰も市内から出て行く気は無い様です」

 「やはり洗脳が強いのか?」

 「そうみたいです。
  所で、魔導師会はマールティン市を解放した時の為に、支援物資を用意しているんですよね?」

ワーロックの質問に執行者達は困った顔をした。

 「分からない。
  諸々の手配は上が決める事だ……。
  準備しているとしても、一々私達の様な下っ端にまで報告は行かない」

完全に指示待ち状態の執行者達に彼は眉を顰める。
何を聞いても無駄だと察して、ワーロックは小さく溜め息を吐いた。

 「又、明日の朝に来ます。
  南東の時より少し前位に」

 「夜中は通らないのか?」

 「流石に夜通しは辛いですよ」

彼は執行者達と別れると、暗い夜道をタハデラ市まで急いだ。
創る名無しに見る名無し [sage] 2019/03/12(火) 18:33:48.66:DQGjtbjp
タハデラ市に戻った彼は、夜の内に貸りた騾馬を返して、同時に明日の予約をする。
更に仲卸にも回って、翌朝にマールティン市まで届ける品物を手配した。
どこも大抵、北西の時までは開いているので、そこは助かった。
ワーロックはタハデラ市内の安いホテルに泊まり、一日駆け回った疲れで深い眠りに落ちる。
起床は東の時。
彼は再び馬を借りて、仲卸を回り、マールティン市に急ぐ。
道中、執行者達に止められ、積み荷の検査を済ませて、軽い会話をする。
更に、マールティン市の外壁前で、今度はフォーコン中隊の執行者達の積み荷検査を受け、
これで漸くマールティン市内に。
所が、門を潜って直ぐの所で、ワーロックは店主達を引き連れた、見慣れない人物と出会う。
彼はワーロックに対して笑顔で言う。

 「貴方が、このマールティン市に物資を搬入して下さっている方ですね?
  有り難う御座います、市民を代表して、お礼申し上げます」

 「誰ですか、貴方は?」

ワーロックはゲヴェールトに似ている人物だと警戒したが、明らかに年齢が上に見えるので、
もしかしたら人違いかも知れないと思った。
ワーロックの問いに彼は堂々と答える。

 「私はマイストル・レッドールです」

ワーロックはマイストルに関する情報は聞いていなかったので、知らない名前だと首を傾げる。
偽名かも知れないとも考えたが、それを直接聞く訳にも行かない。

 「市長さんですか?」

 「いえ、違います」

 「副市長とか、議会の議員だとか?
  それとも商工会の会長とか、副会長?」

 「違います」

偉そうにしているのに、何なんだとワーロックは眉を顰めた。
創る名無しに見る名無し [sage] 2019/03/12(火) 18:35:33.93:DQGjtbjp
マイストルと名乗った人物は、困った顔で言い訳する。

 「特に何と言う者ではありません。
  只の隠居です」

それなら態々市民を代表して等と言わなければ良いのにと、ワーロックは不審に思った。
礼を言われて悪い気はしない物の、何か違和感がある。

 「……お話は、それだけでしょうか?」

 「いえ、何かしら、お礼をしなくては行けないと思いまして……。
  勿論、言葉だけでは無く」

 「はぁ、そうですか……。
  それで何を?」

ワーロックは彼の誘いに乗る積もりは無かったので、冷淡に応じた。

 「食事でも如何でしょうか?」

 「申し訳ありませんが、そんな暇はありません。
  未だ未だ物資は不足しているんでしょう?
  貴重な食料を私が食べてしまう訳には行きませんよ。
  それに、今日中に4回は往復したいです」

マイストルは小さく舌打ちして、態度を豹変させた。
彼は懐から真っ赤な短剣を取り出して、ワーロックに向ける。

 「本当は知っているんだろう?
  この街の状況も私の正体も……。
  何を企んでいる?」

ワーロックは身構えたが、何時の間にか彼の周囲を執行者が取り囲んでいる。
創る名無しに見る名無し [sage] 2019/03/13(水) 18:10:37.93:a9pjyeok
こうなったら抵抗は難しい。
ワーロックは構えを解いて脱力した。

 「何も企んでなんかいません。
  市内の様子を見に来ただけです」

 「嘘を吐くな。
  この街に通じる道は魔導師会が封鎖している。
  奴等の許可無しには街に入れない」

 「ああ、許可は取りました。
  市民が困っているからと」

 「魔導師会は、この街を封鎖して、市民を困窮させるのが目的だった筈だ。
  そうすれば戦わずして、この街を制圧出来る。
  それを態々破ると言う事は、詰まり作があるのだろう?」

疑り深いマイストルにワーロックは苛付いて来た。

 「それでは市民に犠牲が出るかも知れないでしょう」

 「馬鹿な!
  だから何だと言うのだ!
  それが戦争と言う物だ!
  兵糧攻めは基本中の基本だろう」

 「戦争?」

 「ああ、そうだとも!
  これは魔導師会に対する反逆だ!」

啖呵を切ったマイストルだが、ワーロックは怪訝な顔をする。
創る名無しに見る名無し [sage] 2019/03/13(水) 18:12:47.54:a9pjyeok
 「何の為に、こんな事をするんですか?
  意味が解らない」

 「私は自分の国が欲しいのだ。
  誰にも侵されない、私だけの国が!
  私の土地、私の民、私の法、全てが私の為にある、私だけの国!」

堂々と野望を語るマイストルに、ワーロックは呆れた。

 「……それは無理ですよ。
  人には心があります。
  何も彼も思い通りにはなりません」

 「知らないのか?
  私の魔法なら、それが出来る。
  私は私の国を築くのだ!」

マイストル事ゲヴェールト事ヴァールハイトの魔法資質と血の魔法があれば、多くの者を従わせ、
思い通りに操る事も可能だ。

 「何か意味があるんですか、それ?
  普通に市長とか町長になるんじゃ駄目なんですか?」

 「……お前の様な小物には解るまい。
  人の偉大さとは人を従えられる事なのだ。
  大勢が私を称え、私を敬い、私に従う。
  これ以上の幸福があろうか!」

それは悪魔らしい考えだ。
偉大だから人を従えられるのでは無く、人を従える事で偉大さを示そうとする。
その本末転倒振りに気付いていない。
ワーロックには彼の考えが理解出来なかった。
創る名無しに見る名無し [sage] 2019/03/13(水) 18:15:58.28:a9pjyeok
 「いや、幾らでもあるんじゃないですか……。
  寧ろ、そんな大変な事をしないと幸福感を得られないんですか……?」

 「では、お前の考え付く幸福とやらを言ってみろ!」

余りに堂々とマイストルが問うので、ワーロックは少し気圧されながら答える。

 「例えば、美味しい物を食べたり、夜に気持ち良く眠れたり、暖かい日差しを浴びたり、
  清々しい空気を吸ったり、よく働いた後の疲労とかでも、幸せなんて少し目を向ければ、
  どこにでもある物じゃないですか?」

 「フン、安易だな!
  所詮は肉の喜びに過ぎないでは無いか!
  肉体より精神を満たす事の方が高尚では無いのか?」

 「ウーム、そう言う考えもあるでしょうが……」

 「安易に得られる幸福に何の価値がある!
  苦労して得られる幸福こそ、真の幸福だろう!」

悪魔らしく知恵の回る答に、ワーロックは納得させられそうになるも、人を思い通りに支配する事は、
受け入れ難い。

 「でも、人に迷惑を掛けるのは、良くないですよ」

 「そんな事を言っていては、何も成せないぞ。
  確固たる信念と決意のみが、道を拓くのだ。
  世間の反応等、結果次第で、どうとでも変わる。
  英雄と大罪人に、どれだけの差があると言うのか?」

マイストルは実に堂々として、少しも怯みを見せない。
創る名無しに見る名無し [sage] 2019/03/14(木) 19:16:47.54:4FAbatfA
何を言っても説得出来そうに無かったので、ワーロックは違う方向から攻める。

 「……それで籠城して勝ち目はあるんですか?」

 「あの儘、兵糧攻めを続けられていたら、市民は全滅していたかも知れないな。
  それでも私は一向に構わなかった。
  困るのは魔導師会の連中の方だろう。
  市民を守れない魔導師会に何の価値がある?」

マイストルが平然と答えたので、ワーロックは彼を軽蔑した。
やはり彼は人間の事を何とも思っていないのだ。
市民に被害が出れば、魔導師会の信用が落ちる。
反逆同盟としては、それで良いのだろう。
ワーロックは周囲を見回して、マイストルの発言を聞いた市民の反応を窺った。
だが、誰も衝撃を受けた様子は無い。
ワーロックは全員に呼び掛ける。

 「皆、聞いただろう!!
  こいつは人の事を何とも思ってないんだぞ!!」

マイストルは彼を馬鹿にする様に小さく笑った。

 「無駄だよ。
  この街の者達は、皆、私を盲目的に崇拝している。
  私の為なら、自らの命を投げ出せるし、身内を殺す事も厭わない。
  諦めるんだな」

何か良い手は無いかと長考するワーロックに、マイストルは告げた。

 「お前に策略が無い事は判った。
  詰まらん理想主義者だと言う事もな。
  憐れな市民の為に、早く食料を運んで来るが良い」
創る名無しに見る名無し [sage] 2019/03/14(木) 19:18:01.48:4FAbatfA
相手がマイストル事ゲヴェールト事ヴァールハイトだけならば、ワーロックも手の打ち様はあるが、
執行者や処刑人まで付いているのが厄介だ。
マイストルが去ると店主達は何事も無かったかの様に、ワーロックを迎えて取り引きを持ち掛ける。
ワーロックは商品を渡して金を受け取ると、大人しくマールティン市から出て行く事にした。
マールティン市を出た後、タハデラ市に向かう道中で、彼は執行者達に呼び止められる。

 「どうだ?
  何か変わった事はあったか?」

執行者達はワーロックの様子が奇怪しい事に、気付いていた。
ワーロックは落ち込んだ気分で答える。

 「はい、マイストルと言う人物に会えました。
  ゲヴェールトとは違う人……だと思うんですけど」

 「ああ、マイストルは偽名だ。
  奴の正体はゲヴェールトの中に潜む、もう一人の魔法使いだと言う」

 「二重人格か何かですか?」

 「厳密には違うかも知れないが、似た様な物だと思って貰って構わない。
  それで、何か判った事とか、変わった事は?」

 「……市民を助けるのは難しいかも知れません。
  洗脳が強過ぎて……」

それを聞いた執行者達は、小さく溜め息を吐いた。

 「そう気を落とすなよ。
  あんた一人に何か出来るなんて、誰も思っちゃいないさ。
  市民を守るのは、執行者の務めだ」

 「はい……」

ワーロックは頭の中で、どうやったら市民を救えるかを考えていた。
創る名無しに見る名無し [sage] 2019/03/14(木) 19:20:13.51:4FAbatfA
彼が執行者と別れ、考え事をしながら騾馬を連れて歩いていると、行き成り横から声を掛けられる。

 「ワーロック・アイスロン殿ですね?」

 「うわっ、どなた!?」

ワーロックが驚いて振り向くと、そこに居たのは隠密魔法使いのフィーゴ・ササンカ。
ワーロックは2頭の騾馬を止めさせる。

 「あ、貴女は……隠密魔法使いの……」

 「フィーゴ・ササンカです」

 「そう、ササンカさん……。
  私に何か御用ですか?」

 「いえ、私では無く……」

ササンカは腰の巾着から拳大の石を取り出して、ワーロックに見せた。
石は自ら声を発する。

 「ラヴィゾール、僕だよ、僕!」

 「あっ、『音石<サウンドストーン>』!
  レノックさんですか!」

 「そうそう、君に話があるんだ。
  先ずは、君が得たマールティン市の内情を聞かせて欲しい」

ワーロックは音石の求めに応じて、市内の様子を語った。
創る名無しに見る名無し [sage] 2019/03/15(金) 18:49:23.56:tWC0C7x3
音石は何度も合いの手を入れつつ一通りの話を聞き終えると、ワーロックに言った。

 「成る程、話は分かった。
  僕の知っている限りの事を君に話そう」

 「あの……レノックさん、本体は?」

語りに入られる前に、ワーロックは音石に尋ねる。
音石は少し気不味そうな声で答えた。

 「あー、実はマールティン市を調査中に捕らわれてしまった。
  詰まり本体は動けない状態にある」

 「ええっ!?
  大丈夫なんですか?」

 「さて、どうだろう?
  殺されても不思議は無いんだけど。
  本体のレノックが死んでも、僕まで死ぬ訳じゃないから、そう心配はしないでくれ」

レノックと音石は同一の存在であり、思考も完全に同じである。
彼も又、悪魔らしく人間の様な肉体への執着は薄い。
他の悪魔と異なる所は、己の力に対する執着も余り無い所。
彼は自分の価値を肉体や魔法資質に置いていないのだ。
その知恵と意識と心が、彼の全てなのである。

 「とにかくレノックさんを解放する為にも、マールティン市をどうにかしないと行けないと、
  そう言う訳ですね?」

 「余り気負わないでくれよ。
  僕の為にとは考えないでくれ」

レノックは自分の為に他人が犠牲になる事を望まなかった。
それは彼が聖人だからでは無く、先述した様に本体を余り重要だとは思っていない為だ。
創る名無しに見る名無し [sage] 2019/03/15(金) 18:51:56.96:tWC0C7x3
音石は話が逸れてしまったと、態とらしく咳払いをする。

 「じゃあ、あの街に就いて、僕の知る限りの事を話そう。
  先ず、マイストル・レッドールだ。
  奴は反逆同盟の一員ゲヴェールトの、もう1つの人格ヴァールハイトだ。
  当然ながら、ヴァールハイト自身も反逆同盟の一員と見るべきだろう。
  彼は血を取り込んだ者を操る魔法を使う様だ」

 「血ですか……」

 「口から摂取するだけとは限らない。
  飲食物以外にも気を付ける事だな」

 「はい」

例えば、血が体に付着しただけでも行けない可能性がある。
血の臭いを嗅ぐ事さえも、微細な粒子を体に取り込んでいるのだから、良くない可能性がある。
どの程度まで有効なのかは、魔法を使う当人にしか分からないのだ。
音石は語りを続ける。

 「しかし、操ると言っても、意識を乗っ取ったり、体を動かしたりするだけだ。
  それ以上の力で押さえ付ければ、何も出来ない。
  どう言う事か判るね?」

 「何か超人的な能力を付与する訳では無いと言う事ですね?」

 「その通り……だけど、肉体の限界まで力を引き出す事は可能かも知れない。
  そこだけは気を付けてくれ。
  それと、奴は操った者を常時監視している訳では無い様だ。
  付け入る隙があるとしたら、その辺だと思う」

 「はい」

ワーロックは心の中で、多対一で戦う積もりは無いと思いつつ、必ず戦いが避けられるとも限らず、
その時には知識が必要になるかも知れないと心に留め置いた。
創る名無しに見る名無し [sage] 2019/03/15(金) 18:53:15.60:tWC0C7x3
更に音石は語りを続ける。

 「それとマイストル以外にも、反逆同盟の連中が居るかも知れない。
  厄介な事に、それまで情報が無かった奴が居た。
  僕等が見たのは『蝙蝠のバルマムス』。
  旧暦では、寓の魔法使いアストリブラ・バサバタパタと呼ばれていた」

 「どんな魔法使いなんですか?」

 「見た儘、蝙蝠の様な魔法使いだよ。
  空を飛べるが、大抵は逆さに振ら下がっている。
  こいつは物の存在を不確定にすると言う、恐ろしい奴だ。
  この魔法に掛かると、意識が朦朧として、物の認識が狂う。
  ある筈の物が無くなったり、無い筈の物があったりする。
  又、好調や不調を逆転させる」

 「弱点とかは?」

 「音と光だ。
  奴は大きな音や強い光に弱い。
  それと地上では動きが鈍り、魔法が使えなくなる。
  こいつだけなら、対処は簡単だから良いけど、他にも居るかも知れないから、気を付けて」

 「はい……。
  それで、どうすれば市内の人を助けられるんでしょうか?」

ワーロックにとって音石の助言は有り難かったが、これと言った妙案は思い付かなかった。
どうすればマイストル事ヴァールハイトを倒して、人々を解放出来るのか?
その為の策が無ければ、どう仕様も無い。
創る名無しに見る名無し [sage] 2019/03/16(土) 18:51:49.01:lPaDoe4B
音石は小声で低く唸る。

 「それは……僕にも思い付かない。
  君は魔法資質が高い訳じゃないから、強引に正面突破なんて出来ないだろうし……。
  でも、ヴァールハイトと対面する機会さえあれば……。
  その為に、君に渡しておく物がある」

そう音石が言うと、ササンカがワーロックに小さな『警笛<ホイッスル>』を差し出した。
受け取って繁々と見詰めるワーロックに、音石は解説する。

 「これは聞いた者の動きを止める効果がある。
  効果時間は吹いている間だけ。
  それも思いっ切り吹き続けていないと効果が無い。
  しかも連続して使うと効果が無い。
  もしもの時に使うんだ」

 「もしもって……」

 「連続してと言うのは、相手に警戒されていると行けないんだ。
  気を抜いていれば、何度でも効果があるけど、それにはある程度の間隔を空けておく必要がある」

 「詰まり、笛の効果が続いている間に、ヴァールハイトとか言う奴をやってしまえと」

 「そう上手く行くかは分からないけど……。
  慎重に頼むよ」

人を殺すのかとワーロックは手の平の警笛を熟(じっ)と見詰めた。
幸いと言うべきか、未だに彼は人を直接殺害した事が無い。
殺さずとも無力化出来れば良いのだが、それは中々難しい。
特に、相手が正体を現さない、遠隔操作系の魔法の場合は……。
創る名無しに見る名無し [sage] 2019/03/16(土) 18:53:26.17:lPaDoe4B
ワーロックは警笛を握り締めて、ササンカと音石と別れ、改めてタハデラ市に向かった。
タハデラ市で品物を仕入れて、マールティン市に戻って来るまで、大凡2角。
時刻は南の時を少し過ぎた位。
ワーロックは特に警戒されず、市内に入る事が出来る。
ササンカから貰った警笛も咎められる事は無かった。
執行者達の注意は、彼が仕入れた品物の方にばかり向いていた。
市内に入ると店主達が待ち構えていて、商品を取って行き、代金を支払う。
今度はマイストル事ヴァールハイトの姿は無い。

 (流石に、そう簡単には姿を現さないか……)

ワーロックが外壁から出て行こうとすると、彼を呼び止める声があった。

 「待ってくれ!」

彼が振り返ると、そこにはヴァールハイトに似た容姿の若い男性が居た。
身構えるワーロックに、若い男性は慌てて敵意が無い事を告げる。

 「待った、待った!
  先ず俺の話を聞いてくれ。
  俺はゲヴェールト・ブルーティクライトと言う」

 (もう1つの人格か……)

一体何なのかと、ワーロックは構えを解かずに、話だけを聞く。

 「私に何の用だ?」

 「ヴァールハイトを止めてくれ。
  もう俺は奴の言い成りは嫌なんだ」

ゲヴェールトの告白にワーロックは目を丸くして驚いた。
創る名無しに見る名無し [sage] 2019/03/16(土) 18:55:13.54:lPaDoe4B
ゲヴェールトは続ける。

 「ヴァールハイトは旧暦から生きている、俺の何代も前の祖先だ。
  血の魔法を利用して、代々の子孫の中で生き続けて来た。
  俺は外道魔法使いだから、共通魔法社会では居場所が無かった。
  だから、反逆同盟に入ったんだけど……。
  ここまでの事になるとは思わなかった。
  ヴァールハイトを何とかしてくれ!」

ワーロックは彼の言う事を本当か怪しみながらも、嘘だと切り捨てる事はしなかった。

 「そんな事を言って、大丈夫なのか?
  君の中にはヴァールハイトが……」

 「ああ、大丈夫だ。
  奴だって疲れたら眠るんだ。
  今、奴は眠っている。
  俺には判るんだ」

 「しかし、何とかしてくれと言われても……」

 「誰も貴方独りに頼んではいない。
  貴方が無理なら、他の人でも良い、頼む!」

必死に頼み込むゲヴェールトの姿に、ワーロックは何とかしてやりたいと言う気持ちになる。
だが、方法が無い。
取り敢えずヴァールハイトを殺して終わりとは行かなくなった。
事態は厄介になったが、その事にワーロックは逆に安心していた。

 「分かった、どうにか方法を探してみよう」

無責任に、未来の自分を信じて彼は肯く。
創る名無しに見る名無し [sage] 2019/03/17(日) 19:17:00.77:m1WILW6P
ワーロックは更にマールティン市とタハデラ市の間を一往復して、南西の時に戻って来た。
どうすれば良いのか、彼は考え続けていたが、妙案は思い浮かばなかった。
ヴァールハイトが眠っている間に、ゲヴェールトを連れ出す事も考えたが、それを予想していない程、
ヴァールハイトが間抜けだとは思えない。
恐らくは市内の執行者等に、事前にゲヴェールトを市外に出さない様に命令してあるだろう。
しかし、他に全く手が無い訳では無かった。

 (多くを得ようと思えば、それなりの覚悟が要る。
  私は……)

肉を切らせて骨を断つ、究極の手段が彼にはある。
もしかしたら肉の切られ損に終わるかも知れないが、最良の結末を迎えるには、それしか無い。
彼は洗脳されてしまった後の事も考えて、執行者には何も知らせず、自分の考えだけで動いた。
自分の独断と言う事にした方が、相手の油断を誘えると思ったのだ。
マールティン市内で彼は店主達に品物を売り捌くと、直ぐには出て行かず、街の中を見回る。
彼は態々市内のホテルで宿の予約を取ってから、もう一度仕入れに出た。
この行動をマイストル事ヴァールハイトは、絶対に怪しむと確信して。
西の時を過ぎて、本日4度目の商品の搬入を終えたワーロックは、市内で1泊する。
彼はヴァールハイトが再び姿を現すまで、この街を拠点に活動する積もりだった。
そして、その時は意外にも早く訪れた。
ワーロックが宿に泊まった、その晩の事である……。
彼が夕食を取ろうと宿の食堂に入ると、『食卓<テーブル>』の1つにヴァールハイトが着席していた。
予想外に早く会えたので、驚いたワーロックは視線を合わせない様にして、別の食卓に着く。
注文したのは牛肉の炙り焼き定食(『麺麭<パン>』と『寒草<フリジヘルブ>』の『汁物<スープ>』付き)。
ワーロックはヴァールハイトが何か行動を起こすまで、自分から話し掛けに行く積もりは無かった。
ヴァールハイトは彼に気付いている筈だが、素知らぬ顔をしている。
創る名無しに見る名無し [sage] 2019/03/17(日) 19:18:36.29:m1WILW6P
 「牛炙り定食です!」

給仕が料理を運んで来て、ワーロックの前に置く。
それと同時にヴァールハイトが彼の対面に座った。
匙を握って身構えるワーロックにヴァールハイトは問う。

 「何の積もりだ?」

 「何って……?」

 「何も知らないのか?」

 「いえ、知ってますけど」

 「……何を?」

 「この街で飲み食いしたら良くないんですよね?」

 「あ、ああ……。
  だったら、何で今食おうとしているんだ?」

 「何か不都合でも?」

 「……私の魔法は効かないと高を括っているのか?
  それとも何か対策を?」

ワーロックは彼に不敵な笑みを向けて、牛肉を麺麭に挟んで食べ始めた。
汁物にも躊躇わず口を付ける。
ヴァールハイトは彼を怪しんで、中々魔法を使おうとしない。
既に魔法を掛けられる状態であるにも拘らず。
創る名無しに見る名無し [sage] 2019/03/17(日) 19:20:38.77:m1WILW6P
ワーロックが完食するまで、ヴァールハイトは徒見守っていた。
ワーロックは堂々とヴァールハイトを見て言う。

 「どうしたんですか?
  結局、魔法は使わないんです?」

 「お前を操った所で、有益な事は何も無い。
  お前には物資を運んで来て貰わなければならないからな」

 「そうですか?
  それなら帰って下さい」

 「……何か掴んでいるのか?」

 「お得意の魔法で聞き出せば良いでしょう」

ヴァールハイトはワーロックの挑発に乗って良いか迷った。
相手は大した魔法資質を持たない。
否、幾ら相手が強大でも血の魔法には抗い難い。
ワーロック一人を操る位は、何とも無い筈なのだが……。

 「どうして悩む必要があるんですか?
  貴方の魔法には欠陥があるとでも?」

更にワーロックは挑発を重ねる。
ヴァールハイトは怒りを感じた。
彼は自分の魔法に自信を持っている。
自分の魔法を貶されるのは魔法使いには許し難い事だ。
ヴァールハイト自身は自分の魔法に欠陥があるとは思っていない。
創る名無しに見る名無し [sage] 2019/03/18(月) 19:08:20.68:nZDF9voD
侮辱されたと感じた彼はワーロックに血の魔法を掛ける事にした。
旧い魔法使いや悪魔にとって、格下に侮辱される事は耐え難い。
これが未だ多対一なら逃げる言い訳も立つが、無能1人に恐れを成したとあっては己の恥。
策略があるなら見抜かなければならないが、それが判らないと言うのも恥。
罠かも知れないと感じていても、やらなければならない。
そう言う風に運命付けられている。
それが旧い魔法使いの宿命にして宿痾なのだ。

 「後悔するなよ!」

ヴァールハイトは自らの血液を魔力に反応させた。

 (来る!)

ワーロックは自分の体の中で血液が反応するのを感じる。
否、実際には感じていない。
それが判る程、彼の魔法資質は鋭敏では無い。
そう錯覚しているだけだ。
しかし、錯覚が実際の感覚と重なっていれば、そこには何の違いも無い。
そしてワーロックは自らの意識が、魔力によって改変されて行くのを感じる。
ヴァールハイトはワーロックに告げた。

 「私は敵では無い。
  お前は私を信頼している。
  私に隠し事は出来ない。
  何を企んでいるのか、洗い浚い吐いてくれ」

信頼を刷り込んでいるのだ。
創る名無しに見る名無し [sage] 2019/03/18(月) 19:09:29.06:nZDF9voD
ワーロックはヴァールハイトの目を見詰めた儘、少しも動かなかった。
自らの内を巡る魔力が、意識を塗り替えて行く瞬間を静かに観察する。
それは自分を客観的に見る、第二の自分が居るかの様に。
彼の劣った魔法資質が、ヴァールハイトの魔力の流れを掌握する。

 「私は敵では無い。
  お前は私を信頼している。
  私に隠し事は出来ない……」

ワーロックはヴァールハイトの言葉を繰り返した。
その言葉はヴァールハイトに返って行き、彼に同じ言葉を繰り返させる。

 「私は敵では無い。
  お前は私を信頼している……」

2人は互いの目を真剣に見詰め合って、どちらも逸らそうとしない。
傍目には、どちらが魔法に掛かっているか判らない。
先に動きを見せたのはワーロックだった。
彼は口の端に笑みを浮かべる。
ヴァールハイトは焦りを感じる。

 「何故、効かない……?
  お前は何者だ?
  魔導師会の者か、それとも旧い魔法使いか!?」

 「どちらでも無い。
  私は新しい魔法使い」

堂々と答えたワーロックに、彼は動揺して蒼褪める。
創る名無しに見る名無し [sage] 2019/03/18(月) 19:11:28.36:nZDF9voD
強大な悪魔が実力を隠して潜伏していたのかと、ヴァールハイトは考えた。

 「新しい……?
  歴史上、最も新しい魔法は共通魔法だ。
  お前は悪魔なのか?」

 「違う。
  私は一般的な『新人類<シーヒャント>』……の中でも、劣った能力の者。
  他の多くの新人類と同じく、肉の体を持ち、悪魔としての自覚は無い存在」

淡々と答えるワーロックが不気味で、ヴァールハイトは混乱する。

 「それでも、お前が徒者で無い事は判る。
  新しい魔法使いとは何なのだ?
  お前の様な存在が、未だ地上には居ると言うのか?」

 「分からない。
  もしかしたら、居るかも知れない。
  唯一大陸に暮らす2億以上の人間の中に、私の様な存在が居ないとは限らない」

余りにワーロックが正直に答えるので、彼は自分の魔法が効いているのかと少し期待した。

 「……私の魔法が効いているのか?」

 「私の魔法は効いている」

その返答で絶対に効いていないと、ヴァールハイトは確信させられる。
だが、ワーロックの様子が奇怪しいのは事実だ。
ヴァールハイトは改めて質問した。

 「お前は何を企んでいる?」
創る名無しに見る名無し [sage] 2019/03/19(火) 18:58:27.71:VtBXBRGg
ワーロックは前に言われた言葉を繰り返した。

 「私は敵では無い。
  お前は私を信頼している。
  私に隠し事は出来ない」

 「何なのだ、お前は!?
  私の質問に答えろ!」

 「私の企みは成功した。
  もう、お前に逃げ場は無い」

これが張ったりか否か、ヴァールハイトには判断が付かない。
彼は緊急事態を想定して待機させていた、2人の執行者を呼び出す。

 「魔導師共、こいつを捕らえろ!!」

 「騙されるな!!
  敵はマイストルの方だ!!」

執行者達は食堂の入り口から突入したは良いが、2人の指示に困惑する。
ヴァールハイトは驚愕して席を立ち、更に強い口調で命じた。

 「何を迷っている!?
  こんな得体の知れない男の言う事を聞くのか!?
  私はマイストルだぞ!!」

ワーロックも席を立って、弁舌を振るう。

 「本来の目的を忘れたのか!?
  執行者はマイストルを逮捕しに来た筈だ!!」

執行者は2人共、ワーロックとヴァールハイトの間で、どちらに付くべきか迷っている。
創る名無しに見る名無し [sage] 2019/03/19(火) 19:00:31.49:VtBXBRGg
ヴァールハイトは益々焦って、ワーロックに尋ねた。

 「お、お前が私の魔法を妨害しているのか!?
  お前の魔法は一体……」

 「気付くのが遅かったな!
  私に魔法を掛けた事が間違いだ!」

 「魔法返しか!?
  否、違う……!」

 「観念しろ!!
  お前に逃げ場は無いぞ、ヴァールハイト!!」

困惑して立ち尽くしている執行者達に、ヴァールハイトは見切りを付ける。

 「私が人を操るしか能の無い者だとでも思っているのか!?」

彼は懐から赤黒いナイフを取り出すと、その場で一振りする。
ナイフは一瞬で伸びて、2人の執行者の喉を切り裂いた。
それは丸でナイフ自体が意思を持って、動いているかの様だった。
ナイフの正体は影の剣ディオンブラ。
貪食の魔剣グールム・デ・ヴィが闇の力によって蘇った物。
ディオンブラはヴァールハイトの血を吸って、彼の意思で自在に動く魔剣となった。

 「キャーーーーッ!!」

執行者が刃物で傷付けられた事に、食堂で働く職員は恐怖の叫び声を上げる。
ワーロックは笑みを見せた。

 「もう、終わりだ!
  この街は解放される!」
創る名無しに見る名無し [sage] 2019/03/19(火) 19:01:56.37:VtBXBRGg
 「くっ、未だ終わらん!!」

ヴァールハイトはディオンブラを振るって、ワーロックを斬り付けた。
それをワーロックは護身刀を抜いて、紙一重で攻撃を逸らす。

 「ええい、鬱陶しい奴!!
  私は捕まらんぞ!!」

ヴァールハイトはワーロックが手強いと見るや、直ぐに逃走を図った。
彼はホテルの外に出て行く。
ワーロックは食堂の職員に呼び掛けた。

 「執行者さんの手当てをお願いします!
  取り敢えず、救急を!」

そしてヴァールハイトを追い掛け、ホテルの外に飛び出す。

 「待てっ、逃がさないぞーー!!」

ワーロックはヴァールハイトを見失わない様に、全力で駆けた。
やがてヴァールハイトは市内の一軒家に駆け込む。
レノックとパルティーンが発見したのとは、又別の民家だ。
ワーロックは迷わず家の中に突入した。
ヴァールハイトの姿は見失ったが、家の地下で物音がしたので、彼は地下への階段を探す。
彼が廊下の先に階段を発見して近付くと、天井から声がした。

 「待て!
  ここから先は通さん!」

 「何者だっ!?」

数歩後退して身構え、天井を見上げるワーロックの目に、黒い大きな塊が映る。
それは天井から振ら下がっていた。
寓の魔法使いバルマムスだ。
創る名無しに見る名無し [sage] 2019/03/20(水) 19:24:34.84:sAVRLsEl
次の瞬間、ワーロックは周りが見えなくなり、暗い靄の中に閉じ込められる。

 「こ、これは!?」

バルマムスの魔法によって、空間を認識出来なくされたのだ。
只、バルマムスの姿だけが見えている。
見えないだけで、そこに空間はあるのかと思うのだが、壁や床の感覚も失われている。
これが物の存在を不確定にする、バルマムスの寓の魔法。
物事が明確でなくなり、曖昧になる。
そこに壁や床がある筈なのに、よく分からなくなる。
目の前に階段らしい物もあるのだが、上るのか下りるのかも判らない。
ワーロックはバルマムスを倒さなければ先に進む事は難しいと考えて、再び上を向いた。
しかし、バルマムスの姿は無い。

 「どこへ行った!?」

彼が慌てて左右を見ると、バルマムスは彼の背後で直立していた。

 「何を狼狽えている?
  どこにも行ってはおらんぞ」

 「お前がアストリブラか!」

 「今はバルマムスと呼んで貰おう」

バルマムスは目の前に居る筈だが、その声は四方八方から聞こえる。
創る名無しに見る名無し [sage] 2019/03/20(水) 19:25:55.55:sAVRLsEl
ワーロックは護身刀を構えて、バルマムスに向かって行こうとしたが、視界が揺れて足元が覚束無い。
護身刀に刻まれた魔法陣の効果か、護身刀だけは瞭(はっき)りと手に握る感触がある物の、
それ以外は全く駄目だ。
目を回した様に視界が回転している。
バルマムスは浮ら付く彼を嘲笑った。

 「ハハハ、どうした、どうした!?
  こっちだ、こっちだ!」

 (こんな時は、どうしたら……。
  レノックさん、力を借ります!)

ワーロックはコートのポケットを漁って、警笛を手に取る……が、警笛を持つ感触は浮わ浮わして、
本当に警笛なのか確信が持てない。
だが、ワーロックが警笛を入れたポケットには、他の物は何も入れていなかった筈なので、
これが警笛だとワーロックは信じた。
今の状況では、自分の記憶しか頼れないのだ。
そうして警笛を持った彼だが、次なる問題に襲われる。
警笛を正しく口に咥える事が出来ない……。
警笛は丸で、柔らかい球体の様で、目で確認しても毛玉か綿毛の塊の様。
何も彼もが浮わ浮わしている。
仕方が無いので、ワーロックは警笛を適当に口に挟んで吹いてみた。
音が鳴らなければ、警笛を転がして改めて吹く。

 「ギャハハハ、何をしている!!
  無駄、無駄!!」

バルマムスに笑われても気しない。
そんな調子で、やっと警笛を鳴らす事が出来る。
創る名無しに見る名無し [sage] 2019/03/20(水) 19:27:16.51:sAVRLsEl
耳を劈く様な高い音が鳴り響き、一瞬にして魔法は解け、ワーロックの視界が元に戻った。
暈やけて浮わ浮わしていた物は、全て元の輪郭と感触を取り戻す。
ワーロックはバルマムスを見た時と変わらず、階段の前で立ち尽くしていた。

 「ぐわーーーーっ!!!!」

蝙蝠のバルマムスは魔法の警笛の音に驚いて、情け無い声を上げ、無様にも真っ逆様に床に落ち、
背中を強打して悶える。
ワーロックはバルマムスが悪さを出来ない様に、直ぐに馬乗りになって、衝撃波の共通魔法を、
バルマムスの胸に叩き込んだ。

 「M1D7!!」

 「ギェッ!!」

強い衝撃が内臓を貫いて、バルマムスは気絶する。
その正体は、蝙蝠の怪物だった。
ワーロックは気絶したバルマムスを放置して、魔法の『蘭燈<ランタン>』を取り出すと、それを構えて、
真っ暗な地下へ続く階段を下りる。
階段を下り切って、地下室の扉を発見したワーロックは、警笛を咥えて扉を蹴破った。
そして同時に警笛を鳴らす。
消魂しい音が部屋中に鳴り響き、ディオンブラを手に待ち構えていたヴァールハイトは驚きの余り、
迎撃する事を忘れた。

 「もう逃げられないぞ!!
  この街の人々を自由にして貰う!!」

ワーロックは護身刀を右手に、蘭燈を左手に、ヴァールハイトに迫る。
創る名無しに見る名無し [sage] 2019/03/21(木) 18:26:55.05:AlvIBHtt
ヴァールハイトは突きの構えでディオンブラを持ち、彼を牽制した。

 「自由……?
  そう言える程、自由は素晴らしい物かね?」

 「人の意思を奪って操るより悪い事がある物か!」

ワーロックは会話に応じながらも、ヴァールハイトを睨んで隙を見せない様にする。
熱る彼をヴァールハイトは嘲笑した。

 「解っていないな……。
  人は自由であるが故に、悩み苦しむのだ。
  争いも諍いも、凡そ全ての悪は自由から生まれる。
  人は意思等、持たない方が幸せでいられるのだ。
  生まれ付き役割が決まっていれば、無駄に苦しむ事は無い。
  自由と安楽は相反する物だよ。
  自由とは麻薬の様な物、その味は知らない方が幸せだ。
  停滞が何だと言うのだ?」

 「だから、お前達は旧暦でも魔法大戦でも、勝者にはなれなかった」

 「それは違う。
  人が神等と言う詰まらない物を信仰した為に、こうなった。
  これからは悪魔崇拝の時代だよ。
  全てを変え得るのは、『正義』でも『暴力』でも『知識』でも無い。
  況してや『愛』等に何の力があろう!
  必要な物は支配する力、唯それのみ!
  我々悪魔が全てを支配し、人は唯我々の為だけに生きるのだ」

ヴァールハイトは高らかに宣言して、先手を打ちディオンブラを振るった。
突きと共に赤黒い刀身が真っ直ぐワーロックに向かって伸びる。
それをワーロックは護身刀で往なし、魔法で反撃した。

 「ミラクル・カッター!!」
創る名無しに見る名無し [sage] 2019/03/21(木) 18:28:04.23:AlvIBHtt
不可視の刃がディオンブラの刀身を打ち砕くが、ヴァールハイトに焦りは無い。
魔剣ディオンブラは再生能力を持つのだ。
見る見る刀身が復活するディオンブラに、ワーロックは歯噛みして、ヴァールハイトに訴える。

 「悪魔に支配されて、人間に何の得がある!?」

 「全ての悩みや苦しみから解放される。
  人は何も考えなくて良い、奴隷の幸せ、家畜の幸せを享受する。
  支配する者と支配される者、同じ人間だから不公平だと感じる。
  それならば、支配者が人間で無ければ良いのだ。
  全てを超越する神の立場に、我々が成り代わろう」

ヴァールハイトは悪魔の目的を語った。
神の様な絶対者として君臨し、人を支配する。
それが全ての人間を幸せにする唯一の方法だと言うのだ。

 「巫山戯るなっ!
  お前達の心一つで変わってしまう世界を誰が望む物か!」

その傲慢さにワーロックは怒るが、ヴァールハイトは軽く受け流す。

 「そうとも、我々は平等では無い。
  気に入った者は幾らでも優遇するし、気に入らない者は誰だろうと排除する。
  人は不平等を受け容れ、如何に我々に迎合し、媚び諂うかを競う様になる。
  それで良いのだ。
  自由、平等、公正、博愛、何れも人間には過ぎた物だ。
  神は居ない、正義も無い、それ等が在った場所には、唯我々が居る。
  我々を崇め、我々に従え」
創る名無しに見る名無し [sage] 2019/03/21(木) 18:29:15.45:AlvIBHtt
そう言われて従える人間が居る訳が無い。
ワーロックは益々敵意を増して、ヴァールハイトに迫る。

 「断る!
  私でなくとも誰でも同じ事を言うだろう!」

 「果たして、そうかな?
  お前に優れた力を授けると言ったら?
  お前を人間達の王にすると言ったら?
  お前に権力や財宝を呉れてやると言ったら?
  靡かない人間が、どれだけ居るかな?
  自分さえ良ければ、それで構わない者は、幾らでも居よう。
  浅ましい人間共……」

 「そんな力も無い癖に、何を言う!」

 「忘れたのか?
  私は人を意の儘に操れると言う事を。
  お前は中々見込みがある。
  我々に付けば、本当に人間達の王になれるぞ。
  誰も逆らえない絶対の王にな」

突然の勧誘にワーロックは驚くより先に怒った。

 「巫山戯るなっ!!
  そんな物、誰が望むかっ!!」

 「解らないな。
  お前が私に従わない理由は何だ?
  魔導師会が怖いのか?」

ヴァールハイトの言う事は真実だ。
彼の魔法を使えば、全ての人間を強制的に従わせられる。
それでも多くの者は魔導師会の存在を思い出して、彼の誘惑を振り切るだろう。
秩序の守護者である魔導師会が、必ず止めに動く筈だと。
創る名無しに見る名無し [sage] 2019/03/22(金) 18:40:12.27:/u7wBLER
そう言う心がある事を認めつつも、ワーロックは強気に言い切った。

 「私はっ、お前がっ、気に入らないっ!!
  お前に従わない理由、お前を打ち倒す理由は、それだけで十分だ!!」

彼は怒りに震えながらも、冷静さを失わない。
彼の魔法は相手との同調が必要なのだ。
怒りで我を忘れては、敵の術中に嵌まる。
だが、悪魔との同調は心を蝕む。
相手の心の邪悪さを受け止めなければならないのだから。
ヴァールハイトはワーロックを冷笑する。

 「口で言う程、怒ってはいない様だが?
  お前は本当に見込みがある。
  人間の下劣さを解っているのだろう?
  悪魔の誘惑を振り切れる人間等、世界中に数える程も居ない。
  人間は他人を出し抜いて、自分だけ得をするのが大好きなのだからな!
  その為には、悪魔だろうが、何だろうが利用する!
  誰も見ておらず、咎められもしなければ、平気で悪行を働ける!
  人間は生まれ付いて悪なのだ!
  我々悪魔よりもな!
  その様な連中を守って何になる!」

 「私も人間だ!!
  人間は悪ばかりでは無い事は、誰より知っている!
  お前達悪魔が、どれだけ人を利用しようと、どれだけ愚かな人が現れようと、
  私は人間に失望したりはしない!
  幾ら人を腐そうが、お前の中の邪悪が露になるだけだ!」

どうにかヴァールハイトは魔法を使おうとしていたが、ワーロックには全く通用していなかった。
中々思い通りにならずに彼は焦り始める。
創る名無しに見る名無し [sage] 2019/03/22(金) 18:41:12.64:/u7wBLER
しかし、ワーロックの方も決め手が無い。
彼はゲヴェールトも助けなくてはならない。
どうにかヴァールハイトだけを仕留めなくてはならないが、精神を分離させる方法を彼は知らない。
取り敢えず、腕力での勝負に持って行く為に、ヴァールハイトが持つディオンブラを狙う。
ワーロックは護身刀を片手に、蘭燈をバックパックに掛け、代わりにロッドを持った。
自在に形を変える魔剣ディオンブラに対抗する為だ。
ヴァールハイトはディオンブラを地下室の石床に突き立てた。
影の魔剣ディオンブラは実体の無い魔力の剣だ。
床を影が這って、ワーロックに迫る。

 「ライト・フラッシュ!」

これに対してワーロックは閃光の魔法で対処した。
ディオンブラは撤退する様に見る見る縮んで、ヴァールハイトが握る柄に帰って行く。

 「無駄な抵抗は止めろ!
  お前達の時代は終わったんだ!」

 「未だ終わってはいない……」

 「今は魔法暦だ!
  人間も昔とは違う!」

 「いや、そうそう本質は変わらないさ……。
  力を得れば、行使せずには居られない。
  見ろ、人間の世界を!
  何故、犯罪が絶えない?
  何故、貧民街が無くならない?
  何故、地下組織が蔓延る?
  何故、富める者が居る一方で、飢える者が現れる!」
創る名無しに見る名無し [sage] 2019/03/22(金) 18:43:25.86:/u7wBLER
ヴァールハイトの訴えが、全く本気の物では無い事を、ワーロックは見抜いていた。
どれだけ雄弁に語っても、心が伴わなければ虚しいだけ。
悪魔が人間社会を憂う訳が無いのだ。
人を動揺させて、悪の道に誘おうとしているに過ぎない。

 「お前の言葉は少しも心に響かない!
  それは言葉が上辺だけの物だからなんだ!
  本音では人間なんか、どうでも良いと思ってるって、見え透いてんだよっ!」

ここでワーロックは賭けに出た。

 「食らえっ!!
  ライト・セヴァー!!」

不可視の刃を飛ばすミラクル・カッターの応用、ライト・セヴァー。
輝く魔力の刃を放つ魔法。
これは単にミラクル・カッターを目に見える様にしただけの技だ。
大声で攻撃を宣言されたヴァールハイトは、当然防御する。
ミラクル・カッターの原理は「攻撃を宣言」して、「攻撃される」と言う意識を利用した物。
自分が「攻撃する」、相手は「攻撃される」と言う、謂わば合意、合気を以って発動する。
相手が攻撃されると意識していないと発動しない。
この共通の認識が、相手の魔法資質を利用すると言うワーロックの魔法と組み合わさって、
絶大な破壊力を生み出す。

 「くっ……」

ヴァールハイトはディオンブラの柄を盾にした。
彼の手からディオンブラの柄が離れて、床に転がる。
創る名無しに見る名無し [sage] 2019/03/23(土) 02:48:17.03:Elz1/4yx
ミラクル・カッターの高威力はずっと不思議だったので原理解説助かる
創る名無しに見る名無し [sage] 2019/03/23(土) 21:33:24.96:ASGyz6Nb
この隙にワーロックはヴァールハイトに飛び掛かった。
逃れようとするヴァールハイトの袖を掴み、振り回して床に転がす。

 「今度こそ観念しろ!!」

ワーロックは彼の体をロッドで押さえ付けて凄み、降伏を迫った。
しかし、ヴァールハイトは少しも怯まない。

 「フハハ、それしか言う事が無いのか!」

そう強がると急に顔付きを変えて狼狽える。

 「こ、ここは……?」

ヴァールハイトは人格を引っ込めて、ゲヴェールトを呼び起こしたのだ。
それを直ぐには理解出来ず、ワーロックは警戒を緩めない。
ゲヴェールトは現状を理解して、必死に弁解する。

 「お、俺だ!
  ヴァールハイトじゃない!」

ここでワーロックも状況を理解して、肩の力を抜く。
ゲヴェールトは小さく息を吐き、立ち上がりながら彼に礼を言った。

 「有り難う。
  でも、油断しないでくれ。
  奴は何時でも俺を――」

次の瞬間、ゲヴェールトは床に飛び込む様に転げて、魔剣ディオンブラを拾う。

 「馬鹿めっ!!」
創る名無しに見る名無し [sage] 2019/03/23(土) 21:34:24.86:ASGyz6Nb
ヴァールハイトはゲヴェールトの人格を自由に表したり、抑えたり出来るのだ。
彼は魔剣ディオンブラを振るって、ワーロックを斬り付けた。
流石にワーロックは避け切れず、肩に裂傷を負う。

 「ぐっ、貴様っ!!」

 「やはり、お前は甘いな!!
  それが命取りだ!!」

形勢逆転し、ワーロックは窮地に陥る。
そこへ更に蝙蝠のバルマムスまで下りて来た。

 「ヴァールハイト、無事か!?」

 「ああ。
  しかし、情け無いなバルマムス!
  この程度の者に後れを取るとは……」

先程までヴァールハイトも追い詰められていたのだが、彼は自分の事は棚に上げた。
この様に悪魔貴族は見栄っ張りな所がある。
ヴァールハイトが負けそうだった所を知らないバルマムスは、面目を失って小さくなった。

 「ムッ、ムム……」

2対1となり、愈々追い詰められたワーロックは、どうにか隙を探そうと息を潜めて、存在感を消す。
バルマムスは話を変えようと、ヴァールハイトに尋ねた。

 「この男の処分は、どうする積もりだ?」

 「こいつは危険過ぎる。
  今、殺してしまう」

 「操らないのか?」

手強い敵は心強い味方になる可能性を秘めているが、手懐けられなければ無意味だ。
創る名無しに見る名無し [sage] 2019/03/23(土) 21:36:16.92:ASGyz6Nb
ヴァールハイトは冷淡に切り捨てた。

 「その価値も無い」

その反応をバルマムスは怪しむ。

 「弱気だな。
  自分の魔法に自信が無いのか?」

魔法使いは自分の魔法に絶対の自信を持っている物だ。
他の何で劣っていても、それで劣る事だけは認められない。
それなのにヴァールハイトが洗脳しないと言う事は、詰まり……。

 「もしかして魔法を破られたのか?
  効かなかったのだな?」

 「煩いぞ、黙れ」

ディオンブラの刃を向けられて、バルマムスは戯けた態度で謝る。

 「はは、悪かった、悪かった。
  操れないなら殺すしかないな」

そう言いながらバルマムスは、両手に鉤爪状の剣を1本ずつ持って構えた。
ワーロックは護身刀をヴァールハイトに、ロッドをバルマムスに向けて牽制する。

 「黙って殺されはしないぞ!」
創る名無しに見る名無し [sage] 2019/03/24(日) 19:48:36.83:SnfSoty0
バルマムスは飛び上がると、地下室の天井に逆さに掴まった。
感覚を狂わせる寓の魔法が来ると、ワーロックは判っていた物の、それを防ぐ術が無い。
目の前にはヴァールハイトも居るのだ。

 「キーーーーッ!!」

耳を劈く様な高い声をバルマムスは発する。
これをヴァールハイトはゲヴェールトの人格を盾にする事で回避した。
寓の魔法は精神に作用する魔法なのだ。
ワーロックだけが幻惑された状態で戦わなくてはならない。
そこへヴァールハイトはディオンブラを振るった。

 「今度は避けられまいっ!」

ワーロックは視覚も聴覚も真面に利かない状況。
目の前は暈やけて歪んでいるし、音は反響しているしで、何一つ確かな事が判らない。
どこから来るとも判らない攻撃に対して、彼は身を低くしながら後退る。
運良く一撃目は避けたが、この次は分からない。
絶体絶命の危機だったが、バルマムスとヴァールハイトは急に動きを止めた。

 「ムッ、この魔力は何だ!?」

 「魔導師会の連中が何か仕掛けて来たか!」

ワーロックは何も感じなかったが、魔力に反応があったのだ。
ヴァールハイトは急いで室内の姿見に向かって走り出した。

 「一時撤退だ、バルマムス!!」
創る名無しに見る名無し [sage] 2019/03/24(日) 19:49:22.94:SnfSoty0
彼は鏡に飛び込んで姿を消す。
取り残されたバルマムスも慌てて後を追った。

 「わ、私を置いて行くなぁー」

バルマムスも情け無い声を上げて、飛行して鏡に飛び込む。
寓の魔法が切れて、正気に返ったワーロックは、誰も居なくなった室内を見回した。

 「……何が起こったんだ?」

そう彼が独り言を呟いた瞬間、マールティン市全体の時間が止まる。
D級禁断共通魔法が発動したのだ。
ワーロックも時間停止魔法に巻き込まれて、意識を失う。
時間の止まったマールティン市内に、執行者達が次々と駆け込んだ。
執行者達を指揮するのは、市内の様子をよく知るパルティーンだ。

 「制限時間は2針だ!!
  第1班は私に付いて来い!
  他の者は市内の執行者を全員確保しろ!
  序でに怪しい奴も押さえとけ!」

約200人の執行者が虱潰しに市内を捜索する。
時間の停止と言っても緩い物で、一定以上の纏まった質量を持つ物にしか作用しない。
よって、飛んでいる物は空気より軽くない限りは落ちる。
だが、時間が停止しているので、落ちても衝撃で壊れる様な事は無い。
執行者達は市内のフォーコン中隊の隊員を発見すると、その体に麻痺の魔法陣を描く。
これで時間が動き出しても、反撃される心配は無い。
創る名無しに見る名無し [sage] 2019/03/24(日) 19:51:16.04:SnfSoty0
一方でパルティーンは真っ先に例の空き家に向かったが、そこには誰も居なかった。

 「流石に場所を変えたか……。
  市内の空き家を隈無く探せ!
  時間が無いぞ!」

執行者達は市内の空き家と思しき家に上がり込み、とにかく不審人物を捜索した。
しかし、その内に2針が過ぎて、禁断共通魔法が解ける。
マールティン市の人々は、日が暮れてから突然現れた執行者の集団に驚いていた。
ワーロックも動ける様になったが、彼の居る場所まで執行者の手は及んでいなかった。
鏡渡りの魔法を封じる為に、彼は直ぐに室内の姿見をロッドで叩き割る。
一度罅が入れば、鏡渡りの魔法は使えなくなる。
鏡渡りの魔法は真面に人が通れる程度の、綺麗な鏡面がある事が前提なのだ。
更に、往き来する鏡の両方に仕掛けを施す必要があるので、これで反逆同盟の者がマールティン市に、
鏡渡りで帰って来る事は出来なくなった。
ワーロックは護身刀を鞘に収めると、ロッドと蘭燈を持って地上階に戻る。
家から外に出た彼は、丁度執行者に見付かって動きを止めた。
執行者は彼を怪しみ、接近して来る。

 「待て、お前、そこを動くな!」

ワーロックは大人しく指示に従って、動きを止める。
執行者はテレパシーで仲間と連絡を取り始めた。

 「不審人物を発見、応援を頼みます」

事情を解っている人が居ないかと、ワーロックは眉を顰める。

 「えー、私はワーロック・アイスロンです。
  私の事は親衛隊の人に聞いて下さい。
  タハデラ市からの道を封鎖していた、執行者に聞いて貰っても構いません」

 「黙れ。
  こちらが聞いた事だけに答えろ」

相変わらず執行者は融通が利かない。
創る名無しに見る名無し [sage] 2019/03/25(月) 18:40:45.80:B4Qj/LN8
それからワーロックは執行者に連行されて、諸々の事情を説明し終える頃には、日付が変わっていた。
親衛隊を呼んで誤解を解消するのに1角、その後に街の中で何をしていたのか、何が起こったのか、
説明するのに3角以上を要した。
特にワーロックはマイストル事ゲヴェールトと対峙しながら、彼を仕留め切れなかった事に関して、
厳しい追及を受けた。
ワーロックはゲヴェールトの中にヴァールハイトと言う別人格が居る事と、ヴァールハイトこそが、
反逆同盟に加担していると言う事を説明したが、中々理解はされなかった。
どちらにせよ危険な外道魔法使いなのだから、無力化しなければならない。
もしヴァールハイトを殺す事でゲヴェールトが死んでしまっても、敵対している以上、そうなる事は、
受け入れなければならない。
執行者の言い分は、大凡その様な物であり、ゲヴェールトを助けるのは物の序でだった。
結局の所、反逆同盟の中に居る外道魔法使いを助けたければ、魔導師会から離れて独自で動くより、
他に無いのだ。
もしラントロックが未だ反逆同盟に居たら、今頃どうなっていたかとワーロックは深刻に考えた。
ゲヴェールトの事は決して他人事では無い。
ワーロックは何としても彼を助けようと心に決め、やはり魔導師会とは別行動を取らざるを得ないと、
強く認識した。
創る名無しに見る名無し [sage] 2019/03/25(月) 18:41:47.00:B4Qj/LN8
翌朝からマールティン市民は何時もの生活に戻った。
マイストルと言う人物が居た事を多くの人々は当然憶えていたが、どうして彼に拘っていたのか、
その理由を説明出来る者は居なかった。
人々は丸で夢から覚めたかの様に、マイストルに街が支配されていた事を恐れ始めた。
フォーコン中隊は直ぐにブリンガー魔導師会本部に戻され、新しい執行者の中隊が市内に駐在して、
暫くマールティン市を守護する事になった。
ブリンガー魔導師会はグラマーの魔導師会本部に、今回の件を報告する際に、魔法陣を強化しても、
小さな都市であれば乗っ取られる可能性があると指摘した。
対策として、定期的に執行者が異変が無いか巡回して調査するべきだとも。
これを受けて、全魔導師会は防衛体制も見直す必要に迫られた。
「乗っ取り」は魔導師会が最も恐れなければならない事態。
万全な対策を講じようと思えば、莫大な労力を費やす事になる。
同じ様な事が続けば、魔導師会でも疲弊してしまうだろう。
誰もが早急に解決しなければ、やがて追い詰められると感じていた。
創る名無しに見る名無し [sage] 2019/03/25(月) 18:42:10.31:B4Qj/LN8
反逆同盟は今、どこに居を構えているのか?
先ずは、それを突き止めるべく、魔導師会本部は各魔導師会に捜索隊を編成して、人の通らない場所、
結界から外れた場所を調べる様に要請した。
決戦の時は未だ来ない。
創る名無しに見る名無し [sage] 2019/03/26(火) 19:16:34.25:Sc76BFEM
next story is...
創る名無しに見る名無し [sage] 2019/03/26(火) 19:18:34.35:Sc76BFEM
真の善


ボルガ地方にて


竜に変化したニージェルクローム・カペロドラークォは、カターナ地方を荒らしまわった後、
ボルガ地方のガガノタット山に降り、暫く潜伏していた。
竜の姿のニージェルクロームは飲食を必要とせず、竜の幻体が取り込む霊気だけで生きていたが、
彼の自我は竜と分化し掛かっており、幻体のアマントサングインと直接話が出来る様になっていた。

 「それで、これから何をするんだ?」

 「麓の町を襲う。
  魔導師会が、どの位で到着するかな?」

アマントサングインは飽くまで魔導師会を試そうとしている。
その口振りは楽しそうでもあった。
竜との分化が進んでいるニージェルクロームは、少しずつ不安になって来る。

 「出来るだけ殺さないでくれよ」

 「それは魔導師会次第だ」

アマントサングインは膠も無く、彼の頼みを切り捨てた。
カターナ地方で暴れた時は、ニージェルクロームとアマントサングインは殆ど同化していた。
こうして言葉を交わす必要も無く、心と心が通じていた。
分化が進んだのは、アマントサングインの情けである。
何れニージェルクロームはアマントサングインから分離して、ハイロン・レン・ワイルンと言う、
一人の人間に帰る。
竜と同化した儘で生き続ける必要は無いとして、アマントサングインの方から彼を切り離したのだ。
創る名無しに見る名無し [sage] 2019/03/26(火) 19:20:52.50:Sc76BFEM
その結果として、ニージェルクロームはアマントサングインの行動に恐れを感じている。
元々彼は大逸れた事は出来ない性格なのだ。
竜と同化して気が大きくなっていただけで、力を失えば小人物に過ぎない。

 「可弱いな、ハイロン」

そんなニージェルクロームの弱気を、アマントサングインは小馬鹿にした様に笑う。
嘲笑と慈愛の入り混じった、弱い物に向ける笑みだ。

 「……何故か不安なんだ。
  人を殺す事が、とても悪い事じゃないかと思えて来る。
  今までは何とも思ってなかったのに」

 「それが普通なのだ。
  お前は人間に戻るのだから、それで良い」

ニージェルクロームは釈然としない気持ちで、不安を抱えた儘、沈黙した。
この様子を影で見ていたディスクリムは、ここが付け入る隙だと察した。
ディスクリムはアマントサングインと魔導師会の戦いで、双方の共倒れを狙っている。
ディスクリムは竜の方が厄介だと思っており、古代からの眠りから覚めた大竜群と戦うよりは、
未だ魔導師会の方が与し易いと踏んでいる。
今はアマントサングインの監視があるので、表には出て来られないが、この隙を上手く利用して、
アマントサングインを仕留めようと企んでいた。
創る名無しに見る名無し [sage] 2019/03/26(火) 19:23:05.55:Sc76BFEM
――ガガノタット山はボルガ地方最大級の火山であり、麓には中規模の「町」がある。
この町はアッタと言う名前で、ボルガ地方では「熱い」或いは「暖かい」と言う意味の言葉を、
語源とするとされている。
火山の麓の町と言う事で、温泉が有名だったり、土産物屋には火山岩が売られていたりする。
地震が多い事でも知られており、開花期の中頃までは大きな地震で壊滅的な被害を受けていたが、
魔導師会の到着から徐々に地震への対策が行われて、現在では魔法による制御技術が確立している。
しかし、それも完全な物と言えるかは不明で、何時か破局的な大噴火が起こった時には、
如何に魔法の力でも抑え切れないのではないかと言われる。
それでも、アッタ町に住む人々は他の土地へは移ろうとしない。
正確には、開花期の中頃まで大地震の度に、ガガノタット山の麓の集落は壊滅しており、
住民は散り散りになっていた。
だが、時を経ると戻る住民や新しい住民が現れて、再び集落を形成して行った。
ガガノタット山が破局噴火する時は、唯一大陸が終わる時と言われているので、その辺を余り、
深く考えないだけなのかも知れない。
一応、地下のマグマ溜まりから溶岩を地表に逃がす機構があり、複数の耐熱煉瓦の管から、
溶岩を流出させている。
これは溶岩を直接見れる観光名所になっているが、流出量は安定せず、全く出ない日もあれば、
恐怖を感じる位に噴出する日もある。
幸い、平穏期以降は深刻な大噴火も、多数の死傷者が出る様な大地震も無いが、それが逆に、
大きな災いの前触れでは無いかと、不安がる人も居る。
創る名無しに見る名無し [sage] 2019/03/27(水) 18:57:52.66:1eUhau5g
ガガノタット山からアッタ町に降臨したアマントサングインは、町を破壊して暴れ回るも、
腐蝕ガスを放出する事はしなかった。
人を殺す事が目的では無いので、魔導師会が到着するまでは手加減していた。
逃げ惑う町民を見送りながら、アマントサングインは吠える。

 「早ク来イ、魔導師共!!
  私ハ気ガ長クナイゾ!!」

アマントサングインが確保したのは、町内の温泉ホテルだった。
そこに取り残されている者は30人程度。
逃げ遅れた従業員が15人と宿泊客が15人。
約半角後に数人のボルガ魔導師会の執行者が到着して、アマントサングインが見張るホテル以外の、
全ての場所から町民を避難させる。
それを見届けて、初めてアマントサングインは腐蝕ガスを放った。
ガスは余り大きくない町を忽ちの内に破壊して、汚泥の山に変える。
アマントサングインは勝ち誇る様に、幻体の3枚の翼を広げて雄叫びを上げた。
十分な人数の執行者が揃ったのは、アマントサングインの登場から2角後。
招集してから移動する距離を考えれば、これでも早い方である。
魔導師会はカターナ地方での一件から、竜への対策を考えていた。
魔導師会はホテルに閉じ込められている人々を助けるだけでは無く、ここで竜を退治する必要がある。
これ以上、竜を伸さ張らせておく訳には行かないのだ。
創る名無しに見る名無し [sage] 2019/03/27(水) 18:59:44.14:1eUhau5g
魔導師会が得ている情報は、この竜はアマントサングインである事、そして竜の中心に居る者は、
反逆同盟のニージェルクロームだと言う事。
実体の無いアマントサングインを止める方法は2つ。
1つは伝承を信じて神槍コー・シアーを用いる事。
もう1つは竜の力を宿した人間ニージェルクロームを止める事。
魔導師会は後者を計画していた。
魔力を遮る腐蝕ガスの所為で、竜に近付く事も困難だが、作戦が無い訳では無い。
竜は地下の様子までは探れないのだ。
救出部隊の隊長は、24人の隊員に指示を出す。

 「我々は地表から25身を掘削して、然る後に真っ直ぐホテルへと向かう。
  流石に、これだけ深ければ、地上の影響は無い物と考えて良い。
  行くぞ!」

穿孔の魔法を使う者と、土砂を掻き出す者の2班に分かれ、更に疲労して作業が滞らない様に、
それぞれ3組を用意して交代させながら、地面を掘り進む。
最初は地面を直下に抉り、25身程掘り下げた所で、ホテルへと向かう。
地下を進む速度は極速1節。
途中で崩落しない様に慎重に掘り進むので、その程度が限界だ。
最初に25身掘るのは8点程度で終わるが、ホテルまでの距離は2通で1方も掛かる。
1日の4分の1なのだから、結構な時間だ。
その間に、地上の部隊も待っているだけでは無く、地下で行われている事に気付かれない様に、
適度に気を引かなければならない。
創る名無しに見る名無し [sage] 2019/03/27(水) 19:00:52.29:1eUhau5g
そこで魔導師会は遠距離からの砲撃を実行した。
大掛かりな魔法で質量塊を打ち出し、それによってアマントサングインの本体とも言える、
ニージェルクロームを狙い撃つのだ。
カターナ地方での一件から、どうすれば竜に攻撃出来るのかを考え、用意された方法である。
多くの執行者がアッタ町を取り囲んで、腐蝕ガスが拡散しない様に守っている外で、
投擲部隊は腐蝕ガスの影響を余り受けない、オーデルコン(※)合金の砲丸を発射する。
直径半手、重さ1盥の砲丸を高速で発射。
これは直撃すれば人体が木っ端微塵になる程の破壊力がある。
4人の魔導師が加速魔法を唱えて、第1射を撃つ。
それは魔力の『軌道<レール>』を作り出し、それを円形にして限界まで加速させて発射する物。
3人が加速と真円軌道を維持して、1人が狙いを付けて発射。
腐蝕ガスが充満した結界の中のアマントサングインを狙う。
中々目視で狙うと言う事は出来ないが、腐蝕ガスの靄の中に潜入している魔導師が、
正確な竜の位置を観測して伝えてくれる。

 「発射!!」

第1射は狙い通り、アマントサングインの中に居るニージェルクロームに向かって行った。
多少の誤差はあるかも知れないが、相手の注意を引ければ十分。
勿論、直撃して倒せれば、それに越した事は無い。
しかし、アマントサングインは発射直後から気付いて、幻影の巨体を動かしニージェルクロームを、
弾道から避けさせながら、砲丸に向かって腐蝕ガスを吐き付けた。
如何に腐蝕に強いオーデルコン合金と言えど、高濃度で高温の腐蝕ガスを食らっては、耐え切れずに、
溶け落ちて失速する。


※:タンタルに相当する。
創る名無しに見る名無し [sage] 2019/03/28(木) 18:14:00.37:0U9rbPPp
オーデルコン合金の砲丸は、実際はオーデルコン合金鍍金砲丸である。
芯までオーデルコン合金と言う訳では無い。
だから、溶け落ちてしまうのだ。
狙撃に失敗した事を靄の中の魔導師に伝えられた投擲部隊は、第2射に移る。
アマントサングインは音速の砲撃に反応した。
直線的な攻撃は見切られている可能性がある。
そこで第2射は山成りの弾道で上空からの砲撃を試す。
加速の軌道を横から縦にして、殆ど真上からニージェルクロームを狙う。
横の加速に比べて、縦の加速は制御が難しい。
とにかく勢いを付けて、真っ直ぐ撃ち出せば良い横と違って、縦は射出速度と角度が一致しないと、
目標には当てられない。
緻密な計算を人の手で行うのだから、神経を削る。
もし失敗すれば、警戒されて二度と成功しないだろう。
奇手とは、そう言う物だ。
だから、連射する。
全20個の砲丸が閉じた環の中で加速する様は、宛ら数珠の如し。
投擲部隊は20個の砲丸を天高く打ち上げ、後はニージェルクロームに直撃する事を願った。
遥か上空2区まで打ち上げられた砲丸は、そこから目標であるニージェルクローム目掛けて、
高速で落下する。

 「何ッ、上空カラノ攻撃ダト!?」

アマントサングインは砲丸が降り注ぐ直前まで、それに気付かなかった。
勿論、それには理由がある。
水平方向からの砲撃を警戒していただけでは無い。
アマントサングインは腐蝕ガスによって周囲の様子を観ている。
腐蝕ガスその物がアマントサングインの感覚器の役割を果たすのである。
創る名無しに見る名無し [sage] 2019/03/28(木) 18:14:38.76:0U9rbPPp
腐蝕ガスは垂直方向に薄く、主に水平方向に拡散する。
だから、上空からの攻撃には反応が遅れる。

 「わわわわっ!!」

アマントサングインの危機感はニージェルクロームにも伝わった。
上空から降り注ぐ砲丸は、丸で砲撃の雨である。
ニージェルクロームは弱い力場で守られているが、流石に高速で飛来する砲丸は防げない。
身を守る術も無く、彼は攻撃に曝される。
だが、運良く砲丸は一発も彼に命中しなかった。
それはアマントサングインがホテルを囲っている為である。
魔導師会は取り残された人々を殺してしまう訳には行かないので、間違ってもホテルに命中しない様、
限り限りの所を狙うしか無い。
威力の高い砲丸は、ホテルに当たれば天井から地下まで撃ち抜いて、中に囚われている人々を、
殺傷する危険がある。
狙いを外してしまうのと、間違ってホテルを破壊してしまうのでは、前者の方が増しと言うか、
後者は絶対に許されない。
砲撃が外れたので、ニージェルクロームもアマントサングインも同時に安堵した。

 「生きてる……?」

 「オオ、助カッタ。
  運ガ良カッタナ、ハイロン」

 「……俺は魔導師会の、人間の敵なのか……」

今更ながら事実を確認して、ニージェルクロームは酷く落ち込んだ。
創る名無しに見る名無し [sage] 2019/03/28(木) 18:15:44.64:0U9rbPPp
アマントサングインは彼を慰める。

 「安心シロ、同ジ攻撃ハ2度ハ食ワナイ」

 「いや、そうじゃなくて……。
  俺は普通の生活に戻れないんじゃないかって」

 「案ズルナ。
  全テ、私ノ所為ニスレバ良イ。
  邪悪ナ竜ニ惑ワサレタト」

 「い、良いのかよ?」

ニージェルクロームは動揺したが、アマントサングインは堂々と言う。

 「オ前ハ竜ニ触レ、ソノ力ニ狂ワサレタノダ。
  竜ノ力トハ、恐ロシキ物ヨ。
  人ハ正気デハ居ラレナイ」

 「有り難う、アマントサングイン」

 「止セ、礼ヲ言ワレル筋合イハ無イ。
  私ノ勝手ニ、オ前ヲ付キ合ワセテシマッタノダ」

そうは言うが、ニージェルクロームもアマントサングインも本当の事を知っていた。
確かに、ニージェルクロームが力を得たのはアマントサングインの所為だ。
しかし、人間離れした存在になりたいと願ったのは、他らなぬニージェルクローム自身である。
故に彼は力を解放する手段を探して、暗黒魔法に走った。
アマントサングインは人に感謝された事が無いので、妙に落ち着かない気持ちになり、大きく吠える。

 「シカシ、ソレモ人ガ勝テバノ話!!
  私ハ負ケテヤル積モリハ無イゾ!!」
創る名無しに見る名無し [sage] 2019/03/29(金) 18:25:14.27:SJXXq4/Y
アマントサングインは天に向かって腐蝕ガスを吐き出した。
3枚の翼で竜巻を起こす。
これで上空からの攻撃にも反応出来る様になる。
ガスの靄の中に居た魔導師達は、大竜巻の中に閉じ込められる。
救出する人が又増えたので、全体を指揮するボルガ魔導師会法務執行部の部長補佐は頭を抱えた。

 「注意を逸らす為の攻撃が裏目に出たか……」

竜巻の中の魔導師とは連絡も取れず、無駄に死者を増やす事になっては不味い。
部長補佐は補佐付を呼んだ。

 「地下の進行具合は、どうだ?」

 「はい。
  えー、只今横掘りを開始した所だそうです」

 「進捗は予定より進んでいるのか、遅れているのか?」

 「やや遅れ気味です。
  しかし、それは仕方の無い事です」

 「ああ、解ってはいるが……。
  他に良い手は無いか?」

 「えっ、もう手詰まりなんですか?」

驚く補佐付に部長補佐は苦笑いで応じる。

 「仕様が無いだろう、この人数では出来る事も限られる。
  とにかく応援が来ない事には話にならない」
創る名無しに見る名無し [sage] 2019/03/29(金) 18:26:22.39:SJXXq4/Y
その時、竜巻の上空から何か物体が落ちて来た。
それに最初に気付いた執行者が、周囲に注意を呼び掛ける。

 「おい、気を付けろ!
  何か落ちて来るぞ!」

他の執行者達は身構えて落ちて来る物を注視する。
それは……竜巻の中に取り残された執行者だった。
執行者は落下速度を徐々に緩めて、地上に降りる。

 「フー、助かった……」

自力で脱出して来た仲間に、執行者達は駆け寄った。

 「おお、大丈夫か!?」

 「ああ、何とも無い。
  一か八かの賭けだったけど、割と何とかなった。
  あの儘、中に居ても焦り貧だったからな」

 「どうやって出て来たんだ?」

 「そりゃ見た儘だよ。
  敢えて竜巻に巻き込まれたのさ。
  そしたら上空まで巻き上げられて、外に出られた。
  残りの奴等も、直ぐ出て来ると思う」

竜巻から脱出した執行者は、竜巻の上空を見ながら言う。
他の執行者達も、釣られて空を見上げた。
彼の言う通り、空から人が数人落ちて来る。
創る名無しに見る名無し [sage] 2019/03/29(金) 18:31:25.35:SJXXq4/Y
竜巻の中に囚われていた執行者が、自力で脱出した事は、直ぐに部長補佐に伝えられた。
報告を受けた部長補佐は安堵の息を吐く。

 「良かった、無事だったか……。
  これでホテルに取り残されている市民の救出に専念出来るな」

そう彼は言った物の、地下を掘り進む以外の妙案がある訳では無い。
応援を待たなければならない状況は変わっていなかった。
彼は胸の靄々を抑え、自らを納得させる様に、補佐付に言う。

 「果報は寝て待てだ。
  何か良い考えが浮かんだ者は、是非提案してくれ。
  勿論、私も考える」

執行者達は大人しく応援を待ちながら、新たな作戦を考える。
一方でアマントサングインは全く攻撃が来ない事に退屈していた。

 「フーム、攻撃シテ来ナクナッタナ。
  欠伸ガ出ルゾ……」

ニージェルクロームは忠告する。

 「多分、この儘だと魔導師会の増援が来て不利になる」

 「ソウダナ……。
  デハ、コチラカラ出向イテヤルカ!」

少し思案した後に、アマントサングインは羽搏きを止めて幻影の巨体を立ち上がらせた。
ニージェルクロームは吃驚して問う。

 「どこに行くんだ!?」

 「決マッテイヨウ、共通魔法使イノ街ダ」
創る名無しに見る名無し [sage] 2019/03/30(土) 19:06:00.14:zVuiMgVE
堂々と答えたアマントサングインは腐蝕ガスを吐き散らしながら、ホテルから離れて歩き始める。
行く先にある物は何も彼も溶け落として。
俄かに竜巻が収まり、腐蝕ガスの塊が移動した事に、執行者達の集団は慌てた。
報告を受けた部長補佐も驚愕する。

 「ガスが移動している!?
  奴め、どこへ行く積もりだ!?」

その疑問に答えたのは補佐付。

 「南南西に向かっている様です。
  もしかして近くの都市に移動する気では!?」

 「南南西は……セイルートか!
  不味いぞ、これは!
  直ぐにセイルート市に連絡しろ!」

セイルート市はボルガ地方でもボルガ市に次ぐ規模の大都市。
そこで竜が暴れれば、被害は深刻な物になる。
部長補佐は全員に指示する。

 「竜がセイルートに着く前に、何とかしなければならん!
  ボルガ魔導師会本部に連絡!!
  応援部隊をセイルート市方面に回して貰え!!
  それと……数部隊は残って、竜が去った後にホテルの中の者を救出しろ!」

腐蝕ガスの塊は角速1街で南南西に移動する。
そんなに速いと言う程では無いが、走って追い続けるには少し辛い速度。
魔導師達には魔法があるので、そう苦労はしないが……。
創る名無しに見る名無し [sage] 2019/03/30(土) 19:07:37.75:zVuiMgVE
アマントサングインがセイルート市に着くまで1角弱。
魔導師会はセイルート市に到着させないか、それが出来なければ少しでも到着を遅らせる、
努力をしなければならない。
市民全員の避難は、とても1角では終わらないのだ。
「全員」を逃がそうと思えば、最低でも1日は欲しい。
先ず、執行者達は空間を固定しての足止めを計画した。
空間を固定すると言っても、D級禁呪ではない。
単に魔法で空気の障壁を作り、移動を制限するだけの事。
執行者達はアマントサングインの進行方向に集結して、巨大な空気の壁を築き、行く手を阻んだ。
腐蝕ガスの進行が止まり、竜も動きを止める。

 「ムッ、小賢シイ!!」

アマントサングインは横に避けようとしたが、当然執行者達も、それに合わせて左右に障壁を展開し、
前進を阻む。

 「グヌヌヌ……」

 「飛べば?」

低く唸るアマントサングインにニージェルクロームは助言した。
直ぐにアマントサングインは肯く。

 「アア!
  丁度私モ、ソウシヨウト思ッテイタ所ダ」

アマントサングインは3枚の翼を広げて、上空を見上げたが、空気の壁が図上まで覆っていると、
確認して諦めた。
竜が飛べる事は執行者達も知っている。
当然、対策しない訳が無いのだ。
創る名無しに見る名無し [sage] 2019/03/30(土) 19:08:56.22:zVuiMgVE
アマントサングインは広げた翼を緩りと畳んで、再び唸った。

 「ムムム……」

 「後ろに下がれば良いんじゃないの?」

ニージェルクロームは再び提案する。
アマントサングインは、後退とは自らの劣勢を認める消極的な態度で、敗北に繋がると言う、
悪い印象を抱いている為に、素直に引き下がる事を渋る。

 「下ガッタ所デ、ドウナルト言ウノダ?
  奴等ガ前進スルダケデハ無イカ……」

 「いや、このガスで地面は溶けているから素早い追撃は出来ない筈。
  その証拠に連中は、後ろからは攻めて来ない」

 「成ル程」

アマントサングインは頭が悪いのかなとニージェルクロームは思った。
話を聞いて直ぐに理解出来る辺り、そこまで馬鹿では無いのだが、発想が足りないと言うか、
物を知らない子供の様な感じだと彼は思う。
竜と言う物は力が強いから、そこまで知恵を働かせる事が無いのだ。
アマントサングインは先ず1巨後退した。
ニージェルクロームの言う通り、執行者達は汚泥の沼と化した地面に阻まれて、中々前進出来ない。
大勢で魔法の障壁を維持しながら、浮遊魔法も使って進むとなると、高い技量が必要なのだ。
アマントサングインは更に2巨程後退した所で、翼を大きく広げる。

 「飛ブゾ、ハイロン!」

 「ああ!」

アマントサングインは空高く飛び上がり、執行者達の頭上を越えて行く。
創る名無しに見る名無し [sage] 2019/03/31(日) 19:27:16.88:rxFbdMtC
執行者達も黙って見送りはしない。
空を飛んだ竜に向けて、一斉に攻撃を仕掛ける。

 「上だっ、撃ち落とせーーっ!!」

部長補佐の指示で、執行者達は砲撃の準備をした。
下から攻撃が来る事を察したアマントサングインは、ニージェルクロームに指示する。

 「地上カラ攻撃ガ来ルゾ。
  爪ヲ振ルエ」

アマントサングインは戦争が生み出した竜。
敵意と攻撃の意思には敏感なのだ。

 「あ、ああ」

ニージェルクロームは威嚇程度に止めようと、魔導師達の近くではあるが、当たらない場所を狙って、
腕を大きく振る。
その軌跡に沿って、竜の爪が大地を抉った。
幅3身、長さ1巨に亘って、地上に大きな溝が出来る。
その衝撃で魔導師達は詠唱を中断させられ、上空の竜への攻撃は失敗した。
アマントサングインは速度を上げて、セイルート市へと向かう。

 「逃がすなっ!!
  とにかく撃て!!」

部長補佐の命令で、執行者達は銘々に竜に攻撃を仕掛けるも、中々真面には当たらない。
ニージェルクロームに直接当てなければ、どんな攻撃も幻影の竜の体を擦り抜けて行くだけ。
創る名無しに見る名無し [sage] 2019/03/31(日) 19:28:51.29:rxFbdMtC
竜の飛行速度は角速8街。
魔法を使えば何とか追い付けるが、追い掛けながら攻撃をするのは中々難しい。
部長補佐は次の指示を出す。

 「もう良い、撃ち方止めぃ!!
  追い掛けるぞ!!
  それとセイルート市に伝えろ、『竜が飛んで来る』とな!!」

執行者達は集団で竜を追い始めた。
一方で連絡を受けたセイルート市は市民の避難を進めると同時に、魔導師会に更なる応援を頼んだ。
既にセイルート市に集まっていた執行者達は、防衛部隊を組織して、竜の飛来する北北西に陣取り、
迎撃態勢を整える。
だが、1角にも満たない時間で、どれだけの事が出来るだろうか?
案の定、完全に準備を終える前に、竜の姿が空の彼方に見える。
防衛部隊の指揮官である副部長は、号令を掛けた。

 「障壁を展開しろ!!
  射撃班は狙撃用意!!
  撃って、撃って、撃ち捲れーっ!!」

魔導機からオーデルコン鍍金の超音速の矢が、竜を目掛けて発射される。
アマントサングインは巨体を上下左右に揺らし、ニージェルクロームを矢雨から守った。
ニージェルクローム自身も竜の爪を振るって、矢を叩き落とす。
セイルート市に1通の距離まで接近したアマントサングインは、彼に指示を出した。

 「ハイロン、竜ノ爪デ障壁ヲ打チ破レ!!」

 「ああ!!」

ニージェルクロームは両手を高く掲げると、それを真下に振り下ろす。
竜の爪が障壁を破壊して、住民の避難した無人の街まで、その爪痕を深々と付ける。
創る名無しに見る名無し [sage] 2019/03/31(日) 19:29:27.90:rxFbdMtC
アマントサングインは腐蝕ガスを吐き出しながら、セイルート市内に着陸した。
そして尚も腐蝕ガスを吐き散らし、3枚の翼を羽搏かせて、アッタ町と同じく大竜巻を発生させる。
ニージェルクロームはアマントサングインに問う。

 「誰も居ないな……」

 「避難シタノダロウ」

 「そりゃ逃げるか……。
  それで、無人の街で何をするんだ?」

 「無人デハ無イゾ。
  居ル所ニハ居ル」

 「どこだよ?」

 「病院ダ」

アマントサングインの発想にニージェルクロームは恐れを感じた。

 「えっ、病院を襲うのか!?
  病院は拙いって!」

確かに入院中の重傷者や重病者は、素早くは逃げられない。
幾らかは退避させられても、少なくとも数人は取り残されているだろう。
しかし、それは非道な行為だ。

 「人間共ノ都合ヤ理屈ハ関係無イ。
  弱者ヲ守ルノガ魔導師会ノ務メナラバ、ソレガ果タセルカヲ見ル」

大竜巻はセイルート市を崩壊させながら、市立病院に向かう。
ニージェルクロームはアマントサングインを止める術を持たなかった。
創る名無しに見る名無し [sage] 2019/04/01(月) 19:24:19.08:CGbz/MnW
その時、大竜巻の進行が急に止まる。

 「どうしたんだ?
  やっぱり止めるのか?」

ニージェルクロームの問い掛けに、アマントサングインは小声で答えた。

 「バ、馬鹿ナ……!
  コレハ……」

大竜巻を突き破って、一人の男性が現れる。
驚くべき事に腐蝕ガスを物ともしていない。
黒いマントを羽織り、同じく黒い『笠<シェード>』を被った彼は、傘の魔法使いサン・アレブラクシスだ。
アマントサングインは彼を睨んで言う。

 「貴様ッ!!
  セーヴァス・ロコ……ダト!?」

セーヴァス・ロコとは旧暦の聖君の逸話に登場する、聖なる盾だ。
これは正面からの有りと有らゆる攻撃を全て防ぐと言われる。

 「どう言う事だよ?
  こいつは誰なんだ?」

事情が全く分からないニージェルクロームは混乱して、アマントサングインに問い掛けた。
アマントサングインは低く唸りながら答える。

 「此奴ハ神盾セーヴァス・ロコヲ身ニ宿シテオル!!
  貴様ッ、悪魔ノ分際デ神器ヲ扱ウカ!!」

アレブラクシスは俯いて笠を深く被り、こう言い返した。

 「扱う等と言う大した物では無い。
  盾は我が身と一体。
  唯それだけの事」
創る名無しに見る名無し [sage] 2019/04/01(月) 19:25:20.62:CGbz/MnW
アマントサングインの怒りは、神器が悪魔の手に落ちた事にある。
神聖な神器を悪魔が扱う事は出来ない筈なのだ。
一方で、ニージェルクロームはアマントサングインの怒りが解らなかった。

 「神器って何だよ?」

竜と離れた彼には、共感による直観的な理解も無い。
唯々困惑するばかりだ。
そんな彼を置いて、アマントサングインはアレブラクシスに吠え掛かる。

 「何ヲシニ我ガ前ニ現レタッ!!
  コノ私ヲ止メヨウト言ウノカ!!」

だが、アレブラクシスは動じない。

 「何もする積もりは無い。
  私は盾に導かれた。
  そう、これは盾の意思なのだ」

 「盾ノ意思ダト!?
  盾ハ何ト言ッテオル!!」

 「知らない、分からない」

 「貴様ガ何カスル訳デハ無イノカ?」

 「繰り返しになるが、私は何もする積もりは無い」

 「ナラバ、ソコヲ退ケ!!」

 「出来ない」

 「何ダト、貴様ッ!!」
創る名無しに見る名無し [sage] 2019/04/01(月) 19:28:12.82:CGbz/MnW
アマントサングインとアレブラクシスは互いに睨み合って動かない。
ニージェルクロームは何故アマントサングインが彼に構うのか、理解出来なかった。

 (何もする気は無いって言ってるんだから、無視すれば良いのに)

しかし、アマントサングインが彼に気を取られて、暴虐を止めてくれるなら、それでも構わないので、
敢えて何も言わなかった。
アレブラクシスは両肩を竦めて、アマントサングインに言う。

 「理由は盾に聞いてくれ。
  竜なら神器の声も聞こえるのではないか?」

 「神器ノ声ダト!?」

世の中にはアマントサングインでも解らない事だらけだ。
アマントサングインは神器を神聖な物だとは思っていたが、意思を持っているとは思わなかった。
扱うには資格が要る程度の道具としか、認識していなかったのである。
だが、よく考えれば、神器が意思を持っていても不思議では無い。
何故なら神器は人を選ぶのだ。
誰なら扱えると言う機械的な選定基準を持っているのでは無く、状況によっては常人が持つ事もあり、
悪人が扱う事は絶対に許さないと言うのだから、寧ろ意思を持っている方が自然である。

 「グムム、神器セーヴァス・ロコ!!
  何故ニ我ガ前ニ立チ開カル!!」

アマントサングインはアレブラクシスでは無く、彼の中の盾に問い掛けたが、答は無い。

 「答エナケレバ、コウシテクレル!!」

業を煮やしたアマントサングインは、腐蝕ガスをアレブラクシスに向けて吐いた。
所が、ガスはアレブラクシスを避けて行く。

 「無駄だよ。
  誰にも神器を傷付ける事は出来ない」

 「ハイロン!!
  爪ヲ振ルエ!!」

ブレスが通じなかったので、アマントサングインはニージェルクロームに命じる。

 「えっ、俺!?」

行き成り呼び掛けられて、彼は驚きながらも、指示に従う。
創る名無しに見る名無し [sage] 2019/04/02(火) 19:24:39.26:r2REVWRE
 「恨まないでくれよ」

ニージェルクロームはアレブラクシスに言うと、腕を振るって竜の爪を彼に叩き付ける。
しかし、強烈な一撃にもアレブラクシスは怯まない。
傷付ける事は疎か、後退させる事も、蹌踉めかせる事も出来ない。
ニージェルクロームの腕には、岩石の様な物凄く硬い物に弾かれた感覚が残る。

 「アマントサングイン、これは無理だ。
  腕が痺れた」

 「爪ガ通ジヌノデアレバ、握リ潰セ!!」

 「あ、ああ、やってみる」

再度のアマントサングインの命令に、ニージェルクロームは仕方無く従った。
彼はアレブラクシスに手を向けて、握り潰す動作をする。
しかし、完全に拳を握る事が出来ない。
これも硬い石を掴まされているかの様。

 「だ、駄目だ……。
  何か見えない力に守られている」

 「ヌヌ……ッ!
  盾ヨ、答エヨ!!
  何故ニ我ガ前ニ現レタ!!」

 「普通に考えて、街で暴れるのを止めて欲しいんじゃないの?」

ニージェルクロームは至極真っ当な推測を、アマントサングインに告げた。
創る名無しに見る名無し [sage] 2019/04/02(火) 19:25:36.74:r2REVWRE
それを聞いてアマントサングインは激昂する。

 「クアーーーーッ!!!!
  神器が『悪魔擬キ<デモノイド>』ノ為ニ力ヲ振ルウト言ウノカッ!!
  守ルベキ人間ヲ滅ボサレ、ソレデモ尚ッ!!」

アレブラクシスは両肩を竦めた。

 「盾は何も言わない。
  唯ここから動かない」

 「私ハ悪魔擬キノ本質ヲ見極メネバナラン!!
  奴等ガ本当ニ人間ト同ジナノカ!
  嘗テノ人ガ持ッテイタ心ヲ持ッテイルノカ!
  我ガ道ヲ阻ム事ガ出来ルノハ、神器デモ悪魔デモ無イ!
  正シイ心ヲ持ッタ『人間』ダッ!!」

 「しかし、盾は解っている様だ。
  私には盾の声は聞こえないが、何と無く確信めいた物が感じられる」

彼の話を聞いて、アマントサングインは目を剥く。

 「現レルト言ウノカッ、コノ時代ノ聖君ガッ!?」

 「それは解らない。
  聖君は既に失われた時代だ。
  今更、世界を統べる神王が誕生するとは思えない。
  ……私見ではあるが」

神盾セーヴァス・ロコは聖君の出現を予感して、ここに来たのだろうか?
だが、アレブラクシスは否定する。
盾は一体何を待っているのか……。
創る名無しに見る名無し [sage] 2019/04/02(火) 19:27:18.00:r2REVWRE
アマントサングインは強い決意を持って、再び前進を始めた。

 「シカシ、神盾セーヴァス・ロコ!
  私ハ止マラナイゾ!
  私ノ求メル者ガ現レルマデハナ……」

ここに来て、漸くアマントサングインはアレブラクシスを無視して歩き出す。
腐蝕ガスの大竜巻は再び街を蹂躙する。
一方その頃、魔導師会の執行者達は、竜を止める術が無く、途方に暮れていた。
腐蝕ガスの所為で魔法は通じない。
魔法以外での遠距離攻撃も通じない。
近付く等、以ての外。
それでも嘆いている暇は無い。
打つ手が無くとも、市民の避難を手伝う位は出来る。

 「竜巻は市立病院に向かっている!
  患者を移送しろ!
  今出来るのは、その位しか無い!」

執行者達は竜巻の進む先に回り込み、魔法で空気の障壁を築いて、病院を守った。
しかし、患者を全員運び出すのは困難だ。
最初から魔導師会が市の防衛では無く、市民の避難に専念していれば、全員が助かったかも知れない。
否、何を言っても今更だろう。
最終的に病院は数人の重病患者と執行者と共に、竜巻の中に取り残された。
そして、丁度その時に神槍コー・シアーが魔導師会本部から、現場の責任者である副部長の元に、
届けられたのである。

 「魔法史料館より許可を得て、神槍コー・シアーをお持ちしました。
  存分に御活用下さい」

 「あ、ああ……。
  早かったな。
  いや、早くて悪いと言う事は無いのだが……」

コー・シアーを持って来たのは、ガーディアン・ブルーのローブを着た八導師親衛隊だった。
創る名無しに見る名無し [sage] 2019/04/03(水) 18:38:06.83:wuhQJOU8
副部長はコー・シアーを受け取ったは良いが、活用と言われても困った。
騎士槍型のコー・シアーは全体に錆が浮いており、柄の部分は半分折れている。
瞭(はっき)り言って、真面に使えそうな武器では無い。
投擲しようにも、恐らくは形状の問題で、真っ直ぐ飛ばないだろう。

 「これで、どうしろと?」

副部長の問いに、親衛隊員は伝承を語る。

 「旧暦、第四代聖君カタロトと第八代聖君ユーティクスは、この槍を振るって竜を倒しました」

 「だが、これは……本当に本物なのか?
  唯の錆びた槍だとしたら?
  そもそも伝承が真実とは限らないだろう……」

 「無理ですか?」

 「あ、ああ……。
  残念だが、良い活用方法は思い浮かばない」

副部長は表向きは落胆して、丁寧に断ってみせたが、内心では苛々していた。
赤錆塗れの今にも崩れ落ちそうな、普通に使う事さえ難しい槍を持って来て、活用も何も無い。
魔法の力も少しも感じない。
彼は親衛隊員にコー・シアーを突き返す。

 「駄目ですか……」

親衛隊員は落胆を顔に表していた。
彼女は白い髪に薄い青灰色の瞳、そして白い肌。
その異様さに副部長は一瞬吃驚するが、今は彼女に構っている場合では無いと気にしなかった。
親衛隊員はコー・シアーを持って、大人しく引き下がる。
創る名無しに見る名無し [sage] 2019/04/03(水) 18:40:00.10:wuhQJOU8
親衛隊員の正体は神聖魔法使いのクロテア。
彼女は魔導師会からコー・シアーを受け取り、それを託せる人物を探していた。
クロテアは新しい聖君になる事を期待されて誕生したが、もう自分が聖君になる積もりは無い。
今は神の使徒として、人の行く末を見守るのみ。
彼女も又アマントサングインと同じく試しているのだ。
この状況を変えられる者が、現生人類に存在するのかを……。
クロテアはコー・シアーを天に翳して呟く。

 「魔導師会の執行者達は命令されない事は出来ない。
  無謀を踏み越えて勇気を証明する人が、本当に現れるのか……」

コー・シアーは勇気と使命感に反応して、漸く輝きを取り戻す。
使命と言っても、神が何のと大層な事を考える必要は無い。
自分がやらなければならないと、覚悟を持って立ち上がるだけで良いのだ。
しかし、システム化とマニュアル化が進んだ社会では、自分勝手な行動は取り難い。
勿論それは社会が大きくなり成熟するには、必要な過程だが……。
諸々の権利や義務が課されて、緊急時に助ける者と助けられる者が、明確に分けられてしまう。
市民は自分に出来る事をして、それが終われば大人しく助けを待つ。
執行者は命令に従って任務を熟す。
お互いの役割は決まっており、分を越えた出過ぎた真似はしないと言う、暗黙の了解がある。
そうする事で社会の規律は守られ、事故や災害でも無用な犠牲者を増やさないで済む。
だが、その所為で助けられた筈の人を助けられず、助かった筈の人が助からなかったかも知れない。
それは致し方の無い犠牲だろうか?
誰もが身勝手な行動を取れば、被害が広がったり、犠牲者が増えたりするかも知れない。
人々が己の分を守って、「正しく」行動する事は、非常に重要である。
……重要ではあるが、絶対では無い。
システムやマニュアルの想定外の出来事が起こった時、誰が暗黙の了解を破って立ち上がるのか?
クロテアは真に勇気ある者を探して歩いた。
執行者が駄目ならば……。
創る名無しに見る名無し [sage] 2019/04/03(水) 18:41:42.15:wuhQJOU8
丁度その頃、巨人魔法使いのビシャラバンガがセイルート市に向かっていた。
彼は竜が現れたと言う話を聞き付けて、セイルートの様子を見に来たのだ。

 (これが噂の竜か……。
  街を覆う白い靄は全部腐蝕ガスなのか?
  恐ろしいな)

それなりに魔法資質には自信のあるビシャラバンガでも、単独で竜に立ち向かうのは厳しいと、
感じていた。

 (一応、執行者は居る様だが、やはり手子摺っている様だな)

遠くから竜と執行者の様子を観察していた彼は、背後に気配を感じて振り向く。
そこにはガーディアン・ブルーのローブを着たクロテアが立っていた。

 「誰だ!
  魔導師……では無のか?」

ビシャラバンガは優れた魔法資質で、彼女が共通魔法使いに特有の魔力の流れを纏っていない事に、
直ぐ気付く。
クロテアは丁寧に自己紹介した。

 「私はクロテア、神聖魔法使いと呼ばれています」

 「己に何の用だ?」

 「私は竜を倒せる人物を探しています」

ビシャラバンガは眉を顰めて問う。

 「己に竜を倒せと?」

 「私は貴方に強制は出来ません」
創る名無しに見る名無し [sage] 2019/04/04(木) 18:34:52.24:t9+0dqBZ
彼女の奇妙な言い回しにビシャラバンガは疑念を深めた。

 「強制は己も好かないが……。
  己に依頼しに来たのではないのか?」

 「そうではありますが、その気が貴方に無いのでしたら、それは仕方の無い事です」

 「意味が解らん……」

 「私が見た所、貴方には人々を救おうと言う気持ちが余り無い様です」

 「ああ、所詮は共通魔法使いの事だからな。
  見ず知らずの人間の為に、本気になれる者は少なかろう」

 「私は人に竜を倒す為の方法を教えられます。
  しかし、それは本気の人でなくてはなりません」

 「己では不適格だと言うのだな?」

 「ええ、今は……」

 「それなら魔導師会の連中に頼めば良かろう。
  連中は市民を守る為なら、大抵の事はするのではないか?」

 「……魔導師会の者達では行けないのです。
  あの人達は自分の役割を逸脱しようとはしません」

クロテアの説明にビシャラバンガは少し考えて、こう問い掛ける。

 「己なら出来ると言うのか?」

その問に彼女は何も答えず、唯ビシャラバンガを凝(じっ)と見詰めた。
創る名無しに見る名無し [sage] 2019/04/04(木) 18:35:59.58:t9+0dqBZ
真っ直ぐな瞳に耐えられず、ビシャラバンガは自分で白状する。

 「己には人の為と言う熱い心が無い。
  己は己の為だけに生きて来た。
  誰かの役に立ちたいとか、そう言う感情とは無縁だ。
  他の奴を当たってくれ」

 「いいえ、そんな事はありません。
  貴方は今の自分を変えたいと思っています」

クロテアは彼の萎縮(いじ)けた考えを否定したが、当の本人は無気力に言う。

 「しかし、直ぐに人の為に何かをしようと言う気持ちにはなれん。
  どうすれば、そう言う気持ちになれる?」

 「貴方は貴方の義の心を思い出す必要があります」

 「己の義とは何だ?」

 「貴方の中にある貴方にとって譲れない物、貴方が許せない物の事です」

 「……己は竜に対して怒る心が無い。
  嘗ての己であれば、竜をも降そうと挑み掛かったかも知れないが……。
  今は竜に挑む気も起こらない。
  己には誰かを守る事等、出来はしないのだ」

ビシャラバンガの心は虚無から解放されていなかった。
力が全てと言う価値観を失い、その代わりとなる物を未だ見付けられていない。
創る名無しに見る名無し [sage] 2019/04/04(木) 18:37:10.86:t9+0dqBZ
クロテアは彼の目を見詰め続けている。

 「人は独りでは生きられません。
  貴方も私も、誰でも同じです。
  貴方にも人の心はあります。
  悪を憎み、善を信じる人の心が……。
  貴方に足りない物は自分の善を信じる心です。
  しかし、善とは生まれ付いて人の中に存在する物でありながら、それは小さな萌芽であり、
  文化や環境によって、大きく左右されます。
  人には善を示す人が必要なのです」

彼女の言う事が解らず、ビシャラバンガは困惑した。

 「詰まり、どう言う事だ?
  貴様が己に善を示すと言うのか?」

 「ええ、貴方の言った通りです。
  私が竜に立ち向かいます」

 「自分で出来るなら、最初から己に頼らず自分でやれば良かろう」

 「いいえ、私には出来ません」

 「……ん?
  どう言う事だ?」

 「私では竜を倒す事は出来ないでしょう。
  それでも私は行かなければなりません」

そう言うとクロテアは錆びた槍を胸に抱いて、腐蝕ガスの中に入ろうとする。
何か手段があるのかと、ビシャラバンガは彼女を見守っていたが……。
創る名無しに見る名無し [sage] 2019/04/05(金) 18:36:53.43:9uTJY4oX
クロテアは特に防御手段を講じない儘、腐蝕ガスの濃霧の中に飛び込んだ。
彼女の白い髪が焦げ、肌が赤く爛れて行く。
ビシャラバンガは慌てて彼女の後を追い、魔力を纏って腐蝕ガスの中に突入する。

 「ば、馬鹿かっ!?
  貴様っ、死にたいのか!!」

ビシャラバンガはクロテアを抱えて有無を言わせず後退した。
彼は腐蝕ガスの中から出て、クロテアの様子を見る。
魔導師のローブは腐蝕に強く、表面の文様が崩れるだけで済んでいるが……。
美しかったクロテアの体は見るに堪えない程に痛々しい。
それでも彼女は笑っていた。

 「何故、貴方は私を助けたのですか?」

 「何故って?
  ……知るか!
  己の目の前で死なれては気分が悪い!
  それだけの事だ!」

 「そう、それが貴方の善の心なのです。
  貴方は本当は優しい人です。
  貴方は目の前で倒れる人を只見てはいられない……」

 「違う!
  己は、そんな善人では無い!
  見ず知らずの人間が何人死のうと、心が痛む事は無い!」

 「しかし、貴方は私を助けました。
  貴方にとって、私は見ず知らずの人にも拘らず。
  貴方は私を助ける時、何を考えましたか?」

 「……分からない……って、貴様っ、どこへ行く!?」

クロテアは話の途中にも拘らず、再び腐蝕ガスの中に向かって歩き始めた。
創る名無しに見る名無し [sage] 2019/04/05(金) 18:37:28.67:9uTJY4oX
ビシャラバンガは彼女を止める。

 「無駄な事は止めろ!
  そんな事を幾らされても、己には使命感等、芽生えはしない!」

 「本当に、そうでしょうか?」

真面目に問い掛けるクロテアが彼は恐ろしくなって来た。

 「貴様は悪魔かっ!?
  己を苦しめて何が楽しい!?」

 「何故に貴方が苦しむのですか?」

 「己は貴様の思う通りにはならん、なれんのだ!
  己の善の器は小さい。
  貴様は己に難題を押し付けている自覚が無いのか!」

 「いいえ、どこにも難しい問題等ありません。
  何故なら貴方は善人だからです。
  私は何度でも竜を倒しに行きます」

錆びた槍を大事に抱えている彼女に、ビシャラバンガは問う。

 「その錆びた槍が何の役に立つ!?」

 「人が善の心を発揮する時、この槍は輝きを取り戻すのです」
創る名無しに見る名無し [sage] 2019/04/05(金) 18:38:32.87:9uTJY4oX
ビシャラバンガは自分が槍を扱えるとは全く思っていなかったが、無謀な事を繰り返すクロテアを、
見捨てる事は出来なかった。
彼女に対して特別な感情は何も無いのだが、力が弱い者が戦おうとしているのに、力の強い自分が、
それを黙って見ているだけと言うのが、彼の信義に反するのだ。

 「だが、貴様では槍を扱う事は出来ないのだろう?
  何も出来ないのなら、弱者は弱者らしく引っ込んでいろ!」

 「いいえ、私には出来る事があります」

 「貴様っ、竜には勝てないと、自分で言ったばかりだろうがっ!」

 「私にとって勝てる勝てないは重要ではありません。
  ここで私は人々を見捨てる訳には行かないのです」

 「そうまでして己に竜と戦わせたいのか!?」

ビシャラバンガの必死の問に、クロテアは暫し沈黙した。
そして彼女はビシャラバンガに小さく頭を下げる。

 「私は貴方に申し訳無く思います。
  どうやら私は他人に頼り過ぎていた様です。
  人の為と言うなら、私自身にも、その心がある筈。
  私が槍を扱えない道理はありません」

クロテアが決意して錆びた槍を掲げると、仄(ほんの)り槍が輝いた。
それは一瞬で消えてしまい、ビシャラバンガは見間違えたのか、それとも本当に輝いたのか、
確信が持てない。
再度腐蝕ガスの霧の中に突入するクロテアに、ビシャラバンガは呼び掛ける。

 「待てっ!!」

彼はクロテアを止めると、難しい顔をして言った。

 「貴様だけを行かせるのは心許無い。
  己も付いて行く」
創る名無しに見る名無し [sage] 2019/04/06(土) 18:38:39.03:BICGqpb5
クロテアは爛れた顔を綻ばせて深く礼をした。

 「私は貴方に大変感謝しています」

 「誤解するなよ。
  己は竜と戦うのが怖い訳では無い。
  今ここで戦う意味が見出せないだけなのだ。
  貴様を見殺しにするのが忍び無いから、死なせない様にする。
  唯それだけで、他意は無い」

ビシャラバンガは魔力で力場を発生させて空気の流れを作り出し、クロテアを庇いながら、
腐蝕ガスの中へと突入する。
彼は腐蝕ガスの魔力を遮る性質を、直観的に感じ取っていた。

 「……これは不味いぞ。
  ここに長居するのは危険かも知れない」

 「それでは貴方は危ないと感じたら、撤退して下さい。
  私は残ります」

 「馬鹿を言うな!
  命惜しさに弱者を捨て措く程、己は恥知らずでは無い!
  貴様も人を助けたいと本気で思っているなら、必ず自分の手で竜を倒すと言う気概を持て!
  その覚悟も無く、戦いに出るなっ!!」

ビシャラバンガの本気の説教に、クロテアは俯き加減で頷いた。

 「は、はい……。
  貴方の言う通りですね。
  私が人々を助けます!」

彼女の持つ槍は淡い輝きを纏い始めた。
それはクロテア自身の心に反応しているのか、それともビシャラバンガの心に反応しているのか?
クロテアは槍の力に守られて、少しずつ体の傷が癒えて行く。
創る名無しに見る名無し [sage] 2019/04/06(土) 18:39:55.31:BICGqpb5
彼女は竜に向かってビシャラバンガと共に歩きながら、独り語り始めた。

 「私は今まで自分から事を成そうとはしませんでした。
  それは旧暦に大きな過ちがあったからです」

 「旧暦?」

 「最後の聖君ジャッジャスは、私と同じ様に人の祈りに応える真の『祈り<プレアー>』でした。
  彼は人の望む姿に形を変える為に、自分から進んで何か事を成したりはしません。
  飽くまで、人の望みを叶えるだけです。
  旧暦……人々は自分達を導く『強い者』を求めていました。
  その声に応じて聖君ジャッジャスは、次第に強権を振るう様になって行きました。
  彼は人々の望む潔癖さを以って罪人を見付け出し、人々の望む通り容赦無く罰して行きました。
  しかし、彼は逆に信望を失って行きました。
  人の望みを叶えていた筈なのに……。
  私は彼の無念と後悔から学び、人の祈りに応えはしても、自ら力を振るう事は避ける様に、
  努めていました」

 「自ら力を振るう事への恐れか?」

ビシャラバンガはクロテアの言う事に覚えがあった。
強大な力を持つ者は、自らの所為で周囲が変わってしまう事を恐れる物だ。
自らの力が齎した結果に関しては、責任を持たなければならないが故に。
尤も、ビシャラバンガは自分の力こそが全てで、殆ど他人の事を考える等しなかった為に、
その様な後悔や悩みとは余り縁が無かった。
彼が力を振るう時は、自らの問題を解決する時で、他人の為に何かしようと言う発想は無く、
他人が困っていても基本的には知らん顔をしていた。

 「力の行使には責任が伴う。
  それは当然の事です。
  どの様に力を振るうのが正しいのか、私には分かりませんでした。
  唯人々の声に応えて、その望む儘にするだけでは行けなかったのです……。
  私には神槍を振るう資格も勇気もはありませんでした」
創る名無しに見る名無し [sage] 2019/04/06(土) 18:42:20.83:BICGqpb5
クロテアの話を聞きながら、ビシャラバンガは己の力の振るい方に就いて、考える。
何の為に自分は力を付けたのか?
それは当然、強くなる為だ。
では、強くなって何がしたかったのか?
己の力を皆に示したかったのだ。
それで何がしたかったのか?
己の正しさを証明したかったのだ。
誰に?

 (我が師よ……)

ビシャラバンガは自分を育ててくれた師匠の事を思い出した。
彼は自分の師に認めて貰いたくて、とにかく師を越えた強さを得ようとした。
既に死した師にも彼の名が届く様に、直向きに最強を目指した。
彼は純粋であるが故に迷わなかった。
最強になって何をすると言う考えは無く、とにかく強くなり、その強さを証明する為に戦う事だけが、
ビシャラバンガの目的だった。
彼は告白する。

 「己も貴様と同じかも知れん。
  己は強くなったが、未だに己の力の使い途が分からん。
  無心になって人の為に、この力を振るうと言う道もあろうが、それが正しいとは思えん」

 「何故ですか?」

クロテアの問にビシャラバンガは、改めて理由を考えてみた。

 「結局の所、己は心が狭いのだ。
  己が己の意思で強くなった様に、他人も同じ様にすべきだと思う。
  救うにしても、自ら努力する者こそを救うべきだと考えている……」
創る名無しに見る名無し [sage] 2019/04/07(日) 20:10:49.57:09fePxE4
彼の答にクロテアは深く頷く。

 「天は自ら助る者を助くと言いますから……。
  それも正しい考えだと私は思います」

 「そうかな?
  己の知り合いに、そうでは無い者が居る。
  そいつは弱い癖に、困っている者に手を貸したがる。
  否、弱いから弱い者に共感するのか?
  お人好しと言うか、間抜けな男だ。
  自分の力量を弁えていない……と思う時がある。
  自分の出来る事をしているだけと、奴は言うのだがな。
  ――己は奴が羨ましいのかも知れん。
  奴を見ていると、自分も奴の様になりたいと思う時がある。
  ……仕様も無い話をしたな。
  詰まり……何が言いたいのかと言うと……」

ビシャラバンガは虚空を見詰めながら、自分の思考を整理した。

 「そう、そいつは自分の力の振るい方を解っているのだ。
  自分の心の赴く儘に、力を振るえるのだ。
  本当は、そうでは無いのかも知れないが、そうとしか思えない。
  それが堪らなく羨ましい。
  心と力の向かう所が同じなのだ。
  こんな時に奴が居れば、貴様の願いも叶えられたと思う。
  己には心が無い。
  だから、力を腐らせている……」

 「心と力の向かう所?」

 「ああ、感覚的な言い方過ぎたか?
  とにかく奴は難しい事は考えていないのだ。
  見返りが無くとも気にしない。
  それは……良くも悪くも、自己満足だからなのだろう」

しかし、ビシャラバンガは彼の真似をしたいとは思わない。
彼と自分とは違う存在だと分かっているから……。
創る名無しに見る名無し [sage] 2019/04/07(日) 20:13:04.73:09fePxE4
クロテアも又、自らの心情を告白した。

 「私も貴方と同じだったのでしょう。
  私は人の望みを叶え、良き心の助けとなる事を喜びとしていましたが、私自身が良き心を持って、
  自ら剣を振るう事はしませんでした。
  私も又、心の無い存在だったのです。
  ……本当に神槍が私に応えて下さるのか、私には自信がありません。
  私の人々を助けたいと言う心は、間違い無く本心からの物ですが、そこに熱情があるかは、
  私にも判りません……。
  寧ろ、逆に恐ろしく冷めた義務的な感情の様な気がするのです。
  私に人を救う資格があるのでしょうか……?」

ビシャラバンガは顔を顰めて言う。

 「己には他人の心の中までは解らん。
  貴様は貴様のやりたい事、出来る事をしろ。
  それが正しいか等、後で考えれば良い。
  そうで無ければ、付き合った己が馬鹿みたいでは無いか!」

 「はい……」

クロテアの自信の無さそうな返事を聞いて、ビシャラバンガは益々心配した。
当の彼も自分のやりたい事が判らないので、クロテアに余り偉そうな事は言えない。
しかし、彼はクロテアの態度が好ましい物には見えなかった。
その理由は、彼女が自分の事を客観的に評価しようとしている為だ。
相応しいだの相応しくないだのは、本質的な問題では無いとビシャラバンガは感じている。
人を助けたいと思う心に偽りが無いのであれば、その心の儘に動けば良いのだ。
そうした目的意識さえ持たないビシャラバンガにとっては、明確な道が見えている分、
クロテアを羨ましいと思う。
創る名無しに見る名無し [sage] 2019/04/07(日) 20:14:55.14:09fePxE4
2人は腐蝕ガスの濃霧の中を進み、竜巻に突入する。
ビシャラバンガはガスの中での活動が、もう長くは保たないと感じていた。

 「……おい、小娘」

 「はい?」

クロテアに呼び掛けた彼は、行き成り彼女を抱え上げて肩に乗せた。

 「わっ」

 「貴様の歩みに合わせていたのでは、時間が掛かり過ぎる。
  一気に突っ切るぞ」

 「は、はい!」

そして2人は竜巻の中心に飛び出す。
そこで漸く病院を守っている竜の姿が露になる。
竜を見上げて、ビシャラバンガは圧倒された。

 「これが竜か……」

アマントサングインは目の前に現れた2人を見下ろす。

 「コノ嵐ノ中ヲ潜リ抜ケテ来タカ!!
  ムッ……!
  小娘ッ、貴様ハ神槍コー・シアーヲ持ッテイルノカ!?」

アマントサングインはクロテアの抱えている幽かに輝く錆びた槍を見て驚いた。

 「神器ガ2ツ……。
  コノ小娘ガ私ヲ止メル勇者ナノカ?」
創る名無しに見る名無し [sage] 2019/04/08(月) 19:31:38.36:+JM7wFzg
クロテアはビシャラバンガの肩から飛び降り、竜を見上げて問うた。

 「私は貴方の事を、古の竜アルアンガレリアの子、アマントサングインと聞いています!
  それは本当ですか?」

 「ム……?
  ダッタラ、何ダト言ウノダ?」

 「貴方は何故この様な事をするのですか!?」

 「理由ヲ問ウノカ?
  理由ガ有レバ、貴様ハ納得シテ引キ下ガルノカ?」

 「いいえ!
  しかし、私が貴方の要求を知る事には、大きな意味があります!」

 「デハ、教エテヤル!
  私ハ私ニ立チ向カイ、私ヲ倒セル者ヲ求メテイル!!
  反逆同盟ノ正体ハ悪魔公爵ノ軍勢ダ!
  私ニ苦戦スル様デハ、地上ノ支配ハ覚束無イ!
  『悪魔擬キ<デモノイド>』共ガ本物ノ悪魔ニ逆ライ得ルカ、試シテヤッテイルノダ!」

 「貴方は人と共に戦おうとは思わないのですか?」

 「ハハハ、馬鹿ナ!!
  私ハ大父ディケンドロスノ子!
  人間ヲ信頼シテオレバ、私ノ様ナ竜ハ生マレテオラヌ!
  御託ハ良イッ、掛カッテ来ヌカ!!」

話し合いを求めるクロテアをアマントサングインは一蹴する。
何をやっているのだと、ビシャラバンガは呆れた。

 「小娘っ、貴重な時間を使って何をしている!?
  奴と戦うと決めたのなら迷うな!!」

彼に叱責されてクロテアは漸く槍を構える。
創る名無しに見る名無し [sage] 2019/04/08(月) 19:32:14.55:+JM7wFzg
しかし、輝きの弱い槍を見てアマントサングインは失笑した。

 「フハハハハ!!
  シカシ、ソノ神槍ノ有リ様ハ何ダ!?
  真面ニ手入レモサレテオラヌデハ無イカ!!
  ソンナ物デ、私ヲ倒セルトデモ思ッテイルノカ!!」

クロテアは槍を構えた儘、動かない。
そんな彼女を見てビシャラバンガは焦りを露に声を掛ける。

 「どうした!?
  ここに来て怖じ気付いたか!?」

 「わ、私には分からないのです……。
  どうすれば私は、この竜を倒せるのでしょうか?」

 「何っ!?
  巫山戯るのも大概にしろ!!
  無理でも何でも、先ずやってみなければ始まるまい!!」

クロテアは武器の振るい方を知らなかった。
槍は突き刺す物だと知ってはいるが、幻影の巨体を持つアマントサングインに攻撃が通る気がしない。
彼女は神槍を手にして使命感を持って動けば、後は槍が戦い方を教えてくれると思っていた。
しかし、そんな事は無かった。
全く動かないクロテアをアマントサングインは見下して、苛立ちを打付ける。

 「小娘、貴様デハ相手ニナラナイ様ダナ……。
  何モ出来ヌ癖ニ、何ヲシニ出テ来タ?」

ビシャラバンガも又、アマントサングインと同様に苛立ちを募らせて言う。

 「貴様は人を助けに来たのでは無かったのか!?」
創る名無しに見る名無し [sage] 2019/04/08(月) 19:36:09.73:+JM7wFzg
だが、クロテアは震えて立ち尽くしているだけだ。
ビシャラバンガは堪り兼ねて、彼女から槍を奪って前に出た。

 「えぇい、寄越せっ!!
  己がやるっ!!
  元から貴様の様な小娘が出張る事自体が、間違いだったのだ!!」

彼は竜を見上げて大声で吠える。

 「竜よ、貴様の言い分は解った!!
  人を試す等と詰まらない事の為に、こんな騒動を起こして、余程暇なのだな!!」

 「何ダト、貴様ッ!?」

 「どんな深謀遠慮が、貴様の心中にあろうと関係無い!!
  力比べなら己が付き合ってやろうっ!!
  それに飽いたら、早々に往ねい!!」

 「デモノイドノ分際デッ!!
  大口ヲ叩イタ事、後悔スルナヨッ!!」

アマントサングインは腐蝕ガスを吐き付けたが、ビシャラバンガは槍を振り回して風を起こし、
それを跳ね返す。

 「オオオオオッ!!!!
  竜よ、序でに小娘っ、己の力を見るが良いっ!!
  使命だの何だのと下らない事ばかりに気を取られている、愚か者共めっ!!」

ビシャラバンガは神槍コー・シアーを振るって、アマントサングインに突きを仕掛けた。
だが、コー・シアーは幻影の体を傷付ける事が出来ない。
アマントサングインは嘲笑う。

 「ハハハ、無駄ダッ!!
  コノ幻影ノ体ニハ、真面ナ攻撃ハ通用セン!!
  ハイロン、爪ヲ振ルエッ!!」
創る名無しに見る名無し [sage] 2019/04/09(火) 18:44:56.46:rBGZBJjd
ニージェルクロームはアマントサングインの指示に従って、竜の爪を振るった。
ビシャラバンガは避けようと思えば避けられたが、敢えて正面から受け止める。
竜の爪は彼の構えた槍を破壊出来なかったが、巨体には大きな爪痕を残した。

 「ぐっ……、何の此れ如きっ!!」

ビシャラバンガは胸に大きな切り傷を付けられながらも、踏み止まる。
血飛沫が散って、溶けた大地に赤い跡を付ける。
彼の背後にはクロテアが居た。

 「あ、貴方は私の為に……」

 「気にするなっ!
  下手に避けるよりは、受け止めた方が良いと思っただけだ!」

ビシャラバンガは明らかにクロテアを庇っていたのだが、感謝されても煩わしいだけだと感じた彼は、
敢えて話に応じず突っ撥ねた。
その時、クロテアは彼の手にある槍が輝きを増したのを見る。

 「あっ、コー・シアーが!」

彼女の指摘でビシャラバンガも槍の輝きに気付いた。
彼は舌打ちして言う。

 「チッ……!
  善だの何だの、己には関係無い事だ!!」

一方、アマントサングインは槍の輝きに怯んでいた。

 「オオッ!?
  コー・シアーガ輝イテオルッ!!
  オ前ガ神器ヲ扱ウノカ!?」

ビシャラバンガは眉間に皺を寄せて、クロテアを片手で抱え上げ、自分の背中に掴まらせる。

 「良いか?
  確り掴まっていろ、振り落とされても知らんぞ!」

 「は、はい!」

彼の背中でクロテアは歓喜の笑みを浮かべた。
彼女はビシャラバンガの善性に触れる事が出来て、嬉しかったのだ。
創る名無しに見る名無し [sage] 2019/04/09(火) 18:45:45.02:rBGZBJjd
 「食らえぃっ!!」

ビシャラバンガはコー・シアーを振り回して、アマントサングインに突進する。
アマントサングインは実体を持たない筈なのに、槍の先が幻体に触れた途端、その部分が崩れ落ちる。

 「ムッ……!」

 「大丈夫か、アマントサングイン!」

四肢と胴の一部を失い、地に這う様に落ちたアマントサングインを、ニージェルクロームは気遣った。
アマントサングインは強がる。

 「ドウト言ウ事ハ無イ、所詮ハ幻体ダッ!!
  ソレヨリ、奴等ヲ攻撃シロッ!!
  先ノ様ナ手加減ハ無用ダゾッ!!」

 「あ、ああ……。
  でも、本気で人を攻撃するのは……。
  建物とか、そう言うのだったら未だ良いけど」

ニージェルクロームは竜の強大な力を人に直接振るう事に、躊躇いを感じていた。
余りに強い力だから、簡単に殺してしまう所が想像出来てしまうのだ。

 「構ウナッ!!
  コレハ命令ダッ!!」

 「わ、分かった」

ニージェルクロームは本気の積もりでビシャラバンガを狙ったが、その攻撃は簡単に避けられる。
やはり無意識に加減してしまうのだ。

 「手緩イゾ、ハイロンッ!!
  モウ良イッ、体ヲ寄越セッ!!」
創る名無しに見る名無し [sage] 2019/04/09(火) 18:50:35.30:rBGZBJjd
アマントサングインは憤り、彼の体を乗っ取ろうとした。

 「うわっ……」

ニージェルクロームはアマントサングインの剣幕に怯み、仕方無く体を委ねる。
竜の宿った彼の瞳は真っ赤に輝き、竜の全力を振るう。

 「燃え尽きろっ!!」

アマントサングインは腐蝕ガスを吐き出すと同時に、竜の爪を打ち付け合い、その摩擦熱で引火させ、
大爆発を起こさせた。
ビシャラバンガは自分の事より、背中のクロテアの事を先ず思った。
彼女を守る為に背負ったのだから、何としても守らなければならないと。
彼は自分の体を盾にして、背後を魔法で守る。

 「プテラトマッ!!」

魔力の翼がクロテアを包む。
ビシャラバンガは爆炎の中に呑み込まれた。
幾ら頑健な彼でも、魔法無しでは自分の身を守り切れない。
アマントサングインは爆発が収まるのを静かに待った。

 「……さて、生きているかな?」

炎が消えた後に現れたのは……傘の魔法使いサン・アレブラクシス。
彼の体は半分透けており、その中には盾が見える。
ビシャラバンガは彼に守られて無傷だった。

 「何者だ?」

ビシャラバンガの問にアレブラクシスは堂々と答える。

 「私は傘の魔法使いサン・アレブラクシス……だった者。
  今は聖なる盾と同化して生き永らえているだけの、性無い存在だ」
創る名無しに見る名無し [sage] 2019/04/10(水) 18:23:01.00:zRaRnegW
彼は続けて問うた。

 「何故こんな所に現れた?」

 「それは盾に聞いてくれ」

アレブラクシスの体は徐々に薄れて行き、それと同時に盾がビシャラバンガの腕に吸い着く様に、
自然に装着される。

 「こ、これは?
  どうなっている?」

困惑する彼の耳に姿無きアレブラクシスの声が届く。

 「恐れる事は無い。
  守りたいと言う君の心に、盾が応えただけの事」

未だ事情が理解出来ないビシャラバンガに、クロテアが説明する。

 「それは神盾セーヴァス・ロコです。
  旧暦、大竜軍の戦いで聖君を守った盾。
  貴方の手には今、槍と盾、2つの神器があるのです」

ビシャラバンガは眉を顰めた。

 「己は物の力を借りるのは好きでは無い。
  己は何時も、自分の力を頼りにして来た積もりだ……が、今は一々そんな事を、
  言っている場合では無いか……。
  えぇい、疾々(とっと)と方を付けるぞ!」

彼は盾を構え、槍を振り回して、アマントサングインの幻体を破壊しながら、その本体である、
ニージェルクロームに迫る。
創る名無しに見る名無し [sage] 2019/04/10(水) 18:23:57.48:zRaRnegW
ビシャラバンガはニージェルクロームを槍で貫こうとしたが、彼の力任せの一撃は驚くべき事に、
浅りと受け止められてしまった。

 「何っ!?」

竜の宿ったニージェルクロームの膂力は、人間とは比較にならないのだ。

 「フッ、この程度か……。
  神槍は完全な力を取り戻してはいないな。
  やはり使い手が悪い」

神槍は輝いてはいるが、その錆を全て落とすには至らない。
神槍が真の力を発揮しなければ、竜の宿ったニージェルクロームを倒す事は不可能。

 「我が幻影を消した所で、何の意味も無いのだ。
  志無き者に神槍コー・シアーは扱えぬ」

ニージェルクロームは槍を片手で押さえ付けて、もう片手をビシャラバンガに向ける。
その手は竜の幻影を纏って、腐蝕ガスを吐き付けた。

 「くっ!」

ビシャラバンガは右腕のセーヴァス・ロコで腐蝕ガスを防ぐ。
その隙にニージェルクロームはビシャラバンガを蹴り飛ばして、距離を取った。

 「弱い、弱いっ!!
  この程度で私を倒そうとは、甘く見られた物だ!」

煽られたビシャラバンガは、しかし、怒りはしなかった。
創る名無しに見る名無し [sage] 2019/04/10(水) 18:26:49.04:zRaRnegW
彼の心は竜と言う強敵に対する敵愾心よりも、背後のクロテアに囚われていた。
もう長らく魔法で腐蝕ガスから身を守りながら戦っているので、彼の集中力には限界が来ている。
実は魔法を使わずとも、セーヴァス・ロコの力で身を守れるのだが、その事実にビシャラバンガは、
未だ気付いていなかった。
彼の心は取り敢えず、クロテアを安全な後方に下がらせる事ばかり考えていた。

 「おい、小娘!
  一時離脱するぞ!
  貴様は足手纏いだ、後方で待機していろ!
  良いな?」

 「しかし……」

 「しかしも何もあるかっ!
  今から己は霧の中から出て、貴様を安全な所に置く。
  何があっても、再び竜と戦おうと思うな!
  奴は己が倒す!
  それだけを信じて待っていろ!」

ビシャラバンガは初めて他人と「約束」をした。
しかも、守れるかも判らない不安な約束を。
クロテアは彼を信じて頷く。

 「はい、貴方を信じます」

他人に信じられると言う経験の無いビシャラバンガは、彼女の期待を重荷だと思った。
だが、今は信じて貰えると言う事が有り難かった。
詰まり、素直に意見が通って、難が無いと言う意味である。
ビシャラバンガが距離を取り始めたのを見て、竜の宿ったニージェルクロームは言う。

 「どうした、逃げるのか?
  2つの神器を持ちながら、私には敵わないと――」

 「喧しいっ!!
  直ぐ戻って来てやるから、黙っていろっ!!」

ビシャラバンガはニージェルクロームに吠え掛かり、急いで腐蝕ガスの濃霧の中から離脱した。
創る名無しに見る名無し [sage] 2019/04/11(木) 18:50:39.96:xLkW4EPT
一直線に腐蝕ガスの中から飛び出した彼は、背負っていたクロテアを下ろす。
彼女は畏まって深く謝罪した。

 「私は申し訳無く思います。
  貴方は私の為に……」

 「貴様の為では無い!
  ……とにかく何か知らんが、己は奴を倒さねばならん気がするのだ!」

実際の所、ビシャラバンガがアマントサングインを倒す理由は、クロテアの為以外には無い。
彼女が自殺行為的な無謀な行動に出るから、彼は彼女を死なせない為に、戦いに行くのだ。

 「良いか、ここを動くなよ!
  否、寧ろ逃げて構わん!
  ここから離れろ!」

 「私は逃げません」

 「何っ!?」

 「私は逃げないので……、貴方は勝って下さい。
  私は貴方の勝利を信じています」

ここで勝つ自信が無い等とは言えず、ビシャラバンガは強気に答える。

 「貴様が信じようと信じまいと!
  己は必ず勝つ!!
  槍と盾の力まであって、竜如きに負けて堪るか!」

彼自身は槍と盾の力をそこまで信じていなかったが、自分を奮い立たせる為にも、大言壮語して、
自らの退路を断った。
彼は勝利とは他人の為よりも、自らの為と言う意識が強い。
そうしなければ、勝利への欲求を湧き立たせられないのだ。
故に、「誰の為に勝つ」とは決して口に出来なかった。
創る名無しに見る名無し [sage] 2019/04/11(木) 18:51:43.27:xLkW4EPT
ビシャラバンガは改めて腐蝕ガスの濃霧の中に突入し、竜の居る場所を目指す。
アマントサングインは再び幻体を復活させていた。

 「戻って来たか!
  逃げ出したのかと心配していたぞ」

 「侮るなっ!
  誰が貴様如きを恐れる物か!
  力の弱い凡人共を相手に、調子に乗っていた様だが、それも今日までだ!
  覚悟しろ!!」

ビシャラバンガは再びアマントサングインの幻体を槍で削る。
それに対してアマントサングインは竜の爪を振るって抵抗した。
爪の威力は恐ろしく、ビシャラバンガが盾で防いでも、その衝撃が貫通して来る。
弾き飛ばされまいと踏み堪えても、勢いに負けて後退してしまう。

 「ええぃっ……」

彼は腕の痺れを感じながらも、アマントサングインの幻体を削り切って、再びニージェルクロームと、
対峙した。
それをアマントサングインの宿ったニージェルクロームは嘲笑う。

 「どうした?
  貴様も凡人と大差無い様だが……。
  2つの神器を持ちながら、その程度とは失望させてくれる」

 「煩いっ!
  神器が何だのと関係あるか!」

 「ああ、有るとも。
  私を倒せるのは神器コー・シアーだけなのだからな」

ビシャラバンガは彼の言葉を聞かなかった。
竜を倒すのに神器の力が必要だとは認めたくなかったのだ。
創る名無しに見る名無し [sage] 2019/04/11(木) 18:53:25.71:xLkW4EPT
ニージェルクロームは顔から笑みを消して、冷たい態度で言う。

 「自惚れるなよ、『悪魔擬き<デモノイド>』!
  貴様等は我等竜に比べれば、滓の様な存在だ。
  神器に頼らず私を討つ等とは、思い上がりも甚だしい」

 「やってみなくては解るまい!
  貴様は無敵の竜では無く、人の体を使っているでは無いか!」

頑ななビシャラバンガに彼は呆れた。
失望の溜め息を吐くと、竜の爪で盾を弾き、蹴りを竜の尾に見立てて撃ち込む。

 「ぐっ……!!」

 「力の差が解らないのか、それとも見て見ぬ振りをしているのか……。
  貴様が神槍の真の力を発揮出来ぬ理由を教えてやろう。
  貴様には大義や使命感が足りないのだ。
  より大きな、より多くの物の為に、戦おうと言う志が無い。
  人としての器の大きさと言い換えても良い。
  真に人の為であれば、どんなに貪欲で、我が儘であっても良い。
  寧ろ、無欲に近い程の大欲で無ければ、神槍の真の力は見えぬ」

 「お、己には、そんな心は無い」

 「では、何故私の前に立つのだ?」

 「……己は……」

理由を問われて、ビシャラバンガは考える。
一体何故自分は竜を倒そうと思ったのか?
それはクロテアが居た所為だ。
彼女が力弱い者の分際で、多くの人を守ろうと立ち上がった所為だ。
分不相応な願いを彼女が持った所為だ。
創る名無しに見る名無し [sage] 2019/04/12(金) 19:53:21.85:fsPkcmtp
胸の中に溜まっていた靄々した気持ちを、素直にビシャラバンガは吐き出した。

 「愚かにも我が身を顧みず、人を救おうとした者が居たのだ。
  それが余りにも哀れだから、己が代わりに来たのだ。
  無力な者の為だとか、そう言う事では無い。
  己には、そこまで大層な志は無い。
  だが、黙って見ている事は出来なかったのだ」

彼の手の中で槍が輝きを増す。
それにビシャラバンガは気付かない儘、独白を続ける。

 「あの儘、黙って見送るよりは、己が戦いに行った方が良い。
  唯そう思っただけに過ぎぬ。
  仮令、力が及ばなかろうと、そう言う事は問題では無いのだ。
  己は己の心の儘に動いただけだ」

 「ムッ、貴様……」

その変化を感じ取ったニージェルクロームは、ビシャラバンガに向けて爪を振り下ろした。
だが、それはビシャラバンガの右腕の盾に防がれる。
ビシャラバンガは腕の痺れを感じなかった。

 「貴様の言う通り、己は器の小さい男だ。
  とても他人の為には戦えぬ。
  そうしたくとも心が動かないのだ。
  屹度、己は赤の他人の為に戦える者が羨ましいのだろう。
  だから……責めて、その助けに!」

 「フッ、漸く本気になったか!」

ニージェルクロームは両腕で竜の口を作り、幻影を纏わせて腐蝕ガスを吐き出させる。
セーヴァス・ロコがビシャラバンガを守る様に、不可視の障壁を作り出す。
創る名無しに見る名無し [sage] 2019/04/12(金) 19:56:34.56:fsPkcmtp
ビシャラバンガとニージェルクロームは槍と爪を打ち付け合った。
ビシャラバンガの槍はニージェルクロームの爪を弾くが、武器を扱い慣れない彼は力任せに、
槍を振り回す事しか出来ない。
中々強力な一撃を浴びせる事が出来ず、ビシャラバンガは歯噛みする。

 「えぇい、敏捷(ちょこま)かと!」

ニージェルクローム自身は1身弱の標準的な体形だ。
竜が宿っているとは言え、特別に体格が大きくなったりはしない。
純粋に身体能力だけが強化されている。

 「未だ未だ神槍の真の力を引き出せていないな。
  貴様は自分の力しか信じていない様だ。
  余りにも技が無い……」

ビシャラバンガの激しい攻撃を往なしながら、彼は余裕で笑う。
しかし、ニージェルクロームの方も盾を持つビシャラバンガに有効打は無い。

 「貴様の相手も飽きて来たぞ」

一つ小さな息を吐いた彼は、魔導師に守られている病院を一瞥した。
そして大きな笑みを浮かべる。

 「退屈凌ぎに、新しい刺激を与えてやろう」

 「止せっ!!」

ビシャラバンガが止める間も無く、ニージェルクロームは竜の爪で病院を破壊した。
建物の外壁が崩れて、中の様子が露になる。
人々の恐怖の叫び声が木霊する。

 「貴様の相手は己だ!!」

ビシャラバンガは声を張ってニージェルクロームに迫ったが、ニージェルクロームは病院の中、
それも市民の集まっているフロアに逃げ込んだ。
創る名無しに見る名無し [sage] 2019/04/12(金) 19:59:02.29:fsPkcmtp
ニージェルクロームの意識は、自分の体を操っているアマントサングインに働き掛ける。

 (おい、不味いって!!)

 (案ずるな。
  奴が本物か確かめるだけだ)

 (嘘を吐くな!
  お前は人なんか、どうでも良いと思ってるだろう!?)

 (分かった、分かった……。
  戦えぬ者への害は抑えるから、そう怒鳴るな)

アマントサングインは彼を宥めながら、病院の中で幻体を復活させた。

 「く、来るなっ、出て行け!!」

病院の中の執行者達は、ニージェルクロームに向けて魔法を唱えようとするが、腐蝕ガスを吐かれ、
簡単に防がれてしまう。
ビシャラバンガは直ぐにニージェルクロームを追って、病院内に突撃した。

 「逃げるな!!」

彼は槍と盾を構えて、アマントサングインの幻体を再び攻撃する。
そして執行者達に言った。

 「病人を連れて逃げろっ!!」

 「無理だ!!
  この腐蝕ガスの中、どこへ行けと言う!!」
創る名無しに見る名無し [sage] 2019/04/13(土) 19:09:13.17:jObY/AEU
執行者達も逃げたくても逃げられないのだ。
ビシャラバンガは歯噛みして、槍で幻体を破壊し、再度ニージェルクロームに向かった。

 「ウォオオッ!!」

 「フッ、人を守る事よりも、元凶を絶つ事を選ぶか……。
  その判断は間違ってはいない。
  だが――!」

ニージェルクロームは片手で槍を受け止め、もう片手で腐蝕ガスを病院内の市民に向けて放った。

 「攻勢一辺倒ではなぁ!!」

執行者達が市民の盾となるが、防御には限界がある。
ビシャラバンガは益々焦って、ニージェルクロームに苛烈な攻撃を仕掛けた。
それをニージェルクロームは涼しい顔で躱す。

 「焦りが見えるぞ」

ビシャラバンガの手にある神槍は少しずつ輝きを弱くして行った。
神盾も同様である。
彼は槍と盾が重くなっていると感じた。

 (……もう限界なのか……)

ビシャラバンガは疲れを自覚し始める。
やがて彼の手と足は止まった。

 (槍と盾が重い……。
  どうした事だ、これは……)

ビシャラバンガは敵を倒すと言う事に執着し過ぎて、市民の安全への配慮を怠った。
故に、神器は彼を見放したのだ。
創る名無しに見る名無し [sage] 2019/04/13(土) 19:09:54.73:jObY/AEU
最早重荷でしかない神器を、彼は擲った。

 「ええい、こんな物は要らんっ!!」

そして最後の力を振り絞って、ニージェルクロームに迫る。
ニージェルクロームは冷笑した。

 「丸で獣だな。
  最後は道具をも捨てて殴り掛かるか」

彼はビシャラバンガを竜の尾で、力任せに弾き飛ばす。
ビシャラバンガは後方に吹き飛び、執行者達や市民の居る所へ退けられた。
執行者が膝を突いた彼を気遣い、声を掛ける。

 「大丈夫か!?」

助けに来た者に心配されて、ビシャラバンガは恥じた。

 「どうと言う事は無いっ!!
  それより、ここに居る者達を逃がす方法は無いのか!?」

 「あれば疾くにやっている!」

食い掛かられた執行者は、逆に言い返す。
緊急事態に相手を責める様な事は無意味だ。
ビシャラバンガは再び立ち上がって、ニージェルクロームを睨んだ状態で、執行者に告げる。

 「己は竜を倒しに来た。
  だから、幾ら傷付こうが、最悪死のうが構わん。
  戦う事を恐れたりはしない。
  だが……、逆に言えば己には、それ位しか出来ん。
  貴様等、市民を守る執行者なら、何か知恵があろう!」
創る名無しに見る名無し [sage] 2019/04/13(土) 19:10:50.74:jObY/AEU
そう言われても、執行者に出来る事は無い。

 「私達は、ここを離れる事が出来ない。
  私達の張ったバリアーで、ここの全員を守っているのだ。
  数人だけなら救い出せるかも知れないが、身動きの取れない病人も居る。
  見捨てる訳には行かない」

 「では、ここで徒(ただ)死を待つだけか!」

 「違う!
  私達は執行者、同じ魔導師の仲間が居る。
  耐えていれば、必ず仲間が駆け付ける。
  そう信じている」

執行者の答を聞いたビシャラバンガは、素直に羨ましいと思った。
信じられる仲間が居て、その為に困難と闘えるのだ。
逆に、ビシャラバンガは独りである。

 「『仲間が駆け付ける』か……」

彼は今まで誰かと絆を強めたり、助け合ったりする事が無かった。

 (だから、己は弱いのだ……)

そう悟って彼は悲しくなった。
今の自分はアダマスゼロットと変わらないのだと。

 「耐えていれば、本当に仲間が駆け付けるのだな?」

急なビシャラバンガの問に、執行者は戸惑うも、自信を持って頷く。

 「ああ」
創る名無しに見る名無し [sage] 2019/04/14(日) 19:06:51.80:EJKatbfx
ビシャラバンガは気合を入れ直した。

 「良しっ!!」

そして執行者達のバリアーから出て、腐蝕ガスの中に飛び込み、改めてニージェルクロームの前に。
力の篭もった彼の目を見て、ニージェルクロームは満足気に頷いた。

 「フム、目の色が変わったな」

 「その余裕が何時まで持つかな!?」

ビシャラバンガはニージェルクロームに突進して、掴み掛かる。
ニージェルクロームは彼を敢えて正面から受け止めた。

 「捕まえてしまえば、どうとでもなるとでも思っているのか?」

竜の宿ったニージェルクロームは強い力で、ビシャラバンガを押し返す。
それでもビシャラバンガは構わず、体格の優位を活かして、ニージェルクロームを道連れに、
病院の外へ身を投げ出した。

 「フン、他人を巻き込まない様に、外へ出たか……。
  中々殊勝な行動だ」

 「黙れっ!
  貴様の高所から構えた評価には、倦んざりだ!」

2人は病院の外の地面に転がる。
それでもビシャラバンガはニージェルクロームの両腕を掴んで離さない。

 「健気だなっ!
  しかし、盾も槍も無く、私に敵う訳が無かろう!」

ニージェルクロームは竜の幻体を復活させて、彼に向かって腐蝕ガスを吐き付けた。
創る名無しに見る名無し [sage] 2019/04/14(日) 19:07:33.53:EJKatbfx
ニージェルクロームの体を押さえているビシャラバンガは、腐蝕ガスを止める手段を持たない。
魔力の力場で腐蝕ガスを押し返すしか無いが、長らく腐蝕ガスの中に留まり続けていた彼は、
集中力が限界を迎え始めていた。
防ぎ切れない腐蝕ガスがビシャラバンガの肌を焼く。

 「ぐぐぐぐぐ……」

彼は歯を食い縛って耐える。
全身に力を込めて、何があろうとニージェルクロームを絶対に放さないと決めていた。

 「なっ、何だ、こいつ!?」

その必死さに、ニージェルクロームの中のアマントサングインは怯んだ。
アマントサングインは神器に見放されたビシャラバンガが、本気で人を守るとは思っていなかった。

 「何故ここまでする!?
  貴様は神器に見限られたのだ!
  神器も持たずに、私に敵う物か!」

 「じ、神器が何だと言うのだ!
  そんな物が無くとも……!
  お、己は人を信じる事にしたのだ!!」

 「人を信じる!?
  馬鹿なっ、信じていれば奇跡が起きるとでも言うのか!」

 「そこまで夢を見てはおらん!
  奇跡よりも、もっと現実的な物だ!」

ビシャラバンガの皮膚は爛れ、怪物の様な見た目になる。
しかし、アマントサングインは彼の心に美しい物を見ていた。
創る名無しに見る名無し [sage] 2019/04/14(日) 19:09:02.57:EJKatbfx
ビシャラバンガの背中には翼が生える。
魔力の翼とも異なる、混沌の力を宿した翼だ。
混沌の力は全ての源。
創生と滅亡の両者を司る、何物にも染まらず、何物にも成り得る未定の力。
アマントサングインの力も、それに類似した物である。
混沌の翼はアマントサングインの幻影の体を、混沌の力に分解して崩壊させる。

 「こ、これは……巨人の力!?」

これこそが巨人魔法の究極『翼ある者<プテラトマ>』。

 「デモノイド風情がっ!」

アマントサングインは幻体の全身を輝かせて、逆に混沌の力を吸収しに掛かる。
ここに両者の力は拮抗して、∞を描き循環を始めた。

 「あ、有り得ぬ……。
  悪魔生まれの人間の成り損ないが、巨人の力を使う等と!
  神器も持たない者が……。
  正か、神の意思だとでも言うのか!」

ニージェルクロームとアマントサングインの幻体は同時に空を見上げる。
しかし、神の声は聞こえない。

 「ウオォッ!!
  高がデモノイド1匹に負けてなるかーー!!」

アマントサングインは死力を尽くして、ビシャラバンガを上回ろうと足掻いた。
流石にビシャラバンガは耐えられなくなり、徐々に混沌の翼を溶かし始める……。

 「フン、やはりな!
  竜に敵う訳が無いのだ!」

幻体を取り戻したアマントサングインは、勝利を確信して笑った。
創る名無しに見る名無し [sage] 2019/04/15(月) 19:16:25.57:MLwEK2N0
もうビシャラバンガは目を開けていられない。
口も開けられないから、叫び声も上げられない。
暗闇の中で全身の神経を焼かれる様な苦痛に耐え続ける。
執行者は言った。
耐え続けていれば、必ず助けが来ると。
ビシャラバンガがニージェルクロームを押さえていれば、ガスの外の魔導師達が何か手を打つ。
そうなる事をビシャラバンガは信じた。

 (己では貴様を倒せない……。
  だから……)

彼は徐々に意識が朦朧とし始める。
腕の感覚が無くなって、ニージェルクロームを捕まえているのかも分からなくなって来た。
その裏で執行者の集団が病院に到着する。

 「急げ、急げ!!
  竜巻が収まっている今しかない!
  残留者を運び出せ!!」

執行者達は病院の中に取り残された者達を、次々と運び出す。
最後に先に病院で残留者を守っていた執行者の隊長、新しく来た救出部隊の隊長は尋ねた。

 「もう居ないか?」

 「後1人!
  勇敢な男が……」

そう言いながら残留者を守っていた隊長は、濃霧の向こうを見詰める。
創る名無しに見る名無し [sage] 2019/04/15(月) 19:17:06.95:MLwEK2N0
しかし、目に見える物は白い靄ばかり。
ビシャラバンガの姿も竜の姿も見えはしない。
救出部隊の隊長は眉を顰める。

 「誰か竜と戦っているのか?」

 「ああ、その筈だ。
  竜に操られている様な人間も居た」

 「分かった。
  とにかく脱出しよう。
  直ぐに応援を呼んで来る」

最後に2人も病院から脱出して、全員が救出された。
――その頃、ビシャラバンガの翼は消え掛けていた。

 「中々粘ったが……。
  ここまでだ!」

アマントサングインは彼に止めを刺すべく、腐蝕ガスの濃度を高くして行く。
それでもビシャラバンガはニージェルクロームを捕まえた儘、放そうとはしなかった。
彼の目と口を固く閉ざした表情は、懸命に何かに祈っている様にも見える。
恐らく、彼の意識は既に無い……。
その時、強風が吹き荒れて、腐蝕ガスを天高く巻き上げた。
濃霧は少しずつ晴れて行き、崩壊した街並みが露になる。
腐蝕ガスは上空に吸い上げられて、巨大な雲を作る。

 「魔導師共か……!?」

アマントサングインは魔導師達が集まって、自分を包囲していると気付いた。
再び腐蝕ガスを吐き散らそうとするが、強風の所為で思う様に拡散しない。
創る名無しに見る名無し [sage] 2019/04/15(月) 19:19:14.69:MLwEK2N0
アマントサングインはビシャラバンガに気を取られ過ぎていた。
だが、アマントサングインは勇敢な者、必死な者を無視出来なかったのだ。

 「くっ、この私が神器も持たない者に……!」

アマントサングインは悔しがりながらも、どこかで満足もしていた。
竜の目はビシャラバンガと言う勇敢な者を認めた。
信仰心が無くとも、神器を持たずとも、彼は人を信じて戦った。

 「成る程、最早奇跡は必要無いと言う事か……。
  否、これこそが奇跡なのかも知れぬ。
  奇跡は必然か……」

アマントサングインは最期を悟った。
魔導師会が竜の本体であるニージェルクロームに向けて、攻撃を始める。
太陽光線を集めた、熱線を上空から撃ち込む。
アマントサングインはニージェルクロームとビシャラバンガを守る為に、蜷局を巻いて身を縮めた。
その瞬間である。
竜を仕留めるなら、ここしか無いと、影に潜み続けていたディスクリムが姿を現した。

 「フフ、竜とやらも大した事は無いな!
  我が主の為に、ここで潰えて貰うぞ!」

 「何っ、貴様っ!!」

ディスクリムは熱線の照射で弱っているアマントサングインから、ニージェルクロームの体を奪う。

 「宿る本体が無くなれば、幻影の体も消えよう!」

ディスクリムは彼の体を無理遣り動かして、熱線に曝した。

 「熱っ!!!!
  な、何をするディスクリム!!」

アマントサングインの影響が弱り、ニージェルクロームは本気で抵抗するが、ディスクリムも必死だ。
創る名無しに見る名無し [sage] 2019/04/16(火) 19:04:09.04:OPtD2IbT
 「全ては我が主の為!
  悪く思うな、ニージェルクローム!」

アマントサングインは激昂して、ディスクリムに言う。

 「貴様ァッ、許サンゾ!!
  我ガ身滅ビヨウトモ、ココデ滅シテクレル!!」

アマントサングインは再びニージェルクロームの体の内から、ディスクリムを排除しに掛かった。
その間もニージェルクロームは焼かれ続けている。

 「ギャアアアアア!!
  あ、熱い!
  焼け死ぬ!!」

火傷で皮膚が膨れ、徐々に黒化して行く。
序でにビシャラバンガも巻き込まれるが、彼は既に気絶している。
アマントサングインは竜の感知能力で魔力を探って、影の中のディスクリムの本体を探り当てると、
実体の無い影に噛み付き、ニージェルクロームを庇って我が身と諸共に熱線に曝した。

 「何とっ、私の影を掴んだ!?」

 「窃々(コソコソ)ト隠レテバカリノ卑怯者メッ!!
  貴様モ道連レダ!!」

 「ファファファ、構わないぞ!!
  私が警戒するのは竜だけだ!
  竜さえ消えれば、この地上は我が主の物!」

ディスクリムは高笑いするが、アマントサングインも笑い返す。

 「愚カ者メ……。
  何故、私ガ死ヲ選ブノカ解ランノカ?」

 「負け惜しみを言うな!」

両者は共に満足して逝くのだ。
創る名無しに見る名無し [sage] 2019/04/16(火) 19:05:22.53:OPtD2IbT
 「敗北ヲ惜シミハシナイ。
  ソレヨリモ惜シムベキ物ガ有ルノダカラ。
  私ハ最期ニ善キ者ヲ見タ」

 「ああ、我が主!!
  偉大にして栄光なる悪魔公爵閣下、万歳!!」

激しい熱線で先にディスクリムが燃え尽き、アマントサングインも瀕死に追い込まれた。

 「ハイロン、去ラバダ。
  悲シム事ハ無イ。
  私ハ所詮、戦乱ノ中デシカ生キラレナイ物。
  善キ者ヲ見定メタ後ハ、滅ビル宿命。
  佳ク生キロヨ」

アマントサングインは別れの言葉を告げて、ニージェルクロームの体から消える。
それと同時にニージェルクロームは気を失って、ビシャラバンガと共に溶け落ちた大地に沈んだ。
そこへ執行者達が駆け付けて、2人を救助し手当てする。
幾つもの都市を壊滅に追い遣った凶悪な竜、アマントサングインは倒れた。
執行者達を指揮する副部長は、市の全面積の4分の1が壊滅した様子を見渡して、深い溜め息を吐く。

 「やーれやれ、これから復興だ……」

そんな副部長を部下が諫めた。

 「溜め息を吐いてる暇なんか無いですよ。
  未だ逃げ遅れた人が居るかも知れません。
  とにかく早く指示を」

 「分かってる、分かってる。
  先ずは街中を見て回り、生存者が居ないか確かめよう。
  再建作業は、その後だ」

執行者達は溶け落ちた街中を歩き回り、残留者を探して回る。
創る名無しに見る名無し [sage] 2019/04/16(火) 19:06:20.40:OPtD2IbT
ニージェルクロームは魔法刑務所に移送され、そこで本格的な治療を受ける事に。
そしてビシャラバンガは……。

 「彼が……?
  この彼が、あの勇敢な若者なのですか?」

担架に乗せられて、救出されたビシャラバンガを見た執行者は、思わず口元を押さえた。
彼は表皮が焼け落ちて、肉まで黒焦げになってしまっていた。
普通の共通魔法では元には戻らないだろう事が、一目瞭然な程に。
高濃度の腐蝕ガスと、強烈な熱線を諸に浴びてしまったのだ。
何とか生きてはいるが、脈拍は弱々しい。
彼が助かる見込みは無い様に思われる。
ビシャラバンガに助けられた、病院に居た人々は、彼の周りに集まって回復を祈った。
医療魔導師は群がる人々を押し退けて言う。

 「退いて下さい、退いて下さい!!
  ここでは治療が出来ません!!
  今直ぐ専門の施設に――」

そう呼び掛けていた所、クロテアが現れて焼け焦げたビシャラバンガの手を取った。

 「一寸、貴方!
  彼は重傷です、急いで治療しないと!」

医療魔導師の制止にも拘らず、彼女は答える。

 「私が彼を治療します」

 「そんな!
  素人がっ!?」

 「私を信じて下さい」

クロテアの不思議と自信に満ちた言葉に、医療魔導師は抗う事が出来ない。
創る名無しに見る名無し [sage] 2019/04/17(水) 18:51:54.02:w9Qb3gyO
彼女はテレパシーでビシャラバンガに語り掛ける。

 (起きて下さい、起きて下さい)

 (……竜は?
  竜は、どうなった?)

ビシャラバンガの第一声は、竜の事だった。
クロテアは優しく答える。

 (竜は魔導師によって倒されました)

 (良かった。
  病院の奴等は無事だったか?)

 (はい、貴方の功績です)

 (止せ、己では無い。
  魔導師共が上手くやったのだ。
  己は時間を稼いだに過ぎぬ。
  だが……、それで守れたと言うのなら……)

満足して永遠の眠りに落ちようとするビシャラバンガの額に、クロテアは手を置いた。

 (美しい人、善き人、愛すべき人、貴方を死なせはしません。
  翼よ、翼よ、開け)

ビシャラバンガの背から魔力の翼が出現して、彼の体を覆う。
医療魔導師は目を剥いた。

 「な、何を……」
創る名無しに見る名無し [sage] 2019/04/17(水) 18:53:27.88:w9Qb3gyO
クロテアは人々に呼び掛ける。

 「彼を救いたいと思う人は、彼の無事を祈って下さい。
  皆さんの力を彼に分け与えて下さい。
  貴方々の全てを捧げろとは言いません。
  唯、真摯な思いを彼に」

それは『供与<レイジング・ドネート>』の魔法。
ビシャラバンガを覆う翼は、人々の願う心を吸収して、優しい輝きを帯びる。
周りに居た執行者達が、何事かと集まり始める。
医療魔導師は、これが外道魔法による治療行為だと理解していたが、違法だと止めはしなかった。
しかし、執行者達は違う。

 「あの女は何をしている!?
  止めさせろ!」

そう言って騒ぎ始める執行者達を、医療魔導師は抑えた。

 「待って下さい!
  これは治療行為です」

 「だが、医療行為では無い。
  貴方は医療魔導師でありながら、民間人の勝手な治療を認めるのか!
  どうなるかも判らんと言うのに……」

言い争う2人を他所に、クロテアと祈る人々は集中している。
ビシャラバンガを覆う翼は少しずつ輝きを増して行った。
その優しい光に触れた執行者達は、敵対的な心を忘れる。

 「……何だ、これは……?
  優しく温かい……。
  彼を助けようとしているのか」
創る名無しに見る名無し [sage] 2019/04/17(水) 18:55:14.57:w9Qb3gyO
医療魔導師は執行者達に訴える。

 「判るでしょう?
  皆が彼を助けようとしているんです。
  素直な心で魔力の流れを見て下さい。
  彼は蘇る……」

執行者達は人々の真摯な心に触れて、自分もビシャラバンガを助けたいと思った。
見ず知らずの人であっても、命が失われるのは良くないと思う物だ。
執行者達は祈りこそしないが、静かに成り行きを見守る事にした。
クロテアは魔力の翼の上から、ビシャラバンガに覆い被さり、彼女も魔力の翼を拡げた。
2対の魔力の翼は、周囲の魔力を巻き込みながら、互いに魔力を巡らし合い、やがて溶け合って、
ビシャラバンガに吸い込まれる様に、静かに消えて行く。
優しい輝きが収まった後に現れた、ビシャラバンガの姿は元に戻っていた。
筋力は少し落ちているが、完全な健康体である。
序でに、祈っていた人々の体調も少し回復していた。
そう、悪い物が全て取り払われた様に。
クロテアはビシャラバンガから離れると、医療魔導師に丁寧に頭を下げる。

 「私は貴方に感謝しています。
  有り難う御座いました」

 「いいえ、私は……」

医療魔導師は自分は何もしていないと、首を横に振った。
クロテアは優しく微笑むと、小さく首を横に振り返して、人々にも感謝の言葉を伝える。

 「彼の為に祈って下さった、皆さん一人一人に、私は感謝を申し上げます」

 「違うよ、あんたの為じゃない。
  彼の為だ」

一人が感謝をする必要は無いと答える。
創る名無しに見る名無し [sage] 2019/04/18(木) 18:33:57.64:8bMkEEUv
クロテアは深く頷いた。

 「はい、解っています。
  それでも私は嬉しかったのです。
  皆さんが彼の為に、真摯に祈って下さった事が……。
  この喜びを私は感謝以外で、貴方々に伝える方法を知りません。
  本当に、有り難う御座いました」

そして彼女は執行者達にも言う。

 「私は魔導師会の方々にも、感謝しなければなりません。
  有り難う御座います、有り難う御座います」

全員に感謝の言葉を述べたクロテアは、その場から立ち去る。
執行者達は彼女を逮捕しようとは思わなかった。
一人になった彼女に、傘の魔法使いサン・アレブラクシスが錆びた神槍を持って歩み寄る。

 「結局、私達は余り役には立たなかったな。
  あの巨人魔法使いは神器を振るって、人々を助ける物だとばかり思っていたが……。
  この槍は君に返すよ」

クロテアは神槍を受け取り、彼にも感謝する。

 「貴方も私達の、そして人々の助けになって下さいました。
  感謝致します」

 「感謝の安売りは良くない。
  私は盾の儘に動いたに過ぎない。
  人に感謝される資格なんか無いよ」

アレブラクシスは平然と冷淡に、感謝の言葉を拒否した。
創る名無しに見る名無し [sage] 2019/04/18(木) 18:35:21.03:8bMkEEUv
どこまでが彼の本心なのかは不明だ。
もしかしたら盾と同化した悪魔のアレブラクシスは、格好付けや照れ隠し等では無く、
本当に自分の心が無いのかも知れない。
それでもクロテアは感謝の言葉を押し付ける。

 「では、私は盾に感謝するとしましょう。
  しかし、貴方は盾と同化しています。
  詰まり、盾に感謝すると言う事は、貴方に感謝すると言う事。
  私は盾と貴方に感謝しましょう」

 「活躍もしていないのに感謝されたって、嬉しくないよ。
  感謝って何だ?」

 「それは『有り難い』と言う気持ちです。
  感謝には2つの形があります。
  1つは相手の心根が何であれ、自分達に良い結果を齎してくれた事に。
  もう1つは相手が自分を思ってくれた気持ち、その物に対して」

アレブラクシスは笠を深く被って俯いた。

 「どちらも違う……。
  私は役に立っていないし、心も無かった」

 「いいえ、貴方は人々の窮地に駆け付けて下さいました」

 「……もう良い、勝手にしろ」

不機嫌になったアレブラクシスに、クロテアは今度は謝る。

 「済みません、私は貴方を不快な気分にさせてしまいました」
創る名無しに見る名無し [sage] 2019/04/18(木) 18:36:27.28:8bMkEEUv
 「本当に、そう思うのだったら、感謝を取り消せ」

アレブラクシスの無体な注文に、クロテアは困った顔をする。

 「それは……」

 「フッ、冗談だよ。
  本気で怒ってはいない。
  だが、本当に執拗いと嫌われるぞ。
  誰もが感謝を喜ぶとは限らない。
  要らぬと言っている物を押し付けてくれるな」

 「本当に貴方は、感謝が要らなかったのですか?」

 「私は悪魔だ」

アレブラクシスは格好付けた積もりだったが、クロテアが真っ直ぐ見詰めて来るので参った。

 「いや、本当に勘弁してくれ。
  頼むから、この話題は終わりにさせてくれ」

 「貴方が、そう望むのであれば……」

彼は大きな溜め息を吐いて、話題を変える。

 「あの巨人魔法使いは、何故神器を使わなかったんだろうな」

 「……私には解りません。
  後で彼に聞いてみたいと思います」

 「理由が分かったら、私にも教えてくれよ」

 「貴方も私と一緒に行けば良いのでは?」

 「魔導師とは会いたくない。
  面倒事は避けたいんだ」

そう言うと、アレブラクシスは独りで去って行った。
創る名無しに見る名無し [sage] 2019/04/19(金) 19:27:17.68:qiRY3i4C
後日、クロテアはセイルート市東病院を訪れ、入院しているビシャラバンガに面会しに行く。
院内は怪我人で混多(ごった)返しており、騒がしい。
看護師は誰も忙しそうにしている。
その中で一際大きな人物が、看護師を引き摺りながら歩いていた。

 「ビシャラバンガさん、待って下さい!
  未だ退院しては行けません!」

 「己は健康だ。
  もう入院する必要は無い」

 「いえ、治療予定は未だ完了していません。
  退院するにしても、手続きが――」

 「治療費を払えば良いのだろう?」

 「そう言う問題では無くて!」

クロテアがビシャラバンガを探す手間は要らなかった。
彼女はビシャラバンガに駆け寄り、笑顔で挨拶する。

 「今日は、ビシャラバンガさん」

 「貴様は……クロテアと言ったな」

 「貴方は私の名前を覚えていて下さったのですね」

 「それなりに記憶力はある積もりだ。
  しかし、貴様に名乗った覚えは無いのだが?」

ビシャラバンガは足を止めて、小首を傾げる。
創る名無しに見る名無し [sage] 2019/04/19(金) 19:28:42.15:qiRY3i4C
彼が立ち止まったので、看護師は安堵していた。

 「はぁ、ビシャラバンガさん、治療費の問題では無く……。
  もう一度、担当医の診断を受けてからにして下さい。
  勝手に退院されては困るのです」

彼女を無視してビシャラバンガはクロテアに問う。

 「それは良いとして、己に何の用だ?」

 「私は貴方の、お見舞いに行こうと思っていた所です」

 「この通り元気だ。
  死んだ積もりだったのだがな。
  ……貴様が何かしたらしいな」

 「いいえ、私ではありません。
  貴方が助けた人々が、貴方の為に祈ったのです」

クロテアの話を聞いたビシャラバンガは、照れ臭そうに頭を掻いた。

 「己が助けた訳では無いが……。
  とにかく見舞いに来たのであれば、心配は無用だ。
  もう用は無かろう」

 「いえ、それだけでは無く……」

 「未だ何かあるのか?」

眉を顰めるビシャラバンガに、クロテアは問う。
創る名無しに見る名無し [sage] 2019/04/19(金) 19:29:34.62:qiRY3i4C
 「私には、どうしても解らない事があり、それを貴方に教えて頂きたいのです」

ビシャラバンガは一層眉間の皺を深くした。

 「何だ?」

 「どうして貴方は神器の槍と盾を使わなかったのですか?」

彼は深い溜め息を吐く。

 「使わなかったのでは無い。
  使えなかったのだ。
  己には神の力を借りる資格は無かったと言う事なのだろう」

 「いいえ、貴方は神器を必要としていませんでした」

 「……使える物なら使いたかったぞ」

クロテアは真顔で暫し思案した。
そして問を改める。

 「どうして貴方は神器を持たずに、竜に挑む事が出来たのですか?」

 「どうしても何も、そうしなければ病院の連中は、全滅していた。
  手段を選んでいる場合では無かった」

 「貴方は勝算無く、その様な事をする人では無い筈でしょう?」

 「己は無力を嘆く位なら、勝てずとも挑む」

 「いいえ、貴方は竜を倒そうとはしていませんでした」

見て来た様な事を言うクロテアに、ビシャラバンガは不機嫌な顔をした。
創る名無しに見る名無し [sage] 2019/04/21(日) 18:18:25.68:6fogZ/Ee
そして、再び深い溜め息を吐いて答える。

 「ああ、勝算はあった。
  己は魔導師を頼る事にした。
  己には神を信じる事は出来なかった。
  だが……」

 「貴方は神器を信じられなくとも、人なら信じる事が出来たのですね?」

 「否、それも違う。
  己が信じたのは、魔導師共の結束だ。
  ある魔導師が己に言った。
  耐えていれば、必ず助けが来ると……。
  だから、己は……」

クロテアは何度も頷き、彼に芽生えた信じる心を歓迎した。

 「如何なる形であれ、貴方は人を信じました。
  それだけで十分です。
  貴方は多くの人を救いました」

 「止めろ、止めろ。
  己は人を救ったのでは無い。
  自力で竜を倒せなかった為に、他者の力を利用したのだ。
  それは『信頼』とは違う」

ビシャラバンガの言う信頼とは、相互の信頼関係があってこそ成り立つ物。
彼と執行者達は、その場で偶々出会ったに過ぎず、深い関わりでは無かった。
少なくとも執行者達は、ビシャラバンガを信じて任せた訳では無い。
そんな一方的な感情を向ける事を、彼は信頼と言いたくは無かった。
頑固で潔癖であるが故に、中々自分を肯定出来ない不器用なビシャラバンガを、クロテアは愛おしむ。

 「何時か、貴方が本当に心から信頼出来る人が現れると良いですね……。
  その時が来る事を私は願っています」
創る名無しに見る名無し [sage] 2019/04/21(日) 18:19:02.68:6fogZ/Ee
そう言って立ち去ろうとする彼女を、ビシャラバンガは呼び止める。

 「待て、これから貴様は、どうするのだ?」

 「私は先ずは神槍を魔導師会に、お返ししようと思います」

 「その後は?」

 「私は私の気の向く儘に旅をします。
  私は困っている人があれば助け、人の善い心に耳を傾けます。
  それだけです」

 「反逆同盟の連中とは戦わないのか?」

 「もし、それが私の運命であれば、そうなる様に私は導かれるでしょう」

 「誰に?」

 「神に」

クロテアの答に、ビシャラバンガは聞くだけ損だったと、深い溜め息を吐く。

 「ああ、引き留めて悪かった。
  どこへなりと行くが良い」

 「はい。
  運命の導きがあれば、私と貴方は又会えるでしょう」

意味深な言葉を吐いて立ち去る彼女に、ビシャラバンガは再び溜め息を吐いて、首を横に振った。
彼は神を信じない。
だが、クロテアの言う通りに、信じられる誰かを探しに行こうと思った。
クロテアの背を見送る彼の元に、医師が駆け付ける。

 「ビシャラバンガさん、待って下さい。
  退院したいと言う貴方の意思は分かりました。
  しかし、退院する前に一度、検査をさせて下さい」
創る名無しに見る名無し [sage] 2019/04/21(日) 18:20:16.07:6fogZ/Ee
 「検査をすれば退院出来るのだな?」

ビシャラバンガの質問に医師は苦笑いで答える。

 「検査の結果、健康に何の問題も無いと判明すればの話です。
  私達は医療に携わる者として、怪我人や病人を放り出す様な事は出来ません」

 「分かった、分かった」

ビシャラバンガは諦めた様に、医師の話を受け入れた。
あれこれ検査されるのは、本当は好きでは無かったが、医師には医師の使命があるのだ。

 (それが人の役割か……。
  怪我人や病人は医者を頼り、それを医者は治療する。
  己は医者に係った事が無かったが、怪我をして運び込まれた以上は、医者にとっては、
  己も治療すべき患者の一人なのだな)

彼は医師の真剣な訴えに屈して、検査室に移動する。

 (しかし、この待ち時間は何とかならない物か……。
  医者一人に患者は己一人で無い事は、解っている積もりだが……)

早く退院したいとビシャラバンガは思いながら、師の言葉を想起した。

 (何事も焦っては行けない。
  今日すべき事、明日すべき事の分別を付けよ。
  偶には息を抜く事も必要だぞ)

心に刻んだ師の教えが蘇る。

 (事も無く心が急く時は用心せよ。
  無闇に動き回るより、心を落ち着けて瞑目し、本当に自分が今すべき事を考えるのだ)

これも修行だと、彼は瞑想して自己を見詰め直した。
創る名無しに見る名無し [sage] 2019/04/22(月) 18:53:45.19:T/N3u/kM
after days
創る名無しに見る名無し [sage] 2019/04/22(月) 18:55:23.61:T/N3u/kM
一方、魔法刑務所に移送されたニージェルクロームは、そこで治療と同時に心測法による、
尋問を受けた。
ニージェルクロームは自分の知る全てを包み隠さず話した。
自分の本名がワイルン・レン・ハイロンである事。
昔からボルガ地方に伝わる竜に憧れており、ある時竜の宿った石を手に入して、自分に竜を宿した事。
力を求めて様々な魔法を独自に試した事。
特別な人間になりたいと言う、強い憧れがあった事。
故に竜の呼び掛けに応えて、大きな力を手にした事。
竜と対話を続けて行く内に、竜の正体を知った事。
それから人間としての自分を見詰め直した事。
魔導師会はニージェルクローム事ハイロンを、直ちに無罪とする訳には行かなかった。
彼は共通魔法社会の秩序を乱した者として、罰を受けなければならない。
しかし、死刑にする程では無いとして、懲役刑を下す事までは決定していた。
問題は期間である。
ニージェルクロームの仕出かした所業は、半分は竜の所為とは言え、彼自身の責任が無かったとは、
言い切れない。
そして彼自身も自分の罪を自覚して、全てを竜の所為だとは言わなかった。
その事は心測法でも判明している事実である。
竜が破壊した資産の総額は、到底1人の人間に負い切れる物では無い……。
創る名無しに見る名無し [sage] 2019/04/22(月) 18:56:48.95:T/N3u/kM
それにニージェルクローム自身は無害でも、社会に放った後の衝撃は大きいだろう。
魔導師会法務執行部は苦慮の末に、彼を無期限の軟禁刑にすると決めた。
反逆同盟の名が過去になり、歴史となるまで、ニージェルクロームは魔法刑務所に収監される。
この決定をニージェルクローム自身も受け入れた。
下手に解放されると、市民の恨みを買って、殺され兼ねない為だ。
唯一大陸の刑務所では、労働に従事すれば対価が与えられ、それで物品を購入する事が出来る。
移動の自由と行動の自由が制限される以外は、外の社会と変わらない。
中には外で暮らすより、生活が保障されている刑務所内での暮らしが良いと言う者まで居る。
釈放までの期限を切らない代わりに、ニージェルクロームには一定の要求をする権利が付与される。
但し、それは飽くまで要求するだけの権利であり、必ず叶えられるとは限らない。
こうした裏取引は公表されず、魔導師会は秘密にした儘で、表向きニージェルクロームは、
本名も明かされない儘、凶悪犯罪者として長い時を過ごす事になった。
創る名無しに見る名無し [sage] 2019/04/22(月) 18:57:58.95:T/N3u/kM
収監中のニージェルクロームが最初にした要求は、巨人魔法使いビシャラバンガとの面会だった。
魔導師会はビシャラバンガの行動を一々監視している訳では無いから、その希望を直ぐに叶える事は、
出来ないと答えたのだが、彼は時間が掛かっても良いから待つと言った。
そしてニージェルクロームの要求から1週後に、その希望は叶った。
ビシャラバンガとニージェルクロームは、魔力の全く無い魔力遮断空間にて面会する。
何故態々そんな場所を用意したのかと言うと、ニージェルクロームが監視の無い1対1を希望した為。
2人は3重の頑丈な強化ガラスを隔てて、向かい合った。
ビシャラバンガはニージェルクロームに対して、不機嫌に問う。

 「己に何の用だ?」

 「……ええと、その、どう言えば良いのかな……。
  取り敢えず、初めまして?」

 「初めまして?」

初対面では無い筈だがと、ビシャラバンガは眉を顰める。
ニージェルクロームは苦笑いしながら説明した。

 「あの時は、俺の中の竜が表に出ていたんで……。
  別人だと思って下さい」

 「……分かった。
  それで、何の用なんだ?」

 「いえ、特に用って事は無いんですけど……。
  貴方と会って、話をしてみたかったんです」

 「何故」

 「竜が貴方を認めたので……」

竜に認められたと聞いたビシャラバンガは、小さく溜め息を吐く。
創る名無しに見る名無し [sage] 2019/04/23(火) 19:16:34.48:AdqDV6T7
そしてニージェルクロームに言った。

 「己は竜の事なんぞ知らん。
  認めたと言われても困る」

 「俺の中の竜、アマントサングインは人を守れる人を探していました。
  本当に勇気のある人を」

 「それが己だと?
  馬鹿馬鹿しい……」

ビシャラバンガが彼の言葉を一笑に付して、強気に言い返す。

 「大体、勇気が何のと、他人に何が解ると言うのだ?
  他人が心の内で何を考えているのか、竜には解ると言うのか!」

 「あの、信じて貰えないかも知れませんけど、そうです。
  アマントサングインには解っていました」

ニージェルクロームの答に、ビシャラバンガは絶句して、暫し後に言う。

 「それで、どうした?
  己に何を聞きたい?」

 「その……俺が言うのも変な話なんですけど、俺は貴方を見て感動したんです。
  他人の為に、あんな風に必死になれる人が居た事に……。
  必死が比喩とかじゃなくて、本当の意味で……」

あの時の事を思い出して、ビシャラバンガは恥ずかしくなった。

 「知らん、そんな事は忘れた」

 「忘れたんですか?
  あんなに命懸けで戦っていたのに。
  それも凄いと思います」

ニージェルクロームが尊敬の眼差しで見詰めて来る物だから、彼は段々疼痒くて居た堪れなくなる。
創る名無しに見る名無し [sage] 2019/04/23(火) 19:17:58.10:AdqDV6T7
ビシャラバンガは深い溜め息を吐いて言った。

 「皮肉の積もりか?」

ニージェルクロームは慌てて弁解する。

 「いいえ、そんなんじゃなくて!
  本当に偉いと思います。
  アマントサングインは言ってました。
  貴方の様な人こそが、真に勇気ある者なのだと」

彼はアマントサングインがビシャラバンガを認めた事を知っている。
勇気ある者と聞いて、ビシャラバンガは目を伏せた。

 「勇気ある者と言われて、悪い気はしない。
  逆に、臆病者と罵られる事は我慢がならない。
  しかし、あの時は、そんな事まで頭が回らなかった。
  己は力ある者だ。
  力の弱い者が戦おうとしているのに、力のある己が黙って見ている事が許されるのか……。
  どちらにしろ、反逆同盟は己の敵だったと言う事もある。
  敵を前にして戦わないと言う事は無い」

彼の冷めた物言いを、ニージェルクロームは不思議に感じた。

 「でも、誰の命令と言う訳でも無かったんでしょう?」

 「そうだな。
  己に命令出来るのは、何時でも己だけだ。
  己は己の心に従ったまでの事。
  だから、勇気だの何だのは関係無いのだ」

そのビシャラバンガの発言に、ニージェルクロームは目を見開き、深く頷く。

 「ええ、そうなんでしょう。
  アマントサングインが貴方を認めた理由が、解る気がします」
創る名無しに見る名無し [sage] 2019/04/23(火) 19:19:59.28:AdqDV6T7
ビシャラバンガは戦いの最中に、逃げる事を考えなかったのかと言うと、そんな事は無い。
唯、多くの無力な者を放って置く事が出来なかったのである。
彼は魔導師会の執行者達の結束を見て、自分も人の助けになりたいと思った。
そして、その為に自分に何が出来るかを考えた結果、あの様な行動に出たのだ。
その事だけは伝えたいと思い、ビシャラバンガは言った。

 「己は自分を真に勇気ある者だとは思わない。
  あの時、あの場で真に勇気ある者は、魔導師会の執行者共だった。
  連中は個々では竜に及ばないながらも、結束して市民を守り、竜を討ち取った。
  そうだろう?
  誰が市民を助けたか、誰が竜を倒したか?
  それは魔導師会の執行者に他ならない。
  己の働きは微々たる物だ」

 「でも、アマントサングインは言ってました。
  執行者では駄目なんだと。
  執行者は命令で動くから、その命令に背けないだけで、それは勇気とは違うんだと」

 「そうかな?
  誰かの命令だとか、指示だとか、そんな事は関係無かろう。
  あの場に居た連中は、仲間を信じていた。
  必ず助けが来ると。
  だから、己も信じて戦ったのだ。
  己の勇気は、その程度の物だ」

ビシャラバンガが謙遜している様に見えて、ニージェルクロームは益々尊敬する。

 「でも、魔導師達が人々を助けられたのも、竜を倒せたのも、貴方の存在があってこそです。
  それだけは自信を持って言っても良いと思います」

それが自分より若い者に慰められている様で、ビシャラバンガは眉を顰めた。

 「心遣いだけは、有り難く受け取っておこう」
創る名無しに見る名無し [sage] 2019/04/24(水) 19:00:42.80:gHT7ZC7T
そこで話題が途切れ、気不味い沈黙が訪れる。
ニージェルクロームはビシャラバンガに頭を下げた。

 「ええと、それじゃ有り難う御座いました……。
  色々と勉強になりました」

 「特に何か教えた積もりは無いが……。
  何かを学べたと言うなら……良かったな」

ビシャラバンガは席を立って退室しようとしたが、その前に一つだけ尋ねたい事があった。

 「ああ、そうだ……。
  竜の力を得た時、どんな気分だった?」

話は終わりだと思っていたニージェルクロームは、虚を突かれて驚くも、誠実に答える。

 「何でも出来ると言う気になりました。
  自分の内側から、どんどん力が湧き上がって、漲る感じです」

 「力に溺れたのか?」

 「そうなんだと思います。
  結局、アマントサングインに取り込まれてしまいましたけど。
  そこで俺は竜の心に触れて、力とは何か、自分が何をすべきなのか考えさせられました」

 「それで?」

ビシャラバンガは初めてニージェルクロームの思考に興味を持つ。
強い力を手にして、その力が本当は自分の物では無いと悟り、竜と別れた後の心の変化を……。
それはビシャラバンガ自身が、今後どうするべきかの、参考にもなると思ったのだ。
創る名無しに見る名無し [sage] 2019/04/24(水) 19:02:11.50:gHT7ZC7T
ニージェルクロームは小さく俯いて答える。

 「結局、俺は空っぽだったんです。
  大きな力に憧れていただけで、それで何をしようとか考えてもいなかった」

ビシャラバンガは複雑な表情をする。
彼もニージェルクロームも、本質的には似た様な物だったのだ。

 「力があれば、富があれば、権力があれば……。
  そう言う願いは、全部虚しい物だって。
  アマントサングインが教えてくれたんです。
  それは何もしない、何も出来ない自分の為の、都合の好い言い訳に過ぎない。
  本当に志のある人は、力が無いからって諦めたりはしない。
  それこそが本当に勇気ある人なんだって」

ニージェルクロームの言葉に、ビシャラバンガは自らを顧み、果たして自分は本当に勇気があるかと、
自問する。
先まで自分は勇気がある者だと、少なくとも臆病者では無いと自負していたビシャラバンガだが、
段々自信が無くなって来た。

 「己とて、そんなに大層な物では無い」

ビシャラバンガにとって痛みに耐える事は、勇気の要る事では無い。
そんな物を勇気と誤認されたくなかった。
しかし、ニージェルクロームはビシャラバンガの告白を、謙遜と捉えて真に受けない。

 「いいえ、そんな事はありません。
  貴方は確かに、勇気ある人でした。
  だから……、貴方の話を聞く事で、これからの自分が生きる道の様な物が見えるんじゃないかと。
  一寸、期待したんです」

 「期待外れか?」

 「いえ、決して、そんな事は無く……」

ニージェルクロームは自分の生き方を見付けようとしている。
ビシャラバンガには他人に、どう生きるべきかと尋ねる事も出来ないのに。
創る名無しに見る名無し [sage] 2019/04/24(水) 19:03:04.81:gHT7ZC7T
ビシャラバンガは穏やかな声で言った。

 「己も貴様と大して変わらん。
  未だ自分の生き方を探している、修行の身だ。
  己は心と力の向かう先を探している。
  心の儘に力を振るえる物を、見付けたい」

 「そうだったんですか?」

 「だから、余り持ち上げてくれるな。
  己も貴様と同じく、道を探している途中なのだ」

 「……見付かると良いですね」

 「ああ、貴様もな」

それだけ言うと、ビシャラバンガは立ち去る。
ニージェルクロームは彼を見送った後、これから自分は何をするべきか考えた。
長い軟禁生活でも、何か出来る事はあろうと。

 (こんな所でも人の役に立てる事はあると思う。
  真に人の為に何が出来るか……。
  アマントサングイン、俺なりに頑張ってみるよ)

後に彼は他の入所者を相手に、潜在的な魔法資質の解放を行う。
そして、象牙の塔に研究者として招かれる事になるが、それは又別の話。
創る名無しに見る名無し [sage] 2019/04/25(木) 18:30:29.64:yMuSVKVP
meanwhile
創る名無しに見る名無し [sage] 2019/04/25(木) 18:31:34.22:yMuSVKVP
反逆同盟からニージェルクローム・カペロドラークォとディスクリムが失われた。
竜とディスクリムの気配が消えた事に、反逆同盟の長であるマトラ事ルヴィエラは、拠点の玉座で、
小さく息を吐く。

 (……ディスクリムめ、余計な気を利かせおって。
  まあ良い。
  よくやったと言うべきだろう)

実際ルヴィエラの力でも、独りで大竜群を相手に戦うのは厳しい。
ディスクリムでアマントサングインを片付けられたのは、望外の戦果だ。
彼女は自らの手足となる、新たな配下を生み出す。

 「出でよ、我が僕……。
  魔界の混沌より我が下へ」

彼女の足元から暗黒が立ち上り、黒い影が3つに分かれて生まれる。

 「一、影の騎士、『黒騎士<ブラック・ナイト>』」

1つは甲冑を着た騎士の形を取る。

 「一、影の獣、『黒獅虎<ブラック・ライガー>』」

1つは全長半身の猛獣の形を取る。

 「一、影の悪魔、『黒悪魔<ブラック・デビル>』」

1つは翼ある人の形を取る。
何れもが優れた魔法資質を持つ、伯爵級の悪魔。
この程度の物を量産する事は、ルヴィエラにとっては然して苦も無いのだ。
創る名無しに見る名無し [sage] 2019/04/25(木) 18:32:32.57:yMuSVKVP
disgression
創る名無しに見る名無し [sage] 2019/04/25(木) 18:33:33.39:yMuSVKVP
敏捷(ちょこま)か


語源に関して詳しい事は解っていません。
「敏捷か」は当て字です。
「ちょこ」に関しては、「ちょこっと」・「ちょこちょこ」と同じ、「小さい」・「少し」を表す、
「小(ちょ)」+「こ(『ごっこ』・『かけっこ』と同じ接尾語。『子(こ)から?』)」であり、
これだけは確定しています。
「まか」に関しては不明ですが、北海道から東北に掛けての方言に「まかす」と言う言葉があります。
これは「ふりまく」、「ばらまく」の意で、漢字で表記するなら「撒かす」です。
素捷く動いて相手を「撒く」、或いは「巻く」様子から「まか」が来ているのかも知れません。
単純に「ちょこ」+「細かい」かも知れませんが……。
創る名無しに見る名無し [sage] 2019/04/26(金) 18:40:48.22:0ekTWhcF
next story is...
創る名無しに見る名無し [sage] 2019/04/26(金) 18:41:48.37:0ekTWhcF
愛のバニェス


異空デーモテールの小世界エティーにて


エティーにある日の見塔に、中世界アイフの領主にして悪魔侯爵であるバーティが訪れた。
彼女は時計番をしていたデラゼナバラドーテスに尋ねる。

 「サティは居る?」

バーティは2手程の殻に包まれた卵を抱えている。

 「今、呼びに行きます」

デラゼナバラドーテスは急いでサティを呼びに行った。
それから間も無く、デラゼナバラドーテスより早くサティは戻って来る。

 「バーティ!
  それが私達の子供!?」

 「そうよ。
  よく念じて孵してね」

バーティはサティに卵を渡して言う。
サティは大事に卵を抱えた。

 「随分軽いんだね……。
  空っぽみたい」

 「魂だけの存在だから。
  肉が伴わないと、重さも無い。
  でも、命は感じられる筈」

バーティの言う通り、サティは卵の中に魔力の蠢きを感じる。
創る名無しに見る名無し [sage] 2019/04/26(金) 18:42:41.14:0ekTWhcF
それからバーティは注意事項を告げた。

 「魂が育ち切る前に、殻を割ったら駄目だよ」

 「もし、そうなったら、どうなるの?」

 「心の無い怪物になる。
  それと、この子は色んな世界を巡る定期便にするんでしょう?
  だったら、性質や姿形も決めておかないとね」

 「どうやって決めるの?」

 「イメージを抱き続けるの。
  こう言う子になって欲しいって」

サティは素直にバーティの言う事を聞いて頷く。
それを見たバーティは微笑んで言った。

 「それじゃ、お願いね。
  『私達の子供』」

 「が、頑張る……」

その日からサティは丸で鳥の様に、箱舟の中で卵を抱いて温めながら、動かずに過ごした。
デラゼナバラドーテスが来ても……、

 「サティさん、一寸問題が起こって……」

 「御免なさい、今は手が離せないの。
  ウェイルさんかマティアに頼んで」

ウェイルが来ても……、

 「サティ、移住者の事だが……」

 「済みません、卵が孵るまでは、私の事は放っておいて下さい」
創る名無しに見る名無し [sage] 2019/04/26(金) 18:43:24.08:0ekTWhcF
バニェスが来ても……、

 「サティ、最近篭もりっ切りだぞ。
  偶には遠出してみないか?
  退屈で敵わない」

 「今は、この子の事に集中したいの。
  後でね……」

彼女は頑として動かなかった。
バニェスは憤然として、日の見塔の一室に居るウェイルに相談する。

 「最近のサティは、どうしてしまったのだ?
  奇妙な丸い物を抱えて、閉じ篭もってばかりいる」

彼は苦笑いしながら答える。

 「ハハハ。
  初めての子育てだから、気合が入っているんだよ」

 「子育て?」

 「彼女とバーティの子を育てているんだ」

 「『子』とは何だ?」

バニェスは異空生まれの異空育ちなので、親子と言う概念を持たない。
どう説明したものかと、ウェイルは両腕を組んで低く唸る。

 「そうだな……。
  この世界で言う、領主と配下の様な……。
  それも自分が直接生み出す様な物の事だよ」

 「フーム、成る程。
  サティは自分の配下を持とうとしているのか!」

得心が行ったと深く頷くバニェスに、ウェイルも頷き返す。

 「まあ、その通りだね」
創る名無しに見る名無し [sage] 2019/04/27(土) 19:36:40.21:h19PD4B8
サティに配下を持つように勧めたのは、バニェス自身だった。
だが、子供と言う物をよく知らないバニェスは不思議がる。

 「しかし、バーティとの子とは、どう言う意味だ?
  バーティから配下を貰うのか?」

 「私も詳しい事は知らないが……。
  サティは配下を生み出した経験が無いから、バーティから命の素を受け取り、その後に、
  自分の力を注いで育てる積もりだと言う。
  どの程度、有効かは実際に命が孵らないと判らないが……」

この話を聞いたバニェスは、面白い事を聞いたと喜んだ。
バニェスは再びサティの元を訪ねて言う。

 「サティ、話がある!」

 「後にして貰えない?」

 「いや、難しい話では無い。
  直ぐ済む」

 「何?」

サティは箱舟形態の儘で、話しに応じる。
バニェスは率直に思っている事を告げた。

 「その子とやらを孵し終わったら、今度は私の子を生んでくれないか?」

 「えっ、何故?」

驚くサティにバニェスは平然と言う。

 「何故と言われても困るが、私も配下が欲しいのだ」
創る名無しに見る名無し [sage] 2019/04/27(土) 19:37:32.80:h19PD4B8
サティは困った声で問うた。

 「唯それだけの為に?」

 「どんな子が生まれるか、興味がある」

 「唯それだけの為に?」

 「良いではないか、減る物では無し」

 「あのね……」

ファイセアルス生まれのサティは、子供を物の様に軽々しく扱う事は出来ない。
誰彼構わず、相手の子を生んだり育てたりはしてやれないのだ。
だが、それをどうバニェスに教えたら良い物か、彼女は悩む。
ここは異空でファイセアルスの常識は通用しない。

 「私の居た世界では、誰とでも子供を作ったりしないの。
  貴方も相手は選びたいでしょう?」

 「……フム、そう言う物か?
  気持ちは解らなくも無い。
  そこらの有象無象共に、私の分身を分け与えてやる程、私も気前良くないからな」

納得してくれたかとサティは安堵したが、バニェスは予想外の解釈をする。

 「少なくとも侯爵級の実力が無ければ、行けないと言う事か……」

 「力の問題じゃなくて……」

 「では、何が問題なのだ?」

どう答えたら良いのか、サティは考えた。
創る名無しに見る名無し [sage] 2019/04/27(土) 19:38:14.06:h19PD4B8
彼女はバニェスに尋ねる。

 「……愛って解る?」

 「愛?
  何だ、それは?」

力が全ての異空で育ったバニェスに、愛が理解出来る筈も無い。
そこでサティはバニェスに1つの課題を出す事にした。

 「愛が解ったら……。
  貴方と子供を作っても良いかも知れない」

 「愛が何か解れば良いのか?」

 「いいえ。
  愛をどう言う物か、理解しないと駄目。
  それが表面だけの物では無く、心から理解出来た時に。
  それでも未だ貴方が私の子供を欲しいと思うなら、その時は」

 「……面倒だな。
  しかし、それが条件と言うなら、乗り越えてやろう。
  これでも大伯爵を名乗る物。
  私に不可能は……、そんなに無い筈だ」

バニェスは深く頷いて、サティの難題を乗り越えると宣言した。
本当に出来るのかなとサティは心配するも、これで暫くは静かになるだろうと安堵もする。
もしバニェスが本当に愛を理解したなら、誰を愛するかと言う事も考えるだろう。
そして無闇に子を欲しがる事も無くなる……筈だ。
唯一つ、バニェスが愛に就いて、妙な誤解をしなければ良いがと、サティは案じた。
創る名無しに見る名無し [sage] 2019/04/28(日) 18:48:53.30:PqqRPY6w
バニェスは先ず、ウェイルに「愛」を尋ねに行った。

 「ウェイル、聞きたい事がある!」

 「どうしたんだ?」

妙に意気込んでいるバニェスを見て、彼は勢いに圧されながら話を聞く。
バニェスは真剣その物だった。

 「愛とは何だ?」

 「なっ、行き成り何を……」

困惑するウェイルにバニェスは詰め寄る。

 「愛とは何か、答えろ!
  知っているのか、知らないのか!?」

 「ま、待ってくれ!
  話が呑み込めない。
  とにかく事情を説明してくれ。
  何があったんだ?」

ウェイルは後退りながら詳細を尋ねるが、その分だけバニェスが前進するので、遂に壁際に、
追い詰められた。
それでバニェスは漸く気を落ち着けて、説明を始める。

 「サティが言ったのだ。
  愛が解れば、私の子を生んでも良いと!」
創る名無しに見る名無し [sage] 2019/04/28(日) 18:50:07.94:PqqRPY6w
その発言にウェイルは吃驚して目を丸くした。

 「何とっ!?
  あのサティが!?」

 「だから、教えろ!
  否、その前に愛を知っているのか、知らないのか!」

 「えっ、ああ……」

迫るバニェスにウェイルは、どう答えたら良いのか迷う。

 「知らないと言う事は無いのだが……。
  私もファイセアルスでは愛する家族を持っていたし……」

 「愛する家族?
  愛とは『何かを行う』事なのか?
  愛するとは一体?」

 「大切に思う気持ちと言うのかな……」

 「大切?」

 「詰まり……。
  自分より優先する物の事だよ」

 「フム、自分の身より大切な物があるのか?」

ウェイルの話を聞きながら、バニェスは全身の鱗を微かに波打たせて揺らした。
基本的に異空の物は、自分より大切な物を持たない。
創る名無しに見る名無し [sage] 2019/04/28(日) 18:53:00.72:PqqRPY6w
バニェスは長らく沈黙して思案する。

 「自分の身より大切……。
  それは私にとっては、自分の意思だな。
  私は己の意思を曲げる位なら、死んだ方が増しだと思っているぞ。
  これが愛なのか?」

バニェスが出した結論を、ウェイルは否定した。

 「そうでは無い。
  確かに、自己愛と言う物もある。
  それも大事な物だが、サティの言う愛は、それとは違うと思う」

 「愛には複数あるのか?」

 「そうだよ。
  色々な愛がある。
  恋愛、友愛、家族愛、同胞愛、敬愛……」

 「そんなにあるのか?
  それだけの物を自分より優先して愛せると言うのか?」

率直なバニェスの問い掛けに、ウェイルは苦笑いする。

 「全部が自分より優先とは限らない。
  それでも何かを『愛する』と言う事は、その対象に関心を持って、近付き、手を差し伸べる事だ。
  そう言う事だと私は思うよ」

 「関心を持つ?
  興味とは違うのか?」

 「興味よりも強い関心だ。
  そして深く長い」

彼の回答にバニェスは再び沈黙して、長らく思案した。
創る名無しに見る名無し [sage] 2019/04/29(月) 18:52:24.76:Kn2kLOyo
バニェスは愛と言う物の形を、今一つ掴み兼ねている。

 「それで、サティは如何な愛を求めているのだ?」

バニェスの率直な問に、ウェイルは苦笑した。

 「私に聞かれても困るよ。
  しかし、子供を作るのだから、恋愛や家族愛、親子愛に近い物を求めているのでは無いかな?」

 「それ等は何なのだ?
  恋愛、家族、親子?」

 「ウーム、そこから始めなければならないか……。
  恋愛とは……語弊を恐れずに言えば、相手を自分の物にしたいと思う気持ちだな」

 「征服の欲求か?」

 「それも愛かも知れないが……。
  恋愛の話は後にしよう」

 「何故だ?」

 「貴方には理解が難しいと思う」

難しいと言われたバニェスは、向きになって熱(いき)る。

 「私には理解出来ないと言うのか!?」

ウェイルはバニェスを宥めた。

 「そうでは無い、そうでは無い。
  理解し易い愛から、語ろうと思ってな。
  愛すると言う文化の無い世界では、恋愛の話は難しかろうと。
  先ずは、同胞愛から始めよう」
創る名無しに見る名無し [sage] 2019/04/29(月) 18:52:56.76:Kn2kLOyo
バニェスは不満を呑み込んで、先ずは彼の話を聞く事にする。

 「良し、教えてくれ」

 「同胞愛とは、自分と同じ属性の物を愛する気持ちだ。
  例えば……。
  2人の者が窮地に陥っていたとしよう。
  片方は貴方と同じ世界の者、もう片方は見知らぬ者。
  どちらを助ける?」

 「何故、助ける必要がある?」

驚いた様子で問うバニェスに、ウェイルは目を閉じて小さく唸った。

 「助けるとしたら、どちらかな?」

 「利用価値のある方だな。
  私に恭順の姿勢を示すのであれば、助けてやっても良い。
  役に立たなければ、どちらも見捨てるぞ。
  何故、助けてやらねばならんのだ」

堂々と答えたバニェスに、彼は困った顔で小さく首を横に振る。

 「そうでは無いのだ。
  私達は自分と同じ属性を持つ者を助けようとする。
  少なくともエティーの者は、そうするだろう」

 「何故だ?」

 「それは仲間だから。
  エティーは皆で支える世界だ。
  行動や思惑が違っても、皆エティーで生きる物に変わりは無い」

 「そんな事か……」

バニェスは簡単に片付けたが、本当に理解しているかは不明だ。
創る名無しに見る名無し [sage] 2019/04/29(月) 18:53:52.83:Kn2kLOyo
どう理解したのか、ウェイルは尋ねる。

 「そんな事とは?」

 「要するに、エティーの物は弱く不完全だから、そうしなければならないのだろう」

ウェイルは眉を顰めた。

 「身も蓋も無い言い方だが、その通りだよ。
  しかし、君とて実際は変わらない筈だ。
  より大きな物に対抗するには、小さな力を合わせなくてはならない」

 「大きな物に対抗する必要は無い。
  抵抗せず、従順であれば良い」

 「しかし、従順だからと言って、見逃されるとは限らないのが、この世界だ」

 「だから、無闇に大きな物には近付かない。
  不興を買わぬ様に、敬して遠ざかる物だ」

それは異空で生きる為の処世術。
そうする事が当然だし、そうするべきだとバニェスは考えている。
これにウェイルは反論する。

 「私達は小さな物だが、より大きな物とも戦える。
  それは団結している為だ」

 「何故戦う?」

段々話が逸れて来ているなとバニェスは感じていたが、一応ウェイルに付き合った。
創る名無しに見る名無し [sage] 2019/04/30(火) 18:15:36.30:ZLh1RkNF
ウェイルは力強く答える。

 「『自分の意思』の為だよ、バニェス。
  弱いからと言って、強い物の言われる儘になる事は無い。
  私達は個々を尊重し合い、それが出来ない物とは戦う。
  そうする事で、弱くとも強者と伍する事が出来る」

 「理屈は解るが、それが愛なのか?」

 「この世界でも通じる愛と言えば、同胞愛と自己愛しか無いと思う。
  子孫を残すと言う本能が無いから、人間の言う様な異性愛、恋愛を求める事は出来ないだろう。
  愛が何の為にあるかを合理的に説明しようと思えば、そう言うしか無い……」

バニェスは小さく唸った。

 「フーム、そう言う物か……。
  しかし、それは弱者の知恵だ」

 「気に入らないか?」

 「自分以下の者を認める事は、中々難しいな」

 「サティは?」

 「彼奴は……」

ウェイルに問われて、バニェスはサティとの思い出を振り返る。
最初は自分より弱い物だと言う以外の感想を持たなかった。
中々小器用な事をするが、所詮は力の弱い物だと。
しかし、想像以上の力を発揮した事から、バニェスは彼女に興味を持った。
その力の源泉は何かと。
創る名無しに見る名無し [sage] 2019/04/30(火) 18:16:33.93:ZLh1RkNF
サティの力の正体が、エティーに住まう物達の力を借りた物だと知った時、バニェスは自分にも、
その力を使えないかと思った。
弱者から力を集めて、己の物に出来ないかと……。
しかし、そうやって他者の力を当てにする事は、弱者の証明の様な気がして、面白くなかった。
葛藤の中でバニェスは、取り敢えずサティと行動を共にして、何か得る事が出来ないかと考えた。

 「サティの事は認めている。
  一度は私を撃退した物だからな。
  フィッグ侯爵との戦いでも、私を助け……助けた?
  ……ともかく、奴とは色々あったのでな」

ウェイルは頷く。

 「彼女の一緒に旅をした感想は?」

 「旅の共としては悪くないぞ。
  独りよりは退屈しない」

 「彼女を失いたくないと思うか?」

 「……何故だ?
  この世界は無常だ。
  仮令、奴が明日消える事になろうと、それは仕方の無い事だ」

 「本当に、そうかな?」

 「何が言いたい?」

 「いや、何でも……」

ウェイルはバニェスがサティに構って貰えなくなって、寂しいと思っているのではないかと、
感じていた。
そう指摘した所で、バニェスは認めないだろうが……。
創る名無しに見る名無し [sage] 2019/04/30(火) 18:19:22.71:ZLh1RkNF
そもそも何故バニェスが愛を理解しようとしているのか?
それは単に子供に興味があるから、サティとの子供が欲しいからと言うだけではないと、
ウェイルは考えている。
彼はバニェスに告げた。

 「貴方は強い力を持っている。
  それが故に、中々対等の物を見付けられないのだろう。
  助言になるかは分からないが、貴方が愛を学ぶ為の鍵は、そこにあると思う。
  強者と弱者と言う、縦の繋がりでは無く、自分と対等な物との、横の繋がりを持つのだ。
  上下の関係でも愛は成り立つが、それは一方的な物になり易い。
  即ち、弱者は強者に身を捧げ、強者は弱者を庇護する。
  こう言う関係は、強者優位になる。
  お互いを尊重しているとは言えない。
  現に貴方は、それを愛とは捉えていない」

 「……そうだな。
  私が嘗てマクナク公を仰いでいたのも、愛とは呼べないのだろう。
  マクナク公は私を生み出し、大伯爵としての役目を与えて下さった。
  一方で、私の心はマクナク公の力に平伏するばかりでは、詰まらないと思った。
  自分の世界が欲しいと」

ウェイルは、もう1つ、バニェスと対等に近い存在の名を挙げる。

 「フィッグとの関係は、どうだったかな?」

 「奴とは敵対関係にあった。
  力を競う相手だ」

 「私の居た世界では、実力の近い敵対者を『好敵手』と言うよ。
  互いに力を競い、高め合う存在だ」

 「そんな良い物では無い。
  私と奴は、互いに相手の事を目障りだと思っていた。
  フィッグの本心は知らないが、私と同じだと思う。
  そうで無ければ、命懸けで滅し合ったりしないだろう」

異空は殺伐とした愛の無い世界だ。
バニェスとフィッグは近い実力を持ちながら、互いに相手を滅ぼす事だけを考え、協力しなかった。
創る名無しに見る名無し [sage] 2019/05/01(水) 19:33:39.13:igspAQJ2
だが、今は違うのではないかとウェイルは問う。

 「本当に、それだけかな?
  少なくともエティーでの君達は、啀み合っている様には見えない」

 「奴も私もサティに封印されて、高位の悪魔貴族では無くなった。
  弱者の振る舞いをしているに過ぎない。
  支配する力も持たない物同士で、争い合っていても仕様が無いではないか……」

 「フィッグが居なくなったら、どう思う?」

 「どうも思わん。
  私達は同じ世界の生まれだが、生憎と親しくは無い。
  この世界は無常だ。
  どちらが死んでも、そんな物だと受け止めるしか無い」

 「再び例え話で恐縮だが、もしフィッグが死にそうで、貴方が助けられる状況にあったら、
  貴方はフィッグを助けるかな?」

バニェスは少し考えて答えた。

 「助けてやっても良いと思う。
  奴の態度次第ではあるがな」

 「態度を表明出来ない状況ならば?」

 「……その時にならねば何とも言えんな」

ウェイルは何度も頷き、改めてバニェスに問う。

 「フィッグと、そこ等の見ず知らずの物との違いは何だろう?」
創る名無しに見る名無し [sage] 2019/05/01(水) 19:35:11.75:igspAQJ2
バニェスは暫し思案した。
何時もバニェスは自分の心の儘に振る舞って来たので、自分の行為に関して深く考える機会は、
中々無かった。

 「同じ世界の物……?
  互いに見知っている事か……?」

 「貴方はフィッグを助けてやっても良いと言った。
  その時、どんな気持ちだった?
  何を考えていた?」

 「あぁ、それは……。
  奴とて元高位貴族だからな。
  自分と敵対していた、それも下級と思っている物に助けられるのは、屈辱だろう。
  悔しがる顔を拝んでやりたいと思ったのだ」

 「そう、それが愛なのだ。
  貴方はフィッグと他の物を『違う』と感じている」

微笑むウェイルがバニェスは不可解で、表情の無い顔を横に振る。

 「その他の有象無象と同じでは無い事は、確かだが……。
  それを言ったら、サティやウェイル、貴様も同じだぞ」

 「詰まり、貴方は私達を愛していると言う事になる」

 「……関心を持つ事を愛と言うのか?」

 「そう説明した積もりだったが……」

 「それでは私が子を欲しいと思うのも愛か?」

 「そうなのだろう」

ウェイルに頷かれ、バニェスは理解した積もりになった。
創る名無しに見る名無し [sage] 2019/05/01(水) 19:36:00.28:igspAQJ2
しかし、その理解が正しいのか不安でウェイルに問う。

 「……だが、サティの求める愛は、それなのか?
  愛にも種類があるのだろう?」

 「確かに、彼女の求めている愛とは違うのかも知れない。
  それは彼女自身に聞いてみないとな。
  それに人によって、愛の深さも違う」

 「愛の深さ?」

 「例えば、1つの事に関心を持ち続ける事は難しいだろう。
  しかし、それが出来ると言う事は、愛していると言う事だ」

 「……愛には深いと浅いがあるのか……」

 「貴方が懸念している通り、私の言う愛が全てとは限らない。
  他の物にも聞いてみると良いのではないかな」

ウェイルの提案にバニェスは頷くが、では、誰なら愛を知っていると言うのか?
バニェスは率直に問う。

 「誰に聞けば良い?」

 「誰でも良いと思うよ。
  意外な物が知っている可能性もある。
  とにかく行動を起こしてみる事だ」

 「分かった、そうしよう」

こうしてバニェスは愛を尋ねに出掛けた。
創る名無しに見る名無し [sage] 2019/05/02(木) 18:49:41.50:/RkbRBGR
バニェスはエティーの中で愛を知る者を探した。
先ず尋ねたのは、デラゼナバラドーテス。
彼女は最もサティの近くに居た人物だ。

 「日記係よ、貴様は愛を知っているか?」

 「えっ、何ですか?
  行き成り……」

デラゼナバラドーテスは吃驚して身を竦める。
彼女は一度エティーを壊滅状態に追い込んだバニェスに、良い印象を持っていなかった。
今は大人しくしているだけで、何時再び敵になるか判らないとさえ思っている。

 「とにかく答えろ。
  知っているのか、知らないのか?」

詰問して来るバニェスにデラゼナバラドーテスは、恐縮しながら答える。

 「わ、私には何の事だか……。
  愛……?」

 「知らんのか?」

 「え、ええ。
  分かりません。
  何ですか、それは?」

 「いや、良い。
  聞くだけ無駄だったな」

やはり、この世界で生まれ育った物には愛は解らないのだと、バニェスは確信した。
そうなるとエティーの物は当てにならない。
創る名無しに見る名無し [sage] 2019/05/02(木) 18:50:53.01:/RkbRBGR
そこでバニェスが次に頼ったのは、蟹の様なグランキの一族だった。
エティーの海底を歩くグランキの一匹、ブナンレクにバニェスは尋ねる。

 「グランキ共、貴様等は愛を知っているか?」

 「愛?」

 「貴様等は不可思議な増殖の仕方をするだろう?」

 「産霊(むすび)の儀の事ですか?」

グランキは2体以上で、片方が霊を集めて、もう片方が精を込めて育てると言う事を、交互にする。
そうして互いに1体ずつの「子」を作り出すのだ。
その様子は全く蟹の交尾である。
互いにダンスをする様に抱き合い、上になったり下になったりする。

 「霊を宿す時に、何を考える?」

 「いえ、特には何も……。
  好い相手が居たら、儀を行うのは、極々普通の事です」

 「何も考えず、とにかく出会ったら儀を行うのか?」

 「いえ、それなりには考えますよ。
  先ず霊が集まらないと、儀をする意味がありませんし」

 「それは霊が集まれば、儀をすると言う事か?」

 「基本的には、そうですが……。
  お互いに霊を交換するので、お互いに霊を集めていないと駄目です」

 「相手は誰でも良いのか?」

 「特に拘りません。
  お互いに霊を託せる状態であれば、それで」

グランキは愛を持っていないのかと、バニェスは疑う。
相手が誰でも良いなら、そこに特別な感情は無い筈だ。
創る名無しに見る名無し [sage] 2019/05/02(木) 18:51:39.89:/RkbRBGR
ここでも無駄足だったかと、バニェスは少し落胆したが、最後に1つだけ尋ねた。

 「霊を宿した後に、何か思う事とかは無いのか?」

 「特には何も思いませんが、それでも子は大事にします」

 「具体的には?」

 「自分が吸収した精を子に分け与えます。
  何かあっても、子を守る様にします」

 「何故だ?」

 「私が親に、そうされた為です。
  私達の先代等はエティーに馴染まない体で、長く生きる事が出来ませんでした。
  だから、子の世代――詰まり、私達にグランキの未来を託したのです。
  私達は先代等の願い通り、エティーに馴染んだ体になりました」

バニェスは興味を持って聞く。

 「成る程、自分が死んでも構わない訳だな」

 「全く構わないと言う訳ではありませんが、そうする事で私達は、どんな世界でも生きられます。
  それだけ子は大事な物なのです。
  私達は子に、強く逞しく、丈夫に育ってくれる様に望みます」

それを愛と呼ぶのかも知れないと、バニェスは思った。
グランキ達は子の価値を自身より重く捉えている。
サティも子を大事に抱えている。
それは単に新しい命を育てているだけでは無いのだ。
しかし、子を守るのに自分の命を懸けられるかと言うと、中々そこまで大事に出来るとは思えない。
サティであっても自分の子を守るのに命を投げ出せるのか疑問だった。
そう言う意味では、グランキが最も我が子を愛しているのかも知れないと、バニェスは思う。
創る名無しに見る名無し [sage] 2019/05/03(金) 19:32:29.75:oYvOKXEn
グランキは理路整然と、子を育てる意味を述べる。

 「私達は弱い存在です。
  高位の貴族の様に、永遠ではありません。
  だから、自分の性質をその儘で残す事は出来ないのです。
  その代わりに、子を生み育てます。
  そうする事で、間接的に自己の存在を保つのです。
  恐らくエティーが沈んで、他の世界に移る事になろうとも、私達は生き延びます。
  力が弱い物は、弱いなりに手を尽くさなければならないのです」

 「分かった、分かった。
  貴様等は弱いが故に、子を大事に育てねばならんのだな。
  愛とか何とか以前に、子も自分の一部であると、そう言う事か?」

 「そうです。
  子さえ生き延びてくれれば、私は何時死んでも構いません。
  子が私の生き様を継いで、新しい命を育てるでしょう」

グランキは異空の生まれでありながら、地上に近い感覚を持っていた。
しかし、バニェスは弱いグランキを憐れみ、愛に対する理解には役に立たないと決め付ける。
結局の所、グランキにとって子とは自分と対等の分身の様な物だから、愛すると言うだけなのだ。
自己愛に過ぎないのでは無いかと、バニェスは内心で失望する。

 「分かった様な、分からん様な。
  とにかく他の物にも話を聞くとしよう。
  ではな」

 「お待ち下さい。
  一体、愛とは何の事なのですか?
  もしや貴方も子を生もうと?」

グランキの問にバニェスは振り返るも、何も答えはしなかった。

 「貴様如きの知る所では無い」
創る名無しに見る名無し [sage] 2019/05/03(金) 19:33:13.88:oYvOKXEn
そしてバニェスは次にフィッグを頼った。
同じ世界の生まれで、愛を知っているとは思えなかったのだが、この世界に来てからフィッグは、
よく格下の物と連(つる)む様になった。
詰まり、何か心境に変化があったのだろうと、バニェスは察していた。
それが「愛」とは思わないが、もしかしたら興味深い話を聞けるかも知れない。
フィッグはエティーのバコーヴァルデと共に、メトルラの海の最果て島から混沌の海に繋がる、
「果て」を茫洋と眺めていた。

 「フィッグ、この様な所で何をしている?」

 「ああ、バニェスか……。
  何もしていない。
  今日はバコーヴァルデと共に居ようと思ってな」

 「何故、そんな無駄な事を?」

 「無駄とは限るまい。
  もしかしたら、『混沌の海<カオス・ワイルド>』から何か流れ着くかも知れない」

 「何か流れ着くのを待っているのか?」

 「違うな。
  目的はバコーヴァルデと共に居る事だ」

 「其奴は海を眺めているだけだぞ。
  来訪者や漂着者が現れるまで、何もしない。
  我等にとっては退屈なだけだが、ヴァルデの連中は退屈を感じる様には出来ていない。
  だから、飽きもせず何時までも果てを眺めていられる」

 「そんな事は知っている」

ここに居ても退屈なだけだと、バニェスは忠告した積もりだったが、フィッグは聞かない。
物好きな奴だとバニェスは呆れた。
創る名無しに見る名無し [sage] 2019/05/03(金) 19:33:41.13:oYvOKXEn
それに対してフィッグは遠くに顔を向けた儘で言う。

 「バコーヴァルデにも心がある様な気がするのだ。
  心の動きが少ないだけで、実は豊かな感情を持っているのではと……」

 「それで、心があった所で何だと言うのだ?」

 「だから何だと言う訳では無いが……。
  この世界の仕組みに色々と興味があるのだ」

 「下らん事を。
  この世界は弱者が寄り集まって維持されているのだ。
  それだけの事だぞ。
  そんな事より、話がある」

 「何だ?」

フィッグは振り返りもせずに聞いた。
バニェスはフィッグの態度を怪しみながら問う。

 「愛を知っているか?」

 「愛?
  知らない事は無いが……」

 「何っ!?」

バニェスは驚愕したが、フィッグは特に関心を持っていない様だった。
それが無性に苛付き、バニェスは焦りを露に問い詰める。

 「では、答えてみろ!」
創る名無しに見る名無し [sage] 2019/05/04(土) 19:25:43.19:y2kuExyy
フィッグは一度、野箆坊の顔をバニェスに向けると、少し俯いて答えた。

 「私達はマクナク公の大いなる愛の下にあった。
  マクナク公は私達を必要とし、故に私達は誕生した。
  しかし、私達はマクナク公の期待に副えなかった。
  愚かにも私と貴様は下らない諍いを起こし、大世界マクナクから放逐されてしまった。
  それはマクナク公の愛を失った為なのか……」

 「それは本当に愛だったのか?」

バニェスの疑問にフィッグは俯いた儘で返す。

 「私はマクナク公を愛していた。
  そう、敬愛と言う物だ。
  マクナク公の偉大さを仰ぎ、マクナク公の為なら如何なる事でも行う覚悟だった。
  そして私はマクナク公の第一になりたかった。
  しかし、私より大きな物には逆らえないから、目障りな貴様を排除しようとした。
  私には貴様の存在その物が厭わしかった」

喧嘩を売られているのかと、バニェスは静かに怒った。

 「何だと?」

 「そう怒るな、過去の話だ」

 「今は違うのか?」

 「そうだな。
  貴様を嫌っていた理由は、貴様が奔放過ぎた為だ。
  領地を放って外界に遊び出てばかりの貴様を、マクナク公が咎めない事が許し難かった。
  私達には生まれ持った役目があるのに、それを果たそうとしない貴様が……」

冷静に過去の自分を振り返るフィッグ。
バニェスは複雑な気持ちになって問う。

 「心境の変化があったのは何時だ?」
創る名無しに見る名無し [sage] 2019/05/04(土) 19:27:03.38:y2kuExyy
フィッグは思案し、何度も緩りと顔を上下させながら言う。

 「先ず、マクナク公に追放された後。
  私は自分の存在価値を見失った。
  次に、エティーの物共を見た後。
  私は自由に生きる事を知った。
  そして、『神』を見た後。
  私はマクナク公より大なる物を知った。
  私と貴様の諍いは、実に些末な事だった。
  それ自体はマクナク公の下に居た時から、知っていたが……」

 「結局、何なのだ?」

 「様々な物を見て来た今だから思うのだが、私はマクナク公の愛を失っていないのではないか……。
  マクナク公は私達に愛想を尽かして、追放した物だとばかり思っていた。
  どうなっても構わない、存在価値を認めないから、混沌の海へと……。
  しかし、それならば何故にバニェス、貴様は始末されなかったのか?
  マクナク公は何故貴様を自由にさせていたのだろう」

 「分かる物か!
  一々上位の物の考えを推し測る事は僭越だ。
  大した理由等、無いのかも知れん。
  気紛れで見逃されていただけだったら、どうするのだ?」

 「そうかも知れない。
  私達を放逐したのは、普通に考えれば、マクナクの地上を荒らした為だろう。
  しかし、『放逐』で済ませているのだ。
  もし腹に据えかねたのなら、或いは役に立たない所か、害になると認めたのなら……。
  果たして、放逐だけで済ませるだろうか?」

大世界マクナクの領主であるマクナク公爵は、バニェスもフィッグも始末しなかった。
これは何故かと言う事を、フィッグは考えていた。
創る名無しに見る名無し [sage] 2019/05/04(土) 19:28:40.96:y2kuExyy
フィッグの言わんとせん事を察したバニェスも、その理由に就いて考える。

 「何故、処分せずに放逐したのか……?
  それを知りたいのか?」

 「マクナク公にとって、処分も放逐も大差無い事の筈だ。
  私達は取るに足らない滓の様な物」

 「では、マクナクに帰ってみるか?」

バニェスの問い掛けに、フィッグは吃驚して顔を上げた。

 「畏れ多い!
  放逐された身分で、帰還しよう等とは……」

 「しかし、こうして考えてばかりいても、答は出ないだろう。
  偶には里帰りも良いではないか?」

バニェスは実に楽しそうに言う。
放逐された貴族が帰還するとなると、先ず警戒されるのが普通だ。
復讐に来たのか、とにかく厄介事を持ち込みに来たと思われる。
既にフィッグとバニェスが去った後の領地には、新しい侯爵級が配されている筈なのだ。

 「気安く言うな!」

 「何を心配しているのだ?
  歓迎されなければ、その時には引き返せば良かろう」

バニェスは如何にも簡単な事の様に言う。
創る名無しに見る名無し [sage] 2019/05/05(日) 19:35:04.21:F2U44zV3
実際フィッグが気にしているのは、マクナク公爵に否定される事だ。
もしかしたらマクナク公爵は追放したフィッグの事を、全く気に掛けていないかも知れない。
フィッグを追放したのは本当に気紛れで、処分しても良かったのかも知れない。
愛とは目に見えない物、幻想である。
口では何とでも言えるが、本当の所は判らない。
そう言う事にして、フィッグは希望を持っていたかった。

 「行くと言っても、私は未だ能力を封印された儘だ。
  能力を取り戻してから行きたい」

 「ハァ、成る程。
  その気持ちは解らんでも無い。
  私としても、足手纏いを運ぶのは好きでは無いからな」

ここで一旦話が途切れて、バニェスは元々何をしに来たのだったかと考えた。

 「ああ、それより愛だ、愛!
  フィッグ、貴様は愛を知っているのだろう?」

フィッグは再びエティーの果て、彼方に顔を向けて答える。

 「マクナク公が私達を殺さなかったのが、愛だと思う……と言う事だ」

 「意味が解らないぞ。
  結局、愛とは何なのだ?
  生かして逃がす事なのか?」

 「存在を認める事、価値ある物だと思う事」

フィッグの回答は明瞭だった。
バニェスは納得して唸る。

 「成る程、成る程。
  それなら貴様はマクナク公に未だ価値ある存在だと思って欲しいのだな」
創る名無しに見る名無し [sage] 2019/05/05(日) 19:35:58.84:F2U44zV3
嫌らしい問い掛けだったが、フィッグは否定しなかった。

 「そうだ。
  私は何時も、そう思っていた。
  もしかしたら、私に限らないのかも知れない。
  高位の貴族が自らの能力を誇示したがるのは、何故なのか……。
  それは他者に自分の価値を認めて貰いたいからでは無いのか……」

そう言うとフィッグはバニェスに顔を向ける。

 「私も同じだと言うのか?」

 「そう思っている」

バニェスにはフィッグの言う事の意味が解らなかったので、否定も肯定も出来ない。

 「私は最早マクナク公を必要としていない。
  否、最初から私はマクナク公から独立したかったのだ。
  私の価値を決めるのは私自身で、私以外の物に私の価値等、決められはせんよ!」

断言するバニェスに、フィッグは迷いを見せながら語る。

 「本当に、そうなのだろうか?
  では、何故他所の世界を荒らしたり、私と競ったりしたのだ?」

 「無論、私の実力を知らしめる為!」

 「誰に?」

 「誰……?
  私は事実を証明したかっただけだ。
  誰にも揺るがされる事の無い事実。
  即ち、私は強いと言う事を!」

堂々と主張するバニェスに、フィッグは小さく首を横に振った。
創る名無しに見る名無し [sage] 2019/05/05(日) 19:36:48.44:F2U44zV3
その反応にバニェスは向きになる。

 「貴様が私の何を知っている!?」

フィッグは小さく笑った。

 「……バニェスよ、誰に証明するのだ?
  何の為に証明する?
  そもそも証明する必要があるのか?
  貴様の実力は、貴様が知っていれば、それで良いではないか……」

 「それでは私が強いか弱いか、判らんではないか!
  強弱は他者と比較せねば、意味を持たぬ!」

バニェスに同意する様に、フィッグは何度も頷いた。

 「その通り、その通りだよ。
  だから、この世界では争いが絶えぬのだ。
  ここは愛の無い世界。
  誰もが愛を求めているのだ。
  強いと言う事は、それだけで己の存在を相手に認めさせられる。
  それは弱者には出来ない芸当だ。
  強者は弱者の存在を自由に出来る。
  取り上げる事も、切り捨てる事も。
  その事実を突き付ける事で、自分は強い、価値のある存在だと、認識出来る、認識させられる」

バニェスは愕然とした。

 「……私も愛を求めていたと?」

フィッグは肯定も否定もせず、別の語りを始める。

 「弱者を屈服させた所で、その満足は一時的な物だ。
  だから、何度も何度も戦わなければならない。
  そうして、この世界は戦乱に呑み込まれて行った。
  やがて誕生した最高位の貴族が、世界を維持する様になった。
  高位の貴族の下で、戦乱は収まって行った。
  ……そんな話を聞いた事がある」
創る名無しに見る名無し [sage] 2019/05/06(月) 21:01:10.91:P0miyObd
バニェスは意味深で思わせ振りな事を言うだけのフィッグに、苛立ち始めた。

 「誰に?」

 「さて、誰だったかな……?
  遠い昔の事だ。
  嘗ての私は過去を振り返る事をしなかった。
  あの頃は気にも掛けず、笑い飛ばしていたが……。
  今なら何と無く解る気がする」

 「それで、結局何なのだ!?
  貴様は何が言いたい!」

 「私達は既に愛を知っている……と言う事だ。
  バニェス、貴様にとって価値のある物は何だ?
  失いたくない物、存在を認められる物。
  私にとって、それはマクナク公だった。
  ……否、違うな。
  マクナク公は私にとって永遠の存在だった。
  決して失われる事の無い、揺るぎ無き偉大な存在。
  それに認められる事で、自分も又、永遠の一部になろうとしたのか……」

丸で話が解らないと、バニェスは切り捨てる。

 「一体どうしたのだ?
  マクナク公に捨てられて、精神が壊れたのか?」

 「ああ、私の精神は一度破壊された。
  そして目覚めた、生まれ変わったと言うべきなのかも知れない。
  私は愛せる物を探したいと思う。
  今までは存在価値を認められる事ばかりに、心が向いていた。
  今度は、自分が存在価値を認める物を見付ける」
創る名無しに見る名無し [sage] 2019/05/06(月) 21:02:11.22:P0miyObd
フィッグはバニェスには解らない物が解っていた。
それがバニェスには気に入らないので、何とか理解しようとする。

 「愛とは存在価値を認める事ならば……。
  結局、貴様はマクナク公を愛していたのか、いなかったのか?
  どちらなのだ?」

 「愛される為に愛していた……と言うべきだろうか?
  しかし、それは真実の愛では無い。
  恐らく、嘗ての私はマクナク公を超える物が現れれば、そちらに靡いた事だろう。
  それこそ下等な連中と同様に。
  愛と言っても、その程度の物だったのだ」

 「……今は違うのか?」

 「どうかな……?
  マクナク公を敬愛する気持ちは変わらない。
  だが、昔の様に絶対的な物を仰ぐ気持ちでは無い」

 「新たな『絶対的な物』を探しているのか?
  今度こそ揺るがぬ物を」

 「そうかも知れんし、そうでは無いかも知れん。
  一つ言える事は、能力の強弱は本質では無いと思っている」

 「貴様の言う事は解らん……。
  丸で掴み所の無い、幻の様だ」

 「……私は未だ真に愛すべき物を見付けていない。
  それは愛を知らないのと、同じ事なのかも知れん……」

 「何だ、真面目に聞いて損したぞ。
  結局、貴様にも解らんのだな」

時間の無駄だったなと、バニェスは全身の羽毛を寝かせて落胆した。
フィッグは申し訳無さそうに言う。

 「気を持たせる様な事を言って悪かったな」
創る名無しに見る名無し [sage] 2019/05/06(月) 21:03:00.26:P0miyObd
余りにフィッグが素直だったので、バニェスは気味悪がった。

 「謝るな、気色悪い。
  何時も貴様は強気だったではないか……」

 「能力を失ってしまえば、私の実態とは、この程度の物だと言う事だ」

 「能力を取り戻せる様に、サティに進言してやろうか?」

 「……否、恐らく能力を取り戻しても変わらない。
  もし能力が戻っても……。
  そうなったらエティーを離れて、私は旅に出るよ」

 「どこへ行くんだ?」

 「どこへでも無い。
  愛を探しに行く」

愛とは何なのか、バニェスは恐ろしくなった。
フィッグは確実にバニェスより愛を知っていて、愛に近付きたいと思い、愛を求めている。
自分もフィッグの様になるのかと思うと、愛を知らない儘の方が、良いのではと思い始めた。
フィッグはバニェスに言う。

 「愛を見付けたら、貴様にも教えるよ。
  これが私の愛だと、胸を張って言える物を」

バニェスは何も答えられなかった。
普通なら、楽しみにしているとか、或いは、見付かる訳が無いとか、皮肉を交えて揶揄う所だが、
そんな気にはなれなかった。
同じ世界に、同程度の能力を持って生まれた物が、ここまで変わってしまったのだ。
バニェスはフィッグの事を全くの無関係と切り捨てられない。

 「……結局の所、貴様も愛を知らぬのならば、他に知っている物を探す事にしよう」

そう言ってバニェスはフィッグの元を去った。
創る名無しに見る名無し [sage] 2019/05/07(火) 18:38:03.24:GAFDSEpx
それからバニェスはエティーの果ての一であるレトの果てに赴いて、そこに置かれている、
アイフの飛び地バーティ侯爵領の別荘を訪ねた。
そこでバニェスは直接バーティに面会しようとしたが、アイフの物に阻まれる。

 「お待ち下さい、バニェス様。
  侯爵閣下は只今、お休み中です」

この別荘はエティーでは無くアイフなので、バニェスも横暴な真似は出来ない。
ここでは領主バーティが至上の存在なのだ。

 「お休み中とは?」

バニェスは平時に休むと言う概念を持たないので、不思議がって問う。
バーティの従僕は答えた。

 「心身の働きを抑え、回復に努めている最中と言う事です」

 「傷付いたのか?
  どこかで戦いでも?」

 「いえ、そうでは無く……。
  侯爵閣下が人間であられた頃の習慣でして……」

バニェスは余り理解出来なかったが、そう言う物だと受け流して、バーティの従僕に告げる。

 「では、伝えてくれ。
  バニェスが訪問に来たと」

 「御用件の方は?」

 「愛の話をしたい」

 「承りました」

従僕が畏まって礼をすると、別荘の上階から、蜉蝣の様な翅を持った淡紅色の女性型の物が、
浮わ浮わと翅を羽搏かせて降りて来る。

 「待て、待てぃ!
  バニェス、今何と言った?」

これがバーティ侯爵だ。
創る名無しに見る名無し [sage] 2019/05/07(火) 18:39:13.92:GAFDSEpx
行き成りの事にバニェスは少し驚いて問う。

 「お休み中では無かったのか?」

 「この領地で起きた全ての事象は、我が内の事。
  愛と聞いては黙っておれぬ」

 「何故だ?」

 「何故も何も、私は愛の専門家だからな。
  さて、バニェスよ、愛の話とは何だ?」

妙に張り切っているバーティに、バニェスは気圧されながらも尋ねた。

 「……愛とは何かを知りたいのだ」

 「何の為に?」

 「バーティよ、サティは貴方の子を抱いている。
  それを見て、私もサティとの子を作りたくなった。
  しかし、サティは愛を知らなければならぬと言うのだ」

それを聞いたバーティは大きく頷き、嬉しそうな顔をする。

 「ハハハ、そなたも色気付いたか?」

 「……色気とは何だ?」

 「ウム、ウム、そなたにとっては知らぬ事ばかりであろう。
  熟(じっく)り教えてやるぞ」

上機嫌のバーティにバニェスは不安になった。
創る名無しに見る名無し [sage] 2019/05/07(火) 18:39:55.11:GAFDSEpx
何か誤解や行き違いがあっては行けないと、バニェスは冷静にバーティに説明する。

 「私は愛を知らない。
  だから、サティは私とは子を作れないと言う。
  しかし、貴方と子を作ったと言う事は、貴方は愛を知っていると言う事になる」

 「そうだな」

 「子とは愛無くして生んでは行けない物なのか?」

 「この世界で、そこまで拘る必要は無いと思うが……。
  あの子は中々純情だからな。
  我が子を生むとなれば、相手に相応の物を求めるのは仕方あるまい」

 「それで……愛とは何なのだ?」

バーティは深く頷いて、端的に答えた。

 「それは燃え上がる様な熱情であるよ。
  求め求め、焦がれ焦がれて、堪らぬ物だ」

 「そうなのか?
  私は愛と言う物を知らないから判らない」

 「違うね。
  バニェスよ、そなたは既に愛を持っておる。
  そなたはサティを愛しておるのだ」

 「……そうなのか?」

今一よく解らないバニェスは、迷いながら問う。

 「大体だな、愛してもおらぬ物の子を生もう等とは、中々考えぬ物だよ。
  何故、サティとの子が欲しいのだ?」

 「特に理由は無い。
  本当に何と無く、欲しいと思った」

バニェスが素直に答えると、バーティは一層嬉しそうに大きな笑みを浮かべる。
創る名無しに見る名無し [sage] 2019/05/08(水) 18:37:14.06:vOey7H8J
彼女はバニェスの目鼻口の無い顔を見詰めて、こう言った。

 「唯、子が欲しいだけならば、その辺の物とでも良かろう。
  私が子を呉れてやっても良いぞ」

バニェスは少し考えて、丁重に断る。

 「……否、貴方の子が欲しい訳では無い……」

バーティは得意になって笑う。

 「ホホホ、サティでなくては駄目なのだろう?
  解っておる、解っておるよ」

彼女の訳知り顔に驚きながらも、バニェスは何故自分はサティでなくては駄目だと思うのか、
その理由を考えてみた。
しかし、直ぐには答が出そうに無い。

 「……解らない。
  何故、私はサティが良いと思うのか?
  これが愛なのか?」

バーティは今度は打って変わって真剣に、バニェスに言う。

 「そうだよ、それが愛だ。
  詰まり、そなたはサティを価値のある存在として認めている」

 「……それは否定しない。
  奴と共にして来た旅は、それなりに楽しかった。
  奴の言う『感情』とやらは、未だ理解し切れていないが……」
創る名無しに見る名無し [sage] 2019/05/08(水) 18:38:03.65:vOey7H8J
バニェスの反応にバーティは感慨深気に頷く。

 「初心だな。
  良い、良い。
  幼子を見守る心境であるよ」

 「初心とは何だ?
  私が幼子だと?」

 「初心とは物事を知らぬ様だ。
  初めて愛を知るのだから、それは当然の事。
  何等、恥じる事は無い」

 「別に恥じてはいないが……」

困惑するバニェスに、バーティは告げた。

 「とにかく『一緒に居たい』と思う気持ちが大事だ。
  一緒に居て、楽しいだとか、嬉しいだとか、喜ばしいだとか、そう言う気持ちになるか?」

 「ウーム……。
  少なくとも不快では無いかな……」

バーティはバニェスを凝(じっ)と観察している。
それに気付いたバニェスは、不快感を声に表して言った。

 「何なのだ?」

 「いや、そなたは本当にサティとの子が欲しいのかと思ってな……」

彼女の疑問が、バニェスは解らない。

 「何故、そう思うのだ?」
創る名無しに見る名無し [sage] 2019/05/08(水) 18:39:11.78:vOey7H8J
バーティは真面目にバニェスに尋ねた。

 「どうして彼女との子が欲しいと思ったのか、その経緯を教えてくれ」

 「経緯と言われてもな……。
  サティが日の見塔の一室に篭もり切りだったので、どうしたのかと思って訪ねに行ったのだ。
  そうしたら、子を抱いているから離れられないと言う。
  私は子を知らなかったので、子とは何かと聞けば、配下の様な物だと。
  だから、私とサティとの子を配下に持とうと考えたのだ」

 「配下に持って、どうする気だったのだ?」

 「否、深い意味は無い。
  どんな子が生まれるのか興味があった」

バーティは何度も頷きながら、バニェスの内心を推し量る。

 「詰まり、子自体に然して興味は無かったのだな。
  それではサティが頷かないのも解るよ」

 「どう言う事だ?」

 「そなたは本気で子が欲しかった訳では無いと言う事だ。
  頑是無いかな、丸で愛玩物を欲しがる様だよ。
  本気で子が欲しいと思うならば、子をも愛さなければならぬ。
  何と無くでは駄目だ。
  猛烈に欲して堪らぬと言う位でなくてはな」

 「……そこまで強くは思っておらぬ……」

 「では、諦め給え」

バニェスは子に対して、そこまでの熱情を持っていない。
バーティは冷淡に打ち捨て、呆れた様に溜め息を吐く。
創る名無しに見る名無し [sage] 2019/05/09(木) 19:29:52.23:pAprScca
しかし、諦めろと言われて素直に頷けるなら、態々他人に愛を尋ねて回らない。
バニェスは低く唸って考え込む。

 「それでは、これまで愛を尋ねて回った苦労が無駄では無いか?」

 「我々の時間は無限だ。
  偶には無駄足も良かろう。
  高位の貴族であれば、その位の余裕は欲しい物よな」

 「……いや、諦め切れぬよ。
  私は今まで、欲しい物は大概手に入れて来た」

頑迷なバニェスにバーティは、小さく息を吐いて呆れる。

 「やれやれ、では教えてやろう。
  そなたはサティの子が欲しいのでは無いよ。
  欲しいのはサティその物なのだ」

 「……どう言う事だ?
  私が奴を欲していると?」

 「そうだ」

行き成りの事に困惑するバニェスに、バーティは頷いて見せた。

 「そなたはサティを愛しておると言ったであろう。
  端的に言うとだな、そなたはサティと遊べなくて詰まらぬと感じておったのだよ」

確かに最初バニェスはサティの様子を見に来ただけで、その時は子が欲しいとは思っていなかった。

 「……それは事実かも知れない。
  だが、それと奴を欲している事と、子を欲しかった訳では無い事が、どう繋がるのだ?」
創る名無しに見る名無し [sage] 2019/05/09(木) 19:30:45.51:pAprScca
察しの悪いバニェスをバーティは小さく笑う。

 「そなたはサティの気を惹こうとしたのだ。
  サティが我が子に手を取られているのが気に食わず、自分も子が欲しいと言ってな。
  可愛い物よ。
  丸で幼子の様だ」

バニェスは彼女の言う事が中々信じられず、沈黙した儘で考え込んだ。
本当に、バーティの言う通りなのか?
何か誤解されているのでは無いか?
色々と疑問はあるが、バニェスは自分の心が解らない。
バーティは妖艶な笑みを浮かべて、バニェスに提案した。

 「違うと言うなら、サティとの子でなくとも構わない筈だ。
  私の子を呉れてやろうか?
  私は愛だの何だのと面倒な事は言わぬよ」

 「いや、結構。
  貴方の言う通りかは分からないが、誰の子でも良いと言う訳では無い」

バニェスは迷いながら言う。
バーティは意地の悪い笑みを浮かべた。

 「そなたに愛の話は早かったのかも知れぬな。
  それでも未だサティとの子が欲しいと思うなら、サティ本人に己の心を正直に打ち明けよ。
  彼女も話の分からぬ女では無い。
  誠心誠意からの訴えであれば、聞くと思うよ」

彼女は訳知り顔で言うと、再び静かに飛んで別荘に戻って行った。
バニェスは靄々した心で日の見塔に帰る。
創る名無しに見る名無し [sage] 2019/05/09(木) 19:33:32.78:pAprScca
それからバニェスはサティの元を訪ねて、バーティに言われた通りに、正直な気持ちを打ち明けた。

 「サティ」

 「バニェス、愛は解った?」

 「ウ、ウム……その話なのだが……」

 「どうしたの?」

 「愛の事は、よく解らなかった。
  方々で聞いて回ったのだが、中々な……。
  愛にも色々あるらしい」

正直に解らなかったと言うだけなのに、バニェスは妙に口が重かった。
その理由をバニェスは考えてみた所、それは高位の貴族に理解出来ない物があると言う事が、
認め難いのだろうと解釈した。
バニェスは多くの者に聞いて回った事を話す。

 「先ず、ウェイルに聞いてみたのだが、親子愛だの家族愛だのと言われても、私には解らない。
  同胞愛と言うのも中々理解し難い。
  グランキ共にも聞いてみたが、連中は愛が無くても子を生めると言う。
  それは子が自分の分身だからなのだと思うのだが……。
  命短い物の知恵と言うのかな?
  詰まり、配下を求めるのとは違う様だ。
  ええ、だから、その……。
  サティ、お前が求める愛とは、どの様な愛なのだ?」

それを聞いたサティは困った声で言った。

 「私と貴方との間に生まれた子供を愛する事」

 「未だ生まれてもいない物を愛せよと言うのか?
  そこに存在しない物を?」

 「ええ、その通り」

存在しない物を愛せよと言うのは、バニェスには理解し難い事だった。
創る名無しに見る名無し [sage] 2019/05/10(金) 18:39:10.65:0FnPa1Gn
故にバニェスは首を横に振る。

 「愛するか愛さないか、その位は自分で決めたい」

それに対し、サティは途端に冷たい声になって言う。

 「では、貴方に子は預けられない」

彼女に断られても、バニェスは余り落胆しなかった。
どちらかと言うと、子を愛すると言う義務を押し付けられるよりは良いと、安心していた。
所詮その程度の物だったのだと、バニェスは自分を納得させる。
元より、この世界で己より大切な物がある訳が無いのだと。

 「仕方が無い。
  所でサティよ、その子は何時生まれるのだ?」

 「私が十分に魔力を注ぎ終えたら」

 「それは何時頃になるのかと聞いている」

 「……もう20日程」

 「長いな。
  その間、私は退屈だ」

バニェスは今になって、バーティの言っていた事が少しだけ解った。

 「……サティ、どうやら私は、お前を愛しているらしい」

 「そうなの?
  どう愛しているの?」

サティの問にバニェスは答え倦ねる。
創る名無しに見る名無し [sage] 2019/05/10(金) 18:39:35.22:0FnPa1Gn
彼女を愛していると言うのは、決して嘘や冗談では無い。
だが、どう愛していると聞かれても、それは中々答え難い。

 「……お前が居ないと、私は退屈だ」

 「それが愛?」

 「私は愛を尋ねて回った。
  そうして得た情報を総合すると、やはり私は、お前の事を愛しているのだと思う」

 「どの位?」

 「どの位だと……!?」

サティの問にバニェスは真剣に考え込んだ。

 「そ、そうだな……。
  私は、やはり我が身が可愛いと思う。
  しかし、お前は……。
  ウーム、我が身より可愛いかと言うと、それは判らん。
  しかし、しかし、そこらの有象無象共よりは確実に……」

 「そう……」

少し残念そうな声の彼女に、バニェスは慌てる。

 「な、何なのだ!?
  何が不満なのだ!
  私が1番ならば、お前は2番だ。
  ……多分、恐らくな?
  この大伯爵にとって、我が身に次いで大事だと言うのだぞ!」
創る名無しに見る名無し [sage] 2019/05/10(金) 18:40:30.96:0FnPa1Gn
サティは箱舟の中で小さく笑った。
バニェスは立腹して言う。

 「何が可笑しい!!」

 「いえ、貴方から、そんな言葉が聞けるとは思っていなくて……」

 「ああ、そうだろう。
  貴様は私より下位の存在だからな。
  高位の物の寵愛を受けるのは、望外であろう!」

堂々と威張るバニェスが、サティには微笑ましく映っていた。

 「でも、1番じゃないんだね……」

 「それは貴様とて、そうであろう!
  貴様は己の命より、大事な物があるのか!?」

 「ある」

 「それは何だ!?」

 「魂の故郷である、このエティー。
  そして私が生まれ育ったファイセアルスも」

 「その為なら死ねると言うのか?」

 「今まで、そうだった筈だよ。
  だから、貴方とも戦った」

 「そ、そうなのか……」

サティの淡々とした物言いに、バニェスは己が卑小な存在に思えた。

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