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先祖探しのエピソードを語る正し血族先祖に限る4


日本@名無史さん [] 2018/11/16(金) 12:41:46.51
純粋に自分の血統先祖のみ(直接DNAがつらなった先祖。養子断絶はダメ)でどこまでさかのぼれるか調査するスレです。

先祖を探す方法を何でも幅広く語りませんか?
テクニックやエピソードなど・・・
初心者からエキスパートまで
先祖を探す情報交換の場にしましょう!!!

1 なにか質問されたり困っている住人がいればみんなで協力してあげよう(ググレ禁止)
2 HNを使うとみんな分かりやすいのでは?(誰が誰だか混乱するので)
3 画像をUPするとみんな一目瞭然で分かりやすいですよ
4 たまにチャット化しますが皆さん遠慮なく入ってください
5 荒らしは無視でマターリと

※UPの方法
@デジカメやスキャナなどで画像をPCに取り込む
(ファイル名を当たり障りの無いものにしとく。UPしたらファイル名晒されるので)
Aペイントソフトなどで危なそうな箇所を消す(よく確認して!UPしてからでは遅いです)
BアップローダでUPする(一応利用規約は読んで)
アップローダは↓など
ttp://www.imgup.org/
ttp://www.uploda.org/
CURL貼り付けたかったら貼る

前スレ
先祖探しのエピソードを語る正し血族先祖に限る@
ttp://kamome.2ch.net/test/read.cgi/history/1294631599/l50
先祖探しのエピソードを語る正し血族先祖に限るA
ttp://awabi.2ch.net/test/read.cgi/history/1316186196/
先祖探しのエピソードを語る正し血族先祖に限る3
ttps://lavender.2ch.net/test/read.cgi/history/1337303208/
日本@名無史さん [sage] 2018/11/16(金) 13:15:05.59
◆ペテン師・佐藤洋一郎がなぜダメなのか


経年変化や環境変化で短期間のうちに著しく頻度を変えてしまう遺伝子の調査において、
佐藤洋一郎が調査に使ったイネの調査サンプルは、

日本のイネの調査サンプルが稲作が伝わってから800年以上も経ってしまった鍵・唐古遺跡の炭化米、
朝鮮半島のイネの調査サンプルにおいてはいつの時代のイネを使ったのかさえ全く公表していない。

このように調査サンプルから疑わしい、欠陥ありありの、お遊び程度でやったペテン調査での捏造である。

この場合、BC10Cの稲作開始時の最古水田である菜畑遺跡の炭化米とそれ以前の朝鮮の炭化米で
比較調査しない限り、まともな調査結果など得られるはずがない。

ちなみに佐藤洋一郎はこの件で京大考古学陣に全面否定されている。
日本稲作が長江・江南から伝わったなんて言ってる頭のおかしな考古学者など一人もおりません。
973 [] 2018/11/16(金) 14:22:16.78
明治になって神主の世襲制が禁止されたという話があったので調べてみたら、
明治4年に神社は全て国家の宗祠となる。
うちの場合は明治6年に社格が郷社と認められ、神官は今までの宮司である世襲制の宮司がそのまま、祠官に任ぜられただけの話だった。
特別な事は何もない。 自動的な世襲制はなくなり、ただ国が任命するというだけの話で、多くの宮司はそのまま任命されたと思われる。
勿論厳正な審査は有ったらしいが。

寺との関係は、元々その辺りは国府所属のある寺の荘園だったが、先祖が地頭として来て神社をまとめていた。寺としては神社ができた300年後位に領内に建てられたが、神社と寺のむすびつきはあまりなかったようだ。 元々荘園と年貢を取り立てる地頭との関係だったから。
寺が建ったのは地頭の力がなくなって来たからだろう。
神社や寺が焼けた後、神社は再建されたが寺は再建されなかったので仏像を神社でお祭りしてた事はあった様だが。
日本@名無史さん [sage] 2018/11/16(金) 15:06:44.99
>>前スレ994
仏は怒らないってのは日本に定着しなかった本来の思想だな
日本では仏も怒るし祟る
中世のいろんな事件、記録で仏の怒りやたたりが記されてきてるんだよな
973 [sage] 2018/11/16(金) 16:07:49.00
もう少し調べてみたら、世襲禁止令が出たのは、出雲大社を除く大きな神社には禁止令が出たらしいけど、地方の小さな神社には禁止令は出なかったらしい。

だからほとんどの小さな神社は今でも殆どが世襲制として続いているのが実情みたい。

この間富岡八幡宮の宮司争いで骨肉の争いがあったのは記憶に新しい。 あの程度の神社でも世襲制が続いていた証拠。 社家富岡が代々宮司を継いでいる。
でも資質に欠けると思ったのか神社本庁から許可が出なくて、神社本庁から離脱している。
日本@名無史さん [] 2018/11/16(金) 16:09:47.12


前スレの973 って「うちの神社は」ってやる高卒爺さんかw

なんか勘違いしてるみたいだが、糞田舎の掘っ立て小屋みたいな神社の祢宜さんまで
役人が決めるはずないだろ。国家はそんなに閑じゃないよw

神社っていうのは由緒を装飾するんだな。
荘園がどうしたとか地頭がどうしたとか、言えば言うだけいかがわしいわけだが。
まあ、明治まで寺で、珍しい苗字というから寺で使われてた隠亡の類。
廃仏毀釈の勢いの強かったところで坊主は追い出され寺は廃寺に。残った甍に
兄弟親戚集めて入り込んで神社にした。その後、要領よく郷社に認定されたんだろ。
山を寄進されたのがよかったとかいう話だが、寺子屋で食ってる貧乏神社に山を
寄進するような奇特な人がいるわけない。
寺のときに寄進されたんだよ。それが財産ありとして認定されるという幸運を呼んだ。
って別にあんたのことじゃないよ。心配すんなってw


知識を分析・分類できないんだよな。ここが高卒。
>中世のいろんな事件、記録で仏の怒りやたたりが記されてきてるんだよな
事例を挙げてごらんw
973 [sage] 2018/11/16(金) 17:59:17.14
苦し紛れの言い逃れは見苦しいぞ。
因みに富岡八幡宮の社格は、旧府社、別表神社。

世襲禁止令が出たのは、官国幣社(官幣社、国幣社)までだったみたいだ。

これらの他には、府県社、郷社、村社、その他が有り、これらには世襲禁止令は出なかった様だ。
富岡八幡宮は、府社だから世襲が許されていた。
例えば、湯島神社 / 湯島天満宮も明治5年は郷社で、明治18年に府社に昇格。
虎ノ門の金毘羅宮も府社

鶴岡八幡宮は国幣中社
氷川神社は官幣大社
三峯神社は、郷社から県社に昇格
横浜西区の浅間神社は村社
973 [sage] 2018/11/16(金) 18:10:24.76
宮司も神主も区別がつかない人間が禰宜なんか持ち出すなよ。 禰宜の世襲制なんかの話はしていないだろ。

社家(しゃけ)でWiKi でも検索してみろよ。

社家(しゃけ)とは、日本の身分のひとつ。代々特定神社の神職や社僧の職を世襲してきた家(氏族)のことである。明治維新後、現代まで世襲している神職家のことをいう。
日本@名無史さん [] 2018/11/16(金) 18:42:54.33
とんでもない爺様に取り憑かれちゃったなw
学問やってないから知識を分析的に捉えることができない。あなたはその典型

あのねー、官国弊社になること勿論府県社ク社や村社になることは奉幣を受けることなの。
つまり神主は官吏ないし準官吏であって金もらえたのよ。
だからこれまでみたいに単純に子供だから継げるというようなわけにはいきませんよ、
ってことになったの。そういう意味の世襲禁止。
子供はなれませんというわけではない。
役所の吏員に、吏員の子供だからなれるってわけではないでしょ。でも採用試験に
通れば問題ないでしょ。それと同じだよ。役所が関与するの、自動的にってわけには
いきませんよってこと。

子供だから継げないわけではない、というのをあなたは勝手に理解してしまってるのよ。
そしてメチャメチャ興奮して書き込むわけ。餅つけ、って奴だよホントにw

あなたは私が天皇家や千家家でも家系を繋ぐのは難しいといったら、俺んちの
まわりには親族がいっぱい住んでて神主の勉強をしてる奴もいるから断絶は
しない、とか言ってたけどさ。天皇家や千家家と俺んちを並べてる時点で
既に噴飯ものなのよ。
それに皇統を継ぐというようなことは、同じ名字の奴が継げばいいというような
ことではないでしょ。万世一系でしょ。直系で繋がっていくのが原則なのよ。
天皇家でも傍系はあるけどさ。ただ同じ名前の奴が継げばいいというような
ことではない。もう勘弁してくれよ。あんたやだよw
日本@名無史さん [] 2018/11/16(金) 18:46:47.23
禰宜ってのは馬鹿にして言ったんだよ
田舎くさい感じがするだろ。梶井基次郎の小説でも、こどもがバッタつかまえて
禰宜さん禰宜さん、ってやるシーンがあるんだが。
いかにもバッタの顔ってのは祢宜みたいだと書いてあるよ。
あんたもそんな顔してんじゃないの。じゃあね。
973 [sage] 2018/11/16(金) 19:12:32.58
ま、かなり若い勉強中の学生なのかもしれないけど、知識が偏りすぎてるし思い込みが激しすぎ本当の歴史をものすごく曲解している。

先祖探しをしているのに、官幣社国幣社の宮司なんて精々千人そこらへんにの物では? そんなのを持ち出してなんになる。

方やそれ以外の神社は何十万それ以上ありそっちの関係者の方が圧倒的に多いだろ。 相談者もそっちの方に入るし。

神社が明治までなかったなんて片腹痛い。 昔は(明治以前も)
丸々宮とも言ってたし、丸々神社とも言ってたんだよ。 どういう使い分けをしてたのかはよく知らないが。
宮司と神主見たいな関係じゃないのかな。

勝手な想像をすると丸々宮は、天皇家等を祀ってるからお宮様。 その社は神社という様な使い分けではなかったのかと思う。 昔の寄進帳にも両方の記述がある。
寄進先は、大宮司宛。 宮司は神社の全ての権限を持った職階。 神主は祭を行う神職。 なのかな?
973 [sage] 2018/11/16(金) 20:16:34.29
もう一つ、少しおかしな表現はこじつけ過ぎる表現。

> それに皇統を継ぐというようなことは、同じ名字の奴が継げばいいというような
> ことではないでしょ。万世一系でしょ。直系で繋がっていくのが原則なのよ。

うちは少なくとも、今の苗字になってからの子孫は全て直系だよ。 最初に苗字をもらった人から700年も経って日本全国に千人(よくわからないが多くて数千人?)もいなさそうというのが多いのか少ないのか知らないが、断絶する様な状態ではない。
その前の氏は、古事記にも書かれている家系でその氏出身である事は間違いないのだが古事記の人物と血の繋がりがどこまであるのかはわからない。 昔は血の繋がりよりは氏姓だから。

いまだに先祖祭を年1回行ってるし、Facebookには同じ家系用のグループでコミュニケーションを取ってるし。
日本@名無史さん [] 2018/11/16(金) 22:47:51.06
もう神社の話はかんべんしてよ
日本@名無史さん [] 2018/11/16(金) 22:54:57.98
先祖の話してんじゃん
嫌なら読まなきゃいいんだし誰もお前に合わせて書き込む義務はない。
ブーブー文句たれてんじゃねえよボケ
日本@名無史さん [] 2018/11/16(金) 23:13:14.32

先祖探しのエピソード?
日本@名無史さん [] 2018/11/16(金) 23:20:02.54
先祖探しなんかしたってしょうがないって。やめとけ
日本@名無史さん [] 2018/11/16(金) 23:31:47.78
父方の祖母の実家が庄屋と聞いたけど、蔵が幾つあったとか色々話が大袈裟であまり信じてないけど
東北地方は肝煎っていうらしい
日本@名無史さん [] 2018/11/17(土) 01:44:47.49
別に大げさではないと思うよ。 かなり裕福な暮らしをしてた庄屋は多い。 うちの地方の庄屋は藤原氏を名乗ってた。
日本@名無史さん [] 2018/11/17(土) 02:03:03.24
庄屋って年貢を一時的に保管するためにも蔵はたくさん必要じゃなかったのかな。
日本@名無史さん [] 2018/11/17(土) 02:22:37.35
もう庄屋の話はかんべんしてよ
日本@名無史さん [] 2018/11/17(土) 02:27:51.22
わしゃ、鎌倉時代まで墓が遡れる庄屋系の家系じゃけぇのう。
日本@名無史さん [sage] 2018/11/17(土) 03:34:06.87
◆ペテン師・佐藤洋一郎がなぜダメなのか


経年変化や環境変化で短期間のうちに著しく頻度を変えてしまう遺伝子の調査において、
佐藤洋一郎が調査に使ったイネの調査サンプルは、

日本のイネの調査サンプルが稲作が伝わってから800年以上も経ってしまった鍵・唐古遺跡の炭化米、
朝鮮半島のイネの調査サンプルにおいてはいつの時代のイネを使ったのかさえ全く公表していない。

このように調査サンプルから疑わしい、欠陥ありありの、お遊び程度でやったペテン調査での捏造である。

この場合、BC10Cの稲作開始時の最古水田である菜畑遺跡の炭化米とそれ以前の朝鮮の炭化米で
比較調査しない限り、まともな調査結果など得られるはずがない。

ちなみに佐藤洋一郎はこの件で京大考古学陣に全面否定されている。
日本稲作が長江・江南から伝わったなんて言ってる頭のおかしな考古学者など一人もおりません。
日本@名無史さん [] 2018/11/17(土) 10:26:53.81
ここは先祖探しのスレなんで先祖の自慢話とかやめて下さい

基本、先祖が分かった人は用はないです。
先祖探しのエピソードならいいけど
日本@名無史さん [sage] 2018/11/17(土) 11:04:22.55
◆中国の釜



中国では新石器時代には持ち運び可能なコンロに釜を載せた形態の釜竈がみられた[1]。
商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用されていったん衰えた[1]。
釜が再び使用されるようになるのは春秋時代晩期になってからである[1]。
ttp://http://ja.wikipedia.org/wiki/

商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用されていったん衰えた
商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用されていったん衰えた
商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用されていったん衰えた
商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用されていったん衰えた


. 
日本@名無史さん [sage] 2018/11/17(土) 19:17:04.11
神社の話はもうお腹一杯。
日本@名無史さん [sage] 2018/11/17(土) 22:35:31.18
もともとは平氏の落人で、家紋が揚羽蝶だったが室町〜江戸初期あたりに、家紋が丸に橘に変わったと親戚から教えてもらったんだけど

平氏から橘氏の家紋に変わるなんてありえることなの?

苗字は色川
日本@名無史さん [] 2018/11/17(土) 23:28:45.68

家紋なんて自由だよ
日本@名無史さん [] 2018/11/18(日) 05:07:00.90

17の先祖はたぶん惣名主
名主を束ねる名主。名主たちの入れ札で決まることが多かった。

weblio辞書の説明がいいよ。惣代名主となっているけど
惣代名主とは?歴史民俗用語。 読み方:ソウダイナヌシ(soudainanushi)江戸時代、年貢米を
領主の御蔵まで廻漕する際、宰領にあたる村落の代表者。別名 納名主(おさめなぬし)

新田なんかが増えると、そこの名主には大きな蔵などなくて、何ヶ村分もまとめて
受け入れられる蔵を持った名主のところに集めたりした。また山の方にある村々から
船着き場近くや街道筋にある大きな名主のところに集めるなど。

名主の蔵の建設費は村の入り用(公益費)から出てたわけで公共物だった。
入り用としなくても、名主が集めた米から建設費を回収するので同じだった。
私的な蔵との区別がつかない問題もあった。幕末、帳簿の公開を求めて村騒動が
起こるのは惣名主に対しての場合が多い。
こういう名主のところには大きな蔵がいくつもあって当たり前。まあ農林水産省の倉庫みたいな
もんかな。
蔵が主で、名主の家はその付属物みたいなものだった。
日本@名無史さん [sage] 2018/11/18(日) 08:12:52.63
アー タノシーデスネー 長江の鬲!wwww


ttp://http://search.yahoo.co.jp/image/search?p=%E9%95%B7%E6%B1%9F+%E9%AC%B2&ei=UTF-8&fr=top_ga1_sa



アー タノシーデスネー 江南の越式鼎!wwww


ttp://http://search.yahoo.co.jp/image/search?p=%E8%B6%8A%E5%BC%8F%E9%BC%8E&aq=-1&oq=&ei=UTF-8
日本@名無史さん [] 2018/11/18(日) 13:00:30.29
今更だが、スレタイに誤字がある。
誤:先祖探しのエピソードを語る正し血族先祖に限る
正:先祖探しのエピソードを語る但し血族先祖に限る
日本@名無史さん [sage] 2018/11/18(日) 16:39:22.71
うちの地方は年貢おさめるために峠越えしなければなず危険かつコストが嵩む為
途中から市場で売却して金納になってるけど・・・維新後の地租騒動とか鑑みると
珍しい地域だったのかね?
日本@名無史さん [sage] 2018/11/18(日) 16:58:00.32
たいていの地域では、戦国時代後半頃の貨幣混乱期の影響で銭納付から米納付に切り替えられたからなあ
日本@名無史さん [] 2018/11/19(月) 07:45:23.06

釣りかな?まあいいか。回答してやろう。
石代納(こくだいのう)という言葉でググれば分かるが、金納制は別に珍しいことじゃなかった。
年貢というと米だけのように思う人が多いが、畑にも年貢はかけられたのだ。
畑の作物にかけられる年貢は、作物そのもの(現物納、以下物納)と金納だった。
菜っ葉や大根の物納というわけにもいかないだろうから、金納が多かったと思われる。
物納の具体例はあまり知らないが、干し柿を長い串に刺したもの、あるいは何故か蓮根は
物納だったと聞いたことがある。宮崎の干し大根は有名だが、ああいうのは物納にできたか、
あるいはもしかしたら物納のためのものだったのかも知れない。
畑への年貢で金納は普通のことだから、米の代わりに金銭を納める石代納も割合広く行われ
ていた。大和の天領は一国全部金納だった。あと伊予(愛媛)。信州にも多かったようだ。
他のところも具体的に分かるから調べてみるとよい。
なんで奈良は金納だったかというと、まず南半分は山ばかりで米の物納だと不便ということ。
それと国中(くになか、奈良平野)は商品作物の栽培が盛んで商品経済が進んでいた。
麻とか綿とか、みな金になる作物を作っていて、そういうものからの収入で年貢を払ってしまう
方が楽だった。あと、今からは不思議に思えるが、奈良では大量に酒を造っていた。
たぶん京や大坂へ販売していたのだろう。どこも造り酒屋だらけで、こっちに米を売ってそれで
年貢を払うという百姓が多かったという。
伊予で石代納だったのは、銀山の山師による買い占めの結果。
伊予では蜜柑がそうだった。まだ実がならないうちから山師が一山いくらで買ってしまう。
それが米も同じようになった。米は相場があるので、当たれば大儲けできるのである。
稲が青いうちから買い占めてしまう。これを青田買いといった。
日本@名無史さん [] 2018/11/19(月) 07:46:17.26
>維新後の地租騒動とか鑑みると 珍しい地域だったのかね?
失礼だが、地租騒動の理解がちょっと間違ってるかも知れない。
これについては司馬遼太郎があちこちで書いているので、それを信じてしまっている人が多い。
しかし司馬が書いているのは全くの出鱈目である。
百姓たちは金銭を得る手段がなく、にもかかわらず金納を強いられるのが死ぬほど辛かった
というのであるが、上に見たように畑の年貢は金納であったし、田んぼのない山奥の粟や稗ば
かり食べているような村でも金納していたのである。
地租改正に対する反対運動はそんな理由で起きたのではない。
これについては簡単に書くのは困難だが、ざっとこんなところだ。
まず、米の年貢を金納としたときは、その年の収穫を見て村に割り当てられた年貢からさらに
個々の百姓の年貢が決まっていく(村請制度)。
ところが租税ははじめから各人に直接にかかってきて、しかも一律である。
名主たち村役人による調整もない。一部の百姓だけ十分な収穫が得られなかったという場合、
年貢は半分にしてその分は村全体で持つ、というようなことは一切行われない。
田んぼの評価額に応じて3%(のちに2.5%)一律に負担しなければならなくなった。
また、維新前は年貢が払えなくて高利貸しに金を借りて返せず田を取られても、そのまま
耕作でき、しかも借金を返せば買い戻せるという特約があるのが普通だった。
しかし、税金の場合はそうはいかない。払えなければ延滞金、最後は差し押さえである。
さらに、地租だから住居用の土地にもかかる。江戸や京、大坂などの都市部ではともかく、
維新前は田舎の農家の敷地にはかからなかった。
山林にも税金はかかってくる。それまでは山年貢といって山林の収益に応じて支払った。
山を所有しているだけでは一文もかからなかったのである。
日本@名無史さん [] 2018/11/19(月) 07:46:37.31
さらに、地租改正に付随して、「誰のものでもない土地」が無くなってしまった。
皆で利用していた土地が、いい加減な認定で誰かのものになる。
これは腹が立つが、では自分のものになったらいいかというと、税金がかかってくるから
それも困るのである。
所有者の分からない山は官有林になった。いままで慣習的に薪を切り出していたのが
窃盗罪になりかねない。入会権はその後民法で認められたが、範囲が不明確で漸次縮小
していくしかなかった。

おそらく金納に反対する農民など一人もいなかったろう。もし政府が地租改正した後、再び
昔のように米の物納などと言い出したら、全国的な一揆が起きたかもしれない。
仕方がないからやっていたことなのである。年貢納入の費用などを見ると「油紙」というのが
ある。米を運ぶ途中雨が降ったらたいへんなので、米俵に油紙をかけて運んだものだった
らしい。1000年以上こんなことをやって、明治になってようやく解放されたのである。
百姓たちの願いは物納に戻すことではなく、出来高に応じて課税してもらいたいということで
あった。それと村落共同体の維持。名主の蔵には必ず救貧米が積まれていた。救貧米を
用意しておくのは名主の責務だった。維新後はそういうものがいっさい無くなった。
農民たちは誰の庇護もなく、一人で世間と向き合わねばならなくなった。
老人であろうと病弱であろうと、個人の事情などいっさい考慮せず、一律にかかってくる
税の負担に耐えなければならなくなったのである。
34 訂正 [] 2018/11/19(月) 07:57:57.59
× まず、米の年貢を金納としたときは、その年の収穫を見て村に割り当てられた年貢からさらに
個々の百姓の年貢が決まっていく(村請制度)。

↓このように訂正

○ まず、年貢を米で物納していた時代は、その年の収穫を見て村全体の年貢が決まった。
その年貢を基に個々の百姓に年貢が割り付けられていく(村請制度)。
日本@名無史さん [sage] 2018/11/19(月) 15:19:24.51

畑どころか屋敷地にも年貢がかかってるしな
耕作できないのに上田扱いで。
日本@名無史さん [sage] 2018/11/19(月) 15:24:33.88

× 誰のものでもない土地
○ 村の共有地(村有地)
普通、特定の村の住人しか利用できないよ

ときには村同士の話し合いで、複数の村で共同利用することもあるけど、
その場合でも、外部の村の人が利用すると泥棒扱いで処罰だ
日本@名無史さん [sage] 2018/11/19(月) 16:56:14.02
日本の最古水田と同期する中国の稲作遺構から出土するイネは、
中粒種と短粒種が約半々の割合で混交したもの。

ところが、日本の最古水田から出土した日本最古のイネの現物は短粒種のみ。

そして、日本の最古水田と同期する中国の稲作遺構から出土する耕作用農具は、
石耜という石刃のスキと、石鋤という日本には存在しない石刃の除草用農具と、
石犂という石刃の牛耕用の農具、この3つだけ。

ところが、日本の最古水田から出土した日本最古の耕作用農具は、
木製のエブリという地をならす農具と、木製のクワだけ。

石刃が伝わっていない上に、同期する中国と同じ耕作用農具が一つも
伝わっていないのだ。

それどころか、同期する中国には存在しない耕作用農具が日本最古の
耕作用農具として日本の最古水田には伝わってしまっている。

オール木製で。

しかも、鬲や鼎といった、三足や耳の付いた同期する中国系炊飯器も
日本の最古水田には一切伝わっていない。

日本稲作が中国から伝わったというような話は、太陽が西から昇って東に沈むと
言っているのと同じレヴェルの話である。

ちなみに、スキという耕作用農具が伝わったのは、最古水田から200年以上も
経ってからの事で、やはり木製であった。

石犂は5C頃に鉄刃のものが朝鮮経由で伝わるが、石鋤に至っては、木製でさえ
永遠に日本に伝わる事はなかったのである。
日本@名無史さん [] 2018/11/19(月) 20:29:55.65

庄屋の話は勘弁ゆうが、江戸の武士層は逆に江戸以前なんてほとんど遡れないぞ
日本@名無史さん [] 2018/11/19(月) 22:07:46.83

あ〜〜あ、馬鹿だなあw
君ね、維新前の日本は近代的な法体系を持たない国だったということを
押さえないと駄目だよ。近代的所有権概念すら無かったのだ。
百姓が耕している土地でも、上土権とか下土権に代表される、所有権とも制限物権とも
言いかねる摩訶不思議な権利が存在していた。
絶対的所有権、およびそれを制約する制限物権という観念がないので、人々が利用して
いる山林や土地でも「誰のものでもない」土地が存在した。
近代国家としての法体系と租税制度を作りあげようとしている明治国家にとって、入会地と
いうのはそれこそ扱いに窮するような問題だったのだ。

絶対的所有権概念と契約自由の原則が私法の核だ。
誰のものともいえないような土地が存在しては近代国家といえない。
土地は官有地と民有地に分け、それぞれ権利者(権利の帰属主体)を確定しなければ
ならない。その場合、自然の山林などではなく、集落があるようなところはなるべく
民有地にしたい。(明治六年以前は官有地でも民有地でもない公有地というのもあった。
突っ込む馬鹿がいるので一応書いておく。)
そうしないと税金が取れないからだ。また民間で有効に利用することによって国が富む。
だから明治政府は地券を発行して土地所有者を作りだそうとした。
大きな土地は分割して周辺の者を所有者にしてしまうこともあった。
いつのまにか土地所有者となっていて、税金を請求されて目を白黒させる者もいた。
畑にも田んぼにもならないようなところは村の所有地とした。村は公法人で権利主体と
なれる。困ったのはただの集落で、法人格がないから所有者にできない。それで
主立った者数名に分割して帰属させるようなこともあった。
そうやっていっても、近代法体系にマッチしない入会権等は残った。
つづき [] 2018/11/19(月) 22:09:02.21
ところで、君は江戸時代の百姓ぐらいの法知識しか無いようだな。
>○ 村の共有地(村有地)
なんだこれは?? 村有地なら公法人である村が所有権を有する土地だろ。
所有者は村。その村有地が何で「共有地」なんだ? 誰と誰が共有してるの?
頭大丈夫か。
あと、村中入会と村々入会の違いみたいなものを微かでも知ってるのはエライが、
そういう話はここでしてもしょうがないだろ。
おまけに「普通、特定の村の住人しか利用できないよ 」とか言われてもな。
素朴すぎて言葉を失うわ。小学生の作文と思えばいいのか、、、
日本@名無史さん [sage] 2018/11/19(月) 22:50:16.67

明治政府が村を法人と認めなかったからだろ
日本@名無史さん [sage] 2018/11/20(火) 06:00:19.94

すごいなー博学な人がいるから何とか成り立ってるんだね日本史板は
日本@名無史さん [sage] 2018/11/20(火) 18:31:40.63

ちょっとあんたもうざいよ
日本@名無史さん [] 2018/11/21(水) 01:04:40.43
長々とうざいんだけど、いつものやつだろ。 先祖探しと何が関係あるんだ? 自分のうんちくを書くんだったらブログにでもかけよ。
日本@名無史さん [sage] 2018/11/21(水) 01:38:08.35
気になる材料を羅列してみると、


渡来系弥生人骨はコンピュータ形質解析で朝鮮人骨とは一致せず、オロチ、
ギリヤークなどの沿海州の北方民族にかなり近寄った数値を示す人骨。

弥生土器が始まったのは最古水田・菜畑遺跡より50年以上前の山陰あたりで、
その土器は同期する沿海州南部の土器と特徴が一致している。

最古水田はイネの粒種、耕作用農具、炊飯器から考えて、明らかに朝鮮南部の影響で
始まっているのに、その人々はなぜか朝鮮土器を一つも作っていない。


複合的に考えて、まず沿海州あたりから渡来人の渡来があり、渡来後に朝鮮南部から
稲作をパクってきただけのように考えざるを得ない。
日本@名無史さん [] 2018/11/21(水) 01:45:41.98
くだらんこと書くな。 スレチだぞ。 どうしても描きたいならコテハンをつけろ。
この馬鹿たれが
日本@名無史さん [] 2018/11/21(水) 07:04:14.12





あんた一人でスレのレベル下げてるじゃん。消えろや
日本@名無史さん [sage] 2018/11/21(水) 07:15:23.21
何仕切ってんだよ
日本@名無史さん [sage] 2018/11/21(水) 08:26:56.31
日本が1600年前の古墳期にようやく竪穴式住居から抜け出したのに対し、
中国では8000年前にはすでに高床式住居が登場し、早くも竪穴式住居から抜け出していた。

その時代差、約6500年。

その後、中国では6000年前に木骨泥墻が登場し、早くも土壁の住居の時代に入り、
4000年前にはすでに戸建ての時代である。

商周より前の3500年前の王朝では宮殿建築なるものが花開き、2800年前には
瓦が登場し、早くも瓦屋根の戸建ての時代に入るのである。

縄文弥生を通して、日本にはこれら中国の住居が一切伝わっていない。

中国から渡来人があったなんてあり得ないのである。
日本@名無史さん [] 2018/11/21(水) 10:26:07.26
誰の先祖も古族王臣に行き着く
日本@名無史さん [sage] 2018/11/21(水) 12:21:17.94

そのうち三件は俺だが二件は別人だぞ、混同するな
日本@名無史さん [] 2018/11/21(水) 15:00:57.40
コテハンつけなければアホはお前一人だと思われて当然。
日本@名無史さん [sage] 2018/11/21(水) 15:27:24.53
コテハンなんて普通はつけないぞ

現にお前さんもつけてないだろ
日本@名無史さん [] 2018/11/21(水) 15:36:01.99

ここまでの馬鹿はめったに居ないからお前なの
お前に決まったんだよ
文句ゆうな糞が
日本@名無史さん [sage] 2018/11/21(水) 16:47:00.84
 幕末に(庄屋家系の)分家が一橋家の家臣になってるのだが家臣帳みたいの調べれば載ってる?
日本@名無史さん [] 2018/11/21(水) 19:03:50.26

荒木貞夫の家?
日本@名無史さん [] 2018/11/22(木) 05:34:44.67
農民 名主の家の出 一橋家家臣になった



渋沢栄一じゃんw
日本@名無史さん [sage] 2018/11/22(木) 08:43:18.99
長江下流域に龍が伝わったのは約5000年前。



「遼河文明」から伝播したと思われる、約5000年前の長江下流域・良渚(りょうしょ)遺跡の玉龍も、
角と耳がありイノシシの顔だ。

ttp://http://www.seibutsushi.net/blog/2012/01/1238.html


.
日本@名無史さん [] 2018/11/22(木) 21:36:59.00
先祖が仙台城下の米ヶ袋って町に住む下級武士だったらしいんですが、米ヶ袋って下級のしたっぱが住める所だったんですか?
日本@名無史さん [sage] 2018/11/22(木) 22:54:23.24

ウンコ
日本@名無史さん [] 2018/11/24(土) 12:53:40.98

仙台の都市地域の形成過程

ttp://https://www.jstage.jst.go.jp/article/grj1925/44/9/44_9_618/_pdf
日本@名無史さん [sage] 2018/11/24(土) 13:18:37.30
◆中国の釜



中国では新石器時代には持ち運び可能なコンロに釜を載せた形態の釜竈がみられた[1]。
商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用されていったん衰えた[1]。
釜が再び使用されるようになるのは春秋時代晩期になってからである[1]。
ttp://http://ja.wikipedia.org/wiki/

商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用されていったん衰えた
商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用されていったん衰えた
商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用されていったん衰えた
商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用されていったん衰えた


. 
日本@名無史さん [] 2018/11/24(土) 21:17:22.89
ttp://https://famousdna.wiki.fc2.com/wiki/Y%E6%9F%93%E8%89%B2%E4%BD%93O1b2a1a%E7%B3%BB%E7%B5%B1

平安時代後期の武将で、平泉に中尊寺を開基した奥州藤原氏の祖・藤原清衡(Fujiwara no Kiyohira, 1056-1128)のY染色体は、ハプログループO1b2a1a1(O-CTS10145, CTS11723)である(注1)。
これは、奥州藤原氏四代のミイラに対する骨格の調査や、子孫複数名から得られたサンプルの解析結果などによる(注2)。藤原清衡の血液型はAB型。

日本人と朝鮮人に高頻度なハプログループ01b2
ttps://famousdna.wiki.fc2.com/upload_dir/f/famousdna/7fee4634f7cdc782025c165508746982.jpeg
日本@名無史さん [sage] 2018/11/25(日) 10:33:57.96
ttp://https://famousdna.wiki.fc2.com/wiki/Y%E6%9F%93%E8%89%B2%E4%BD%93O1b2%E7%B3%BB%E7%B5%B1

日本人の中で一番多い姓と言われ、東北地方にその大多数が存在する佐藤氏(Sato clan)の男性のY染色体ハプログループを解析した結果、
その殆どがハプログループO1b2(O-P49)の系統に属することが明らかとなった(注1)(注2)。
日本@名無史さん [] 2018/11/27(火) 07:37:48.83

ttp://https://flom-sendai.at.webry.info/201708/article_1.html

藩士といったって武士ばかりじゃなくて職人や餌差、籠かき、
絵師とかいろいろいた。
そういう人達は城近くに住む。
藩士じゃなくて陪臣なら城近くに住む大身の旗本の屋敷の
長屋にいるわけだし。
日本@名無史さん [sage] 2018/11/27(火) 09:02:54.53
気になる材料を羅列してみると、


渡来系弥生人骨はコンピュータ形質解析で朝鮮人骨とは一致せず、オロチ、
ギリヤークなどの沿海州の北方民族にかなり近寄った数値を示す人骨。

弥生土器が始まったのは最古水田・菜畑遺跡より50年以上前の山陰あたりで、
その土器は同期する沿海州南部の土器と特徴が一致している。

最古水田はイネの粒種、耕作用農具、炊飯器から考えて、明らかに朝鮮南部の影響で
始まっているのに、その人々はなぜか朝鮮土器を一つも作っていない。


複合的に考えて、まず沿海州あたりから渡来人の渡来があり、渡来後に朝鮮南部から
稲作をパクってきただけのように考えざるを得ない。
日本@名無史さん [sage] 2018/11/27(火) 11:59:04.17
うぜー
日本@名無史さん [] 2018/11/27(火) 16:14:17.15
乳出しチョゴリの朝鮮人の先祖は奴隷
日本@名無史さん [] 2018/11/28(水) 06:17:48.49

あんたのご先祖は米ヶ袋に住んで下級武士というのだったら御職人だったんじゃないか

米ヶ袋だと鍛冶屋だな

ttp://http://www.city.sendai.jp/waka-katsudo/wakabayashiku/machizukuri/miryoku/shokunin.html

鋳銭という藩の貨幣を造っていたのかも
または鋳造所の下級役人
日本@名無史さん [sage] 2018/11/28(水) 07:44:47.40
造幣局て

紙幣を発行する藩はあるが(藩札、借金みたいなもん。いまの国債証書と同類か)
銭貨の鋳造発行は幕府の専権で、諸藩には許可されてないだろ

密造してる藩があったことは知られてるけどさ
もしかしてそこも密造所があったのか?
日本@名無史さん [] 2018/11/28(水) 08:55:25.15
その前の寛永通宝鋳造開始のときから仙台藩でも寛永通宝の鋳造が認められた。
幕府の許可を得て銅銭や鉄銭が作られた。
(あちこちで作らないと需要に応じることができなかった。)。

享保までは栗原郡の三迫、その後は石巻に銭座があった。
明治の鋳造廃止まで、寛永通宝はずっと仙台領内で作られ続けた。

寛永通宝が発行されて後、幕府は私鋳銭鋳造の禁令を出している。
しかしそれ以前は各藩ごとに自由に作られていた。
もちろん仙台藩でも何種類も作られていたはずである。

天明の大飢饉のときに藩の財政が逼迫し、5年の期限で仙台通宝(仙臺通寳)が作られた。
しかし、仙台通宝はその後江戸にまで流入して使用され混乱を招いているから、いつまで
作られていたのか分からない。
仙台通宝は幕府の許可を得てのことだが、藩が秘密裏に作ったものも少なくないとされる。
薩摩藩のものは有名。

石巻の銭座は幕府の統制が及んでいたはずであるし、寛永通宝鋳造専門の施設だったと
考えられるから、仙台通宝は別の場所で作られたと考えるのが妥当。
すると米ヶ袋ぐらいしかないのではないか。

ところで、断っておくが俺は「鍛冶屋」としか言っていない。そこから鋳造所の御職人ないし
下級役人の可能性は指摘したが、刀鍛冶である可能性はもちろんある。
大きな藩では、お抱えの刀鍛冶がいて領主一族の刀を打った。刀は儀礼や贈答用に
大きな需要があった。いざ籠城となると刀の修理や鏃の鍛造のために鍛冶職人は必要
不可欠であった。だからお城の間近に置いたのである。
日本@名無史さん [sage] 2018/11/28(水) 09:48:14.93
日本が1600年前の古墳期にようやく竪穴式住居から抜け出したのに対し、
中国では8000年前にはすでに高床式住居が登場し、早くも竪穴式住居から抜け出していた。

その時代差、約6500年。

その後、中国では6000年前に木骨泥墻が登場し、早くも土壁の住居の時代に入り、
4000年前にはすでに戸建ての時代である。

商周より前の3500年前の王朝では宮殿建築なるものが花開き、2800年前には
瓦が登場し、早くも瓦屋根の戸建ての時代に入るのである。

縄文弥生を通して、日本にはこれら中国の住居が一切伝わっていない。

中国から渡来人があったなんてあり得ないのである。
日本@名無史さん [] 2018/11/28(水) 14:12:05.02
↑無能
73つづき [] 2018/11/29(木) 02:21:54.95
しょうがない。 に補足。
俺が書いても信頼性ないから本から抜粋するわ
手許に一般向けの本しかないからこれで勘弁
(日本の歴史十三、幕末から明治時代前期 小学館)
P80
「版籍奉還の明治二年七月、職員例が定められて中央政府でも本格的な機構改革が断行された。
太政官のなかに、天皇を補佐し大政を統理する左・右大臣と大納言・参議が置かれた。
いわば内閣である。太政官の下には民部・大蔵・兵部・刑部・宮内・外務の六省と開拓使などが
置かれたが、公議所は諮問機関に近い衆議院に改組された。
しかし、制度・人事・政策がからみ合って、政府内部の対立はさらに複雑化した。
・・・・・中略・・・・・

最大の焦点は大蔵省をめぐる問題だった。関税収入がわずかで財政難の新政府は、太政官札を
四八○○万両も発行したため額面どおりに通用せず、しかも、政府による万延二分判の鋳造、
諸藩による藩札の乱発、悪貨鋳造、太政官札の偽造などがこれに輪をかけた。
悪貨・贋貨は外国人の手に渡ったぶんだけで三○○○万両に達したといわれるが、各国から
ことあるごとに糾弾され、新政府の信頼性さえゆらいでいた。
それでも、外国官副知事として各国公使と折衝していた大隈が財政責任者になり、悪鋳と増刷を
中止し、各地に設立した為替会社・通商会社に太政官札を貸し付けるなど強力な対策を打ち出す
と、しだいに金札が額面どおりに流通しはじめた。
しかし、諸藩の贋札・贋貨をやめさせなければ混乱は続く。廃藩置県は通貨の面からも必要だった。
・・・・・中略・・・・・・
73つづき2 [] 2018/11/29(木) 02:22:14.57
P87
「それでは「ご一新」は民衆の生活に何をもたらしただろうか。
明治二年は長雨と冷夏のために天保以来といわれる凶作で、年貢の半減や全免を余儀なく
される藩が多かった。ところが、政府直轄の府県は違った。たとえば・・・中略・・・・」。
(注:旧幕府の支配地八○○万石の部分を元に新政府は運営されていた。藩領はそのまま。
新政府の直轄地は府県となった。府県では太政官札が通用紙幣だが、各藩では藩札が
主体である。通貨は一元化されていなかった。)。

「割り当てられた太政官札と引き替えに上納した貨幣が、贋金だったとして差し戻されることも
あった。戻された貨幣が自分たちの納入した貨幣かどうかは確認のしようがない。破断処理で
使うこともできず、かわりの正貨を納めなければならない。憤慨した農民たちの抗議が各地で
噴出した。」。
注:太政官は太政官札を発行したが、当初は府県も通貨発行権を認められていた。
神奈川県札(金壱両)などが発行されている。藩はもちろん藩札を発行できた。通貨発行権が
あるので硬貨も作った。幕末の海外との通商開始で小判が大量に流出したため、幕府は
金・銀貨を改鋳し、さらに鉄銭を大量に作った。それまで使われていた真鍮四文銭が鉄銭十二文に
相当することになった。世間では「四文の銭が十二文・・・コノ馬鹿役人」と唱われた。
維新後も各藩はこの鉄銭を真似して作ったのである。
日本@名無史さん [sage] 2018/11/29(木) 07:12:19.24
なげー
日本@名無史さん [] 2018/11/29(木) 08:39:26.59
ついでに、上の御職人のことだけど
米ヶ袋に鍛冶職人が集められていたわけだが、当初は鉄砲鍛冶が多かったんだろうな。
国友あたりから連れてきた職人を家臣にして作らせていたと思われる。
伊達の鉄砲隊の装備は充実していた。
鉄砲を作らなくなると錠前を作ったり家具の蝶番を作ったりした。
鉄砲の銃身は、鉄を薄く伸ばし、一本の鉄棒に巻いて、さらに外側から鍛接して
作る。仙台箪笥に多用される鉄板は、鉄板を叩いて薄く伸ばす技術の応用である。

御駕籠衆というお抱えの駕籠カキもいた。
熊本の人の駕籠町の由来を知っていますか、というブログ
ttp://https://blog.goo.ne.jp/k-yokatoko/e/140fc0d9216ae6a3e79029b0d0f81dba

東京にも巣鴨御駕籠町、小石川御駕籠町というのがあった。
日本@名無史さん [] 2018/11/29(木) 09:35:28.05
自分が真の日本人=ハプログループD1bかどうかを知るためにハプログループを検査して
本当の日本人でなかった場合は国外へ出ていくか日本国内での生殖行為を禁じましょう
女性の方はお父さんのハプログループを調べてください

●日本人のY-DNAハプログループ
【真の日本人】
D1b--日本固有種です 皇室はこのグループに属します 日本が世界をリードする科学技術を持ち
アジアで唯一の先進国なのはこのDNAのおかげです 日本人がノーベル賞を取れるのもD1bだからです  

【偽の日本人】
O1b2-朝鮮民族です 
O2---漢民族です   
C2----モンゴル系民族です 
C1----オーストラロイドです
O1b1--東南アジア人です
O1a---台湾先住民です
N1----ウラル系民族です
Q1--アメリカ先住民です
D1a--チベット系民族です

自分のハプロタイプが調べられる機関
ttp://https://genelife.jp/genesis2.html?_ga=2.118042889.1091383604.1503315419-1291393617.1469780480
ttp://https://genographic.nationalgeographic.com/
ttp://https://www.familytreedna.com/
ttp://https://www.23andme.com/
日本@名無史さん [sage] 2018/11/29(木) 09:36:34.39
投げー
日本@名無史さん [] 2018/11/29(木) 10:27:44.37
硬貨を鋳造できる技術を持つ藩は限られていたが、そういう藩が当たり前に
やったのは鋳直し。
古い銭には割れたり欠けたりしているのが多い。
昔はそういう銭も流通して、使用する人たちが勝手に交換率を決めた。
ヒビが入ってるから普通のビタ銭の半分だとか、欠けが大きいから四分の一だとか。

井原西鶴の世間胸算用にも、お釣りに割れ銭を渡してしまい、大晦日に交換に来た
買い主に渡すちゃんとした小銭が一文もなく、銭がないのがバレて倒産してしまった
大店の話がある。

世間に流通している割れ銭欠け銭は当然藩の御金庫にも入ってくる。
おそらく金納の年貢などから大量に流入してきたと思われるが、そういう割れ銭欠け銭を
鋳直せば銘値で通用するから巨大な利益が図れる。
五枚の割れ銭欠け銭の銀貨で五枚で二枚分の価値しかないものを鋳つぶし、四枚の
銀貨に生まれ変わらせれば銀貨二枚の儲け。費用を差し引いても大きな利益が出るわけ
である。鋳直しが諸藩によって行われたのは記録にある。というか、技術さえあれば当然
誰でもやるだろう。原料となる銭は本物で、かつ銘値を偽らない本物の銭を作り出すだけ
なのだから。
そもそも幕府が外国人との交易による小判流出や財政悪化に苦しみ、悪貨への改鋳を
繰り返し、貨幣への信頼を失わせてしまったのが原因。
幕府自身がなんじゃこれは、というような貨幣ともいえない貨幣を乱発していた。
日本@名無史さん [] 2018/11/29(木) 10:55:39.77
ttp://http://sirakawa.b.la9.jp/Coin/J081.htm
幕府が最初に鉄銭を作り始めたのはけっこう古い時代。
元文四年(1736)
含二水永銭(銅銭)の母銭から作られた含二水永鉄銭。

「万延元年(1860)、幕府は4文銭も鉄に切り替えました。
それを受けて、慶応から明治初年にかけて、水戸、仙台、盛岡、津、会津藩などの雄藩が
鉄の4文銭を大量に生産しました。」

水戸藩は鉄の四文銭を江戸小梅の水戸藩邸内で作っていたと書いてある。歴史5のところ。
小梅というのは向島。隅田公園のところらしい。藩邸の中で鍛冶職人がトテカントテカン
鉄の銭を作ってたんだな。なんて適当なんだろう。

「明治2年(1869)ころまで、生産は続けられました。 逆に、銅の1文銭は鋳潰されて、
「天保通宝」になってゆきました。 1文銭10枚で、100文の天保通宝が1枚できましたから、
作る手間だけで大儲けできます。 水戸、会津、薩摩、長州などの藩が公然とやっていました。」。

勝手に幕府の一文銭を鋳潰して幕府が金座で作る天保通宝を作り出していたんだな。
それを公然とやってるのだからすさまじい。
薩摩・長州などが堂々とやっている。幕府なんか目じゃなかったというのが分かる。
日本@名無史さん [sage] 2018/11/29(木) 12:09:18.81
中国だと南朝の宋あたりだかで鉄銭を作って大インフレを引き起こしてるらしいな
日本@名無史さん [] 2018/11/29(木) 13:43:07.83
バカじゃないのか? 鍛冶屋町でおしまいでいいじゃないか、長々と鋳銭の歴史なんて誰も知りたくもないよ。 自分のブログにでも書き込んでろ。
歴史自慢したいのならそれなりのスレがあるだろ。
スレ違いも良いところ。
日本@名無史さん [sage] 2018/11/29(木) 13:45:25.61
長江下流域に龍が伝わったのは約5000年前。



「遼河文明」から伝播したと思われる、約5000年前の長江下流域・良渚(りょうしょ)遺跡の玉龍も、
角と耳がありイノシシの顔だ。

ttp://http://www.seibutsushi.net/blog/2012/01/1238.html


.
日本@名無史さん [] 2018/11/29(木) 14:54:46.28
O1b2(旧O2b) もO2(旧O3)も元々はバイカル湖あたりから拡散しただけ。

バイカル湖あたりのブリアートに今もちゃんとその痕跡が残っている。

満州にも残っている。

日本には縄文末に沿海州南部経由で、O1b2(旧O2b) 、O2(旧O3)、C3の3つが
山陰に渡来して拡散した。

ttp://file.kojoryoshu83.edoblog.net/48182e96.jpeg
日本@名無史さん [] 2018/11/29(木) 17:00:27.67
こいつはただのアラシだな。 嫌われることが快感なんだろうか?
それなりのスレに行けば褒められるかもしれないのに完全なバカだな。
日本@名無史さん [sage] 2018/11/29(木) 19:03:08.74
池沼なんだよ
日本@名無史さん [] 2018/11/30(金) 01:18:59.80

>バカじゃないのか? 鍛冶屋町でおしまいでいいじゃないか、
バカじゃないのか?鍛冶屋町ってなんだよ。どこの話だ?頭大丈夫か

>長々と鋳銭の歴史なんて誰も知りたくもないよ。 自分のブログにでも書き込んでろ。
誰もお前には書いていない。の質問があったから書いたんじゃないか
興味がないなら読まなければいいだけの話。お前は黙ってろ

>歴史自慢したいのならそれなりのスレがあるだろ。
この程度の話で歴史自慢かよ。高校日本史に毛の生えた程度の知識を自慢する
馬鹿がいるか。自慢に思えるならお前の程度が低すぎるんだろ。

>スレ違いも良いところ。
江戸時代の鋳銭の歴史を追わなければ、果たして米ヶ袋で硬貨が作られていたか
分からないじゃないか。特に幕末、外国との交易がはじまってからの通貨の混乱で
幕府の通貨発行権が揺らいでしまった背景は押さえておかないと、各藩で鋳銭した
事情は把握できない。
一つの町の歴史を辿るのでも、社会的経済的背景の理解が必要ということだ。
米ヶ袋のご先祖の職業を推測しているんだからスレに合致しまくりだろーが。
お前は頭がおかしい。
日本@名無史さん [sage] 2018/11/30(金) 07:18:49.22
やっぱり池沼か
日本@名無史さん [] 2018/11/30(金) 07:56:04.26
↑ お前をワンフレーズ馬鹿と名付けたのでよろしこ
日本@名無史さん [sage] 2018/11/30(金) 11:11:53.76
◆ペテン師・佐藤洋一郎がなぜダメなのか


経年変化や環境変化で短期間のうちに著しく頻度を変えてしまう遺伝子の調査において、
佐藤洋一郎が調査に使ったイネの調査サンプルは、

日本のイネの調査サンプルが稲作が伝わってから800年以上も経ってしまった鍵・唐古遺跡の炭化米、
朝鮮半島のイネの調査サンプルにおいてはいつの時代のイネを使ったのかさえ全く公表していない。

このように調査サンプルから疑わしい、欠陥ありありの、お遊び程度でやったペテン調査での捏造である。

この場合、BC10Cの稲作開始時の最古水田である菜畑遺跡の炭化米とそれ以前の朝鮮の炭化米で
比較調査しない限り、まともな調査結果など得られるはずがない。

ちなみに佐藤洋一郎はこの件で京大考古学陣に全面否定されている。
日本稲作が長江・江南から伝わったなんて言ってる頭のおかしな考古学者など一人もおりません。
日本@名無史さん [] 2018/11/30(金) 11:14:57.11
こちらこそよろしこ
日本@名無史さん [] 2018/11/30(金) 11:15:00.96

母方についても語れ!
日本@名無史さん [sage] 2018/11/30(金) 17:35:40.41
最新の研究で、父親の精子由来のミトコンドリアdnaが遺伝していたという報告があったらしい

ミトコンドリアイヴの学説は覆る可能性があるってよ
日本@名無史さん [sage] 2018/11/30(金) 18:30:46.06
池沼よろしこ
日本@名無史さん [sage] 2018/11/30(金) 18:36:08.06
遺伝子検査で父方のハプロタイプ調べたいけど女だからY染色体がなくて調べられないや
父に協力してもらいたいんだけどどうも言い出せない。。。
日本@名無史さん [sage] 2018/11/30(金) 19:42:42.57

それは言いづらすぎるw
兄か弟がいれば頼んでみたら?
日本@名無史さん [sage] 2018/11/30(金) 20:46:12.38

父ちゃんに甘えろよ
いやとは言わんだろ
日本@名無史さん [sage] 2018/11/30(金) 21:22:41.36
別に「白いアレ」を使うわけじゃないんだから、思いきって頼んでみるべし

たぶん口の中をグリグリする程度でしょ(口の粘膜の細胞を使う)?
日本@名無史さん [sage] 2018/11/30(金) 23:42:53.98
戸籍のことで質問。

5代前の先祖の弟の欄に
「明治28年○○県○○郡○○村、佐藤金太郎の継父トナル」って書いてあったんだけど、継父ってのは結婚とは違うのか?

あとこの佐藤家のこと親戚に聞いたけど誰も知らなかったから、親戚とかじゃなく他人なんだろうけど。
日本@名無史さん [] 2018/12/01(土) 01:15:59.51
普通そんな書き方するかな?
養子の方が後から籍に入るんだから、養子の欄に「○月×日養子トナル」って記載するけど、養父の方は何も書かれなくない?
日本@名無史さん [] 2018/12/01(土) 01:18:48.99
そもそも、戸籍に継父なんて記載あったっけ?
状況よくわからんからもっと詳しく書いてほしいな。
日本@名無史さん [] 2018/12/01(土) 01:37:01.61
図書館で先祖の事を調べていたら、藩士の子が通う学校(藩校)で使われていた教科書に先祖の名前と名字が書かれてあって、これって先祖が公的に名字を名乗っていたっていう理解で正しいですか?
横からごめんなさい
日本@名無史さん [sage] 2018/12/01(土) 08:04:46.12
>>100
コメント読んで勇気を出して父親に頼んでみたらしぶしぶOKしてくれたわw
ありがとう
日本@名無史さん [sage] 2018/12/01(土) 09:18:13.49

それは良かったね
日本@名無史さん [sage] 2018/12/01(土) 10:12:49.62
◆中国の釜



中国では新石器時代には持ち運び可能なコンロに釜を載せた形態の釜竈がみられた[1]。
商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用されていったん衰えた[1]。
釜が再び使用されるようになるのは春秋時代晩期になってからである[1]。
ttp://http://ja.wikipedia.org/wiki/

商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用されていったん衰えた
商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用されていったん衰えた
商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用されていったん衰えた
商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用されていったん衰えた


. 
日本@名無史さん [] 2018/12/01(土) 10:44:31.31
鉄の銭なんて材料はそこいらへんに転がってるし、鍛冶屋なら簡単に作れるし、
偽造しまくりになりそうだし、銘価だけの価値がなくてインフレになるのも当たり前
だろう。鉄銭なんか発行したら、その政体はもう終わりということだな。
と思われるんだが、しかし

不思議なのは江戸幕府が鉄銭を最初に出したのが元文四年(1736)
享保の次の元号で、時は八大将軍吉宗の時代。
そんなに逼迫した時代ではないはずなんだが、なんで鉄銭なんか出したのかな。

「元文金銀」というのがヒントになる。
ブリタニカ国際大百科事典の解説(←コトバンク)
「元文1 (1736) 年,8代将軍徳川吉宗のとき改鋳発行された金銀貨幣。正徳・享保金銀など
良質貨幣の流通によって諸物価が暴落し通用金銀が不足したため,改鋳して質を落し
その数をふやして経済の安定をはかった。」。

なるほど享保の改革によって経済が冷え込んでしまった。
それにプラスして、吉宗の時代に正徳金銀・享保金銀が流通。これは品位が高かったので、
人々は使わずに貯め込んでしまう。金銭の流通量が少なくなり、経済規模は小さくなる。
運上も減り、金納の年貢も実質目減りする。
そこで正徳・享保金銀を改鋳して品位を落とした元文金銀を発行した。
出目(改鋳差益)によって幕府も儲かるという仕組み。
日本@名無史さん [] 2018/12/01(土) 10:45:42.58
鉄の銭が発行されたのもこの延長線上のことだったのか。
さらに、民衆が小さな取引を商品の交換ではなく銭を使って行うようになり、いわゆる小銭
に対する需要が発生したことも確かだろう。
万延以降の苦し紛れの鉄銭発行とは異なるわけだ。

価値の低い通貨を流通させて景気を刺激しようというのは、アベノミクスのインフレターゲット
みたいなものだな。
当時は中央銀行がなかったから、公定歩合の上げ下げによる調整が出来ないものな。
しかし、実際上はこの経済政策は失敗だったと言われているけどな。
アベノミクスも大丈夫かな。
悪銭発行政策の結末については今回は触れない。
が泣いて書いてくれと頼むのなら書いてやるぞ
日本@名無史さん [sage] 2018/12/01(土) 11:22:36.06


一応プライバシーのために黒塗りしとくがこんな感じ。

五代前の先祖は長女が家を継いで、この弟は他家に継父として行った。

婿養子や養子や分家とはまた違うのかなと思って。


ttps://i.imgur.com/cifD2A4.jpg
日本@名無史さん [] 2018/12/01(土) 14:33:16.88
その場合は多分、継父となった子の両親が亡くなっててその子の養育を面倒見るために(その子に財産は受け継がれてるけど)継父となったんじゃないの?

不思議ではなさそう。
日本@名無史さん [] 2018/12/01(土) 14:36:34.60
そう言えば戸籍調べをしてた時にうちの戸籍の一時期、従兄弟が戸主になってた。 理由も何も解らないから深く考えていなかったけど。
日本@名無史さん [] 2018/12/01(土) 16:54:58.12
【日本人はサマリア人】 日ユ同祖論、もう証明完了って感じ、ようやく月刊ムーに科学が追いついてきた
ttp://rosie.5ch.net/test/read.cgi/liveplus/1543029282/l50
ムー編集長 UFO「存在する」「自衛隊は隠してる」「米国は正体を知ってる」「生きているうちに分かる」
ttp://rosie.5ch.net/test/read.cgi/liveplus/1543627498/l50
日本@名無史さん [sage] 2018/12/02(日) 16:22:31.52

ウンコ食べてるよね?あんた。
日本@名無史さん [] 2018/12/03(月) 06:37:10.79

口が肛門だよね?あんた。
日本@名無史さん [sage] 2018/12/03(月) 13:09:19.06
日本の最古水田と同期する中国の稲作遺構から出土するイネは、
中粒種と短粒種が約半々の割合で混交したもの。

ところが、日本の最古水田から出土した日本最古のイネの現物は短粒種のみ。

そして、日本の最古水田と同期する中国の稲作遺構から出土する耕作用農具は、
石耜という石刃のスキと、石鋤という日本には存在しない石刃の除草用農具と、
石犂という石刃の牛耕用の農具、この3つだけ。

ところが、日本の最古水田から出土した日本最古の耕作用農具は、
木製のエブリという地をならす農具と、木製のクワだけ。

石刃が伝わっていない上に、同期する中国と同じ耕作用農具が一つも
伝わっていないのだ。

それどころか、同期する中国には存在しない耕作用農具が日本最古の
耕作用農具として日本の最古水田には伝わってしまっている。

オール木製で。

しかも、鬲や鼎といった、三足や耳の付いた同期する中国系炊飯器も
日本の最古水田には一切伝わっていない。

日本稲作が中国から伝わったというような話は、太陽が西から昇って東に沈むと
言っているのと同じレヴェルの話である。

ちなみに、スキという耕作用農具が伝わったのは、最古水田から200年以上も
経ってからの事で、やはり木製であった。

石犂は5C頃に鉄刃のものが朝鮮経由で伝わるが、石鋤に至っては、木製でさえ
永遠に日本に伝わる事はなかったのである。
日本@名無史さん [sage] 2018/12/04(火) 18:03:32.51
肛門さま
日本@名無史さん [] 2018/12/08(土) 14:12:10.92
それが俺の先祖探しの役に立つとは思えないんだが? いい加減うざい。 失せろ、‼
日本@名無史さん [sage] 2018/12/08(土) 15:01:27.52
◆中国の釜



中国では新石器時代には持ち運び可能なコンロに釜を載せた形態の釜竈がみられた[1]。
商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用されていったん衰えた[1]。
釜が再び使用されるようになるのは春秋時代晩期になってからである[1]。
ttp://http://ja.wikipedia.org/wiki/

商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用されていったん衰えた
商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用されていったん衰えた
商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用されていったん衰えた
商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用されていったん衰えた


. 
日本@名無史さん [] 2018/12/08(土) 16:01:17.41
俺は何にもしていないのにお前のスレは自動であぼーんになってるぞ。 コピペあぼーん だって。
やはりお前はこのスレを荒らしてるだけのつまらないやつなんだな。
家の外に出て働け。 先祖の繋がりよりも周りの繋がりは重要だぞ。
日本@名無史さん [sage] 2018/12/15(土) 15:27:05.21
とりあえず五代前の先祖までわかったけど
それより前は戸籍がなかったから遡れそうにないな
日本@名無史さん [] 2018/12/16(日) 13:00:42.77
自分の苗字も珍しいんだけど、戸籍を調べると江戸末期に近所からこれも珍しい苗字から入り婿に入ってきたことがわかった。
どちらの苗字もその地域にだけ多く存在している。 日本全体には殆ど分布していない。

入り婿に入ってきた方の苗字の由来を調べたいんだけどどうしたら良いかわからない。
ネットで調べると江戸末期はどうも農家だったみたいだが、平家の落人とか有名な人が左遷された時に随伴してきて家臣だったとかの話がぽちぽちあるくらい。
かなり珍しい苗字なのでそれなりの由来が残ってても良いと思うけど、何百年も経つと余程の家でないと由来も忘れられていくのかな。
日本@名無史さん [] 2018/12/16(日) 13:27:51.02
悲しいけど戸籍の電子化は100年で処分される。戸籍は「紙」でもて。
でもいまの紙は100年でボロボロになるから注意。
日本@名無史さん [sage] 2018/12/16(日) 16:08:10.71
アー タノシーデスネー 長江の鬲!wwww


ttp://http://search.yahoo.co.jp/image/search?p=%E9%95%B7%E6%B1%9F+%E9%AC%B2&ei=UTF-8&fr=top_ga1_sa



アー タノシーデスネー 江南の越式鼎!wwww


ttp://http://search.yahoo.co.jp/image/search?p=%E8%B6%8A%E5%BC%8F%E9%BC%8E&aq=-1&oq=&ei=UTF-8
日本@名無史さん [] 2018/12/17(月) 00:57:43.93

え!?法改正で150年じゃないの?
日本@名無史さん [] 2018/12/17(月) 08:21:19.32
多分永久保存されることになると思うぞ。 記憶装置の価格なんて安いもの。
日本@名無史さん [sage] 2018/12/17(月) 08:29:55.54
日本の最古水田と同期する中国の稲作遺構から出土するイネは、
中粒種と短粒種が約半々の割合で混交したもの。

ところが、日本の最古水田から出土した日本最古のイネの現物は短粒種のみ。

そして、日本の最古水田と同期する中国の稲作遺構から出土する耕作用農具は、
石耜という石刃のスキと、石鋤という日本には存在しない石刃の除草用農具と、
石犂という石刃の牛耕用の農具、この3つだけ。

ところが、日本の最古水田から出土した日本最古の耕作用農具は、
木製のエブリという地をならす農具と、木製のクワだけ。

石刃が伝わっていない上に、同期する中国と同じ耕作用農具が一つも
伝わっていないのだ。

それどころか、同期する中国には存在しない耕作用農具が日本最古の
耕作用農具として日本の最古水田には伝わってしまっている。

オール木製で。

しかも、鬲や鼎といった、三足や耳の付いた同期する中国系炊飯器も
日本の最古水田には一切伝わっていない。

日本稲作が中国から伝わったというような話は、太陽が西から昇って東に沈むと
言っているのと同じレヴェルの話である。

ちなみに、スキという耕作用農具が伝わったのは、最古水田から200年以上も
経ってからの事で、やはり木製であった。

石犂は5C頃に鉄刃のものが朝鮮経由で伝わるが、石鋤に至っては、木製でさえ
永遠に日本に伝わる事はなかったのである。
日本@名無史さん [sage] 2018/12/17(月) 20:09:22.97
戸籍だけで8代前の名前までわかった
墓と過去帳には7代前までしか書かれてないのに…
日本@名無史さん [sage] 2018/12/17(月) 20:28:00.86
偽戸籍
日本@名無史さん [] 2018/12/17(月) 21:32:35.92

えらい出産年齢が低い家系とか?
日本@名無史さん [] 2018/12/17(月) 23:39:09.64
公家を除けば桓武平氏、清和源氏流れの旧藩主家や東日本の豪農筋が最旧家なんだからもう良いんじゃないの。
日本@名無史さん [] 2018/12/18(火) 01:30:31.39
何がもういいのかな? 自分たちの先祖を辿る話だぞ。 人の家系なんか関係ない。
日本@名無史さん [sage] 2018/12/18(火) 01:35:08.52

確かに低いな、東北だからだろうか。
戸籍を見ると6代前の先祖は、子供を12歳で生んだことになってる…
少し疑ってるが


明治19年式戸籍は6代前が戸主になっていて、7代前が100歳近くまで生きたもんで、隠居してその戸籍に入ってる。
その右の小さいところに8代前の名前が書いてあった
日本@名無史さん [] 2018/12/18(火) 01:35:40.65

戸籍が出来たのがひいひい爺さんの時で
その時そのひいひい爺さんのひい爺さんが生きていれば
あり得る話
日本@名無史さん [sage] 2018/12/18(火) 08:18:52.12
気になる材料を羅列してみると、


渡来系弥生人骨はコンピュータ形質解析で朝鮮人骨とは一致せず、オロチ、
ギリヤークなどの沿海州の北方民族にかなり近寄った数値を示す人骨。

弥生土器が始まったのは最古水田・菜畑遺跡より50年以上前の山陰あたりで、
その土器は同期する沿海州南部の土器と特徴が一致している。

最古水田はイネの粒種、耕作用農具、炊飯器から考えて、明らかに朝鮮南部の影響で
始まっているのに、その人々はなぜか朝鮮土器を一つも作っていない。


複合的に考えて、まず沿海州あたりから渡来人の渡来があり、渡来後に朝鮮南部から
稲作をパクってきただけのように考えざるを得ない。
日本@名無史さん [] 2018/12/18(火) 09:58:52.96

結局、先祖に仮託して自己肯定感や自慢云々になっちゃてるだろ。
会ったこともない育ててもらったこともない高祖父母以前等はそれこそ良いんじゃないの。
それ以前は「皆の先祖」で良いと思うぞ。
日本@名無史さん [] 2018/12/18(火) 12:54:12.41

明治5年に戸籍ができた時に生存していた人は全員戸籍を作っているのだから
8代前が載っているのはそれほどおかしくない
明治5年から現在まで145年間
当時55歳の人なら200年前に生まれた人ということだし
日本@名無史さん [] 2018/12/18(火) 13:28:07.01
何が良いのかわからんな、少しでも遡って先祖の生活がわかれば、少しは参考になることも出てくるだろう。
直接の血の繋がりがなくても家系の伝承、地域の事柄など、わかればわかるほど楽しいものだぞ。

殆どの人は戸籍調べ段階で終わってしまうけど、過去帳とか調べられればまた面白い結果が出てくるかも。

みんなの先祖なんてありえないだろ。 自分の先祖が直接わからなくても、その土地土地が持つ歴史は違う。

縄文人くらいになればみんなの先祖といっても良いけど。
日本@名無史さん [sage] 2018/12/18(火) 13:45:46.46
自分の場合孫の代まで数えると全部で8代が判った。自分から上は自分を含めて6代になる。
祖父が明治4年(1871年)生まれ
曽祖父が弘化3年(1846年)生まれ 明治2年に入り婿として高祖父の養子として入籍。高祖父の娘と結婚
高祖父が文政8年(1826年)生まれ
高曽祖父は名前は判っているが生まれた年は判らない。1700年代終わりころだろう。

これは現代の戸籍を役所から取り寄せただけでここまでわかった。
日本@名無史さん [] 2018/12/18(火) 14:20:15.39

土地土地ってジモティか?
いくら代々地元先祖多くても5代も遡ったら他所出身や全国散らばった子孫ばっかりだろ。
生身で知る事の多い祖父母が同じく生身で知ってる高祖父母が分かる場合は実感持ってルーツに感謝もあるだろうが、
あちこちのいろんな人々の先祖で良いと思うぞ。
皇族の本来の4、5世孫制限も適当じゃなくそこらの本能的なものがあると思うぞ。
日本@名無史さん [sage] 2018/12/18(火) 14:33:51.77
高祖父は明治39年に亡くなっているから、戸籍に登録されてて当然なんだろうな。
日本@名無史さん [sage] 2018/12/18(火) 14:35:01.78
 人それぞれの楽しみだからほっとけや。 やることのない暇人の趣味だし。
日本@名無史さん [sage] 2018/12/18(火) 15:06:02.25
俺は今東京に出てきてるけど、本籍のある田舎は同じ苗字だらけだぞ。 とはいっても数十世帯だろうが。
結婚相手も祖父以上上は皆隣村からもらってる。
唯一俺の親父が田舎を離れてたからそこで遠くの地のおふくろと出会ったのが例外。 
親父たちが戦後引き上げてきて本籍地で俺を生んだから俺も本籍はそこ

俺の世代以降は自分の子供たちは色んな土地の人間と結びついてるが。
しかし自分の苗字はほとんど全国には散らばっていない。 増えたとはいえ東京には自分を含めて2~3世帯だろう。

結婚相手の人達の番地を調べると現在もその土地に同じ苗字の人が住んでいる。 いつかその辺りを旅してみようという新たな楽しみも増える。
何故か相手の苗字も珍しい苗字ばかり。 日本でも古い時代からたびたび記録に登場する地だからかもしれないけど
日本@名無史さん [] 2018/12/18(火) 15:42:28.54
商家か農家かはともかく江戸期の墓や菩提寺もあるなら苗字の先祖が開発名主なんでしょ。
室町以前まで遡れそうなら日本人ほとんど該当する源平藤でも由緒は辿れそうな家という事で。
日本@名無史さん [sage] 2018/12/18(火) 15:42:37.54
調べてみると戸籍には俺の生まれた本籍地で祖父まで生まれてるから多分代々そこに住んでいたんだろう。
本家の住まいとは100mも離れていない。 今は本籍地の地番がなくなっているのでこの辺りだろうという位しかわからないが。
日本@名無史さん [] 2018/12/18(火) 16:13:00.62
だから戸籍家系で江戸後半まで遡れるか、更に室町以前まで菩提寺記録、伝承あるかで大部推測できるよね。
珍しい苗字は推測も楽だろうけど、広がってなければ分家筋がことごとく子孫恵まれなかったか、江戸、明治の移入先祖か、という事かな。
日本@名無史さん [sage] 2018/12/18(火) 18:03:43.80
気になる材料を羅列してみると、


渡来系弥生人骨はコンピュータ形質解析で朝鮮人骨とは一致せず、オロチ、
ギリヤークなどの沿海州の北方民族にかなり近寄った数値を示す人骨。

弥生土器が始まったのは最古水田・菜畑遺跡より50年以上前の山陰あたりで、
その土器は同期する沿海州南部の土器と特徴が一致している。

最古水田はイネの粒種、耕作用農具、炊飯器から考えて、明らかに朝鮮南部の影響で
始まっているのに、その人々はなぜか朝鮮土器を一つも作っていない。


複合的に考えて、まず沿海州あたりから渡来人の渡来があり、渡来後に朝鮮南部から
稲作をパクってきただけのように考えざるを得ない。
日本@名無史さん [] 2018/12/18(火) 18:08:55.91
面白い事を思い出した。 うちの苗字は戦前までは旧漢字を使っていたんだけど、戦後当用漢字ができてから、戸籍に登録するのは当用漢字以外まかりならんとかで当用漢字になった。

江戸時代の人まで全て当用漢字になってるのは、戦後戸籍を作り変えた証拠。
日本@名無史さん [] 2018/12/18(火) 18:36:16.13
戸籍に旧字のままなのは許されてたみたいだね。 うちの場合は本家からのお達しで全ての戸籍を書き換えたようだ。
だから、旧字を使ってる同じ苗字は見た事ない。
日本@名無史さん [sage] 2018/12/18(火) 19:01:19.37
高祖母は、旧姓が嶋津で家紋は丸に十文字。

もしやと思ったが、あの有名な薩摩の島津とは一切関係ないらしい。

少し期待したのに残念…
まあ東北地方だし関係あるわけ無いか
日本@名無史さん [] 2018/12/18(火) 19:17:29.66
うちの先祖の話を探してる時に、先祖のある人が薩摩や伊勢を号として名乗ってたことがあるらしい。
当然関係の無い藩に勤めてたんだが。 何でか判らないが頼まれてその藩出身の後見人とかやってたのかなと勝手に想像してる。
日本@名無史さん [] 2018/12/18(火) 20:58:49.76

出産が早い+早産家系か。同じ年数でも他の人らよりギュッと詰まってる訳ね。

12歳で出産は男性?女性ならありえるよ。私の高祖母は11歳半で初産して9人生んでる。
私もはじめは誕生日記載ミスかと疑ったが、末っ子を43歳で生んでるから、生物学的にそれより年上はまずあり得ないかと合点。
日本@名無史さん [] 2018/12/18(火) 21:03:57.21
海外の戸籍制度ってどんなんだろうね。
例えば、イギリス、アメリカとか
日本@名無史さん [] 2018/12/18(火) 21:07:28.62
アメリカは多民族国家だから結構家系探しが流行ってるみたいね。
自分もいくつかfamily tree みたいな家系図作成のソフトを試してみたけど、なんかイマイチだった。
今はExcelで自分なりに作ってる。
日本@名無史さん [sage] 2018/12/18(火) 22:16:17.21

戸籍があるのは、今では日本と台湾だけだよ

その他の国は個人単位での登録か、出生や結婚などの事件別の登録になってる。

あ、ドイツだけは例外で家族簿というのがあるとは聞いたことあるな
日本@名無史さん [sage] 2018/12/18(火) 22:38:19.71

それが夫婦揃って12歳なんだよ。
どっちも天保10年生まれ。
んでその子供が嘉永4年生まれだから12歳であってるよね?

書き間違いかと思ったけど真相はわからない。
日本@名無史さん [] 2018/12/18(火) 22:38:46.53
何の番組か忘れたが、レディー・ガガの先祖のイタリアからアメリカへの渡航証明みたいなん見たぞ。
日本@名無史さん [] 2018/12/18(火) 22:45:57.48

それ、竹下登の親父みたいに、旦那が知らない内に旦那の親父が妻に手を付けてたパターンでは!?
それか、生まれて何年かしてから届け出を提出したから内容が適当なパターン。
日本@名無史さん [] 2018/12/18(火) 22:49:50.20
明治4年の壬申戸籍は画期的なものだったらしいね。
この戸籍登録で当時の日本の人口が、3311万人だと判ったとか。

その前の江戸時代が、宗門人別改帳とか。 そんなのどこに行ったら調べられるんだろう?
日本@名無史さん [sage] 2018/12/18(火) 22:50:04.12
気になる材料を羅列してみると、


渡来系弥生人骨はコンピュータ形質解析で朝鮮人骨とは一致せず、オロチ、
ギリヤークなどの沿海州の北方民族にかなり近寄った数値を示す人骨。

弥生土器が始まったのは最古水田・菜畑遺跡より50年以上前の山陰あたりで、
その土器は同期する沿海州南部の土器と特徴が一致している。

最古水田はイネの粒種、耕作用農具、炊飯器から考えて、明らかに朝鮮南部の影響で
始まっているのに、その人々はなぜか朝鮮土器を一つも作っていない。


複合的に考えて、まず沿海州あたりから渡来人の渡来があり、渡来後に朝鮮南部から
稲作をパクってきただけのように考えざるを得ない。
日本@名無史さん [sage] 2018/12/18(火) 23:08:17.31

俺の先祖の村の宗門人別改帳は、活字化されて図書館においてあったよ。
他の村のは無かったから運が良かったのかも。おかげでかなり助かった
日本@名無史さん [] 2018/12/18(火) 23:16:33.45
活字化ってやっててサービス精神旺盛だなw
すごい強運!
日本@名無史さん [] 2018/12/19(水) 01:30:34.08
宗門人別開帳って初めて聞いたから、出身地の県の資料を探ってたら庄屋の保存文書の説明の中に、宗門御改人別帳 なるものがあるらしい。
似たようなものなのかな?
日本@名無史さん [] 2018/12/19(水) 01:53:53.76
その庄屋の文書の説明の中に、産土神社は xxx だったと書いてある。
読み方も知らなかったが、うぶすな神社と読むらしい。 要は土地の守り神という意味らしいが。

俺の生まれもその神社のすぐそばだったから何か見つかるかも。
神社の名前は出てくるが寺の名前は出てこない。 宗門人別改帳なんて名前はなんとなく寺が管理してたみたいな気がするが、神社や庄屋が管理してたこともあるのかな?
日本@名無史さん [sage] 2018/12/19(水) 08:01:56.83

同じだよ、地域によって呼び方は違う。
仙台藩では高人数御改帳という名前だよ
日本@名無史さん [sage] 2018/12/19(水) 08:09:13.26

その可能性はゼロではないが、基本的には庄屋が保管だよ。

氏神に行って、寄進帳があれば見てみるといいよ
日本@名無史さん [sage] 2018/12/19(水) 08:41:21.81
日本が1600年前の古墳期にようやく竪穴式住居から抜け出したのに対し、
中国では8000年前にはすでに高床式住居が登場し、早くも竪穴式住居から抜け出していた。

その時代差、約6500年。

その後、中国では6000年前に木骨泥墻が登場し、早くも土壁の住居の時代に入り、
4000年前にはすでに戸建ての時代である。

商周より前の3500年前の王朝では宮殿建築なるものが花開き、2800年前には
瓦が登場し、早くも瓦屋根の戸建ての時代に入るのである。

縄文弥生を通して、日本にはこれら中国の住居が一切伝わっていない。

中国から渡来人があったなんてあり得ないのである。
日本@名無史さん [sage] 2018/12/19(水) 17:29:35.62
地方紙の死亡広告(お悔やみ欄)で先祖何人か見つけた

河北新報は明治時代から発刊されてるから結構古い先祖のもあったわ
マイクロフィルムだったから苦労したけど。

さすがに朝日や読売みたいな全国紙には載ってなかった
日本@名無史さん [sage] 2018/12/19(水) 19:26:38.92
俺も図書館で、戦国時代の先祖とその足跡見つけた。
日本@名無史さん [] 2018/12/19(水) 19:35:15.46
明治150年
ttps://i.imgur.com/5sSNidY.jpg
ttps://i.imgur.com/3y8IO3P.jpg


今年は明治から数えて150年目。ま、この位までは誰でも調べられるのは面白いね。
日本@名無史さん [] 2018/12/21(金) 09:04:43.28
貧乏人の系図話


貧乏人の系図話. びんぼうにんのけいずばなし. 以前は盛んだったのだが、と
先祖の系図話をするのが貧乏人である。
祖先の自慢をして自分を飾る。
その愚かさかげんを皮肉っていう言葉。
〔類〕賤(いや)しい者の系図調(けいずしら)べ
日本@名無史さん [] 2018/12/21(金) 09:12:21.91
本当に他のスレにも書いたことがあるんだけど



宇宙(☆でも可)〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜直系に系図なんて必要無いだろう
日本@名無史さん [] 2018/12/21(金) 09:15:46.25
この宇宙(☆でも何)の家を先祖に持ってきたり、
無理に繋げたり・・・

いつ頃の話になるのか知らないけど、
宇宙(☆でも良い)の家について、あさったり、調べたりしたのがいるのかな
日本@名無史さん [sage] 2018/12/21(金) 17:20:15.23
◆ペテン師・佐藤洋一郎がなぜダメなのか


経年変化や環境変化で短期間のうちに著しく頻度を変えてしまう遺伝子の調査において、
佐藤洋一郎が調査に使ったイネの調査サンプルは、

日本のイネの調査サンプルが稲作が伝わってから800年以上も経ってしまった鍵・唐古遺跡の炭化米、
朝鮮半島のイネの調査サンプルにおいてはいつの時代のイネを使ったのかさえ全く公表していない。

このように調査サンプルから疑わしい、欠陥ありありの、お遊び程度でやったペテン調査での捏造である。

この場合、BC10Cの稲作開始時の最古水田である菜畑遺跡の炭化米とそれ以前の朝鮮の炭化米で
比較調査しない限り、まともな調査結果など得られるはずがない。

ちなみに佐藤洋一郎はこの件で京大考古学陣に全面否定されている。
日本稲作が長江・江南から伝わったなんて言ってる頭のおかしな考古学者など一人もおりません。
日本@名無史さん [] 2018/12/21(金) 18:57:03.31
宇宙まではいかないだろうけど、自分の祖先を探す旅は祖先/日本人がどこから渡ってきたかとかいうのにもつながる楽しい旅だぞ。

そのうちDNA検査が安く一般的になってきて日本全国的なDNA家系図が作られてくるようになればまた違った面白さが出てくると思う。

昔は、日本人の祖先はアンゴロイドと言われてきてたが、最近は父型の遺伝子はインド洋の小さな島に残されている遺伝子に近いとか、おもしろい結果が出てる。
ささっと読み流してるだけだから間違ってるかもしれないが。
日本@名無史さん [] 2018/12/21(金) 19:09:52.95
例え自分の先祖が数世代前しか辿れなかったとしても、何故今の家紋を使ってるのだろうとか調べていくとどんどん調べる範囲が広くなってきて、どこまででも広がっていくよ。

父系家系だけでも結構大変だが、母系家系まで分岐させていくと膨大な枝葉が出てきて老後の暇つぶしにはいいぞ。

俺はまだ母系の方の戸籍調査はしていないが、最近小さい頃に付き合ってた母系親族が自分をFacebook で見つけて連絡してくるようになって、そろそろ母親の戸籍も調べようかと思ってきた。 3〜4親族くらいまでは直接知ってるんだけど。

ま、いくら調べても江戸時代くらいまでしかわからないんだから、なんてことはないんだけど暇つぶしには良い。
日本@名無史さん [sage] 2018/12/21(金) 19:46:48.68

アンゴロイドってモンゴロイドのことでいいのか?
はじめて聞いた言葉なんでビビった
日本@名無史さん [sage] 2018/12/21(金) 19:56:56.71
カス
日本@名無史さん [] 2018/12/22(土) 15:23:20.84
すまん、タイプミス。
アングロサクソンと、モンゴロイドの混血の意味ではないからご安心を。

>> こんな話もある
『Y染色体D系統の分布の謎』(ネットで『Y染色体D系統の分布の謎』と検索すると論文を読むことができます。)
の中に日本の近隣にはないがチベットとアンダマン島と日本人のみが高頻度を示す例があることを知りました。

【人類の移動】〜 縄文人は、インド北東部にいた東アジア人の共通祖先(Y遺伝子Dグループ)から5万年前頃に枝分かれした集団が、3.8万〜2万年前に日本列島に渡った集団

3000年前の縄文人の歯の核ゲノム解析から、縄文人の源流は、東南アジア、北東アジアのいずれかではなく、東アジア人の共通祖先から分岐したことがわかってきた。

そして、Y遺伝子の解析から、東アジア人の共通祖先はY遺伝子「D」グループで、そのDグループは、チベットやアンダマン諸島(インド東部のベンガル湾に浮かぶインドに属する島々)の人と共通祖先をもつことがわかった。(※2015年5月29日NHKテレビ番組リンク)
日本@名無史さん [] 2018/12/22(土) 16:08:31.83

男の縄文人のY染色体も調べてほしい
日本@名無史さん [sage] 2018/12/22(土) 16:14:28.69
◆中国の釜



中国では新石器時代には持ち運び可能なコンロに釜を載せた形態の釜竈がみられた[1]。
商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用されていったん衰えた[1]。
釜が再び使用されるようになるのは春秋時代晩期になってからである[1]。
ttp://http://ja.wikipedia.org/wiki/

商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用されていったん衰えた
商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用されていったん衰えた
商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用されていったん衰えた
商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用されていったん衰えた


. 
日本@名無史さん [sage] 2018/12/29(土) 14:53:05.16
明治の戸籍
戸主の弟夫婦や妹夫婦も1つの戸籍に入ってるだけど、これって一緒に暮らしてるのか?
ちなみに甥姪や叔父叔母も。

それとも本籍が同じだから戸籍に入ってるだけで、実際は別々に暮らしてるの?戸籍に住所の記載ないよね?
日本@名無史さん [] 2019/01/04(金) 01:14:06.44
youは何しにの番組で外国人が、大阪出身の祖母の生まれた場所を探しに来てたが、住所までわかってるのに、戦災で焼けて戸籍が残っていないとか、そんな地域もあるんだな。
日本@名無史さん [] 2019/01/04(金) 04:25:39.20

俺もそれ気になった!
私の婆さんの戸籍は、婆さんを本人とすると、本人および兄弟11人、兄の妻子、父母、祖母、父の弟夫婦、父の弟の子7人。25人が一ッ屋根は無理だよなw

空襲が激しい地方は戸籍残ってないの?生存者から聞き取って復元したりしないのかな?
日本@名無史さん [] 2019/01/04(金) 05:44:30.62
戦災で焼失させないように疎開させていた都市が多いので番組みてて少し引っかかったわ
ネットで検索してみたらあの近辺で同じ名字で商売している店があるみたいなんだけどそれも気づいていないのかと番組関係者の仕事ぶりに疑問を抱いている 
日本@名無史さん [sage] 2019/01/04(金) 12:37:57.32
長江下流域に龍が伝わったのは約5000年前。



「遼河文明」から伝播したと思われる、約5000年前の長江下流域・良渚(りょうしょ)遺跡の玉龍も、
角と耳がありイノシシの顔だ。

ttp://http://www.seibutsushi.net/blog/2012/01/1238.html


.
日本@名無史さん [sage] 2019/01/08(火) 13:03:30.92
について知ってる人いないのか?
俺も少し気になってた
日本@名無史さん [] 2019/01/08(火) 14:10:28.69
ここはホントに馬鹿ばっかしだな。

俺が昔の戸籍(現在の夫婦単位で構成されている戸籍じゃない、いわゆる階段戸籍)
について説明してやってもいいのだが、そうすると長いとかシッタカだとか言うに決まってるわ。
ここを仕切ってるのが嵐みたいな小僧だからな。

馬鹿が集まって永遠に実りのない議論していくんだろうな、このスレは。

お前らは知識に対する謙虚さが無いよ。ほんと馬鹿ばっかし。
日本@名無史さん [sage] 2019/01/08(火) 17:28:14.84

知らねえんだろボケ
日本@名無史さん [sage] 2019/01/08(火) 18:14:54.94
日本の最古水田と同期する中国の稲作遺構から出土するイネは、
中粒種と短粒種が約半々の割合で混交したもの。

ところが、日本の最古水田から出土した日本最古のイネの現物は短粒種のみ。

そして、日本の最古水田と同期する中国の稲作遺構から出土する耕作用農具は、
石耜という石刃のスキと、石鋤という日本には存在しない石刃の除草用農具と、
石犂という石刃の牛耕用の農具、この3つだけ。

ところが、日本の最古水田から出土した日本最古の耕作用農具は、
木製のエブリという地をならす農具と、木製のクワだけ。

石刃が伝わっていない上に、同期する中国と同じ耕作用農具が一つも
伝わっていないのだ。

それどころか、同期する中国には存在しない耕作用農具が日本最古の
耕作用農具として日本の最古水田には伝わってしまっている。

オール木製で。

しかも、鬲や鼎といった、三足や耳の付いた同期する中国系炊飯器も
日本の最古水田には一切伝わっていない。

日本稲作が中国から伝わったというような話は、太陽が西から昇って東に沈むと
言っているのと同じレヴェルの話である。

ちなみに、スキという耕作用農具が伝わったのは、最古水田から200年以上も
経ってからの事で、やはり木製であった。

石犂は5C頃に鉄刃のものが朝鮮経由で伝わるが、石鋤に至っては、木製でさえ
永遠に日本に伝わる事はなかったのである。
日本@名無史さん [] 2019/01/08(火) 21:12:44.77
昔は戸主制度だったから、独立できる力がなければ誰かの戸主の元の戸籍に入ってたんだろう。

うちも一時期いとこの戸籍に入ってたことがあり変だなと思ったことがあった。 多分朝鮮から引き上げてきた時に土地がなかったから従兄弟の戸籍に入ったのだろうと思う。
何年かでぬけてるけど。
日本@名無史さん [] 2019/01/10(木) 00:01:29.18

何?構ってほしいんか?
日本@名無史さん [sage] 2019/01/10(木) 00:07:56.28
気になる材料を羅列してみると、


渡来系弥生人骨はコンピュータ形質解析で朝鮮人骨とは一致せず、オロチ、
ギリヤークなどの沿海州の北方民族にかなり近寄った数値を示す人骨。

弥生土器が始まったのは最古水田・菜畑遺跡より50年以上前の山陰あたりで、
その土器は同期する沿海州南部の土器と特徴が一致している。

最古水田はイネの粒種、耕作用農具、炊飯器から考えて、明らかに朝鮮南部の影響で
始まっているのに、その人々はなぜか朝鮮土器を一つも作っていない。


複合的に考えて、まず沿海州あたりから渡来人の渡来があり、渡来後に朝鮮南部から
稲作をパクってきただけのように考えざるを得ない。
日本@名無史さん [] 2019/01/10(木) 10:18:13.82


先祖の話とか昔の戸籍の話とか嫌がる人いるよな

なんでだろうなwww
日本@名無史さん [sage] 2019/01/10(木) 10:26:14.09
日本が1600年前の古墳期にようやく竪穴式住居から抜け出したのに対し、
中国では8000年前にはすでに高床式住居が登場し、早くも竪穴式住居から抜け出していた。

その時代差、約6500年。

その後、中国では6000年前に木骨泥墻が登場し、早くも土壁の住居の時代に入り、
4000年前にはすでに戸建ての時代である。

商周より前の3500年前の王朝では宮殿建築なるものが花開き、2800年前には
瓦が登場し、早くも瓦屋根の戸建ての時代に入るのである。

縄文弥生を通して、日本にはこれら中国の住居が一切伝わっていない。

中国から渡来人があったなんてあり得ないのである。
日本@名無史さん [] 2019/01/11(金) 23:23:21.56
俺の男系の先祖は源頼兼(源頼政の子)でしゅ
俺の家系は幕末時代に養子同士が結婚して家督相続したので、家系の先祖と血筋の先祖は異なりましゅ
幕末時代のひひひおじいちゃんの先祖が源頼兼でしゅ
幕末時代のひひひおばあちゃんの先祖は藤原の公家の方に辿り着きましゅ
家系の先祖は桓武平氏の鎌倉御家人だったのでしゅが、有力御家人過ぎて没落させられたのでしゅ
家系も、おじいちゃんの実家も、おばあちゃんの実家も、明治維新まで武家の、維新後は士族でしゅた
源氏と平氏と藤原氏の先祖を持っていましゅ
こういう先祖だったため、維新後は、急降下で没落したのでしゅ
具体的には、上級武士ではなく、おじいちゃんの実家は代官とか勤めていたり、
おばあちゃんの実家は城下町の本陣役つまり今でいう市役所みたいな大富豪の廻船問屋をやっていたりして、
家系の先祖は家禄300石の平士だったりなど、中級の武士だったためでしゅ、
いちお上級武士の名簿には連なるかたちで連名されてましゅた
だから農地なんて持っていませんでしゅた
維新後は、おじいちゃんの実家は軍人家系、おばあちゃんの実家は戊辰戦争で全てを藩に持っていかれ没落して絶家今では分家が一族会の宗家を名乗っていましゅ、家系の先祖は商売やったりしましゅた
藩に救済された上級武士や、農地持ってた農家は、あまり変化はなかっただろうと思います
でも、ウチの先祖みたいな中間管理職は、激動だったと思うんでしゅよね
日本@名無史さん [sage] 2019/01/11(金) 23:26:40.94
長江下流域に龍が伝わったのは約5000年前。



「遼河文明」から伝播したと思われる、約5000年前の長江下流域・良渚(りょうしょ)遺跡の玉龍も、
角と耳がありイノシシの顔だ。

ttp://http://www.seibutsushi.net/blog/2012/01/1238.html


.
197 [] 2019/01/11(金) 23:39:30.88
源頼兼って
源氏嫡流だと思うんでしゅ
だって源頼朝とか足利尊氏とかって源頼信の子孫でしょ
庶流じゃん?
源頼光の子孫がやっぱり源氏嫡流だよね
その中でも源頼政の子孫がやっぱり源氏嫡流
そのなかでも源頼兼の子孫がホンマモンの源氏嫡流でしょ
しかも源頼兼の子孫って世の中にあんまいない
おそらく僕の一族くらい
日本@名無史さん [] 2019/01/12(土) 01:36:04.41
名字は源なのか?
日本@名無史さん [] 2019/01/12(土) 01:44:15.36
うち、かなり珍しい名前で、有名人には同じ名前がおらず、ネット検索しても同名の地名がヒットするくらいなのね。
ただ、出身地の歴史なんかを見ると、ほぼ間違いなく平家の落人なの。
平氏の苗字一覧なんかを見れるページとか無いかな?

あと、平家関係者でもただの家臣なら全然関係ない名前だったりするの?
197 [] 2019/01/12(土) 01:44:52.48

苗字は畠山
日本@名無史さん [] 2019/01/12(土) 11:16:53.36
家臣の苗字は全く関係ないよ。
日本@名無史さん [sage] 2019/01/12(土) 11:39:12.23
俺は母方の先祖の苗字が珍しくて、ネット情報だが全国に20人しかいないっぽい
山がついてて平凡なんだが、びっくりした
由来も何もないから明治時代にてきとうに付けたんだろうな
日本@名無史さん [sage] 2019/01/12(土) 11:50:08.92
◆ペテン師・佐藤洋一郎がなぜダメなのか


経年変化や環境変化で短期間のうちに著しく頻度を変えてしまう遺伝子の調査において、
佐藤洋一郎が調査に使ったイネの調査サンプルは、

日本のイネの調査サンプルが稲作が伝わってから800年以上も経ってしまった鍵・唐古遺跡の炭化米、
朝鮮半島のイネの調査サンプルにおいてはいつの時代のイネを使ったのかさえ全く公表していない。

このように調査サンプルから疑わしい、欠陥ありありの、お遊び程度でやったペテン調査での捏造である。

この場合、BC10Cの稲作開始時の最古水田である菜畑遺跡の炭化米とそれ以前の朝鮮の炭化米で
比較調査しない限り、まともな調査結果など得られるはずがない。

ちなみに佐藤洋一郎はこの件で京大考古学陣に全面否定されている。
日本稲作が長江・江南から伝わったなんて言ってる頭のおかしな考古学者など一人もおりません。
日本@名無史さん [sage] 2019/01/12(土) 12:59:24.76
源姓を名乗ってる、源氏一族がいると思ってる人がいて驚き。
藤原家ですら、藤原姓名乗ってる家はひとつも無いのに。
日本@名無史さん [] 2019/01/12(土) 16:28:12.79
ただ旧漢字を使ってたと言う事じゃないの?
日本@名無史さん [sage] 2019/01/12(土) 18:29:37.76

傍流の遠いとこなら新規苗字を得られなかったりで藤原を名乗り続けてた可能性はあるぞ
主要な分家は(もちろん本家もだが)違うけどさ。
日本@名無史さん [sage] 2019/01/12(土) 20:07:27.62

大○山という苗字や
○に入る字も新字体や
日本@名無史さん [sage] 2019/01/13(日) 02:04:10.98

ねーよ
日本@名無史さん [] 2019/01/13(日) 12:40:33.66
清水徳川家が、幕末にいったん清水姓を称して徳川姓に改めたりはしてるから、何らかの理由で、自分の家の名前じゃなくて藤原を称した人がいても不思議はないとは思う。
俺は実例は知らないけどね。
日本@名無史さん [sage] 2019/01/13(日) 14:05:21.86
安藤とか遠藤とか近藤とかの苗字って「安房藤原」「遠江藤原」「近江藤原」を略しただけの、地名苗字じゃない藤原姓のままの苗字だぞ
藤原を名乗り続けた部類の一派だろ

その仲間で冠すら付かないヤツなら藤原苗字で通しただろうに、なんで無いと言い張るんだよ。論拠がないと納得できない案件だぞ
日本@名無史さん [sage] 2019/01/13(日) 17:29:42.90
必死
日本@名無史さん [] 2019/01/16(水) 14:14:33.08
自分の家系が源氏だの平氏だのと信じる人は遺伝子検査受けてみましょう
奇跡的に男系で伝わってたらY染色体ハプログループD1b1a2b1a1が出るはずだ
遺伝子検査スレではD1b1a2b1a1のヤバい家系がたくさん出現して完全に冷温停止状態になった
真実を知る覚悟が出来たらやるが良い
日本@名無史さん [] 2019/01/16(水) 15:01:16.30
自分の名字由来検索してみたら、全国人数約2500人ほどの比較的珍しい?名字だった。
それでルーツが清原氏(天武天皇の皇子舎人親王の子孫)ということだった。
日本@名無史さん [] 2019/01/16(水) 16:01:04.22
あんなのほとんど信用できないよ。 自分の苗字も珍しかったが、あまりにもデタラメが書かれれてたから訂正させた。
人数だって全国400人くらいになってるがそんなに少なくはないはず、少なくとも2〜3倍はないとおかしい。
俺の本籍地に200人くらい住んでるからね。

そんな噂もある土地がある程度のこと。
ただ、そんなに少ない苗字なら何か残ってる可能性は高いが農民だったらほとんど何も残っていないだろう。
全国で一番多い土地が多分ルーツの土地の可能性は高い。
日本@名無史さん [] 2019/01/16(水) 16:30:38.25

また肝心のことは知らないDNA馬鹿か?
家系は遺伝子関係ないだろ。
当然傾向の差はあれどこの誰も混じってるだけの話。
皇統でさえ実際のDNAはどうでも良いのよ、「認められた系譜」が残ってるかどうかよ。
日本@名無史さん [sage] 2019/01/16(水) 17:57:28.37
皇族 D1b1a2b1a1
物部氏 D1b1c1
藤原氏 O1b2a1a1
秦氏 O2a2b1a1a
百済王 C2c1a
豊臣氏 C1a1
日本@名無史さん [] 2019/01/16(水) 18:13:29.98

O2a2a1a1は?
日本@名無史さん [sage] 2019/01/16(水) 18:26:23.02

漢服部氏やね
日本@名無史さん [sage] 2019/01/16(水) 18:30:31.43
細川護煕(源護煕)近衞忠W(藤原忠W)
日本@名無史さん [sage] 2019/01/16(水) 18:40:00.50

人数が一番多い県に住んでて、
名前の由来となった地名もお隣の県だからあながち間違いでもない気がして…
日本@名無史さん [sage] 2019/01/16(水) 18:58:46.39

男はY染色体がそのまま受け継がれるから関係あるよ
遺伝子検査で全て分かる時代に来てしまった訳か
恐ろしいことだ
日本@名無史さん [sage] 2019/01/16(水) 19:35:45.45
ケツの穴が狭いと源氏、広いと平家
日本@名無史さん [sage] 2019/01/16(水) 19:48:35.81
曽祖父の母親(岐阜県)が全国で300人くらいしかいない比較的珍しい名字なんだけど、その分布が岐阜県と大分県に殆ど集中している
同族の可能性はまあまあ高いと見ているが、調べようもないからなぁ
日本@名無史さん [] 2019/01/16(水) 20:02:51.98
父方、母方の高祖母にそれぞれ希少な姓の人がいる
どちらも全国で30名程度らしいけれどあれって電話番号簿で統計取ってるんだろうから実際はその10倍くらいではないかと思う
日本@名無史さん [sage] 2019/01/16(水) 22:45:52.58

海外のどっかの研究では姓を共有している人は人数が少ないほど同族の遺伝子を持っている比率が高いそうだ(見たものでは数百人で7割〜8割だった)
人数が多くなれば多くなるほど比率も下がるらしい
日本@名無史さん [] 2019/01/16(水) 23:09:14.64

そんなもん大袈裟に研究しなくてもわかるわなw
日本@名無史さん [] 2019/01/17(木) 01:51:19.21
そう、特に最近は電話番号を隠すようになってきてるから全く信用できない。
日本@名無史さん [] 2019/01/17(木) 01:52:03.52
そんなん当たり前だ。
日本@名無史さん [] 2019/01/17(木) 11:58:28.74

だな。
でもそれたいがい僭称(笑)
日本@名無史さん [sage] 2019/01/17(木) 12:26:07.02

分かってない人だから、放置しておきましょうW
日本@名無史さん [sage] 2019/01/17(木) 13:40:40.81

近衞忠大
高祖父:細川護久(熊本藩第12代藩主・藩知事)
高祖父:池田詮政(侯爵、元貴族院議員)
高祖父:近衛篤麿(第3代貴族院議長、第7代学習院院長)
高祖父:毛利高範(子爵、元貴族院議員)
高祖父:明治天皇
高祖母:柳原愛子
高祖父:九条道孝(公爵、元貴族院議員)
高祖父:高木正善(丹南藩第13代藩主)
高祖父:入江為守(元貴族院議員)
曾祖父:細川護立(元貴族院議員)
曾祖父:近衞文麿(元首相)
曾祖母:近衛千代子
曾祖父:大正天皇
曾祖母:貞明皇后
曾祖父:高木正得(昆虫学者、元貴族院議員)
祖父:細川護貞(細川家第17代当主。元内閣総理大臣秘書官)
祖父:三笠宮崇仁親王
祖母:三笠宮妃百合子
伯父:細川護熙(元首相)
父:近衞忠W(近衞家当主。社団法人日本赤十字社社長)
母:近衞ィ子(三笠宮崇仁親王の第1女子)
妻:近衛桂子(旧宮家の久邇朝建(久邇宮朝融王の第2男子、朝建王)長女)
桂子夫人との間に4人の子供がいる。
日本@名無史さん [] 2019/01/17(木) 18:05:06.01
突然何を言いたいんだ? あんたと繋がっていなければ関係ないんじゃ無いの?
しかもそんな浅い歴史で何を自慢したいの?

明治政府の大臣の氏素性はみんなデタラメだぞ。
大事な事はその人間が生きてた時に立てた功績。
自分の生き方の参考にする為に先祖の功績を参考にする事は良いと思うが。
日本@名無史さん [sage] 2019/01/17(木) 18:21:08.77
俺はチンチンに誇りを持っている
日本@名無史さん [] 2019/01/17(木) 18:50:11.90
そうそう、それが本当の誇りだ。
日本@名無史さん [sage] 2019/01/18(金) 18:16:10.79
Thank You!
日本@名無史さん [] 2019/01/18(金) 18:20:50.54

お前も何を言ってるんだ?
日本@名無史さん [sage] 2019/01/18(金) 18:30:25.40
明治の元老の中でも桂太郎と井上馨と西園寺公望は毛並みがいい
日本@名無史さん [sage] 2019/01/18(金) 18:31:02.07
ただ藤原氏の流れで書いただけだと思うの。
日本@名無史さん [sage] 2019/01/18(金) 18:40:29.65
俺のチンチンは源氏譲り
日本@名無史さん [] 2019/01/18(金) 18:52:45.60
しつこいと嫌われる
日本@名無史さん [sage] 2019/01/18(金) 19:13:27.00
Thank you, sucker!
日本@名無史さん [sage] 2019/01/19(土) 14:17:10.67
井上馨調べてみたけど長州藩ぐらいの大藩(中藩かな?)でも100石で名門中級武士
なんだな。
100石だと10町歩だろ?苗字帯刀を許された庄屋のやや規模の大きいほうがいいかもな。

大身旗本や交代寄合ぐらいなら武士の方がよさげだが中下級武士になるぐらいなら帰農して
庄屋をえらぶかもな。
 
日本@名無史さん [sage] 2019/01/19(土) 14:51:44.87
戦国時代と領主が変わってる地域なら庄屋=元大名家や領主の分家 中下級武士=その元大名家の元家臣。
で元家臣が城下町と農村領主(庄屋)のつなぎ役をやる所が多かった。
日本@名無史さん [sage] 2019/01/19(土) 17:11:24.95
また庄屋基地外かよ 皆、相手するなよ
日本@名無史さん [sage] 2019/01/19(土) 17:25:53.13
俺は245だけど庄屋のこと話したのは初めてだぞ
日本@名無史さん [sage] 2019/01/19(土) 17:44:50.94
きっと嫌いなヤツかカタキが庄屋子孫で強い怨みがあるんだろ

庄屋が名家の子孫だと腹が立つからこうして基地外呼ばわりしてる
日本@名無史さん [sage] 2019/01/20(日) 08:20:32.17
庄屋は名家の子孫じゃないよ
先祖が落ちぶれた武士の奴もいるけど、そんなの名家じゃないし
日本@名無史さん [sage] 2019/01/20(日) 13:02:12.20
どーでもええわ
日本@名無史さん [sage] 2019/01/21(月) 12:28:43.40
足軽や小作人の話してもつまらんから上級武士や土豪(庄屋)の話になるんじゃないの?
先祖が小作人や足軽じゃ自慢にならんだろ
日本@名無史さん [sage] 2019/01/21(月) 12:52:42.11

庄屋って元足軽(地侍)の家系だと思ってたんだが違うのか?
日本@名無史さん [sage] 2019/01/21(月) 15:17:53.98

東北では庄屋のこと肝煎っていうんだけど、俺の村の肝煎は士族だったよ。
その人は伊達家の家臣だったが、政宗の指示でうちの村にやってきた。


ちなみに俺の家は完全な農民だが、昔その肝煎の家から嫁をもらったことがあるそうなので、俺の先祖は士族ということでいいよね。
日本@名無史さん [sage] 2019/01/21(月) 20:41:08.72

たいていの庄屋は戦国時代頃の祖先が足軽より高位

なかには富農あがりの庶民出の庄屋もいるが



ところでな。
一般的には、前近代には一般庶民の家は絶家断絶する頻度が高く、それ以外(庄屋に相当する家も含む)は子孫が多くて分家を多く出す傾向があった
つまり、古代豪族の子孫が分家して残ってたりする可能性が高いんだよ

一般庶民でも、それらの分家の分家(略)が零落した子孫の可能性は小さくない。記録がないだけでな。


人の移動が少ない村があったとして、江戸時代はじめに一件だけあった庄屋の子孫が分家を出し続けたら、幕末頃には村の半分ぐらいの家が庄屋の分家の分家(ry になった可能性が高いわけさ
庄屋の子孫ってのは、そういう感じで多数いる。本家の子孫は少ないけどな、分家ならいくらでも。
オレとかも分家だし、ホントに掃いて捨てるほどいるんだよ。
日本@名無史さん [] 2019/01/21(月) 22:27:53.25
関東、東北の庄屋肝いり初代には鎌倉末以降、坂東の源平藤流れの武家が開拓帰農で散らばってるのが多いだろ。
細切れ西日本庄屋や戦国の成りあがり侍とは比べられない。
日本@名無史さん [] 2019/01/21(月) 22:32:42.99
由緒古いというなら公家、名流大名に次いで東日本の庄屋筋、で正しい。
日本@名無史さん [sage] 2019/01/22(火) 11:39:15.15
庄屋になった地侍は騎馬身分ですよ。小作人を数人足軽に従えて出陣と
日本@名無史さん [sage] 2019/01/22(火) 17:35:15.65

うちのオカンの家が正にそれ。
今川氏の地頭だった。

その後、徳川氏が所領安堵の約束を
するとのことで加担。
今もその地に住んでる。
日本@名無史さん [sage] 2019/01/22(火) 19:23:32.13
武士:眼窩が広い 鼻が細い 顎が小さい 細い輪郭 
百姓:眼窩が狭い 鼻が広い 顎が大きい 四角い輪郭

佐藤健のような顔が侍 
寅さんのような顔が百姓
日本@名無史さん [sage] 2019/01/22(火) 19:48:25.23

じゃあ俺は武士の血が濃いんだな
日本@名無史さん [sage] 2019/01/22(火) 20:16:30.01
ほら、庄屋の話になると基地外が沸くんだよ
庄屋こそ真の武士の子孫とか言い出して、いつもの基地外だよ
過去スレ見てみ?
定期的に沸いてるから
日本@名無史さん [sage] 2019/01/22(火) 20:26:49.43
東日本庄屋マン久々に参上したなwwwwww
日本@名無史さん [sage] 2019/01/22(火) 21:33:28.80
まあ、系譜(真偽は不明だが)という点では一般の武士より「上」を自認する
土豪は多いだろうな。
日本@名無史さん [sage] 2019/01/23(水) 10:11:39.30

>>なかには富農あがりの庶民出の庄屋もいるが

少し前違うスレだったかな?で話題になっていたが結論としてはあり得ない
江戸初中期に庄屋に新たに任命された家は大抵、新田開発庄屋だが新田開発
するには膨大な金と人手が必要で、それらを用意できるのは土豪だろうと
 成り上がり百姓ではありえないと
日本@名無史さん [sage] 2019/01/24(木) 00:41:28.65
ほら庄屋基地外がまた来た
日本@名無史さん [sage] 2019/01/24(木) 01:01:12.15
仲良くしなさいよ、ハゲ
日本@名無史さん [sage] 2019/01/24(木) 07:54:14.59
庄屋基地が勝手に沸いてくるから、仲良くしようが無いな
日本@名無史さん [sage] 2019/01/24(木) 13:19:20.93
それでも仲良くしなさいよ、チンポハゲ。
日本@名無史さん [sage] 2019/01/24(木) 14:35:10.02

庄屋には、戦国大名の家臣だったものが多い
日本@名無史さん [sage] 2019/01/24(木) 14:40:08.09
没落した元武士な
日本@名無史さん [sage] 2019/01/24(木) 16:20:08.37
天領になったとこは不幸だろうが藩領なら地元に残って庄屋になるか城下町に行って
中級武士(?)になるかの判断に迫られたのでは?
日本@名無史さん [sage] 2019/01/24(木) 16:37:52.54
庄屋の方が儲かるよ。自分の土地に住めるし。城勤めの武士は貧乏だから嫌。
日本@名無史さん [] 2019/01/24(木) 17:47:58.14
庄屋が裕福であったことは全国的に間違いではないだろうね。
地方の庄屋は余り知らないけど。 地方でも神社の氏子代表は庄屋が多いのでは?

庄屋の屋敷は文化財指定されてるのが多いね。 金があったから当然と言えば当然。
金があったのでは、商人、網元なども入るな。
日本@名無史さん [sage] 2019/01/25(金) 02:54:16.28
それを言うと、弾左衛門の方が庄屋より裕福なんだけどな
日本@名無史さん [sage] 2019/01/25(金) 03:20:12.94
面倒くせえ
日本@名無史さん [] 2019/01/25(金) 05:20:30.32
ハプログループ掲示板
ttp://http://jbbs.shitaraba.net/study/13158/

ハプログループを語るスレ
ttp://http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/13158/1544861532/

Family Tree DNA説明テンプレの一部
ttp://http://dnatestmatome.techblog.jp/archives/14850390.html

祖先遺伝子検査アンケート
ttp://https://docs.google.com/forms/d/e/1FAIpQLScjupLVOiop9oFAKljhTLVvoYCj-cwlp9rvRzY80lOqQW23XA/viewform

質問があったらこちらのスレにどうぞ。
荒らしが居ないのでまともな回答が返ってきます。
管理人さんはYハプログループDだそうです。(確認・許可済)
日本@名無史さん [sage] 2019/01/25(金) 10:37:03.08
アンケートやってみたかったけど男性だけか〜
残念!!
日本@名無史さん [sage] 2019/01/25(金) 10:53:50.27

D1bは中世に武士化した蝦夷が和人をバッサバッサ斬り殺してレイプしまくったから増えた
蛮族だから増えたんだよ 母親はほぼ全て渡来系弥生人だから容姿はモロチョンだけどね
日本@名無史さん [sage] 2019/01/25(金) 11:04:32.15
現代のD1男なんて顔見りゃわかるけどフラットフェイスの弥生顔だからな

逆にエヴェンキ族や朝鮮人に多いC2なんかの方が彫りが深く従来の縄文人骨に近いよ
sage [] 2019/01/25(金) 13:33:16.46
ごく一部の例外を例として出すのは議論としては建設的ではないよ
日本@名無史さん [] 2019/01/25(金) 21:47:56.11

O2は?
日本@名無史さん [sage] 2019/01/25(金) 21:54:56.04
fucker
日本@名無史さん [] 2019/01/25(金) 23:56:56.39

O2は母数が多すぎるせいか割とパターンが多い 
そもそもO2の中でめちゃくちゃサブクレードがあるから一緒くたにできんよ

O1b2は韓国人そのもの 東南アジア人を押しつぶしたようなフラットフェイス
日本@名無史さん [sage] 2019/01/26(土) 00:14:51.47

あっ、でも普通に韓国と日本のO2は見分け付かないからね(笑)
中国人は他民族と混血頻度が高いのか同じO2でもソース顔が結構いる
日本@名無史さん [sage] 2019/01/26(土) 00:21:23.06
まあD1bは良くて出川哲郎みたいな出目金男だよ
あと顎なしが異様に多い 
日本@名無史さん [sage] 2019/01/26(土) 00:53:52.95
いつまで続けるの?そのくだらねー遺伝子ネタ。
日本@名無史さん [] 2019/01/26(土) 19:31:17.11
関東て、豪農庄屋層のがへたな武士より由緒凄いよな
大概鎌倉や室町まで遡れる旧武家だらけだし
日本@名無史さん [sage] 2019/01/26(土) 19:36:39.22

またきたかw
日本@名無史さん [] 2019/01/26(土) 19:46:49.15
庄屋気違いは知らんが、関東の庄屋屋敷とか、本当にすげーぞ
大概、鎌倉からの板東武士の家系がほとんどだし
こういう系の家は茨城や栃木はかなりホットだぞ
この北関東の庄屋の半端なさ分からないのは、住んだことがない知らない奴だからだろうな
日本@名無史さん [] 2019/01/26(土) 19:50:47.72

また来たとかいうか、
ID調べりゃ違うとわかるよ
ただ、庄屋の話でたからしたまでだが、
北関東は小藩多い多いから、藩士が雑魚にしかみえないような屋敷に皆住んでるし、
普通に近所からは佐竹や小山、宇都宮や小田の旧武士団とかの地元武士で郷土歴史で称えられてるし
日本@名無史さん [] 2019/01/26(土) 19:57:10.31
茨城や栃木の庄屋て、関東平野なのに、数少ない小高い丘の上に屋敷が構えてたりしてて、屋敷がその丘一個分とかざらに多いから、
鎌倉や室町期は豪族や開発領主だったのがすぐわかる。
庭には大概樹齢500年以上の大木植わってるし
日本@名無史さん [] 2019/01/26(土) 20:21:20.60
北関東の庄屋は、関東八屋形のエゲツナイ名門大名の旧武士団がなってるから、由緒とかまじすげーし、地元の影響力まじ凄まじい
郷土史とかめちゃ讃えてるよ

冗談抜きに北関東の藩士とは何もかも桁違いのスケールだよ
北関東に住んでりゃわかるはず
日本@名無史さん [] 2019/01/26(土) 20:49:24.46
庄屋とか云うのに憧れ持ってる人種もいるんだね
日本@名無史さん [] 2019/01/26(土) 20:56:50.28
どうなんだろう
庄屋に憧れるやつはいないだろな
だって名前からしてダサいもん
日本@名無史さん [] 2019/01/26(土) 21:16:28.08
北関東は藩が少ないくその上小藩だらけだから、
庄屋の存在感のデカさが半端ないからなあ
とある町は町自体の歴史が平安から続く庄屋の家の歴史くらいしかなく、町の広報にもその庄屋の家の歴史だらけを掲載し、そしてその町の現町長はその30代目がなってるという町すらあるあからな。
美智子妃殿下も群馬の庄屋の出だし、
北関東の庄屋は多分他の地域の人が考えてる百姓としての庄屋とはかなり違う存在感だと思うなあ

庄屋の家も、自分等は関東八屋形の旧武士団だから自分達のが名門意識持ってるし。
日本@名無史さん [sage] 2019/01/26(土) 21:51:05.79
庄屋のステマじゃないかと疑うレベルだな
日本@名無史さん [] 2019/01/26(土) 22:01:17.17
やっぱそう思うよな

ちょっと前、有名になった赤城農林水産大臣がいたが、茨城の結構な屋敷に住む大臣だったが、やはり名主だった。

有名な田中正造も栃木の庄屋だし
福田総理の家も上野国の名主の家だし、
まあ、そこまででなくても北関東では庄屋はいまだに影響力有してるのよ

茨城じゃ、地域の名門とは水戸徳川家は別格だが、
水戸から外れたら庄屋が名門の代表格だからな。
しかもほとんどの庄屋が、佐竹家の旧武士団という由緒を誇りにして言ってくるし
日本@名無史さん [] 2019/01/26(土) 22:31:07.58
因みに武家の名門たる関東八屋形の八家のうち六家が茨城県と栃木に存在し、結城以外のその全てが室町後期から戦国に滅亡してるため、
そこに支えた各武士団はほとんど帰農庄屋になってるし。

さらに、その唯一の結城家は、結城家自体は徳川に乗っ取られたが、結城家当主は水戸藩家老と伊奈の名主に。
水戸藩家老の結城家は水戸藩主暗殺容疑で断絶。
血筋で残ったのは伊奈の名主の結城家のみ。
日本@名無史さん [] 2019/01/26(土) 22:35:42.12
伊奈といっても、茨城県の伊奈の名主だけどね
日本@名無史さん [] 2019/01/26(土) 22:54:38.06
因みに、徳川が詐称した源氏の群馬の世良田氏なんて、この関東八屋形の足元にも及ばないレベルの武家を自称してるに過ぎないわけで、

だもん関東八屋形の旧武士団なんて、徳川が詐称する武士レベルどころじない家臣団が、北関東では皆庄屋なわけだから、
北関東での庄屋は意味合いが他の地域と違うわけよ
日本@名無史さん [] 2019/01/27(日) 00:24:48.43
関東でも明治の地租改正で土地買い集めで大地主となったのもあるから由緒は無い名主も多いね。
あと遡れても戦国成り上がり家臣の帰農もあるしね。
日本@名無史さん [] 2019/01/27(日) 00:37:23.09

南関東はそんなの多いわな
日本@名無史さん [sage] 2019/01/27(日) 10:21:42.61

それは庄屋信者に言えよ

庄屋全部が先祖は武士ではないし裕福でもない
君の議論はおかしい
日本@名無史さん [sage] 2019/01/27(日) 10:23:08.99

また持論展開か

中にはそういう奴もいるだろうが、落ちぶれた武士も多いし、武士以外も多い
特殊な例をさも一般的に言うのは間違いだ
日本@名無史さん [sage] 2019/01/27(日) 10:25:35.77
前スレとか見ても解るが、このスレには定期的に庄屋基地外が沸く
まともに相手はしてられないよ
スルー推奨

庄屋はザコなのが史実
先祖は武士という庄屋でも落ちぶれて庄屋になったとかだからな
日本@名無史さん [sage] 2019/01/27(日) 10:30:22.06
庄屋基地外が沸くとこのスレ過疎るのが面白い
日本@名無史さん [] 2019/01/27(日) 10:58:26.77

中立的に見て、何をもって落ちぶれたと解釈するかにもよるよね
少なくとも、戦国後期から江戸初期、中士程度以上の従属か、庄屋かに選択権はある程度与えられていた地域も多い

関東においてはその選択権はないに等しく帰農だったかもしれないが、それはあくまで従前のレベルに見合うものとしての保証であって、

仮に下士レベルへの底辺への従属なら関東においても、それまでの権利や土地を手放せばなれるはずだが、下士を選んだ旧体制側はいない。
皆帰農を選択してる。

それを当時落ちぶれたという一括した視点で見る見解はいかがなものか?
それは歴史の史実の価値観を歪めるものだよ
日本@名無史さん [] 2019/01/27(日) 11:03:40.42

一方の庄屋は、全国の庄屋とはいっておらず、北関東の庄屋というくくりで比較材料を提示してますけど。
日本@名無史さん [] 2019/01/27(日) 11:15:34.53
お前うざすぎる。大嘘つくな
日本@名無史さん [] 2019/01/27(日) 13:50:24.24

おおうそと決めつけるあんたこそ願望だろ
日本@名無史さん [] 2019/01/27(日) 15:00:12.82
例えば東北の分家一代目だが本家は鎌倉末の坂東平氏というのが、先祖が建てた菩提寺伝承ではっきりはしてるな。
そんな総本家を辿れる家がごろごろ、というよりそれが普通の戦前までの大地主、小地主、自作農、小作農、老舗商家。
西日本だと古い総本家辿るのは逆に難しいんだろ、田舎じゃない流れ者が多いという事で。
日本@名無史さん [sage] 2019/01/27(日) 16:41:57.76
もう、先祖探しのスレ止めたら。揉めるから。
日本@名無史さん [] 2019/01/27(日) 17:43:45.26
自分の先祖探しなら良いが、地元の庄屋を褒めてなんになる。
どうしても続けたいなら、どこどこの庄屋の家系はこうだと言うのをまとめて100個くらいやれや。
1つ2つの特例を出されても煩わしい。
県市別に名前を出してな。
例えば俺の住んでる町の庄屋の素性をお前が語れるのか?
日本@名無史さん [] 2019/01/27(日) 18:26:49.96
もうはっきりしてんだよ、東日本の庄屋は旧封建時代の在地領主層
江戸の一般武士は戦国以前は不明。雑多だらけ、いや、非人階層がかなり流入してたろうな
地元の庄屋を誉めてる訳じゃない。歴史的流れと経緯をはっきりしてるだけだ。
日本@名無史さん [] 2019/01/27(日) 18:45:00.36
享保の頃には名主は1代限りとなっている。 だからそれ以降は選挙制みたいになり、半分はそのまま世襲制が続いてたのもあるが、後の半分は入れ替わってる。
原則は1代限りだから、代官様のお心次第で、地域によりかなり違ってくる。
日本@名無史さん [] 2019/01/27(日) 18:50:56.46
居酒屋庄屋のおやじはご先祖が庄屋と云ってたな
日本@名無史さん [] 2019/01/27(日) 18:58:56.63

よお、西日本のボンクラ
西日本なんかの話はしてないんだよ
日本@名無史さん [sage] 2019/01/27(日) 18:59:06.67
本当にもう、このスレ止めた方がええわ。
日本@名無史さん [sage] 2019/01/27(日) 19:01:31.49
庄屋スレ新しくたててそちらに移動してもらっては?
日本@名無史さん [] 2019/01/27(日) 19:27:31.09

君の勝手な思いとか、君がさったらどうなんですか?
日本@名無史さん [sage] 2019/01/27(日) 19:48:25.29
庄屋とかどーでもええわ
日本@名無史さん [] 2019/01/27(日) 19:59:17.13
庄屋を語らずして中世は語れない
日本@名無史さん [sage] 2019/01/27(日) 20:10:27.36
で、荒れると
日本@名無史さん [] 2019/01/27(日) 20:18:08.90
だから、荒れるのは、君らが真実を直視しないからではないか?庄屋は現実、中世の旧体制側の在方支配層が戦乱後に変容していった、真の日本の支配層だ。
それこそ田堵の時代からミョウシュとしてその地方の開発地主として武士化していった本当の名門
しかし、君らは秀吉だの徳川に連なる戦国以前は非人層だらけの江戸の武士が武士だといって、庄屋を全否定どころか拒否している。だから荒れるのです。
日本@名無史さん [sage] 2019/01/27(日) 20:51:07.36
武士コンプこじらせ過ぎだろ
日本@名無史さん [sage] 2019/01/27(日) 21:08:00.59
武士でも庄屋でも農民でも何でも良いからさ、遺伝子検査受けてから言ってくれないかな?
もう時代はこうなっていますよ。
日本@名無史さん [sage] 2019/01/27(日) 21:30:39.80

遺伝子検査受けたところで大まかなグループしか分からんからなぁ
日本@名無史さん [sage] 2019/01/27(日) 23:38:30.52
先祖探しで系図作るとなると最終的に武士に繋げるか名主に繋げるかだから
先祖探しと庄屋は切っても切れない縁
日本@名無史さん [sage] 2019/01/27(日) 23:44:47.32
いや、つながらない場合も少なくないだろ

庄屋か武士か貴族かどこかにつながる可能性が過半数だろうけど、全数ではないぞ。
まあ、捏造すればつなげれるだろうけどさ、どうせ作るなら少しでも有名どころにつなげたいだろうから……
日本@名無史さん [sage] 2019/01/28(月) 00:42:34.66
系図屋の系図が事実とでも思ってるのかいな??
無理やり繋ぐのさ
日本@名無史さん [] 2019/01/28(月) 01:22:57.11
明治の中頃に岡山県から和歌山県に単身転籍して、その後養子(私の曾祖父)を取って和歌山で亡くなった人がいる。
明治中頃にそんな遠距離の引っ越しって凄く不自然でめちゃくちゃ気になる。
元の岡山で戸籍が残ってたとしても、背景はわからないよね?
日本@名無史さん [sage] 2019/01/28(月) 05:55:54.67
予想通りだ
庄屋基地外が沸いて荒らしている

庄屋は出入り禁止な!!
日本@名無史さん [sage] 2019/01/28(月) 05:57:24.47
庄屋は支配層ではない
武士の下で、その地域の農民のとりまとめを許されただけの存在
いわゆるザコ
日本@名無史さん [] 2019/01/28(月) 10:22:33.32
あのな、日本人ほとんどが平安まで辿れるはずは筈なのよ。
問題は全然辿れないどこの馬の骨先祖ばっかりか、旧家の総本家から近い分家筋で判りやすいかの違いと言う当たり前の話。
終了。
日本@名無史さん [sage] 2019/01/28(月) 13:59:04.17
たどれないよ 馬鹿
系図屋に先祖が騙されたんだろ
日本@名無史さん [] 2019/01/28(月) 15:07:39.50
馬鹿、理論上よ。
親の実家知らない聞いたこともない先祖だらけということなんだから、系図に興味持つ必要もない血統という事で諦めろと。
日本@名無史さん [sage] 2019/01/28(月) 17:47:38.10
たぶん、こういう輩は都会育ちで先祖が武士で武士にしか興味が無いんだろう。
田舎での旧庄屋家の威光が理解できない。
日本@名無史さん [sage] 2019/01/28(月) 18:36:21.42
俺のチンチンは武将クラス
日本@名無史さん [] 2019/01/28(月) 20:20:35.39

おそら城下町の家老、奉行クラスが先祖で明治の士族だというのが唯一の拠り所なんだろ。
殿様子孫ならわざわざこんなスレ覗く必要もないしな。
まさかひい爺さんが同心足軽出の警察官や人力車夫だったという笑い話でもないだろうしな。
日本@名無史さん [] 2019/01/28(月) 20:38:09.38
だろうな
少なくとも執政家老のはしくれで、いまでもそれを誇りに生きている爺さんが、見も知らぬ庄屋の存在を知り、受け入れがたいんだろうなあ

流石に、百姓にすら見下されるレベルの出自と貧困の葛藤の存在たる下士足軽の分際が、庄屋にでかい口聞けた義理ではないだろうから、

執政家老や寄合旗本、いや少なくとも与力くらいの地位で江戸市中でご活躍だったんだろうなあ
日本@名無史さん [sage] 2019/01/28(月) 21:13:57.53
巷で傘貼り名人と言われた、浪人さんかもしれない。
日本@名無史さん [] 2019/01/28(月) 22:13:17.99
笠張、ササラ、竹細工内職名人は下士足軽もですよ
日本@名無史さん [sage] 2019/01/28(月) 22:18:39.92
下級藩士だと、明治になって経験活かして表具屋とかやってるから。
日本@名無史さん [] 2019/01/28(月) 22:28:59.72
確かに、今でいう職人や工人、人夫がリアルに多かったからな。下士の存在意義が明治になって活きたな

庄屋は村長がだらけだが
日本@名無史さん [sage] 2019/01/29(火) 00:17:19.07
ヘルス行ってきます
日本@名無史さん [] 2019/01/29(火) 00:24:47.32
そんなバカな。 お前アホだろ。庄屋と武士しかいなかったのか?
日本@名無史さん [] 2019/01/29(火) 00:30:54.61
そんなことはどうでも良いからお前の先祖探しの話をしろよ。
日本@名無史さん [sage] 2019/01/29(火) 00:47:13.64
おっぱぶ大臣でした
日本@名無史さん [sage] 2019/01/29(火) 04:14:34.14
まーた 庄屋基地外が連投してるじゃねーか
庄屋は書き込み禁止な!

庄屋は下層 農民の一部 それが史実
一部には先祖が武士で落ちぶれて庄屋になったのもいるのだろうが
力が無く時流を読めずに、武士として生き残れずに落ちぶれたのだから
その事実を認めような 庄屋に力など無いし
日本@名無史さん [] 2019/01/29(火) 10:48:49.65
大丈夫か?
庄屋は百の姓の「名主」、東日本が判りやすく顕著だろうが元々土豪や開拓領主。
後に帰農し戦前まで大地主の資本家で豪商というのも多いのよ。
幕府や藩に金を貸したり公共事業をするんだから、殿様代理の家老クラスがカウンター・パートナー。
現代の経団連や地元商工会大物が総理や知事、市長と付き合うのと一緒。
そこらのお勤め藩士じゃおそらく付き合いも無理なのよ。
で、辿れば結構な日本人の割合がその苗字を継いだ庄屋の分家の分家・・だという話なのよ。
江戸以前が遡れそうもない先祖の侍自慢でも江戸250年間はお上や藩の公務員だったと言う満足でいいだろと。
日本@名無史さん [] 2019/01/29(火) 11:20:00.48
判りやすく連投よ。
江戸なら将軍家が王家、幕府重臣が大臣、藩主が知事、大庄屋、庄屋が財閥、旗本、上士が官僚、地方公務員三役部長、下士同心足軽が庶務現業公務員。
それも現代と違って全て世襲。
で最も人口割合が多いのが「百姓」でその子孫繁栄してる先祖が「名主」で鎌倉以降に発してるという極々普通の話。
日本@名無史さん [] 2019/01/29(火) 11:30:41.99
判りやすく連投。
鎌倉の名字発生も地元豪族と姻戚結んだ源平橘藤の開拓の結果。
源平橘藤は当然平安期指名の天皇の子孫。
奈良より古い氏族名を保ってる日本人は極わずかで近年渡来人並でしょと。

もういいかな?
日本@名無史さん [sage] 2019/01/29(火) 11:35:48.29
また基地外が妄想書いてるな
庄屋は下層
武士が支配層
それが史実

妄想を書いても史実にはならんよ
日本@名無史さん [sage] 2019/01/29(火) 11:42:48.06

村役人層を農民と同列に見てる時点で間違ってるよ
戦国期の下剋上で帰農した源平藤橘系武家が村役人のメイン層
将軍家の分家だって扱いに困って領主させる為に庄屋になってる家もある
妄想が甚だしいのは庄屋が下層だと思ってる人間だよ
一部有能な農民が引き上げられた例はあるだろうが俺は知らないし記録で見たことがない
354 [sage] 2019/01/29(火) 11:54:02.47
村役人層は戦国時代以前から続く家ばかりだから誇りや矜持を持っていて当然の話だ
煽ってる奴が真のガン
日本@名無史さん [] 2019/01/29(火) 12:03:17.70
おそらく庄屋からしたら、只の中士程度じゃ嫁もくれてやれないどころか藩の用事でもない限り家にも上げてもらえなかったかもな。
日本@名無史さん [] 2019/01/29(火) 12:16:49.42
庄屋の次男坊以下なら中士への婿入りで立派な公務員侍身分になれたかもかもな。
日本@名無史さん [sage] 2019/01/29(火) 12:17:58.61
庄屋を叩いてる奴は庄屋がどういう出自持ってるのか良く分かった上で煽ってるんだろう
日本@名無史さん [sage] 2019/01/29(火) 12:38:03.98
また基地外が連投じゃん。
妄想書いても無駄。
庄屋は支配される側で、武士は支配する側。
これは厳然たる史実。

庄屋は支配層じゃない。
日本@名無史さん [sage] 2019/01/29(火) 12:39:32.52

庄屋のことを説明しているのは複数人で庄屋を叩いてるのはいつもの奴
これが全てだろ
日本@名無史さん [sage] 2019/01/29(火) 12:40:05.57

必死ですね
日本@名無史さん [] 2019/01/29(火) 13:01:21.77
苗字を受け継いできてる時点で鎌倉以降の坂東武者らと現地土豪の姻戚子孫がほとんどの日本人と言ってもいいんだから。
そんな「家」が名主で分家分家で全国広まってる訳だしな。
逆に平安の源平藤橘から精々2,3代目のまま今日まで繋いでる本家の人は名流ということで特に誇りを持てば良いだろと。
まぁ公家や源平名流大名家くらいしかいないと思うが。
だから江戸時代の侍身分だから云云かんぬんじゃ空しいだろと。
そんな下克上侍でも先祖を辿れば平安で天皇にたどり着くはずなんだし。
日本@名無史さん [sage] 2019/01/29(火) 14:33:08.15
その主張が間違いなんだが
庄屋信者は繰り返すんだよな
日本@名無史さん [sage] 2019/01/29(火) 14:35:41.95
下克上された敗者の言い訳なんだよね
すべてが
名家できちんと生き残ってるのを無視して語る時点でおかしい
日本@名無史さん [sage] 2019/01/29(火) 14:37:18.31
落ちぶれて庄屋にたどり着いただけ
その事実から目をそむけてるだけなんだよ
日本@名無史さん [] 2019/01/29(火) 14:55:15.68

なんだ勝ち負けの話なの?
戦国以前はどこの馬の骨でも江戸期公務員だから勝ち組、という願望か?
それなら維新後は薩長閥以外は又元に戻っちゃてるしな。
代々の名主本家は近代資本家ということで地主のまま貴族院議員や知事、今の市長、町長、県会議員と又元に戻ったことになっちゃうぞ。
勝ち負けだとそうなるが良いのかな?
日本@名無史さん [] 2019/01/29(火) 17:34:27.16
どんな身分でも良いが、庄屋キチガイはまず、自分の先祖探しの話題を提供してくれ、話はそれからだ。
日本@名無史さん [] 2019/01/29(火) 17:38:58.96
おいおい、関東の田舎侍が殆どの日本人だと? バカなこと言うな。 日本にどれどけの歴史があると思ってるんだ?
関東なんてただの湿地帯か山奥。ろくな歴史はないだろ。
日本@名無史さん [] 2019/01/29(火) 17:40:20.87
ゴキブリが何を偉そうなことを語っているんだ
日本@名無史さん [] 2019/01/29(火) 17:44:43.84
他のスレにも書いている事なんだけど、
お前の名前は?ゴキブリだから名前も無いの?
日本@名無史さん [sage] 2019/01/29(火) 19:32:23.55
承久の乱までは源平藤橘に出自を持つ武家が血筋によって治めた時代
承久の乱から戦国時代・江戸時代は力と農業生産力の時代
明治維新からは工業力の時代
21世紀に入ってからは生産力向上に人が関与しなくなる時代

戦国時代の勝者はむしろ明治維新で戦国時代の敗者に敗れてるんだよなぁ・・・
日本@名無史さん [] 2019/01/29(火) 21:19:41.73

おいおい、苗字が急速に増えたのは鎌倉武家政権から、西国にも散らばってる。
藤原氏流れは純友の乱のように居るだろうが。
なまじ朝廷支配の長い歴史が邪魔してるからヤマト王権の国造、部民に武家支配の上書きと思ってれば間違いないんじゃないの。
都や瀬戸内の経済活動で活気があった代わりに流入民も多かったろうしな。
流石に古代の国造まで遡れるような特殊な氏族以外は由緒辿るのは難しいだろうという話だな。
日本@名無史さん [] 2019/01/29(火) 21:41:17.59
織豊、徳川政権はエジプト、インドのマムルーク奴隷王朝みたいなもんだろうが、300年間は政権握ってその歴史もあるんだから立派なもん。
日本@名無史さん [] 2019/01/29(火) 21:48:07.35

承久の乱まで朝廷荘園支配の時代
承久の乱から室町までは源平藤橘に出自を持つ武家が血筋によって治めた時代
戦国から江戸時代は力と農業生産力の時代

だろね。
日本@名無史さん [] 2019/01/29(火) 22:02:00.33
西日本の安倍総理や麻生元総理はそこそこ庄屋出身だが、安倍は東北土豪、麻生は北関東藤原北流れ宇都宮氏だしな。
日本@名無史さん [sage] 2019/01/29(火) 22:17:22.52
チンポの大きさが物言う社会だな
日本@名無史さん [sage] 2019/01/30(水) 06:59:46.09
庄屋基地外の妄想は嘘ばかり
史実ではない架空の歴史が彼の脳内にはあるのだろう

江戸時代は、庄屋が支配なんてしてないし、庄屋こそ真の武士なんて事はない
すべて嘘
歴史学者が見れば大笑いすると思う
教科書にも載っていない新発見だろ(笑)って馬鹿にされるだけ

彼の正体は、虚言癖のある精神病患者か何かだろう
日本@名無史さん [] 2019/01/30(水) 09:36:51.34
まずは「士農工商」から離れて見ろ、と言うことだろ。
カッコイ「サムライ」像や政権側というのは重々わかるが、アニメや刀剣女子じゃないんだから。
「政権史」だけにこだわってはまだお子様目線。
人口8割方が百の姓でその宗家が庄屋、名主、肝煎で苗字からその分家分家・・で人口増、と抑えとけば。
日本@名無史さん [] 2019/01/30(水) 10:00:50.82
まず「士農工商」なんつーのは江戸にはいってからの儒教影響の新規用語。
土地や海の資源を利用し競争もしたということでで「武士」と固定した階層は江戸時代位で、
それも階層内格差の方が大きかったろと。                 
日本の特異性は教皇やカリフと似てるようで全然違う「天皇」の存在。
「姓名」の発祥がその天皇だからそこらから「先祖」を考えてみたら?
日本@名無史さん [] 2019/01/30(水) 10:07:01.74
あと血統とかDNAとかはどうでも良いからね。
親子と思っても実は種も畑も実際は繋がってないのはよくある当たり前、要は「系譜」。
日本@名無史さん [sage] 2019/01/30(水) 10:13:13.93

スレタイとは違うなぁ〜
日本@名無史さん [] 2019/01/30(水) 10:49:34.25
男系男子で続いてきた日本の天皇家のY染色体ハプログループはD1b1a2b1a1。子孫らの口腔内粘膜から得られたサンプルより確定。
ソース:ttp://https://www.eupedia.com/genetics/famous_y-dna_by_haplogroup.shtml
日本@名無史さん [] 2019/01/30(水) 10:56:08.25
>D1b1a2はあの家系の信憑性高いと思う?

思います。
SNPの結果と、STRが近似した種がある時代に全国各地の
離れた場所で同時期に繁栄、広がり出す点。
この人物が一般庶民だとすれば、特定の地域からじわじわと
広がり出すはずなのにそうでないと言うことは、
この人物が中央省庁から各地に派遣された、高級役人クラスの人物
であるということ。
その人物は、一夫多妻で支族が多数生まれても充分に賄いきれる財力を
持っていること。
Z1504のSNPを持つ人物は、南は沖縄から北は青森県、対馬や佐渡島などの
僻地までくまなく分布しており、拡散した時代は、
歴史時代(大和朝廷が成立して安定期に入ってから)
であることが確実である点。

系譜学においては信頼性が下がるが、それでもこれだけの繁栄力
があるのは、藤原氏か皇胤氏族しかあり得ない点。

天皇が外来系のO2系統である可能性はない。ひと昔前まではその可能性もある
ように見られていたが、O2は人口数の割に雑多な枝の集合体で
特定の枝から派生した近代同種ではなく、時期がバラバラに
渡来した人たちであることが明らかで、派生繁栄の枝として
優位に立っていない。
日本@名無史さん [sage] 2019/01/30(水) 11:01:49.70
まあ、天皇がO2a2b1a1aであったのは間違いないな。
日本@名無史さん [] 2019/01/30(水) 11:03:30.21
オクスフォード大学の遺伝学研究チーム・クリス・テイラースミス (Chris Tyler-Smith)は、日本人 男性のY染色体の一塩基多型(SNPs)および縦列反復数(STRs)を解析した結果、天皇家のハプロタイプは(D-CTS8093)に属する系統であると結論づけた。


これは藤原氏(O-CTS10145)と並んで日本でもっとも多く子孫を残した系統にあたる。

研究チームはサンプル採取と解析の結果、CTS8093の下流に属する系統から夥しく人口の増加が見られ、現在の日本人男性の37%がこの系統に属していることに注目し研究を進めてきた。

このCTS8093は、出アフリカを果たした直後の系統ハプログループDに属し、その下流にあたるD1bは日本列島以外では検出されない古代型の特殊なY染色体である。

研究チームはこの特有のY染色体の拡散の原因を作った人物は、日本を統治した国家元首・天皇家であると結論づけている。

この研究を主導したクリス・テイラースミスは、日本列島で長期間にわたって特定のY染色体を持つ人々が広がった理由として、

この島嶼地域において上流階級は一夫多妻が一般的であり、その頂点に 君臨する天皇は、神話を根拠として統治機構を完成させ、代々男系男子の子孫であることを絶対条件として皇位を継承してきた。

さらに日本列島は、外敵の侵入を防ぐのに都合よく、歴史的に見て他の民族に支配された経験がない。

あらゆる面で、古代の系統を温存するのに優れた環境であったのではないかと述べている。
日本@名無史さん [sage] 2019/01/30(水) 13:44:43.55
今度は遺伝子馬鹿か
日本@名無史さん [sage] 2019/01/30(水) 13:59:47.68
教科書にも記載されていない事を真実だと書く庄屋基地外

カエルに何故お前さんはカエルなんだ?と聞いても分からないように、基地外に基地外か?と尋ねても彼らには理解出来ないんです
日本@名無史さん [] 2019/01/30(水) 14:50:23.64
遺伝子馬鹿はDNAを知ってどうしたいか判らないお子様。
庄屋基地外連呼は論拠皆無。

どっちもお話にならない、だから2ちゃんねるは所詮便所の落書きと言われるんじゃないの?
日本@名無史さん [sage] 2019/01/30(水) 14:56:08.75
まあ、天皇がO2a2b1a1aであったのは間違いないな。
日本@名無史さん [] 2019/01/30(水) 15:02:44.27
 
さんは遺伝子馬鹿じゃないですよ、日本史、歴史認識に繋げられてるから。

>系譜学においては信頼性が下がるが、それでもこれだけの繁栄力
があるのは、藤原氏か皇胤氏族しかあり得ない点。

御尤も。皆さんそこから先祖探索の視点を持てばどうかな。
日本@名無史さん [sage] 2019/01/30(水) 15:03:53.17
自演乙
日本@名無史さん [] 2019/01/30(水) 15:10:16.71
 = 
日本@名無史さん [] 2019/01/31(木) 00:07:57.24
戸籍のことで質問なんだけど以前除籍謄本を請求したときは無いor廃棄と言われたけどもう一度請求したらあるってなった人いる?

この前役所で既に持ってる先祖の謄本請求したときに先祖を調べてる話題になってこれより古いのは無いですねって言われた。
でも数年前にこれより古い謄本そこの役所で貰ってて「いや、古いのありますよ」って謄本見せたら窓口の人が慌てて調べにいって「すみませんありました」って言ってきた笑


本当はあるのに担当者によって見つからない場合があるなら納得いかないから前に無いって言われた役所にもう一度請求してみようかな笑
日本@名無史さん [sage] 2019/01/31(木) 05:41:42.61

証拠皆無は自称庄屋の子孫の方だぞwww
日本@名無史さん [] 2019/01/31(木) 11:09:38.76
先祖が庄屋(名主)だったという家なんかいくらもあるだろ。

幕末の頃になるとみんなやるのを面倒がって、しょうがないから
クジ引きにしたり村の全員が回り持ちでやったりしたわけだから。

江戸時代前期の頃は、それまでの村の支配者(お館様、などと呼ばれた人々。
領主に仕えず百姓になるのを選択した地侍)が庄屋・名主になった。
だからこの頃の百姓一揆というのは、名主のふるまいに我慢ならなくて起こした
ものが多い。昔のつもりで村人に命令し、追い使ったりしたのが原因である。
年貢を集めるのも強圧的で、集めた中から藩に収めるのだが、収めた残りを
私物化したりすることも多かった。
領主気分が抜けないので、やることが荒かったのである。
だが時代が進むにつれて、こういう階層は消滅していった。
日本@名無史さん [sage] 2019/01/31(木) 11:16:13.35
江戸時代、当番制の庄屋というのもあった
日本@名無史さん [sage] 2019/01/31(木) 11:18:27.81
寄り合いに裃を着させろと請願を出した百姓もいる
日本@名無史さん [sage] 2019/01/31(木) 15:03:37.11
俺の母親の実家は、400年同じとこに住んでる。コンビニ遠いし不便。
日本@名無史さん [sage] 2019/01/31(木) 18:06:59.58
地域によるとしか・・・ただ小作人の出来きる仕事ではない。
日本@名無史さん [] 2019/01/31(木) 18:33:48.11
それはある時に、何年以上前の戸籍は処分して良いと言う事になったけど、殆どの自治体はまた新しく作り直した。

だから、あほな新人職員は無くなった年以前は無いとバカな刷り込みだけがある。

だからうちの戸籍も、明治時代は旧字で登録されてたはずだけど、今取り寄せると全て新字体になってる。 旧字体のままの人もあるだろうけど。
日本@名無史さん [sage] 2019/02/01(金) 08:40:50.09
はじめまして
庄屋は大名の家臣が多い
日本@名無史さん [sage] 2019/02/01(金) 08:56:21.32

たしかにな
うちの先祖も庄屋だったが某大名の家臣だったわ
日本@名無史さん [] 2019/02/01(金) 10:58:18.35
だからほとんど日本人はいくら遠くて下った分家でも辿れば平安末から鎌倉発祥の名字でそれが庄屋、名主、肝煎だった先祖なのよ。
問題は明治や戦国以前が推測すらできないかのどうか。
今戸籍などから家系図作れるかどうかの技術論とは関係ないけどね。
日本@名無史さん [sage] 2019/02/01(金) 11:25:16.52
自国民250万人を殺した裕仁のような奴はいないけどな
日本@名無史さん [sage] 2019/02/01(金) 11:36:41.64
中国人ならそれ以上のがたくさんいるだろ
日本@名無史さん [sage] 2019/02/01(金) 12:16:33.63
被差別部落とかはどうなんだろうな
実は先祖は庄屋の分家の分家のry・・・っていうこともあるんだろうか
日本@名無史さん [] 2019/02/01(金) 12:29:13.75

そりゃ先祖に侍でも天皇でも血縁者はいるだろうというのは当たり前でも明治江戸でもはや苗字が不明もあるんだろね。
日本@名無史さん [sage] 2019/02/01(金) 12:47:13.43
まだ庄屋が居座っているのか。
珍説連発で笑いのネタとしては良いが、真面目に語ってるなら痛い子だな。
庄屋が名家なんて事はない。
庄屋に限らず先祖を限りなく辿れるなら、誰もが源平藤橘にいきつくだろう。
日本@名無史さん [sage] 2019/02/01(金) 12:55:39.38
庄屋に親でも殺されたのか?
旧勢力やあぶれた家臣の再就職先だし、初期庄屋は領主の位置付けで名家以外ないぞ
珍説乱舞してるの一人だけだしいい加減気付けばいいのに
俺は武士の子孫だから関係無いが庄屋は馬乗りの中級武士以上の家格だぞ
日本@名無史さん [] 2019/02/01(金) 13:29:38.89
山の中のサンカみたいな部落の連中はみんな「平家の落人」

そして百姓で何の自慢話も出来ない田吾作は「俺の家は名主だった」WW
日本@名無史さん [] 2019/02/01(金) 13:57:18.25
「高」が苗字につく家は「高句麗」祖先と言う話がある。
高倉は「高句麗」の「高」を「たか」と読んで「たかくり」から「たかくら」に変化したもの。
日本@名無史さん [sage] 2019/02/01(金) 14:11:45.70
じゃあ名字に「新」がつくと新羅の系統だったりすんのかなw
日本@名無史さん [] 2019/02/01(金) 14:25:27.83
「名家」の定義になってるのか?
名は名前の名で名字。
まさか成金ぶりとか一時代支配者側どうこうの話じゃないんだろ?
早い話が源平藤橘にどのくらい近い流れかの違いなのよ。
日本@名無史さん [sage] 2019/02/01(金) 14:52:13.82
 世間的に名家って旧庄屋である旧家のことでしょ?

 日本の名家っていうと旧華族や家老の家ぐらい

 
日本@名無史さん [sage] 2019/02/01(金) 14:53:54.61
だからさ、落ちぶれた武士が庄屋になったとして名家じゃないだろ
落ちぶれたごみくずなんだから
日本@名無史さん [sage] 2019/02/01(金) 16:55:04.57
武士=名家なの?

農家や商科に名家は存在しないの?
日本@名無史さん [sage] 2019/02/01(金) 17:06:54.27

天皇=名家
その他すべて=雑魚、馬の骨
日本@名無史さん [] 2019/02/01(金) 17:50:27.19
天皇は「家」じゃyないだろ。
後は全部一緒、家系が遠いか近いかで由緒がどうしたこうした。
日本@名無史さん [sage] 2019/02/01(金) 18:05:59.30
俺のチンポは名菓と呼ばれている
日本@名無史さん [sage] 2019/02/01(金) 21:41:25.17

まあな、江戸初期なら村に一件の庄屋の一強で他に有力者がいないとしても、時代と共に分家も増えるし、役を持ち回りできるような家は増えてくるわな
他方で、庄屋の統治(?)への不公平感などから反発するヤツが増えて業務の旨味はなくなってくるし(地域にもよるし村による)持ち回りにしたいと考える庄屋(など)が現れることはあったよなあ
日本@名無史さん [] 2019/02/01(金) 21:43:42.47

新羅の王家は「新」じゃないから。
高句麗の王家は「高」が姓だ。
その姓が日本に来たんだよ。
姓氏録にも高氏は高麗の出と書かれている。
高井氏も高麗
新羅の場合、種々雑多だが、天日鉾の子孫と言うのが多い。
天の日鉾は新羅渡来人だったから。
賀良氏などは韓または伽耶をさしているのだろう。
百済は実際は高句麗出身であった可能性が大きい。
百済国都慕王の子孫となっているが、都慕王とは高句麗の朱蒙王の事だから。
日本@名無史さん [sage] 2019/02/01(金) 21:44:10.84

公家系の高階家から高師直みたいに、生粋の日本人の高〜氏はいるぞ
高句麗系もいるだろうけど、すべてではない
日本@名無史さん [sage] 2019/02/01(金) 21:46:27.57

名家って、古代中国の諸子百家の一つだろ。白馬は馬ではない、なんていう詭弁で知られる学派のはず
日本@名無史さん [sage] 2019/02/01(金) 21:47:48.66
名菓
日本@名無史さん [] 2019/02/02(土) 05:01:49.14
高安、高田なんかも高句麗の出だね。

それから「秦」姓は秦の始皇帝の子孫とか言っているが、実際には新羅からの渡来人だった可能性が高い。
日本@名無史さん [sage] 2019/02/02(土) 10:40:10.20
太秦や秦氏は羌族王朝後秦
羌族の血は日本人に入っている
日本@名無史さん [sage] 2019/02/02(土) 11:01:08.46
庄屋基地の間違いが次々と指摘されてくなwww
いいぞ もっとやれ
日本@名無史さん [sage] 2019/02/02(土) 13:18:25.50
子供かよ
日本@名無史さん [] 2019/02/02(土) 13:18:35.09

新羅の上流階級は秦からの亡命者が多いから
始皇帝の子孫は盛り過ぎだとしても秦人の末裔だった可能性は十分ある
日本@名無史さん [] 2019/02/02(土) 13:30:49.88

>>「武士」と固定した階層は江戸時代位で、

>>それも階層内格差の方が大きかったろと。

まさにこれが歴史の真髄なんだよね。
差別は実は階層内格差による差別が最大のもの。

士農工商という序列はない。
これらのマクロ的4業態は平行に並び、
それぞれのヒエラルキーが存在しているだけで、
将軍や大名という地位者を除けば、このマクロ的4業態は横並び。
マクロ的支配構造は、実はそれぞれのピラミッド内でしか及んでおらず、
よって差別も階層内ヒエラルキーによるものが最大と成していた事実
日本@名無史さん [] 2019/02/02(土) 13:45:20.84

頭が悪い君には、その現象が全く理解できてないよな
単純に持ち回りにするくらい旨味がないていうように見えるのは、
西日本において、村内基盤が農業主体ではない部分が大きくなるからだ。

庄屋という封建的在地領主の形は、あくまでも農業や土地に根差した農耕社会システムの極み

それをベースにした統制社会基盤の確立による地域システムだから、農耕が主力となさないベースには、代々世襲の庄屋管理システムは決して旨味が多いだけのものにはなり得なかったというのが根拠

馬鹿には社会システムすら理解できてないだろうからな。
日本@名無史さん [sage] 2019/02/02(土) 15:20:19.65
新羅の故地である辰韓は旧称が秦韓だしなあ
実際には秦韓は秦とは無関係だが、魏志の東夷伝の記載では中国からの亡命移民が多く住んでいるという伝説はあったっぽい

高安は地名由来苗字で、高句麗系とは限らんのではないかな
地名自体は高句麗系の可能性はあるが、その苗字を持つものが本当に高句麗系かというとな。ワンクッションはいってるから。
日本@名無史さん [] 2019/02/02(土) 16:48:37.32

だから関ケ原は東軍有利で幕府も東国江戸に開いたとも言えるんだな、鎌倉もそう、というか源平藤橘の土着自体から。
だから東日本の百の姓の方が由緒は辿りやすいのよ。
日本@名無史さん [] 2019/02/02(土) 16:49:59.19
日本@名無史さん [] 2019/02/02(土) 17:11:03.11
関東以北は、平安鎌倉より、この士農工商たる封建時代のマクロ的業態の、農、工、商が、全て封建的支配階層のある程度の独占だった。
だから、在地領主層は、その既得権益を保護するための主従関係と武装化、すなわち士化も付随する形で備わった。
このマクロ的4業態が全て、戦国以前の在地領主層には備わっていた。

しかし、戦国によりこのマクロ的4業態が切り離され、それぞれの独占市場が形成された。

関東以北では、ある意味の旧体制側の帰農と新興体制がこの戦国によりすみ訳されていることが最大の秩序維持となっており、歴然とした体制基盤となした。
日本@名無史さん [sage] 2019/02/02(土) 17:13:21.51
また基地が持論展開www
史実じゃない妄想をwwww
日本@名無史さん [] 2019/02/02(土) 17:54:29.05
こらこら、まさか歴史を知るとは年号や名称の事だと思ってる中学生でもないと思うが。
教科書の構造、流れに触れてる部分をよく読んでないんじゃお話にならないよ。
日本@名無史さん [] 2019/02/02(土) 21:18:42.30
古代日本に敵国指定された新羅、高麗はウンチ
日本@名無史さん [] 2019/02/02(土) 22:28:30.35
2003年に、クリス・テイラースミスらの研究グループが、
「ユーラシア大陸の中央部から東半分の広大な地域に現存する
Y染色体の頻度分布は、チンギス・ハンのY染色体が広まったことが原因」
とする論文を発表した。
チンギス・ハンと同じY染色体の系統が数を増やし、
他のY染色体より圧倒的多数の子孫を残したとする説である。
その説のモデルケースとして、日本列島における
D2(D-M64.1, 現D1b)系統と、天皇家から派生した皇胤氏族の
拡散の時期と関連が調べられた。
日本列島がケースに選ばれた理由は、日本は有史以来、
他民族の侵略を受けたことがなく、一夫多妻の男系社会で
あったことや、尊卑分脈などでそれらの系統の派生の経緯が
他国に比べて追跡が容易であったこと。
そして、旧皇族系の男性多数から協力が得られたことなどが挙げられる。
日本@名無史さん [] 2019/02/02(土) 22:29:54.30
クリス・テイラースミスらは、これらの過程でY染色体を
研究した結果明らかになった現象を『社会選択』と呼んだ。
自然選択ではなく社会選択。生物学的に有利な遺伝子の
存在を仮定するのではなく、社会的に有利な立場に立った
系統の特定のゲノム領域が選択的一掃(強い選択圧によって
特定の変異が集団中に広まることで、その周辺領域の
多様性も低下すること)と同じパターンを示す現象である。
この社会選択という概念を導入すると、ヒトに限らず
社会性のある生物の場合、社会選択で説明できる現象が
他にもあてはまる。
少なくともヒトやヒトの祖先の進化を考える上で重要な
概念になるかもしれない」。
クリス・テイラースミスは、さらにこの理論を確立して
チンギス・ハンの一族の派生と拡大を研究した。
大アジアのモンゴル皇帝が、社会的に成功したことにより子孫をたくさん残し、
モンゴル帝国が支配した広範囲の地域全体にチンギス・ハンの系統
と推定されるY染色体が広がったと推測したのである。
重要なことは、チンギス・ハン及び天皇家のY染色体が、
社会的あるいは文化的要素がゲノムの多様性に影響を及ぼす
という事実であり、生物学的な有利性が
ゲノムに選択的一層の痕跡を残すのと同じように、
社会選択の結果、同じような痕跡がゲノムに残されたことが、
これらによって明らかとなったのである。
日本@名無史さん [] 2019/02/02(土) 22:32:48.38
Imperial family descended from Jomon/Ainu of Japan
Fri, 2010-10-08
The Japanese monarchy (Imperial House of Japan) is the oldest continuous
hereditary monarchy in the world still in existence. It has "reigned since
time immemorial." Imperial family's genealogical tree sparked the
interests not only by Shinto priests, but by anthropologists/geneticists.
In this article, we aim at demystifying the lineages of Japanese imperial
family for encouraging the further researches in this field.

Genetic Evidence
Most mainstream scientists agree on the use of SNP on non-recombining
portion of Y-chromosome, known as Y haplogroup. Majority of Japanese
males had genetic markers specific to Japanese islands as well as Okinawan.
日本@名無史さん [] 2019/02/02(土) 22:34:23.29
Note: We shall restrict our analysis to Y haplogroup. Y-STR or Y haplotype's
mutation rate is 100,000 times the mutation rate of Y haplogroup, and thus
it is not appropriate to use Y-STR for the ancestral inference dated to
1000 years ago or older.

Using the Y haplogroup, people of Japan may be roughly classified into
4 groups.

D2: Early Jomon / Ainu / Okinawan (8,000-20,000 years before present)
C1/O2b1/O3: Late Jomon / Early Yayoi (3000-10000 years before present)
O2b*: Early to Late Yayoi (1500-8000 years before present)
O3/C3: Late Yayoi and later immigrants
日本@名無史さん [] 2019/02/02(土) 22:36:45.75
Distribution of D2 markers are the highest in nearly all parts of Japan,
including Okinawa, and Hokkaido (Asahikawa, see the Figure below).
C1 is absent and O2b1 is low in Ainu. For this reason, C1 and O2b1 were
likely the second or third comers to Japanese isles.

South East Asia (Sunda Land)
Based on the distribution of the genetic markers, the late Jomon
population may be hypothesized to step into Japanese islands after the
arrival of early Jomon people. Period of O2b1's mutation event is estimated
around 7,870 years ago, and since the ratio of population carrying the O2b1
markers is high only in Japan, one theory predicated that the origin of O2b1
lies in Japan. However, O2b1 is present in Vietnamese and Indonesian, thus
leading to theory of the northward migrations of ancient South East asians
into Japanese islands in or shortly after the Last Glacial Maximum.
日本@名無史さん [] 2019/02/02(土) 22:38:23.86
Okinawa
Okinawans retain demographical uniqueness from the honshu, main islands,
due to the geographical and historical isolations. Most importantly,
land bridges to Okinawan islands were cut from both asian continent and
Japanese islands. It is thus the benchmark population to measure the
migration patterns from Asian continents during Ice-Age, when the sea
levels were supposedly 100-120 meters lower. Thus, the distribution of
the early to late Jomon people may be closest to the distribution of
Okinawan people's Y-haplogroup.

Surprisingly, the frequency of O2b1 are high, and O2b* moderate in
Okinawans respectively. The distribution also includes large O3 population,
and D2 population. This result can be tested against the results of Japanese
in main islands.
日本@名無史さん [] 2019/02/02(土) 22:39:43.70
* Note: Japan consists of three groups of Kanto, Nagoya, and western japan respectively.

*Han-Jun Jin, Kyoung-Don Kwak, Michael F. Hammer, Yutaka Nakahori, Toshikatsu Shinka,
Ju-Won Lee, Feng Jin, Xuming Jia, Chris Tyler-Smith and Wook Kim, "Y-chromosomal
DNA haplogroups and their implications for the dual origins of the Koreans,"
Human Genetics (2003)

Summary of distribution of Y-haplogroup:

D2: 36% Early Jomon (8000-20000 years before present)
O2b1: 24% Late Jomon or Early Yayoi (Circa 3000-8000 years before present)
O2b*: 8% Early to Late Yayoi (1500-8000 years before present)
C3*: 3% Late Yayoi and later immigrants (after 500AD)
C1: 3% Late Jomon or Early Yayoi (Circa 3000-8000 years before present)
Expert analyses on the distributions suggest that D2 and O2b1 are Japanese specific
haplogroup, whereas O2b* and C3* are more akin to Koreans in Korean peninsula, although
Okinawans, thought to be early Jomons mixed with late Jomons, possess moderate
distribution of O2b* as well.
日本@名無史さん [] 2019/02/02(土) 22:41:16.33
Thus, the migration patterns may be summarized as follows:

Genetic distributions of Okinawans may be closest to those of Jomons.
O2b* and O2b1 went upward from south east asia around 3000-20,000 ybp
passing through Okinawa, and then to Japanese islands, and to Korean
peninsula.
Some O2b* and O3 group may have stayed in Japan much earlier than
supposed, and those O2b* and O3 group might have been the part of
Jomon populations.
Birth rates of ruling family

Ruling family and group often dominates in social ranks, and more
controversially, in reproductions. Using Y-chromosome data, Genghis
Khan's offsprings may have been 16 million people, suggesting that
the group of larger disributions could be much likely to be the
rulers genetic make-ups.

Japan is the oldest continuous hereditary monarchy in the world, and
unlike briefly ending rulership of Genghis Khan's heirs, Japanese
imperial family and their associates dominated Japan for more one thousand years.
日本@名無史さん [] 2019/02/02(土) 22:42:34.06
Thus, rough estimations of how likely imperial family belonging to
each Y-haplogroups may hold equality relation with the
frequencies/distributions of Y haplogroup.

To this extent, it is natural to expect that there would be more
than 60% probability of Japanese emperor descending from the
Jomon / Ainu people of Japan.

Using D2/O3/O2b*/O2b1 rich Okinawans as benchmark distribution,
the estimates can be as high as 80% probability of Japanese emperor
as the descendants of Jomon people of Japan, since some of O3/O2b*
population might be the descendants of original Jomon people of archipelago.
日本@名無史さん [sage] 2019/02/03(日) 00:52:23.40
遺伝子マン
日本@名無史さん [] 2019/02/03(日) 09:40:51.42
地元で御館様と呼ばれていたような地侍が主家が滅亡→新しい領主には仕えず農民に
なることを選択。
こういう場合に名主(庄屋)になった。
江戸時代初期の名主には、元は一村ないし数か村を支配していた小領主だった者も多かった。
これは確かに事実。
司馬遼太郎もリップサービスで、名主は戦国時代の名家だった階層などと書いている。
これを丸ごと信じちゃってる百姓の子孫も多いわけだが、しかし名主の家が幕末まで続くなんて
あり得ない。こんな階層は時代の渦に飲まれてたちまち消滅。
名主なんてのは本百姓で読み書きができてまともな人柄なら誰でもOKということになった。
だから、その限度で「俺の家は名主だった」と自慢するなら結構なことだ。
少なくとも水呑み百姓ではなかったという証明にはなる。
それに、名主をやるとたくさんの書類を扱う。保存しておくべき書類も多い。だから蔵が必要だった。
蔵のない百姓が名主をやるのは無理だった。
本百姓で蔵があるならたいしたものだ。
狭苦しいお長屋で食うや食わずの生活をしていた武士などよりよっぽど良い。
とりあえず、先祖が名主というのは自慢してもいいことだと思う。
だが、村中貧乏人ばかりで、名主をやれるような百姓が一人もいないという村だっていくらもあった。
こういう場合は輪番でやったりしたのだ。
また名主の中にも惣名主という年貢を集める倉庫(米倉)を有する名主と、そうでない名主があった。
名主にもいろいろあるんで、あまり人に自慢などはしない方がいいと思う。

江戸時代も末頃になると、名主というのは何というか、今の田舎の村議会や町議会の議員みたいな
連中がやるようになってくる。利権で儲けようというか、そういうゲスみたいなのばっかり。
名主がどうしようもない奴らで、自分たちの利益をはかってろくでもないことばかりするから百姓一揆
が起きたということも少なからずある。
名主の行状が悪くて、これを糾弾するための一揆が増えていくんだな。
一揆の内容を調べると、ほんと当時の名主ってのは今の田舎の議員みたいのばっかりで
笑えてくるよ。
日本@名無史さん [sage] 2019/02/03(日) 09:52:09.36
有り得ないと断定するのもおかしいだろ
実際に知り合いにも戦国時代から続く家柄で戦国大名に仕え帰農した時に新田開発して村を作り、江戸時代には代々庄屋、明治期には戸長務めてたっていう奴いるしな
日本@名無史さん [] 2019/02/03(日) 10:17:44.98
家ってのはそんなに長く続くものではないよ。
大学の講義で聴いたが、六代以上遡れる家はまず無いということだった。
徳川幕府だって四代で直系は途絶え、五代目に子は出来ず、七代目は
幼少で死亡。紀州から八代目が入り、御三卿を作り、それでも吉宗の直系
は途絶えた。家斉なんぞ一橋家の父親から子供を作りまくれとハッパを
かけられて、将軍になると五十人以上の子持ちとなったが、それでも孫の代で
途絶えた。大奥なんか作って跡継ぎを残すことだけを考えてるような将軍家でも
そんなもんなんだよ。
戦国時代からずっと続くなんてのは無理。
「系統を引いている」といったような話だろう。

戦国時代から云々なんて話を信じてる人は善良で素朴な人だと思う。
そういう人は世の中に必要だ。
あなたのような人がたくさんいる社会であって欲しいね。
日本@名無史さん [sage] 2019/02/03(日) 11:01:04.18
基本リベラルって歴史とか血筋とか家柄とかいうものを嫌うからその手の連中
最近じゃ遺伝子検査で家柄が分かってしまう家系も出てきてしまって大わらわなんだろう
日本@名無史さん [] 2019/02/03(日) 11:02:20.91

特に西日本や東国でも耕作地確保できないところの名主や江戸や明治地租改正で農地買い集めの大地主も発生したろう。
それでも東には各地に根付いて新田拡げた坂東武家流れの繁栄した旧家名主も多いね。
日本@名無史さん [] 2019/02/03(日) 11:05:29.68

お前が信じたい歴史はそれなのか?
お前が見たい脳内歴史はそれということなんだな。



>>名主なんてのは本百姓で読み書きができてまともな人柄なら誰でもOKということになった

こんな中卒の僻みの私見じゃ話にならんよ

庄屋は藩から手代等の就任もされ、できなかったは許されない。

笠張、障子針しかない万年貧困卒には分からないんだろうが。
日本@名無史さん [sage] 2019/02/03(日) 11:28:29.87

当時の家ってのは今で言う会社組織のような側面も強いから、
直系相続で維持できなくても組織として存続させようとしてて、
婿養子なり親族(分家とか娘の嫁ぎ先の外孫とか)養子とかは多かった
それでも無理なときには血縁のない養子もあるにはあるが、
外孫も分家も無理なことは少ないからな

そもそも、村のだれかが年貢を出せなかったときには庄屋が立て替えて納付する必要があるんだから、
村内で有数の富豪、って程度には財力がないと務められない
日本@名無史さん [sage] 2019/02/03(日) 11:35:49.43
断絶リスクについて言えば、貧しい方が率が高くなるのは確かだが、
ある程度以上に裕福になれば、それ以上にリスクを下げるのは難しい
そこらの庄屋と将軍家で断絶リスクの差は少ないだろうよ

それにな、伝染病による死亡リスクが都市部に偏重で大きくのし掛かってるから、
将軍家とか、かえって農村の庄屋よりも断絶率が高かったかもしれん
日本@名無史さん [] 2019/02/03(日) 11:39:33.63
村、ムラっても今の市や町の面積。
日本@名無史さん [] 2019/02/03(日) 11:44:34.06

だから名主本家はいとこ婚も結構あるな。
日本@名無史さん [] 2019/02/03(日) 11:58:48.48

ないわアホ
小作以下は結構あるが
日本@名無史さん [] 2019/02/03(日) 12:52:50.39

豪農豪商は周りに居ない地域か?
水呑は嫁の来てが居なかっただけだな。
日本@名無史さん [] 2019/02/03(日) 14:29:47.64
先祖の話ししてないな
日本@名無史さん [sage] 2019/02/03(日) 14:51:33.82
庄屋の話と遺伝子の話だけ。
日本@名無史さん [sage] 2019/02/03(日) 14:56:31.22
幕藩大名とかでもイトコ婚はけっこうあるけど。別に小作以下しかないということはないぞ
日本@名無史さん [] 2019/02/03(日) 14:59:43.30
ウィキペディアでは、某戦国武将の先祖は誰々だとか書いてあるけど、その子孫に伝わる系図では全く違う先祖が書いてあったりする。

俺の先祖はウィキペディアでは不明とある。なぜなら謀反を起こして他家の家臣になった戦国武将だから資料が乏しいのだろう。
でも、俺の先祖のことだから、俺は知っている。
ウィキペディアでは、熊野神社の子孫かもしれないと書かれてあるが、おしい、熊野神社ではなく熊野別当なのだ。
穂積姓ではなく藤原姓である。

その戦国武将の先祖が、神社に祈願した際の本名が最近、発見された。
それを見ると、やっぱり当時も、○○ ○○守 藤原 ○○ とあった。
日本@名無史さん [] 2019/02/03(日) 15:10:41.67
戦国時代の戦国武将の行方が不明な事が多いが、意外と生存してる、こともある。
俺の地元は東北だが、東北にほろぼされた戦国大名の遺臣の子孫が多くいる。
俺の先祖もその一人だが。
驚いたのは柴田って苗字の藩士がいることだ。雁金を用いてる藩士なんだが、これって。
日本@名無史さん [] 2019/02/03(日) 15:32:01.25
俺は東北出身で、俺の先祖は意外と大昔から地元にいる。
地元の歴史は、まず坂上田村麻呂の名前が出てくる。
その後、源義経の時代に、俺の先祖の名前が出てくる。
俺の先祖は、熊野の方から、義経を助けようとして東北に来たらしい。
でも、途中で義経が亡くなったと知らせを聞いて、その地域に留まったらしい。
それ以来、ずっと東北にいる。平安時代からの歴史がある家である。分家ではなく本家本元である。
一族は本家と分家を苗字で区別している。
本家は、例えば山田、分家は、例えば小林、というように、山田から分家すると全員が小林というようなシステムになってる。
日本@名無史さん [sage] 2019/02/03(日) 15:46:13.58

そりゃ神社は子孫いるわけないし、表記間違いなだけではないかと



戦国大名なり武将なりが滅ぼされた時って子孫断絶することは滅多になくて、大名家として滅んでるだけなんが普通だしね
たいていは遺族を受け入れて雇う大名がいて、近隣だったり時には遠方だったりの大名家の家臣として生き残ってるよ



一瞬、かなり眉唾な……と思ったけど、義経が京都に行った当初には熊野含め紀伊半島方面を中心に切り崩しを行って家臣集めしたんだし、
中には家を離れて義経を助けにいったヤツがいてもおかしくない気がした

東北の武将ってけっこう他の地域からの移住なんだよな。
伊達とか相馬とかは関東の武将だし、米沢藩の上杉氏は新潟、越後の大大名だ。
もちろん、そこに行く際には地元から家臣を連れて行ってるんだから、東北出身じゃなくて東北に土着した武士の家はたぶん相当にたくさんあるはずだ。

その一方では、ニセ系図、ニセ由緒、偽史も他地域以上にたくさんあるんだけど。
日本@名無史さん [] 2019/02/03(日) 19:57:37.41

徳川家の血を引いているのが明らかな者が跡を継いでいるのに、
>六代以上遡れる家はまず無い
という例にするのは、自分で極端な狭いルールをつくってそれに合わないから無いといっているように見えるな。
どの徳川将軍も皆六代以上でも遡って家康にたどり着くまでの全ての先祖が明らかな人ばかりじゃないか。
ずっと長男で続くことは稀という意味だとしても、次三男以下にとっての先祖である父に遡れないわけじゃないしな。
日本@名無史さん [] 2019/02/03(日) 21:03:55.13

今やってたポツンと1軒家の青森の山の上のリンゴ農家工藤さん。
自分とこの観音堂があって平安末の工藤氏だそうだから藤原流れの土着なんだろ。
日本@名無史さん [] 2019/02/03(日) 21:35:59.63


ほんなら平地にすら住めなかったくらいしょーもねんだな平安の工藤とやらわ草
日本@名無史さん [] 2019/02/03(日) 21:57:22.88
宗家かどうかも千年間の一族の歴史がどうだったかもさすがに知らないだろ。
でも東国はそんな由緒が普通だな。
日本@名無史さん [] 2019/02/03(日) 22:16:57.32
「伊豆工藤氏の子孫は全国に展開し、工藤祐経の長子・祐時は伊豆を出て奥州に下向、祐時の次男・祐先は三戸の名久井館に居住し、葛巻工藤氏の祖となったともあり[要出典]、
その子孫と伝えられる八戸工藤氏は[要出典]、鎌倉期に北条氏被官として、得宗領の糠部郡や津軽郡へ地頭代に任じられた。
工藤氏は鎌倉幕府滅亡に際しては、幕府側と朝廷方に一族が分裂して多くは幕府方に付いて衰退したが、
八戸郷の工藤孫四郎・孫次郎経光のようにいったん朝廷方につきながら日和見をしたために所領を没収された者もいる。
南北朝時代には岩手郡の工藤光家も建武元年(1334年)に建武政権に反旗を翻し、南部信長に討たれている。そうした中で、工藤貞行の朝廷方としての活躍は目覚ましく、
その勲功の賞として山辺郡・田舎郡・鼻和郡・外浜などの所領を得て、これらは女加伊寺(南部信政妻)を通じて後に南部氏に伝領された。」

戸籍取り寄せる業者に任せても明治や江戸末まででたかが知れてるんだからwikiればいいんじゃないの。
それができるのも東国ならではだろ。
日本@名無史さん [] 2019/02/03(日) 22:23:59.98
例えばその工藤さんは東北に多く電話登録ソース?だけで10万人は居そうだな。
近代以降東京他へ転出の子孫いれたらその何倍もいるだろうね。
日本人はそんなもんだろ。
日本@名無史さん [] 2019/02/03(日) 22:43:40.43
何十レスも使って似たようなことを・・・スレの無駄遣い甚だしいし、真面目にスレ通りの話題語りたい人はどんどん離れていく。
日本@名無史さん [] 2019/02/04(月) 13:05:42.48

徳川家を
>六代以上遡れる家はまず無い  の例にしているわけではない。逆

とりあえず15代続いてるけど、内容はどうなのか。無理矢理じゃないのか、という例。
直系は四代で断絶。傍系を入れたが一代で断絶。仕方なく傍系を入れたがまた二代で
断絶。しょうがないから遠い親戚から入れた。吉宗が徳川家に入ったのは家康死から
100年経ってる。100年前に親戚だった家って親戚と言えるかね?
で、この吉宗の血統も家慶に子ができず、異母弟の家定に。これにも子ができず、
紀州家から家茂を入れた。この時点で吉宗系も断絶。そして最後に遠い遠い親戚の
水戸家から徳川慶喜が入る。家康死から200年以上経ってる。

これを見ても、家なんかは三代か四代くらいで絶えてしまうのが普通。養子を入れて
無理矢理繋いでも又数代で絶えてしまうということだよ。

東北の工藤さんは俺もテレビで見たけど、青森なんてのは江戸時代に何度も飢饉に
見舞われて、天明の飢饉など人口が三分の一に減ってしまったことすらある。
百姓が絶えた村には他藩から農民を移入したりしたのだ。
廃村になった村もあちこちにある。
江戸時代の旅行家高山彦九郎の記録では、村に一人の生者もなく、家々の中に白骨が
散乱していたとある。読みたければ「天皇の世紀」第一巻に詳しく引用してあるよ。
家人が死に絶えた家や田畑は他人が入り込んで再び村が形成されていった。
家系とかそういうものとは違うレベルで生命が繋がっていったんだよ。

テレビの工藤さんの先祖はお遍路の途中に観音堂に住み着いた乞食も知れないし、
堂守だったかも知れない。
名字なんてのはみんな適当なものを名乗ったのだ。工藤だからどうだなんてことは
論ずる意味がない。

 
日本@名無史さん [] 2019/02/04(月) 16:19:42.34

血統はその通り、当てにならないからの「系譜}
流れ者の背のり、成りすましも当然あったろが、工藤さんの繁栄ぶり、氏の由緒をみると系譜も苗字も代々継いだ家はごまんといたんだろね。
日本@名無史さん [] 2019/02/04(月) 16:30:30.76
最近CM、チラシ販促の名字家紋事典。
西日本最多名字の「田中氏」

「田中(たなか)は、日本の苗字のひとつ。
明治新姓として農民身分が多く名乗ったことから、非常に多くの地域に亘って存在する。
神主による一括姓名拝領式における、「すすきが転じて鈴木」と同様に、「田んぼの仕事してるから田中」、
となったことが多数である苗字である。 」

らしいから東国と違って由緒不明の家が多かったんだろね。
日本@名無史さん [sage] 2019/02/04(月) 17:48:33.60
庄屋基地の嘘がどんどん暴かれてゆく。
いいぞ、もっとやれ。
日本@名無史さん [] 2019/02/04(月) 18:09:18.17
いや、東国の名主、肝煎は由緒長い家が多いだろ。
この話は出尽くしてるな。
日本@名無史さん [sage] 2019/02/04(月) 20:11:44.66
詐称してるだけだろ 系図屋にニセ系図を作ってもらってさ
あっというまに名家の末裔
日本@名無史さん [sage] 2019/02/04(月) 20:50:28.11
で、先祖の話はしないの?
日本@名無史さん [] 2019/02/04(月) 23:01:58.56

どんだけ繁栄していようが、唯に小作や三反百姓やら労働者階級がごまんと繁栄していても仕方がないのよ

由緒とは家。
血筋が評価されたなんて平安くらいで、
かりにミクロンレベルに国司の工藤の血が受け継いでいたとして、小作や労働者階級の地位になんの意味があるの?
たんなら慰めや底辺家計の傷の嘗めあいに過ぎんでしょ
日本@名無史さん [] 2019/02/05(火) 02:17:26.07

家慶は子沢山だし、家定は実子だよ。
日本@名無史さん [] 2019/02/05(火) 02:21:40.58
ジャップなんて嘘ばかりついてるからな
名家の思想も嘘に相違ない
天ころだって途中で何度も間男の子孫にすり替わってるだろ
日本@名無史さん [] 2019/02/05(火) 05:35:16.05

そうそう。家慶は家斉の四男で、長男は夭折。跡継ぎに決まるまでいろいろあった。
ここのところを家定と混乱した。2ちゃん(5ちゃん)なんで書き飛ばしだ。
こういうのはしょうがないだろ。
ついでに書き足しておく。
八代吉宗の次の家重、その次の家治までは吉宗の直系。
しかし家治は正室との間に男児をもうけることができず、側室に産ませた二人の男子は
家治生存中に死亡。やむなく一橋家から家斉を迎えた。
吉宗の直系子孫はわずか二代しか続かなかった。
家康の後も四代将軍までで直系は断絶しているので、家康の直系の子孫もわずか三代。
家斉は子供を作りまくれとハッパをかけられて江戸城に乗り込んでオットセイのごとく
頑張って五十数人の子をなしたが、家斉の直系子孫は家慶と家定二代で終わっている。
家定の養子である家茂は和宮との間に子をなさないままに死亡。
こう見てくると、ほんと家なんか続くもんじゃないわ
日本@名無史さん [] 2019/02/05(火) 08:04:52.68
直接先祖捜しのエピソードじゃないので恐縮ですが、徳川幕臣末裔の方々にとっては有益だろうと
思われる情報なので報告します。

安政3(1856)年の時点で、徳川幕府に仕える大名や幕臣の住所を調べた「諸向地面取調書」が、
筑波大学の研究チームにより、国立公文書館デジタルアーカイブにある行書体古文書の原本から、
楷書体で現代かな使いのエクセルファイルに落とし込まれ、インターネット上で公開中です。

入手方法は「諸向地面取調書」と「筑波大学」で検索すると、概要のPDFと本文のZIPファイルの
リンクがヒットします。適宜ダウンロードして下さい。

但し、この研究成果は古文書の解読という少々難しい作業ですから、間違いや抜け落ちもあります。
きちんと検証するには、国立公文書館デジタルアーカイブから、PDF、JPG、又はJPG2000形式
のいずれか利用しやすい原本をダウンロードし、比較対照しながら利用すると良いと思います。
日本@名無史さん [] 2019/02/05(火) 10:03:57.22

100年前が親戚じゃないとか、どんな民族だよw
我が家の100年前は、親父のにいちゃんがスペイン風邪で死んだ年だわ。
別のにいちゃんは当時4歳で生き残ったけどな。
普通に「近い親戚」付き合いしてるわ。
日本@名無史さん [] 2019/02/05(火) 10:18:58.03

おまえさんの頭の中じゃ、次男の子孫は直系じゃないんだなw
日本@名無史さん [] 2019/02/05(火) 11:55:41.56

君は誤解してるようだな
例えば長男が夭折してて次男が親爺を継ぐというのは直系の繋がり方だよ。
親→子→その子→その子→・・・・・・ これが直系な。
別の表現をすると、親→子→孫→ひ孫→夜叉孫→・・・ これが直系

綱吉は別家を継いでいたが、兄の家綱に世継ぎがなかったので兄の養子と
なり将軍を継いだ。それまで 子→その子→その子と縦に来ていたのが
兄弟間の横の繋がりとなった。これで直系はとだえ、傍系になったということ。


吉宗は家康から見て曾孫にあたる。
家綱・綱吉は家康から見て曾孫。
その後の家宣は家光の孫だから家康からみて玄孫(夜叉孫)。
その子の家継は家康から見て来孫(玄孫の子)
家康から数えて五代の子孫

吉宗の紀州家は、将軍家から見て六代前の先祖のところで繋がっているだけの親戚だぜ。
こういうのを親戚といってもな。
六代前でつながってる親戚なんていったらどこまで行くんだ?

478 は一代二代というのを今の感覚で捉えているから「親爺の兄さんが」なんていうが、
家というのは昔の感覚で捉えないと。つまり戸籍でいえば戸主が変わるのが代替わりで
あって、478の家だったらちょっと前まで親爺さんの兄さんの戸籍に入っていたかも知れない。
それと平均寿命も違う。478の親爺さんは90過ぎてるみたいだから、この人も70前後の
お爺さん。昔だったらもう死んでるw
それが2チャンに書き込みしてるんだから感覚も狂うわな。おめでたい話だよwww
日本@名無史さん [sage] 2019/02/05(火) 12:02:36.73
途中からレス番間違ってるぞ
日本@名無史さん [] 2019/02/05(火) 12:09:33.36

どうもありがと。書き飛ばしてるんだから仕方ないわな。
内容から推測してくれ。
日本@名無史さん [sage] 2019/02/05(火) 13:07:23.18
了解でありんす
日本@名無史さん [] 2019/02/05(火) 14:02:22.95
先祖のはなし
日本@名無史さん [sage] 2019/02/05(火) 16:04:57.03

あのですね、仰ることはほぼ理解できましたが、少々頭が固い部分もあるんじゃないですか。
まずは、ここのシステム名称が2chから5chになってどれぐらい経ったかなと…。w

それと「戸主が変わるのが代替り」との御主張ですが、必ずしも戸主相続が年長者→年少者への
一方通行じゃなかった事例なんてのもありますよ。年寄りが隠居して息子に戸主を譲ったまでは
いいが、息子が先に逝ってしまい、隠居が再度戸主に復活した後から自分が逝き、ようやく成人
した直系の孫が戸主を継いだというケースを知ってます。これは明治〜昭和初期の話だけどね。

日本という社会システムでは、親族の範囲を法律で規定してるから、何親等離れたら親戚扱い
しなくても良いだろうという感覚をお持ちなのかな。とはいえ、ほとんど廃れちゃったけど、共通
の先祖を持っていることに変わりは無いので、「源平藤橘」に代表される氏姓(うじかばね)制度
が、日本文化の一つとして残ってることも忘れてはいけないと思いますよ。

まぁ、徳川氏も「清和源氏」を名乗って一族の歴史的地位みたいなモノを鼓舞してたんだから、
先祖をどこまでたどって親類縁者を名乗らせるかは、各々の研究者で基準が違うのが当たり前
じゃないかな。こういう類いの議論に関して、「絶対に俺様が正しい」という答えは出せないでしょ。
日本@名無史さん [sage] 2019/02/05(火) 17:35:52.69
先祖のはなし
日本@名無史さん [] 2019/02/05(火) 17:38:32.04
先祖のは なし
日本@名無史さん [sage] 2019/02/05(火) 18:24:13.84

>年寄りが隠居して息子に戸主を譲ったまではいいが、息子が先に逝ってしまい、隠居が再度戸主に復活した後から自分が逝き、
>ようやく成人した直系の孫が戸主を継いだというケースを知ってます。これは明治〜昭和初期の話だけどね。

毛利元就→毛利隆元→毛利輝元の家督相続例も同様だね
もっとも、元就から隆元への代替わり時には実権をすべて委譲していたわけではないんだけど。

室町時代戦国時代あたりだと、家督を譲った跡で徐々に実権もうつしていくって感じで緩やかな相続をすることが多かったから、
相続が完了する前に子どもが死んだとき、その時点ではどっちが本当の家督なのか不明瞭な事例が多いよな
日本@名無史さん [sage] 2019/02/05(火) 19:16:04.91
アナルにチンポ入れるのは、やっぱり危険かなぁ
日本@名無史さん [] 2019/02/06(水) 00:30:51.01

自分のミスを「しょうがない」は無いだろう。しかも偉そうに上からスタンスで書き込んどいて。醜すぎる。
日本@名無史さん [sage] 2019/02/06(水) 06:16:35.06
北畠氏傍流の田丸氏家紋は八段の鞠挟みですが、自分の家紋は六段の鞠挟みです。何かしら関係がありますか。先祖の出が三重なのでお伺いしましす。
日本@名無史さん [sage] 2019/02/06(水) 06:17:04.11
家系を必死で辿って立派なご先祖(笑)を探し出そうとする奴は
自分は何一つ中身の無い空っぽな人間ですよと言ってるようなもん
日本@名無史さん [sage] 2019/02/06(水) 06:24:41.72

生まれた人間はまっさらな状態なので思想を入れて教化していくという共産圏と親和性高そうな考え方
旧来の歴史や個人の系譜の分断を是とする人々だから生まれながらに人を色付けできる遺伝子なんて邪魔だろうな
日本@名無史さん [] 2019/02/06(水) 07:04:12.11

俺の高祖父は藩士と士族のはなし

武家は分家すると家紋を変えたりする
俺の本家は代官やってて表門を織田木瓜で裏門を横木瓜にしてて
俺の家紋は横木瓜である
俺の高祖父は代官の仕事を請け負ってて
代官が本来やるべき仕事を俺の高祖父がやってて
郷土資料として残ってる書物は本家の人の名前ではなく
俺の高祖父の名前ばかりが書かれてあった
通り字が信だから
眞信ってはっきりと二文字だけ!
ちなみに織田家臣ではなく武田家臣でした
信玄家臣じだから信使ってます
あと家紋も
木瓜の由来は武田の唐花紋
503 [] 2019/02/06(水) 07:10:40.49

ちなみに織田家臣ではなく武田家臣でした
信玄家臣じだから信使ってます
あと家紋も
木瓜の由来は武田の唐花紋から来てます
だから
どちらかといえば5つ木瓜よりも横木瓜の方が本来の家紋に近いのです
もともとは唐花紋、その後変化して5つ木瓜になりりゃした
ちなみに同じ藩内の一族に全く異なる家紋を用いてる系統があります
これは武田家臣にならずに徳川家臣になった系統です
徳川家臣になった系統は室町時代に分家した家系です
その後、本家筋である木瓜紋の家系と分家筋である異なる家紋の系統は、本多中務大輔平八郎忠勝家臣になり、合流しましたとさ
503 [] 2019/02/06(水) 07:31:47.54
鎌倉時代は分からん!
将軍があいつやってこいって命令したくせに、やってきたら、人道に反してるとかの理由でやられちゃうとか、ほんと意味不明
この時の御家人たちは、ビクビクしてたんだろうなー
503 [] 2019/02/06(水) 07:53:50.33
俺の家系先祖は鎌倉御家人だ
家系先祖が江戸時代に住んでた地域には御家人子孫が多い
家系先祖が住んでた集落の隣の集落に住む別の鎌倉御家人子孫は鎌倉幕府に滅ぼされた
滅ぼされた御家人の一族が集落に隠れて、神社神主なって、その後、その集落から全国各地に子孫を輩出して、各地の戦国大名の家臣となっている
俺の家系先祖の鎌倉御家人も、隣の集落の鎌倉御家人と同じように、鎌倉幕府に滅ぼされて、滅ぼされた鎌倉御家人の子孫が集落に移住した
鎌倉御家人どおしの地域だから、この地域の苗字だけでも鎌倉時代だ
俺の家系先祖は江戸時代は藩士で明治時代は士族だ
これは俺の数多くいる俺の先祖のうちの家系の方の先祖のはなしである
俺には血筋の方の男系先祖もいるし、扇型で辿ると、沢山の先祖がいる
だから他にも武士だった先祖のはなしが沢山ある
日本@名無史さん [sage] 2019/02/06(水) 08:09:17.01

馬鹿には何でもサヨク(笑)に見える
日本@名無史さん [sage] 2019/02/06(水) 08:12:25.03

>>生まれながらに人を色付けできる遺伝子なんて邪魔だろうな

遺伝子の話なんてしてないのに(笑)
やっぱ遺伝子厨が巣くってるなこのスレ
日本@名無史さん [] 2019/02/06(水) 08:14:14.47

血族先祖に限るスレで何言ってるんだ
日本@名無史さん [sage] 2019/02/06(水) 08:16:51.90
そもそも生まれた状態は空っぽだろ 馬鹿じゃねえの?
お前は生後1日目で日本語話せたのかよw
そこから何一つ積み上げず生きてきたような薄っぺらい奴がはまるんだろうな
高貴な血統とやらに(笑)
日本@名無史さん [sage] 2019/02/06(水) 08:20:09.90
お前の先祖はエタヒニンだろ どうせw
日本@名無史さん [] 2019/02/06(水) 08:20:29.93
はー工作員必死すぎて草ンゴねぇ
日本@名無史さん [sage] 2019/02/06(水) 08:21:22.92

日本は中国とか韓国といったまがいモノの国ではないので古い高貴な血統が残ってるのが普通なんだよね
それ中国人や韓国人に言ってやらないと
日本@名無史さん [sage] 2019/02/06(水) 08:23:10.06
気色悪い言葉使うんじゃねーよ ガイジ
日本@名無史さん [sage] 2019/02/06(水) 08:24:30.65
最近は遺伝子検査で分かるそうじゃない?
そりゃ必死に叩きたくもなるよね
503 [] 2019/02/06(水) 08:24:39.35
俺の祖父の前妻の先祖も武士だった
代々主水って名前を使用してる上級武士だった
必殺仕事人ではない

俺の曽祖父の正妻の先祖も武士だった
殿様の命令で、絶家となっていた家臣の家の名跡を継がされた
その家は、殿様の家の初代から家臣やってた古い名家だから、殿様から代々偏諱を賜ってた曾祖母の先祖が選ばれた

曽祖父の兄の正妻の先祖も武士
殿様の一門筆頭の一族
一門筆頭の一族だからね、一門筆頭の家じゃないからね
でも室町時代に一門筆頭から分家した家だから、それなりの家だね

俺の高祖父の正妻の先祖も武士
墓地が隣同士
同じくらいの身分どおしの結婚だったのかな?

郷土資料に俺の曽祖父の前妻の先祖の書物がある
代々直右衛門
この家も、色んな武家に養子を送って、家督相続させてる
日本@名無史さん [sage] 2019/02/06(水) 08:24:52.77

中国や韓国なんて私は一文字も出してないよ
お前の脳みそは常にその2国でいっぱいなんだなw
日本@名無史さん [sage] 2019/02/06(水) 08:27:41.03
馬鹿って邪魔者は工作員扱いしておかないと不安なんだろうな
日本@名無史さん [sage] 2019/02/06(水) 08:28:06.26
むしろ中国人と韓国人の方が血族意識凄いんじゃないかな?
彼らは自己紹介で有名人の直系だと名乗るからな
どうせエタヒニンなんだろうけどw
日本@名無史さん [sage] 2019/02/06(水) 08:31:04.17

そう、ここの奴らとほぼ同じ精神構造
水呑み百姓が必死こいて侍の系図を騙ってんだよなw
日本@名無史さん [sage] 2019/02/06(水) 08:41:09.60

>水呑み百姓が必死こいて侍の系図を騙ってんだよなw

家系図ってそんなもんだろう
日本@名無史さん [sage] 2019/02/06(水) 08:42:28.06
まぁY染色体調べてどれだけ拡散したのか共通祖先がどれくらいの年代なのか調べれば有力者か否かは一発で分かるけどね
家系図なんかよりよっぽど信頼性高いからそっちやればいいさ
503 [] 2019/02/06(水) 08:43:29.08
俺の曾祖母の父親である高祖父の三男坊の英信さんは他家に養子になられて家督相続してる
本姓は高階姓だ天武天皇子孫だ
高祖父は藤原鎌足子孫だ
高祖父の家とその高階姓の家は度々婚姻関係がある
高祖父の家から男子を送って
高階姓の家から娘を貰って
てな感じで
日本@名無史さん [sage] 2019/02/06(水) 08:49:10.98
源氏や平氏でないと発覚したら切腹するの?君たち
あっ百姓だからできなかったかw
503 [] 2019/02/06(水) 08:52:16.44
俺の曾祖母の実家の先祖は
戦国時代に一時的に某戦国大名を隠居させて、隠居させた大名の息子を傀儡して、
一時期だけ実権を掌握してた
今ではカリスマ的人気を誇る某戦国大名の父親がその傀儡されてた戦国大名の息子なんだが、その人に結局戦争で負けてしまい他家の家臣となる
俺の曾祖母の先祖は、戦国時代だから当時は家老という役職は無いが、軍師的な重臣だ
俺の曾祖母の先祖の、弟子の、そのまた弟子が、カリスマ的戦国武将の軍師だ
詳しくは書けぬ
503 [] 2019/02/06(水) 08:58:44.71
俺の遠い親戚には、刀剣乱舞で萌えキャラになってる人物がいる
彼の先祖のことは世間はあまり知らないだろう
俺は知っている何故なら俺の先祖から分家した人物だからだ
彼の血筋の先祖は藤原姓斎藤氏だ
彼の先祖は途中で他家の養子になっている
その家は橘姓だ
だから彼の父親は橘という本姓を刀身に切っている
日本@名無史さん [] 2019/02/06(水) 09:09:24.45

真面目な話、家紋だけでは検索が難しいですね。御先祖様の出自が三重県とのことですが、
そこが本貫と呼ばれる姓(かばね・苗字のこと)の発生場所なのか、ある時代に限って居住し
ていたのかによっても、検索方法と結果が違ってきます。

例えば江戸時代の三重県は、伊勢亀山藩の石川、伊勢神部藩の本多、伊勢桑名藩の松平、
伊勢菰野藩の土方、伊勢津藩の藤堂、伊勢長島藩の増山、志摩鳥羽藩の稲垣、それと伊賀
(藤堂和泉守支配)の8つに分断されていました。御先祖様が、これらの諸藩でいずれかの
大名に仕えていた武士階級で姓名が分かるのであれば、各藩毎の明細分限帳などを頼りに
検索もある程度やりやすいでしょう。

これに比べ、本貫が伊勢、志摩又は伊賀にあるケースですと、現在名乗っておられる姓が
深く関係します。Wikipedia の引用で恐縮ですが、伊勢国を本貫とする代表的な一族は、
伊勢国度会郡の小俣氏や伊勢国川曲郡の神戸氏等が挙げられます。こういう場合、まず
はお近くの図書館で「姓氏家系大辞典」等を検索し、御先祖様の本貫(姓氏の起源、分布、
それに本流支流の別)を検索するのがベターな手法だと思います。

そういう訳ですので、インターネットリテラシーの問題もありますが、もうちょっと詳しい情報
(現在名乗られている姓と分かっている範囲の出身地)をアップしていただければ、有用な
情報や知恵が出てくるかも知れません。どうぞ御検討下さい。
503 [] 2019/02/06(水) 09:28:32.58
俺の遠い先祖の一族のはなし
俺の遠い先祖は通称を
吉太夫とか吉左衛門とか吉三郎とか
与三郎とか与右衛門とか
作左衛門とか作兵衛とか
兵衛三郎とか三郎とか与三とか三郎兵衛とか
付ける
当主の通称は三郎が基本だ諱は政を通り字にしてる
戦国時代に、俺の遠い先祖が、某戦国武将の養子となり家督相続した
上記の様な通称と諱を、嫁ぎ前の状態から変えずに養子先で家督相続した
だから本姓も変えずに、家系の先祖より、そのまま血筋の先祖を優先して養子先で家督相続した
養子先の家は後漢霊帝子孫三善氏だ
だが養子となり家督相続した後もその武将は生家の本姓である源氏と通称や諱を使い続けている
その戦国武将の子孫は江戸時代も源氏だ
その子孫が住む山は源氏山と呼ばれている
503 [] 2019/02/06(水) 09:42:32.26
俺の高祖父の通称の一つが与三郎
古い墓碑にもしっかりと刻まれてある
通称を使い初めたころから
ずーっと似たような通称を使い続けてる
同郷の一族も全員、似たような通称を使い続けてる
あと諱も
ブレないこの習慣は凄過ぎる
他の氏族とかなんて、時代も変われば、苗字は滅多に変わらなくても、通称や諱はしょっちゅう変わってるところが多いのに
俺の同郷一族は、吾妻鏡の記録から明治時代まで、ずーっと変わらず伝統を守ってる
日本@名無史さん [sage] 2019/02/06(水) 13:00:13.79


ありがとうございます。
出身の伊勢あたりでも独特で少ない姓で、すぐに身元がばれそうなので、「姓氏家系大事典」で調べてみます。
親からは明治になって姓を変えたと聞いてますから駄目かも知れませんが、ただ、墓から少し離れた所に姓と同じ地名があるのが気になっています。
日本@名無史さん [] 2019/02/06(水) 15:22:10.81


です。了解しました。どうやら本貫が伊勢国にあるようですね。明治になって姓を変えたとの事ですが、
檀那寺の過去帳をあたれば旧姓が分かるかも知れませんので、「お布施(授業料)」と「自分が一族の子孫
であることを証明するもの、例えば本籍が分かる戸籍謄本や除籍簿の写しなど」を持ってお寺さんへ出向き、
住職さんに「何とかならないか」と相談してみるのも一つの手段だと考えます。

それから家紋についてですが、とりあえず「日本家紋総鑑(収録数20,000)」が役に立つかと思われます。
どこの図書館に蔵書があるかは、 インターネットから横断検索できるOPACシステムを使うといいでしょう。
あと、「家紋の調べ方」と「辞書」という言葉でググれば、関連書籍類が分かりますので、これも参考になると
思います。
日本@名無史さん [] 2019/02/06(水) 15:47:20.47

屋号っていうんだよ。
屋号が先祖の名前の家もあるし、商売の家もある。
油屋とか竹屋とか桶屋とかうどん屋とか。
別に今その商売してなくてもそういう屋号だったりする。

親爺の田舎でもしばらく前まで屋号が通用してたな。
善兵衛とか五郎右衛門とか喜七郎とかな。
呼び方は善兵衛だったらゼンベドン
五郎右衛門だったらゴロエモドンってな感じ

昔は田舎の百姓なんて全部屋号だよ


家紋が何かは先祖や家系とは関係ないだろ
家紋ほど適当なものはない

俺は中学時代に家の家紋が某大名と同じことに気づいて興奮し
友達にうちは何々家の子孫だ、などと自慢してたりしたが
それも中二ぐらいまでだな。
頭が成長すると馬鹿みたいでやってられなくなるわ
日本@名無史さん [sage] 2019/02/06(水) 16:54:21.31

このスレに向いてないから、来なくて良いよ。ありがとう。お疲れ様でした。
日本@名無史さん [sage] 2019/02/06(水) 17:44:02.69

色々とご教授頂きありがとうございます。
また分からないことが出てきましたら、ご教授を頂きたく、お願い申し上げます。
日本@名無史さん [] 2019/02/06(水) 17:51:09.15

>俺の高祖父の通称の一つが与三郎

君の家は ヨサブロドン って屋号だったわけだw
日本@名無史さん [sage] 2019/02/06(水) 20:25:09.43
何もないヤツより良いのでは?
503 [] 2019/02/06(水) 21:00:20.34

いや屋号ではなく與三郎っていうのは通称ね、ちな諱は正廣ね
503 [] 2019/02/06(水) 21:13:33.61
家紋だけでなく旗も調べてみると面白い
旗は家紋を付けたりしている武家もあるが
俺の曾祖母の実家の様に武家でも廻船問屋を営んでいたら持ってる船の絵をそのまま旗にしてる場合もある
503 [] 2019/02/06(水) 21:26:30.13
ちなみに曾祖母の父親(明治維新時)の諱は久富
通り字は久
この家は殿様の旧臣である絶家となった名家の名跡を継いだ家なので、曾祖母の男系先祖ではなく家系先祖である
曾祖母の男系先祖の一族は通り字は重、藤原鎌足子孫
一族の中でも本家だけが苗字が異なる
本家から分家すると、男系先祖の苗字に復姓する
ちなみに現当主は本家である曾祖母の実家から分家したお家なんだが
本家は曾祖母の甥っ子あたりで絶家したため
明治時代か大正時代に分家が本家の苗字に改めて
現在では分家筋が一族の総本家を名乗っている
分家筋でも江戸時代は300石くらいの武家だったため、それなりに系図や由緒があり、インターナッツにもブログで載せてたり
するから、曾祖母の先祖を知るには、かなりいい材料になったね
曾祖母の実家の先祖も平安時代末期まで辿れるよ
そこから先は某神社の神主が本家にあたる
日本@名無史さん [] 2019/02/06(水) 23:53:13.26
名前の太郎と多郎の違いって何かな?
日本@名無史さん [] 2019/02/07(木) 03:12:41.57
世系で数えたら俺は清和天皇から三十七世だった
日本@名無史さん [sage] 2019/02/07(木) 05:33:38.79

明治になって姓を変えたってのは詐称の可能性あるよ
その姓を持つ人とは何の関わりもないのに名乗った人たちが多く出たのがいわゆる明治新姓
以前○○の殿様が治めていた土地に住んでいたから、姓を○○にしたとかね
日本@名無史さん [] 2019/02/07(木) 07:05:40.47

>この家は殿様の旧臣である絶家となった名家の名跡を継いだ家なので、
>曾祖母の男系先祖ではなく・・・・

絶家となっているわけだから養子に入ったわけではないんだな。
ただ名跡を継いだと。
名跡を継ぐというのは、代々の当主の名前や家名を継ぐことなんだが
維新後にそんなことを本当にやったのかね?
日本@名無史さん [sage] 2019/02/07(木) 11:04:17.97
結構あったと思うよ。 
そもそも戸籍制度と言うのは、全ての人が戸籍に入っていないといけないし、戸籍には戸主がいる。
戸主を誰かが相続すれば、家督相続。 戸主以外の人が相続すれば遺産相続とはっきりと分かれていた。

家督相続
@戸主たる身分関係の相続であるから、その相続人は1人に限られる。
A家督相続の効力として、前戸主に属する一切の権利義務(但し、前戸主の一身に専属するものを除く)を包括的に承継する(旧民法986条本文)。
B戸主の身分関係の承継という関係から、系譜・祭具及び墳墓の所有権は家督相続人の特権に属するものとされている

基本的に家督相続は、戸主を相続することにより行われる。
日本@名無史さん [sage] 2019/02/07(木) 15:33:43.02

差し支えなければ、明治になってから姓を変えた理由を教えて頂けませんか?
503 [] 2019/02/07(木) 15:39:30.87

曾祖母の実家は、ある苗字の嫡流で一族の総本家でした。
しかし、殿様の命令により、宝暦年間に、殿様の旧臣の絶家していた名家の名跡を継ぐことになりました。
一族の苗字を仮に鈴木と仮定して、殿様旧臣の苗字を仮に佐藤と仮定すれば、
鈴木一族の嫡流宗家が佐藤家の名跡を継いで、佐藤氏を使用します。
鈴木氏と佐藤氏の合併です。鈴木氏の嫡流が佐藤氏というように、苗字で本家と分家を区別することになりました。
曾祖母は、その仮名の佐藤家の娘でありました。曾祖母の父親、高祖父はその佐藤家の当主でありました。時代はちょうど明治維新頃の当主です。
その後、佐藤家は、曾祖母の甥っ子あたりで絶家してしまいました。高祖父の孫あたりの代となります。
その後、江戸時代は300石を賜っていたが分家の中では上から2、3番手の程の分家が、上位の分家たちが軒並み絶家していたこともあり、
その2、3番手の分家が、曾祖母の実家の名跡を継ぎました。
そして、江戸時代は分家だった家が宗家となり、今でも一族を引っ張っています。
以上、佐藤家現当主の歴史的見解及び、郷土資料などで事実確認した俺の個人調査になります。
503 [] 2019/02/07(木) 15:59:22.28
ちなみに現当主の家は江戸時代年間に養子が入ってます。
一番手の分家が途中で養子入ってて、その一番手の分家のまた分家が、現当主の家だからです。
現当主の家は、曾祖母の実家から見れば、分家の分家です。
例えるならば、
重長─重長─重長─重長─重長・・・曾祖母の実家
└重次=重次─重次─重次・・・一番手の分家
└重三─重三・・・現当主

という感じです。
血筋を考えらならば、俺が血筋を引いている子孫となります。
503 [] 2019/02/07(木) 16:15:17.63
俺の曾祖母の実家は、殿様の命令により、宝暦年間に鈴木氏から佐藤氏の名跡を継いだ。
その際には、これまで使用していた鈴木氏の通り字の重から、佐藤氏の通り字の信を使用することとなった。
これは殿様の命令が正式にあるから、しょうがないことだった。
でも現当主の家は、殿様の命令ではなく、一族の判断で佐藤氏をおこすこととなったので、
現当主の諱は、これまで通りの重を通り字としてる。でも、現当主の苗字は佐藤氏に変えてるので、佐藤重三のような感じになってる。
俺の曾祖母の父親は、佐藤信長のような感じです。
日本@名無史さん [] 2019/02/07(木) 17:47:32.66
絶家してる家なんかもう存在していないんだからその名跡を継ぐなんてありえないって。
君の先祖はその絶家した家とは他人なんだろ。
なんで他人が赤の他人の家を復興するんだよ。
継ごうとしている家は無くなっているのだからそこに養子に入るということはありえないし、
もともとその一族でもないのだから再興することもありえない。

絶家した家にその血脈を継ぐ子孫がいて、その子孫が家を再興することはありうる。
中国の後漢がまさにそうだ。
劉氏の後裔の後裔みたいのが漢王朝を再興したんだよな。

君の家は佐藤氏の裔(すえ)ではないので再興佐藤氏の当主にはなれない。
なんか分からんが、ご先祖が足軽か同心の株でも買って、そのときにいろいろ
騙されたんじゃないかな。贋系図でも見せられて。
明治以降諱(いみな)なんてものをやってるとしたら、幕末に株を買って武士ごっこを
やって喜んでる百姓か商人の家のような気がする。
本物の武家は維新後は困窮して諱どころじゃなかったんだよ。
503 [] 2019/02/07(木) 17:51:49.03

長いしめちゃくちゃだね
503 [] 2019/02/07(木) 17:54:41.60

ちなみに俺の曾祖母の父親の名前は
郷土資料とか市のホームページにも載ってるよ
俺の独断じゃない
しょうがないじゃん、本物なんだから
503 [] 2019/02/07(木) 18:03:31.08
たしかに俺の曾祖母の実家は江戸時代に廻船問屋を営んでたから商家だった。
分家筋の現当主の先祖も江戸時代は商家だったよ。
俺の曾祖母の父親も、分家筋の現当主の先祖も、士分を持ってる商家。
江戸時代は一族が役割を分担して経営してた。市のホームページに書いてある。
俺の曾祖母の父親と、分家筋の現当主の先祖の名前が、ちゃんと一族であるという客観的なことが市のホームページにも書いてある。

嫉妬乙w
日本@名無史さん [sage] 2019/02/07(木) 18:07:49.92
その誇りに思ってる系統の遺伝子検査してくれないかな。
503 [] 2019/02/07(木) 18:10:51.83

城下侍として藩の名簿みたいな資料にも、俺の曾祖母の父親の名前は書いてある。
俺の曾祖母の実家の戸籍にも、他家の藩士だった士族の家との婚姻関係がはっきりと書かれてある。
これも殿様に定期的に提出していた、他家の藩士系図の内容と合致する。
他家の藩士系図にも、俺の曾祖母の父親の名前が書かれてあるし、
他家の藩士系図に書かれてある子孫の名前も、俺の曾祖母の実家の戸籍にしっかりと書かれてある。
証拠は数多くある。
俺だって個人調査する時は、疑って疑って疑いまくって調べてるんだよ。
それでも本物だったんだよ。

嫉妬乙w
503 [] 2019/02/07(木) 18:13:57.44

俺も遺伝子検査したいと思うけど、お高いのでしょう?
日本@名無史さん [sage] 2019/02/07(木) 18:17:10.08

男子直系の先祖なら皇統か藤原か秦氏か程度は分かるよ
遺伝子検査のスレでは君みたいに血筋を誇りだと語っていた人間が全員轟沈していったからぜひやってみると良い
日本@名無史さん [sage] 2019/02/07(木) 18:28:06.73

高いよ

全ゲノム読み取り検査(Long Read Whole Genome)だけで
$2,900.00 USD
ttp://https://www.fullgenomes.com/

結果の解析は自分でやらなきゃいけない
日本@名無史さん [sage] 2019/02/07(木) 18:29:12.34
自慢する程の先祖じゃないじゃん。
俺の家も曾祖父の代に明治維新を迎えるまで某藩の藩士だった。
姓も珍しく一族と姓を褒美にやった元家臣の人たちだけ。
その程度なら結構いるよ。

ま、先祖の庄屋を自慢する基地外よりはマシだけどな。
日本@名無史さん [] 2019/02/07(木) 18:30:54.25
士分を持っている商家ってのはいっぱいあるよな
坂本龍馬の家なんかもそう。藩に献金して士分になった。
八丁堀同心や大久保の百人同心の株なんかも普通に金で買えた。
樋口一葉の父母が金を貯めて八丁堀同心の株を買って二年後に
幕府がなくなったという悲劇は有名。
勝海舟の家は御家人株を買った家で、その後旗本にもなった。
もとは盲人の検校が息子のために買ったもの。
八王子千人同心の株は絹で儲けた八王子や町田の旦那衆に買われ、
旦那州はちょっとした席には脇差しを差して出て行ったりして見栄を
張った。酔っぱらって道の真ん中で立ち小便しても町方には手が
出せない。そういうことのために同心株を買ったのだ。
幕末には元々の千人同心の家は一軒も無かったという。

503はやっぱり商人だったか。
士分だの武家だの言ってる家ってのはだいたいがそういうもの。
ただし
>俺の曾祖母の父親も、分家筋の現当主の先祖も、士分を持ってる商家。
というのは君の家の武家ごっこのイリュージョンだと思う。

明治維新後士族とされても、それは「士族」と表示された戸籍限りのもの。
戸籍から外れて新たに戸籍を設けると、その戸籍には士族とは表示されな
かった。
明治の頃は四代ぐらいが一個の戸籍に入っていた。
だからその戸籍が有効なかぎり士族だ何だと言えたのだ。
しかし、その後に作る戸籍は士族と表記する余地はない。
明治当初の「士族」という表記のある戸籍のある時代には、その戸籍を
出て分籍すると「平民」になった。
だから、本家が株を買って士族でも、分家は士族ではない。

嫉妬とかお目出度い爺様だよw
503 [] 2019/02/07(木) 18:31:55.07

なんか言い方がヤバいよ
お前も轟沈しろって強い気持ちが込められてる文章じゃないか

俺だったら、他の武士の子孫に、そんなこと言わないし書かないよ
503 [] 2019/02/07(木) 18:33:35.76

だから藩士の名簿にも名前載ってるよ
長いし、めちゃくちゃ
日本@名無史さん [] 2019/02/07(木) 18:37:09.37
その藩士はお前の先祖じゃないよ
だいたいご先祖は廻船問屋なんだろ
めちゃくちゃだよ爺さん
503 [] 2019/02/07(木) 18:37:53.40

庄屋さんも、武家を敵視しなければいい奴なんだと思う
たまに庄屋さんが現れるけど、何で武家を敵視するのかいつも不明だ
たしかに歴史が古い庄屋もあるから、同じように歴史が古い武家の子孫である俺は、庄屋さんが現れても嫉妬しないし、なんとも思わん
503 [] 2019/02/07(木) 18:40:49.52

だから藩提出系図と戸籍の方も婚姻関係が合致してるんだよ。住所の屋敷跡も合致してるし。

なんでこんなに他人の先祖調査を否定したくなる人がいるんだろ?
俺には不思議に感じる
日本@名無史さん [] 2019/02/07(木) 18:48:12.65
これまでの経験上こういう長文垂れ流す人間に貴種は居なかったので同様だと思います
日本@名無史さん [] 2019/02/07(木) 18:52:04.45

あんたの先祖は商人で、士分を金で買った。
武家の身分を金で買うというのは、具体的には養子に入るのだ。
今の相撲界は知らんが、昔は親方株を買うということは、その親方(夫婦ないし
親方が死んで奥さんが残っていれば奥さん)の養子になったのだ。
そして、元の親方の家族の面倒を最後まで見る義務があった。
(今は一度に何億円とか払ってそれで済んでしまうみたいだな。よく知らんが)

あんたの先祖が養子に入った先の武家というのが藩摘出系図とかそういう
ものに載ってる武家。あんたとは血縁は無い。
あんたのご先祖は士分になったといってもそれは身分だけ。実体は商人のまま。
けれど明治維新後戸籍を作ったときには士分を持っていたので士族になった。
しかしそこから分籍した分家は士族ではない。それは制度上あり得ない。
503 [] 2019/02/07(木) 18:52:11.23
たまに明治以降に苗字を与えたんだ!とか言う人いるけど
それ証拠あるの?って思う

俺の先祖は城下侍で城下本陣役で廻船問屋を営んでいたけど、
一族を雇ってたりするから、一族の苗字の社員は沢山いたよ
これも郷土資料で確認した

俺の先祖の場合は、苗字を与えたという話しは聞かない
なぜなら、それは一族だから
苗字を与えるようなものではなかった
日本@名無史さん [sage] 2019/02/07(木) 18:52:29.15
おかんの実家は、名字の読み方が近世と現代とでは異なる。
日本@名無史さん [sage] 2019/02/07(木) 18:53:45.52
他人の系図を借りたままぱくる奴もいたから、疑いだしたらきりがないな。
系図屋に頼んで藩士の系図を写した可能性もあるし。
503 [] 2019/02/07(木) 18:54:22.82
すげー嫉妬じゃん
やべーよ笑笑
日本@名無史さん [sage] 2019/02/07(木) 18:59:30.36
本当にね
日本@名無史さん [sage] 2019/02/07(木) 18:59:48.56
俺の先祖のように家臣に姓を与えるケースはある。
俺の祖父の葬儀には元家臣の子孫でうちの姓を名乗ってる人たちも来てた。
その人たちが、俺の曾祖父に姓をもらったと言ってたし、俺の家にもそう伝わってるから間違いない。
曾祖父は、長年仕えてくれた御礼だと姓を与えたそうだ。
日本@名無史さん [sage] 2019/02/07(木) 19:02:23.01
うちは土地の名前やで
日本@名無史さん [] 2019/02/07(木) 19:04:05.23

>俺の先祖は城下侍で城下本陣役で廻船問屋を営んでいたけど、

本陣をやるのは武家ではない。商人。
だいたい自分で先祖は廻船問屋をやってたと言ってるじゃん。
廻船問屋をやってて本陣を引き受けてる家だったんだろ。
だったら商人そのものだろーが。
商人だけど武士の身分を金で買うことはできるから買ったということだろ。
幕末の頃はそんな商人はゴマンといるわ。
なんでそんなのに嫉妬しなきゃならないのか??
頭だいじょぶかよ爺さん
日本@名無史さん [sage] 2019/02/07(木) 19:09:35.22
近世の書状は、県に寄贈した。腐っちゃうもん。
日本@名無史さん [sage] 2019/02/07(木) 19:09:46.22
商人が武士に嫉妬しているんだな
日本@名無史さん [sage] 2019/02/07(木) 19:10:41.20
武士武士うっさいけど全然良いもんじゃないぞ
しょうもない印象付けしないでくれるかな
503 [] 2019/02/07(木) 19:19:42.29
このスレ、先祖の話ししてほしかったから、俺は自分の先祖の話ししたんだよね
俺は、自分の先祖のこと書いた、参考になればいいけど
他の人は何か無いの?
先祖の話ししようよ
503 [] 2019/02/07(木) 19:23:01.04
中には本物の子孫もいるんだし、客観的に助言できる人もいるんだから、庄屋の話しとか染色体の話しとかじゃなくて、もっと自分の先祖ではこうだったとか、
そういうこと、色々あるだろ!教えろ!
503 [] 2019/02/07(木) 19:41:48.62
このスレでは
苗字の他だったら、家紋とか屋号の話ししか出ないが
その他にも、陣紋とか旗紋とか色々あるんだよね、紋っていっても
これらは戦争するときに必要になる紋
俺の曾祖母の父親の旗紋は船の絵だった、廻船問屋を営んでたから
旗紋ってのは馬上して甲冑の上に背中に背負う旗のことで、家々ごとに異なる
家紋はこういうものだったけど陣紋は別のものだったとか、そういう話しが、他の人からも聞きたいな
503 [] 2019/02/07(木) 19:53:08.53
苗字の話しでは、
家系図に本姓藤原、佐藤氏ただし本苗源姓渡辺氏
とかあったりする
こういう場合は、初代が渡辺次郎三郎さんで
途中から佐藤次郎三郎さんが養子になり、こういう系図になる
場合もある
他にも、
穂積姓 中野氏 ただし本姓穂積本苗鈴木
という家系図の場合は
南北朝時代に鈴木左近さんが中野という地域に移住して中野城を築いて苗字を中野に変えて中野左近となったとか
そういう場合もある

資料調査する時はこの但し書きに注意するべき
活字化された本とかには但し書きを外してる場合がある
原本となる古文書の方を見ると但し書きがある
日本@名無史さん [sage] 2019/02/07(木) 20:12:08.76
先祖の一人は桶狭間の合戦で討死。首実検されてる。
日本@名無史さん [sage] 2019/02/07(木) 23:05:21.39

一族のなかでは、明治政府に配慮してと伝えられている。何ゆえに配慮したかは分からない。新撰組とかにいたからと言う人もいるので、新撰組を調べたが郷土出身の隊員とは違うと思う。
日本@名無史さん [sage] 2019/02/08(金) 00:59:34.28
はじめの方にある惣代名主の家のも、鎧兜があるの?
日本@名無史さん [sage] 2019/02/08(金) 05:08:47.14

元々一族なんだから名字を与えないのは当然だろ
褒美にならんし
馬鹿なの?
日本@名無史さん [sage] 2019/02/08(金) 05:11:37.18

後付けの理由だね 家系を詐称している家では良くあるケースだよ 説明できないからそういう理由にしてるの
日本@名無史さん [sage] 2019/02/08(金) 06:25:57.08

理由がわからないから、こじつけだと考えていますが、家系を詐称するような名字でもないです。
日本@名無史さん [sage] 2019/02/08(金) 06:31:02.29

氏の調査結果次第では、そういうケースに該当するのかも知れないが、断定するにはまだ気が早いよ。
「日本苗字大辞典」によると、日本人の苗字は少なくとも291,129件ある模様だから、そのどれに該当するか
によっても結論がずいぶん変わってくる。暫くは調査待ちに徹したほうが賢いやり方だと思うよ。
日本@名無史さん [] 2019/02/08(金) 08:56:49.84

山形県じゃないの?

庄内藩の人々は西郷隆盛の温情あふれる態度に感激して
西郷ファンになり、信仰心のようなものまで抱いたらしい。
西南の役には、庄内から四人の青年が駆けつけ、西郷に殉じている。
だから嶋津という姓にして家紋も島津家のものにしたということはありうる。

うちの縁者で、幕末維新の頃西郷に接して人柄に魅せられ
子供に西郷隆盛という名前を付けた人がいたらしい。
西郷にするか隆盛にするか悩んで結局決められず、
西郷隆盛にしてしまった。
○○(名字)西郷隆盛という名前。
でも名前負けしたのか早死にしたらしいよ。
日本@名無史さん [sage] 2019/02/08(金) 14:11:22.06
愛知県にも西郷氏は多い
日本@名無史さん [] 2019/02/08(金) 15:11:21.87
東北の島津姓について

ググったら出てきた。これっぽい
ttp://https://oshiete.goo.ne.jp/qa/6870601.html

直接関係があるかどうか分かりませんが、山形県の米沢藩上杉家の重臣の家柄として
島津家が存在しました。元々島津家は始祖の忠久が鎌倉時代初期に信濃国の地頭に
補任され、その後九州南部にあった広大な領域を持つ島津荘の地頭となり、
薩摩・大隅・越前の守護職となるのですが、その忠久の三男の忠直の系統が
信濃国の北部の水内郡内の長沼にに土着し、長沼島津氏として戦国時代には
国人層として存在しました。しかし、武田信玄の信濃侵攻により上杉謙信につき、
武田軍と戦うようになり、武田氏滅亡後は織田氏・真田氏と戦い、これらの経緯を経て
上杉氏の家臣化します。
そして上杉氏の会津・米沢転封に従い、移住します。
なお、家紋は薩摩島津氏と同じ丸に十の字です。
このような島津氏も東北の地に存在しますので、参考まで。

信濃島津氏というのはあるわな確かに。
上杉の家臣となって東北へ、というルートか
日本@名無史さん [] 2019/02/08(金) 15:20:31.59
ttp://http://www2.harimaya.com/sengoku/html/sin_simazu.html

長沼島津氏
日本@名無史さん [] 2019/02/08(金) 17:28:38.53
珍しい苗字を見ると武家なのでは?と思う人いるけど、俺の藩では佐藤とか鈴木とか高橋とかの苗字の藩士で半数を占めてるから、そうとも限らない。
むしろ珍しい苗字の武家の方が珍しいと思う。
日本@名無史さん [sage] 2019/02/08(金) 17:40:00.80

同意
日本@名無史さん [] 2019/02/08(金) 18:55:46.58
自分で家系図作り出したら、ある程度昔からは養子とか近親婚ばかりで図示したら捻れまくりで訳ワカランことになったって人いない?w
503→藏人太夫 [] 2019/02/09(土) 04:21:14.83
今、久々に系図眺めてるけど、漢字のみで文章作られてて解読不可能
藏人太夫 [] 2019/02/09(土) 04:28:26.68
やば、ずっと疑問に感じてたこと、何か分かっちゃった気がする。やば。
藏人太夫 [] 2019/02/09(土) 04:55:36.39
まさか俺が伊達の血が流れてるなんて
伊達男やな
どおりで途中諱が朝になってるわけだ
行朝の子だったたんて
となると同族である他の戦国武将も伊達氏子孫か
どおりで諱に宗の字使って伊達家家老してるわけだ
当然だわな
伊達行朝の子孫なんだから
家系の方のご先祖さまも血筋の方のご先祖もご供養します
日本@名無史さん [] 2019/02/09(土) 11:47:33.22
本家の戸籍に入っていた者が分家して名字が変わったという場合は、
もともとそこの主が外で妾に産ました子どもとか、女中に手をつけて
出来た子供とかが夫婦の子として届けられている場合で、その妾や
女中の子が成人すると戸籍の戸主になれるので分籍した場合が多いね。
そういう場合は、本家の子供じゃないということをハッキリさせるため、
その妾とか女中の名字で戸籍を作ったりすることが多い。
一番簡単なのは妾や女中を戸主にして養子という形で実の子を入れる
やり方だね。この場合は名字は当然別。

昔は未成年の子供がよそで作っちまった子供を戸主である親爺の籍に入れるとか、
娘が不義で産んだ子を母親が産んだことにするとか、そういうことが多々あった。
今だったら無理だが、昔は簡単にできたのだ。
そういう子供をいつまでも籍に入れておかれないので、一定の年齢になると
分籍したんだな。

分家で本家と名前が違う家なんてのは、はは〜〜俺のご先祖は妾の子だな、
とか予め思っておいた方が無難。
日本@名無史さん [] 2019/02/09(土) 19:17:08.71
今の戸籍制度の感覚で考えてもしょうがないのかな?
明治初期は、江戸時代の感覚で考えていた方がいいかもね
だから江戸時代の系図を勉強した方がいいかもね
日本@名無史さん [] 2019/02/09(土) 22:43:34.76
昔の戸籍って実は信用できないの!?唯一の昔を偲ぶ手段だと思ってたのに。

うちの高祖母、11歳半から43歳まで9人出産してるが、年齢的に何か怪しい気がしてきたw
日本@名無史さん [] 2019/02/09(土) 22:47:22.72

今まで見た家系図で一番ややこしいのがタモリだな。

かなり離されて次点で横山やすし。


伊藤伝右衛門はややこしいが妾が多いだけで捻れてはいないかな。
日本@名無史さん [sage] 2019/02/09(土) 22:55:04.81

俺の父方の曾祖母も18歳から41歳までに、11人子供産んでるよ。
母方の高祖母は12歳で子供産んでるからあり得ると思う。
日本@名無史さん [sage] 2019/02/09(土) 23:15:44.35


今じゃ犯罪だな。
日本@名無史さん [sage] 2019/02/09(土) 23:25:44.66

うちも戸籍から年齢計算すると曾祖母は母親(高祖母)が41の時の子になってるわ
でも40代で自然妊娠て考えにくい(ゼロとは言わないが)し戸籍の表記数年ズレてるんじゃないかと思ってる
日本@名無史さん [sage] 2019/02/09(土) 23:29:19.45

50代なら自然妊娠はなかなかキツイけど、41なら自然妊娠結構あるぞ

今と違って何人も産んでるしな。
科学的に、子供産む数が多ければ多いほど、高齢でも妊娠しやすくなるんだよ
日本@名無史さん [] 2019/02/09(土) 23:30:13.74
明治十九年式戸籍は疑った方がいいよ
明治十九年式戸籍に載ってる人たちは、江戸時代から明治時代に戸籍製作するときに、役人が書き写した物(壬申戸籍の後継)だから
当然ながら名前だって間違えてる
例えば江戸時代の名前が淳太夫なら明治時代の戸籍には住太夫になって変化してたりする
淳太夫と住太夫は同一人物だが
淳の崩し字と住の崩し字は似ててフリガナもジュンとジュウで似てるから
多忙だった役人はすぐに書き間違えたりする
日本@名無史さん [sage] 2019/02/09(土) 23:31:28.47

そうなんだ!?それは知らなかったわ
じゃあ表記間違いだと一方的に決めつけないほうがいいな
日本@名無史さん [] 2019/02/09(土) 23:53:17.07

実は、昔の方が高齢出産が多いのだ。
40なんてまだまだ普通で、50代でも年間数千人が出産している。
ttp://https://www.news-postseven.com/archives/20130604_191790.html?PAGE=1#container

でも、昔の人の年齢の感覚って今の感覚の1.5倍くらいだよな?昔の40は今の還暦くらい、昔の還暦は今の90歳くらいの感覚、みたいな。
ってことは40代とか50代って完全に婆さん(そもそも、平均寿命上回ってる)なのに普通に性交渉してたのかなぁ。
日本@名無史さん [] 2019/02/09(土) 23:53:34.16
曾祖母は12歳から出産し始めて10人産んだ
成人したと思われるのは6人くらい
日本@名無史さん [sage] 2019/02/10(日) 00:02:27.85
有名どころの事例で、マリアテレジアは出産回数が15回ぐらいだっけ?
死産含めて16人ぐらい産んでなかったか

それですらギネス記録には遠い。
日本@名無史さん [] 2019/02/10(日) 00:03:59.45
愛人との子供なんじゃね?
日本@名無史さん [] 2019/02/10(日) 09:48:05.42

中学生?精神年齢はともかく肉体年齢は一緒だろ。

子沢山や妾持てるのも扶養能力だから家格の証しにはなる。
今時の貧乏子沢山とは別物。
日本@名無史さん [] 2019/02/10(日) 09:50:10.46
笑う
日本@名無史さん [] 2019/02/10(日) 11:36:42.46

いや、肉体年齢むかなり違うぞ。同じ年齢で比べたら昔の方がかなり老けてる。老化が早かった。
日本@名無史さん [sage] 2019/02/10(日) 12:29:58.66
第一子の出産に関しては逆だ
栄養条件の悪い昔の方が成長が遅くて、若齢出産のリスクが大きかった
現代児の方が初潮年齢が低いし身長の伸びも胸の膨らむ年齢も早い
日本@名無史さん [sage] 2019/02/10(日) 12:32:16.83
金持ちの場合、乳母を雇って実母が授乳しないことが多いので、
出産後の月経の休止期間が早く終わるんだ
乳母を雇わない人と比べて出産の間隔を半分ぐらいに縮められるらしい
日本@名無史さん [] 2019/02/10(日) 12:53:29.36
いくら昔でも11歳半で子供産むというのはおかしい。
子供というのは腹の中に十月十日いて生まれてくる(実際はもう少し短いがw)
11歳半で出産ということは10歳前半で妊娠したということになる。
アフリカのヒズボラの性奴隷じゃあるまいし、いくらなんでもそんなのないだろ

旧民法は明治31施行で、婚姻適齢は男17歳、女15歳。
やっぱり昔でも女も15にはならないと結婚とか性行為というのはなかった。
大名同士の婚姻で12歳とかあるけど、こういうのは形だけだった。

11歳半で出産したように届けたということは旧民法施行前のことなのかな?
明治19年式の戸籍作成の際に既定のこととして届けたんだろうか。

たぶんその11歳半で産んだとされた子をどうしても家の跡取りにしたい事情が
あって、無理やり高祖母の子として届け出たんだろう。
日本@名無史さん [] 2019/02/10(日) 12:54:14.47
上は   へのレス
日本@名無史さん [sage] 2019/02/10(日) 13:16:36.29
>子供というのは腹の中に十月十日いて生まれてくる(実際はもう少し短いがw)

妊娠直前の、さいごの月経の日から数えて10月10日らしい。
受精するのは排卵日なので、月経後2週間ぐらいの日。
(厳密な意味でいうなら受精じゃなく着床からが妊娠だとも言えるので、それなら受精より更に数日後ぐらい。)

受精から数えて10ヶ月弱だね


ただ、平均よりも大幅に早く初潮を迎える事例は、比率としては少なくても人数は少なくないので、10歳で妊娠するとかはある
昭和頃の日本人の事例でも実在する。もちろん産んでなくて、妊娠の報告だけだが。
日本@名無史さん [sage] 2019/02/10(日) 13:55:27.22

僕の戸籍でも、6代前の先祖が12歳で出産したことになってる。
まあ江戸時代で東北地方だからあり得るかな?
日本@名無史さん [] 2019/02/10(日) 13:55:52.25

馬鹿だなお前。
十月十日ってのは昔から言われていたことだが、昔の人間だって十月十日で
生まれてくるとは思ってないよ。何真面目くさってシッタカしてんだボケ

10歳で妊娠とかはいくらでもある。
ただ「通常あるかどうか」という問題だ。
10歳で妊娠→そうかい。そりゃよかったねー、と言うかよお前は?w
ビックリするのが普通だろ。
11歳半で出産したら、それをそのまま事実として受け取るより、社会的な関係で
何かそのようにした事情があるのでは、と考えるのが普通ではないか

とにかく馬鹿だわ。お前   ガキだろ。15歳ぐらいか
日本@名無史さん [sage] 2019/02/10(日) 14:01:36.98
621ですが、僕の場合、6代前の先祖は夫婦揃って12歳なんだよね。
そこが少し怪しい。
母方祖母の実家の家系だから、繋がりも薄いし聞きにもいけないし。
戸籍勝手に取ったことも何か言われそうだしな。
日本@名無史さん [sage] 2019/02/10(日) 14:11:30.87
お前さんの文脈だと、有り得ないこととでも言いたげだから、現実に事例報告がある以上はありえないことではない、と言ったんだが。

もちろんすべて異常事例だよ、元ネタの報告書では12歳胃邪の妊娠事例の多くが父親もしくは兄による性的虐待の被害による妊娠だった
現代よりも成長度合いの劣っていた昭和期でも(ならおそらくは明治や前近代でも)稀な事例としては有り得たことだろう
有り得ないことと言い切ってしまうのはどうか。

それに昔だと社会的事情により婚姻許容年令以下での嫁入りを行う抜け道が社会的に許容されていた。
もちろん性的な事情によるものではないが。
幼少の嫁を取る事例は意外と多く有ったんだよ(この場合はいちおう、嫁を取ってすぐに性的関係を結ぶわけではない)
622つづき [] 2019/02/10(日) 14:29:41.71

君のところはちがうと思うが一般的な話を。
青森の方では嫁は労働力にすぎず金で買う人奴という感覚だった。
12歳というより、もっと幼い女の子を買うというのはいくらもあったみたいだけどね。
女の子の親だって口減らしになるし、金が必要なら売るだろう。
なんせ捨て子が当たり前の時代に、12まで育てりゃ上等という感覚だろ。
16ぐらいの嫁さん貰うより、将来嫁にすることを見越して10歳ぐらいの子供を買った
方が安上がりだし使いでもある、と考えるんじゃないか。貧乏農家は。

男の子だって10歳ぐらいで作男(さくおとこ)に売られた。
スーパーボランティアの尾畠さんも、農家の手伝いに行かされて中学もほとんど
行ってないということだが、同じようなものだろ。

青森で、息子の嫁に手を出した舅がいて、息子が文句を言うとこう言った。
お前、馬だって20円するんだぞ。嫁もらうのに50円使った。
だったら親子でしっかり使わねば元がとれないだろ

嫁を畑仕事などに連れていっては好きにしていたらしいが、
嫁は幼くて善悪の判断もできず、舅のいいなりになっていたのだろう。
網野善彦はそう書いてる。たぶん嫁は子供だったのかもな。

飛騨地方では土地が狭小で分家ができず、長男に来た嫁は兄弟の共有だった。

中国残留孤児の女性で12歳で子を産んだという人がいた。
男の子二人のいる農家に買われ、下の息子の嫁になっていた。
たぶん幼少の頃から二人の男の子に性的ないたずらをされてたんだろ。

ただ、の高祖母についてはそういう考え方はしたくない。社会的事情による
戸籍操作と考える。
だが が小児性愛的なものと考えるならそうすればいい。お前の勝手だ。馬鹿が
日本@名無史さん [sage] 2019/02/10(日) 17:23:24.79

どうやら他人を罵倒する場に成り下がっているようだけど、物事や相手の意見はきちんとした裏付けをもって冷静
に評価しないと駄目でしょ。確かに相手を罵倒するのは勝手ですが、お願いだから同時に自らの品位や個人的な
意見の信頼性を下げてることにも気をつけて下さいませ。

それはともかく、江戸時代のことわざに「十三ぱっかり毛十六」とあるように、女性の性的な成熟は数え年齢13歳
から始まると言い伝えられてる。平均初潮年齢が数え年齢15歳であっても、ちゃんと統計学的要素を加味して考
え、初潮年齢が正規分布に従うと位置づけ、標本の個体差を考慮に入れれば数え年齢13歳、つまり満年齢でも
12歳で妊娠は可能だと推計するのは難しくないよ。これは御説で言及されたとおりの現実があることを示す理由
にもなり得ますよね。

次に言えることは、御説のとおり妊娠女性が所属する社会システムによって、常識や風習が異なるということね。
娘が産んだ子供を血統上の祖母の子として戸籍登録したり、婚外子を誰の子供として戸籍登録するかは、その
社会システムにおける事情によって左右される事柄でしょう。だから戸籍が絶対信用に値しないケースもあると
いうこともまた事実と言えるかな。

それから妊娠期間の長短、つまりは早産や遅産に関しても統計学上は上述のようなことが言えるから、ケース
バイケースの事象を、現代人の固定的観念で一方的に解釈しても徒労に終わることを考慮に入れなければ、
せっかく議論しても中身の意味が無くなると思うんですけれど、如何なものでしょうね。
日本@名無史さん [] 2019/02/10(日) 18:11:08.96
映画評論家の淀川長治の家は芸者置屋だった。
長治の母親は父親の本妻の姪。本妻は女の子を二人産んだが男の子は産めず、
病床に伏していた。淀川の血を引く男の子を産ませるため、本妻は自分の姪を
夫の妾にした。妾にされた長治の母は15歳で長治を産む。
本妻は長治を病床で抱き、安心して死んでいった。

淀川家というのは、淀川という名から想像されるように、淀川で三十石船を回漕して
いた船問屋だった。名家の血を絶やさぬため・・・などと綺麗ごとを言うが、実際は
長治の父に家業を任せるのが嫌だったのだろう。父親は婿だったのかも知れない。
本妻が死んで父が後妻を迎えれば、父親の天下となりやり放題となる。
淀川の親族たちはそれが無念で、一族の女を後妻にして本妻亡き後も芸者置屋を
コントロールしたかったのだと思われる。
若い女の子を妾にしても本妻にしても何もできない。実際はその母親や何やかやが
付いていくのである。帳場の前に誰が座るかの問題であった。

淀川長治は明治42年生まれ。その頃でも15歳で出産というのはまあ早い方だろう。
というより、その二年前ぐらいから妾になったのだろうし、父親は40代であった。
今なら中学一年か二年という年齢で四十男の妾になるのは悲惨である。
淀川は終生母を哀れみ、父を憎んだ。
つづき [] 2019/02/10(日) 18:11:30.19
新選組の沖田総司の家は姉に婿を迎えて家を継がせた。総司が2歳のときに
父が死んで誰が家を継ぐかの問題が起きた。
武家というのは子が幼少ですぐに跡を継げないときは、家禄半減とか無禄になる。
沖田の家がどうだったのかは分からないが、足軽身分というからおそらく無禄に
なったのではないか。総司が元服するまで待っていたのでは一家は餓死してしまう。
そこで総司の姉に親戚から婿を迎えた。姉はそのとき13歳だったという。
総司の運命はそのとき、一生家で養われる厄介者と決まった。
だから物心ついてからは剣一筋で行くしかなかったのである。
なんとか剣で独り立ちできるようになりたいという気持ちしかなかったであろう。

それはともかく、姉の結婚は家族のために必須であった。そのとき姉が13歳でなく、
仮に10歳であっても結婚はされただろう。
昔の若年での婚姻は、家のために無理矢理ということが多い。
家制度を前提にした何らかの事情が絡んでいるのである。
日本@名無史さん [] 2019/02/10(日) 18:41:42.94

だからマザコンとかホモと陰口叩かれても母親を大事にしていたのか
日本@名無史さん [] 2019/02/10(日) 22:39:09.05
ホモになったのも、憎き父親の家系を潰すためだもんな。
日本@名無史さん [] 2019/02/11(月) 09:51:30.01
封建社会と近代を一緒にしちゃ駄目と言う話なのよ。
子供沢山残すのも「家」第一、次男以下は独身の郎党扱いや裸一貫放出、女は姻戚贈与物扱い,と言っても過言じゃないと。
そりゃ下克上、革命も古今東西当然の成り行き。
逆に日本なら人口少なく未開拓豊富な古代中世の方が自由はあったんだろ、その代わりに自然相手の開拓も厳しいと。
日本@名無史さん [] 2019/02/11(月) 13:12:42.24
武士の家は跡取りが急死しちゃうと断絶しちゃうのでスペアとして次男坊は作って
おく必要があった。必要といっても、いてもいいという程度だけど。
しかし三男以下となるともう邪魔なだけ。
次男は必要といっても、めでたく長男が跡をとればもやっぱり邪魔なだけ。
だから婿の口を探すのだが、武家で娘だけの家などそうそうはない。
あっても婿に行くには持参金やら道具やらを揃える必要があった。
婿にしても一文の得もない貧乏人の小せがれなどは誰も相手にしない。
こういう次男・三男は妻帯もできず、実家の世話になって生涯を送る。
禄が無いのでロクデナシといわれた。
何もやることがなく、生きている意味がない。
兄が生きてるうちはいいが、兄が死ねば跡取りの甥ッ子の世話になる。
こういうのを厄介叔父と言った。
白髪の叔父が、甥から小遣いをもらって暮らすのだ。
三千石の旗本の次男なんて身分なら、一生暢気に遊んで暮らせようが
下級武士や足軽みたいな家の次男・三男は悲惨だった。
跡取りの家庭に寄生して暮らす独身男。
内職に打ち込んで、なんとか自分の食い扶持だけ稼げれば上等といえた。

もし明治維新がなければ、次男・三男たちの受難は続いていた。
例えば西郷隆盛には三人の弟がいる。次男吉二郎は兄の隆盛も尊敬するような
有能な男だったが戊辰戦争で戦死。三男従道は海軍大将になった。
四男小兵衛は西南戦争で戦死。どんなときも冷静沈着で、兄隆盛に最も似ていると
いわれていた。
この弟たちは従道以外若くして死んでいるが、世間に出て活躍できただけ幸せだった。
仮に江戸時代のままなら、西郷家は西郷の息子が継ぎ、三人の弟たちは厄介叔父に
なったはずである。あれだけ有能な弟たちでも、なすこともなく妻帯もせず、無意味に
暮らしてただ死んでいったかと思うと封建制度というのは本当に凄まじいものである。
日本@名無史さん [] 2019/02/11(月) 13:36:19.65
話題の庄屋の家も一緒。
あと日本列島のせいぜい家督や封建主導争いの内戦と違って、大陸はそこへ異民族との蹂躙戦や民族越えた裏切り等あり。
日本@名無史さん [] 2019/02/11(月) 13:41:04.29

うちの一族は8軒あるんだが(明治初期の段階で)、そのうちの一軒だけ名字を変えた。
なぜ変えたのかは知らん。
墓はその家も含めて同じ敷地に固まっている。
いつ分かれたか記憶が定かじゃないが、江戸時代の初めは一つだけだった模様で、
記録に残る最古のは戦国の1570年代の神社の記録。
たくさん増えたのは1800年代らしい。
息子が産まれにくいのか、婿を取ってるのが多いけどな。
日本@名無史さん [] 2019/02/11(月) 13:44:19.28
民族纏めあげる「天皇」育んだ日本と違ってヨーロッパや中東、米、中国、朝鮮半島などのモラルの欠如を哀れむのも当然。
日本@名無史さん [] 2019/02/11(月) 14:50:22.66
俺は日本人の暗黙のルールみたいなの嫌い
例えば皆んな同じ格好じゃなきゃダメだとか
他人の自由を規制して他人の個性を邪魔するようなウゼー奴とか本当に嫌い
誰もそんなルール決めてねーよ、てめーの勝手な考え押し付けんな!
って思う
海外の人は日本人より自由だし明るい人多いよ
日本人はファシズムがマナーだとでも?
日本@名無史さん [sage] 2019/02/11(月) 15:14:27.25

未だにそんなルールを守っているやついるのか?
みんな洋装喪服に統一してるのにうちのおかんはわざと着物で行くぞ
日本@名無史さん [] 2019/02/11(月) 15:19:12.62
色んな文化の人が集まってる都会の人と、ほとんど流動性の無い田舎の人だと暗黙のルールが全然違いそう。
日本@名無史さん [] 2019/02/11(月) 16:19:25.78

服や文化は主流や便利で広まるだろうが、外人ってもどこの外人もあるが、明るい、主張強いのも裏返せば普段はぶりっ子演技で他人は信用できない、何かあれば喧嘩当然で自己中心という事よ。
日本@名無史さん [] 2019/02/11(月) 16:39:19.36

うちの一族も5軒あるのだけれど、今現在住んでる地域内で、少なくとも約300年続いている
総本家の苗字がもうすぐ変わる予定。二人姉弟で、姉の方は結婚して苗字が変わってること
に加え、都市部に移り住んでる弟夫婦に子供がいないため、自動的に家名が途切れる。

で、後はどうなるかというと、結婚して家を出た姉の子供が相続する事になるので、当然苗字
も変わらざるを得ない。昔のように家制度でがんじがらめにするなら、弟夫婦がどこかの親類
縁者あたりから養子を貰って家名を残すんだろうが、総本家側にはその気が無いし、苗字が
変わっても差し支えがないと考えてるようだ。

家というか、苗字が廃れて家名が変わるということには、こういう例もあるんだわ。
日本@名無史さん [sage] 2019/02/11(月) 17:26:29.34

そういう、江戸時代の武士とそれ以前の武士ではいろいろ違うがな
日本@名無史さん [sage] 2019/02/11(月) 17:34:57.78
江戸とそれ以前の武士では考え方が全く違うよね。
日本@名無史さん [] 2019/02/11(月) 18:38:19.14
また長文野郎が居座ってるのか? 別のスレで講釈をしてきたら?
藏人太夫 [] 2019/02/11(月) 19:04:52.11

江戸時代以前の養子は本姓は変わらないけど、
江戸時代以降の養子は本姓も変わる例が多いよね。
だから血筋の先祖を調べる時は安土桃山時代までの先祖の情報は信用してる。
上杉謙信の平姓から藤原姓の例は珍しいケースだと思う。
吉川元春や小早川隆景の様に大江姓のままが普通だと思う。
日本@名無史さん [] 2019/02/11(月) 20:46:03.40
講釈師見て来たような○○をいう‥‥だねww
日本@名無史さん [sage] 2019/02/11(月) 21:42:31.82
貧乏人の系図話(びんぼうにんのけいずばなし)

以前は盛んだったのだが、と先祖の系図話をするのが貧乏人である。
祖先の自慢をして自分を飾る。
その愚かさかげんを皮肉っていう言葉。

〔類〕賤(いや)しい者の系図調(けいずしら)べ
日本@名無史さん [] 2019/02/11(月) 21:55:51.26

プッw
江戸時代以前の武士のことがお前には分かるのかw

だいたい内容で江戸時代限定というのは分かるだろ
江戸以前の武士は違うというならそれを書けばいいだけの話。
中卒の歴史好き百姓爺さんか何かかな


本姓とか何のこと言ってるのか?
>上杉謙信の平姓から藤原姓の例は珍しいケースだと思う。
平とか藤原は氏名(うじな)であって姓ではない。何言ってるんだか。
>吉川元春や小早川隆景の様に大江姓のままが普通だと思う。
大江などという姓はない。
大江と平や藤原を並べてるってどういうことだ。
脳みそ腐ってるんじゃないのか。

>上杉謙信の平姓から藤原姓の例は珍しいケースだと思う。 はさらに笑える。
家康は徳川氏は藤原と言ってたのが源に変わった。
源でないと征夷大将軍になれないと分かったから。
織田信長は源平交替説によって平氏を名乗ったが、それを逆手に取られて
源氏でないと征夷大将軍になれないとされて諦めた、とか。俗説かも知れんが。


>講釈師見て来たような○○をいう‥‥だねww

てか先祖の話になると空想通り越して発狂しちゃってるみたいのが多いね。
藏人太夫 [] 2019/02/11(月) 21:57:49.05
戦国武将Aの直筆に藤原朝臣と書いてある。この子孫は江戸時代年間に穂積姓を称した。由来は平安時代末期の穂積某。
戦国武将Bは藤原姓を称した。この子孫は江戸時代年間に藤原姓を称した。由来は南北朝時代初期の藤原某。
世間では戦国武将Aと戦国武将Bは同族であると言われている。
戦国武将Aの子孫と戦国武将Bの子孫と平安時代末期の穂積某の叔父の子孫(穂積姓、代々神主)は現在も共同で先祖調査してる。
これまでに分かっていることは、戦国武将Aと戦国武将Bの苗字は平安時代末期の穂積某が由来であるということ。

でも戦国武将Aと戦国武将Bは藤原姓を称した。謎謎。

ちなみに戦国武将Bの先祖は南北朝時代に、藤原姓の武家の家臣だった。
またその藤原姓の武家の子孫が戦国大名だった時に、戦国武将Aの先祖が重臣だった。

つまりどういうこと?
日本@名無史さん [] 2019/02/11(月) 22:06:43.43
ヒント

>戦国武将Aの直筆に藤原朝臣と書いてある

ここからヒントをくれてやろう。
藤原は氏  朝臣は姓

あとはググってごらん。
藏人太夫 [] 2019/02/11(月) 22:07:03.07
あ、あと、戦国武将Bの先祖の南北朝時代初期の藤原某は、一説に、主君である藤原姓の武家の一族とある。

つまりどういうこと?
日本@名無史さん [] 2019/02/11(月) 22:15:22.73

弟が家名を名乗っているのだからまだ絶家していない。
子供がいないからいずれ絶家するだろうということね。

姉の方は嫁に行って苗字が変わっているのだから実家とは関係ない。

>で、後はどうなるかというと、結婚して家を出た姉の子供が相続する事になるので、当然苗字
>も変わらざるを得ない。

ここが分からない。姉の子供はどこの家を相続するの?
姉の子供が姉夫婦の家を相続するのは当然だが、それは姉の実家とは全然関係がない。

弟が家名を名乗っているのだからこの家は存続中。
弟が子無しのまま死ねば絶家。
姉の方は子供がいようがいまいが関係なし。

家名なんか変わらないじゃん。
何言ってるのか分からん。
藏人太夫 [] 2019/02/11(月) 22:18:18.91
何が知りたいのかというと、俺の先祖は戦国武将Bの方で、南北朝時代初期から藤原姓を称してるのに、同族の戦国武将Aの子孫は藤原姓から穂積姓に復姓してる。
江戸時代年間は戦国武将Aの子孫と戦国武将Bの子孫は、先に述べた藤原姓の主君の家臣ではない。
俺の先祖は、主君に配慮しなくてもいい時代に藤原姓を称し続けた。

つまり、家系は穂積、血筋は藤原ということだよね、これって。
南北朝時代初期に穂積のお家に主君の藤原の血が入った!その後戦国武将Aと戦国武将Bが藤原姓!
藏人太夫 [] 2019/02/11(月) 22:23:35.85
ま、一族内では、戦国武将Aと戦国武将Bの先祖は、平安時代末期の穂積某ということで結論されちゃってる。
江戸時代年間の系図は藤原姓で、穂積某の子孫を称するって、
一族外の人に説明する時、すげー面倒だな
日本@名無史さん [sage] 2019/02/11(月) 22:28:51.44

ホモじゃないのに、男にフェラチオされたらイッテしまったまで読んだ
日本@名無史さん [] 2019/02/11(月) 22:47:11.86

物事ってのは時代によって変わるのが普通。
武士は八幡太郎の頃から江戸時代末まで一切変わっていないなどと言う人はいない。
それに武士といったっていろいろあるんで。簡単には比べられないだろ。
日本@名無史さん [] 2019/02/11(月) 22:47:43.76
スレ違いかもしれないけど、他に聞く場所無いから教えてほしい。

妻に連れ子がいる状態で結婚。連れ子が名字変わりたくないと言った場合、戸籍はどうなるの?
連れ子だけ独立して新戸籍作成になるの?
日本@名無史さん [sage] 2019/02/11(月) 22:52:24.12

たしか成人するまでは暫定的に親の苗字に合わせる
苗字を変えたくない自由は成人に限定されてるんだよ

ただ、通用名とかでもとの苗字を使い続けてもいいんじゃないかな、親が同意するならば。
藏人太夫 [] 2019/02/11(月) 22:57:23.91

おそらく連れ子は父親の戸籍に残ってると思うんだよね。
離婚した妻だけ独立した戸籍になってると思う。
連れ子の苗字は元夫の苗字ですか?
日本@名無史さん [] 2019/02/11(月) 23:00:05.49
原則連れ子は元の名字のままですよ。

ただ、妻があなたの名前を名乗った場合、妻と子供は名字が別になる。
こういう場合に備えて民法791条がある。
ググって読んでみて下さい。
藏人太夫 [] 2019/02/11(月) 23:30:44.80
俺が血筋の先祖調査を開始して、先祖スレに来てからかれこれ約10年か。
戸籍収集から始めて墓地調査や郷土資料調査をした。
おかげで郷土の歴史に詳しくなった。
曽祖父の実家の墓地調査をしたら、曽祖父の実家の墓地の隣三軒は、江戸時代の部落の藩士の子孫の墓地だった。
三軒は別々の苗字で三氏とも、江戸時代にこの部落の藩士だった三家の子孫だった。
俺の曽祖父の母親は、この三家の家の一家の出身である。
曽祖父の実家は明治年間にこの部落に引っ越してきた。曽祖父の母親の所縁の部落だからだろう。
墓地調査は大変。菩提寺の中にあるお墓なら行くまで苦労しないが、旧村にある墓地とかは小高い山の中にあって、
登り道、マムシが出会わないように気をつけたり、蜘蛛の巣にかからないように気をつけたり、
蛇が冬眠中のこの時期を狙って行こうとすると、路面は凍結してるし、寒過ぎて車の外に出るまで腰が重いし、
これまで大変だった。
日本@名無史さん [] 2019/02/11(月) 23:44:24.54
ghj
日本@名無史さん [sage] 2019/02/11(月) 23:46:53.88
高祖母の家系が隠れキリシタンなんだよね。
山の中に墓があるんだけど、十字架が彫られてて、聖母マリアと観音菩薩が合体した像も墓の中に置いてあった。

今は特に信仰はしてないようだけど、少し前までは、正月に十字架にした門松を置いたりする風習が残ってたっぽい。
日本@名無史さん [] 2019/02/12(火) 01:28:15.36
意を決して遠い親戚の婆さんに話を聞きに行ってきた。久しぶりに会ったけど90歳になっても滅茶苦茶しっかりした人で、「○○さんは××に嫁に行って子供は3人で」とか、「あの人は養子でな」とか全部正確なの。
除籍ではわからない「この人は聾唖者やから子どもは親戚で助け合って育てた」とか「爺さんはワシらの家来て威張り散らすから孫から見てもやりにくい人やった」とか「婆ちゃんは若い頃からボケてた。」とか色んな情報が得られた。
除籍に載らない傍系の人のことも知ってるから、かなり家系図が詳しくなった。
婆さんの話まとめると、いとこ婚やはとこ婚ばかりで、実は今まで知らなかっただけで親父の実家の周りの人がほとんど親戚だったw
日本@名無史さん [sage] 2019/02/12(火) 02:05:08.82
うちの田舎に有名な一族がいて、国会議員も出してる一族なのだが
全て同じ一族かと思っていたら系図上繋がらない3家が同じ性を名乗り
分家を繰り返し子孫を増やした。見分け方は家紋が異なること。
3つの似た家紋だが違うのであった。
 なんで同じ姓を名乗ってるのかね?
日本@名無史さん [] 2019/02/12(火) 17:39:54.88
家系ってそんなものだよ。 家紋で区別したのは分家かどうかの区別のため。
日本@名無史さん [] 2019/02/12(火) 18:17:30.62

あ、ゴメン。確かに相続の前提条件をすっ飛ばして結論だけを書いたから、意味不明だよね。

>姉の方は嫁に行って苗字が変わっているのだから実家とは関係ない

…とはならないケースもあるのよ。弟の両親、弟のお嫁さん、それに姉が先に亡くなってて、
かつ有効な遺言書が無い場合、「代襲相続」として「弟の親の孫」、即ち姉の子供に相続権
が移るのよ。さすがに御存命中の弟さんの遺言書があるかないかまでは知らないけれど、
今日現在、総本家はそういう事例に該当すると理解してる。

また、単にそれだけの条件で苗字が変わる理由にはならないし、既に御承知の事でしょうが、
祭祀権というものがあって、系譜、祭具及び墳墓の所有権が慣習もしくは家裁の決定に従い、
相続の対象になるんよね。

総本家の祭祀権がどうなるかはまだ確定していないのだろうだけど、姉の子供が相続すると
決まった場合、うちの一族が住む片田舎での慣習に従えば、総本家の仏壇や墓を祭祀する
人の苗字が使われることになる。つまり、総本家は絶家で終り。で、別の苗字を名乗る子孫
が一族の系譜を継承していくんだろうと思ってる。

駄文で申し訳ないんですが、こういう説明で分かってもらえるますか。どうぞよろしく。
日本@名無史さん [] 2019/02/12(火) 19:01:02.46
ふと思ったんだが、刀工って士分が許可されてないとなれない職種だよね。
脇差専門の刀工なら士分持ってなくてもなれるかもしれないが、
太刀を持つことが許可された士分持ち以上でないと刀工になれないよね。
日本@名無史さん [sage] 2019/02/12(火) 20:07:09.80
「苗字帯刀」というあれはな、外を歩く際に刀を帯びることをいうんだ。所有することの規制じゃないぞ
日本@名無史さん [sage] 2019/02/12(火) 20:13:34.11
包丁メーカーは銃刀法の届出がいるのだろうか…
日本@名無史さん [] 2019/02/12(火) 20:41:29.02

自宅の私有地内だけで長刀を振り回してるってヤクザだな
日本@名無史さん [] 2019/02/12(火) 20:46:05.89

でも刀鍛冶って長刀を所有するの容易いことだったんだろうな。
江戸時代に刀工やってた親戚の家には江戸時代の人が作った長刀と短刀があり、届出したっぽい小さな紙が刀に貼られてあった。
日本@名無史さん [] 2019/02/12(火) 22:45:10.04
幕末の頃の武士ってまともに刀振り回せたの?そもそも、鞘から抜くことあったのかな。

ってか、刀の買い換えサイクルってどれくらいだったの?成人したら新品もらえたとか、一生ものだったとか、何代にも渡って使い続けたのかとか、イメージがわかない。
日本@名無史さん [] 2019/02/13(水) 05:21:40.06
暮石の方は元服前の通称

弥太郎

戸籍の方は元服後の通称

弥左衛門

昔の人の名前はコロコロ変わるから大変
日本@名無史さん [sage] 2019/02/13(水) 07:53:35.63
だいたい質入れに入っていて竹光だったみたいだけど
黒船が来て、また手に戻したみたいだから質流れしないように金は払い続けてたんだろうね。数百年ぶりの対面だったりして・・・
日本@名無史さん [sage] 2019/02/13(水) 08:28:37.72

それ、元服前の通称じゃなくて元服後の「けみょう」じゃね
けみょうとじつみょう、調べてみ
変わるだけじゃなくて併用もあるからさ
日本@名無史さん [sage] 2019/02/13(水) 22:25:52.70

明治維新時、各地の戦闘で刀で戦ってるよ
日本@名無史さん [] 2019/02/13(水) 23:26:12.78
親戚の年寄り達に話を聞くと、共通認識としてあるのが「昔の60歳70歳はむちゃくちゃ年寄りの感覚だった」「爺さんは皆めちゃくちゃキレやすくて威張ってて、孫達からみたら怖すぎて今みたいな祖父と孫の関係じゃなかった」

今日、水曜日のダウンタウンで田舎に住んでいる仙人が取材に対してキレまくる姿が映っているのを見て、まさにこんな感じだったのかと思った。

多分何かしらの認知症だと思うけど、昔の日本やド田舎では病院不足や周りの認識不足でそう言ったタイプの爺さんが量産されるのかもね。
日本@名無史さん [] 2019/02/14(木) 00:09:16.92

まず確認しよう。 で君はこう書いているよな。
>二人姉弟で、姉の方は結婚して苗字が変わってることに加え、
姉は結婚して夫の姓を名乗ってるんだよね。

仮に弟が死んでいて、姉が生きているとする。弟には子がないので
代襲相続は起こらない。すると姉が単独で自分の親を相続することになる。
しかし、この場合でも姉が家を継いだことにはならない。
姉は他家に嫁に入ってるわけだからその嫁行った先の人間。
離婚して旧姓に戻るか、あるいはいったん離婚して新たに姉を戸籍筆頭者と
する婚姻届をなして旧姓を称するようにならない限り実家を継ぐということは
ありえない。

姉の子が代襲相続するという場合も同じだよ。
代襲相続したって姉の子は他家の子供。その総本家とやらを継ぐ立場にはない。

祭祀承継についても誤解があると思う。
祭祀承継はあくまでも相続だ。ただし祭祀(位牌とか墓とかだな)は相続財産に
含まれないものとし(ということは相続分とかもないし、分割とか放棄とかの対象に
ならないということだ)、遺言や慣習あるいは家庭裁判所の決定により祭祀承継者が
決まることになっている。
位牌の所有権が兄弟の頭数で共有になったりしては困るし、放棄によって
俺は関係ないと言い出す奴がいては困るからね。
要するに祭祀承継は相続の特則であって、所有権の客体になるものについて
特別の承継の仕方を定めたものにすぎない。
「家」の跡取りが誰かとは関係ないのだよ。
仮に姉の子が代襲相続をしたとしても、「位牌や墓の所有権はあなたのものになり
ましたからね」、というだけのことである。姉の子がその総本家とやらを継いだという
ことではない。
つづき [] 2019/02/14(木) 00:10:41.20
そもそも何で代襲相続が出てくるのかな。
代襲相続は、相続が起こる前に相続人が死んだ場合(あるいは相続欠格や排除に
よって相続権を失った場合)に生じる。
その場合に相続人の卑属に相続人と同様の法的地位を与えようというものだ。
だからあなたの言う総本家に関しては、子供のいる姉の方についてだけ生じ、
親が死ぬ前に(つまり姉の親が生きているうちに)姉が死んだ場合について
だけ生じる。
姉はもう死んだのかな? 親はまだ生きてるの?
まだ死んでもしないのに代襲相続に論及しているとしたらちょっと異常だぞ。
かつ、仮に姉が親が死ぬより先に死んだ場合であっても、弟が生きていれば
弟が祭祀承継者になるだろう。親が死んでその息子が生きているのに、
嫁に行って死んだ娘の子供が祭祀承継者になるなど通常考えられないからだ。
あなたの書いていることは混乱の極致だ。
知識も無いのに表面だけそれらしい話をしても駄目だよ。

直接的に言うとここは文章が破綻している。
>弟の両親、弟のお嫁さん、それに姉が先に亡くなってて、
>かつ有効な遺言書が無い場合、「代襲相続」として「弟の親の孫」、即ち姉の子供に相続権
>が移るのよ。
滅茶苦茶である。この文章は弟を姉の子が代襲相続するように読めるけど、もちろん
そんなことはありないよなw この場合の被相続人、相続人は誰なの?
まあ自分でも何言ってるか分からないんだろうから、聞いても無駄か。
日本@名無史さん [sage] 2019/02/14(木) 01:16:17.83
家を継ぐというのと財産を相続するのは違う、ということを説明して終われそうな
藏人太夫 [] 2019/02/14(木) 03:01:51.14
紀姓或云藤原 坂本氏

明智左馬助秀滿男坂本太郎五郎男坂本彦三郎男坂本太郎左衞門男坂本八兵衞守之男坂本八郎兵衞正禎男坂本八郎兵衞直益長男

⁂八平直海(明和八年郷士召出)─八藏直澄=八平直足(實ハ山本覚右衞門次男)┬權平直方
└龍馬直柔

坂本龍馬の系図、合ってるか分からんけど作ってみた。
藏人太夫 [] 2019/02/14(木) 03:19:04.83
明智
左馬助秀滿1536年生まれ─坂本太郎五郎─坂本彦三郎─坂本太郎左衞門─守之1639年生まれ─正禎─直益─直海1740年頃生まれ?─直澄=直足─直方

約1600年頃生まれの坂本太郎左衞門から約明治維新年間頃の坂本權八直方まで八世ある。
藏人太夫 [] 2019/02/14(木) 03:44:48.32
先祖の系図観てると
約1600年頃生まれの人から約明治維新年間頃当主の人まで九世あるんだが
日本@名無史さん [sage] 2019/02/14(木) 06:11:42.64
坂本龍馬なんて捏造だらけのニセ英雄じゃねーか 
こいつに関しては、司馬の罪は大きいというのがすべて
日本@名無史さん [] 2019/02/14(木) 06:41:28.94
伊達慶邦から伊達忠宗までの男系の血筋の先祖

忠宗1600年生─八男宗房1646年生─長男吉村1680年生─八男村良1743年生─長男村資1763年生─四男斉義1798年生─次男慶邦1825年生

でも、仙台藩第二代藩主伊達忠宗から第十三代藩主伊達慶邦までは、七世だった。
ただしこれは男系の血筋の系譜。家系の系譜ではない。
日本@名無史さん [] 2019/02/14(木) 10:24:59.32

よそに嫁に行った娘がそのままで家を継ぐなんてありえないわけだが、
代襲相続だの祭祀承継だのを絡ませれば誤魔化せると舐めたこと書いてやがる。
だからそっちの方まで説明してやったんだよ。

の言うとおりだったら、こういうことが起きる。

この姉と弟の母親、つまりこの300年続いているという総本家の嫁の実家には
跡継ぎがおらず、嫁だけが相続人だとする。
そうすると、この嫁の親が二人とも死んでしまうと嫁だけが唯一の相続人となり、
祭祀も承継する。
この場合、嫁の実家は現在の嫁さんの苗字の家となって、家名を変えて存続するのか?

どうしたら640みたいなふざけたことが書けるのか。
中学生かこいつは。
日本@名無史さん [] 2019/02/14(木) 11:56:05.96


まず、私が中学生並みの浅学非才なのは正直に認めますし、質問に質問で回答するという
のは愚の骨頂と知っておりますが、色々と物事にお詳しい方とお見受けしますので、いくつか
確認をさせて下さいね。

まずは親族関係の話です。総本家の御両親、お姉さん、それに弟さんのお嫁さんは鬼籍に
入られており、遺産相続も終わっているそうですから、御質問にある被相続人は、弟さんだけ
と考えてよろしいんですよね。

次に財産相続の件ですけれど、そう遠くない将来、弟さんが鬼籍に入られた時、御本人の
親の孫であるお姉さんの子供が、御質問にある相続人になると考えてます。こういう理解
の仕方に間違いがあるんでしょうか。

あとは、祭祀権の承継者が誰になるのかいうことになりますが、これもお姉さんの子供が
祭祀権の継承者になり、総本家の系譜を引き継いでいくことになると、一族の間では理解
されてます。これは未来の話で、まだ確定した事項ではありませんけれど、ここにも問題
がありますかね。

それから、これもまだ完全に決まったことではありませんが、現状維持では確実に総本家
が絶家になります。それは不可抗力であるとして、お姉さんの子供がその祭祀権を引き継
いだら、仏事などで総本家を祀る主催者の苗字だけが変わります。むろん、祭祀権の継承
が行われなければ、総本家は適当に放置される可能性も排除できませんけどね。

こういう事情、並びに1軒の家が絶家となった複数の先祖の祭祀権を有して、墓地の管理
などをやっている事が珍しくはないという片田舎の慣習を整理した結果、「家が廃れて苗
字が変わる」という表現に行き着いたのですけれど、読み手にとって誤解を与え、不親切
な書き方だったのならば謝ります。
日本@名無史さん [sage] 2019/02/14(木) 12:53:29.37

舐めたこととか、イキリなさんな。
ちょっと見苦しいですぞ。
日本@名無史さん [sage] 2019/02/14(木) 18:24:11.37

突然で悪いが頭がこり固まってるね。ロジックが跳ねてるよ。俺様脳内電波が飛んでるんじゃないか?
そうでなければ、自分が理解できない事象は全部自分が理解できる範囲でしかものを考えられない?
嫁さん実家がどうたらの話、「財産継承」、「祭祀継承」及び「家名継承」は、すべてを必ず並立させな
ければいけないことだとは限らんがな。

世の中を直視すれば、嫁さんが現姓のまま実家と婚家両方の相続や祭祀をすれば済む話で、家名
の継承が相続や祭祀行為の必須条件ではないことに気付くだろ。そんなことも思いつかない頭で訳
の分からん論理回路を自分勝手にすっ飛ばし、能書きを並べて他人を罵倒するのは、愚行以外の
何物でもないぜ。

そういうおめでたい頭の持ち主は、一人の子孫が複数の祖先を祭祀することなどあり得ないと考えて、
思考停止しちゃうんだろうけど、現実はそうじゃない。俺なんぞ、それぞれ姓が異なる四軒分の墓守り
をしてるんだが。(ちなみに23区内な)

まぁ頑張ってくれ。せいぜいできる範囲でほどほどにな。
日本@名無史さん [] 2019/02/14(木) 23:15:44.70
戸籍のことで質問なんだけど以前除籍謄本を請求したときは無いor廃棄と言われたけどもう一度請求したらあるってなった人いる?

この前役所で既に持ってる先祖の謄本請求したときに先祖を調べてる話題になってこれより古いのは無いですねって言われた。
でも数年前にこれより古い謄本そこの役所で貰ってて「いや、古いのありますよ」って謄本見せたら窓口の人が慌てて調べにいって「すみませんありました」って言ってきた笑


本当はあるのに担当者によって見つからない場合があるなら納得いかないから前に無いって言われた役所にもう一度請求してみようかな笑
日本@名無史さん [sage] 2019/02/14(木) 23:27:25.82
【閲覧禁止】「壬申戸籍」か、ヤフオク出品=一時落札、身分記載で閲覧禁止−専門家「悪用恐れも」
ttps://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1550082037/
日本@名無史さん [] 2019/02/15(金) 08:15:16.06

>家名 の継承が相続や祭祀行為の必須条件ではないことに気付くだろ。

悲しいほどに頭悪いわ
相続や祭祀承継が相続の要件であるわけがないだろ。
逆に、相続や祭祀承継をしたからといって家を継いだということにはならないと
言うとるの。
こんな常識的なことを理解してないのは とあんただけだよ。
(ということは同一人物・自演ということかなw)
そんなことも思いつかない頭で訳 の分からん論理回路を自分勝手にすっ飛ばし、
能書きを並べて他人を罵倒するのは、愚行以外の 何物でもないぜ。

>俺なんぞ、それぞれ姓が異なる四軒分の墓守り
>をしてるんだが。(ちなみに23区内な)

そうそう。家を継いだということじゃなくて、墓守をしているということなのよ。
子孫は絶えてしまって縁者や遠い遠い親戚が守っている墓なんかいくらもある。
家を継いだのではなくて位牌や墓を守っているということ。
でも、位牌や墓を守っている人がいるから家が続いているとか、いなくなったから
家が絶えたとか、そういう関係はない。
昔の名家で家は絶えちゃったけどお墓は立派に残っている家などいくらもある。

23区内で四軒分の墓守というのはやや信じがたいが(管理費の負担もしていると
いうことだろ)、まぁ頑張ってくれ。せいぜいできる範囲でほどほどにな。
日本@名無史さん [] 2019/02/15(金) 09:57:20.97

「家制度」「戸主」「長子相続」、認知症でも周囲から立てられるのよ。
日本@名無史さん [sage] 2019/02/15(金) 10:17:54.00
うーんちょっと弱いな。祭祀の継承は慣例に従って行われるが大体は長子相続なんだけど、現実問題長子に墓の権利はあるが実際面倒見てるのは分家なんていくらでもあるし
日本@名無史さん [sage] 2019/02/15(金) 10:41:03.16

やっぱり釣れたか。俺式脳内電波。w

>逆に、相続や祭祀承継をしたからといって家を継いだということにはならないと言うとるの
そこまで分かったんなら評価してやんよ。w

>23区内で四軒分の墓守というのはやや信じがたいが
墓守りについてウダウダ抜かしてるけどそこが俺式脳内電波の限界なんだよ。自覚しな。w

俺の書き込みをコピーしてマウントをとりたいんだろうが恥を晒してるのはあんたの方だぜ。何も考えてないだろ。w
あんたの言葉を使ってみなよ。俺より頭が良いんだろ。俺式脳内電波。w
日本@名無史さん [] 2019/02/15(金) 10:57:28.46


やっぱ自演だわ こんだけの馬鹿はそういないもんな
日本@名無史さん [sage] 2019/02/15(金) 13:04:13.77
言い返せなくて悔しいからって、そんなレスするなよ。情けない。
日本@名無史さん [] 2019/02/15(金) 14:10:18.92
やっぱり釣れたか は情けない。
引っ込みつかなくなると後から釣りにする奴っているよなw

内容的に反駁できないと苦し紛れに釣りだとかマウントだとか
2ちゃん使い古しの言葉出してきやがって
お前は向いてないよ
日本@名無史さん [] 2019/02/15(金) 15:55:53.89

親戚の年寄りの年齢は70代とかかな?80代?

昔の老人は、っていうか日本人は、老化が早かったね。
おれが子供の頃の昔の60歳は今の70歳くらいの感じで、「老人」って感じだった。
昔は、跡取りが嫁(婿)を取ったら引退=隠居してたから老け込むのが早かったのもあるだろうな。
今親戚のおばさんたちが70代〜になってるが、自分で車を運転して出かけるw
元気で、昔なら50代後半くらいの感じ。
80代のばあさんたちは免許を持つことはなかったが。

いろんな医学の調査でも、今の人は老化が遅くなってるらしい。
単に寿命が伸びてるだけじゃなくて。
若いやつの場合は、「幼い」ともいうw
日本@名無史さん [sage] 2019/02/15(金) 18:57:40.86
外見の老化は日光(紫外線)にあたることで促進される

農業など屋外作業を生業にする人(昔は主流だった)は早く老けた
今はデスクワークとか屋内作業の人が多くなったから老化が遅い

他にも食生活、特に栄養条件の影響もあるはず
痩せてるかビタミン不足かなんかで早く(ry
日本@名無史さん [] 2019/02/15(金) 19:28:30.29

その婆さんは87歳。

見た目の老化スピードは紫外線や化粧品・毛染めなんかで左右されるが、栄養状態が悪いと老化スピードに影響あるの?
例えば、昔は50代や60代でも特に女性は背中丸かったよね。何でだろう。
藏人太夫 [] 2019/02/15(金) 20:38:01.52
この質問は俺の専門領域だな

猫背つまり円背とはカルシウム不足や筋肉の衰えが原因かと

骨のカルシウムが不足すると円背になり、悪化すると骨粗しょう症になる

円背を防ぐ方法は、骨と筋肉で強化

カルシウムなどの栄養と筋肉の強化で、骨を支えることができ、円背を防ぐことができる

詳しいことは理学療法士へ
藏人太夫 [] 2019/02/15(金) 20:39:30.28
ダイエット中なのにチョコ食べ過ぎて辛い
藏人太夫 [] 2019/02/15(金) 21:05:58.36
藤原姓の戦国武将Dは藤原姓の戦国大名Aの家臣で先祖代々その戦国大名Aの家系の譜代の家臣だった。
戦国大名Aの勢力域に隣接する戦国大名Bは平姓でありその戦国大名Bの家臣に藤原姓の戦国武将Eがいた。
戦国武将Dと戦国武将Eは同族であると世間から言われていた。
戦国武将Dは一時期は主家を超える存在となり戦国大名Aの実質的な実権を握っていた。
戦国大名Aの曾孫である戦国大名Cは戦国武将Dを追放して戦国武将Dは戦国大名Cに謀反をおこして隣国に逃げ戦国大名Bの家臣となった。
元々、戦国武将Dと戦国武将Eの本幹は戦国大名Bの勢力域内にあったためである。
その後、戦国武将Dは藤原姓から穂積姓へと本姓を変えている。
戦国武将Eは藤原姓のままである。
藏人太夫 [] 2019/02/16(土) 06:08:59.30
戦国武将Eの先祖Fは戦国大名Aの先祖Gの家臣だったことがある。
一説には先祖Fは先祖Gの子とされている。

つまり戦国武将Eと戦国武将Dは穂積氏の家系の子孫でありなおかつ藤原氏の男系の子孫であると考えられる。
藏人太夫 [] 2019/02/16(土) 06:12:45.31
江戸時代以前は男系の先祖を先祖とし、江戸時代以後は家系の先祖を先祖とする様な感じだったと思われる。
だから、穂積氏を先祖とする武家と藤原氏を先祖とする武家の両家が同族と言われた現象が起こった。
藏人太夫 [] 2019/02/16(土) 06:24:45.48
だが、しかし、
戦国武将Eより戦国武将Dの方が有名なためなのか?だから戦国武将Dの子孫の見解の方が優先されたのか?
戦国武将Dの子孫と戦国武将Eの子孫は昔から共同で先祖調査をしてきたが、
そのまとめは、
戦国武将Dと戦国武将Eの先祖は穂積氏の子孫ということになった。
藏人太夫 [] 2019/02/16(土) 06:56:37.76
昔々欧州藤野氏が繁栄していた時代に
皆本良経と弁警が欧州に逃れて来た
弁警と同郷の穂積庄司は息子たちを欧州に派遣した
穂積庄司には四人の息子がいた
長男を穂積三郎という
次男を穂積四郎という
三男を穂積五郎という
四男を亀田六郎という
穂積三郎と亀田六郎は皆本良経と弁警と一緒に戦死した
穂積四郎は穂積三郎を追ってきたが時すでに遅し兄が戦士したと聞いて欧州に留まりそこで穂積神社を作って住んだ
その後、穂積五郎が穂積三郎の遺児を連れてその神社の神主となった
穂積三郎の遺児の子孫は戦国時代に藤原姓を称し戦国大名の陸奥種宗と陸奥春宗と陸奥照宗の三代の家老となり
穂積四郎の子孫は戦国時代に陸奥氏の隣国の戦国大名の家臣となり
穂積五郎の子孫は戦国時代も代々神主として続いた
穂積四郎の子孫は今、某掲示板の先祖スレに住んで藏人というコテを称している
藏人は疑問に思っている、本当に穂積四郎の子孫なのだろうか?
穂積三郎の遺児の子孫の可能性が高いし、血筋を辿るなら藤原氏の可能性が高い

ちなみに亀田六郎は滋賀県皆本氏の佐々源造の六男と言われている
一説では亀田六郎の家系の子孫ではないかと疑われている家系の子孫に江戸時代の大名家である皆本姓亀田家がいる
日本@名無史さん [sage] 2019/02/16(土) 17:27:27.10
久々に来たけど雰囲気変わったな。
変なやつ増えたな?
日本@名無史さん [] 2019/02/16(土) 23:03:47.96

最近はまだまともな方なんだよw
日本@名無史さん [] 2019/02/17(日) 21:01:32.19
明治から大正にかけて、子ども生まれるまで結婚しない習慣ってあった?
ちょっと気になることがありまして・・・

まず、私の曾祖父。四国の漁村で長男です。当時大阪で繊維工業が盛んだったので、遺産全部相続した長男なのに大阪に引っ越し、社員専用長屋で隣同士だった曾祖母と出会います(見合いなのか恋愛なのかは不明)。

1910年に長女、1912年に長男が生まれますが、何故か当初曾祖母の実家の戸籍に入ります。

1918年に次男である祖父が生まれ、その出生届・長男長女の認知・曾祖父母の婚姻届が同時になされています。

長男と言う立場上実家を捨てて結婚することに反対され、しばらく結婚出来なかったのかなぁなどと思いました。


それが、地元で郡内の女性と結婚した曾祖父の弟も長男が生まれてから2年後に結婚してるんです。

跡継ぎが生まれるかどうか試してから結婚とか、普通にあったんですか?
その場合、もし子どもが出来なければ女性は婚姻歴無しとしてまた誰かと見合いしたんですか?
日本@名無史さん [] 2019/02/17(日) 22:00:05.40
あ、あと、戸主の転籍に伴って転籍したけど地元にいるままになった姉妹とかいる場合、その残留組もちゃんと死亡届けが出てるけど、どう言う経路で死亡が届けられたの?
日本@名無史さん [] 2019/02/19(火) 20:57:32.67
曾祖父の方は家督相続した。ということは戸主になったわけだろ。
戸主は入籍の許諾権があるので、自分で曾祖母を妻として入籍することが可能。
これが親爺が戸主で息子は親爺の戸籍に入っているだけの場合だと
親爺が「そんな娘を嫁にはできん」と言えば入籍できず、正規には結婚
できないということになる。
そういう事情はなさそうなので、戸主である曾祖父が当時曾祖母を籍に
いれなかったのは自分の意思でそうしたということなんだろう。
まあ家族や親戚の反対が強かったのかも知れないが。

曾祖母を入籍していないから、曾祖母は実家の籍に入ったまま。
生まれた子は私生児ということで母親の実家の籍に入った。
(これは曾祖母の実家は温情のある家ということ。こういう場合母親を
除籍しと私生児と母子で独立した戸籍にしてしまう家が多かった。戸籍が
汚れるから。なお、その私生児だけの戸籍作成も可能)。

次男が生まれてようやく子を認知、そして婚姻届。
これは婚姻準正といって、子は生まれたときから嫡出子の身分を取得する。
子供が三人になってようやく婚姻届を出す気になったということだが(正確に
言うと昔は妻として入籍するのだが)、当てずっぽうに言うと、この曾祖母の方は
女工さんだったんじゃなかろうか。
野麦峠の例を出すまでもなく、繊維産業の女工さんというのは貧農の娘が多く、
小学校も出ていない人が多かった。
社員専用長屋で隣同士というが、当時社員としてキャリアウーマン風に働く女性
社員などいなかった。女が繊維産業で働くなら間違いなく女工。それ以外なし。
女工さんの寮と曾祖父の社員寮が近かったということじゃなかろうか。
製紙工場の女工なんか、、、ということで家族親戚が猛反対ということだったのかな。

一方、曾祖母の実家としては繊維会社の社員さんの嫁になれるなら玉の輿という
ことで、子供が出来ればこっちのものとばかり喜んで籍に入れたんじゃなかろうか。
日本@名無史さん [] 2019/02/19(火) 21:01:22.51
曾祖父の弟もすぐには妻を籍に入れなかったことを考えると、そういう家風の家なのか
とも思う。昔はどんな家でも「戸籍を汚さない」という意識があり、すぐに入籍させない
のは普通のことだった。そういう意識の強い家だったのかとも思う。
一方、漁村だったということを考えると、入籍なんかに無頓着の家だったとも思える。
漁村では男女がひっついたり別れたりは普通だった。江戸時代、能登で女は一生に
七回以上結婚してはならないという禁令が出された例がある。
男は女を入籍させるどころか、複数の嫁(のようなもの)をがいるのが珍しくなかった。。
所帯を持っていても、よその女のところへ行って帰ってこない男も多かった。
曾祖父はこの期間よそに好きな女がいたのかも知れない。
日本@名無史さん [] 2019/02/19(火) 21:02:28.42

残留組とか何とか言ってるけど、長男は戸籍(本籍)を大阪に移しちゃったのかな?
それは置いておいて、残留組の姉妹は嫁に行ったのだろうが、婚姻による除籍が
なされていてもさらに死亡の記載まであるのは何故なのかということを聞いているのかな。
養子に出たり嫁に行ったりして除籍になった人でも、養子縁組が解消されたとか離婚した
とかの場合は原則元の籍に戻るのだよ。復籍するの。
だから復籍の可能性がある限り、その戸籍を閉じることはできない。
たとえば妹が70歳で離婚して復籍するということだってあるわけだから。
だから戸主とかその家族が全部死んでいても、その妹が生きている限り戸籍は存続
させておく。そしてそういう可能性のある人が全部死んでしまったときにその戸籍は
無用のものとして閉じられる(現役で使用されている戸籍ではなくなる)というわけ。
だから妹の死亡は戸籍のある役所に通知され、何月何日死亡と記載される。
どういう経路で死亡が届けられるのかと言ったって、君だってもし死ねば本籍のある
役所に死亡が通知されるだろ。
どう通知されるかと言うと、通常現住所の市役所などに死亡届が出されるから
その役所から連絡されるんだよ。死亡届は今は葬儀屋が代わりにやるかな。
死亡届を出さないと、火葬許可も埋葬許可も出ないからね。
届けをしなければ何もできないんだよ。
日本@名無史さん [] 2019/02/20(水) 00:46:38.32

なるほど、丁寧にありがとう。曾祖母が女工かどうかは今となってはわからないけど、その寮には曾祖母が一人で住んでいたのではなく、家族で住んでいたみたい。
それこそ戸籍に入っていないのでわからないんだけど、どうやら曾祖父には認知していない私生児がいたらしく
(一切戸籍には載っていないが、親父が小さい頃、養子に出た「祖父の兄」の葬式に出たと証言。戸籍にある祖父の兄は夭逝している)、その引き取り先とかに揉めていたのかも。

曾祖父母に子どもができた時点では曾祖父は相続済み、曾祖母にはまだ父がいたんだけど、昔の結婚って戸主の許しって要ったの?
日本@名無史さん [] 2019/02/20(水) 00:53:25.18

状況がやこしくて申し訳ない。状況を説明すると、曾祖父が四国の戸籍を相続した際、母

親・弟・妹二人が在籍していた。

大阪に転籍。曾祖父だけの分籍ではなく全員。この時、曾祖父以外は四国在住

弟が四国で分家。母も伴う。

妹が四国で死ぬ

この場合、妹の同居者は四国から本籍がある大阪にわざわざ来ないと届けられなかったの?大正時代に、役所は住人の本籍地がある場所をいちいち把握出来ていたの?

ってか、そもそも今でも本籍地と現住所が異なる場合、現住所の役所に届けたら指導的に本籍地に連携されるシステムあんの?
日本@名無史さん [sage] 2019/02/20(水) 04:28:43.30
このスレ住民はそんなに祖先が気になるならY-DNAを調べるべきだ

皇別氏族 D1b1a2(D-IMS-JST022457)
物部氏 D1b1c1(D-CTS1897/Z1574)
蝦夷 D1b2(D-CTS131)
藤原氏 O1b2a1a1(O-CTS10145, CTS11723)
天之日矛 O1b2a1a2a1a(O-CTS7620)
東漢氏 O2a1b(O-IMS-JST002611)
漢服部氏 O2a2a1a1b(O-CTS201, subclade-F4010.2)
秦氏 O2a2b1a1a(O-M133)
百済王族 C2c1a(C-Z1300, Z1301/CTS4021)
諏訪神党 C2c1a2a(C-F3799.1)
豊臣氏 C1a1(C-M8)
日本@名無史さん [] 2019/02/20(水) 06:07:24.76
なるほど。曾祖母の方は従業員の家族寮にいた娘さんだったのか。
しかし曾祖父は独身で(女はいたかも知れないけど)、独身寮と家族寮は分かれてると
思うけどな。繊維産業というので安易に製紙工場みたいのを想像したけど、違うのかも
知れない。もっと規模の小さい事業所だったのかも。たとえば問屋みたいな。
そういう会社なら長屋みたいなところで家族持ちも独身者も一つ屋根の下にいた
可能性はある。一つの住戸に一家族が住み、独身者は一つの住戸に何人も寝るという
ような形態だったのかもな。あるいは長屋が二軒で、戸が向かい合わせで仲良くしてたとか。

曾祖父が家督相続したのに単身大阪に飛び出して行ったのは子供ができてしまった
という事情が関係しているかも知れない。
悪い言葉で言えば逃げたということか。
曾祖父の人はイケメンで女にもてるタイプだったのだろう。

>曾祖父母に子どもができた時点では曾祖父は相続済み、曾祖母にはまだ父がいたんだ
>けど、昔の結婚って戸主の許しって要ったの?

昔は結婚届を出すわけじゃないんだよ。入籍するの。
今は結婚届を出すとその新夫婦について新しい戸籍が作成される。例外もあるけど。
(たとえば結婚して離婚すると元の戸籍に戻るのが原則だけど、娘ならともかく男なんか
だと復籍せずにその男単独の戸籍を作ることが多い。この場合にその男が嫁さんもらうと、
そこに嫁さんを入れれば夫婦の戸籍が出来てしまうんで新戸籍は作成されない。)。
ともかく今は婚姻届けを出すと夫婦単位の戸籍が作られる。
別の言い方をすると、結婚した男と女はそれぞれ親の戸籍から外される(除籍される)。
これに対して昔は今まである戸籍(父親がいれば父親が戸主になっているのが普通)に
その新しくもらった嫁さんを入籍させるの。結婚届なんかなかったの。
戸主の嫁さんは妻と記載され、息子の嫁は婦と記載される。
で、入籍の手続きをするのは誰かというと親爺(戸主)。
だからもし息子が結婚したから嫁を入籍させようとして役所の窓口に行ったら
「お前は誰だ」と言われ、「戸主である父親を寄越せ馬鹿者」と怒鳴られるであろう。
昔の役人は威張っていたからね。
日本@名無史さん [] 2019/02/20(水) 06:07:50.03
>ってか、そもそも今でも本籍地と現住所が異なる場合、現住所の役所に届けたら指導的
>に本籍地に連携されるシステムあんの?

馬鹿なこと言ってるよ。日本は近代国家なんだからさ、国民の死亡した事実が戸籍に
反映されずに済ませるわけなかろうが。そんなことでは戸籍制度が機能しない。
国民一人一人が生きてるか死んでるかも把握できないような国家は国家ではない。
だいたいさー、死亡届に「本籍」を書く欄があるしね。
そこに本籍を書くから、その本籍のある役所に通知が行くんだよ。そして斜めに線が
引かれてハンコが押されるの。
719 訂正 [sage] 2019/02/20(水) 11:10:43.96
>繊維産業というので安易に製紙工場みたいのを想像したけど、

製紙工場 ×

製糸工場 ○
日本@名無史さん [sage] 2019/02/20(水) 15:23:56.27
一言居士
日本@名無史さん [] 2019/02/20(水) 21:01:50.01

繊維工場自体は近畿を代表する、大工場を何個も持つ大企業だよ。女工は朝鮮から安い給料で大量に集めてきてたから、たぶん曾祖母は親父か兄弟がそこに出稼ぎに来てたんだと思う。
もしかすると寮に住んでたのは曾祖母の親父や兄弟だけだったのかもしれない。そればかりは古い話でよくわからん。
日本@名無史さん [] 2019/02/20(水) 21:03:28.88

現住所に届けるだけで自動的に本籍地に連絡行くんだな。知らなかったわ。ネット環境が無い時代は凄い手間と膨大な郵便量だったんだろうな。
しかし、明治や大正にすでにそんなシステムが存在したって凄いな。
日本@名無史さん [] 2019/02/21(木) 10:11:19.43
>女工は朝鮮から安い給料で大量に集めてきてたから、

うわっ、ないない。それはない。やめとけってw
ググってみたが、「慰安婦」「軍艦島炭坑夫」レベルの怪しげな情報があるだけ
朝鮮人どもがまたまた騒いでやがるというようなもの
それとも君の一族は四国の前はあっちから来た人達なの?

>ネット環境が無い時代は凄い手間と膨大な郵便量だったんだろうな。

明治時代には電話あったろ。電話じゃなくて電信だと、東京−横浜間開通が明治2年。
その後たった5年で全国を縦貫。西南戦争(明治10年)の時は、東京と最前線の
熊本が電信線で結ばれていた。

日本で電話が開通したのは明治23年(電信じゃなく電話な)。
明治27年頃には県庁所在地間は電話網で結ばれていた。
そういう時代は電話機の無いところまでは電話回線で電信を送って後は電信網で電報。
電話は明治も終わり頃になれば役所には全部あったはず。
といっても東北の山の中の村役場まであったかどうかは分からないが。

大正時代になれば電話は会社や大商店では当たり前にあり、個人宅まで普及してきた。
この時代になると役所間は電話でやりとりしていたと思う。
辺鄙なところは電報で補っていたかも知れないけど。
日本@名無史さん [] 2019/02/21(木) 10:12:06.53
住民票には本籍の記載があるし(住民票の写しを請求しても普通は表示しない)、
実は本籍地の戸籍にも現在の住所の記載があるんだよ。
転居してもその度に本籍の戸籍簿に記載される。

ついでに。住所を変えると、住民票の付票に転出先が記載される。
だから付票を見ればどこに引っ越したか分かるし、その先でまた引っ越していても
そこでまた付票を見て現在の居場所を知ることができる。
住民登録しなければ住民票は作成されないが、アパートなどを借りれば大家や不動産屋
から市役所や区役所に連絡が行くので、「あなたはどこそこへ移転しましたね。三ヶ月以内
に登録しないと罰せられます」なんて役所から通知が来る。
日本@名無史さん [] 2019/02/21(木) 16:09:34.56

たぶん、日本全体でそのような方策は無かったが、その会社はそういう方針だったんだろう。実際、町内のほとんどがその朝鮮人女工の子孫の町があるし、社史には朝鮮人女工の待遇が日本人より悪くて一大労働闘争になった記録がある。
強制徴用ではなく、もちろん自由意思による出稼ぎで、現在の徴用工訴訟などで向こうの味方をする気はない。
日本@名無史さん [] 2019/02/21(木) 20:45:04.33

ttp://http://www.taminzoku.com/wordpress/wp-content/uploads/2014/05/6b2ad7c4dff6b0b9088f92604c2fabef.pdf

この文書は眉唾だよ。

編集・発行
NPO 法人 多民族共生人権教育センター
〒 544-0031 大阪市生野区鶴橋 2-15-27

鶴橋だぜ、おい。鶴橋ww

この文書でも朝鮮人女工は昭和五、六年頃のこととなっている。
しかも、ここには明記されていないが、もっと古くから日本に定住していた朝鮮人の
子女だったんじゃないかな。朝鮮半島から連れてきたんじゃないと思う。
岸和田あたりはいわゆる朝鮮人部落がいっぱいあって、そこらあたりの娘を
傭ってやったということじゃないの。
どうせすぐに強制連行されて奴隷労働させられたということになるんだろうけど。

大正時代にはいくら大阪でも朝鮮人女工はいなかったと思う。

なお、あなたの曾祖母の方の実家はどこなのかな。入籍したときに父・母の名前と
住所が記入されているはずだが。
もし四国なら、曾祖母のお父さんとかお兄さんとかが曾祖父の方を会社に入れて
あげたというか、入社を仲介してくれた人なのかも。
昔は田舎の人が都会の会社に入るには、その会社で働いているいる郷里の先輩を
頼るのが普通だった。曾祖父が20歳そこそこというなら都会の大会社にコネは
ないだろう。紹介してくれた人がいたはずなんで。
日本@名無史さん [] 2019/02/21(木) 22:54:43.69

あ、ビンゴ岸和田だわ。

曾祖母の家系は代々和歌山。本籍地は和歌山だが兄弟は昔から岸和田にいるし親も死亡地が岸和田だから岸和田に一家で出稼ぎに来ていたのは間違いない。

曾祖父は誰から紹介されたか知らないけど、四国にいる兄弟の子供たちを大量に繊維会社に紹介して、女子は大阪で縁談まとめたりしていたみたい。
日本@名無史さん [] 2019/02/21(木) 22:55:01.27
これ、特定されんかねw
日本@名無史さん [] 2019/02/22(金) 01:02:12.21
日本@名無史さん [] 2019/02/22(金) 20:44:01.28
岸和田紡績か
日本@名無史さん [] 2019/02/23(土) 12:58:53.23
上の電話や電報の話で思い出したのだが、俺の祖父の兄さんは三井物産に勉めていた。
三井物産社員とはすごいじゃないかと思われるだろうが、高等小学校を出てすぐに
メッセンジャーボーイになったのである。爺さんよりかなり年長の兄だったというから
たぶん大正の初め頃の生まれで、昭和の初めごろから働き始めたのだと思う。
その頃は社員各自に電話があったわけではないので、社内連絡もメモとか文書で、
社外とのやりとりも電話や電報や電信であった。
そういったあらゆる通信をメッセンジャーボーイが会社内を駆けずり回って配達して
いたのである。ついでに、その兄さんは戦後三井物産をやめ、自分で運送会社を始めて
成功した。物産の古参社員を一人連れて出て、その人が仕事を取ってくれたのだという。
メッセンジャーボーイ時代、岩崎弥太郎の屋敷(湯島天神の向かい)に手紙を持って
行かされ(もちろん弥太郎はもういないが)、正面の門から訪ねて「裏から来い」と
えらく怒られたということである。
日本@名無史さん [] 2019/02/24(日) 08:27:16.68
沖縄県知事だって、ハーフタレントだから当選したような
もんだからな
日本@名無史さん [] 2019/02/24(日) 14:22:04.44
ここのベストアンサーがいいこと書いてる。
ttp://https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q12163512942

綿花の栽培には@比較的温暖な気候、A排水のよい砂礫質の土壌、B大量の窒素肥料
が必要である。
この点、泉州地方は海の近くなので温暖であり、大阪湾岸は古代は海だったため砂まじりの
土地が多い。窒素肥料については干鰯(ほしか)が入手しやすかった。
干鰯とは鰯を干したもの。
綿花の栽培には他の作物と比べて信じられないほど窒素が必要となる。
窒素を供給するための肥料が干鰯だった。綿花一本に鰯一匹と言われたものらしい。
泉州の膨大な干鰯需要は、当初目の前の大阪湾や淡路島周辺、それと紀州沿岸の
地引き網漁でまかなうことができた。
これを干鰯船とよばれる船が淀川水系を遡って運んだのである。

鰯は長い間に枯渇気味になり、買い付けの範囲を瀬戸内海から九州、四国の太平洋側まで
広げた。ところがそれでも足りなくなり、紀州の鰯漁船が房総に来て鰯を捕り、現地で干鰯を
作った。房総に干鰯問屋も多数できたが、すべて関西の商人だったという。
鰯を原料として醤醢(ひしお)も作り、この関係で紀州から房総に醤油造りが伝えられること
になった。亀甲萬やヤマサなどはこうした流れで出来たのである。
日本@名無史さん [] 2019/02/24(日) 14:22:36.94
さらに綿花の収穫は人手が必要である。収穫した綿花から繊維だけを取り出すのも手作業で
膨大な人手を要した。働き手がいくらいても足りない。
この結果アメリカでは黒人奴隷の導入に至ったのはご存じのとおり。
泉州平野における労働需要を支えたのが紀州からの出稼ぎであった。
紀州は山地が多く農地が少ない。さらに紀州は浄土真宗の信徒が多く、真宗門徒は
間引き(嬰児殺し)をしないため常に人口過剰気味であった。
人口圧力が強かったのはハワイやアメリカ移民に和歌山県人が多いことからも分かる。
紀州の農民にとって泉州は格好の働き場所であり、毎年秋近くなると大挙して出稼ぎに行った
のである。
明治になると、特産の綿花を使って紡績業が盛んになった。近代的紡績工場が続々と
建てられたが労働者は和歌山出身者が多かった。
和歌山から泉州への労働力の流れという図式は明治になっても変わらなかったのである。
日本@名無史さん [] 2019/02/24(日) 16:54:20.18
糞みてえな弔文うぜえわ
日本@名無史さん [] 2019/02/24(日) 16:58:37.38

いやいやいやいや、
お前の藩が何処にでもいるような名字だらけなのは、戦国以前には由緒ないやつらだらけの藩だからだわ

どうせ、戦国以前も由緒あるとか一族のホラ話盲信して寝言ぬかすんたろが、
勝手に自分の狭い範囲の私見がスタンダードだと抜かすなや低学歴が。
先祖代々貧困家系の脳に栄養不足の末裔はこれだから困るわ
日本@名無史さん [sage] 2019/02/24(日) 18:11:22.25
それもお前の感想だよね。
そんな低脳な見解いらね。
日本@名無史さん [] 2019/02/24(日) 18:56:35.92
そんな議論してんのね。
まあ、平易な名字は絶対数から当時の民間出身が多いのは事実。
それが一集団内に顕著なら、なおその成り立ちの属性における近似性は高くなるのだから、確かに平易な名字だらけなのは必然となる。
日本@名無史さん [sage] 2019/02/25(月) 06:38:36.85
幕臣でも一番多い苗字は鈴木とかだったよな。まあ、鈴木自体は由緒ある苗字だけど・・・
ちなみに遠い親戚に元幕臣の鈴木さんいるし
日本@名無史さん [] 2019/02/25(月) 13:53:42.58
武士は鎌倉時代まではごく少数の職能集団だったんだけれど、足利・南北朝時代に膨大な数に
膨れあがった。たぶん鎌倉の筋目の武士の数からしたら30倍とか。もっとか。
そこから壮絶なつぶし合いが始まる。
下克上で下から勝ち上がった者が戦国大名となり、それらが又つぶし合う。
その中から実力と運で勝ち残った者が江戸時代まで生き残ったんだから、残った武士の苗字は
よくある名前が多いのは当たり前だろ。
同じような消耗を重ねた場合、母体集団が大きければ大きいほど残存する可能性は高まる。
大名の家臣なんてのは消耗品だったんだから、珍しい苗字で10人ぐらいしかいないような武士集団は
残らなくても不思議でない。鈴木って集団が3つぐらいあってそれぞれ100人ぐらいいたら、その
集団のうち何割かは残るだろう。かくしてよくあるような苗字の武士ばかりが残ったんだよ。
たとえば徳川なら、三河に多い苗字は本多、安藤、大久保など。
これらはいくつもの支族に分かれているが、とにかく数が多かったのでそういう苗字の武家は残った。

さらに、徳川の旗本でいうと、旗本はそれぞれ領地が与えられていた。その領地の村々には、領主で
ある旗本と同じ名前の百姓が多いのだ。これは姓を貰ったというのもあるだろうし、姓をもらった百姓と
同じ一族の百姓が、あいつが○○なら俺も同族だから俺も○○だ、と勝手に名乗った場合もあるだろう。
明治の国民皆姓のときに、まわりの親戚や知り合いがみんな○○だから俺も○○でいいや、と役所に
届けた奴もいただろう。だから旗本みたいな苗字は多くなった。
つまり、武士(それも領地をもらったような武士)の苗字がありきたりに見えるのは、最初からありきたり
なのではなくて、みんなが武士の苗字を名乗るようになったのでありきたりになった、ということである。
日本@名無史さん [] 2019/02/25(月) 13:55:22.28
それにそもそも武士は土地の名前(地名)を名乗ったんだから、よくある名前になりやすいだろ。
山田とか中村とか。一方で武士でない土地の者も同じ苗字を名乗ることが多い。
宮本武蔵は宮本村の村人だから宮本と名乗った。
ということで、よくある土地の名前が武士にも庶民にも両方多いのは当たり前だ。

あと九州や東北(とくに青森)には変わった苗字が多い。
たとえば薩摩藩の武士には珍しい苗字があるが、それも地元に行ってみれば普通のありきたりの
ものなのかも知れない。中馬(ちゅうまん)とかな。
それは地域性であって武士の苗字がなぜ普遍的かということとは別次元の話だ。
日本@名無史さん [sage] 2019/02/25(月) 18:47:19.13

平安時代には一部の大手以外は生活が安定してなかったから少数だったが、鎌倉時代には以前より安定したので多くの家で分家を乱立させ、数的に激増した
その影響で経営規模が縮小して零細経営が増えたこともあってか一族内部で争う事例も増え、惣領の統制が効かなくなって分裂する家も増えて、家の数が激増することになった
成り上がりがたくさん出たとかじゃなくても家が空中分解して分裂する事例が多かった南北朝時代に武士の数が増えたのは当たり前だ。
日本@名無史さん [] 2019/02/25(月) 18:58:48.77

というお前さんの憶測と願望の話されてもな。

あんたが言う理論なら、室町幕府の守護大名家はみな半端ない名門だが、
たかだか一般藩士にはその守護大名の名字ばかりとか、多数派なんて一切ない。

勝手に旗本レベルの名字は元々多数派ではなく、勝手に百姓が真似したり分けあった結果だなんて抜かすんだから、もう荒唐無稽だわ、、

全ては統計学が科学的理論のベースとなる。
平易な名字は、母集団がおおはいわけだが、
関連する血統や氏姓の繋がりは薄い。

平易な名字が江戸時代に大量に武士に発生しているのは、
大名自体にもいえるこであり、
繁栄力との関連性ではなく、民間出身の多数派が武士階層に紛れたから。

ようは、民間出身が大量に武士階層になだれたため、武士と民間に名字の近似性が強まった。
日本@名無史さん [] 2019/02/25(月) 19:04:10.74

その名門武家間での分裂過多につながる時代背景は確かにそうだ。

だが、勝手に君は結びつけてるが、なら田中、高橋、中村なんていう鎌倉からそれだけ全国に及ぶ発生うながす大大名どこにおった?
一色や畠山もかなり分裂したが、
なら高橋やら田中は一色や畠山以上どころか足利より遥かに勢力誇って分裂した武家なんやな、、

アホか
日本@名無史さん [] 2019/02/25(月) 19:05:38.61


地名は武士だけじゃなく百姓から非人まで大半が地名名乗ってんだ馬鹿が
日本@名無史さん [sage] 2019/02/25(月) 19:29:08.13

平民苗字必唱義務令でそうなったのかい?
日本@名無史さん [sage] 2019/02/25(月) 19:36:31.21
部民(古代豪族の私有民)系の苗字たる「〜部」とかだと、武士じゃなく平民だった可能性が高いんだろうけどなあ

伊福部からの派生苗字らしい服部とかも含めて。
日本@名無史さん [] 2019/02/25(月) 19:50:34.94

だからさ、古代からの代々平民かどうかとかじゃねんだよ

赤穂藩主の建部は、なら平民扱いか?

遡れば○○とかいう話なら日本人九割名門なんだわ

江戸時代に小作人が、
遡れば○○とか、かりにハプロタイプレベルの話がそうだったとして、だからなんやねん。

そんな悠久の話でなく、江戸の武士階層が平易な名字だらけになったのは、遡のぼらずとも、父方、祖父レベルで民間だらけだったから。
日本@名無史さん [sage] 2019/02/25(月) 20:00:20.03
>赤穂藩主の建部は、なら平民扱いか?

wikipedia>著名な建部氏としては、日本の古代氏族の一つである建部氏がある。日本武尊の名代部(ヤマトタケルノミコトを奉斎する軍事的部民)で、
>倭建尊から建部を正字とする。『日本書紀』の景行紀や『出雲国風土記』に景行天皇の勅によって定められた旨の記述があるようだ[要出典]。

部民じゃなくて豪族だね
物部氏も部民じゃなく豪族だ。
日本@名無史さん [] 2019/02/25(月) 20:04:04.37
そもそも、江戸時代の歴史研究家の大名が語ってんのよ

>>鳥取池田家の分家鉄砲洲家の5代藩主で学者の池田定常は

>>系図研究から「今の武家は民間よりあらわれて武士や大名になった者が多いのでその先祖はよくわからない。

と語ってんのよ

だもん平易な名字だらけになるわ
日本@名無史さん [] 2019/02/25(月) 22:23:16.10
お前らものすごい阿呆だわw

俺は大名クラスの苗字の話はしていない。
家臣だ。家来ども。
ウジャウジャいた戦争のための消耗品である家来どもだよ。
その苗字について教えてやってるんじゃないか。
それを理解力幼稚園児なみの馬鹿どもが曲解してわけのわからない反論をする。

なんかいっぱい出てきたように見えるが、いつものように珍しいほどの馬鹿なので
自園集団劇団一人なんだろうなw

それから馬鹿の特徴として みたいな例外を持ち出すタイプの反論。
一つの例外もなく絶対的にこうだと言っているわけではない。
数学的心理について議論しているわけではない。
お前は枚挙的真実と非枚挙的真実の違いが分からないのか?
あらゆる事象を漏れなく調べて枚挙的真実しか語れないということなら、歴史学など
成立しえないぞ。子供みたいな議論してるんじゃない。
それとやたら売れまくった「観応の擾乱亀田俊和著 読んでないのか?
この前テレビにも出てたぞ。
それと南北朝と応仁の乱の本を読め。
一人大馬鹿がいるとほんとスレのレベルってどこまで下がるかわからんな。
困ったもんだ。

あ、それからね。大名の場合、それと同じ苗字の人はその苗字を名乗らなくなっちゃうのよ。
控えるの。たとえば毛利なんてのはいくらもいたと思う。毛利は厚木あたりにあった地名だから。
毛利氏の祖先はその土地をもらってそこにいたから毛利と名乗ったんだよ。
松平なんて苗字も決して少なくはなかったと思うぞ。
大名以外で自分の家の苗字として残っているとしたら、それは公的な形では名乗る必要の
なかった農民に多いんじゃないかと思う。
日本@名無史さん [sage] 2019/02/25(月) 22:46:15.83
うちのおかんの苗字も土地の名前から取ってるわ。
日本@名無史さん [sage] 2019/02/25(月) 22:59:09.04
結局、先祖調べても托卵があるから無駄だなと思うようになってきた。

他にも戸籍だって昔のものはいい加減だし、過去帳だって正確かはわからない。

遺伝子で調べるのもあるけど、名前や職業や生活がわかるわけじゃないからつまらない。
日本@名無史さん [] 2019/02/26(火) 13:19:10.91
先祖なんてのは、今いる親戚を縦に繋いだだけのものだよ。
親戚なんてつまらない奴ばかりだろ。
遠い親戚なんて興味もないし顔も見たくないだろ。
俺は従兄弟だってわずらわしいぞ。
そういうのが縦に繋がったものがご先祖さま。
しかも養子が入ったりしてたら、その上からはご先祖様ですらない。

養子でなくても、昔は子供の生まれない家では「藁の上からの養子」と
いうのが多かった。戸籍の上では立派に親子でも、血はつながっていない。

それでも何故か自分の先祖を考えてしまう。戦国時代のこととか。
日本@名無史さん [] 2019/02/26(火) 20:24:18.18

この馬鹿は勝手に自分の尺度で判断する傾向あるよな

いつ大名限定なんて書いた?
でなくとも江戸の大名自体が平易な名字だらけなのに、一般藩士はより平易な名字だらけなわけで、
その大名と一般藩士の近似性には過程の経緯や成り立ちに属性を求める親和性が帯びていると書いてんのに、
お前みたいなえふらん大卒は本当に読解力皆無だからやだわ、、

偏差値低すぎてまじ馬鹿すぎてよ、、
日本@名無史さん [] 2019/02/26(火) 20:31:33.42

つか、ひとつの例外なくなんていつどこに書いてあんの?


私は歴史なんて抽象的な非確定要素の集合体なんての、統計学的検証が科学的根拠の有効な手段だと、書いてあんのに、

お前本当に糞えふらん大卒なの丸わかりなんだよ

糞低偏差値の馬鹿が歴史という事象しかしらないから検討推量の根拠となる科学的見識や他領域の専門学群の担保が皆無だからこういうことになるんだよな。

本当にやだよ低偏差値馬鹿は、、
日本@名無史さん [] 2019/02/26(火) 22:10:03.51
758
まる一日考えてこれだけか
えふらんとか言っちゃってwww

文章で書いたものは文章がすべて。俺はこういう意味で書いたというのは通用しないのよ。
それと、よく読めば分かるというのも駄目。
一回ザッと読んで分からなければそれまで。
ま、論文考査ってものを経験してない君に言っても仕方ないことなんだけどね
日本@名無史さん [] 2019/02/26(火) 22:35:04.80
にいってんだ中年ニート

いつおれはこういういみこめて書いた!なんて書いてあんだよ?

お前が勝手に決めつけてる解釈の元となる文出せや

これだから歴史ヲタの発達障害えふらんはやなのよ

全部書いてもいない、言ってもいないことを妄言して一人がたりし始めるんだから、たちが悪い

せん妄という精神症状しってるか?
おまえみたいなのは、歴史以前に医学の話してやるよ
日本@名無史さん [sage] 2019/02/26(火) 23:18:09.61
この激高ぶり、なんか劣等感丸出しっぽいぞ。

もっと落ち着け、苛立ちを文章に載せると馬鹿に見える
日本@名無史さん [sage] 2019/02/26(火) 23:40:26.81

まぁまぁ、そんなに興奮せんでも。

>それと、よく読めば分かるというのも駄目。一回ザッと読んで分からなければそれまで。

文系大先生はこれだから困るんよね。分子生物学とか理論物理学論文の査読の場合、
一回ザッと読んで分からないので駄目なんて言ったら、自分は馬鹿ですと宣言すること
と同義なんだわ。

確かに文章表現力の上手下手は存在するけど、読解力も同様ってことを認めない人に
何を言っても無駄なのさ。ここの文系有能大先生はあんまり触らんほうが賢いと思うよ。

話がどっちへ転んでも、所詮はサイバー空間にある「トイレの落書き」なんだからね。
日本@名無史さん [sage] 2019/02/27(水) 01:43:24.26

get the fuck out, poser
日本@名無史さん [sage] 2019/02/27(水) 05:51:48.45

>赤穂藩主の建部は、なら平民扱いか?
???建部家は赤穂藩主じゃないぞ もう間違ってる 建部家は林田藩主
日本@名無史さん [sage] 2019/02/27(水) 08:23:31.82

まあ江戸時代ごろの相続では約3割が実子以外(孫とか弟とかの血縁者と婿養子を含む)らしいしな
日本@名無史さん [] 2019/02/27(水) 14:27:44.50
761 762

読み手のせいにしちゃ駄目ポw
日本@名無史さん [] 2019/03/01(金) 13:42:19.04
同じ一族で苗字が違うという場合、

1.届け出のときの書き間違い
2.役人の書き間違い。写し間違い。
3.間違いではないが違う字を書いてしまった。昔は漢字の使い方はいい加減だった。
4.遊び心で勝手に決めた。たとえば「羽柴」という苗字は豊臣家とは何の関係のなく、
明治になってから太閤ファンの人が勝手につけたものらしい。

災いや不幸があって俺はこんな苗字は嫌だといって自分だけ別の苗字にした。
兄弟喧嘩していて、お前らと一緒の苗字なんか名乗るかといって別の苗字にした。
妾腹の子で、お前なんかうちの苗字を名乗るんじゃねーと言われて別の苗字にした。

明治八年に国民皆姓が命じられたとき、苗字なんてものはだいたいの人が持って
いて無い人の方が珍しいぐらいのものだったが、自分の苗字が本当に今の苗字
なのかは自信の無い人が多かった。適当に使っていたからである。
そういう人は寺に聞きにいった。そうすると坊主が過去帳や寄進張を調べて、
あんたの家は○○のようだ、と教えてくれる。
しかし古いところまで遡ると△△という人がいると言ったりする。
さらに最初の頃に書いてある人は××が多い、などとなったりする。
するとそれを聞いた人は「俺のうちは××が正しい」と言ってそれにする。
しかし他の兄弟やら親戚は、そんなことあるかよーと言って○○にする、という調子。

一方、苗字が同じだからといって同族とは限らないのには注意。
小作人の苗字なんてのは地主のものとか在所の地名とかで皆同じにしてしまう
ことが多かった。
名主と同じ苗字にした小作人が、戦後農地解放で自作農になったのも忘れて、
あの名主だった家は俺んちと同族だからうちも名主だったんだべえ、なんて言い出す
こともないとは限らなかたんだろうな。
日本@名無史さん [] 2019/03/02(土) 01:56:11.58
先祖と言っても父方と母方がいて自分のアイデンティティのある方を先祖と位置付けている人が多いと思う
自分は祖母がチェジュ島出身で苗字は日本名だけども、日本社会が好きじゃないから日本人としての自覚は薄い
先祖といっても自分がどの家系に属しているかは当人の自覚によると思う
女性の場合は実家の姓を名乗るのが自然だと思う
日本@名無史さん [] 2019/03/02(土) 06:34:38.44
「家」と「血脈」は区別すべきだ。
家が家となるのは何世代にもわたって相続された結果である。
最初から「家」があるのではない。
相続が重ねられた結果として家になるのだ。この点は誤解があってはならない。

例えば小農民の経営は不安定であった。働き手が病気になっただけで一家離散となりうる。
江戸時代に絶家の原因となったものは多々あるが、火事も原因として非常に多い。
田舎の村人などというと何百年もそこに住んでいるかのように思われがちだが、決して
そうではないのである。
武士でも下層のものは何代も続くわけではなかった。

上層の一握りの人々以外はいわゆる庶民であって、何代も続くような家には属していなかった。
日本人のほとんどがそういう人たちだと言って過言でないのである。

しかし、今生きている以上間違いなく祖先はいる。祖先を知りたいと願って家系を辿るというのは
「家」の歴史を辿ることと同義と考えるのが普通である。
しかし、よほどの名家でない限り家などというものは存在しない。
だから血脈を辿るという考えでいた方がいいのである。

とりあえず家として存続している場合は、養子や戸籍上だけの嫡出子など形だけの場合が多いので、
家といいうものに囚われていると、自分とは関係のないご先祖様を有り難がったり敬ったりすることに
もなる。そうしたことはフィクションの上に自分を規定していることになると考える人も多いだろう。
男系の先祖は源氏 [] 2019/03/02(土) 13:23:37.74
伊達正宗の父に伊達照宗という人がいて、伊達照宗の父に伊達春宗という人がいて、伊達照宗の父に伊達種宗という人がいて。
その伊達種宗と伊達春宗と伊達照宗の三代の重臣だった仲野日立守藤原宗時がいて、その仲野日立守の同族に、ワイの曾祖母の先祖である立野越後守藤原胤則という人がいた。立野胤則は千葉盛胤の家臣になって、胤則から四代の胤茂まで胤の字を貰ってた。
立野越後守の先祖は南北朝時代に立野左京亮藤原安朝といい、立野城を築くまでは、元は仲野左京亮と称して、伊達種宗の南北朝時代の先祖である、伊達雪朝の家臣だった。
先述した、仲野日立守藤原宗時と仲野左京亮藤原安朝は伊達家と同じく男系は藤原氏であるが、家系は
鈴野三郎穂積重家の遺児、亀丸の子孫である。
鈴野氏は源吉経の家臣で欧州藤原氏の平泉に向かう途中、遺児亀丸は欧州にとどまった。
亀丸はとどまった土地の地名を名乗り仲野を苗字とした。
その子孫が伊達家臣となり、伊達家臣時代から藤原氏を称するようになった。その子孫が、
仲野日立守藤原宗時と立野越後守藤原胤則とワイである。
男系の先祖は源氏 [] 2019/03/02(土) 13:39:53.33
ワイの曾祖母の先祖は藤原氏である
ワイの曾祖父の先祖は清和源氏である
ワイの曾祖父の養父の先祖は桓武平氏である

鎌倉時代初期に梶原氏と同じく一族もろとも滅ぼされた
梶原蔭茂の遺児は欧州に流れ神主となった
その神主家から分家して全国各地で戦国武将として活躍した人たちも多い
その梶原村の隣村にとどまり、同じ様に鎌倉幕府から逃れた鎌倉御家人の子孫がいた、ワイの家系の先祖である
ワイの家系の先祖は後に仙台藩の大番士となった
ワイの男系の先祖は清和源氏 [] 2019/03/02(土) 13:52:38.97
ワイの曾祖父の父は、千葉氏の流れをくむ大名家の藩士であった
実名を源正弘という
源正弘の先祖は戦国時代に源正國といい
源正國の父は源ョ近といい
その先祖は南北朝時代は源ョ氏という
その先祖は平安時代は源ョ政といい
源ョ政という先祖から代々、正の字を通り字としている
源ョ政の父が源仲政といい、源仲政の父が源ョ綱といい、源ョ綱の父が源ョ國といい、源ョ國の父が源ョ光といい、
源ョ光の父が源滿仲といい、源滿仲の父が源經基といい、源經基の父が貞純親王といい、貞純親王の父が清和天皇という。
源氏長者 [] 2019/03/02(土) 13:55:24.51
ワイ染色体
ワイ染色体 [] 2019/03/02(土) 14:25:55.09
源三位頼政には子が沢山いた
ということらしいが
どうやら養子が多くいたっぽい
頼政公の子孫を称する大河内氏などは
たしか、頼政の養子である兼綱の子孫だよね
ワイの先祖は頼政の実子である頼兼の子孫なんだわ
ところで頼政の嫡流はいったい誰なのか?
それは頼兼と言えよう
頼政は天皇の側近として内裏の警備してた人だよね
では頼政の子の中で頼政の職を継いだのは誰かというと頼兼なんだよね
源頼朝が鎌倉幕府を起こしてから、頼政の一族の中で最も地位が高かったのが頼兼
頼兼の子の頼茂が将軍になろうと企てたらしくて鎌倉幕府にやられちゃったけどね
だから頼茂の子や孫は下野しちゃった
蔵人頭頼茂の子に下野しちゃった下野守頼方がいて、
下野守頼方の子に遠江守頼氏がいる
その子孫がワイなんだけど
同族に飯尾連龍もいるよ
飯尾連龍の子孫は幕臣として残ってて源氏を称してる
飯尾氏はもとは三善氏の家系だったが、途中ワイの先祖から分家して、養子が入ってるんだよね
飯尾連龍の祖父が源氏からの養子らしく、飯尾家の子孫は源氏を称するようになって、屋敷が原宿あたりらしく
そこらへんの山を領して源氏山って名付けたらしい
ワイの先祖の一族は通称に吉兵衛とか吉太郎とか、吉をつけることが多かったんだけど、
俺の江戸時代の先祖も吉左衛門って名前だったりした
飯尾連龍の祖父も吉を使った通称らしく、
また連龍自身も正純という諱だったらしくて、
これはワイの一族の通り字と同じ正の字を使ってるんだよね
源頼政の政の字からきてる
源氏長者 [] 2019/03/02(土) 14:42:43.77
源氏嫡流って、源頼光の子孫の事を言うんだよね。
源満仲の長男である源頼光よりも三男である源頼信の方が武家としては有名になっちゃったけど、
貴種としての地位は源氏嫡流である源頼光の流れだよね。
その源頼光の子孫のなかでも、大内守護を代々に継承したのが源頼政であって、
引き続き大内守護を継いだのが、ワイの先祖である源頼兼なんだわ。
その子孫であるワイは源氏嫡流として何か源氏長者の気分だよね。
大内守護源藏人 [] 2019/03/02(土) 16:01:14.04
安倍晋三は男系を平知貞で家系を安倍宗任とされる。
この安倍家の家系図がどうなっているのかを知りたい。
平知貞を初代とする平姓安倍氏なのか?
安倍宗任を初代とする安倍姓安倍氏で、途中、知貞の代に(実ハ平知盛ノ男)と但し書きされた家系図なのか?
それとも孝元天皇流ではなく、安日彦の流れで、
安倍姓安倍氏という家系図で、
安日彦後胤安倍宗任後胤とはじまって、
途中に平氏の養子が入る家系図なのか?

気になる
源藏人 [] 2019/03/02(土) 16:10:31.85
ワイのフルサトの藩にも、阿部氏を苗字とした藩士がいる。
阿部氏の家系図はこうなっている。

安倍姓 阿部氏
安日彦後胤安倍頼時男安倍貞任男安倍星後胤

というように安倍姓を名乗り、その祖を孝元天皇ではなく安日麿としている。

となると安倍総理の家系図も孝元天皇ではなく安日彦を祖と称しているかもしれない。
日本@名無史さん [] 2019/03/02(土) 16:11:57.80
【安全脳は責任とれ、命で】 若者死因、1位は自殺、2位は白血病。池江、病状隠蔽? 横浜園児2人白血病
ttps://rosie.5ch.net/test/read.cgi/liveplus/1551491631/l50
日本@名無史さん [sage] 2019/03/02(土) 16:33:03.60

正しい文字を当てさせるクイズ遊びかな?
源藏人 [] 2019/03/02(土) 17:27:01.71

中野常陸介藤原宗時の子孫は相馬藩士で江戸時代年間は家系図に鈴木三郎穂積重家の遺児鶴丸の子孫と称し穂積姓中野氏としている(鶴丸は中野という地名に住み苗字を鈴木から中野とした)。
中野常陸介藤原宗時と同族と言われてきたワイの先祖は相馬藩士で江戸時代年間の家系図も変えずに藤原姓を称している。
ワイの先祖は、戦国時代の立谷越後守藤原胤則の時代から相馬顯胤に仕え代々胤の字を貰い受ける。
立谷越後守藤原胤則の先祖は南北朝時代に伊達行朝の一族で立谷城主となった中野右京亮藤原保朝という人である(諱も朝と同じ)。
であるから、伊達家臣の中野氏は家系の先祖は穂積姓鈴木氏だけども、男系の先祖は藤原姓伊達氏と考察できる。
つまりコーエーの信長の野望に出てくる戦国武将の中野宗時は実は伊達氏族である。
源藏人 [] 2019/03/02(土) 18:14:27.00
鈴木三郎穂積重家の遺児である三世鶴丸は奥州宇多郡中野(福島県相馬市中野)に住み鈴木氏から中野氏に苗字変更した。
その子孫は後に伊達家臣となる。
戦国時代、伊達家臣の中野宗時は一時期、伊達稙宗を隠居させて伊達家の実権を握る。
稙宗の孫、輝宗により、伊達家から追われることになる。
その時、相馬家臣だった、中野宗時と同族の立谷越後守胤則の子の将監胤実と孫の左衛門尉胤安は中野常陸介宗時の救援のため出羽国に向かい、中野常陸介宗時を救う。
中野宗時は先祖の本幹地である宇多郡に帰郷する。
日本@名無史さん [sage] 2019/03/02(土) 18:15:29.43
荒らしか?
源藏人 [] 2019/03/02(土) 18:44:49.47
実は中野常陸介は二世代の通称なんだよね。
伊達稙宗の世代の中野常陸介と伊達晴宗の世代の中野常陸介は親子。
二代に渡って常陸介を使い続けた。
源藏人 [] 2019/03/02(土) 19:47:55.72
立谷越後守藤原朝臣胤則から五世孫の種重は
胤則─胤実─胤安─胤重─種重
佐竹家のお姫様を妻にした

ワイの血にもその佐竹からの血が流れとる
日本@名無史さん [sage] 2019/03/02(土) 20:19:52.58
なんだこの糞スレ
日本@名無史さん [] 2019/03/03(日) 08:11:06.71
山内一豊には子がなかった。正確には娘がいたが早世した。
やむなく妻の実家の方から跡継ぎを出させようとしたが、家臣たちが反対した。
そこで、弟の息子を二代目とした。
この家系はどのように続いたか。


1.一豊 ×  
      
2.忠義 → 3.忠豊 → 4.豊昌× (男児なし。分家より娘に婿養子)
                            
5.豊房× (35歳で死、弟へ)

6.豊隆→ 7.豊常× (15歳で死。山内姓を許された家老の家から養子。※)

8.豊敷→ 9.豊雍(四男)→10.豊策 →11.豊興× (17歳で死。異母弟に)

12.豊資 →13.豊煕× (34歳で跡継ぎのないまま急死。弟に)

14.豊淳× (藩主になって12日で急死したので分家から養子)

15.豊信(容堂) → 安政の大獄で隠居 (豊資、豊淳の弟である豊範に継承させる)×

16.豊範

※ 家老の家といっても、二代藩主の息子が養子に入り、豊敷はその養子の子)

16代で相続の回数は15。うち自分の子への相続が7回。弟や分家の子への相続が8回。
十三代豊煕と十四代豊淳の急死はまさにお家断絶の危機であった。
豊淳の後は、その弟である豊範が継ぐのが順序であるが、わずかに三歳であったため
ピンチヒッターとして豊信(容堂)が藩主となったのである。
容堂は分家の中でも最低の家格の家から藩主になった。
日本@名無史さん [] 2019/03/03(日) 20:31:44.35
中野宗時て聞いた事ないな
マイナーな人?
自分の先祖の方がまだ有名かも
日本@名無史さん [sage] 2019/03/03(日) 20:43:45.85

Wikipediaもあるからそこそこじゃない?
まあ俺も初めて知ったが。
日本@名無史さん [sage] 2019/03/03(日) 21:23:35.32
中野宗時は戦国時代を扱うゲームで出演する程度にはメジャーだろ
たしか、三十年近く前に出た天下統一というタイトルのゲームにも出てたはず
日本@名無史さん [] 2019/03/03(日) 22:20:10.92


そうなんだ?
教えてくれてありがとう
日本@名無史さん [] 2019/03/04(月) 07:49:15.93
ということは、上で狂ったような書き込みしてる奴は
信長の野望で中野宗時に入れ込んじゃったゲーム廃人ってことか


ゲームの中でいろいろあったんだろうな、中野なんとかとは
それでググりまくって妄想涌きまくりと・・・・       ( 艸`*)ププッ
日本@名無史さん [sage] 2019/03/04(月) 08:05:13.90

触れないほうがいいぞ
日本@名無史さん [] 2019/03/04(月) 09:41:23.95

>従兄弟だってわずらわしいぞ

成人したら兄弟だって他人のはじまり。妹とと13年あってない。妹は東京でおれは大阪だから。
日本@名無史さん [sage] 2019/03/04(月) 09:55:43.73

いま30代か?
メールとか電話もなしなの?
源藏人 [] 2019/03/04(月) 19:19:42.44
妄想?
なにこの嫉妬は?
そもそも相馬は野馬追いやってる人らがいるくらいだから、
源氏平氏藤原氏などの由緒が残ってる人なんてそこらじゅうにいるし
俺もその由緒が残ってる人らのただの1人ってだけだわ
源藏人 [] 2019/03/04(月) 19:38:18.43
自分の友達とか周りが相馬氏族の桓武平氏の子孫とか、
信夫佐藤氏の藤原鎌足の子孫だとか普通にいると、
他人の先祖が清和天皇だとか桓武天皇だとか藤原鎌足だとしても、
俺にとっては自慢話しに聞こえないし、俺の方も嫉妬しないね
ただの自己紹介のようなものだよね
日本@名無史さん [] 2019/03/04(月) 22:02:26.91
戦国無双とかBASARAの中のお友達だと相馬氏族の桓武平氏の子孫とか、
信夫佐藤氏の藤原鎌足の子孫だとか普通にいるだろうね。
お友達によろしくね
源藏人 [] 2019/03/04(月) 22:55:05.20
ダメだなこれは
日本@名無史さん [sage] 2019/03/04(月) 23:08:36.52
源藏人くんここは先祖探しのエピソードをみんなで語る場だぞ
ひとりで先祖の自慢話をするところではない
源藏人 [] 2019/03/04(月) 23:55:22.90
自慢に聞こえちゃうんなら、先祖のエピソードを語れないじゃん
いつまでもやめなよそういう嫉妬は
先祖スレなんだから、どんな先祖の話しでもいいじゃんね
日本@名無史さん [] 2019/03/05(火) 03:05:48.52

足入れ婚の風習は戦前まで残っていた地域もあるぞ
子供ができるまでないし一定の期間は事実婚で子供ができたとか
当人同士の相性がいいとわかったら正式に婚儀
日本@名無史さん [] 2019/03/05(火) 06:31:12.73
現代は離婚率が増えて云々なんて報道がよくあるが、離婚率は昭和より明治時代の
方がはるかに高かった。
人口比や年齢階層の分析をすると昭和の三倍ぐらいという。
社会学的調査の結果この事実を発表したのが湯沢雍彦というお茶大の教授。
当時、へーそうなのかとみんなビックリしたという。

ttp://https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B9%AF%E6%B2%A2%E9%9B%8D%E5%BD%A6

昔は離婚など当たり前で、「合わせものは離れもの」と当然のことと見なす風潮が
あった。姑との折り合いが悪いとか家風に合わないなどという理由で簡単に離婚した。
親が決めた結婚が多く、当人同士に感情の交流がないままに結婚することも
原因の一つだったろう。
江戸時代には不倫が当たり前だったという人もいる。
若くして何も知らずに嫁いだ婦人が、ある程度の年齢になると旦那がつまらない
男に見えてきて、よその男に気移りするというのは当然あっただろう。
日本@名無史さん [sage] 2019/03/05(火) 11:54:37.54
情報が今みたいに伝わらないからね。少年犯罪率とその残虐さも、今より昭和初期〜30年代の方が圧倒的に高かった。
日本@名無史さん [] 2019/03/05(火) 13:16:55.83
私の高祖母、1854年生まれで結婚が1881年。当時にしては27歳で結婚ってかなり晩婚だよね?
なんかを見ると、もしかして高祖父との前に結婚歴あるんじゃないかと思ってきた・・・!
日本@名無史さん [] 2019/03/05(火) 13:54:34.26
結婚歴の有無は戸籍見れば分かるだろ
日本@名無史さん [] 2019/03/05(火) 13:55:51.69
ま、足入れ婚とかで入籍してなければ戸籍に跡はつかないが
日本@名無史さん [] 2019/03/05(火) 14:10:38.49
子が産めるか見極め同棲期間
日本@名無史さん [] 2019/03/05(火) 16:58:13.42

いや、そんなに遅くない。
下級の武家だと普通。
あとで資料あげて説明してあげられればいいんだが。論文見つけないといけない。
日本@名無史さん [sage] 2019/03/05(火) 18:39:19.73

江戸時代後半の話だと、庶民で平均のちょっと下ぐらいの家だと15年とかの長期の奉公に出て年季あけてから村に帰って結婚とかで20代後半とか30頃の結婚もよくあったらしい
貧しい方が奉公の期間が長めで結婚が遅いとか。その分だけ子どもが少なくて、子孫が途絶える率が高いとも。
日本@名無史さん [sage] 2019/03/05(火) 18:59:24.90
俺の家は大正6年から大正10年までの4年間で子供も含め7人も死んでる。
高祖父の祖母、
高祖父の父と母、
高祖父、
成人した子ども3人。

大家族だったんだが、4年で家族が7人も死ぬってどんな感覚なんだろうな。

てかこのとき残された家族は大変だったろうな、曾祖父はまだ子供だったし
日本@名無史さん [] 2019/03/05(火) 21:18:25.45

とにかく結核が多かったしコレラやスペイン風邪かもしれない
日本@名無史さん [sage] 2019/03/05(火) 21:48:36.86
明治大正期はよくわからないけど、江戸時代だと、都市部では伝染病などによる病死が慢性的に多発した
農村部では伝染病は多発はせず、たまに襲撃される程度

なもんで、幼少期の死亡はともかく成人の死亡は、農村部では少なかったが都市部では多発していたわけ
たいていの都市は、周辺農村から恒常的に人が流入しないと人口を維持できなかったので、
都市周辺の農村は出稼ぎ(帰らない率が高い片道)が多すぎて人口が伸びなくて、
都市からとおい辺境だけ農村人口が増えるという状況さえあった
日本@名無史さん [] 2019/03/05(火) 22:34:40.44

女だからうちの戸籍に入る前はどんな経歴か不明だよ。その親の戸籍は古すぎてもう無い。

マジ!?理由は?
ちなみに、うちは下級武士なので完全にビンゴだ!

確かに、いろんな戸籍見てると30過ぎて結婚した人も多数いるわ。
日本@名無史さん [] 2019/03/05(火) 22:36:27.63

逆に源平藤橘の遺伝子が染色体にない日本人なんて、日本人の1割もみたないと思うぞ

日本人皆兄弟を自慢にしてる悲しい人はそんなミクロなレベルにしかすがるものないんだろうなあ
日本@名無史さん [sage] 2019/03/05(火) 23:42:07.65

日本人というか、地球の生物皆兄弟だろう。
日本@名無史さん [] 2019/03/06(水) 06:57:40.01
磯田道史 近世大名家臣団の社会構造 東京大学出版会

最近やたらとテレビに出てる磯田先生の出世作だが、武士がどんな生活を
していたかに興味があるなら是非読むべき。
文庫の中古なら安いよ。図書館にもたいがいあるだろ。

大名の家中は、士(侍)、徒(歩行)、足軽に三区分できる。
岡山藩の宝永四年(1707)の人口調査によると

士格の家が758で全体の19.2パーセント 家族を含めた人数 3026人
徒格の家が762で19.3パーセント   家族を含めた人数  2700人
足軽の「家」が2436で61.6パーセント 家族を含めた人数 3130人

足軽は2500ほどの「家」があるが、家族全体の人数は3000人強
士格の家族全体の数と変わらない。
一世帯あたりの家族数は1.2人程度で、これは単身者がほとんどということである。
足軽以下では一代限りの者がほとんどで、家として相続が認められるのは
一割以下であった。
足軽以下の身分の人たちは、単身で組屋敷に居住するのがほとんど。
近隣の農村に住み、通って来る者もいたようだ。
要するに足軽以下というのは近隣の農村の次男坊とか三男坊で、人別(戸籍)は
村に残し、近ければ歩いて通い、通うのが無理ならお長屋に住んで役を勤めていた
ようである。彼らが城下町において家を形成することはほとんどなかった。
日本@名無史さん [] 2019/03/06(水) 07:13:23.00
驚くのは武士の家の家族数である。家族の数は三人とか四人できわめて少ない。
今日でいう核家族がほとんどなのである。

福島藩五万石の知行取家臣(士格)60家を調査した結果

知行高 600石の家で家族は平均3人 奉公人の数が24人
     300〜400石の家で平均4.4人 奉公人12.9人
     100石〜170石の家で平均3.2人 奉公人4.3人
もっと細かく分類してるんだが、勘弁してくれ。

60家のうち、母のみの同居6、姉・弟・甥の同居6
当主の両親がそろって同居している例は一つもない。
一方で知行取りにもかかわらず単身者(家族なし)が8家もある。
岡山藩の場合も平均3.5人でだいたい同じくらい。

一人住まいの人も珍しくなく、結婚していても子供は一人か二人という家庭が
少なくないということである。何だか現代のマンションみたいである。
奉公人がやたらと多いことだけが違う点。
日本@名無史さん [] 2019/03/06(水) 07:40:05.47
家臣たちのライフコース
宇和島藩で知行取り(士格)と切り米取り(徒格)を比較

       士格           徒格

元服    14.3         14.7
初婚    23.0         31.0
家督相続 26.0         20.1
初子届け 27.3         33.2

死亡    63.7         54.8
士格と徒格では初婚年齢が大きく異なる。徒格は昔としては晩婚といっていい年齢。
嫁を貰うということは家族が増えるということだから、経済力に余裕がなければ
嫁を貰う年齢を上げ、家族数を少なくするしかない。
おそらく父親が亡くなって家族が一人減ったような状況でないと嫁を貰えなかった
のではないか。
また、結婚年齢が低いと子供の数が増える可能性が大きくなる。
家族の数を増やさないという狙いもあったかも知れない。

家督を相続する年齢も6歳も違う。
これは、仕事内容の違いが関係するだろう。徒はいわゆる兵隊であって、体を使う
ことも多いし内容が単純。若くても出来るし若い方がいい。
父親の方にしてみると、歳をとってまでやっていたくない仕事である。
一方士格の方は仕事があるとしても楽だし、同僚・上司との付き合いの関係でも
ある程度歳を取っている方がよかったのだろう。

死亡年齢は驚くほど違う。仕事のストレスとか家の狭さとかが関係するのか。
徒の方は、隠居生活などもほとんどしないまま死んでいく感じである。
日本@名無史さん [] 2019/03/06(水) 07:59:38.63

大正七、八、九年にスペイン風邪が大流行しているから、これで亡くなった方も
いるかも。なんせ世界で4000万人もが死んだそうだから。

やはり亡くなるのは冬が多いので、11月から2月ぐらいの間に亡くなって
いたらその可能性が大きい。
日本@名無史さん [sage] 2019/03/06(水) 12:59:34.52


たしかにその時期が多かったわ
スペイン風邪かもな、、
参考になりました
日本@名無史さん [sage] 2019/03/06(水) 16:05:54.97
 商家もだいたいそんな感じやね。奉公人は番頭になる30以降に
ようやく一家をもつことが許され店住まいでなくなり、これ以降に結婚する。
日本だけが晩婚だったのかといえば必ずしもそういうわけでなく、ローマの
ユスティニアヌス法は市民の成人年齢を25歳としており、これは1600
年代くらいまでは使用されていた法理なので、現代人がおもうほど昔は
早婚だったわけじゃない。古代ローマの軍団兵は兵役がおわってから
植民都市に土地を与えられて、それ以降に結婚するのが通常だったので
その場合だと40歳以降に若い嫁をもらうというのが通常だったことになる。
日本@名無史さん [sage] 2019/03/06(水) 16:09:53.46
晩婚にすればチンコの勃ちも悪くなるので、ひつぜん少子化となる。
それは国家としては困りごとなのかもしれないけれども修身斎家の
ありようとしては需要に合致しておったのかもしれんね。
日本@名無史さん [] 2019/03/07(木) 05:41:59.77
武家の出産事情
25石6人扶持 石取りであるから士格。小禄であるから士分の中では下級である。

1714年 出生  20歳で家督相続。29歳で嫁をとる。翌年長女が生まれ、三年後
には長男が誕生。
その二年後からの七年間に妻は六回妊娠する。しかし子は一人も生まれていない。
「平産」と表記してあって、妻が無事出産したことは分かるが、子は生まれず。
妻は平産六回の後に妊娠して流産。その半年後に死亡。

平産というのはおそらく「子供返し」、間引きだろう。

1755年、妻が死んだ翌年、当主は42歳で後妻を迎える。
この後妻も25歳から46歳までの間に10回妊娠している。
しかし生まれたのは当主にとっての「次女」一人であった。
あとは流産が二回、平産が七回であった。

長女は20歳で死亡。長男は叔父のところに養子に出された。
その後、次女が婿養子を迎えて家を相続した。
長男がいるのにその長男を養子に出してわざわざ婿を迎えたのは何故か。
この長男と後妻は「生さぬ仲」であって本当の親子ではない。
後妻への配慮で後妻の実子の次女に家を継がせた(形式的には婿養子が
継ぐのだが)のだろう。
つづき [] 2019/03/07(木) 05:42:44.31
この次女は五回出産し、一男二女をもうける。
あとの二回は、一回が「産あり」、一回が「平産」。
産ありというのは死産ということか。
長男が家督を相続する。

この長男は30歳で嫁を迎えるが妻は翌年に離縁。
その翌年二度目の妻を迎えるが半年で離縁。
翌年再々婚する。相性がよかったのかこの結婚は維持される。
妻は27歳から46歳までの間に10回妊娠。二男二女を産む。
あとの六回のうち、一回は男児を出産したが一ヶ月ほどで死亡。
他の五回は平産、すなわち子の出生はなかった。
日本@名無史さん [] 2019/03/07(木) 06:07:02.89
とにかく平産が多い。
初代の最初の妻は六回、後妻は七回、二代目の妻(次女)は一回、
三代目の再々婚の妻は五回である。
平産が間引きだとすると、19人も間引いていることになる。
それだけ家族の少人数化の必要性は大きかったのだろう。

しかしこんだけ殺せば座敷わらしも出るわけだわ

嫁取りの年齢は高いが、養子に行くときは19歳とか若い。
これは若くないと先方の家になじめないとか、歳をとった婿など
親爺くさくて嫌だといった理由があるのだろう。。
今なら大学生ぐらいの婿なら姑さんにも可愛く思われ大事にして
もらえるのかも知れない。

娘三人嫁に出すと家が潰れるといわれたものだという。
息子を養子に出すについても費用はたいへんである。
しかし、この家の二代目の次女の婿取りのときのように、息子を
養子に出してその後婿を取れば差し引きゼロで勘定は合う。
日本@名無史さん [sage] 2019/03/07(木) 09:26:34.58
平産(へいさん)は安産のことだよ。その後にすぐ死んでるのは
幼逝か間引きかは分からないが。乳児死亡率が異常に高かったのは
しばしばいわれる話しね。
日本@名無史さん [] 2019/03/07(木) 10:08:21.18

武家の出産事情 は福岡藩士の日記を基にしたものなんだが、
報告者も平産の意味は分からないと言っている。
ここでどういう意味で使われているのかが分からないのだ。
平産は安産の意味というが、そういう辞書的な意味で使っているのではないと思う。
そもそも、日記では安産は安産と書いてある。
三代目になると、出産と書いて、そこに「出生なし」、と書くようになっている。
この、出産・出生なしが一代目と二代目の平産ととりあえず同じ意味だろうということで
集計してある。

乳児死亡率が高いといっても、平産(子は生まれてないのか生まれてすぐ死んだのか
明示していない)が五回も続くということはありえないだろう。

南部一関藩では武士階級での間引きがあったことが文献上確認されている。
日本@名無史さん [sage] 2019/03/07(木) 12:25:35.52
平産というのは辞書にも乗ってる言葉だから安産という意味でいい。それが実際に
何を含意しているかは文脈によるだけ。
日本@名無史さん [sage] 2019/03/07(木) 12:29:29.96
まあ文脈から見て「間引き」で間違いなさそうね。とはいえ中田氏しまくりで
10人も産ませて7人も8人も引いてるなんて非道なことこの上ないな。
間引かれた子供もとうぜんそうだが、間引かれるの前提で妊娠させられる
嫁さんのほうも気の毒すぐる。まさにセックススレイブ(´・ω・`)
日本@名無史さん [] 2019/03/07(木) 18:22:56.30
昨日、水曜日のダウンタウンで一家全員代々早産&結婚離婚を繰り返してる家族が何組も出てたけど、まさに江戸時代の農村の貧民そのままの生活レベルで驚いたわ。
日本@名無史さん [sage] 2019/03/07(木) 18:50:27.44
フォーッ!d=(^o^)=b
日本@名無史さん [] 2019/03/07(木) 20:58:06.75

なぜそこの貧農のレベルのくくりに、下級武士や足軽も入れない?
日本@名無史さん [sage] 2019/03/08(金) 01:07:15.18
どーでもええやんけ。ガイジか?
日本@名無史さん [] 2019/03/08(金) 01:11:57.01

そこ食いつくとこか?
日本@名無史さん [sage] 2019/03/11(月) 16:26:22.61
そういや「坂の上の雲」でも真之が生まれたときに母親が間引こうとしたのを
子供のときの好古がじぶんが全て面倒みるから間引かないでくれって頼んで
許してもらった云々の話しがあったな。嬰児殺しに関しては明らかに日本の
伝統はいまみたいなものでは無かったのだろうね。
日本@名無史さん [sage] 2019/03/11(月) 16:36:52.00
アーあれはちがったか。寺に遣るという話だったっけ。(´・ω・`)
日本@名無史さん [] 2019/03/11(月) 17:04:59.70

しかも母親じゃなくて父親が・・・
ついでに言うと、秋山5兄弟の長男は精神的な病のため家督相続できず、次男と四男は大阪の商家へ養子に出たので三男の好古が継いでいる
日本@名無史さん [] 2019/03/12(火) 02:07:24.66
〜837
なんかもーヒッチャカメッチャカ
だいたい間引きというのは、生まれた直後に産婆さんがやってくれるものなんだよ

ここ何となく感じが出てる。元が深沢七郎なんで。
ttp://http://d.hatena.ne.jp/cool-hira/20150830/1440882470

上の「平産」というのも、ここと同じように隠語的な使われ方をしていたのかもな。
いかがなりや、と聞かれたときに、夫が「平産でござった」と言えばすべて了解されたのかも。
お互い様だからな。

なお、後産(あとざん)で出てくるものは産婆が始末した。
昔は道の三つ叉に分かれたところに埋める習わしだったと聞いたことがある。
間引いた赤子の始末もまた産婆さんの仕事。
日本@名無史さん [sage] 2019/03/12(火) 11:11:12.41
女は妊娠させるのが幸せ、くらいに思ってたのかもしれんね。
男は射精がしあわせ、女は妊娠出産がしあわせ、
まいとし1回良い季節に交尾して、妊娠出産するのが夫婦の生理
くらいのあつかいやろうかね。生まれてきた子は無用なら始末
するのが当然くらいなことが常識で、間引いた数だけこけし人形が
ふえていくという寸法か。
日本@名無史さん [sage] 2019/03/12(火) 12:15:06.03

え、それまじなの?都市伝説?
間引きとこけしって関係あるの?

俺の家にも古いこけしが数体いるんだが…
東北の農家で江戸中期から続いてる家なんだけどさ。

それまじならあのこけし捨てるように言ったほういいよな
気持ち悪い
日本@名無史さん [sage] 2019/03/12(火) 12:19:50.32

東北住みの現地人が「子消し」伝説を聞いたことがないというなら
ただの都市伝説やろ
日本@名無史さん [] 2019/03/12(火) 18:24:54.10
こけしの語源はどうでもよくて、ここで話題になるとは思わなかった。
詩人の松永伍一さん(1930-2008)の随筆「こけし幻想行」(1971)の記述に
端を発していたことが判明しましたと明示しているブログもある。
何やらテレビでも放送されたようだ。そりゃ都市伝説にもなるだろ。
ttp://http://rhinoos.xyz/archives/26319.html

だが、子供を間引いた母が罪悪感からこけし人形を飾る・・・・なんてことは
ないだろう。もっとサバサバした行為だったと思うし、気になるならお地蔵さんを
拝むとか他にやりようがあるだろう。
忘れたいことなのに何も記念品みたいにコケシを置くことはない。
今だって産めば産めるのに堕胎してケロッとしている女ばかりだろ。
日本は堕胎天国だが、伝統的にそうなんだな。

それより昔の産婆が凄い。医療従事者というより汚物処理業、兼間引き請負人
みたいなものか。「取上婆 目やにだらけな 顔で来る」なんて川柳もあるとか。
夜中に呼び出されて寝起きのままやってくる下品で汚い婆さん、といった様子。
資格のいらない時代の取上婆なんてのは、普通の人はやらない汚れ商売だったのだろう。
出産は血だらけの現場であり、昔はお産で死ぬ産婦も多かったから、腹も座っていて、
赤子をひねるのなんか何とも思わなかったのかもな。
日本@名無史さん [] 2019/03/12(火) 21:16:28.27

東北じゃ間引いた嬰児の遺体を畑に埋めて肥やしにしてたそうやないか
季節が悪いと埋めたままの状態で冬を越して雪解けと一緒に嬰児の形のまま露出するとか
俺の住む西日本じゃ考えられへん気味の悪い話やで
日本@名無史さん [sage] 2019/03/12(火) 22:05:21.14

それまじか?
家の目の前に畑あるが。
骨とか出てくんのかね?


戸籍でもわかることがある
明治生まれの双子の片方がすぐ死んでるんだが、これも殺された可能性あるんだな〜。
日本@名無史さん [] 2019/03/12(火) 22:56:26.36
双子は縁起悪いから片方殺さないとね
日本@名無史さん [sage] 2019/03/12(火) 23:03:50.24
それなら戸籍に載せる前にやっちまうんじゃね?
日本@名無史さん [] 2019/03/12(火) 23:14:07.10

幼児の間引きって本当にあったの?って最初疑ったけど
寒冷飢饉や日照問題が頻繁に発生した東北では
家庭の食糧事情が大変な大部分を占める小作農家では
当たり前のように間引きがおこなわれたって知ってビックリしたのは確か
日本@名無史さん [] 2019/03/13(水) 01:13:06.49
やはり避妊って大事だな・・・

割りと最近の話だが、うちの戸籍では1930年代後半から40年代前半にかけて、幼児ではなく18歳前後の人が多く死んでいる。
大阪だけど、当時何か伝染病などあった?
日本@名無史さん [] 2019/03/13(水) 01:16:22.82
結核
日本@名無史さん [] 2019/03/13(水) 01:22:35.53

冬の間は食糧を切り詰めて細々と食べるから碌に乳が出ない
間引かなくても結局死ぬから同じ事
日本@名無史さん [sage] 2019/03/13(水) 08:28:50.17

普通に戦争じゃなくて?
日本@名無史さん [sage] 2019/03/13(水) 12:06:41.97

まあ、大規模な飢饉があると人身売買がってんで、昭和初期にも新聞で全国キャンペーンやった事例があるぐらいだしな
日本@名無史さん [sage] 2019/03/13(水) 12:08:53.56

三十年代後半から日中戦争の徴兵が本格化してたくさん前線送りになってるからかな?
日本@名無史さん [sage] 2019/03/13(水) 13:03:38.96
数世代前まで生涯に10回も15回も妊娠出産してた遺伝子を相続してる
現今の日本女性の苦悩は想像するに余りあるものがあるな。
日本@名無史さん [sage] 2019/03/13(水) 13:05:00.57
 さすがにネタだろ
日本@名無史さん [] 2019/03/13(水) 14:18:29.92


いや、本籍地や自宅すぐ側の病院で死んでるし、未成年や女性もいる。
あと、戦死者の場合「○○にて戦死」とあるから、書いてない場合はそうじゃないんじゃないかと。
日本@名無史さん [sage] 2019/03/13(水) 15:11:47.92

江戸時代の平均出産回数は五回ぐらいらしいぞ
日本@名無史さん [] 2019/03/13(水) 15:16:58.94

江戸時代の宗門人別帳で追っていくと、離婚率はかなり高いらしいな。
明治民法が出来た明治30年ごろはまだ離婚が多くて、その後減っていく。
「戸籍を汚す」とかいう意識が芽生えたのはこのあとだろうな。
維新政府がせっせと武家の価値観があたかも正しくてすべてのように広めて、
テレビの普及で輪をかけた。
「女三界に家なし」とか「嫁して三年こなきは去る」とか「三つ指継いて迎える」とか
庶民には無縁だったはず。
「専業主婦」ってのも、武家の奥方のものであり、明治になってからは高給取りの役人の
妻くらいしかいなくて、庶民の女房はみんな働いていた。
日本@名無史さん [] 2019/03/13(水) 15:18:47.54

鬼頭さんの本だね。
日本@名無史さん [] 2019/03/13(水) 15:24:31.93

あっ、うちと似てる。
うちの曾祖父さんは、その時期に子供3人と妻を亡くしてる。
話を総合すると、スペイン風邪にやられたようだ。
生き残った子供を抱えて難渋したらしく、実家に戻って再婚してる。
日本@名無史さん [] 2019/03/13(水) 15:56:31.71
27歳くらいで結婚して離婚もせずに添い遂げた場合。
妊娠期間約1年、授乳期間約2年、明治の乳幼児死亡率で計算すると、27から40すぎまで
かかって5回か6回の妊娠で、生き残る子が4人程度。
そこからさらに子供のうちに死んでしまうから、3人ほどが成人まで生き延びる。
周産期死亡も多いし、離婚も多いから三人を成人させることができるのは半分もいないらしい。
庶民はこどもを奉公に出すから、出先で死んでしまう人も多かったのだろう。

鬼頭氏によれば、下層の家は一世代で約14%程度が絶家するそうだ。
後を埋めるように、上層の子沢山階層(自小作や地主)から降りてくる。

武家は子供がとても少ない(不思議だけど)
たくさんいても家督を継げるのは一人だけだから何らかの方法で調整したと考えるしかない。
日本@名無史さん [] 2019/03/13(水) 16:11:22.26

東北と西日本では、国が違うのかと思えるほど違うね。
中部西日本では、「奉公」へ出すから戻ってきて結婚する年齢が高い。
2〜3歳まで授乳していれば10人産むなんで普通では無理。
よほど食糧事情の良い上級家庭で妻が頑丈じゃないと。
昭和になっても出産等で命を落とす女は多かった。
うちのじいさんとばあさんはどっちも後妻の子だ。先妻は死んでしまってる。
うちの地域の墓は、夫婦墓なんだか、つまり一世代で一つ。
そこに3つの戒名が掘ってある墓がそこそこある。
先妻が死に、後妻と旦那と三人のための墓だ。
あかんぼ産んですぐに死んで、間もなく後妻を迎えたような場合は、我が子として
育てるからか、継子という感覚が薄いように思える(近所の婆さんたちの話を聞くには)
日本@名無史さん [sage] 2019/03/13(水) 16:17:16.77
武家の場合は重要なのは継嗣子だからね。ぶっちゃけ実子じゃなくても
なんの問題もなく、あとは我が子に対する執着とか愛着だけの話しで。
なまじ何人も子供を作っても暮らし向きが大変になるばかりで、次子や
女子の養子先や嫁ぎ先を考えてやらなきゃならないばかりだったろうね。
日本@名無史さん [] 2019/03/14(木) 00:29:17.60
「あれがもしもし男の子なら 寺へあがらしょ 学問さしょに
 これがもしもし女の子なら コモに包んで 小なわでしめて
 前の川へそろりと投げる
 上から烏がつつくやら 下からどじょうがつつくやら・・・。」
日本@名無史さん [sage] 2019/03/14(木) 01:24:40.65
そういう種類の確認できていない「現代の民話」を持ち出すのは良くないね。
仮にそのようなものがあったと想像できたとしても「偽史」の創作は恥ずべき
行為であり学問の誠実さに対する犯罪行為。
日本@名無史さん [] 2019/03/14(木) 01:59:31.47
>そういう種類の確認できていない「現代の民話」を持ち出すのは良くないね。

笑わしてくれるよな。確認された事実しか議論の基礎にしてはならないとしたら
歴史学なんか成立しえないじゃないか。
何が学問の誠実さだよ
小学生みたいなこと言ってるんじゃないよw
日本@名無史さん [sage] 2019/03/14(木) 03:09:45.66
貧乏旗本の三男坊
日本@名無史さん [] 2019/03/14(木) 10:42:01.29
後産で排出される胎盤を「えな」という。胞衣という漢字をあてたりする。
エナの始末については土地土地に慣習があった。
ググってみると面白いよ。まずはこのあたり
ttp://https://news.biglobe.ne.jp/trend/0728/mes_160728_0837672594.html


エナだって儀式のようなことを経て埋めるんだから、生まれた子を畑に埋めて肥やしにする
なんてあるわけない。日本人はそんな民族じゃないぞ


たしかにそう。間引きってのは生まれた直後にやってしまうものだが(だから子返しともいう)、
育てはじめてから乳が出ないとかやっぱり無理という場合には嬰児でも始末した。
炬燵の布団をちょっと顔に被せておく、といったようなことが行われたみたい。

団塊の世代というのは昭和22年、23年、24年生まれのことを言うんだそうだ。
戦争から帰った若い世代が結婚して盛大に子供を作ったからというが、そればかりでは
ないだろう。食糧事情が改善したからだ。
戦争中は配給だけでは不十分だったが、配給があるだけましだった。一番厳しかったのは
戦後の昭和21年だという。配給もなく、国民は餓死寸前となった。アメリカの人道援助で
豚の餌である脱脂粉乳が緊急輸入されたのはこの時だという。
こうした援助や兵役帰りの人たちがまずは農業に従事したこともあって、22年には食糧事情が
大幅に改善された。国民は、もう大丈夫、餓死することはないという安心感を持つようになり、
その結果子作りに励むようになったのだ。
たぶん戦争中は子供を作らない夫婦も多かったんだろう。
産んでも餓死させてしまう可能性が現実にあったからだ。こういう産児制限を、避妊具もなく
堕胎の技術もない昔の人は、間引きという形でやるしかなかったのだ。

特に武家は家中の家来の数が限られており、増えることはまずない。収入も家禄という形で
固定しているし、分家もできない。養子の口も家中全体の数は限られており、一つの家で
三人も四人も男の子を作って独占するわけにもいかない。
子供の数を制限することは家中全体のためでもあったわけだ。
日本@名無史さん [sage] 2019/03/14(木) 16:16:03.16
 面白いね。この手のエッセイで久しぶりに良い文章を見た。
日本@名無史さん [sage] 2019/03/14(木) 20:46:12.69
食糧事情か

戦前は韓半島やら台湾を重点に米の増産を進めたんだよな
そのせいで列島産米と比べて安く出回った半島米・台湾米で国内人口は伸びたが本土の農村は疲弊したっぽい

戦中、特に後半は海上封鎖で台湾米とか運べなくなったから米不足が深刻化して食糧難に。
戦争が終わっても、朝鮮も台湾も日本領じゃなくなったから米の輸入は難しいままで食糧難が継続。

農村建て直しで食糧事情が改善するまでしばらくの間は食糧難が続いたんだろう
日本@名無史さん [sage] 2019/03/14(木) 21:50:00.65
いまと違って農業はすべて手植えの手刈りだから農村の人手不足や農業人口の都市民化みたい
なのも影響したろうね。台湾や朝鮮が食糧供給基地になって、日本の農村から人口が都市に流入
するようになったタイミングで敗戦と輸入の途絶となったから、絶対的な供給量じたいも足りなかった
のかもしれない。

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